堀井On-Line



4764,閑話小題 ー3年前の日記より ー2

2014年03月31日(月)

   * 昨日で、あの日から三年になった
 先日、3・11災害から3年経った、と書いた。そして10年日記帳から、
3月9日〜19日までを書き写した。今度は、会社整理の日々になる。先日に続き、2011年3月20日〜4月2日の二週間。 
(一般債権がほぼゼロもあり)自宅も、会社の事務所にも一度も抗議電話も押しかけが無かった。債権者会議も当然無く、
無事、切り抜けていた。それもあってか、計画倒産の噂が流れたが、そんなことは出来よう筈がない。
事業計画をたてる段階から、万一のリスク管理(下の数値ラインの設定と、
避難のためのシェルターを長年かけた用意)をしていた。これを計画倒産と言われれば、それまでだが・・ 
これを書き写していて、涙が出そうになったが、面白いと懐かしがっている自分もいる。
 ・3月20日(日):この連休明けから、具体的手順に入る。差し迫ってきた。モーニングショーでは、大震災を詳しく
     報じている。それもあるが、私も、ある意味、被災者である。 あとは、流れに任せるしかない!
 ・3月21日(祭日):TVで週末の東京の歌舞伎町、新橋、銀座、魚河岸など中継していたが、震災のためいずこも閑散。
     昼食は近くの‘サエゼリア’で。満席だが、被災民と思しきグループが目立った。これが現実である。
 ・3月22日(火):新潟の万代のラブラに行くが、人は閑散。昼飯はケンタッキーの鳥ハンバーガー。コンサルトの
     林氏にメール。今日、決断をしたが、この2〜3ヶ月、特に動揺をしている。この災害が、後押しをしたのは確か。
 ・3月23日(水):大矢、斎藤、弁護士と事務所で、状況について最後の話合い。17時〜18時半。
 ・3月24日(木):16時40分に弁護士と打ち合わせ。厳しいが、しかたがない!
 ・3月25日(金):弁護事務所で、弁護士と打ち合わせ。最後の決断の確認をした。
 ・3月26日(土):NTTで、携帯電話の会社から個人への切替の手続きをする。
 ・3月27日(日):NTTへ、再度、手続きをしなおしに行く。
 ・3月28日(月):整理の具体的手順に入る!身体が浮いたようで、頭はフル回転。違う人格が入り込んでいるようだ。 
 ・3月29日(火):会社には行かず、個人の整理のための手順の幾つかを踏む。久々に際どい危機感の中の自分が、いる。
 ・3月30日(水):13時より、弁護士二人に女子事務員と、現金など経理部門の引渡しを大矢と私、5人で始める。
         そして、17時に正式に弁護士の宣言で、30年以上の会社が消滅をした。 全員、起立をしてm(_ _)m。
 ・3月31日(木):9時10分より、弁護士と二人、第四、商工中金、新潟信金の順にまわる。何処も、豆鉄砲をくらった様子。
        :13時、従業員を集め、解雇の言い渡し。全員が不安そうな顔をしているのを見て、気持ちが切れ涙を流す。
         17時、車で帰路の途中、Iさんより携帯に電話。迷ったが、これも記念と、18〜20時半まで長岡駅裏の
         居酒屋で酒を飲む!Iさんも、まさかと信じられない顔。
 ・4月01日(金):13時半、弁護士と会社の事務所で打ち合わせ。15時、昨日の説明会で出席できなかった5人に説明。
        18時半〜燕のKさんと燕で酒を飲む。3人の就職先の依頼を。 21時44分で長岡に帰る。
 ・4月02日(土):県内の親戚に数人に事情の電話。 仙台の学生時代の行方不明だったO君より無事の電話。
        5分の差で助かったとか。その前に仙台の住所にハガキを出していたのが、遅れて届いたという。
 ▼ 良質もあるが、悲しいとか、惨めとかいう感傷的気分はゼロに近い。目の前の一日をひたすらこなし過ごすしていた。
  それは今も同じだが。それでも「喉ぼと過ぎれば熱さ忘れる」で、何事も2年半〜3年。陰湿の嫌がらせはないことは
 ないが、慣れてしまえ、「理解出来る範囲で見ている方々の程度の測量」で遊ぶ楽しみになる。これは実体験でないと
 分かるはずがない。その意味でも、自分観察、人間観察でベストの経験をしている。 救ったのは長期のリスク管理?
・・・・・・
2013年03月31日(日)
4397,「武士道」という諸悪の根源         
   * 「武士道」という諸悪の根源    《「世間」の捨て方 ー3》
 「武士道」が諸悪の根源という説は面白い見方。しかし少し考えれば当たり前のこと。徒党を組んだ侍の親分が武力で
農民の米を徴収し、仲間内に配っていた。その暴力装置を持つ集団が綺麗ごとで尤もらしい規範をつくりあげだけ。
それを子育てを含め根こそぎ否定しているところが新鮮。  ーその辺りを抜粋してみるー
≪ 子育ての見本として、絶対に見習ってならないのが江戸時代の武士道。「武士という者が日本を悪くした存在です。(略)
武士の頭の中にあるものは主君に使えるということだけ。 端的に言えば、奴隷ですよ。(略)この奴隷というものを、武士道
だなんて、日本人はやけに持ち上げるんですよね。(略)その点、ヨーロッパは違いますね。武士はすべて傭兵だった。
戦争は国王が傭兵を使ってするわけです。武士は『七人の侍』みたいなもので、雇われの用心棒だった。
「日本は典型的な武士の社会。鎌倉幕府が成立して以後、ずっと軍事国家だと私は思っています」≫
 ▼ 現在も武士社会が会社に入れ替わっただけ。そのため現在でも勤め先の藩と役職と禄高で、社会的評価がされている。
  そうこうみると、我われは現在でも奴隷、それも人生の大半を何も考えずに、その生活に満足して過ごす。その中で、
  人は趣味を見出し、奴隷生活の中で自由な時間を持つ。士農工商が江戸時代の身分制度。そこで他の奴隷管理をしていた
  武士のつくった武士道など信じるなどもっての外。 ーウィキペデアで葉隠れをみると
 ≪「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」葉隠の中で特に有名な一節。 葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して
  武士道精神と単純に解釈されていて実際、太平洋戦争の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われたが、山本常朝自身は
  「私も人である。生きる事が好きである」と後述している様に、死を美化した書物と一括りに出来ない。 現代でいう
  ビジネスマナーのマニュアルに近い記述がほとんど。また衆道(男色)の行い方を説明した記述等、一般に近代人の想像する
  ところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。戦後、軍国主義的書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では
  地方武士の生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように処世術のマニュアル本としての一面もあり、
  『葉隠』に取材したビジネス書も出版されている。≫とある。奴隷社会の処世術というところ。どうも日本人は、やたら道を
  付けたがる。商人道、柔道、剣道とか。何かを極めるのに、どの位置にいるかを知る道標が必要だから、道を思い浮かべた
  のだろうが。日本が、戦後、ここまで経済成長を遂げたのも、江戸時代の「お家制度」の文化が背景にあったのも事実。
  絶対否定は出来ない。元長岡藩の城下町、今でも色濃い武家社会の影響が大きく、世間とかいう噂の奴隷の群れがいる。
・・・・・・
2012年03月31日(土)
4023, シングルイン、31年間の総括 ー5
  * どこで間違えてしまったのか?
「会社の寿命30年説」を検索したところ、日経ビジネスが1983年に総資産額のランキング分析を基に唱えたもの、とあった。
私の事業も、この説のとおり30年で寿命を向かえた。 創業当時、私が30歳代半ば、当時のマネジャーと次長は20歳半ばから後半。
30年後の現在、三人の平均年齢が60歳近くになっていた。 ホテル4棟の平均年齢も25年になっており、引き時と見ることができる。 
 ここで、三つの震災などの外的要因を別にして、「この事業、何処で間違えてしまったのか?」という問いを立ててみる。 
◎ 首都圏から新幹線2時間圏内の駅前ホテルの客室需要が数分の一に落ち込む予測が出来なかったのが大きな原因。
◎ 更に企業の営業活動のあり方が、この20年間に根底から変わってしまった。20年前のバブル崩壊と、ソ連・東欧の崩壊で
  東西の垣根が無くなり、グローバル化が日本の国力を根こそぎ奪ってしまった。 その意味を捉えることが出来ず、
  思い切った方向転換を出来なかった判断ミスが次の要因。 
◎ それに加えて1995年にマイクロソフトが、ウィンドウ95を発売、パソコンが飛躍的に使いかってが良くなり、爆発的に普及した。
  それにネットが結びついたネット社会が現実社会の上位に出来てしまった。これで、ビジネスのあり方が根本的に変わってしまい、
  経済も社会も、スピードと変化が激しくなった。 それが資産デフレと物価デフレをもたらしていった。 
◎ 首都圏と地方という経済と社会の関係が、首都圏と東南アジアとへシフトが変わっていった。 そのため、日本の地方の力を
  大きく削いでしまった。 それにリーマンショックと、東北大震災が重なり致命的大打撃になってしまった。
 ー 以上を、簡約すると、
* 20年前のバブル崩壊の影響が、ここまで日本を弱体化させる重大性が理解できなかったこと。
* 資産デフレと、物価のデフレが、これほど長期に続くと読めなかったこと。
* 情報化で、ネット社会が現実社会の上位に出来上がり、経済・社会を根こそぎ変えたスピードが、ここまで早いとは。
   要するに、バブル崩壊と情報化がもたらす影響の大きさの読みが甘かったこと。
 30年前は新潟駅に新幹線がオープン。 新潟駅周辺は活気に溢れていた。しかし10年後のバブル崩壊で、20の都市銀行も
 3行になっていった。 時代の激変がもたらす影響を理解できず、バブル後に、さらに客室数を増加させた。これが最大の間違い。
  間違ってなかったとしても、それも時代の大津波が襲って破壊しているだろうから、どこで間違えたのだろうか?という問いが
 間違えていることになる。 継続しているじゃないか?というが、良くて半分、悪いと五分の一。 これに原油高に、消費税のアップ。
 ・・・・・・・
2011年03月31日(木)
3657, つれづれに
  私にも大きな試練と転機がきた。 65歳ということか。 毎日が、原発事故の悪化を示すニュースである。  
 本格的な恐慌へ一歩踏み込んだようだ。 今日は、ホテル開業30周年になるが、 ・・・
  違う意味でのメルクマールになる! 偶然だが、去年同日の下の文章が身に沁みる。
 ・・・・・・・・・
2010年03月31日(水)
 3292, 人みな骨になるならば ー8
 * くぐり抜けた境地   (p−237)
 ーまずは、スカッとする?部分を抜粋するー  (人によれば、冷水を浴びせらた感じか!)
 これまで縷々と述べてきたことは、要するに世界はわれわれに対して、期待するほどには親切ではないが、
危惧するほど冷酷ではないということだ。 もちろん、われわれの幸運・不運によっては、期待する以上に
慈悲深かったり、また危惧していた以上に残酷だったりするが、それにも特別な意味などないのだ。・・・・
 究極の課題は、われわれがあらゆる無用な縛りを脱ぎ捨てて、自分だけの人生を積みあげることである。
それはたぶん海岸で砂の城を築くような児戯でしかないだろう。いずれ波が浚っていき、後には元の砂浜が残るだけだろう。
そのことが何故、かなしむことなのだろうか。われわれは僅かな時間でも立派に砂の城を積み上げたのに。
この事実だけは、何も否定できない。神であろうと宇宙であろうと。われわれの人生というものは、
ひとつのモニュメント≪記念碑≫である。 それだけで意味や価値の有無など関係ないのである。 ・・・ 
 誰も認めたがらないことだが、おそらくわれわれ一人一人の人生は無駄である。われわれの人生は将来だれにも
顧みられることのない記念碑なのだ。歴史的・空間的に座標を持ちはするが、束の間に開花して終わるモニュメント
でしかない。 早晩、誰も憶えている人が居なくなってしまう無駄な記念碑こそが、われわれ一人一人の生涯である。
無駄ならせめて輝く無駄でありたい。この場合、「何もかもが無駄なら、輝こうが輝かなくても同じだろう」という野次には
抵抗力をつけておこう。 単に、くすんでいるより、輝いていた方が良いだけだという、切り返せなくてはならない。
この「無駄である」という自覚を通してしか、われわれは知的な、あるいは心情的な束縛から抜けきることが出来ない。
「無駄である」という覚悟がないと、現世のさまざまな意味や価値や人道や正義に惑わされてしまう。
臨斉義玄が警戒した「人惑」とは、これら総称したものである。・・・・意味や価値の雲海を抜けきった先には、
実は何もないのである。 それを解放と感じることができない人々は、元の古巣に戻るしかない。・・・
「おそらくわれわれの一人一人の人生は無駄である」
「無駄であるという自覚を通してしか、知的な、心情的な束縛からぬけきることができない」 
「人生が無駄であると悟ることで、意味や価値の雲海を抜け、その先が実は何もないことを知り、
それが解放と感じる境地が全てである」と。 般若心経の色即是空、そのものではないか。
それを虚無主義とかいうベールで包んで、色=現象の世界の絶対言明としている全てを根こそぎ掘り起こし、
そんなものは何ということはない!と、断じているのである。 虚無も決してマイナスではないのである。 チロリか
 ・・・・・・・・
2009年03月31日(火)
 2917,日本人の8人に1人が鬱病!
現在日本人の8人に1人が鬱病という。女性と男性の割合は、女性2に対し男性1、の割合で女性の方が倍になる。
イタリヤ人は4人に1人の割合というから、陽気なイタリア人のイメージとは、かけ離れている。私自身は20歳代半ばまで
少しは欝的だったが、本質的には陽気。 欝は青年期は誰でも通る道。精神的な落ち込みは独りで乗り越えてきたが、
落ち込む余裕さえ無かったのが実情。20年ほど前になるが、取引先の営業の人が重い躁鬱になってしまった。
病院の塀の上から内側に落ちるかどうかの際どい場面が何度かあったが、何時の間にか、その病気の聞き役になっているうち、
コントロール役になってしまっていた。その人も数年前に亡くなったが、「原因」は、プライバシーに関わるから書けないが・・。
本人の口から欝の状態をこと細かく聞いたが、壮絶の一言である。 家中の家財をバットで叩き壊すなど・・・。 
自分では、コントロール不能とか云々。亡くなる数年前から、自分で危なくなると、医者に行って入院を10日ほど願い出て、
落ちつくと退院をしてきた。そうなると精神病ではなく、精神症というらしい。病と症の境は、周囲に迷惑をかけるかどうか。
精神も肉体も同じで、病である。医者と相談をして、発症したときは薬を飲んだり入院をして俗世界から一歩引けばよい。
そのことを本人が相談にくるといい続けていた。欝になる前には必ず異常な躁状態になる。そうすると周辺から電話がかかってきて、
「欝の発生の予告」が来る。 そして、何時ものパターンが始るのである。今回の調査の結果の「8人に1人が鬱病」には驚いたが、
周りをみると、そういえば・・。2〜3家族に一人になるから深刻。生真面目で、常に誰かに頼っていて、周りに気づかいをしすぎ、
自然の笑いの無い人。私は自分の弱さを知っているので、予防の知識を充分に積んだが、それでも最近の不況は心を暗くする。 
毎朝ウォーキングをし、仏壇前で5〜6分瞑想的な祈りをし、美味い酒でも飲んで憂さを晴らせば欝になりようがないと思いきや、
そうでもない。歳をとると何らかのカタチで欝的状態がついてまわる。そりゃそうだ。一つずつ病が加算され、身体は老いていき、
友達・親兄弟は亡くなっていけば、欝状態になるのが自然である。 この世界恐慌は「グローバル欝」を誘発する。
それを利用して戦争を起こし、チャラにしたのが、これまでの方法。 
これからは、無いとは言えないのが世界である。 突き詰めると、やはり戦争??
・・・・・・・・・
 2008年03月31日(月)
2553, ヒルティの幸福論       ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
アランの幸福論といえば、次にヒルティの幸福論を取り上げなければなるまい。
幸福論といえば、この数年来、哲学に熱くなっているので、浅いというイメージがわいてしまう。
格言や、哲学書の中で、軽く考えるレベルと信じていた。しかし、突き詰めれば幸福感を求めているのかもしれない。
幸せな人より、不幸せな生き方の人の姿?から、その不幸論がシビアに見えるからである。
まあ、それはそれで・・・・ いや、無知が全ての原因ということが、あまりに哀れで!
自分の姿を合せ鏡で見えたのだろう。 所詮、人間は結末は不幸なのだから。カール・ヒルティは1833年生まれの法律家。
アランの「幸福論」はストア哲学的であるのに対してヒルティの「幸福論」はキリスト教的で、お堅い。
アランの幸福論ともに、幸福を、自分の内部だけで完結するものでなく、自分を離れた、外的な環境や社会に対しての関心や、
献身的行動にこそ幸福があるとしている。ヒルティの幸福術のポイントといえば、仕事こそ最高の幸福と思い、
良い習慣を身につけることだ第一 自分の意志で幸せになれる 人間を知ることになる。 
  ーそれぞれの印象的な部分を抜粋してみた。   
「我を忘れて自分の仕事に完全に没頭することのできる働きびとは最も幸福である。」「本当に大切なのは、なによりも習慣の問題である。 
 第一の主要な規則は、すなわち、われわれは消極的に悪い習慣を捨てようと努力するよりも、むしろ常に良い習慣を養うように
心掛けねばならぬということである。」   日)
・・・・・・・
2007年03月31日(土)
 2188, 宮城まり子 ー3         (~Q~;)  おはよう??
今日で日経新聞の「私の履歴書・宮城まり子」が終わった。深い世界を垣間見た思いである。純粋な動機こそ一番強いのだろうか?
彼女にとって、この生き方しかできなかったのだろう。障害者の一生を受けとめることは、生易しいものでない。
人生の全てをかけて受けとめているのだから、これこそ人生の格闘である。数日前の、この場面が彼女の性格と強さが出ている。
「私がやらなければならない!」という自負が、捨て身でコトに当たれるのだろう。
 ▼ ねむの木学園が始まったばかりで高校に進学する子はまだいませんでした。
「なぜ」「制度がないんだよ」私は躊躇いもなく東京に帰って、首相官邸に行きました。
1972年の9月16日。どんどん入っていって、「首相にお会いしたいんです」と言うと、2~3分もしないうちに、大きなしわがれ声が
して田中角栄さんが出てきました。「今日は、総理大臣にお知らせしたいことがあって参りました。両親のない子、貧しい子、
よくできるのにお金がない子が日本中の擁護施設にいます。大學にいくらなら自分で働いたらよいでしょう。
けれども働いても定時高校にいけない子もいます。その子が優秀なら高校にいけるようにしてください。面倒を見る職員のことも
少し考えてください。」「高校へ?」「はい」。総理はしばらく黙って私を見ておられましたが「やあ、ありがとう。
勉強になりました。すぐ返事ができなくて残念だが、待っていて下さい」と言われました。翌年1月17日に二階堂進官房長官から
連絡施設が入り、養護入所児童等で高校に進学できる能力を認めたものには国からの費用を交付する。直接処遇職員については
基本給に12~16?を加算するという制度に変わったことを教えていただきました。吉行淳之介さん、亡くなって13年たちますが、
ねむの木学園で格闘しているうちに、愛する淳之介さんの病気が、慢性の肝硬炎から肝硬変に進み、その原因がC型肝炎であることを
こっそり知らされました。 (字数制限の関係でカット 2012年3月31)


4763,最後だとわかっていたら

2014年03月30日(日)

   * 最後だとわかっていたら     ーひと言でいいのですー吉川直美編 より
 アメリカのマレック という女性が、わが子を亡くしたときに書いたもの。
2001年の同時多発テロで、貿易センタービルに一機目が激突したあと、救助のために最初のビル内に突入した
数百名のレスキュー隊の一人で、行方不明になってしまった29歳の消防士と言われたが、それは誤報)
 ー母親の悲しみが、そのまま直に伝わってくる文章である。 少し長いが・・
 ーー
                 『最後だとわかっていたなら』(サンクチュアリ出版)より
あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら 
一言だけでもいい・・「あなたを愛してる」と わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも 
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず

もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための 
ほんのちょっとの時間を どうして惜し んだのかと

忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」
を伝える時を 持とう  そうすれば もし明日が来ないとしても  
あなたは今日を後悔しないだろうから
                  「最後だとわかっていたなら」ノーマ・コーネット・マレック/訳・佐川睦  
▼ もし、漠然と80歳が自分の寿命と考えていて、来年にでも余命半年と突然、宣言されたと仮説をたてると、
 現在の年齢が68歳として、差し引き11年が失われることになる。自分の未来を子供とすると、その衝撃と哀しみが、
この詩に重なってくる。 そうすると、いま何をすべきかが浮かんでくる。 人生をもっともっと深く愛しなさい! 
家族・友人を大事に、親切にし、供にあることに感謝しなさい! もう一度、人生を見つめ直しなさい! になる。 
今日一日、清く正しく美しく、何事にも興味を持って、感謝して生きることだが・・・
若き日の追憶で、もっともっと、人生を燃焼しておけばと後悔するが、それを何故、いま現在しないのだろう?
・・・・・・
4396,宇宙は何でできているのか −2
2013年03月30日(土)
                「宇宙は何でできているのか」村山 斉 (著)
   * 私たちの住む宇宙は、10の27乗.10のマイナス35乗の世界 ー2 
【 宇宙は10の27乗メートル、素粒子は10のマイナス35乗メートル。これが、私たちが存在する自然界の「幅」。
 その両端にある宇宙研究と素粒子研究のあいだに62桁もの「距離」がある。ところが最近、まったく関係なさそうに見える
 2つが、実は密接につながっていることがわかってきました・・】 これが、この本のポイント。
  今回は素粒子になるが、どうも10の−35乗という世界の実感が沸いてこない。137億光年の彼方より私を逆照射して、
 更に8桁小さい素粒子の世界を科学の言葉として突きつけられたのである。それを実感じろという方が無理。
 「人間の大きさを一として、外界は137億光年の広がり、内は、その広がりを逆算した、更に8桁も小さな素粒子。
 そして、宇宙と素粒子は同じようなもの? 何なんだろう、これは? 
   ーまず、この辺りのポイントの箇所を抜粋してみるー
 ≪ ちなみにリンゴー個と原子-個の大きさの比は、天の川銀河と地球の大きさの比と同じぐらい。
 天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個程度の大きさしかない。さて、原子1個の直径は、
10の−10乗メートル。かつては、これが「この世でいちばん小さいもh素粒子」だと考えられていました。しかし、
やがて原子にも「内部構造」があるーつまり「もっとバラバラにできる」ことが判明します。原子の中心には「原子核」と
呼ばれるものがあり、そのまわりを「電子」がくるくると回っている。先ほどの「原子の直径(10の−10メートル)」とは、
電子が回る軌道の直径だったわけです。そして、電子の軌道から原子核までの距離は、決して近くありません。
地球と人工衛星ぐらいの距離感をイメージする人が多いと思いますが、原子核の直径は電子の軌道よりはるかに小さく、
10のマイナス15乗メートル。電子の軌道の10万分のーです。もちろんミクロの世界の話ですから、私たちの目から見れば
どちらも同じようなものですが、実際は5桁も違う。富士山の標高と地球の直径でさえ、4桁しか違いません。
原子核から見ると、電子ははるか彼方を飛び回っているのです。この原子核の発見によって、「素粒子」のサイズは一気に
小さくなりました。ところが、話はそこで終わりません。原子核にも「陽子」や「中間子」といった内部構造があり、その陽子や
中間子も、いくつかの粒子によって形づくられているのです。 その粒子が「クォーク」と呼ばれるもの。いまのところ、
クォークこそが真の「素粒子」だと考えられています。その大きさは、どんなに大きく見積もっても10のマイナス19乗M。
かつて「素粒子」だと思われた原子とは9桁、その真ん中にある原子核とも4桁違うのです。さらに重力と電磁気力、そして
あとで説明する強い力と弱いカも統一すると期待されている「ひも理論」は、素粒子の大きさは10のマイナス35乗Mだと
考えられています。≫
 ▼ 世界は「ウロボロスの蛇」(蛇が自分の尾っぽを齧っている絵)で、宇宙研究と素粒子研究の二つが密接に繋がっていて
  原理的に同じという。 「天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個程度の大きさ。 これが10の−10乗。
  素粒子は−35乗」と言われても、実感など出来ようがない。ただ「物は事の変化の過程の有り様」という意味が少し
  分かるような気がする。振り返れば過去は夢幻でしかない。いや現在もである。「実は宇宙のエネルギーの96パーセントが、
  他の宇宙からループ状の管の先から無限に注ぎ込まれている」と言われても、「何それ?」の話になる。 まあ、面白い!
・・・・・・
4022, シングルイン、31年間の総括 ー4
2012年03月30日(金)
    * あの日から今日で会社の一周忌
  あの日から、今日で一年になる。17時を持って弁護士二人と女事務員二人と、私と役員二人が同席の中、
 「今日の17時を持って会社は消滅をしました。ご苦労さま!」と弁護士が宣言、全員起立をし深々と頭を下げた瞬間、
 31年間の(株)ホテル・プロジェクトは消滅した。 そして、3つの会社実印と通帳の全てを弁護士に引渡し、
 総務・経理関係全ての弁護士事務所への引継ぎが始まった。 3月18日に会社解散を決めた瞬間から整理手続きが始まったが、
 全てがドラマのよう。 翌日31日9時から、銀行に弁護士と事情説明にまわり、午後13時に従業員全員を集めて解雇の言い渡し。
 その後に退職手続きに入った。 修羅場には異常に強い方だが、不安そうに事情を聞いている従業員の姿を目の当たりに見て、
 「気の毒。悪かった。」という言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、涙が溢れ出てしまった。 弁護士の手順は慣れたもの。一つずつ流れが、
 進んでいった。 丁度、東北大震災と原発事故の進行が重なり、現実離れした映画の渦中にいるような日々。新潟駅周辺には、
 自国に逃げ出す中国人と韓国人が溢れていた。 自分では冷静と思っていたが、実際は動転していたようだ。
 「交通事故だけは気をつけて下さい。普段の数倍の確率で起きるのが通例で、大よそ一割の人が事故にあいます。」と、
 弁護士に何度も注意された。 実際にマスコミが騒ぎ出すのは、その一週間後になった。 弁護士が「直接原因は、東北大震災」と
 流したため、ニュースは全国レベル。 家に隠るのは精神上悪いので県外のホテルでも行っていようか、弁護士に相談すると、
 「ここで後ろ向きの行為は、なお良くない。家にいるべき」という。 これも一理と納得。 日曜日18時のドキュメント「バン記者」
 のスタッフから、「一連を取り上げたい」と早速電話が入ったが、もちろん断った。毎月、月次決算のために30年間、事務所に来ていた
 会計事務所の担当が、「あなたは、処理過程を楽しんでいる。何が起こっているか、理解していないのでは」と、呆れたようにいう。 
 腹を据えてしまえば、後は冷静にコトに従うしかない。全力で、事に取り組めば、自然と体が浮いたように動く。 それが活き活き
 楽しんでいるように見えたようだ。 冷静に振り返ると、創業の生みからみれば、万一の準備を備えていれば、苦しみは数分一。
 それが第三者には見えない。 長年かけ準備をし30年も続けた事業は、行蔵として強く残るもの。 死や人生と同じである。
  考えれば考えるほど、この事業に心底、感謝している。 結果に、悔いも、未練もない。「 ご覧のとおり、そのまま結構! 」
・・・・・・・
30年前の3月31日を前にして
2011年03月30日(水)
  * 創業30周年の日を前にして ・・
 そういえば、明日が30年前の命がけで始めたホテル開業の日である。 当時の名前はベンクーガーホテル。
その一月前の2月28日にホテルの一角でデザイン学生服をオープンをしていた。いま思い出しても、良い時代だった。
一瞬で消え去る学生服メーカーのネーミングをホテルにつけるという奇抜さが話題をよんだ。平日はホテルに集中。
土日は学生服を販売する変わったホテルである。チンケといえばチンケだが。 当時は、まだ高度成長時代の真っ只中、
創業前に人材を集めるのが大変な時代。 当時と現在の、時代の格差に驚きざるをえない。ホテルなど誰も経験者がいない中で、
右往左往の緊迫した日々が懐かしい。 何かにガムシャラに前に向かえば、そこには求めるもの答えがあった。
私たちは時代背景の中でしか生きることが出来ない。そして、30年後の現在、当時より客室の価格平均が三割以上も下がっている。 
平均給与は数倍に上がっているに関わらずに。ドルショック、バブルとバブル崩壊、2001年の9.11テロ、2008年の9・15のリーマンショック。
そして、この大震災。その中で特に日本は、その都度大きく変動した。自分の人生を振りかってみて、時代の要請にそって
能力をつくり上げ成功と挫折をしながら生きていく、それが人生だった。事業は30年が大きな節目になる。その節目がきた。
・・・・・・・・
3291, 人みな骨になるならば ー7
 2010年03月30日(火)
 * 健康法は一種の信仰である
 ー まずは、その一部を抜粋してみる ー
長年医者をやっていて、少しは自分でものを考えたことのある人は、病気や寿命は畢竟するところ「運」ということを知っている。
昔ならとうに亡くなっている人が、現代医療で長生き出来たケースもあるが、現代に生を受けた強運である。次に、感染や、
悪性腫瘍、循環障害の大半は不運に起因するところが多い。 出会いしかり、遺伝・体質しかり、生活条件しかりである。
これに無理に生活習慣病と名づけ、本人の素行いかんで完全に予防・解消できるという発想は、希望的観測や信仰に近い。
ただ皆がそうであることを熱望しているから信じられているだけだ。 健康や寿命まで運次第というと不安だからだろう。・・・
 ありとあらゆる健康法をしたところで、それは入手できる限りのお守りを持っているのと大差がなく、死病を発する時には
やはり発するのである。5歳で白血病になる幼児や、20歳過ぎてクモ膜下出血をおこした青年にとって、健康法がいかなる意味があるか。 
・・・  むしろ健康法とは一種の信仰なのである。本当かどうかは二の次である。「これさえやっておけば」「これをやめておけば」は、
健康と長寿が保証されるかを信じこむことで不安を紛らわせているに過ぎない。つまり健康法とは念仏とかわらないのである。 
たしかに健康法や健康習慣をつづけることは念仏百万遍と同じ安心感につながる。・・・少なくとも無心で念仏を唱えることは
精神衛生によろしい。 もし当人にとって健康食品が美味しく、スポーツが楽しく、タバコが嫌いで、規則的な生活が好きなら、
念仏が趣味と同じで、それに越したことはない。 それは本質的に健康法ではなくて、単なる好みの問題である。
・・・結局、健康法や養生法というのは、いくぶん不確かな「何かのための手段を確保しようとする試み」以上のものではない。
むしろ大事なのは「何か」のほうであって・・・ モーツアルやショパンが作曲そっちのけで健康法に没頭して長生きして
孫に囲まれゲートボールを楽しんだとして、後代のわれわれにとって何の意味もないし、彼等はモーツアルトでもショパンでもない。
さらに、はっきり言えば、古今を通じて健康法や医療によって最終的に死を免れた者は絶無である。
▼ 現在も、健康法を色いろ続けている。 ウォーキングは三十年近く続けているし、健康食品も幾つか飲み続けている。
しかし、「そんなものは御守りでしかない」「それを続けていることで安心しているに過ぎない」とまで言うのか。
私は、もしウォーキングを続けていなかったら、間違いなく高血圧などの成人病で、死んでいるか、重症になっていると、
今でも信じている。 しかし、それをしているから少し不節制をしても大丈夫という慢心が出ていることも事実である。
「酒飲まず、煙草も吸わずに、百まで生きた馬鹿がいる」というが、「酒を飲み、煙草を吸って、百まで生きた奴がいる」になる。
実際は、やはり不摂生をした方が早死している。ストレス解消に、徹夜で煙草を吸いながらマージャンしている人に、
癌や高血圧になる人が多いのは誰の目にも明らかである。それで死んでも、死ななくても、その程度でしかない?ということか。 
 ・・・・・・・・
2916,とんでもないことなんだよ!
 2009年03月30日(月)
 先週の金曜日の昼、新潟駅至近にあるレストランでのこと。隔月ぐらい入るが、パンとコーヒーが美味しい店である。
食事が終わった後でコーヒーが美味しかったので、追加料金が100円こともあり注文をした。
ところが一口飲んで噴出しそうになった。 (ぬるま湯ではなく)ホボ水に近いコーヒー。出してくれた女性に思わず
「水に近いけど、これって、とんでもないことなんだよ!」と言ってしまった。それより何で、水に近いコーヒーを
出してしまったのか、その方が興味を持った。コーヒーに濃い目と薄めとメニューにあったので薄めを頼んだが、
湯を継ぎ足すのを水と間違ったようだ。
(字数制限のためカット2012年3月30日)
・・・・・・・・・
2552, アランの幸福論
 2008年03月30日(日)
「幸福論」は、古典的に読み継がれているのが、ヒルティ、ラッセル、そしてアランがある。
 この3つは世界の三大幸福論と言われている。 アランは、19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの哲学者。
 1906年のはじめ、アランは地方紙に、毎日原稿用紙2枚程度の短い文章を書きつづけ、このコラムは
「あるノルマンディー人のプロポ」という見出しで、第一次大戦が勃発する1914年までにこうしたプロポを3078編、
 さらに大戦後に約2000編を新聞や雑誌に書けた。 健全な身体によって心の平静を得ることを強調。全の不運や
 つまらぬ物事に対して上機嫌にふるまうこと。 また社会的礼節の重要性を説く。
「幸福であることは他人に対する義務である」「私たちが自分を愛してくれる人のためになしうる最善のことは、
 自分が幸福になることである」「望んでいることはすべて、人を待っている山と同じ。自らよじ登っていかなければ
 ならないのだ」「上機嫌療法を行うと、物事を気持ちの良いシャワーのように受け流し、筋肉をのばししなやかにし、
 食欲がすすみ、気分がさばさばして、生命が元気づく。」「もし道徳論を書かねばならなくなったら、私は、
 上機嫌を第一位におくだろう」「新年の贈りもので私がお勧めしたいのが、上機嫌である。これこそ、贈ったり、
 貰ったりすべきものだろう。何よりもまず贈り主を豊かにする真の礼儀である。これこそ、交換によって増大する宝物である。
 あなたがどこへ投げ捨てても、それは芽を出し、花を開くだろう」「運命は不変ではない。指をパチンと鳴らした瞬間にも、
 新しい世界が生まれているのだ」「嘆きも悲しみも、鳥と同じ。ひょいと留まっては、飛びさっていく」
「まず自分がほほえまなくて、誰がほほえむのか」「私は投獄されれば、毎日たった一人で笑うことを健康法とするだろう」
「幸せとは、すべてが満たされている状態ではなく、多少の満たされない部分があり、それを追求するところに幸せがある」
「体操と音楽とがプラトンの二大療法であった 」「深い悲しみは肉体の病的状態の結果である」
「うつ病者は、グルメのように自分の悲しみの味をかみしめてばかりいる」
「悲しみは病気なのだから、あれこれ理由など考えず、病気として我慢すればいい」(5.ふさぎの虫)
「子供たちには幸福になる方法をしっかり教えるべきである。その第一の規則は、現在のものにせよ、
 過去のものにせよ、自分の不幸について、決して第三者に話さないことである」
 ーーーー
 この本は学生時代に読んだが、本はもう手元にない。そこで図書館から借りて読んでみたが、時間を隔てた後に読むと
 受け止め方が違ってくる。幸福な人と、そうではない人(不幸)の経験をしたり、周囲に実例を多く見たためである。
   (字数制限のためカット2011年3月30日)


4762,私を癒したのは、許しである

2014年03月29日(土)

              ーひと言でいいのですー吉川直美編 より
    * 究極の許しとは
  キリスト教的ケースの中の、私の規範を遥かに超えた世界である。究極の心の傷には、究極の対応がある。
 8人兄弟の末っ子で、親の目が届かないところで、いつも誰かから揶揄われてきた反面、許されてもきた。
 そのため、許されるのが当然という甘さがつきまとっている。しかし、許されないことが人生には数多くある。
 以下の許しのプロジェクトには、非常に教えられる。人生には色いろあったが、許し、許されているのである。
  ーまずは、そのケースよりー
《 『正義は私を癒してくれなかった。私を癒したのは、許しである。ーデビー・モリス』
 米国には、人を殺して服役している被害者と、殺された被害者の家族が面会をする、和解のためのプロジェクトがある。
コーディネーターが間に入って、文通からはじめて、慎重に長い時間をかけて面会に向けて双方を整えていきます。
実際の記録映像を観る機会がありましたが、若い女性を襲って銃で撃ち殺した少年と、その女性の母と妹が初めて顔を
合わせる場面。極度に張り詰めた空気の中で挨拶が交わされ、当然、会話もはずみません。加害者の少年は顔をあげる
こともできず、緊張と恐れで体調を崩していました。観ているだけでも胃がせり上がってくるような重苦しさの中、
家族は、「ずっとあなたに一つのことを訊ねたかった、そのためにやってきた」と切り出します。
それは、愛する者を失った日から知りたいと願って、叶わなかったことでした。警察も裁判所も答えてはくれなかった。 
やはり、「なぜ殺したのか?」「娘を返して」と訴えるのでしょうか。
  母親が静かに問いかけます。
「私の娘は、最期に何かを言い残しませんでしたか?最期の言葉を知りたいのです、」
  沈黙のあと、少年は泣き崩れて、言葉を絞り出します。
「あなたを許します……。あの人はそう言いました。」
「……やはりそうでしたか。娘ならそう言うと思っていました。」
「……許してください。」
ひとしきり、肩を寄せ合うように涙を流すと、亡き人の許しの宣言が、憎しみの連鎖を断ち切ったかのように、いつしか
彼らは談笑しはじめていました。最後は、少年の体調を家族のように気遣って別れました。許しは簡単ではありません。
どうやっても許せるはずのないものを容赦することなのです。ですから、この物語を理想として押しつけることをしては
ならないのです。それでもなお、これは誰にでも起こり得る、解放の物語であると信じています。 》
 ▼ 結局、殺された側と、殺した側の溝は広く、深い。殺される間際に、「あなたを許します」と言うなど、
  深い信心がなければ言えないこと。そう言っただろうと確信していた母親も素晴らしい。そうこうみると、
  人間には、宗教が必要である。例え、幻想でも、それが深まれば、やはり人間の魂をすくうことになる。
  人生には、自分の力では、どうにもならないことばかり。 だが、一つずつ、一人で解決しなければならない。
  そして、最後は許し、許され、生きていくしかない。それにしても、すざましい事例である。
・・・・・
4395, ヘリコプター勉強法
2013年03月29日(金)
            ー超「超整理法」より
 ヘリコプター勉強法とは自分で麓から山の頂上まで勉強するのではなく、ネットなどを駆使することで一気に山頂を極める方法。
野口悠紀雄著『超「超」整理法』にあった内容で、以前はパラシュート法といっていたもの。本など一番のキーポイントを見つけ、
そこだけ集中して学ぶ方法である。10数年前、ある知人に、「あなたの読書方法の要は何ですか?」と聞かれたことがあった。
直ぐ誰から聞き知った上で質問してきたのは分かった。その時に自然に出てきた答えは、「熟読する本と、目的を持って読む本を
分けている。後者の場合、読みに足りる部分を主観的に読む」であった。その答えがベストでないが、初めから対象に従うのでなく、
主観的に読むことでポイントを把握するやりかた。 随想日記を毎日書いていると主観的でなければ続けることは不可能。
そのため、読書感想文は自ずとヘリコプター読書法になる。 この本の何処が一番の要点か、まず探す。小説と哲学書以外は、
まともに読まない。80対20の法則で、20だけ拾い読みをするだけ。 図書館で借りて読むことが多く、10冊は机の前に
積んで置いて、時どきパラパラと流し読みをし、その後アマゾンの内容紹介と書評を読む。そこに幾つかのピンポイントが表示され、
関連した本の紹介まである。20分も流し読みをすれば八割は把握できる。それを纏め書き残せば、後々まで、残る。 だから面白く
病みつきになって続いている。
 ところで国内外のパックツアーも、ピンポイントを揃えてパックにしている。ポイントだけに舞い降りると点で、「
ヘリコプター旅行法」ということになる。 旅通の人は小ばかにするが、ツアー好きな私など、元もと旅行などと思っていない。
専用ヘリで富士山頂上などの観光ツアーで充分。何も麓からの登山をしたいと思わない。富士の頂上から下界を眺めるだけで充分。
旅とツアーは違うのである。情報化の時代、熟読とヘリコプター勉強法を分けておくべきである。検索にキーワードを入れれば、
情報と他人の知識は幾らでも手に入る。その意味で、幾ら時間があっても足らないぐらいで、面白くて面白くて仕方がない。
幸せなことだが、何時、死を含めブラックスワンが舞い降りてくるか分からない。楽しめ、笑え、悲しめ! 今のうちである。
・・・・・・
4021, シングルイン、31年間の総括 ー3
2012年03月29日(木)
  * 計画倒産というが
 何人かの知人に、「計画倒産?」と揶揄された。目先の資金ショートで倒産したのではないので、言われて当然である。
売上が10年で三分の一に減少、東北大震災で四分の一が予測されれば、99%行きずまりは見えている。
それを前提に続けるべきかを考えれば、見切り千両の決断は当然のこと。  そこで計画倒産について考えてみる。 
何度か、ここで書いたが、私の理解している意味は、「手形決済をしている会社が倒産をする場合、仕入れ商品を増やし、
現金にして私用にまわし倒産すること」と、思っていた。 そこで弁護士に、「計画倒産って何ですか?」と聞くと、
≪ 計画倒産と、計画的倒産は別物。 普通、倒産は資金繰りがつかなくなり資金ショートをして倒産する場合をいう。 
 しかし同じ倒産でも、事前に継続不能と察知したら、最小の混乱で済むように手はずを踏むのを「計画的倒産」という。
 計画倒産と、計画的倒産は全く違う。詳しくない人は、それを混合し、噂のネタにする・・
 計画倒産か計画的倒産かより、「良い倒産」と、「悪い倒産」の分類を私はしています。≫ との答え。
高利貸しなど、街の金融が入り、家族・親戚に連帯保証の受け判を押させて、最後が自殺か夜逃げが、倒産に付きもの。
幼児の頃から、何時も夜逃げ話を聞いていた。それだけ商売の恐ろしさは知っていた。そして、身近の倒産をつぶさにみていた。
それもあり、「万一の場合、危機管理用の準備資金を用意し、運転資金に食い込んだ時点で、会社整理を考える」と決めていた。
それが去年の1月末に一時的に使いざるを得なくなった。 二年続けて3割減少していた売上が、三年目に入っても、
とどまることなく続いた結果である。そこで、色いろのシュミレーションをしたところ、半年から一年内の資金ショートが明白。
 会計事務所の担当に相談すると、「事務所の三割の会社が今日明日の資金繰りに駆け回っているのが実態。下から、4割レベル」
という。しかし、取引先の月末の支払いをし、退職金を、あるレベルまで払えるのは、今しかない、とシュミレーションの数値は
示している。 7月には地デジ化のための客室テレビの入れ替えが予定されており、その上、ボイラーの入れ替え予定がある。
両方ともリース会社の受諾を受けていたが、事業継続が果たして正しい判断かどうかの正念場。 その矢先に、東北大震災。
30年の現事業経験からして、更に2〜3割の売上減が予測。 春恒例の催事が、ほとんど中止、宿泊のキャンセルが続いた。 
その時に浮かんだのは、「一瞬早い決断は、打撃は半分で済むが、一瞬の遅れは2倍になる。ここの躊躇は、差し引き4倍の打撃。」
そして、閉鎖の二週間前に決断をした。これを計画倒産の範疇といえば、答えようがない。明日で丸一年になる。これも事業の一環。
 ・・・・・・・
地震 ーつれづれに ー14 
2011年03月29日(月)
 * 自主的退避の言葉の持つ意味とは?
 「自主的退避」と、福島原発事故で30キロ圏の住民に対して退避を勧めている。この言葉の持つ意味を考えると、
「本来は退避勧告をしたいが、その前に自主的に退避できる人は、早めに退避してください」「それぞれの事情に応じて
自分で退避してください」 ということだろう。 当初より政府の発表は常にパニックを起こさないように情報を流しているが、
それも重要のことである。 ところで、この原発事故で何で電力不足になるのだろか? それは関西と東京の周波数が違う為、
関西電力から東京電力へ電気送ることは出来ない、この国の解決できない大問題がある。違っていた方が一部業者の利益に
なるためである。それが、この電力不足の最大原因とマスコミは問題にしない。マスコミは、広告費を電器メーカーなどから
得ているため、これを問題にできない側面がある。UC圏の周波数でさえ、統一してあるのに、単一国家の日本が、この有様である。
 * 全国チェーンと地元チェーンの力の差
 家内が、3・11災害以降、「ヨーカ堂が凄い凄い」が口癖になっている。近くに、スーパー原信があるが、
そこの多くの欠品が、ヨーカ堂には揃っているという。先日も東京に住んでいる息子にトイレットペーパーを
送ったが、原信との商品力が違う上に、送料が格段に安いという。こういう時に、会社の総合力が商品力に
出てくるのである。特に全国チェーンは、災害時こそ自分たちの全国区の強さを発揮して、信用を高めるチャンスと、
平時より災害時対策をしている。 原信は郊外型SC内に店舗があるため駐車をしやすいこともあるが。
 ・・・・・・・・
3290, ツイッター が詰まらない?
2010年03月29日(月)
 ツイッターを勧めた友人から、次のようなメールが入った。
《 おはようございます。昨日書きかけのメール残して帰り、今加筆しております。書きかけのメール完成させて、送信します。
 ツイッターのことですが、私、どうも疑問に思っている事があり、貴方にお伝えしたく、メールしました。と言うのは、
 ツイッターを見ても、貴方のツイッター以外あまり価値が無いように感じております。つまらないのです。
 貴方みたいな、「ツイ友?」でも出来ればまた変わってくると思いますが、まだわが友にはツイッターをしている者はいません。
 良い方法があれば教えて下さい。》  以上ですが、恐らく時間が無いのが半分以上の理由。 
 ―何度か、自分も上記のような気持ちになったことがある。
・しかし、とに角フォローの相手の呟きを、ことあるごとに見ていると面白くなっている。
・色いろのツイッターと、そこに貼り付けてあるブログとフォローからネットウェーブをして、相性の良いフォロー先を見つける。。
・また#(ハシュタグ)の先の呟きの世界も面白い。 面白くなるまで、粘るしかない。(絶対に面白いから)
  ー以下は知人へのメールの返事。
 非常に基本的な問いなので、思いのまま書いてみます。 実は、私も同じような壁があり、若い人のように気楽に
フォロー先の人に話しかけられません。それでも、#bentou #obenntou の長野と八丈島の人に「美味しそうですね」とか、
発信すると返事が返ってきます。 もっとも、この二人と貴方だけですが。
以前、学生時代の友人との40年来のやり取りの文を随想日記に去年8月に書きましたが、
その人もツイッターを開始しました。 私の影響かどうかは分かりませんが、ツイッターのフォロアーに
仙台の同年代といえば、彼ではないかと思っています。 しかし、ツイッター上で話していません。
   (字数の関係でカット2012年03月29日)
・・・・・・・・・
2915,昔、地方と東京に6種類の金持ちが居たそうな
2009年03月29日(日)
日本には戦後、地方に6種類の金持ちがいたという。そして、現在彼等の多くが消え去ろうとしている。
・山林家     ー>輸入材、人件費の高騰で資産価値の激減
・酒造業者     ー>清酒離れで、戦後4000から1700に
・商店街の老舗旦那  ー>郊外化で、ほぼ消滅
・地場の建設業者   ー>公共事業が激減、談合の締め付け
・医師         ー> ??
・地場産業のオーナー経営者 ー>中国、東南アジアからの格安な輸入品の流入
高校の同級生の親の何割かが、この中に入る。 そして現在も似たようことを続けている。この数年で、その多くが死ぬか没落を始めた。 
私は商店街の老舗?商店主の??息子。(自覚しているので御勘弁を!) 誰も彼も、彼らの息子なら、同じ?? 
いや、御立派なのもいる?(自分だけはマトモと思っているようだ)これに大農家で再開発などで買収された家も入るが、これだけは安泰?。
この30年、地方は没落の流れであったが、首都圏と東海産業ベルトラインは世界に向けての輸出を基盤として、日本を引っ張ってきた。 
ところがである、そこが壊始めたというから絶望的と言わざるを得ない。「昔、東京には6種類の金持ちが居たそうな」と言われる日が
来つつある。 ・政治ゴロ、・官僚ゴロ、・土地成金ゴロ、・情報屋ゴロ・?・?
・・・・・・・・
2008年03月29日(土)
ー読書日記ー ディズニーの言葉
一言一言が胸に響く言葉ばかりである。原点を大事にしている創業者の理念が、ディズニーランドに、そのままあふれている。
一匹のネズミ(ミッキーマウス)がチャップリンが原型と始めて知った。あの大きな靴、そして上着はチャップリンの姿である。
なるほど、それならわかる! 自分の好きなことを人生を通して追求してきたディズニーの言葉だから、言葉の中に魂が入っている。 
・なかでも一番大切なのが“自信”、自分を信じるということだ。
 ひとたび、こうと思ったら、盲目的に一片の疑いもなく、それにのめり込んでいくことだ。
・幸福とは心の状態を言う。 物事をどう見るかだ。
 幸福とは満足することだと思っているが、これは金持ちであることを意味してはいない。
・男は仕事のために家族を犠牲にしてはならない。
・本を適切なタイミングで読む、ということはとても大切である。
・好奇心はいつだって新しい道を教えてくれる。
・ディズニーの成功を支えている最も重要な要素は 遊び心と 好奇心だ。 遊び心とは、笑うことを愛する、
 というアピールをする気持ち。好奇心とは、常に人間の心にあって想像力によって刺激されて生まれたものだ。
・夢を実現させる秘訣を知っている人にでも、越せない壁があるなどとは、どうにもしんじられない。
 私が思うに、その秘中の秘は 4つの“C”で要約される。
 好奇心(Curiosity)、自信(Confidence)、勇気(Courage)、不変性(Constancy)だ。
・すべての芸術家は何よりも先にまず喜びを与える人である。
 他人を楽しませることが好きな人は、やはり同じように自分自身の喜びと満足を得ているのである。
・・・・・・・・・
2007年03月29日(木) 2186,
「勝負脳」の鍛え方               才八∋ウ_〆(∀`●)サン
図書館から月刊現代の新年号を借りてきたら、第四の知能「勝負脳」の鍛え方ーというレポートがあった。
数日前にフィギア・スケートで安藤美姫が逆転で優勝をしたばかりであった。
トリノのオリンピックで惨敗、他の試合でも、ここ一番の大勝負に勝てなかった。
勝負を決めるのは鍛錬だけでなく、色いろな運や脳力が必要ではないかと、実感していた。
ーまず、このレポートの概要をまとめてみるー
「頭が良い」とは、どんな脳を指して言うのかというと、
・記憶する能力  ・イメージをつくる能力
・覚えたことをパフォーマンスする能力(多重能力)という。
 要約すると、「ものを覚え、それでも脳が忘れてしまうために、覚えた情報を一度脳内で再編集し、
 その内容を表現するという流れを鍛えることで、頭をよくすることが大事である」ということになる。
この3つの能力を活用できる人が、勝負事で勝てるかというと、必ずしもそうはいかない。
スポーツの試合や受験、ビジネスといった実戦で勝つには「頭が良い」だけではダメ。
レポーターの提唱する脳の第四番目の知能は独創性や創造力を生み出す能力が勝負の鍵を握っている。
この能力を勝負脳となずけている。端的に言えば、勝負に勝つための独創性のある戦略を練る知能である。
アメリカのマックスウェル・マルツがサイバネティックスという成功の理論を提唱した。
それは、目的を明確にし、それを目的が達成するまで忘れない、というものです。
そんなことは、当たり前と思うかもしれないが、それがナカナカできない。
勝負脳を鍛える第一のポイントは、「目的と目標を区別すること」が挙げられる。
・目的は勝つことであり、目標はどのように勝利するかです。
・そして勝負脳を使って勝つには、目的よりも目標に集中することが大切なのです。
目標も目的も同じようなものだと思うが、それが違うのである。
両者の違いを説明するのに、フィギアスケートの荒川静香選手の例で考えてみると・・
06年のトリノでオリンピックの金を取ったあと、こんなコメントを挙げていた。
「順位はまったく考えていませんでした。新しい採点方法に対応するために、演技ごとに自分の欠点を明らかにして、
一つ一つをいかに完璧にこなすかに集中していました。一位になれたことにビックリしました。」
彼女はトリノから採点方法が変わったことを理解していた。その意義を理解し、一つ一つの技をいかに素晴らしく
見せるかに集中したのです。スポーツだけでなく、ビジネスでも簡単に成功する人と努力をしても成功しない人がいます。
 (字数の関係でカット2012年03月29日)
・・・・・・・・・・・・・・・
2006年03月29日(水)
1821, あちら側の世界 ?3  ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ             
 ウェブ進化論ー3   ーロングテールとはー
この本で印象的だったのが、ロングテールというキーワードである。
ロングテールが最大限生かせるようになったのは、情報化のなせる業である。最近買う本の半分近くが、アマゾンからの中古本である。
一度消費者が買って読み終わったというより、出版社か中間流通業者が個人名を使って販売しているのではとしか思えない。
ただ同然で買い入れて、それをアマゾンに貼り付けておいて、直接送ってきているのでは?また、一度買った本ー中古本は
ロングテールの部類ともいえる。しかし、それもロングテールの大きさと長さを知らないのだろうか?世の中、音をたてて変化している!
 ーネット世界で利益を稼ぐ「ロングテール現象」とは何かロングテール(Long Tail:長い尾)とは? この言葉は最近少しずつ
米国で使われるようになった。ロングテールとは何なのか、本という商品を例にとって考えてみる。 一年間にどんな本がどれだけ
売れたのかを示す棒グラフを作ってみる。縦軸に売れた部数を取り、横軸には左から第一位『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』、
第二位『世界の中心で、愛をさけぶ』、第三位『バカの壁』……と売れた順に一冊ごとに棒グラフを連ねていく。
横軸には「一冊あたり五ミリ」、縦軸には「千部あたり五ミリ」でグラフを書くと、本の売れ方の全体像はどんな形状になるか?
(字数の関係でカット2008年03月29日)


4761,ぼんやり時間をしてますか?

2014年03月28日(金)

                      ーひと言でいいのですー吉川直美編 より
   * ぼんやり時間
 これを読んで気づいたことが、3年前からのリタイアで「ぼんやり時間」が少なかったこと。当時、心配したのが、
心の空白からくるウツ症である。それも初老性ウツを、周辺で何人か見ている。そこで、無為の時間を最小にすることを
第一にすること。 そのために、早朝から、寝るまでミニ・サイクリングと、スポーツジム通いで運動をすること。
そして、ブログ作成と、ネット・サーフィンと、TVの連続ドラマと、週一の映画館通いなどを組込んで置くことで、
まずは3年間を乗越えることにし、その合間に、寝室、書斎で空白を置くことにした。 それが私の「ぼんやり時間」。
 〜その箇所から〜
《 「ぼんやりしているのは人間にとって非常に大切な貴い時間である。単に漠然と貴いと言っている訳ではなく、
 この間に、本人はどの程度意識しているか分からないが、必す貯えられているものがある。」 〜串田孫一より
  一日の予定が、朝から晩まで有意義な計画で埋め尽くされてはいませんか。
 スケジュール帳に有益な予定が 隙間なく詰まっていないと、人生を無駄にしているようでそわそわしませんか。 
 白紙の部分は無益な時間ではなく、自由な発想が与えられ、想像力が羽を伸ばすぼんやり時間、たましいの息継ぎ時間。
 箸休めがあってこそ濃厚な時間も引き立つのです。 お気に入りのカフェでコーヒーを味わう。
 風に流れる雲をなんとはなしに目で追いかける。 公園のベンチに座って子どもたちの遊ぶ声に包まれる。
 仕むい事の合間にふと手を止めて、雨の音に耳を澄ます。ーそんな無為な時に、ゆらりと身を任せてみましょうか。》
▼ この30数年間、何事も「遊び、仕事、学び」と、分けて、重なりの合間に余白時間を入れてきた。
 それが瞑想だったり、独りボ〜と物思いにふける時間だったり、散歩だったり。ここで気づいたのは、ご隠居の現在、
ボ〜とする時間を、より多く持つこと。ポタリングをしていると、信濃川の土手で、ぼんやりベンチにいる人を見かける。
散歩の休憩なのか、ぼんやりが目的なのか? 「ぼんやり」を検索したところ ーぼんやり時間 辰濃和男著ーがあった。
今日にでも図書館で探してみるが、面白そう。 欧州では夏場など、避暑地で、何をするでなく浜辺で無為の時間を
過ごすのが最高のレジャー。生活圏から離れ、綺麗な空気の中で「ぼんやりする時間」が最高の時間とすると、
早朝のポタリングと、午前中の三時間近い書斎でのフリータイムが私の「ぼんやり時間」? 違う!これな日常の範疇!
・・・・・・
4394, 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の−35乗の世界 ー1
2013年03月28日(木)
                「宇宙は何でできているのか」村山 斉 (著)
   * 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の−35乗の世界 ー1
 村山斉の「宇宙は本当にひとつなのか」が非常に刺激的で、去年読んだ本ではベスト。「現在、宇宙論はコペルニクス以来の
大転換期にある」と素人に分かり易く書いてあった。「我われの住む宇宙の他に10の500乗の宇宙が存在している」というから、
驚きである。この「宇宙は何でできているのか」は、その10ヶ月前に発行されたもの。比べてみると、新著が宇宙論入門書で、
これは素粒子論が主とした内容。素粒子を突き詰めると宇宙と同じというから・・・   
  =まずアマゾンのー内容紹介ーより=
≪ 全ての星と原子を足しても宇宙全体の重さのほんの4%。では残り96%は何なのか?物質を作る最小単位の粒子である素粒子。
 誕生直後の宇宙は、素粒子が原子にならない状態でバラバラに飛び交う、高温高圧の火の玉だった。 だから、素粒子の種類や
素粒子に働く力の法則が分かれば宇宙の成り立ちが分かるし、逆に、宇宙の現象を観測することで素粒子の謎も明らかになる。
本書は、素粒子物理学の基本中の基本をやさしくかみくだきながら、「宇宙はどう始まったのか」「私たちはなぜ存在するのか」
「宇宙はこれからどうなるのか」という人類永遠の疑問に挑む、限りなく小さくて大きな物語。≫ 
  ーキーポイントの部分の抜粋ー
【 この本のテーマは『素粒子物理学で解く宇宙の謎』。なぜ素粒子と宇宙が関係あるのか? 最も大きいのが137億光年の宇宙で、
最も小さいのが素粒子・・  たとえば、リンゴは直径約0.1m。人間の身長は、桁がーつ上がって、1〜2メートル程度。
ビルやマンションはもう1桁上がって、数十メートルの高さ。東京タワーは333m、建設中の東京スカイツリーは634mにです。
それぞれおよそ「3×、10の二乗メートル」「6×、10の二乗メートル」。高い富士山(3776メートル)、「10の三乗」という桁数。
では、富士山が載っている地球の直径は約1万2千キロメートルですから、メートルに直すと桁数は「10の7乗」。富士山の1万倍。
その地球が太陽のまわりを公転する軌道の大きさは、富士山の1万倍のさらに1万倍(10の11乗メートル)のオーダー。
でも、それは宇宙全体から見ればほんの小さな点のようなもの。太陽系は「天の川銀河」の片隅にありますが、この銀河は地球の
軌道の約10億倍の大きさ(10の20乗m)。さらに天の川銀河はほかの銀河系と一緒に「銀河団」を形成しており、その銀河団は
天の川銀河の1000倍程度の規模(10の23乗mのオーダ)。もちろん宇宙には、そういう銀河団がほかにもたくさんあります。
それらをすべてひっくるめたのが、宇宙です。そして、私たちがいま実際に観測できる宇宙のサイズは、1つの銀河団のさらに
1万倍(10の27乗)。こうなると「兆(10の12乗)」や「京(10の16乗)」とといった単位では表せないので「10のX乗」という
表現が必要になります。これがまさに、いわゆる「天文学的な数字」のスケールなのです。】
▼ 最も小さな素粒子については次回するが、我われのすむ宇宙は、極大と極少合わせ10の62乗の世界。
 しかし、この他に宇宙が10の500乗もある可能性がある。世界観が変わったとかいう問題でなく、宇宙観が変わってしまう。。
 他の宇宙から、我われの住む宇宙にループ状になってつながって暗黒エネルギーを供給しているという。これを読むと、
 人生、社会、人間がつくり上げた神、正義、愛、価値とかは、虚無の彼方の中に消えてしまいそうになる。
 それなら日々を味わいつくし、楽しめば良い。少なくとも、何時の間に刷り込まれたバイアスに縛られないこと。 −つづく
・・・・・・
4020, 事業生活39年の、独り語り ー6
2012年03月28日(水)
   初めての千城台ビルの建設中に石油ショックが起きてしまった。そのビル前の数百世帯の建設予定だったマンション建設が急遽、
 中止になってしまった。 その世帯群を当てにしていたため、テナントの問い合わせはゼロ。 完成した時には、最悪低迷の状態。 
 この時、つくづく時代の激変の恐ろしさを痛感した。その最悪の出発の中で、テナントとして商売を当て、ビルそのものを
 活性化しなければならない。 父親の死の問題もあって、この時は必勝が絶対条件の土壇場であった。衣料スーパーは立地的にみて
 商圏が狭すぎ現実的でない。考え抜いたのが当時、破竹の勢いで店舗展開していた養老の滝のFC。その暖簾なら確実に客を確実に
 呼び寄せると直感。 そして、ビルの完成と同時に養老の滝のオープン。 その1ヶ月後の結婚と、慌しい日々が続いていった。
 連日、朝の7時から23時までの激務である。
≪  ー 養老の瀧1122号店、店長の日々 ー H・0907
 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりだったが、自分がその立場に立ってみて、その認識の甘さを思い知った。
千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”“養老の瀧オ−プン”“結婚”という人生の初体験を同時に始めた。 
丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、最悪の出発となってしまたった。
そしてオ−プン...!完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!しかし、全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、
地獄のような日になってしまった。 当初の、2〜3ヶ月は朝8時より夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの
3人の激しい日々であった。“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、
“24時間(休んでいても仕事のうち)仕事”という立場になった。サラリ−マンが事業をおこし大部分が失敗するのは前者より
脱皮できない為である。 大手ス−パ−の創業期に入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが..その厳しさが全く違う。はじめの
数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという位、厳しいものであった。あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!
という前提があった為乗り越えられたと思うが。でも不思議なもので、真っ正面より立ち向かっていると、いつの間にか辛さが
辛さでなくなってくる、適応能力が自然についてくるのだ。 ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”を飲ませているのだ。
それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。そこで自分で店を衛らなくてはならない。酒を飲んだ人間の
本当の恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、命が幾つあっても足らない事件が月に一度はおきた。恐怖の中で
1人トイレの中で(他の人にはわからないように)震えた事があった。そこで、大きく唸った。 そしてお客に対処したところ
腹が据わったのだろう、お客が逆に竦んでしまった。“これだ!”と直感した。また店の従業員に前もって、うち合せをしておき、
お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、土壇場に立つと知恵がついてくる。フランチャイズのシステムは今でも
素晴らしいものであった。標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。創業時の勉強という点、
このシステムは自らに非常に有効に働いたと振り返って思えるようになった。 創業は辛い!  1973.11.07〜   ≫
 ▼ 計画も、それが完成をした時に、時代が全く変わってしまう経験を創業の出だしに経験することになった。現在からみると、
  良い経験だが、実際に窮地に立つと、思わぬ力と知恵が湧いてくるもの。必死に問題の中心にエネルギーを集中していると、
  思わぬところからチャンスが転がり込んでくるもの。
・・・・・・
3290, 地震 ーつれづれに  ー13
2010年03月28日(日)
  * メルトダウンが始った?
 2号機の付属建物で高濃度の放射能が検出された。濃度が《1000万倍》。メルトダウンが急速に進んでいるのか? 爆発が起こる
可能性があるのか?。急に政府が副首都を大阪といい始めたのは何故?等々、疑問が出てきたが、どうなるのだろう? 大使館が大阪や
京都に移動したり、外国人が大挙して帰国していったのは、正しい情報を持っていたため?知らぬが仏の仏様は日本人の茹で蛙だけか! 
  * 関東大震災
 今だ現在進行中の世界的にみても最大規模の大震災の真っ只中に日本はいる。この津波により破壊された原発事故も、
現在も予断を許さない事態。最悪のシナリオとして日本壊滅の事態もありえるのか。現在は「東北、北関東の壊滅」レベルだが、
これが「東北・関東壊滅」だけでなく、「日本壊滅」もありえる。実際のところ水の汚染が進んだら本州壊滅が現実的になる。 
千年に一度の国家的危機の大震災に発展するのか。  ところで百年来の大震災といえば、まず思い浮かぶのが関東大震災である。
  ー そこで、ネットで関東大震災を調べてみたー
【 関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日(土曜日)午前11時58分、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として
発生したマグニチュード7.9、海溝型の大地震(関東地震)による災害である。死者・行方不明者 14万2800人 
 地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の火災が発生した。それが大惨事につながった。】
 死体が山のようにつみ上げられいる画像をみたことがある。この時「朝鮮人が日本人を襲撃している」という風評が飛び交い、
 数千人のの朝鮮人が殺害された。東北関東大震災からみるとマグニチュードは遥かに小さいが、火災が人的被害を大きくした。  
 この東北関東大地震は人口密度の低い東北ということもあり死者は関東大震災に比べれば少ない。 
 しかし大津波と原発事故で本州壊滅の危機に立たされてしまった。 まったく恐ろしい限りである。   
 ・・・・・・・
3289, 「離婚確率」が30% !
2010年03月28日(日)
「離婚確率」が30%になったと新聞で報じていた。40年前の4・5倍という。
  まずは、ー先日の新聞記事によるとー
≪ 結婚した人が離婚する確率が約3割に上ることが25日、厚生労働省の統計で分かった。
最低だった40年前と比べ約4・5倍に増えている。離婚件数は平成14年をピークに6年連続で減少傾向にあるが、
離婚する確率は上昇し続けている。・・・・平成17年に結婚した人と離婚した人の割合は1対0・3だった。
この割合が今後も変わらないと仮定すると、結婚した人の約30%が離婚することになる。
同様の計算を過去にさかのぼると、昭和40年に離婚した人の割合は約7%で、以降、上昇が続いている。≫とある。
 7〜8年前に、25パーから30パーセントになったと聞いたような気がするが・・・
離婚経験者が何気なくいう本音に、心の傷を感じるとることがある。「自分には、勿体ないほどの人だった」と、
同時期に二人から聞いたことがある。 新たに若い連れ添いができ、幸せそうな人の何気ない言葉に心の闇が覗く。
家庭内離婚も含めると、半数以上は破綻しているというが・・・ 我慢・我慢、そして我慢か、それとも三割?
女性の方も、その傷は浅くはない。 女性の場合は世間知らずで、亭主がバカに見えて、愛想を尽かすのだろうが、
それでは己はというと、自分がまるで見えてない。 母子家庭の半数以上が、年収200万以下の貧困層
という現実が待っている。亭主をバカにするのが世間一般のようだが、生理的に相性が悪いのは致し方ない。
「結婚生活は煩わしいが、さりとて、独りでは殺伐すぎる」というところだが、相性の悪いのは如何にもならない。
5年ほど前にTVで松坂恵子と渡哲也が夫婦役の『熟年離婚』の連続ドラマを放映、ここでも取り上げた。
一方的に出て行った嫁さんが理想的な転進をした内容だが、あれは罪作りである。殆どが、究極の苦しみを味あう。
 昼間笑って、布団で泣いて? いや、反対もあるか? 他の相手を見つけておいたり、準備金をつくったり、
憎しみは何をしでかすか分からない。 それが夫婦というものか? オカメと般若は紙一重?
 ・・・・・・・・
2914,新潟駅再開発事業が4年目に入る
2009年03月28日(土)
 来週になると新年度だが、「新潟駅再開発事業」が4年目に入る。H18年度~H27年度の10年計画が駅と線路の高架と、
駅裏広場と、前期の道路整備、H28年度~H37年度の10年間は駅前広場と、の後期の道路整備になる。
(字数の関係でカット2012年03月28日)
・・・・・・・・
2550, 閑話小題  
2008年03月28日(金)
  * 盃の中に蛇がいる!
 何気なく図書館の本を捲っていたら、この言葉が合った。「英国の詩人のホープという人の言葉」だが、私など何度か、
その蛇に噛み付かれたものである。酒を飲んでいると思っていたら、その盃の中の蛇に飲みこまれていた経験が、あまりに多い。
大蛇だけではなく、内臓まで食い散らしている。「本当の敵は沈黙している」と、フランスの詩人のバレリーの言葉にあるが、
黙っている敵こそ、恐ろしい。汝の名は酒!ということか?
  * 偏見のかたまり
「故郷より一歩も出たことの無い人は偏見のかたまりである」(ゴルドニー・18世紀の喜劇作家)これは地域の問題だけでなく、
自分の職業、固定観念、学問から一歩も出てない人に対していえる問題である。 地方にいると、それをつくづく感じることがある。
人間は誰しも偏見の塊と己を割り切った方がよい。だから、常に外の世界に触れる必要があるということだ。
それと、あらゆる分野の本を読み続けていないと、偏見の穴の中に入り込んでしまう。
  * 世逃げのすすめ(ひろさちや著)
(字数の関係でカット2012年03月28日)
・・・・・
2007年03月28日(水)
2185, 政令指定都市とは?       おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
新潟市が4月1日より浜松市と政令指定都市に指定される。
といって、それについて殆ど知られてないのが実情。そこで、政令指定都市について調べてみた。
(字数の関係でカット2014年03月28日)


4760,そんなに長生きしたいですか ー8

2014年03月27日(木)

                『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
   * 死に時を忘れた日本人が多過ぎる!
 ここでは「ある年齢以上の人には病院へ行かないという選択肢がある」ことを提案している。
寝たきり時間が、男性6・1歳、女性7・6歳もある。問題は、不自然な形で、生かしておくこと。
それなら、ある年齢になったら病院に行かないこと。 ーその辺からー
《 病院へ行かないことの利点として、
 ・第一に、濃厚医療による不自然な死を避けられること。
 ・第二に、つらい検査や治療を受けなくてすむこと。
 ・第三に、よけいな病気を見つけられる心配がないこと。
 ・第四に、時間が無駄にならない。第五に、お金が無駄にならない。
 ・そして最後に、精神的な負担が減るということを挙げられる。
 誰もが死ぬことと、苦痛に対して恐怖を覚え、自然の寿命を受け入れられない。
 多くの人が苦しい最期、過重な介護、膨大な医療費を背負い、そちらの方が死よりも苦しい余生になる。》
  ナンシー・ウッド著『今日は死ぬのにもってこいの日』引用の「タオス・ペブロの古老の言葉」
  (ネイティブ・アメリカンの詩)がよい!
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。
 すべての声が、わたしの中で合唱している。
 すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
 あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
 わたしの畑は、もう耕されることはない。
 わたしの家は、笑い声に満ちている。
▼「自然体で、死時がきたら、受け入れなさい。介護9〜14年、寝たきり6〜7年半で長生きするより、病気を
 受け入れ、放って、早そう死んだ方が良い!」というのも道理で、老人ホーム医の言葉だから重く響いてくる。
「ある年齢」とは、各自違うのだろうが、還暦から古希の間だろう。私は医者に一切行かなくなったのが4年前の64歳。
私の死に時を75歳にしているが、どうだろう? 今の酒量では無理? もう充分生きた気がする。
 最近、 ー私は、生きていることが好きなんだ!ー の言葉が、心に焼き付いた。 今の私の心境である。
生きてきて、実感で、良いこと二つに嫌なこと一つだったが、歳をとるにつれ、その比率が近づいて現在は半々。
これからは逆転し、最後は嫌なことが多くなるのだろう。 それでも「生きることが好き!」と、思いたいもの。
・・・・・・
2003年03月28日(金)
723, 仰げば尊しー卒業式
 三月といえば卒業式の時期である。誰もが昔の卒業式を思い出す時期でもある。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と卒業式の記憶は鮮明である。かすかな記憶だが書いてみる。
 (字数の関係でカット2013年03月28日)
・・・・・・・・
2002年03月28日(木)
359, ST訓練
(字数の関係でカット2013年03月28日)

4393,閑話小題 −つれづれに
2013年03月27日(水)

 * 先週から早朝の信濃川一周のポタリングを始めたが、ほとんど散歩する姿はないのは寒いためだろう。
分厚い手袋と耳あてをし何とか寒さを凌いでいるが、日々暖かくなっている。慣れてしまえば最上の習慣である。
毎日15キロ、一年200日として合計三千キロ。三年間で9千キロ走ったことになるが、自転車はボロボロになって当然。
リチウム電池は、当初一回の充電で二日持ったが、劣化で一日が限度。この買換えは一年後の予定?だが、持つかどうか。
あと一年で4年で一万二千キロ、地球の4分の1周を走ったことになるのだから良しとするか。ギリギリ使うつもりだが・・
 * 一昨日、カラスの交尾をみた。ポタリングの何時ものコースの通りの脇の花壇にいたカラスに、小さなカラスが
舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根をそば立てて小さくうずくまった。そこにオスが・・ メスからの求愛である。
これで春の訪れを知るとは・・・
 * 久々にグーグルアースを覗いたが、面白くなっていた。 アフリカ大陸にグーグルアースの地球儀を回転すると、
画面の下に各地のツアーガイドの写真が10ほど出てくる。それをクリックすると、そこに焦点が合わされ拡大していく。
YouTubeの右に関連の録画の画面が出てくるのと同じ。これで更に使いやすくなった。 また以前より写真とHPなどの
貼り付けが多くなっていた。スマートフォンなどの普及でタッチで気楽に使えるように進化していた、ということ。
改めて自分の生活の中でiPadが与えたインパクトの大きさに驚いている。マイクロソフト、グーグル、マック、アマゾン
などが世界に与えた変化は、あまりにも大きい。
 * 数日前に朝日新聞の一面のトップに腰痛の話題が出ていた。こういう話題を一面トップで扱ったのは、あまりなかった。
ところが一昨日、一時帰宅した長男が腰痛になって医者に行ったところヘルニアと診断されコルセットを付けて帰ってきた。
私は半世紀も腰痛に悩まされてきた。しかし医者にかかった事が一度もない。全てホッカイロで治してきた。時間が解決する
のを経験が教えてくれた。5年に一度は、ひと月ぐらいは酷い痛みになるが、ある時期が過ぎると直る。この4年間は、
重い腰痛はない。スポーツセンターに通って二年、エアロやヨガなどで足腰を鍛えているが、季節の変わり目は鈍痛になる。
50,60歳代の4割は腰痛に悩まされるというが、人類永遠の課題の一つ、割り切るしかない。 
・・・・・・・
4019, シングルイン、31年間の総括 ー2
2012年03月27日(火)
   ホテルは典型的な装置産業で、資金を土地と鉄とコンクルートに固めてしまうと、30年は維持しなければならない。
その間に経営環境は激しく変化するが、客室という単品を毎日売り続ける「あきない」である。 立ち上げは華々しく面白いが、
その後の時代変化に対応するに、ダメ元の覚悟がなければ、やれる事業でない。最初の千城台ビル建設で父から学んだことは、
「ビルは長期スパンの生きもの! ツブシがきく前提で設計すべき」ということ。具体的には、骨組みを太くして、可能な限り
柱を入れないこと。構造上、難しい場合は柱を壁面に可能な限りよせること。それに、設計事務所の方針の「ビルは、神からの
さずけもの。自分だけの使いかってで造ってはならない」が重なったビル設計になった。それと平面図に魂を入れること。
千城台ビルと長岡の場合、夢に、その平面が出てきて、3Dのような可視化するまでになっていた。要は、万人に通じる魂を入れること。
だから、売りに出すと即売になって当然である。 買い手の全部が、ホテルか、建設関係者。 それが分かるのだろう。
 この事業を始めるにあたって会社には家族や親戚関係者は一切入れず、保証人にしないことも前提条件にした。
また初期投資二億全てを失っても、後悔はしないこと。これは何度も自分に言い聞かせた。現在、平然としていられるのは、
その覚悟の上で始めたため。 妻子を会社に入れ、連帯保証を押させ、子供に家庭があれば、家族崩壊。 それと職住を分けること。
また取引先に迷惑をかけないよう債権額を最小にするのは、後に恨みを残さないため。 倒産は、長年、一緒に苦労を重ねてきた社員と、
その家族にも多大な迷惑をかけてしまい後にひく。倒産の翌日、従業員を一同に集め解雇を言いわたした時に、思わず涙が吹き出てきた。
この人たちは明日から失業者。 その思いが、言葉でなく、涙になってしまった。 取引先に支払う分、最後まで残って残務整理を
してくれた社員に回すべきだったのか? これで良かったのか? 自問自答が続く。 正解はあるはずがないが・・  倒産の虐めの一つに、
計画倒産疑惑の流布がある。 銀行は、それを許すほど甘くないのを知って知らずか。 私にとっては褒め言葉にしか聞こえないが。  
・・・・・・
3653, あと一月で10年
2011年03月27日(日)
 何ごとも、一日3時間を10年続ければ「ひとかど」になるという。 で、この随想日記を書き続けて、あと一月で10年。 
で、何だったのだろうか? 常に、「何か書かなければ」という心理的圧迫が感覚を磨く作用をしていた。ここで何年に一度、
書き続けている効用を取り上げてきた。論理思考が培われたことと、読書の備忘録や、旅行の感想文、そして毎年、同月同日に
書いた文章の何年分を読み返す効用など、現在の私にとって無くてはならない存在になっている。常に変わったことや、面白いことに
出合うと、その場で自然に起承転結の文章化をしてしまう癖がついてしまった。「記者の目で論理を組み立てる習慣」という、
現象に隠された本質を、あらゆる角度からみる視線である。 ところで10年一区切りで実はホッとしたところもある。 
この随想日記を休むことも考えている。 一度休むと、再び書くことが面倒になるが・・ 「一日も休まない」というのは
実は大きなプレッシャーだが、反面それが張りになっていた。 何も書かないとなると、頭が変になってしまうかもしれない。
書くということは、自分の心の開放でもあり、自由を獲得している部分がある。 それにしても、10年も続いたものと
自分自身が驚いている。「偉そうなことを書いているが、その様は何だ」が、読み手の心理。 それを分かっていても、
偉そうなことを書くことで、自分を開放をする面白さもある。 65歳、そろそろ自分の痕跡の消しに入る時期に入った。 
このまま書き続けるか、それとも形態を変えるか? 書くことの秘儀は少しは?分かった。書き出すことで、その背後にある
膨大の世界を僅かながらでも知覚できたことが何よりも変えがたい収穫であった。 節目の時であることは間違いない。 
・・・・・・・・
3288, 人みな骨になるならば ー6
 2010年03月27日(土)
  * 意味の意味
 ーまずは、意味深長?の部分を抜粋してみるー
 いろいろと思索した挙げ句、いにしえの賢人たちは「人生に意味があるかどうかという問題に対しては客観的な解答が
あるのではなく、各人が自らの人生に意味を付与するかどうかにかかっている」といった暫定的結論に達したもようである。
これは、ずいぶん心もとない結論である。 こちらの理解の仕方によっては、「みなそれぞれ勝手に意味を見出しなさい」
といっているだけなのである。 だれも、われわれ一人一人の人生に意味・意義・価値などを保証してくれてはいない。
われわれの一生は無意味かもしれないし、意味のあるものかもしれない。それを決めるのは、われわれ一人一人の思い込みに
すぎない、と言わんばかりである。 そして、やはり「思い込みにすぎない」のである。 自分の人生には意味があるとする
あつかましい人物と、宇宙規模で考えれば無意味だとする謙虚な人物との、いずれが正しいかを判断する根拠などない。
思いたい放題であり、思った者勝ちのようなところがある。 なぜこのような次第になるのだろうか。おそらく「意味」とか
「意義」とかの言葉の起源に問題があるように思われる。 それらは「目的」などと同様に、古代人の日常生活の中から
生まれてきた概念である (全ての言葉がそうなのだが)。大昔、まだ人類が人生やら宇宙やらをそれほど真剣に考えておらず、
毎日の生存や空腹のことで頭がいっぱいであった頃、なんらかの対象や行為が役に立つものかどうかが最大の関心事であった。 
そして、自分や身内にとって大切なことが、すなわち「意味」をもち「意義」のあるものであった。「目的」もまた本来は、
欲求の向かうゴールであり、その達成のために努力という投資と、さまざまな「手段」を講じなければ到達点にすぎなかった。
・・・たぶん人生や宇宙には「意味」も「目的」もないはずである。それらもまた木登りや航海と同様、一つのプロセスには
違いないから、「結果」はあるであろう。 あらゆるプロセスは、特定の時点をとれば「結果」を伴うからである。
その結果を意味や目的と読み替えることはできるだろうが、それなら宇宙や人生の意味と目的は消滅すること、ないし永遠に
溶け込んでいくこと、あるいは繰り返されることに他ならない。 単なる繰り返し(永劫回帰)には意味がないであろう。
存在するものはいずれ消滅するのだから、存在の最終的な結果は消滅ということになる。 しかし、こんな結末は意味や目的と
言えるだろうか。もしそうなら、われわれの誕生の目的はわれわれの死亡ということになる。それゆえ結果があるからといって
「意味」や「目的」があるとは言えない。「意味」や「目的」というのは単なる結果ではなく、目指すべきものであり、
さらに、あくまでも「自分(われわれ)にとって」という但し書きがついていなければならないのである。
宇宙や人生に、自分(われわれ)にとっての意味や目的があるとしても、それは人間だけの話である。
▼ 人生の意味など、後づけの自己正当化でしかないのは自明のこと。 独りブツブツ呟くように支離滅裂のことを書いている?、
 この随想日記のようなもの? 「意味とは、価値に非常に近い言葉」と信じていた。 だから、意味・意味と生半可に語る人に、
「それを価値・価値と置き換えれば、自分エゴの意味づけに気づくのに!」と、何時も内語で呟いていた。
 意味など自分の都合のよい筋書きの為のエゴというと、少し歪んでくる??エゴは決して悪くはない、但し他人の犠牲を・・
 ・・・・・・・・
2913,ホテル&旅館 大淘汰
2009年03月27日(金)
新聞広告に、週刊ダイヤモンドの特集記事が載っていた。 「ホテル&旅館 大淘汰」である。
さっそく書店で買って読んだが、大体予測したとおり直撃の惨状。 内容は東京圏内の外資系高級ホテルと、
日本の御三家、リゾートホテル・旅館の不振を取り上げたもの。ホテルマン45年歴の日本ホテル協会会長が
「初体験」というほどの急激な売り上げダウンに見舞われて激しい値引き競争で収益が激減しているというもの。
ー概要を大きくマトメルと
・外資系ホテルが壊滅状態で、安売りのジレンマに陥っていて、開発ラッシュが一転して 全国で開発の中止、延期が続出
・日本の「御三家」ーオオクラ、帝国、ニューオータニーが沈没  特にオオクラは内部崩壊に瀕している
・能登のホテル百万石も破綻、身売りが多発していて、変化に対応できない事態
 沖縄も観光ブームに沸いていたが一転、閑古鳥が鳴いている
  以上が、この特集の骨子になる。
▼ 全てにわたり、11月以降は二桁のマイナスが続いている。ホテルは在庫の蓄積は効かないので日ごと売って何ぼの商売、
この世界恐慌?は、新規に出店した外資系のホテルにとって、根底から揺らぐのも肯ける。ハッキリいえば、何処も「稼働率激減、
市場は壊滅状態」というのが、ビジネス、都市型ホテル、リゾートホテル、大型旅館など全ての業態でいえる緊急事態。
最近開業したホテルの多くは、実需ベースというより、「再開発の最大化」のための誘致の傾向が強かった。それに行き場のない
外資の資金が後押しをしたことも重なってバブル現象。大阪、名古屋のホテルも総崩れで20パーセントのダウン、大阪や中国、
韓国などのアジア圏の売り上げ激減。名古屋は自動車業界の惨状が直撃、悲惨な事態である。地元の新潟でも、
外資系のビジネスホテルが数軒オープンしたが、バブルの様相の感がしていた。その上に11月下旬より、極端な稼働率の下落が
顕著になっており、深刻という面では同じ。特に4月からの年度変わりからの予約の状況が非常に悪いのが気がかり。
「1〜2年なら何とか凌げるが、後は誰も分からない」というのが大部分の実感だろう。
3年先に、まず一棟が新潟駅再開発の道路拡張の買収予定に入っている目安があるのが救い。
 しかし大津波が覆いかぶさってきている事実は厳然としてある。 <一日、一生>の思いで生きるに丁度よいか?
・・・・・・・・・
2549, 一神教vs多神教 ー3
2008年03月27日(木)           ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪
 *近代天皇制は一神教か?
   まずは、この本にある、「近代天皇制は一神教か」という部分を抜粋してみる。
【 近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教ではなかったかと、ぼくは考えています。
近代日本は一神教の欧米の脅威にさらされて、わが国も一神教で対抗するしかないと思い、京都にすっこんでいた
天皇を引っ張りだしてきて神聖不可侵の神のような存在にし、国民、特に兵士に天皇への絶対服従を強いたのですが、
日本人も追いつめられると同じようなことをしたわけです。ウェーバーがユダヤ教の神、ヤハウェは戦争神だと言った
ということはさっきも話題になりましたが、近代日本も、その前の徳川時代には二百数十年、国内的にも対外的にも戦争を
しなかったのに、明治になってから戦争ばかりやっていました。これも、天皇を一神教の神のコピーのようなものにしたことと
関係があると思います。】  (字数制限のためカット2010年3月27日)
・・・・・・・
2007年03月27日(火)
2184, 聖地と台所      オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!                  
  「ファンタジーの魔法空間」 ー2  著者・井辻朱美  岩波書店   ー 読書日記  
 前回、「いい場所」とは、台所と屋根裏部屋]という部分を抜粋して考えてみた。
今回は台所と聖地を同定しながら、聖地とは何かを台所とは何か考えてみよう。
   (字数制限のためカット2012年3月27日)


4759,挫折と悲哀こそ、人生のパスポート!

2014年03月26日(水)

                         ーひと言でいいのですー吉川直美編
   * 挫折と悲哀こそ兄弟との共感のパスポート
 人生で、何も挑戦しないで、挫折も悲哀も味わったことがない人が思いの外に多い。それも人生だが、ポッキリと
折れてしまう危険がある。その時に立直るに大きなエネルギーを要することになる。秘境ツアーの中に、こういう人を
何人か見かけたことがある。 かなり深刻の悩みのようだっただが、それを経験する方が、しないで済んだ人より幸運?
大きな挫折を経験してない人ほど、「まさか、自分が!」 の声が心底から生じてくる  ーその辺りから!ー
《 【苦しんだことのない人々がどんなに我慢のならないものかは、人生のあらゆる分野で教えられる。
   挫折と悲哀こそ人間がその兄弟たちと共感し合い、交るためのパスポートである。ーロバート・ゴルティス】
 ある心理的・霊的成熟を目指す研修会に、いつもピンと背筋を伸ばして人きぜんを寄せつけない、毅然としたシスターが
参加されていました。 ほかの参加者が様々に痛みや弱さを分かち合う中で、彼女は両親にも家族にも愛され、早くから
神に仕え、とくに記憶に残る挫折も後悔もなく、どんなに心を探っても痛みがないと胸を張られました。その研修会にも、
修道院長に命じられてしぶしぶ来られたのでした。ほかの参加者が嘆き、もだえ苦しみ、寄り添い寄り添われ、やがて十分
泣いて気の晴れた子どものように笑顔を取り戻したころ、思いがけずうちひしがれていたのは彼女でした。
「私には人の痛みがわからないことがわかりました。それがはじめて知った挫折です。」》
▼ 人生の味わいは、挫折と悲哀と諦念から滲み出てくる。それなくして、最後の最後に、味わいの無い自分の人生に
 愕然とする。秘境旅行の参加者には、そういった風な人が、人生の悲哀を味わい尽くしてきた人より、多く見られる。
それこそ一番の挫折に気づいた人たちである。何度も書くが、中学校の担任の先生が、定年時に私に深刻に話したのは、
このことだった。「定年になった現在も90歳前後の両親に見守られ、のうのうと順調に生きてきた。しかし、そこには
自分の人生が全く無かった。これほど、無念のことはない。思いのまま生きている、お前が羨ましい!」と。それも人生。
その怒りを周囲の挫折や悲哀に向ける人たちより、遥かにましである。この節目で‘自分の傷口を他人の血で洗おうとする
哀れな人たち’を多く観察しただけでも、良い経験をしたことになる! 自分の経験範囲しか理解できないのが人間の性。
そのことを自覚できないのも人間の悲しい性である。 ところで私も、このシスターの範疇? で、最期は!  
・・・・・・
4392, 暴走老人!  −2
2013年03月26日(火)                
    * 待つことをめぐる考察  ー時間編      「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
 イライラの原因の一つは待たされることである。しかし日常は考えてみれば「待つこと」で大半は占められている。
列車を待つ、車内で目的地に着くのを待つ、エレベーターで待つ、昼飯が出てくるのを待つなど、待たされることばかり。
最近、喫茶店に学生が少なくなったという。スマホなどの携帯電話で待ち合わせの時間が無くなったり、駅などのベンチで
ネットサーフィンやゲームをしていればば、別に喫茶店でなくてもよい。 それは待つ喜びも失われたことになる。
 子供の頃、クリスマスや、年末の年越しを心躍らせ首を長くして待っていた。現在、そんな気持ちになることなど殆どない。
主体的な待つのは良いが、相手の都合によって待たされることに苛立つ。現代は、ムダな時間を排除するのが求められる。
そのムダの時間には考える余裕が含まれるが、今やそれが無くなりつつある。企業では無駄が排除され、合理性が求められる。
そして定年や人員カットで社会の一線から押し出され、御年寄りとしてムダの存在として見られがちになる。それに苛立ちと
焦燥感が蓄積される。それが乾くと、一寸した発火で怒りが爆発し燃え上がる。10歳の頃の一年は、本当に長かった。
新学期になってクラス替えがあり、新たな顔ぶれの中、授業が始まり、梅雨がきて、試験があり、やっと夏休み、・・・と
長い日課が延々と続いた。それが、今や、アッという間に一年が経ってしまう。 それが今では、先は残されてないのに、
思い出すのは嫌なことばかり。以前は考えなかった、「何のために生きているのだろう?」という問いが、浮かんで消える。
そこではマイナスのフラッシュバックが次々と出てくる。
 私たちは自分の時間割を帯グラフで割り振るようになっている。4時起床、そのままパソコンに向かい随想日記の書き上げと
アップロード。6時過ぎに信濃川沿岸へポタリング。7時半、食事。8時風呂。9時から読書と随想日記の下書き等々、
帯グラフに従って一日をこなしていく。そこに、チャリ、パソコン、スポーツセンター、読書さえ、マシーンが介在する。
どれもこれも便利で快適だが、これに適応出来ない人にとって、大きな格差が出る。周りをみると、同世代にiPad、
iPod、パソコンを使いこなせない人が意外と多い。それでもタブレットPCが普及始めたので解消してきた。
 ラーメン屋の行列で待つ、新製品の発売を店の前で待つなど、「待つ」ことが、レジャーの要素の一つになっている。
待つというのは、「間」があるということ。その間は、空白である。元もと私たちは空白に漂う陽炎のようなもの。
それが本来の姿ではなかろうか。生れて死ぬまでの間、それが生きるということ。その間で、たっぷり間を持つことも
大事ではなかろうか。それにしても時間に、いや、空白に恵まれていた。「待つ時間が人生の大半を占めていた」とはね!
・・・・・・
4018, シングルイン、31年間の総括 ー1
2012年03月26日(月)
    準備期間、一年を含めた31年間の総括をする。
 * 新潟駅前の事業 ー準備期間1980年3月1日〜、開業1981年3月31日、閉鎖は2011年3月30日。 まる31年。
 * 新潟駅前で4棟、駐車場一箇所、客室数500室。
 * 新潟駅前のホテル等の総投資が32億。 
 * 創業時の自己資本が2億。借金残債が、10億だったので返済額が20億円。
 * 営業利益が赤字になったのが最後の年だけだったので、勘定足って銭足らずの典型。
 * ホテル営業30年のうち、上り坂が当初10年、次の10年が緩やかな右下がり、2001年の9・11テロから
   4年かけて売り上げが三分に二に激減。 さらに2008年の9・15のリーマンショック以来、二年半で半減。
   11年前の9・11テロから三分の一まで減少。 東北大震災で、さらに2〜3割減が予測された。
   破綻の直接原因は9・11テロと、リーマンショックの売上が65%減。 東北大震災は最後のとどめ。
 * 取引先への負債は20日締めの月末支払いを終えた後のため、ほぼゼロ。事務所、自宅への債権者の電話、押しかけゼロ。
 * 最後まで残った役員と管理職の退職金は、当社退職規定の65〜95%の支払い済み。(国の補填3百万も含め。)
   役員は、役員就任時に一度、退職金払い済み。
 * 会社関係の5つの物件は三ヶ月で完売。 しかし一つがキャンセル。 それも、半年後に売却。
  ( 弁護士曰く、「銀行も、ここまで早く売れると思ってなく、慌てていた」。
   自画自賛になるが、千葉、長岡で手がけたビルは、売り出すと同時に即売。 設計の中に売却前提で計画してあるため。
 ▼ この事業の結果に対して、後悔も、未練も一切なし。 三つの経済・自然災害が直接原因だが、本来、土地を仕入れ、
  借金をしてする事業ではない。そのことに10年で気づかなかったこともある。それと、情報化で、ビジネスのあり方が
  変わってしまった。数日かかった出張も日帰りで済むようになってしまった。 結果から、バブル崩壊直後に売却が理想。
・・・・・・
3652, 地震 ーつれづれに ー12
2011年03月26日(土)
  * 外国人が大挙して帰国、 そして身近に避難民が! 
 日ごと、原発の放射能の起こるべきマイナーの影響が一つずつ、現れ出てきている。
御用放送局のNHKのニュースと、広告料金で成り立っている民法の流す情報など信じるに足りない、と仮説を立てると、
現在流されている事態の本質は知ることが出来ないのは当然のことと思い知る。 東北は壊滅状態とは間違っても記事に出来ない。
毎日、枝野官房長官の発するコメントは建前の上っ面の情報でしかない。 外国人が我先に逃げ出していることを考えると、
地球史上最大規模の危機とみるべきである。 政府は事実の情報を風評とて否定することしか、パニックを抑えるしかない。
現状の進展を一般には小出しにするしかないのである。放射能の摂取量が10倍、100倍から何時の間にか数千倍になっている。
しかし、外国は容赦なく事実を報じるから、そのギャップがみえてくる。
 ところで、家内が昨日、自転車で郵便局に向かっていたところ、中年の女性に福島弁で「郵便局は何処ですか」と聞かれ、
「自分も行くところだから、ご一緒しましょう」と、自転車を降りて話しを聞きながら案内したという。その内容とは、
「自宅が30キロ以内にあり、家族で車で避難してきた。しかし、自分は透析を受けているので、中央病院に近い比較的
良い公立のデーサービスの施設に一人でいる。原発は政府は安全というので、信じていたのに、こんなになってしまった」と。
その施設に三年ほど亡くなった母親を週二回、世話になったことがあった。大きな娯楽室があるが、そこのステージの上で
暮らしているとか。 30キロ以内なら、もう元の生活に戻れるかどうかである。その人の顔色が悪く正視できなかったという。 
駅には、大きなリュックを持った親子連れの姿が多くみられる。本当に、これが現実なのか信じられない日々である。
 この事態で、経済活動は大幅に減ることになる。それだけでない、今年の就職の内定の取り消しと首切り、そして倒産が
大幅に増加することになる。身が凍る思いである。あれから二週間になるが、現在も進行中で問題が拡大している。
・・・・・・・
3287, 人みな骨になるならば ー5
2010年03月26日(金)
 * ザインとゾルレン   
ー まずは(P−68)の「ザインとゾルレン」の一部分を抜粋する。 
・ザインはドイツ語で、「在る」とか「である」のことだから、抽象名詞として使うと「そこに客観的に在るだけのもの」
という意味になる。それが良いことか悪いことかを問わず、現実にあるんだもの、しょうがない、といったニュアンスの言葉。
「存在」と訳されるが、「現実」や「実態」と訳したほうがよいことも多い。
・ゾルレンというのは、英語では助動詞に相当する。「べきである」「そうあらねばならない」といった意味で、
抽象名詞としては「当為」と訳される。当為は訓読みすれば「まさになすべし」と読み下す。
「そうあらねばならない性」、ひいては「本来はそうであるべき様態」のことである。
  たとえば、当時の旧制高等学校生なら「親父が死んだので、ゾルレンとしてはすぐ郷里に帰へって家業を継ぐべきだが、
 ザインとしてはここでこうして破帽のまま君たちと安酒を酌み交わしているわけさ」といった使い方をした。
このように、ザインはゾルレンとともに用いられるのがほとんどだから、ザインというのは単に現状というだけでなく
ゾルレンと対比される「ていたらく性」を帯びる。 本当はゾルレンであるべきなのに、現状はザインなのよ、といったところ。
前節で挙げた唯骨論によると骸骨こそがザインの象徴である。 そんなものが、われわれの体内に鎮座しているというのは
必ずしも歓迎すべきことではない。若い美男美女であれば、なおさらのことである。 だれしも一皮剥けば骸骨が現れることは
簡単に証明できる。 ただ最近は手術場を除いて、生きている人間にそんな残酷なことをあまりしなくなっただけのことである。
ゾルレンとしては、万物の霊長にして神の似姿である。そんな人間の中心が骸骨にすぎないというのは直視するにしのびがたい。
いくらなんでも骸骨はあんまりだ。人間の中心には霊魂やクンダリニーが宿っているべきである。 しかし、それはあくまでも
ゾルレンなのであって、あいにくとザインとしてはやはり愛想のないことにおぞましくも骸骨しか存在していない。
ここで悟るべきである。ゾルレンというのは願望や想像、あるいは強制にしかすぎず、実証も提示もできないものであることを。
ゾルレンは信じることが出来ない対象であることを。 これに対してザインは見ることも、触ることもできるものである。
▼ ザインが唯骨論の骨の存在で、ゾルレンは神の似相である、というのは言いえて妙である。
 ゾルレンは願望や想像、あるいは強制に過ぎないと言うのも刺激的である。こうあるべき、というのも幻像の最たるもの。 
等々、著者の虚無の論も肯けるというより、優しく聞こえてくる。 それも経験と年齢を重ねたためである。 
閑吟抄の、チロリ チロリ チンチロリの「何しょうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」の虚無とは類似をしている。 
成すべき、などの建前より、今生の世は夢 と割り切り、狂ったように生きることこそ、虚無を突きぬけた言葉である。。 
何をしても、成るようにしかならないのだから、目の前を精一杯、何かに打ち込むしかないということ。それも、捨て身で。 
それが狂うということ。 この二つを冷徹な目で、己に対してみつめることだ。それが骨になったものの視線である。
 ・・・・・・・・・
2912,金を使うなら頭を使え!
2009年03月26日(木)
 榊原英資vs岩井克人の対談 「金を使うなら頭を使え!」ー新潮45ー09年2月号
 ここで学者と元大蔵官僚の二人は、この金融危機の深刻さをアッサリと論じている。
既にアメリカの金融全体に8兆ドルを投入していたのである。それだけ深刻ということになる。
一つAIGだけをとっても潰すことができない。潰せば残っているゴールドマンサックスなども
倒産してしまうからである。といって対処主義では、ここだけで数百兆円も投入せざるを得なくなる。
ということは、結果は知れたこと。 新ドルの切り替えか、国家デフォルトしかないことになる。
 ーまずは要点を抜粋してみるー
榊原は、
・まず「アメリカ政府とFRBが金融セクターに入れてある資金が8兆ドル(800兆)で、
 アメリカの金融システム全体が公的な管理に入っていると述べている。
・アメリカの消費が落ちなかったのは消費者金融のおかげだったが、それが壊滅した現在、
 国民は消費行動を変えざるを得なくなったという。
・金融危機ー>金融収縮ー>資金繰り難、倒産ー>マイナス成長ー>不良債権の増加ー>金融危機の拡大
 というスパイラルに入ってしまう可能性が大としている。
  (字数の関係でカット2011年03月25日)  
・・・・・・・・・
2548, 一神教vs多神教 ー2
2008年03月26日(水)         (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 この本を読むと、現在起こっているアラブ対欧米の血みどろの争いの原因が透き通って見えるような気がするから不思議。
この本は、一神教の批判本であり、多神教については、あまり語られてはいない。そもそも、一神教は奴隷の宗教、
迫害された人々の宗教である。だから、その根本は怨念があり、戦闘的であるのは見ていればわかることである。
「なぜ多神教は一神教に負けるのか?」という問いと、その答えが面白い。
 ーまずは、その部分からー
多神教は突きつめると、共同体の血縁幻想に支えられ、母親的、女性的に支えられているから、それが一神教を打破することはない。
戦わないということはないが、自分の範囲以上には自分の神々を広めようとしないから、限度がある。逆に一神教同士だと、
両方が普遍性を主張するから、血みどろの戦争になる。共産主義も一神教です。 ユダヤ教かキリスト教の改訂版です。
一神教が普遍的現象なら、中近東以外の地域に別の一神教が出来てよいはずですが、発生しませんでした。
ということは、一神教は、自らの普遍性を主張しますが、本当はきわめて地方的な現象で、言ってみれば、中近東の風土病ですね。
一神教は、中近東の風土病で、強迫観念が強い。そして狂信的の重度の病気であるから、絶対にこうでなくてはならないと
信じているやつと、多神教のように、こうでも、ああでも、いいと思っている奴と喧嘩をすれば、勝負ははじめからわかっている。 
その結果、一神教が世界を植民地化していったのである。
 ーー
一神教は都市の宗教であり、多神教は農村の信仰であるということ。世界宗教に発展するには、まず都市の宗教である必要があったのです。
 ーー
一神教は人類の癌だという意味は、一神教の唯一絶対神を後ろ盾にして強い自我が形成され、その強い自我が人類に最大の災厄を
もたらしているということです。自我というのは、病気で、自我の強さは病気の進行度のようなものだけど、その場合の最大の難関は、
その両者が対決すると、自我の強い方が勝ってしまうということです。つまり、人類は、病気の重い連中の方が勝つという絶対矛盾状況に
おかれているということなんです。人類史でいえば、ネアンデルタール人が絶滅して、クロマニョン人の世の中になってしまったという
時点で、もう間違ってしまったじゃないか。クロマニョン人つまり現生人類は言語も宗教も芸術ももっている。それ以前に、地球に
人類が発生したことが間違いのもとだったということになる。人類がいなかったら、人類以外の動植物はどれほど幸福だったことか。
 ーー
好戦的な狂信主義者といえば、それまでだが、あくまで中近東の風土病という表現は言いえて妙。
一神教は人類の癌というのも、思い切った言葉である。人類は癌というのは聞いてはいたが。
また明治政府以降の天皇制について、擬似一神教と看破しているところは頷けた。その辺は、次回に考えてみる。
・・・・・・・・
2007年03月26日(月)
2183, --つれづれなるままに--       (~Q~;)  おはよう??ファ?
 ー大相撲についてー
  (字数の関係でカット2012年03月25日) 
 ー夢ー
 ー携帯電話ー
  (字数の関係でカット2012年03月25日) 


4758,閑話小題 ー冒険家の憂鬱

2014年03月25日(火)

    * 35歳の冒険家の憂鬱     ーベスト・エッセイ 2012ー探検家の憂鬱 角幡唯介
  ある随想集で見つけた少し哀しい話題。 私の友人に晩婚の人が何人かいたが、35歳ぎりぎりで結婚をした。
 モテ過ぎの人は、女性が逆に敬遠するようだ。以前、女性の適齢期をクリスマスケーキに例えた時期があった。
 22、23をピークに、24、25と日毎に価値が下がっていく。 現在は違うが、女性の職場には、23歳停年制の暗黙の
 戒律があった。若くて綺麗な娘が毎年、入社して人気が日毎、凋落するのに耐えられないのだ。そこで、早めに
 本命を掴んでおいて、あとは少しでも良いのを探す! が、最後は、この程度と諦めて結婚していく。
  著者は、35歳男の婚活についての本音だから、納得させられる!   ーまずは、抜粋ー
《 婚活女からみた人間の価値判断の基準は意外と単純なところにあり、男でいうと34歳と35歳の間に引かれる
ラインが、それにあたるのではないか。つまり女性陣の多くは私の年齢を聞いた瞬間、頭の中で四捨五入して、
35歳は40歳側の人間ーおっさんーという仮借なきカテゴライズをしているような気がするのだ。
さらに悪いことに私は探検家という日本で数人しかいない珍しい肩書を名乗っている。名刺的には「ノンフィクション
作家・探検家」としているのだが、ノンフィクション作家などという普通の肩書は探検家を前にすると、アマゾン州に
そそぐタパジョス川みたいなもので、ほとんど存在しないに等しい。そのことを証明するように、私はこれまで何度も、
どんな文章を書いているんですかと質問されたことがない。聞かれるのは、どんなところに行ってるんですか、そこで
何をするんですか、何のためにそんなことするんですか、マゾかサドかといえばマゾですか、といった質問ばかりなのだ。
・・・ 酒も入って気持ちよくなってくると、ついついキャバクラにいるような気分になってきて、あることないことを
ペラペラしゃべってしまう。やれ雪崩に三回埋まって死にそうな目に遭ったとか、チベットで滑落して九死に一生を得た
とかの話をお酒の力を借りて講談調で話すのだ。面白いことに、そういう話をすると女性の目は必ず変わる。
 もはや場の主役に躍り出たような気分になっている私は、その目の色の変化を肯定的に捉え、今、女たちは俺のことを
男の中の男だと思っている、などと有頂天になるが、実際のところ女性陣の目の色が変わったのは、私を男の中の男だと
思い始めたからではなく、対象外と思い始めたからであることにはその場では決して気がつかない。翌日に次回の約束を
取り付けようと、お気に入りの女性に意気揚々とメールを出し、数日待っても返事が来なかった時に初めて気がつく。
 コンパに来る女性は通常、交際相手を求めているから、四十歳の側に属した探検家を名乗る、安定的な生活基盤がない
どころか生存基盤すら危うい男をつきあう対象と見なすわけがないのだ。もし年齢と職業がネックになっているという、
推測が正しいのであれば、長年憧れてきた世間的な幸せを私が享受する可能性は、これからいよいよしぼんでいく。》
▼ 私自身の経験では、それが27歳。21歳から26歳までは、終戦直後の生まれのため、同年代の数が極端に少ない上に、
 数歳下の数が異常に多いため、在庫からして非常に有利の状況。その割に?だったが、それでも早いうちから声が
 かかっていた? しかし、姉4人の最低ラインがあるため、クリアーする相手は、なかなか見当たらない。要は、さほど
 持てなかっただけだが、27歳になると同時に、塩を引くように、声がかからなくなったのには驚いた。 ここが潮時と、
 思った矢先、紹介されたのが家内である。家内も同じような動機だった? だから、著者の悩みが分かるのである。
 先行きどうなるか分からない事業を創業をするといっても、何の手掛かりもない。誰も、結婚相手として認めない
 当時の私の状況に似ている? 結婚の時節は、それぞれあり、それを逃すと・・  生涯独身が男3人に1人、
 女4人に1人の時代が来つつある厳しい時代。特に女性は、相手の選択で大きく人生が変わってくるから・・
・・・・・・
4391、大衆は何も考えない
2013年03月25日(月)
    * 劇場版「相棒の映画感想
 一年前から、平日の16時から刑事モノ「相棒」の再放送をみているが、物語に捻りと味わいがあって面白い。
一昨日、その劇場版をシネマで見てきた。  ーまずは、専用サイトの内容よりー
 【‘謎のデータ’がネット上にバラ撒かれ、削除された・・。 直後、燃え残った数十枚の一万円札と死体が発見された現場で、
 捜査一課刑事・伊丹とサイバー犯罪対策課専門捜査官・岩月は出会った。死体は東京明和銀行本店システム部の中山雄吾。
ネットに不正アクセスし、機密情報を流していた疑いでサイバー犯罪対策課にマークされていた。殺人事件として真実を追う伊丹、
不正アクセス容疑を追う岩月。いがみ合いながらも、共に捜査を進めていく二人だったが、目に見えない圧力に曝され、捜査は
行き詰っていく・・。】   ー私の主観で要約するとー
 ≪ 官僚が銀行閉鎖の「Xデー」を策定・計画していた。が、その内容がネット上に流され、それを知った暴力団関係の
トレーダーが、そのXデーを知ろうとして偶発的に告発者を殺してしまう。しかし官僚たちと政治家と警察トップが、銀行閉鎖の
計画を知られるのを阻止するため捜査妨害する。公然とマスコミに出てしまえば、その日がXデーになってしまうからだ。 
 キプロスで偶然、銀行閉鎖騒ぎがあったこともあり、銀行の取付け騒ぎや銀行閉鎖計画に現実味が感じられる内容。
金融庁などの各省官僚と政治家の打ち合わせの中の言葉が、辛らつ、かつ真実を含んでいる。
 ・国民は、厳しい現実を示されるより、甘い将来の絵図を求めている。
 ・難しい真実より、簡単な嘘を好む。
 ・現在が、そのまま将来も続くと信じて疑わない。現在何が起こっているか知ろうとしない。 等々、
アベノミクスに両手を上げて喜んでいる愚衆を、そのまま言い当てている。貨幣も国債も信用があってこそ通用する。
誰も信用しなくなったら只の紙切れ。映画とはいえ、現在進行形のアベノミクスを批判している。アベノミクスで
Xデーを早める必要性も確かにある。何れにせよ、一度、焼け野原にしてから立て直さなければならないならば。
それにしても、あまりに国民は無知と(私を含め)思い知る。少し逸れるが、このオバマの中東訪問で、「シリアへの攻撃と、
イスラエルのイラン核施設攻撃のXデーの相互確認があった」という仮説を立て二人の会見をみると、近々に始まると思えたが。
・・・・・・
4017, 事業生活39年の、独り語り ー5
2012年03月25日(日)
  最初に事業として手がけたのは、ジャスコを辞め、一年間の遊学時に見つけておいた千葉市郊外の千城台の更地。
 父は自分の死期を悟り、ビル建設の助言を通した父の経験則の直伝の日々になっていた。準備に入って10ヶ月後に父は亡くなった。 
 千城台ビルの完成前5ヶ月前である。「千葉シリーズ」は、ビル建設の一年半と、 実務の二年間の合計三年六ヶ月取り組んだ
 ことになる。 この三年半も熾烈の日々。(20歳〜40歳までは、常に似たようだったが。)
  そのビル内で、居酒屋の養老の滝1122号店と、焼きたてのセンチュリー・ベーカリーをオープンさせた。恐いもの知らずで、
 捨て身で、よくぞやった!もの。ただ無我夢中であった。 その時、実家でトラブル発生。 急遽、店舗二店とも知人の伝手で
 経営委託をして長岡にUターン。 危ない綱渡りである。 人間にはイザというと、自分で決め込んだ能力を遥かに超えた力が
 湧き出てくることを、この経験から知った。 ビル投資5千万に対し一億で売り抜けたが、新潟のホテル開設資金の資本金になった。 
  千葉の千城台はジャスコ勤務の後に産能大に通っていた時に確保したもの。 新聞で県の住宅供給公社が造成した団地の商業地区の
 売却を目にしたのが始まり。 ところで父は、実家の事業にたずさわっている婿取りの姉夫婦と、実兄と、私の関係を心配をしていた。
 そのため亡くなる数年前に突然、家に呼び出され、会社の株式と、主だった会社名義の土地を、私と、母と、兄と、姉に、4等分の
 相続を宣言し、名義を変えてしまった。これがトラブルのタネ。その時、姉夫婦は呆然自失。父は地方名士志向の姉夫婦を見限っていた。
 ところが父の死後、生前贈与以外の父名義の財産を姉夫婦が都合良く分配していた。その上、間接的に「母親と、兄と、私の会社株式を
 自分たちに譲れ!」と迫ってきた。 それ以前に、「父の死後の社長は母親」という父の遺言書を無視をして、母を説得、義兄が
 社長になっていた。 私は「乗取り陰謀」と激しく、それを認めた母親をなじっていた。 それもあり、私が千城台ビルで、
 二軒目の焼きたてパン屋を開店した直後に、「主だった従業員を引き連れて出る。それとも・・」と迫ってきた。御家騒動の勃発である。 
  起こるべきして起こった騒動だが、母と実兄は、二人の豹変に動転し、怒り心頭だが、私には、想定とおりのこと。
 大学を出てからの熾烈な日々が、「この程度の問題処理など朝飯前!」ぐらいにしか思えなくなっていた。千葉の知人に相談したら
 丁度良い人を知っていた。 急遽、その人と経営委託をして実家に戻ることになった。 これも丁度良い、節目。 しかし朝飯前と
 思っていたが、ここも過酷な日々が待っていた。 地方名士を自認していた姉夫婦の後釜に、馬鹿息子がクーデターを起こして
 帰ってきたという街の冷たい視線と流布の中で、私にとっては第二の創業。 姉夫婦にとって、手際よくUターンするとは思っても
 いなかったようだ。 それより我慢を重ねてきた母の激怒が、全て。 私もイザという時の見極め(正中心一点無)は、持っていた。
・・・・・・・
3651, 地震 ―つれづれに  ー11
2011年03月25日(金)
 * 凍りついてしまった経済
  この地震で、日本経済は凍りついてしまった。 
・ リゾートホテルは、歓送迎会がほぼキャンセル。駅前ホテルもビジネス客は皆無。 
・ 生鮮野菜も恐ろしくて、他の産地物でも敬遠。水はペットボトルしか安心できなく。
・ 知人の子供が住宅の契約直前になって、業者の方から契約を断ってきたという。
  資材が入手出来るかどうか混沌としていて、期限までに住宅の完成が確約できない。
  その場合、遅延金を払わなくてはならないので、当面契約は出来ないのが事由。 
・ 飲食店も期末期首の稼ぎ時に、歓送迎会の予約がほぼストップ。
・ 甥っ子が宇都宮でチェーンのファッション店に勤めているが、全く商品が売れなくなり頭を抱えているとか。
   これでは、経済恐慌になってしまう。
 空中の放射能が雨と一緒に浄水場に注ぎ込み、水道水が汚染されたということは、ただならぬこと。
この福島第一原発の河口付近の海から安全基準の127倍の放射性物質が発見されたと、読売が一面トップで報じていた。
それから連想されるのが魚の汚染。近海ものの魚も危ないとしたら、何を口にしたらよいのか?恐ろしい限りである。
そろそろ農家は田植の準備に入る時期に入ったが、収穫の秋口に、米が売れるかどうか心配だろう。 
売れるのは、外米と古古米だけという奇妙な現象になることすらある。
一日一日が放射能漏れの深刻さを露呈するニュースであれば、景気は悪くなる一方のは当然だろう。
  * 奇妙な数字の一致
 9.11は9時46分、神戸は早朝の5時46分、そして、この3.11は14時46分。
 偶然だろうが、46分が一緒!
 いま一つが  2001年 09.11
       + 2011年 03.11
       =  012年 12.22 は マヤの歴の終わりの日。   偶然の一致だが面白い!
 ・・・・・・・・
3286, デフレの実感
 2010年03月25日(木)
  2月末より本格的デフレ・インスパイラルに入ったようだ。 内容を面白くするため少しオーバーな表現かどうかは??。
・先日、3月でエコポイントのタイム・リミットということで、買って7年半経つ50インチのTVの買い替えを考えて
 大型家電を三店舗まわってみた。 今度は65インチの薄型TVで、4〜5年前は100万前後していた。
 数年もすれば50万を割るだろうと思っていたが、何とエコポイントを差し引いて30万円である。隣にあった一番ホットの
 LEDのシャープの60インチが37万円である。 信じられない!である。もし本気になれば、あと数万円は下げられる?
 現在のTVはパイオニアのPDPで充分に満足している。 今でも画質は、現在の店頭のものと遜色ない。
 しかし地上波への変更が(特殊なので)数万のマシーンを入れないと映らないという。そこで、少し心が動いたが、
 このデフレの中で一年後には更に下がると判断し、この機会の購入は止めにした。
 次はデジカメとビデオカメラ、これも値崩れが激しい。新商品になる度に新しい機能が加えられ、値段が安くなる。
・アパートの値崩れも激しい。現在は三万円代の中での価格競争になっており、5万代に入ると、よほど間取りの良いものしか
 入り手がないという。 自宅のまん前の20世帯以上ある二軒のアパートは、この数年で数軒しか入居者が居なくなった。
 築20年は経っている割りに値段が高いためだろうが??。 大東建託とかいう20年入居一括借上げの会社があるが、
 以前から会社が倒産するリスクをオーナーは考えていないと懸念していた。 こういう時節になれば、特に危険である。
・建築関係も、ますます価格競争が激しくなり、ギリギリの状態が続いている。 中小は、特に厳しく、何とか助成金で
 食いつないでいるが、必ずクラッシュがあるはず。
店をまわっても、元気の良いところは、業態としてディスカウントを長年かけて作り上げてきたところ。
100円ショップ、ユニクロ、ニトリ、サエゼリア、回転寿司、蔦屋などである。それも店舗がスーパーストア(超大型店)。 
デフレ・スパイラルは、ハイパーインフレの露払いである。 後ろに控えているハイパーインフレが恐ろしいのである。
これが国家破綻という奴だ。一度、ガラガラポンと破綻させないと、あの世界に撒き散らされた猛毒は排除は出来ない。
 それがリアルに動き出してきたということ! 事実は事実である。
 ・・・・・・・・
2911,人生は作品である
2009年03月25日(水)
 「 人間にとって、その人生は作品である 」 これは司馬遼太郎の言葉である。 
 「 人間には志がある。その志の味が、人間の味である 」 という言葉もある。
 身近で亡くなった両親の生き様を見てきてつくづくと、人生は作品ということが理解できる。
そして生きている限りは未完であるところが、ミソ。 死んだ時に完成するが、その時は自分にとって
関係ないことになるから絶妙。哲学では人生を「劇場」に喩え、その役割配置から、その真理を突き詰めていく。
それぞれが人生劇場では主役。 それは第三者が口挟むことでない。 本人の意志に従う物語。
従って還暦を迎える頃になると、その物語の辻褄合わせが始る。シナリオ、主演が自分であり、観客の一人も自分。 
だから面白いのであり、悲しくもある。 自分で悲劇の場面と思っても第三者の目からみれば喜劇に思える。(逆も言える)
 年齢を重ねて分別がついてきて、人生を振り返ると、顔から火が出ることが度々。
主役は次から次へと襲ってくる難問を乗り越えるのが役割。 難問そのものの内容が物語を決めることになる。
だから、問題に対して嘆いてはならない。(自分の火種もあるが)問題と本人の意志が自分の人生の作品を決定する。 
 キュープラー・ロスは<人生劇場は「レッスン=学び」であると看破> 「死の看取り」から、人生をみた時に
彼女は人生の奥義に気がついたのである。 産まれて、死ぬまでの、それぞれの時節に、それぞれの難問があり、
その難問を解いていく過程で学ぶことが人生であり、最後のレッスンが死であると職業を通して学んだのである。
これは学びというより、修養ともいえる。 解決不可能に近い難しい問題が押し寄せてくるのが人生。それを解決するためには、
問題に対して真正面から真摯に向き合うしかない。目をそむけると数倍エネルギーが被さってくる。それも作品だろうが。
昨夜、女房と「人生など二度とない、思い切って全てを処分して三年ぐらい二人で彷徨ってこないか?」と話している夢をみた。 
現状逃避がありあり!だが。 そういえば、TVの旅行番組で、ある工場を定年退職した人が、全てを処分して買ったヨットで
夫婦して欧州の運河で旅行しながら生きていく姿を映し出していた。 何ともいえない人生の姿(作品)である。 
 ・・・・・・・・・
2547, パリ高級娼婦館女主人の告白 ー5
 2008年03月25日(火)       ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚
ギリシャ神話の「ピグマリオンの神話」に登場するピグマリオンという王様。
自分の彫った女性像に恋をする。恋こがれた彼の想いがビーナス神に届き女性像は本物の人間になり、
ピグマリオンの恋が成就するというストーリー。
この娼婦の館の女主人は、ひとりあたり二年かけて、そのような理想に近い女性を作り上げる。
 (以下、字数制限のためカット 2010年3月25日)
・・・・・・・・
2007年03月25日(日)
2182, 「ライオン 空前の王交代劇」ー2      ( ^3)ー♪ オハヨウゴザイマス!
「ライオンの空前の交代劇」を観ていた時に、一年ぐらい前の「三頭の兄弟(放浪)ライオンの物語」を思い出した。
「検索」で調べてみたら「地球・ふしぎ大自然」で、昨年4月に放送されたものだった。インターネットは本当に便利である。
 ーその内容をまずは紹介してみるー
 ライオンは猫科の中で唯一群をなして生活する動物である。しかし一つの群の中のオスは最大でも三頭ぐらい。
それ以外のオスは群に属しない放浪生活をする。だが放浪ライオンの生態についてはあまり知られていない。
今回この番組はその放浪ライオンの生活の記録を伝えている。群の中のオスは、遅くとも三歳までに群を出される。
これは近親交配を防ぐためであるとのことであるが、元来狩が苦手な雄ライオンにとっては、これは試練の始まりでもある。
この番組では、ある三頭の兄弟を追いかけて、その生態について紹介している。ライオンは同時に群を出た兄弟が一緒に生活する
例が多いとのことである。群を出た放浪ライオンは、自らだけの力で生きていくか、どこかの群を乗っ取るか、しか手はない。
まだ力不足の三兄弟は、まずは自分たちの力で生き残る試練にさらされることになる。食料の少なくなる乾期などの試練を
乗り越えて、三頭はなんとか生き延びる。 翌年、やや逞しくなった彼らは、群の乗っ取りを試みる。
しかしながら他の群のメスに全く相手にされない。結局彼らは二回の失敗後、幸運にも雄ライオンを病気でなくした
メス三頭の群と出会い、自分達の群を手に入れる。もっともこれからの彼らは、その群を守る任務に追われることになるのだが・・
ちなみにライオンが群を維持できるのは長くても三年が限度だとのことである。ライオンが群で暮らすことは以前から知っていたが、
あぶれた雄がどうして生活しているのかは当番組で初めて知った。やはり雄が自分の城を築くのは大変なようである。
ところでこれまた私が初めて知ったのは、雄ライオンが兄弟で行動することが多く、群も兄弟で維持している場合が多いという。
ライオンの兄弟の結びつきがこれほど強いというのは、なかなか興味深いものであった。
 解) 
(以下、字数制限のためカット 2014年3月25日)


4757,閑話小題 ー今場所は、面白かった!

2014年03月24日(月)

   * 今場所は面白かったが
 大相撲が再び人気が戻ってきつつあるが、今場所が思わぬ展開で面白い場所であった。
不調で負け越しの瀬戸際だった琴奨菊が、二人の横綱に勝ったことで、俄然面白くなった。
結果は鶴竜の優勝と、横綱昇進が決まったが、大相撲の醍醐味が楽しめた。 まだ入門一年の、
遠藤が三役力士と互角で闘うのだから、古参力士のプライドに火がついたこともある。
後半まで全勝だった二人の横綱が、二人の大関に負ける展開は近年、珍しい展開。 
更に若手に突然、超大物?二人が現れ出てきた。今場所は、白鵬時代の終わりの始まりの場所。
鶴竜は、その性格の大人しさのため、実力があるにかかわらず、いま一つだったが、先々場所の前半に
負けこんで、大人しい性格に火がついてしまった。 これで、モンゴル三横綱の時代が2〜3年は続き、
遠藤、豪栄道、二人の超大物?の時代に移っていくのだろう。
   * 高校野球も田中の御陰で、面白くなってきた
 田中投手のヤンキースへの破格の契約金のお陰で、高校球児に大きな夢を与えた。
「アメリカンドリームを、自分も?」である。まさか田中が、イチロウ以上の評価の選手になろうとは、驚き!
情報化で誰でも情報が入手可能の時代。親子鷹で、科学的にノウハウを積み上げれば、異能の投手術を持つ選手に
育成可能である。逆に天才的スポーツ選手は親子鷹でないと難しいのだろう。そこには当然、科学的な管理がある。
冬期オリンピックで活躍した選手は全て、そうである。あるところまで行くと、国がコーチをつけるのだろうが。
   * 一昨夜半見た夢
 一昨夜半見た夢が、驚き。 あるコンサルタント事務所の一室で、マネジメント・ゲームの進化した研修を
数人がしている。誰かに紹介されて特別見学をしている自分が、疎外感に陥る。そこで、そのゲームに
参加したいと申し出ると、「ある私立小学校の創業の計画書」と、進化したタブレットPCを渡される。
計画書には、創業参加希望者の名が数名あって、まず、タブレットで希望者の履歴を調べ、面接をするように、
更に、資金計画書の作成もタブレットでするように申し渡される。それを遂行するには膨大なエネルギーを要する。
しかし、その気力が私には全くないことに気づき、その場で参加を取りやめる。その隣の部屋には、どこかの
新興の社長が、ある事業計画の報告を自慢げにしている。 ところで、そのタブレットが、面白いのである。
ある居酒屋チェーンの店頭に、タブレット(付属しているカメラ)を向けると、その情報が自動的に出てくる。
(誰が社長で、役員の経歴、財務内容、コンセプト、店内の様子)が、である。このマシーンを使った事業の
創業ゲームで、ほぼ現実と変わりのないリアルなもの。 何か私の潜在意識の一部を垣間見た思いである。 
その担当者の冷たい視線と、あの部屋は、資本主義社会と私の脳内? あの部屋の中に過っていたのである。
・・・・・・
4390, ブラック・スワン ー3
2013年03月24日(日)
               「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ著
   * 2023年までに予測されるブラック・スワンは?
 これから10年後の2023年までに予測されるブラック・スワンは、何だろう。大雑把でいえば世界恐慌と大戦である。
今世紀に入って13年になるが、9・11テロ、リーマンショック、3・11に代表される多くの黒鳥が、舞い降りてきた。 
さらに、その黒鳥の仲間が近くに来ているが、いつ舞い降りるのか分からない。 地震などの天変地異、経済動乱、戦争が
何かのキッカケで突然起ことになる。しかし、恐れていては何も出来はしなし、あとは備えをするしかない。
ブラック・スワンは、歴史的大事件だけでなく、身辺の出来事にも起こっている。 人生はマサカという形で、ある日、突然に、
我われに襲いかかる。特に断絶の境目には起きやすい。 情報機器の進化は、とどまることなく進化し、情報や知識は大量に
私たちに押し寄せ、それがブラック・スワンを呼び寄せる(天変地異を除くが)。これだけは、来てみて初めて分かること。
1〜2年スパンでは、イランの核施設へのイスラエル攻撃。それと欧州危機と破綻か、分裂か、朝鮮戦争の勃発あたりか。
地震か富士山噴火も考えられる。「まさか」だから、こう書いていること以上のことが起こるはず。10年前に、現在まで
舞い降りてきた黒鳥を想像できようはずがない。 昨日、シネマで「相棒」の劇場版をみてきた。《殺人事件の背後に、
官僚と政治家による銀行閉鎖の「X−day」のネット上での暴露が隠されていた・・・》というリアルな脚本。
数日前にキプロスで銀行閉鎖があったこともあり、現実味がある切実な問題。明日にでも、ここで書くが、アベノミクスの
批判とも受け取れる内容。意図的にハイパーインフレを起こし、銀行閉鎖を? ウソでないから、恐ろしい。ある日を境に、
黒鳥が一定の間隔を保ちながら、次々と舞い降りてくる。今世紀に入って現在に至るまで、舞い降りてきた黒鳥ように。
・・・・・・
4016, 事業生活39年の、独り語り ー4
2012年03月24日(土)
  昭和30年後半辺りから、駅前百貨店と既存商店街が主な流通経路だったが、新たにスーパーが現れてきた。
 既存の流通経路では大量生産、大量消費の物流が対処できなくなったためである。そして書店には「流通革命論」などが、
 並ぶようになっていた。 実家が衣料量販店だったこともあり、それに注目するのは自然の流れ。 渥美俊一著のシリーズの
 「チェーンストアへの道」下地にした「流通革命」を武澤ゼミの卒論のテーマにした。 それもあり、就職先が「ジャスコ」。
 その一期生と言えば聞こえはいいが、三社合併の先兵として、合併先の矛盾の先頭に立つのが役割。そして一年で辞職、
 産能大に編入し、その一年後に金沢を中心に衣料店チェーンを展開していた「いとはん」(後にジャスコに吸収合併された)
 に一年半、勤務した。フィールドでの、ジャスコ、いとはんは俗にいう修行。 その産能大時代に、三番目の姉の家の二階に
 居候させてもらった。 絵に描いたような話だが、その姉が貸家として千葉市郊外の5万人ほどの新興住宅地の千城台に、
 貸家を持った直後だった。 姉、曰く、「ここは、数年で土地の値段が数倍になる。もうじき団地の真ん中の四つ角が格安で
 売りに出される。あれは絶対買い得。」 そして、暫くすると新聞広告に売り出し広告が出ていた。 千葉県土地供給公社が、
 「大規模団地を造成し、購入希望者の抽選会を公開で行い、当選者に売却」とあった。 外れて元々と、申し込みをして、
 公開抽選会に行ってみた。 そころが5倍と10倍の競合だった二箇所のうち、5倍だったところが当選したのである。
 そこで実家に帰って父に告げると、にべもなく、ノー。「明らかに数年で二倍になる権利を捨てることはない。私に買ってくれと
 いうのでなく、会社名義で買うべきだ」と三日間、朝から晩まで父に張り付き、イエスの返事をもらった。もちろん会社名義である。
 その売却条件が二年半以内の建物の着工。現場での一年だけの現場経験では、まだ精神的体力が足りないのは自他とも認めるところ。
 あと二年の経験が必要と当時、厳しさで知れ渡っていた金沢の「いとはん」に二年の条件で入ることになった。その後、そこで
 私が何か事業を立ち上げる前提があった。 成る程、「いとはん」は聞きしに勝る厳しさ。西友の資本傘下に入った直後で、
 社内全体は動揺の渦の中。 金沢は加賀百万石の気風があり、気位の高さと、どんよりした暗さと、人間味の深さがある独特の空気。 
 男は武士顔、女は京都顔。何ともいえない味がある。外づらは良いが、内づらはウワサ社会の城下町である。社内は、被占領会社の
 惨めな空気がドップリと浸かっていた。 そして色いろあった一年半後に、実家の姉から「父が末期ガンで、あと一年!」という
 知らせが入った。 20歳の時に創業人生を決めてから、この瞬間までが、「創業の準備期間」になった。 振り返ってみると、
 激しく厳しい経験だったが、全てが合理的。 特に、産能大の一年は勉学と、千城台の土地購入は人生を大きく変えることになる。
・・・・・・
3650, 精神科医師の幸福論 ー2
2011年03月24日(木)
 * 精神科医師の恋愛論とは?
 ーなるほど、面白い恋愛論である。まずは、その箇所からー
≪ 昔ならば片思い程度で済んでいたものが、スターの追っかけやストーカーと派手になってしまうのは、今の「自分」への不満が
それだけ強く、相手を脱自の手段とすることに躊躇がないからだ。 ・・・・ 恋愛とは、本来、相手の幸福を願うことであるから、
〈お互いが、人生を満足できるように親切をすること〉と定義すると、ここでも、◆檻韻互いの人生が満足のゆくようなもので
あるように望み、手助けすることと、◆治押,互いが人生に満足できる人間になることを望み、手助けすることのふたつの領域が
あることになる。しかし、恋愛では、先に述べたように、新しい自分になって、見るもをの聞くものが新鮮になるという脱自が
起きなくては、それこそ恋愛という感じにはならない。つまり△海修、恋愛の本質的な領域だということになる。
それはどういうことかというと、,痢▲廛譽璽鵐箸鯊り合い、おいしい食事を共にし、一緒に旅行・映画に行き、楽しい会話をする…
といったモノ・コト(経験)の数々は、それだけでは恋愛にならないということで、実際、以前の時代は、相手がこの種のサービスを
提供しようとすると、賢い女性たちは、「あんまり甘やかさないで下さい」と断ったものだった。
次に△領琉茲呂箸いΔ函△海譴泙燭佞燭弔△辰董↓◆治院,蓮一緒にいると、(自分ひとりでいるよりも)のびのびとでき、
リラックスできるというようなこと。ここでは、のんびりと二人で町を歩いて回ったりすることに象徴されるように、
かなりはっきりとした幸福感のようなものが意識されていて、それは結婚を決意するときの理由に「一緒にいても気を
つかわないですむから」とか「彼といると、寛げるんです」というのが多く挙げられることからも分かる。
それに対して、◆2の領域の、二人が互いに高めあうというのは、今は、全く人気がない。 というのも、人生の課題を
達成して自分を高めるというのが、たとえ恋愛していようが、相手から干渉されてはならない個人の最も重要な領分だからである。≫
▼ 愛・恋は自我の変容でしかないが、 ↓◆檻院↓◆檻欧隆屬罵匹貽阿ところが恋愛心理なのだろう。年齢によっても変化をする。
 この視点で、色々な恋愛をみるにつけ、それぞれの歪みが見えてくる。その歪みこそ、恋愛の恋愛の所以になる。
・・・・・・・
3285, 人みな骨になるならば ー4
2010年03月24日(水)
  *文化・文明は「裸のサル」を守るカプセル
 ー まずは「文化:文明はサルを守るカプセル」説の部分を抜粋してみる ー
 文明の総体は全て物質的な鎧にすぎない。だいたいにおいて物質的な侵害からは防いでくれるが、それでも疫病や
事故といった不運を増やすことも減らすことも在る。 ・・サバンナの頃の不運は減ったが、大都会に住むことに
よる不運がとって変わっただけである。 幸いなことに文明には文化といった非物質的な相棒が付き物だった。
つまり、我われは文明という即物的なカプセルとともに、文化という精神的なカプセルにも守られている。・・・  
「疑似環境」こそが文化に他ならない。ヒトと宇宙の間には文明や文化という疑似環境が作られるのだ。文明も文化も、
第三惑星に棲息する弱々しい「裸のサル」を守るために、そのサルによって分泌された粘液性のカプセルであった。
しかもカプセルの一部がこのサルの自我なのである。人間集団は自ら分泌した文明と文化というカプセルにより自らを防御する。
なによりもまず寒暑、飢餓、外敵などからわれわれを守る。いわば人類の生命線を守っている。また人間の心理が物理的宇宙から
浸蝕されていくのも防ぐ。 いわば宇宙と人間のインターフェイスであり、人類の守護神である。
それほどの守護神が宇宙の冷淡さや不条理から、われわれの心理を守らないはずがない。われわれ人間集団の内部に、
それなりの合意が得られそうなルールが誕生する。掟、タブー、戒律、法その他である。これらによって、
われわれの集団内部に限って理不尽は最小限に磁められることが期待される。だれもがゆえなく害せられてはならず、
また一定の手続きによってのみ加害者は処罰されるようになる。かくして法治国家のもとで暮らすかぎり、
社会生活の上で勧善懲悪や信賞必罰といった道理がおおむね通用するようになった。
 ▼ 「文明も文化も、第三惑星に棲息する弱々しい『裸のサル』を守るために、そのサルによって分泌された粘液性のカプセル。
 ・・・ いわば宇宙と人間のインターフェイスであり、人類の守護神である。」というのは言いえて妙である。
そんなものに一々汲々とするな、というのも肯ける。 所詮そんなものは、人間世界の中の通貨のようなもの。
神も、文化・文明も、人間が共同幻想でつくり上げた分泌物でしかないのは、身近な故人の脳をイメージとして
透してみれば明らかのこと。映画の「猿の惑星」の文化・文明と、人間のそれはドコが違うというのか。
 ・・・・・・・・・
2910, 閑話小題 
2009年03月24日(火)
 * ジュンク堂が大日本印刷に買収だと
 数年前に新潟駅南〈裏)に大型書店チェーンのジュンク堂が出店した。御蔭で、隔週は必ず行くようになったが、
それでは買うかというと買わない。面白そうな本をメモを取りアマゾンで買う。持ち帰るより、年間送料契約2千円を
払えば後は幾ら注文しても送料はかからない。それと一度冷静になれるので、衝動買いを避けることもできる。
   (字数制限の関係でカット2,012年3月)
  * パーク24が「マツダレンタカー」を買収
   (字数制限のため、カット2010年3月24日)
・・・・・・・・
2546, パリ高級娼婦館女主人の告白 −4
 2008年03月24日(月)
やくざや娼婦の世界にも階級がある。差別だけは人間の性なのである。
弱肉強食の世界では、ついて回ることと割り切るしかないのか。
  *やくざと娼婦の階級
 やくざ社会の人間たちは、自分たちの行動をさして自覚もせず、大きな子どものようにふるまっていました。
 彼らはグループに属し、その中で権利と義務を持ち、名誉の掟`というルールと階級を重んじていました。
 ・階級の一番上には詐欺師、
 ・次に力自慢の暴力分子(カツアゲ・・・)
 ・そして一番下に売春婦のヒモがいました。 ヒモたちは、さらに自分たちの女が勤める場所別で、
  それぞれの階級に分かれていました。ドレーヌ寺院の界隈、オペラ座界隈、ブロデル通り界隈といった具合に。
 ・犯罪者の最下級は強姦犯でした。
(字数制限のため、カット2011年3月24日)
・・・・・・・・・・
2007年03月24日(土)
2181, 「ライオン 空前の王交代劇」       オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 NHKハイビジョン特集「ライオン 空前の王交代劇」(2007年 3月21日 午後8:00〜午後9:32)
これが非常に面白い内容で、アッという間に90分が経ってしまった。ケニア・タンザニア・南アフリカのサファリに5回行き、
ライオンの群を多く見ていたた。(翌日は同じ時間帯で、像の群れの物語を放映していた。 場所はタンザニアの
セレンゲッティー国立公園の「マコマ・ヒル」という名の、小高い丘の一帯である。 総勢40頭を誇ったライオンの群れの
「王」ショーンとパトリックが、突然に行方不明になった。 在位7年というから長期政権だった。群れは新しい王が必要となる。
そこでオスを呼び寄せ誘惑、新たな王として相応しい雄の値踏みをする。この番組は、その王交代劇を克明に伝える内容である。
メスは子供をつくり最後まで育て上げるため強いボスを必要とする。ライオンの群れは血縁関係を持つメスと子供から成りたっていて、
普通は2頭の兄弟雄が「王」として君臨している。群を組んだ放浪ライオンの対抗上、二匹のボスでなくてはならない。 
これが他の動物と違うところである。 グループの大きさによっては一匹もあるが。2006年、二匹の「王」の行方不明で
群れは大混乱に陥り、群は3つのグループに分かれていた。
・まず幼い子供たちを持つ母親たちは、侵入して来るオスを避けて群れを離れた。新しいボス候補が前の王の子供を殺すからだ。 
 最終的に、このグループの子供は殺されたり餓死で一匹もいなくなっていた。
・次は子供を持たない若いメスのグループで、においと声で積極的に新しいオスを呼ぶ。
 そして思わせぶりな態度で誘惑し、オス同士を闘わせて値踏みを始める。
・最後は、年増の子供がいないグループで、最後まで様子をみている。
グループの周辺にも、幾つかの群の放浪雄がボスの座を狙い徘徊している。
メスは新しい王を選ぶ時は、非常に冷静な判断をする。強くなければ産んだ子供が新しいボスの子殺しにあうからだ。
この番組の圧巻は、最後に決めるギリギリのところで、隣のグループの王を誘って、決めかねている雄と決闘させる場面である。
二頭は数時間もかけて闘うが、最後はその雄が勝利する。メスは、新しい候補の雄の年齢や、健康、たて髪の大きさなどを
冷静に見極める。候補が何匹も現れるが、適任でないとグループに拒否されスゴスゴと引き上げる。
このあたりは人間と同じである。女性の場合は相手に大きく左右されるからだ。男より数段も冷静に相手を見定めるのは
女性の本能として仕方がない。 これは男とて同じだが、家庭は男の稼ぎが大きな要素をしめるから、やはり女の方が相手次第による
要素は大きい。 但し何ごとも例外があるが・・・ そういえば10年以上前になるが、やはりNHKの特番でライオンとリカオンの
群れと、群れとの争いを克明に放映していた。 あの内容も、迫力のある殺気立った内容だった。  (○´・д・)ノ  バイバイ!


4756,閑話小題 〜スポーツセンターの景色

2014年03月23日(日)

    * スポーツセンターの景色
 スポーツセンターに通い始めて3年になる。中学、高校の同級生数名が来ているが、時間帯が違うため、あまり顔を
合わせることはない。色いろなコースがあって、フルコースが8100円(税抜)、デイコース10〜17時が5500円(税抜)、
他にもペアーコース、夜間コースなどがある。 私が通っているのがデイコースで、金曜日定休と、日・祭日が不可である。
 閑散の時間帯が12時から14時で、13時前〜15時前が私の滞在時間である。デイ会員の時間帯は、30〜60歳代の中高年の
女性が過半数以上を占めている。その他は、リタイアーの初老から、夜勤の仕事の人、夜間高校生、スナックのママさん
風の人をみかける。おお方、群れる人と、ソロの人が分かれ、私はソロ。見知らぬ人との何気ない世間話が私は苦手。
そのため学校関係と仕事関係の知人と挨拶をする程度。ジムで顔見知りの人とは殆ど挨拶も会話をしないで、自分の決めた
コースを消化して、帰ってくる。それでもスポーツクラブの雰囲気が、明るく開放的で気に入っている。 
  私の通っている『ホリデイ』のキャッチコピーが『遊ぶ、楽しむ、フィットネス』 
《身体を動かすことの楽しさ、汗をかく爽快感を求めていて、「楽しく体を動かしていたら、知らない間に効果が出ていた」
というような、初心者や運動が苦手な人が気軽に楽しめることをコンセプトとした店づくり》 とあり、そのままが雰囲気
として現れ出ていて、私にはベストのシステムである。早朝から、読書、パソコンなど、独りで、決まった日程を淡々と
こなしている中、人いきれの中でのエアロなどの共同動作が気持ちを和らげる。 ー以下はホリデイHPの紹介文ー
【 従来のスポーツクラブはどちらかと言えばアスリートやスポーツ愛好家をターゲットにしてきたが「当スポーツクラブ」
 は競技力や技術力の向上を目指すのではなく、運動本来の「楽しさ」を伝え、運動を通じて「健康」になってもらうことを
第一に考えています。「ホリデイスポーツクラブ」が目指しているのは、会社員が会社へ行ったり学生が学校へ通うように、
「ホリデイスポーツクラブ」が人々の日常に溶け込み、継続して毎日楽しく適度に体を動かしていただくことで多くの人々が
健康になっていくことです。『遊ぶ、楽しむ、フィットネス』をキャッチコピーに、まずは体を動かすことの楽しさ、
汗をかくことの爽快感を多くの方に知っていただき、「楽しく体を動かしていたら、知らない間に効果が出ていた」と
言っていただけるよう、初心者や運動が苦手な方が気軽に楽しめることをコンセプトとした店づくりに取り組んでいます。】
 自宅から車で3分のSC内に、月に6千円足らず(20日間として、一日に3百円)とすると非常に価値がある。
・・・・・
4389, 「うつ」かもしれない ー4
2013年03月23日(土)      
   * 「うつ」による自殺    ー「うつ」かもしれないー 死に至る病とどう闘うか 〜磯部潮著
 自殺の八割が精神疾患になっていて、その六割がウツ病。何と自殺者の半分がウツ病による。自殺は一昨年まで10数年間、
3万人を超えているが、実際は4万と推測される。ということは二万人がウツ病による自殺をしている恐ろしい病である。
もし原発の被爆で毎日55人が亡くなったとしたら、外国人の大方は即刻、帰国するはず。それが何故か、ウツ病に対して
騒がない。ガンと同様に初期発見・早期治療をすれば大部分が治るのに、それには疎い。
「ウツ」による自殺を促進する最大の因子は「視野狭窄」という。 絶望感にとりつかれ、「自分は絶対に治らない」
「治ったところでどうなるのだ」という考えにとれわれ、結果として死にたくなる。全ての人に心を閉ざし苦しむ。
前の会社の取引先の営業が高校の後輩もあり懇意にしていた。 ところが、責任者になって暫くすると重い躁鬱病になった。
その過程で、私のところにも相談に来ていた。 私が、「躁鬱は、あくまで病気の一つ、恥ずかしがることはない。医者に行って
治療すれば回復する。ただし放置したりすると手遅れになる恐ろしい病」と、再発する都度繰り返し説いていた。そのうちに、
会社の役職を降り、平社員として営業を続けいていたが、最期は癌で亡くなった。
 親戚の人の自死の葬式に参列した時に、誰かが「何で自ら死ななければならないのでしょうね」と囁いたところ、「死ぬほど
苦しかったためですよ」と、誰かが答えたのが印象に残っている。 心も治療しないで放置しておけば、傷口がタダレて苦痛は
耐えきれなくなるが、第三者は全く気づかない。数年前、幼馴染が倒産、離婚、引きこもり、アル中で崩壊していく過程をみた。
最後は娘の住んでいる県外に行ったが、壮絶そのもの。幼児期から、このような話を聞かされ育てば、万一に備えるのは当然。
ウツは、その知識と前向きの心(言葉)の習慣化が必要である。心は壊れやすく、儚く、繊細。 だから大事に扱わないと!
・・・・・
4015, 閑話小題
2012年03月23日(金)
   * つれづれに
 変わりばいのない日が続くが、それも良い。 首都圏、特に東京の下町に住む人たちは、直下型地震で不安だろう。
震度7は、観測以来、神戸震災と中越地震と東北大震災以外に起きたことがない。そのため大都会の直下型の場合、なすスベがない。
引っ越す決断も下せないし、下町の人ほど都会っ子の軽さも重なって長野、高崎、新潟に住むのは都落ちという惨めさが強い。
 私が東京在住だったら、一年以内の引越しを考える。 勤務が東京で仕事上、難しいなら大宮か熊谷に引越し、そこから通勤する。 
夜間か土日の直下型地震の場合は被害を免れるのでリスクが半減する。 家族のリスクが半減する上に、帰る家が残る。
 ところで去年の今頃は、会社の閉鎖を決定、無我無中で整理の手順に入っていた。同時に東北大震災と、原発事故が進行中で、
非常事態の刺激的な日々。 何ごとも動き始めると、次々とすべき手順が現れ出てくる。 決断を少し早めると打撃は半分で済むが、
少し遅れると二倍になる経験則を持っていたため、マイナスエネルギーの重圧は4分の一で済んだ。止め時は、あの三月末しかなかった。 
 べき時に、べき決断をして本当に良かったが、奇しくも30周年記念日の前日に会社消滅とは・・・ 
   * ウドンの素
 自宅での昼飯は大方、カレーか冷凍の讃岐ウドンかキシメンかチャーハン。 冷凍ウドンとキシメンには、私が業務スーパーで
買ってくる「ウドンの素」を使っている。 ところが先日のTVで、このウドンの素が多くの下味に使える料理の紹介特集をしていた。 
鍋の下味、味噌汁、生ラーメン、チャーハン、生卵、卵焼き、炊き込み飯、などが格段に美味しくなるという。ウドンのダシといえば、
昆布とカツオとの混合。それが素なら、ウドンダシ以外に使えて当然。 何ごとも、その枠を取り払うと、色いろ応用できる事例。
家での隠し味は昆布の出汁を使っているが、それにカツオ節を混ぜれば同じ? 以前、「ホテル・レストランショー」で、カツオ節を
粒状にしたダシ専門会社が出店していた。 ウドンの素をを納豆にかけてみたら、なるほど美味い。色いろなフリカケがスーパーに
並んでいるが、隠し味の素のネタが、あるはず。春の高校野球を含めて、サバンナもサバンナ(日常生活)なりに、面白いことだらけ。
 ・・・・・・
3649, 地震 ーつれづれに ー10
2011年03月23日(水)
   * 日本経済がどうなるのだろうか?
 リーマンショックで死に掛かっていた日本経済は今後どうなるのだろうか? 
  ● まずは聞き及んでいる危なそうな話。
△ 地元のNSGなどの専門学校と、新潟大学などが卒業式と入学式を自粛。そのため稼ぎ時の美容室とホテルが大打撃。
△ 優先的に被災地が優先されるため、地元業者への建材の入手が困難になり、経営の根幹に関わる問題になっている。
   物から人へと民主党の政策のため、今回のような震災になると重機の絶対量が国内で激減。
   このような事態になると民主党の政策そのものが否定されたことになる。
△ 公務員の期末、期首の移動の歓送迎会が殆ど中止勧告。この時期に、当てにしてきた飲食店も大打撃。
   駅前などの繁華街は閑散としており、入店客は皆無の状態。
△ 注文していた商品が入荷したと家電チェーンのジョーシンから電話があったが、
   「節電のため、午後一時からの営業時間」という。学生が上京などで家電を揃える時期にである。
△ IT化で出張などが激減している上に、日帰り圏の地方の駅前ホテルなどが大打撃を受けている上に、これ。厳しさが身に沁みる。
△ 高校野球の特別枠の佐渡高校では応援団を出さないことに決定。
△ この震災は12〜16兆円の直接損失というが、間接損失を含めると、その何倍になる。
   国民総生産はマイナ10数パーセントの可能性がある。
△ 東北・関東の農業、牧畜は雨などの水で汚染され、壊滅状態に。
△ 計画停電は夏まで続く上に、ガソリン不足が経済の足を引っ張る。ピークの夏では25パーの電力不足になる。恐ろしい限り。
・・・・・・・・
3284, リーマンブラザーズ、最後の4日間
 2010年03月23日(火)
この三連休は、家で大相撲やプロ野球、そして録りだめていた映画を見てすごした。
その中で「大暴落 サブプライムに潜む罠」の続編「リーマンブラザーズ 最後の四日間」を二度みてしまった。
実録的なドラマ仕立ての内容だから緊迫感が満ちていた。多くの本やNHKのドキュメントを見ていたため、
引き込まれてしまったのだろう。ギリギリまで何とか救済されると思っていたリーマンの重役達の姿がリアルである。
 ー まず「リーマン・ブラザーズ 最後の4日間」の解説をW0W0WのHPからー
世界金融危機を象徴する、米国の大手証券会社リーマン・ブラザーズの崩壊。それまでの舞台裏を、実話に基づいて描いた
英国発ドラマ。歴史に残る4日間を再現した衝撃作。2008年秋に始まった世界金融危機を象徴するリーマン・ブラザーズの崩壊。
それに至るまでの内幕に迫った英国のTVムービーを《WOWOWプレミア》で日本初放送。 世界金融危機からほぼ1年後の
09年9月に英国BBCで放送されたばかりの最新作だ。 2008年9月12日の金曜日。NYのタイムズスクエアにある
リーマン・ブラザーズの本社に激震が走る。 米国第4位の規模を持つ証券会社・投資銀行であった同社だが、
前年に発覚したサブプライムローン問題の影響で、同年6〜8月期の純損失が39億ドルにも達したと判明したからだ。
それから同社が倒産するまでの4日間、同社の経営陣は合衆国政府などに救済を求めながら何とか社の延命をめざしたが、
同社の株価の急落を止めることはできなかった。 しかしその背後には金融界や米政府を含む様々な思惑がうごめいていた…。
実話に基づき、歴史に残る数日間をリアルに再現した衝撃の実録ドラマだ。
 ▼ メルリリンチ社社長とバンク・オブ・アメリカの社長の買収交渉の株式買取の値段交渉の場面がシビアである。
 当時の財務長官のポールソンがアメリカの金融機関の長たちと難局を協議する場面も圧巻。
 ポールソンが、リーマンを見放したときの言葉、「何処から倒れるかだ、まずリーマンが倒れただけだ」が印象的。
・「人は99パーセントが動物で、1パーセントが人間。その一パーセントで変になってしまう。
 しかし貴方たちは、その逆と思っていないか?」
(字数の関係でカット2012年03月23日)
 ・・・・・・・・・
2909, 寝入る瞬間を経験したことがあるか? −2
2009年03月23日(月)
 学者・マギー著「哲学人」が、自宅近くの長岡中央図書館にあった。
この本の冒頭に、5歳の頃に「寝入る瞬間がわかるかでどうか」を3歳上の姉に聞いたところ、
「そんなことを憶えている人がいるわけがないでしょ」と軽く言われ、そこで自分の眠る瞬間を見張っていたが、
出来なかったという。 それをキッカケに7〜8歳の時に指を見つめて一本ずつ曲がるかどうか試したら、
一本ずつ曲がったのを驚きの目で見つめたという。 そして10歳では・・・と、身近な疑問が次々と起こってきたという。 
400ページの分厚い本で上下巻あったが、30分ほど図書館で「寝入る瞬間の経験を何故できないか」の部分を調べたが、
調べた限りではなかった。 これは簡単に論証するには至難ということである。 カント哲学の分野ということだろうか?
 前回、軽くその答えを書こうとしたが、訳の分からない内容になったのは当然のこと。 マギーが、その後の人生で
寝入る瞬間の経験をしたことはなかったようだ。もし経験していれば、正直にそこで書いているはずである。 
それを経験したことのない人や、哲学的に「寝入る瞬間を経験することが不可能と論証された」を信じる人がいるとしたら、
私の経験はウソと判断するはず。しかし、私は間違いなく、その瞬間を経験したのである。数十分の一か、
数百分の一の刹那であったし、それは夢ではなかった。「あ、見た!」という感覚を今でもはハッキリ記憶している。
 マギーが「寝入る瞬間を何故、経験できないか」の論証があるとしたら、如何なる論か推測したが、
あまりの好い加減と恥じて、それならと懲りずに考えたみた。こと、この件に関して私は実際の経験をしているのであるが、
そうであれば、この大哲学者より私の経験が優っている。それなら、もし彼が好い加減な論の推測を気楽にできることになる。 
  ーその後の推論は次のようになるー
「寝入る!と思って寝れない。ということは意志では無理である。意志の奥にある無意識が引き込む世界で、意識の世界で
コントロールは出来ない。その瞬間は膨大な無意識の世界が意識を無に引き込む刹那な瞬間であり、それは意識は捉えるには、
その瞬間はあまりに短い。その瞬時を見るなどありえないほど、膨大の瞬時の集まりが大きい。 更にいうなら、無意識
(寝入った世界)が引き込む精神作用は意識世界の作用でコントロール出来るほど浅くはないのは経験済みである。
その瞬間を見るのは、神の姿を見るのに等しいといってよい。無意識とはそれ位、生物の膨大な記憶が刻印されている。・・・ ー
 こんなところだろうが、好い加減なことは大して違いがない。「神の姿を垣間見た」と類推するのは、言い得て妙だが。
・・・・・・・
2545, パリ高級娼婦館女主人の告白 ー3
2008年03月23日(日)          ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 女主人の一番の栄誉が、J・F・ケネディが館に来訪したことだろうか?
当時、こういうことを言ったら消されただろうが、時間の経過で身に危険がないと判断したためだろう。 
真偽のほどは解らないが嘘までデッチあげないだろう。所詮ズボンから下のことは、こんなものだろう。 
政治家は言葉である。国民に方向をしっかり告げて、底からエネルギーを沸かせればよい。
ともかく、この本、どの部分を読んでも、具体的でおもしろい!
 ーー
ある朝、私はアメリカ大使館から電話をもらいました。「VIP(大変重要な人物)が今、パリにおしのびで
いらしていますが、最高に品格のある女性をと望まれています」その話し相手はつけ加えて言いました。
「彼に、その女性があなたの館から来たということを、知られてはいけません。
 私たちは彼女のことを、大使の友だちのマヌカン(モデル)として紹介します」
「まったく問題ございません。私のところにそういった場にふさわしいパーフェクトなイギリス女性がおりますので、
彼女を送ります」  翌日、娘はとてもエキサイトしてオフィスにやってきました。「クロード、大統領だったのよ」
「えっ、どこの?」と、地球の支配者達に、何の感動を覚えなくなっていた私は、ぼんやりと尋ねました。
(字数の関係でカット2011年03月23日)
・・・・・・・・・・
2007年03月23日(金)
2180, 14歳の君へ ー2    オッ(*^○^*) ハ?ヨウサン!
 ー 読書日記
ー勉学ー についてが、考えさせられる内容である。私自身、この歳になって学ぶことが、飛躍的に?伸びている。
何ゆえかというと、知った分だけ自分が広がっていく実感と、充実感がよいから意欲がわくためである。
それと、このHPを持ったことも含め、情報環境が飛躍的に良くなったことである。 この20年近く秘境・異境に行きつづけて、
大自然や異境の文化・文明との出会い、感動を重ねている感覚に似ている。ツアーと旅とは似て非なるものである。
それぐらい解っている。旅は目的地そのものへの到達と、そのプロセスを味わうもの。その困難性やハプニングの中こそ、味わいがある。
ツアーはプロセスを楽しむが、それは企画された範囲である。企画側のストーリーの中での、危険を最小限度に抑えて楽しむ遊びである。
しかし一つの事例として、北スペイン「パンプローナ牛追い祭り」の二週間のバスツアー。旅なれない個人の企画の旅より、
20人位の人が大型バスを一台借り切った方が、効率が良い上に、最大限の観光が可能となる。またケニア、タンザニアなど個人では
危険があまりにも多すぎる。そこで仲間を集って経費を合理的に使う、これが現在のツアーの価値となっている。
勉学と少し話が違うようだが、自分の中の知識・見識の蓄積ということでは同じである。 勉学の目的「賢くなるため学ぶ」ことである。  
目的(地)は賢くなることで、良い学校を出て、良い会社に入ることではない。良い学校・会社に行けば、賢いやつが多くいるから、
賢さの意味や手法・手順が身に付くが、しかし目的(地)ではない。そのプロセスこそ重要という面で旅の道程を楽しむことに似ている。
 ー考えさせられた箇所を抜粋してみるー
  ー「14歳の君へ」から
 P-60 「勉強ができる」ということと、「賢い」ということは、違うことだとわかるだろうか。
君たちが普通、「あの人は勉強ができる」と言うとき、たいていそれは「成績がいい」ということだね。だけど、「賢い」というのは、
そういうこじゃない。たとえば、なぜ言葉というのは、そんなふうに活用するものなのか、なぜ活用することで言葉の意味は変わるのか、
そういう問いをもっていることだ。問いをもって、自分で考えていることだ。あるいはローマ帝国の本を読んだとして、
なぜ帝国は滅んでしまったのだろうか、滅ぶということは人々にとってどういうことだったのか、そういう問いをもって、
それを自分で考えることだ。教わったことについて自分で考えることことだ。君は授業で教わったことを自分で考えたことがありますか。
  P-65(字数の関係でカット2009年03月23日)


4755,そんなに長生きしたいですか ー7

2014年03月22日(土)

                『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
    * 早いーうまいー安いー
  現状の終末医療の現状を知れば知るほど、恐ろしくなる。以下の内容が現実である。
《 ある医療講演会で、こんな話を聞きました。「早い!うまい!安い!」という看板のスライドを見せて、これはある
牛丼屋の宣伝文句ですが、うしろに「治療」という言葉をつけると、そのまま病院のキャッチフレーズになるというのです。
たしかに、早い治療、うまい(上手い)治療、安い治療は患者にとって最良のもの。講演者はさらに続けて言いました。
「『治療』の代わりに、「死」という言葉をつければ、今度は理想の末期医療になります」
早い死、うまい死、安い死というわけです。なるほど、うまいことを言うなと、私は感心しました。・・・
その発想だけでは現実は立ち行かない。患者はほとんど見込みがなくても治療を求める、医師は治療すればするだけ儲かる、
この状況では、医療費が膨大になって当然です。そろそろ冷静になって、現実をしっかり受け止め、無駄な延命治療から
死を支える医療に転換すべきではないでしょうか。
 死を支える医療は、よけいな治療をしません。医療費が安くなれば、患者側も自己負担が少なくてすむし、国民の医療費も
削減されます。これで困るのは、無駄な治療で収入を得ている医師だけでしょう。早い死というのは、患者を見捨てることで
ありません。苦しむ時間を短くするという意味です。病気や老いと闘いながら、精いっぱい生きてきた人も、死が近づくと
どうしても衰弱します。食事や排泄などが自力でできなくなり、これ以上生きることの意味が見出せなくなってしまいます。
それを理想主義的な励ましで無理にがんばらせたり、延命治療で長引かせるのは残酷なことです。死は自然の成行きですから、
どこまでも抵抗するのは不毛です。極論かもしれませんが、死が避けられない状態になってから、少しでも長くとあがくのは、
手遅れだと私は思います。そうなる前に時間は十分あったはずです。・・・ 》
 ▼「終末期医療費が全老人医療費の2割を占める!とか、国民一人が一生に使う医療費の半分が、死の直前の二ヶ月に
  使われる!」という報告があるという。だから、医療側からすると、可能な限り生かしておいて方が良いことになる。
 生かしておいて拷問の苦しみを与え、その治療費を膨大に絞るとる末恐ろしい現実が、そこにある。末期ガンは、どのみち
 助からない。だったら死をサポートする医療があるべきである。これでは入院前に、青酸カリか、致死量の睡眠薬を準備を
 しておくべきと、考えてしまう。そう簡単には、死ねないのである。 良くも悪しくも死ぬまでは生きている。死ぬのは
 挫折でも、何でもない。目出度いことなに、何で延命をするのか、それが利益のためなら、犯罪的システムではないか。
・・・・・・
4388, 「うつ」かもしれない ー3
2013年03月22日(金)           
   * ウツの治療       ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか 〜磯部潮著
 ウツ症とウツ病の境は、日常生活に支障をきたすかどうか、軽症か重症かは、「死にたくなる度合い」がが目安という。
逆にいえば、それだけ苦しいのである。 身近にも自死した人が何人かいる。共通しているのは、真面目で、几帳面、感情は
表に出さず、周りの人を思いやる心優しさがある。また、考えに弾力性がなく、自分一人に固まっている。 こういう人が
暴発すると秋葉原の無差別殺人のようになる。私がウツ病に何で興味があるかというと、人間の原点が、見え隠れするかである。 
人生は生易しくはない。要は難題への対処である。息をつくところがないと、ストレスが蓄積していく。ウツの治療には、
「薬事療法」と「認知療法」がある。薬事療法は、医者と相談して症状にあった薬をみつけ最小を前提に治療すること。
それに対し認知療法は、ウツの人の持つマイナス思考、悲観的考え方を修正するスキルをいう。私は昔から、その類の本を
身近において常に手に取ってきた。その一つに中村天風の一連の「積極一貫」の哲学の本がある。これは本当によい。
 ウツによる歪みが固定化されると、「視野狭窄」に陥り、自殺の危険性が出てくる。だから普段より予防剤として、少し
気持ちが落ち込んだとき手にする習慣をつけておくとよい。この本にある、「「5つのコラム」も心のコントロールによい。
1枚の紙に5つのコラム(欄)を作って、何か問題が起きたときの状況や自分の考えを書き留めていく方法で、
頭であれこれ考えるよりも、冷静に客観的に検討することができる。
5つのコラムのうち、(状況、感情、自動思考)の3つは、自分の「認知のゆがみ」をはっきりとさせるのに役立つ。
あと2つのコラム(別の見方・考え方と最終的な心の変化)を合わせて書いていくことで、「認知のゆがみ」を直すに役立つ。
 第1コラム 状況(気持ちが落ち込んだり、不安になったときの出来事)
 第2コラム 感情(不安、怒り、悲しみなど))
 第3コラム 自動思考(不快な感情を経験するときに心に浮かんだ考え)
 第4コラム 自動思考とは別の見方・考え方
 第5コラム 最終的な感情と考え(心の変化)
ここで詳細を省くが、ネット検索で「5つのコラム」で調べると、事例が数多く出てくる。 著者は、日常生活での日々の
習慣づけは大変なので、第三と、第四だけを頭に思い浮かべるシュミレーションを薦めている。書いるうちに自分の思考の
癖が見えてくるだけでも効果がある。心は荒馬のようなもの、時間と愛情をかけて乗りこなしていくしかない。
 ・・・・・・
4014, 事業生活39年の、独り語り ー3
2012年03月22日(木)
    * 武澤ゼミ (20歳の頃 ーある教授との出会いー3)
  高度成長の真っ只中、創業人生が面白そうと20歳の時に思い立ち、色いろの教授に触発された。その最大の恩師が、
 人事管理の武澤教授である。その後も、ゼミOB会に2〜3年に一度は参加していた。10年ほど前に亡くなられた。
【 1024, 22歳の日記−2    ー武澤ゼミについて
  何度か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと寮とクラスメイトなどの過去4年間の友人が、
 ほとんどを占めていた。その中で武澤教授の影響が大きいことが、当時の日記からうかがい知ることができる。ゼミでは、
 一週間前に社内トラブルの事例(ケース・スタディー)の用紙を渡される。その間に対処を考えて、全員で徹底的に議論をする。 
 その後、その事例研究のベストの答えの用紙を見せられる。そこで私たちの出した結論と、その差異について更に議論をする。 
 また二班に分かれて、それぞれが議論した結果を持ち寄り、互いに議論する。その結果、知っている限界の知識と体験をもとにした、
 それぞれの地言葉(赤裸々)の議論になる。 教授は要所要所以外はほとんど話さないで議論の推移を聞いている。
 考えるヒントを与え、議論を通して「考えること」を促す。そして「考えることは如何いうことか」と、一歩踏み込んでいく。 
 そこに各自の知識不足を自ら気づく仕組みになっている。当時の日記を写して気づいたが、ソクラテスの「対話法」の真理追究を、
 そこで体験させていたようだ。 素朴に深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせるのが目的。対話の訓練が友人に
 受けたのだろう、卒業まじかに多くの友人が私に集中してきた。誰もが卒業という節目で迷っていたからである。 
 武澤ゼミで学んだことは、社会に出て、事業の組立てなどに非常に役に立った。冷静な事実の把握と、仮説の積み上げと崩しの、
 繰り返しの中で計画の練り上げをしていくのと酷似していた。要は地頭で考える訓練であった。 】
  ▼ 振り返ってみて、事業人生で学生時代の3人の教授と、コンサルタントの渥美俊一に大きな影響を受けていた。
   渥美コンサルタントは、カリスマ的流通革命の指導的立場にいた。 学生時代に、鈴木教授に「意志」の自覚。
   野田教授に「統合(経営)」。武澤教授に、「分析(冷静)」を学んだことになる。
   独り総括をしていると、「私の人生は結局は何だったのだろう?」という、基本的な問いが、立ち上がっては消える。 
   人生など何の意味(価値)もないこと位は分かっていても・・・  哲学を学生時代に、より深く追求しておくべきだった。
   それもこれも還暦過ぎれば、それがどうした!でしかないとしても。
・・・・・・
3648, 地震 ―つれづれに  ー9
2011年03月22日(火)
   * 日本経済はガタガタ
 TVで、新宿・歌舞伎町、新橋駅界隈、秋葉原、渋谷などの先週末の繁華街や箱根などのリゾート地の客の激減の様子を放映していた。 
魚河岸では7割も普段よりお客が激減しているという。 街は節電で、真っ暗で、放射能が漂っているかもしれない中、外食も買い物も
する気にもなれない。先週の長岡駅と新潟駅中専門店の店内には、お客の姿は皆無なほど見られない。
朝から晩までTVで、100年、1000年来の大震災の惨状や、原発の放射能漏れが報じられていれば、買い物や外食をすること自体、
後ろめたい気持ちになる。これが短期的現象ですめばよいが、そうはいかないだろう。 3月11日をもって日本は全く違う時代に入った。
比較的東北から離れている関西以南は、関東に比べて落ち着いているが、これも時間の問題。損害は12兆円というが、原発事故への
不安心理が景気にもたらす影響はあまりに大きい。 昨夜、自宅近くのイタ飯屋のサエゼリアには避難民のグループで満席であった。 
着の身着のままの服装が痛々しい。
   * 想定外の歴史的惨事に、あまり責任を追及しないがよい!
 この地震は想定外の歴史的大震災。原発がたまたま巻き込まれ本州全体が壊滅する可能性もある。政府対応が悪いとか流布されているが、
それより被害を最小に収めることが最優先にされるべき。その中で民主党が野党に協力を求めたにも関わらず拒否をした。 彼らは今だ、
この惨事に対する認識が薄い証拠である。現在の日本の稚拙な実態が、そのまま現れ出てしまったと言えよう。 
ここは災害大連合内閣で望むべきで、これで自民党は最期の命綱を自ら切り落としてしまった。 
数日内に自民党バッシングの嵐になる可能性がある。民主も酷いのは分かるが・・・ 
 ーー
3283, 人みな骨になるならば −3
 2010年03月22日(月)
  人生、60歳を過ぎて、そろそろと考えていた矢先に、この百年か五百年に一度の大恐慌である。
「最後のレッスンを神が与え給ってくれたのか」と気を取り直し取り組んでいるが、それでも弱気になると、
「自分の人生とは果たして何だったのだろうか」という原点的な問いかけが出てくる。
 一応、人生の課題は無難に? 解いてきたつもりだったが・・。  丁度、良いタイミングに
   ー「人生の課題」という幻想ー という言葉が飛んできた。  
  著者は私と同じ年齢で、9年前にガンで亡くなっている。 私の中・高校の同級生が、この10年間で何人も亡くなっている。
 その彼等の天国からの代弁とイメージをして読むと、なかなか味わい深い内容として聞こえる。
 死者の視線で見れば、人生の課題も何もかもが幻想でしかないのである。それが虚無ということ。
  * 「人生の課題」という幻想 ーの項目の一部を抜粋
 「時々、宇宙における自分たちの位置を思い出してみることで、我われを幻惑する我われ自身の分泌物たる通念を
 相対化してみるのは、どうであろうか。 『人生の課題』というのは一つの幻想である。
 事業といっても世間に流通している貨幣や評判を集めているだけである。
 国事に奔走するといっても、特定のサル集団と利害を共にしているだけのこと。マイホームの夢は巣作りでしかない。
 有名になることは多くの人に個体識別されるという意味である。もちろん、そうした目標は馬の眼の前にぶら下げる
 人参ほどの効果はあるだろう。馬が走るには、何らかの動機が必要で、少なくとも何かから逃げるといった走り方より、
 何かを目指した走り方が元気が出る。人参を追っている馬は、虎から逃げている馬より、幸せだろう。
 何よりも重宝するのは、このような鳥瞰的な視点を得ることは、われわれが『人生の課題』達成に敗れたり疲れた時に
 それを天空から鳥瞰して、それほど大したことがないと達観することを容易とする。どれもこれも宇宙の一大事にはほど遠い。
 われわれが失恋したり、事業に失敗して大騒ぎをすることも、宇宙から俯瞰すれば似たようなレベルでしかない」(p116)
ー幻想としても、目先の課題をキーワードに解決すること、それが「骨になる間」のお勉めでは?と、思うのだが。
 それも、これも、「衣食たって礼節を知る」が、あってこそ云えるのではないか。これも、幻想か?
  ・・・・・・・・
2908, 「ドレス」という名のクラブ?
 2009年03月22日(日)
 二年ほど前に、クラブの新規開店の案内と一緒に1千円の割引券入りの同封された封筒が手元にきた。
「ドレス」という名が印象的で、「同じドレスなら『赤いドレス』の名のほうがインパクトが強いのに」と
思いつつ、記憶から着えてしまった。 その一年後に、開店一周年記念の案内が再びきたのでチャンスがあったら
一度行ってみようかと思いつつ、これもまた記憶から消えてしまった。ところが、先日連れの人と居酒屋で飲んだ後、
何時ものスナックに向かって歩いていたら、「ドレス」が入っているビルの前で、そのことを思い出し、入ってみることにした。 
(字数制限のためカット 2012年3月22日)
・・・・・・・・
2544, パリ高級娼婦館女主人の告白 ?2
2008年03月22日(土)
ともかく内容が異世界である。だから面白いのだが。こういう人間のベース?の世界を、真っ只中の人物が書いているのだから、
一言一言が生々しく小説のようである。 特に性欲からくる人間的な本性がリアルである。人間研究という面で、顕わで可愛いが、
人間の一番、弱い側面でもある。 娼婦の後ろにヒモの存在が、あまりに悲しい。髪結いの亭主とか似たような男は周辺に幾らでも居る。
「娼婦に殆どヒモが居る」というのは始めて知ったが。こういう連中が都会には蠢いていて、鵜匠のように見えない糸を操っている。
 次の内容を少し脚色を変えた物語が、今でも現在進行中なのである。。
  *娼婦はヒモがつくる
彼女たちの大部分は、田舎からパリにお手伝いの口を探しにやってくるのです。
当時 ジュロと呼ばれていたヒモは、金持ちのようにしゃれた身なりで、彼女たちの到着を駅で待ち伏せしていました。
娘たちは小さなスーツケースを持って、ちょっと途方に暮れた様子で、プラットホームに降り立ちます。
手に雇い主の女主人の住所の書かれたメモを握りしめ、とまどっています。男は何らかの口実を見つけて、
娘たちに近づくのでした。こうして、娼婦獲得のため、お定まりの小粋なラブストーリーが始まるのです。
「地下鉄はあそこですよ。でも、その前にコーヒーでも飲みませんか」田舎の雌牛たちになれ親しんできた娘にとって、
都会のざわめきはいらつきを覚えます。カフェの中で初めて出会った男に自分の行く先を説明するのでした。
彼は驚いて 「へえ。君の行く先って、あの夫人のとこ,.」「あなたはその方のこと、ご存じなの?」
と、娘はさほど驚きもせずに尋ねます。「もちろん、彼女を知らない人なんかいないよ。
   (字数制限のためカット 2011年3月22日)
.......
2007年03月22日(木)
2179, 親の仕送り       才八∋ウ  _〆(∀`●) 
 先日の新聞に「首都圏の私大に昨春入学した子供を持つ家庭の家計負担」の実態の記事があった。
私の息子二人が一年間だけだが、自宅外通学で関東の大学に在学した時期がある。
みるみるうちに貯金が目減りをしたのを記憶している。あれから10年になるが、当時は「一年間は仕方ないか!」
ぐらいしか考えてなかったが・・ 学費とアパート代と生活費など、年間400?500万はかかっていた。
少子化問題というが、現在の日本では多産なぞ出来るわけがない。 
 ーその内容を、まとめてみるとー
:平均借り入れ金額が170万円台に達し、自宅外通学者は207万円、過去最高になった。
:毎月の仕送りは初めて月額10万円を割り込んだ。6年続けて下がり続けており、
 家賃をひいた生活費は平均は3万9千円。
:自宅外通学者の初年度の負担が307万円。
:入学費用の銀行からの借入者が30・7?。207万円。自宅通学者で25?の世帯が借り入れをしていて、
 138万円という。自宅外と自宅の通学者平均174万円。
  ーーーーーー  
これからみても、厳しい実態が窺える。両親にしてみれば、胸突き八丁というところだろう。
苦労して育てても、結婚すれば嫁か娘婿に疎んじらる。これも順番であるから仕方ないが。40年前になるが、
昭和40年前半の頃、私の寮費は水道・ガス・電気代込みで4千円。学費は家から学校に直接振り込み。
家賃も大家に直接振り込まれ、生活費が郵便為替で1万5千円の送金。生活費と交通費と小遣いで、
手元には何も残らない程度であった。使いすぎて生活費に困ったことは一度もない。
家からは、父親が3ヶ月に一度位に、米と柿の種と、インスタントラーメンを送ってくれていた。
手元には常に子供の頃から貯めていた10万円の現金が部屋に隠し置いてあった。
 (字数制限のためカット 2012年3月22日 )


4754,そんなに長生きしたいですか ー6

2014年03月21日(金)

                『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
    *「表の安楽死」「裏の安楽死」
  ガンの末期の殆どは安楽死である。そこには当然、裏と表が存在する。 ーその辺りからー
《 安楽死は、患者を死に至らせるというショッキングな行為である。方法としては、人工呼吸器はずし、
塩化カリウムの注射のほか、筋弛緩剤やインシュリンの致死量投与などがあります。いずれも患者には強い苦痛は
ありませんが、おどろおどろしい印象は拭えません。このように必ず死に至らしめる方法を使う安楽死を、私は
「表の安楽死」と呼びたいと思います。それに対して、「裏の安楽死」は、必ず死に直結するわけではないけれど、
ほぼそれに近い行為を指します。「積極的」「消極的」という呼び方もありますが、「表」「裏」のほうが実態に
近いと思います。「裏」の安楽死は、当然のことながら「表」よりはるか以前から行われていました。
方法は、大量の鎮静剤の投与や、強心剤の中止、透析や血漿交換や人工呼吸の見送り、栄養の漸減などです。
誤解のないように書き添えますが、もちろん必要もないのに大量の鎮静剤を投与するわけではありません。
耐えがたい苦しみを見かねて投与するのです。苦痛が激しいと、通常量では眠らないので、必然的に大量に
使わなければならない。そのとき、家族には副作用で死ぬかもしれないとは必ずしも説明しません。
自分たちが、安楽死を選択したという意識を与えないためです。・・ 》
 ▼ ここで一人の女性の安楽死をさせるかどうかギリギリの、ケースが書かれている。安楽死を懇願され、迷ったが、
  留まった。その結果、一時的に良くなったが、その後、さらなる苦痛の挙句、亡くなった。 懇願されたときに
 死なせてやればよかったか、一時的にでも回復したことで良しとするか・・  普段は医者の口から語られない患者の
 悲惨な苦痛が、あまりに生々しい。死ぬ時は、多かれ少なかれ悶絶をして亡くなっていくことは分かっているが・・ 
 身近な人の臨終に何度か立会ったが、最後は、家族の了解の中で、医師が呼吸装置を外し、息を止めている。
 時どき、積極的安楽死を槍玉にあげた問題が生じるが、拷問のような苦痛の中で、安楽死をさせるのは当然である。
 自分の死を考えると、牛丼屋のように、「早く、うまく(上手)、安く」あげて欲しい!のは誰しも同じことになる。
・・・・・
4387, 暴走老人!
2013年03月21日(木)
                  「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
 「暴走青年、暴走中年?」のように生きてきたので、今さら暴走老人でもない。しかしツアーで関西系は言いたい放題が多い。
特に大阪のオバチャンよりオジサンが図々しいが、最近は関西系老人が目立っている。歳を重ね歯止めがきかなくなったのだろう。 
数ヶ月前に近所を徘徊している痴呆?老人に、傍につかれ怒鳴られ続けられ、殴りかかれそうになった。最近2〜3度、顔を
見たことがあった老人。何か怒りの先をみつけ、毒を叩きつけているようだった。 駅前派出所に届け出たが、怒鳴りでは
事件にならないという。激変する時代から放置された人生に怒り(毒)が蓄積しているようだった。新潟駅前周辺の地元老人に、
こういう人たちを多く見かけた。他人事ではない。酒を飲んだ自分に時々、彼らの影をみてしまう。 ーアマゾンの内容よりー
【 待てない、我慢できない、止まらない「新」老人は、若者よりもキレやすい。現代社会に大量に生み出される孤独な老人たち。
 その「暴走」の底に隠されているものとは? 老人たちの抱えた、かつてない生きづらさを浮き彫りにする。】
 ーレビューよりー
≪ 小説家の著者は、私と同様、日常生活でたまたま見かけたこれら「暴走する老人」たちの姿をきっかけにして、現代の
激変する「時間」感覚、「空間」感覚、そして今やマニュアル化した「感情」に老人が暴走する理由を探るが、あくまでも
「暴走老人」は手がかりであり、本質ではない。著者は、暴走行為は激変する環境に乗り遅れた、あるいは読み違えて「孤立」
した人間の反動的行動と指摘する。つまり、断絶的な世代間ギャップが問題なのではなく、暴走はあらゆる世代に共通する
連続的な現象となりうるのである。感覚がまちまちな孤立した個人間の感覚の衝突は、さながらホッブズのいう
「万人の万人に対する闘争」状態である。しかも、個人を律するはずの常識や規範さえも、日々更新され続けており、
今後も加速度的に拡大していくに違いない。急激な情報化社会が逆説的に孤立を生み、闘争(=暴走)状況を作り出し、
それももはや止めようがないというのであれば、私は生きていくために今後どうすればいいのか、途方にくれてしまう。 ≫
 ▼ 老化は、肉体面では自覚できる。しかし精神面での弛みも出るのである。決して孔子の教えのようにはならない。
  「・・、40にして迷わず。50で天命をしる。60で耳に順う。70にして心の欲する所に従って、のりをこえず」
  ところが、これが真逆になる。「40にして迷い、50でも天命など遥か彼方。60で自分の人生を悔い。70歳にして
  呆然自失で暴走化する」 これが、最近みられる老人である。高度成長期の良き時代に生きてきた世代が、低成長の暗い
  時代に、老人の枠に入れられ情報機器を使いこなせず、取り残され、直ぐに切れてしまい暴走を始めたのである。
  あの歪んだ老人と、理想的な老人像とは、あまりに懸け離れている。この時代は40〜50年の変化は、昔の4〜5百年
  の変化に等しい。その変化に取り残され、一人彷徨い切れる。そういう私も似たりよったり。粗大ゴミの成れの果てか。
 ・・・・・・
4013, 事業生活39年の、独り語り ー2
2012年03月21日(水)
   * 野田一夫教授のこと (20歳の頃ーある教授との出会いー2)
 それまでの、寮とクラブが中心だった付き合いが、この頃から微妙に変化していった。専門課程の三年になると
卒業後が見えてくる。そこでドラッガーを日本に紹介した野田一夫教授の「経営学」を選択した。その授業に驚いた。
≪   2002/02/28 20歳の頃  ーある教授との出会い−2  (随想日記より)
 経済・経営系の人なら、この人の名を知っているはずだ。ドラッガーの訳者である。 忘れられない授業があった。
確か3年の時の6月の初旬あたりである。 講座は「経営学」である。 その時の感激を今でも憶えている。
学生時代の自分の中で色々な内面のビッグバンがあった。 その中で「Aクラスのショック」であった。
 ーその内容とはー 【 諸君、同じ人間として生まれたからに、せっかくこうして学んで人の上に立とうというなら、
ロマンローランの「ベートーベンの生涯」をぜひ読んでみなさい!ベートーベンは音楽家でありながら、難聴になった。
音楽家にとっての難聴は致命的である。それを乗り越え、その心を作曲したのが「運命」である。
この本の中の彼の手紙に「絶望を突き抜け歓喜に!」「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実に拠ってだけでも、
不幸に耐ええることができる!」という言葉がある。不幸のどん底の中の意志の言葉だから素晴らしいのだ。
この本を買って繰り返し読みたまえ! これから諸君は何らかの形で指導者になる人間だ。 素晴らしい本を読みたまえ。
勉強をもっともっとしたまえ。何処でも席を座るならこそこそ隅に座るな!真ん中に座りなさい。】
 大体がこんな内容であった。この時から何かが変わったように思えた。 野田一夫教授は当時、ドラッガーの訳者として
高度成長期の売れっ子教授で、今でいうタレント教授的なところがあった。自信と個性の塊のような人で、人をある方向に
駆り立てるカリスマがあった。その後立教を辞めた。多摩大学の創立総長として、何度かTVでお目にかかった。
更に宮城大学も同様に創立に関わり総長をされていた。ドラッガーが愛読書になったのも野田教授のお陰である。 ≫
 ▼ この授業の直後、30日の欧州一周旅行に出発をした。そのカルチャーショックは、あまりに大きな衝撃であった。
  21年間の小さな固定観念が根こそぎ壊された。 連日、欧州文化と文明に直に触れ、また、夜は連日、飲み歩き。
  毎日、見るもの聞くものが、面白く、驚愕の連続。 この時期に、黄色人種の日本人である自分を逆照射はベストだった。
  自分は、世界の広さも、深さも、実は殆ど知らなかったことを、知ったということ。しかし、求めれば、知識も、経験も、
  富も、自分の努力で得ることが出来ることに目覚めた。その準備期間が学生時代ということに気づいた旅行になった。
・・・・・・
3647, 自己の探究 ー2
2011年03月21日(月)
  「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」和田 渡 (著)
 第二章の「関係としての自己」の中で、ソクラテスと自己の問題をあげている。
  * 汝自身を知れ      ー P28 ー
 人間は無知であり、無知であることに対しても無知なのである。それゆえソクラテスが強調したのは、何よりもおのれの無知に気づき、
すこしでも無知でない状態へと自己を導くことであった。 そのためにこそ、自己は配慮されなければならない。 無知な状態を脱して、
真の知を得るためには、よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。 そうしたソクラテスの信念は、『ソクラテスの弁明』
のなかのアテーナイ人への呼びかけに明らかである。 世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力においても、
最も評判の高い偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ気をつかっていて、
恥ずかしくはないのか。 評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気にかけず、精神をできるだけすぐれたものにするということにも、
気もつかわず、心配もしていないというのは。 金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、真実をめざして精神を配慮する
方向への転換を説くソクラテスは、当時嫌味な老人として嘲笑と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を頑固なまでに強調する。
 彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひっぱられやすいものであると考えた。それゆえに、そうした方向を制御して、
ひたすら自己自身をよくするように努めなければならないと考えた。
  * 「よく生きる」という実践 
 しかし、自分自身をよくするとは、いったいどうすることなのか。「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、
よく生きるということなのだ」というソクラテスの周知の言葉は、どのように理解されるべきか。彼は、よく生きるの「よく」を「美しく」
とか「正しく」と同じ意味で理解すべきと主張しているが、そのために必要なことは、ブッダの主張と同様に、もっぱら自己の心、
魂に配慮することであろう。 それは、ソクラテスの言葉で言えば、魂を肉体にかかわる快楽や飾りで飾るのではなく、節制、正義、
真実といった魂自身の輝きで飾ることにほかならない。 そうした輝きを魂に与えるためには、ただ漠然と生きることをやめて、
自分に対して批判的にかかわり、自分の思考や行動を注意深く観察し、よく、美しく、正しく生きるように努力しなければならない。
その意味で、「汝自身を知れ」というよく知られた言い回しの背後には、自分の無知を知るだけでなく、無知の状態から
抜けだすための実践も不可欠だというメッセージがこめられている。・・・・  
 ――
 ソクラテスは、正義、勇気とは何かといった根本問題に対し知っている人はおらず、知っていないことさえ気づいていないとして、
無知の知を問題とした。終盤に人生を振り返り、何と自分はバカなのかと実感してもおそい。はやいうちに、それに気づき、真っ白な
状態で書物や人の話を聞かないと、何も知っていない自分にさえ気づかないで人生を終えてしまう。で、10年間、この随想日記を
公開して第三者の目を意識して何も知らないことを曝け出してきた。そして気づいたことは、「バカは死んでも直らない」ということ。 
・・・・・・・・
3282, 哲学者は神について、どのように語ったか −7
 2010年03月21日(日)
先日書いたー「人みな骨になるならば」頼藤和寛著ーの中の、『神の必要性』がシビアで解りやすい。
 ーまずは、神について述べている部分を抜粋してみるー (著者は医学者であり、心理学者である)
 我われの多くは、意味のない、あるいは少なくとも意味があるかないか自分の人生というものに耐えられない。
自分で自分の人生を意味あるものにすればよい、と言ったところで、それでは自分で自分の靴紐を引っ張って
飛ぼうとしているようなものである。自画自賛というのは、そのことを意識するかぎりにおいて、まことにつまらないのだ。
どうしても自分以外の大規模なものから自分の人生の意味や意義を保証してもらいたくなる。
しかし、世界や宇宙は何も保証してくれないし、そもそも語りかけてくれない。 いわゆる「神の沈黙」である。
そこで、せめて人類やその歴史、それが無理なら仲間内や家族からだけでも、自分が生きている、あるいは生きていたことの
意味や価値を認めてもらいたい。 仮に「歴史上の人物」になれたとしても、それを認定してくれる人類や国家そのものが
頼りない存在である。 三葉虫、アンモナイト、恐竜でさえも絶滅したのである。人類のようにセッセと生態系や地球環境を
破壊してきた種族が永遠に存続するなど限りなく少ない。いったん絶滅すれば、シーザーやベートーベンの銅像などガラクタ。
いずれ、そんなものは、類人猿の内輪話でしかなくなる。ちょうど一群のカエルの王になれたカエルが、誇大妄想を抱けたか、
実現した程度のことと変わりはない。 彼等にとって、池が全宇宙である。 古池も銀河系も空間としてはスケールの違いが
あるだけで、質的に変わるものではない。 まして、大半のヒトは、村落、地球、業界、せいぜい国際社会を全宇宙とみなして、
その中で「なにものか」になれるだけで満足をして一生を終えるのである。 この限界に不満の者は、個人はもとより全世界を
超えるような存在を想定して、そんなものに認めてほしいと願う。 我われの視野が身辺の野山に限られている頃は神々が、
そして見渡すかぎり砂漠と天しか目に入らないものにとって、唯一にして永遠の絶対のゴットが、その役に振り当てられた。
その存在の有無など、問題ではない。 なぜなら、我われに心理的な必要に応じてイメージされているからである。
在ってくれなければならない存在に対して、人間は「信じる」以外のことは出来ない。 我われは確認したいのではなく、
確信をしたいのである。「神がなかったら、神を発明しなければならない」(ヴォルテール)・・・・
 〜〜
 神は宇宙から逆照射すると、人間が勝手につくりあげた共同幻想でしかないことが分かる。 国家もしかりである。
小さな池のカエルと何処が違うかというと、共同幻想としての神を持っているかどうかである。 それでは、その幻想は
人間の脳に浮かんだ泡でしかないのは今さらである。 といって、人間は言葉を持ったが故に、無限の欲望を持ってしまった。
そこで自分の世界を支配しているだろう絶対者としての神を発明し、その価値観を共同幻想として守る知恵を持ったのである。
 ・・・・・・・・・
2907,イオンの誤算 ー2
2009年03月21日(土)
ー 「イオンの反省」広告には驚いた ー
 先日、「イオンの危機」について書いた。株価が、この数年で六分の一というから尋常ではないからだ。
ところが昨日の新聞に「イオンの反省」と一面ぬきの広告が出てきた。 顧客の目からみたら非常に好感のもてる
ような内容だが実感だろう。  反省内容として、
・値段は他店と比べて安くありませんでした。
・欲しいものが売り場に並んでいませんでした。
・お客へのサービス改善を怠っていました。
 等々である。 顧客アンケートから、この事実を知ったのだろう。
そういえば、最近、総合スーパーには、一切行かなくなった。上記のいうとおりである。
私の場合は、専門チェーンか、大型ディスカウントか、ネットで買っている。
数年前に化粧品店を何軒か経営している知人から「化粧品からみて、ジャスコとヨーカ堂は、
仁義なき戦いと思えるほど激しい値段合戦をしている。」というような話題を聞いたことがあった。 
最近、プライベートブランドなど5100品目の値下げを発表したが、ヨーカ堂、西友とのサシの勝負の様相。 
この世界恐慌で、何れの商売も、最後の生き残りをかけた戦いに入った。5年後に存続できるかどうか、
それも今年が最も厳しい戦いの年になる。一年一年を如何に生存するかにエネルギーを集中するしかない。
久々に会った知人がリゾートホテル街のガソリンスタンドで、高そうなホテルの「一泊2食付6800円」に
つられて泊まったところ充分満足した、と語っていた。 駅前ホテルも他人事ではないから困ったものだ。
「イオン」は、それでも生活必需品、安くし、欲しいものを並べれば客が来るが・・・
2001年で三分の二、今回で更に三分の二に縮小してしまったのが、地方経済の現状。
地方に大型SCを出店してきたイオンが直面している危機は、地方の三次産業の象徴と捉えることができる。 
・・・・・・・・・・
2543, 今年のプロ野球の予測
 2008年03月21日(金)  +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆
毎年、この時期に毎日新聞の「記者の目」というコーナーで10人に記者による「今年のプロ野球の順位予測」がある。
あまり当たらないところが面白いが、秋口には、その結果の総括の記事も出る。何回か、この記事について取り上げている。
今年の予測をみると、セ・パ、それぞれ5人の記者の平均値の順位をみると、
 セリーグは、巨人、中日、阪神、横浜、ヤクルト、広島 
 パリーグは、ソフトバンク、ロッテ、日本ハム、西武、オリックス、楽天  の順位になる。 
この記事で大筋として戦力を大富豪の巨人と喩えて「ぶっちぎりVなら興ざめセリーグ。頑張れ! 
貧民の広島、大貧民のヤクルト」と記事の初めから最後まで巨人の話題だった。これまで32回の順位予測で、
延べ338人の記者が参加をして、全順位を当てたのは6人しかいないというから、難問であろう。
ところで十人の記者で、その平均値の順位が同じ人が一人というのも面白い。あとは全て順位が違っていた。
毎年のように巨人の過剰な選手層に対して批判が出るが、結果として優勝できないから面白い。
それにしても、大相撲同様にプロ野球もつまらなくなってしまった。あまり娯楽の無かった時代の、
「巨人・大鵬・卵焼き」が終わったのだ。前期・後期に分け、後期は一リーグ制にする位でないと・・・・  
以前書いた内容をコピーしてみる
ーーー
2006/11/04 
2041, プロ野球の「記者の順位予測」         才八∋ウ_〆(∀`●) 
ープロ野球の「記者の順位予測」と結果ー
  (字数制限のためカット2011年3月21日)
・・・・・・・・・
007年03月21日(水)
2178, 宮城まり子(私の履歴書)ー2    才八∋ウ  _〆(∀`●) 
二週間前にも「宮城まり子」について書いたが、その後の「私の履歴者」が、ますます面白い。恩師の舞台演出家の菊田一夫と、
作家の吉行淳之介と、母親との出会いと邂逅が、「宮城まり子」の背骨をつくり出したのだろう。 
 (字数制限のためカット2012年3月21日)


4753,そんなに長生きしたいですか ー5

2014年03月20日(木)

                『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
   * 老人力より、満足力、感謝力を
 著者は私より10歳若いので、老いの実感が少し違うのは仕方がない。老いは、60歳代は重症の病がない限り、
ある意味、一生で最良の時節!が分ってない? 夕暮れ時の楽しさである。 70歳代も、その延長とみるのは、
無理があるが、人による。兄、姉4人が70代だが、実際の心情は分からないが、不幸でもなさそうだ。
問題は、後期高齢者といわれる75歳以降。  ーここで紹介しているインディアンの教えの次の一節が良い!
《  おまえは(若者)わたし(老人)に言う、
    去年という年に住むご老人よ、
    昔の歌を歌うご老人よ、
    目を覚まして
    現実の世界を見てごらんなさいと。
   わたしはおまえに言う、
    どこにも住んでいない若者よ、
    雑音しか聞くことのない若者よ、
    世界はわたしの内部で育ってきた
    だからわたしは歳月とともに豊かなのだ。  (「今日は死ぬのにもってこいの日』ナンシー・ウッド著              
  老人は弱るからこそ、深い知恵をつけられる。失敗し、挫折し、何度もあきらめを経験するからこそ、
 新しい地平が見える。 若さや元気ばかりにすがりついていては、知恵や満足から遠ざかるばかりです。
 だから幸福な老後を目指すなら、自らの境遇をあれこれ言う前に、満足力のをつけたほうが早道ではないか。
 ・・・ 老人の知恵として、欲望にはきりがないと悟り、‘無頓着力’‘満足力’‘感謝力’をつけたほうがいい。
それができれば、浅はかな若者たちも自然な敬意を抱くようになるでしょう。 》
▼ 若いうちは、感激力、感動力、感涙力が優先されるが、老いたら、満足力、感謝力、諦念力が必要というのは、
 現在、実感していること。ここでいう「世界はわたしの内部で育ってきた だからわたしは豊かなのだ」は、老いて
こそ、実感できる言葉。老いれば老いるほど、世界は私の中に収まり、さらに広がっていく! ネット社会は、その点、
非常に便利になる。今のところ長生きしたいが、歳を重ねるにつれ、どう変化していくのか?歳月、人を待たずである。
・・・・・・
4386, 「うつ」かもしれない ー2
2013年03月20日(水)
           ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか 〜磯部潮著
  ウツは躁鬱の躁の反動による「哀」の肥大による。その他にも連れ合いの喪失、病気、失敗、トラブルなどあるが・・
 バランスをとるには気分を切り替えて、その肥大に喜と楽を加えることだ。これは意識すれば可能である。
   * ウツは、「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加による
≪ 「うつ」というのはある意味、人間の正常な反応の一つです。喜怒哀楽の「哀」であり、私たちの日常に溢れています。
 ではなぜ「哀」だけが突出するのか。実は、こういう疑問の立て方に最大の欠陥があるのではないか。つまり「哀」の
突出ではなくて、「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加こそが、「うつ」をもたらしていると思うのです。
人間の基本的な感情である「喜び」「怒り」「楽しさ」は、ある意味、積極的な他人との関わりのなかでしか産出され得ない。
それに対して「哀しさ」は、積極的な他人との関わりだけでなく、関わりから撤退することでも産出されます。
つまり、対人的な関わりの希薄さの先鋭化こそが、「うつ」の増加を促進させる最大の因子ではないかと思うのです。
戦争のときに「うつ」が減るとされるのは、戦時中は人々の結びつきが強くなるからかもしれません。
 現代は価値観の多様化した社会だと言われています。そして思考力に若干の柔軟性を欠くとされる「うつ」の人たちは、
そのような価値観の急速な変遷に対応することが困難であるために、「うつ」になると考えられてきました(10年程前までは、
診断根拠として、「うつ」になりやすい性格「病前性格」が重視されていました。価値観の急速な変化に耐えられないために
「うつ」になるというのは、「病前性格」があると想定した上での仮説です)。そういう一面も確かに存在するでしょう。≫
 ▼ ウツを「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加によるという見方は初めて。そのため独り遊びが出来れば、ウツに
  なりようがない。独り遊びは喜怒楽を満たしてバランスをとる効果がある。 女性が男の二倍もウツ病になるのは、
  独り遊びのチャンスが少ない社会構造にもある。 今回も、二年間が大きな節目と精神面には気をつけていた。まずは、
  冬期間二時間、夏場は三時間の運動をする。この随想日記に集中する。週に一回はシネマに行く。読書の時間を必ず持つ。
  就眠直後の4〜5時間は熟睡する工夫をした。スーパーやドラッグストアで、一人で酒と肴や身の回りの買物をする。
  月に1〜2度は飲みに出る。年に数度は地元から出ること、などを意識的にすることで何とか乗り越えてきた。
  これは喜と楽を自分でつくり出すことになる。一日一生と、淡々とスケジュールをこなしていれば、哀しみは肥大しない。
  それが出来ないのが、病。これも無知による要素が大きい。群れてきた人は、特に注意!「独りになれよ!群れてないで」
・・・・・・
4012, 事業生活39年の、独り語り ー1
2012年03月20日(火)
   * 意志の確定
 倒産から一年経つ。 過ぎてしまえば、アッという間だったが、ハードランディングであることは間違いない。
一年間は頭を冷やすということで事業総括をしなかった?9・11テロ以来の10年の年計グラフの数字が、時代の大きな断絶、
「20世紀型既存業態の事業は全て終わった」と、語りかけていた。 ネット世界が、もう一つ、現実世界の上に出来上がり、
グローバル化を促進、NO・�しか事業として成立しえない世界が現れてきた。そう見極め判断すれば、割り切るしかない。そして、
リーマンショックと、東北大震災である。 私にとって40年近い事業が、この結果に終わったことは致命傷。
しかし事業人生の総括を一年経った現在、しておかなければならない。 元々、実家が商家であり、終戦直後に生まれた時から、
創業の真っ只中が幼児期だったため、激しい日々が3つ児の魂に刻まれていた。 そして20歳の時に、自分も創業をしたい!
という気持ちが立ち上がってしまったことを以前ここで書いていた。 まずは、そのコピーから
  * 20歳の頃ーある教授との出会い-1 2002/02/25
≪ この頃は大きなターニングポイントの時期であった。土がたっぷり付いていた田舎の青年が、それを必死に振り払い
「自分に目覚め始めよう」としていた時期であった。キリスト教倫理の教授に「将来の自分の設計」のテーマを夏休みに与えられ、
「生まれて初めて」に真剣に将来を考たレポートを出した。その内容に対し心の入った文章の返事が返ってきた。200人の学生に対し、
これだけ長い心のこもった返事を書くもかと感激をした。それとも「自分の熱意を込めた内容に対する特別の返事」だったのか? 
鈴木教授という名前と、授業内容が心のこもった内容であった事を憶えている。私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容。
初めて第三者に自分の心情を書いた。いや書かされたのかも知れない。要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさ厳しさに
しり込みをした。そして安易な生き方を選んだが、自分は父の生き方を選ぶことにする。 今になって特に「父の生きかた」
に男として魅力を感じるようになった。もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎ不幸な死に方をした」ことも書いたかもしれない。
心のこもった返事とは「その中で、よく父の生き方を肯定をした。そしてその生きかたを選んだ貴方の決心が心から嬉しい。
貴方が自分自身で考え抜いて判断したこと、そのことが素晴らしい!」というな内容。この時点で自分の生き方が変わった。
いや決まったように思える。もともと決まっていたのかもしれないが。 俄然それから目標がハッキリした。
「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!≫
 ▼ それから45年後に倒産に至ったが、傷は、それほど深くない。ハッピーエンドとしても、大して変わりがないというと、
  虚勢になるが、しかし私の人生は肯定するしかない。しかし充実はしていた。これを書いた夏休み以降から俄然、日々が面白くなった。
  まずは、自分づくりが始まった。 志を立て、目標を持つと人生は変わる。そして授業の科目を見渡すと、全てが、そのための学問。
  そして、寮の先輩も同僚も、全てが個性的人間に見えてきた。 丁度、将来に目覚める時期だった。
・・・・・・
3646, これまでの人生は何だったの?
2011年03月20日(日)
  地震 ―つれづれに 二題 ー9
   * これまでの人生は何だったの?
 九死に一生を得て、避難所に来た人のインタビューが生々しい上に哲学的である。
ある中年女性が、「全ての生活を失ってみて、これまでの生活と人生は何だろうか考えてしまった」と呆然自失とした言葉が印象的。 
死など考えてもみなかった人が突然、「あと数ヶ月」と宣告されて、これまでの人生を振り返った時の言葉と同じである。
これまでの生活全て目前で喪失してしまった純朴な人が、走馬灯のように現象世界を呆然と振り返ったとき、
「人生50年夢幻」の実感がみてとれる。 これは、まる一週間前に起きてしまった日本という国にとっても同じこと。
この日を境に日本は、大きく変わってしまったのである。この事実を見極めないと、判断を間違ってしまう。
 また、「現在起こっていることが、いまだ現実として受け入れられない」という言葉も、悪夢としてしか受けとめられないのである。
空ろな顔をした少女が行方不明の母親を探しながら絶望的な声で「オカーさん」と叫んでいる姿は何をか言わんである。
一瞬で大津波が生活に襲ってきたとき、ただヒタスラ逃げるしかない。そこで助かった人は、身ひとつしか残ってない。
家族と家など全て失い、避難所で何もなすすべが無い人が多く見かけられる。 まさにホームレスの状態である。
「私一人が生き残ってしまったが、それが良かったのかどうか、今でも分からない」 は、厳しい!
   * TVを見るたびに、絶望的な事態になっていく!
 ホウレン草と牛乳に基準値を超える放射能量が検出されたのに続き、今度は水道から放射性ヨウ素が検出された。
福島の、この時期のホウレン草はビニールハウスでの栽培というし、牛乳の中にというと、タダゴトでない。
かなりの放射能が既に放出されているという事実を表している。最悪に向かってことが進むと、本州は壊滅するというのが。
決してデマでないことになる。 死の雨が農産物に行渡れば、我々に待っているのは言わずと知れたこと。
だから在日の外国人は、そそくさと帰国していったのである。函館か、九州にでも長期旅行と考えてもみたが、
何を今さら・・・ 充分に生きてきたから、数年早いか遅いなら、ジタバタすることもない? 
この数年、地球破滅を取り扱った映画を何本かみてきてが、直面するとは、今でも信じられない日々である。 
・・・・・・・・
3281, 5千台、トヨタ車販売をした人の死
 2010年03月20日(土)
 会社の車の保険の更新が毎年、この時期にある。いつもトヨタの営業の人から電話がある時期にかかわらず、
電話が来ないので事務の人が電話をしたところ、「二日前に急に具合が悪くなり病院に行ったが、肺炎で昨日亡くなった」という。
そういえば去年のいま時分、数年ぶりに事務所に訪ねてきたが、ビックリするほど痩せこけていた。本人が言うには、
「インドに行って帰ってきたら歩けないほど目眩がしたので病院に行ったら、何か訳の解らない奇病。
半年間、入院をしていたが命にかかわる病だった」という。 「たまたま紹介をしてもらった先生が良かったので助かった」とか。
初めに見てもらった病院の先生が好い加減な先生で、処方箋の薬を貰いに行った薬局の窓口に人が、「あの先生は当てにならない、
他の病院に行った方が良いですよ」というので、知人の紹介で新しい医者に行ったところ、奇病が分かって半年間、
入院して命が助かったという。 この中に現在の医師問題など多くの医療問題が隠されている。 で、昨日の地元紙の朝刊に、
本人の死亡広告が出ていたが、アッサリと人は亡くなるものと驚いた。 加齢とともに、こういうことが多くなるのだろう。 
(字数制限のためカット 2012年3月20日)
 ・・・・・・・・
2906, ユングの世界のような夢
2009年03月20日(金)
最近不思議なユング的?な夢をみる機会が多い。夢自体が不思議であるが。
 ーその一つを披瀝してみよう
あるビルのような場所にいて、右の数メートル先にエレベーターがある。そのエレベーターは、違う次元へ上がるようで、
危険なイメージが漂っている。ところが、上からエレベーターが下りてきて、数人の人間がドアから出てくる。
ところが全身何も着てない上に、全身が全て皮膚だけのノッペラの人間のカタチをした一団。
階上から逃げてきたようで、私が反対にある違うエレベーターに彼等を誘導し下界に連れて行く。
その後そこに戻るが、禁断の上階へのエレベーターに乗ってみたくなる。思い切って乗ると、いつの間にか異次元の天空に
自分がいる。 時は40年前の20代前半である。そこには当時の懐かしい人がいる。何もかも解放された天空の中で、
全てが許されて洗い流されている。しかし自分は、ここいることに疑問を持つ。もしかしたら、あの皮膚だけの人たちと
同じように、自分のそれからの過去が消されるのではと不安になる。 そのあたりで夢から醒める。
▼ 出来すぎたユングの世界ともいえる内容である。死と生の二つが重なりあった内容とも解釈できる。
 上階へのエレベーターで上がっていった先は時空を超えた純粋意識。
 下界へのエレベーターは現実社会の世界で、横に流れている日常である。
面白いのは上階〈上界)から降りてきた人がノッペラの皮膚だけの(個性を削ぎ取られた)人間集団である。
その彼等を違う下り専用のエレベーターというところも面白い。心の構図ということか。
この随想日記で、人生をビルに喩え、10年単位でフロアーを分けて何をすべきか云々を書いたのが影響したのか。 
その時に屋上から見える外界のイメージが天国へと一歩踏み込んだ場所だろうか。
 ・・・・・・・・
2542, ロシアの小話、8つ( おまけ ) ー2
2008年03月20日(木)
・交通事情
*東京発モスクワ向けアエロフロート機内で突然モーターが動かなくなった。
 乗客はパニックに陥った。すると操縦席のドアが開いて、パラシュート姿の機長が出てきた。
「皆様ご安心下さい。地上に救援を求めに行ってまいります」
*新潟発ナホトカ行きの大型旅客船が沈みかけている。 船内放送「乗船の皆様方の中で、
 切符を分割払いでお求めになったお客様。 どうぞ1番初めに救命ボートにお乗り下さい」
・「もしもしニコライ先生ですか?女房が盲腸の発作で大変なんです。すぐに来て下さい!」
「落ち着きなさい。あなたの奥さんは私が3年前に盲腸の手術をしましたよ。
 いいですか?人間には2つ目の盲腸はありえないんですから」
「はい、その通りです。でも先生、人間に2人目の妻がいても不思議ないですよね」
・「酔っぱらうってどういうこと」「ここにグラスが二つあるだろう 四つに見え出したら 酔っぱらったってことだ」
 「お父ちゃん そこにグラスは一つしかないよ」
・ 「あなた、指を入れるときは、指輪はずすっていう約束だったじゃないの」 「これ、腕時計だよ」
・旦那が予定外の帰宅。妻は愛人を無理やり窓から飛び下ろさせた。 落ちながら男は思う、
「神様、私はなんて愚かなのでしょう!彼女のところに首を突っ込んだが最後、今地面に叩きつけられて私は死ぬ。
 家には妻、子供、団欒。あそこに座っていれば、テレビでも見ていれば、茶でも飲んでいれば....。」
   ボサッ。 柔らかい土の上に落ちました。
 体を起こし、汚れを叩き落として、「畜生、頭の中にやたらとくだらんことが浮かんで来るもんだぜ。」
・一人の男がバーに入り、バーテンダーに賭けを申し出た。 彼は言った。
「あそこの床にグラスを置いて、20フィート離れたとこから小便を一滴もこぼさずに命中させてやる。
 これに50ドル 賭けよう。 ただし、こぼれた小便はお前さんが掃除しなけりゃならんがね 」
 バーテンダーがこの賭けに乗ったので、男はグラスを床に置いた。 そして、そこから20フィート(約6m)離れると、
 小便をバーの中全体に撒き散らした。小便は通路、床、バーの中にいた者のグラス、そしてバーテンダーにまでひっかかった。
 バーテンダーは、勝ち取った50ドルに笑みを浮かべながら、バー内を清掃した。すると、賭けに負けたはずの男が笑い出した。
 バーテンダーは訊いた。 「おい、あんたは50ドル負けたんだぜ。なんで笑ってられるんだ 」
 男は答えた。 「外の歩道に突っ立ってるヤツがいるだろ。オレは、あいつに200ドルを賭けたのさ。
 このバーに入って、小便を撒き散らして、バーテンダーに、笑みを浮かべながら掃除させてやるってね 」
(字数制限のためカット 2012年3月20日)
・・・・・・・・・
2007年03月20日(火)
 2177, ゆとり・個性化教育って何だったの?     オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
 以前にも個性について書いたことがあるが、 現在の小・中学校の教育現場の荒廃をもたらした「ゆとり・個性化教育」の
誤りを確認するために、いま一度個性について考えてみよう。 大失敗に終わった「ゆとり教育」の目的は、
「個性的な人間」を育てることであった。 そのため、現在の子どもは幼児の頃から「意図的に個性的でなくては!」と
、刷り込みがされてきた。 そのためには、それぞれの特性にあった教育をすべし!ということだった。
 しかし、個性化とは何だろうか?と少し考えてみると、明らかに間違った理解をされてきたことが解る。
「珍気な子を作るのが個性である」という先入観が、教育現場の興廃を招いてしまった。先生も、その珍奇な子供のなすがままに、
自信を失い学級崩壊を招いているのが現状である。人生経験の少ない子供に個性化など求めること自体が無理がある。
お笑いバラエティーに「将棋少年」とか、「エレキ少年」とかいう珍気な子が出てきて、天才少年と煽て上げて笑いの対象にしている。
あれは個性的でも、天才的でも何でもない珍奇な子供でしかない。習い事に「守・破・離」という原則がある。
(字数制限のためカット 2014年3月20日)


4752,閑話小題 ー6年ぶりのパソコンに挑戦中!

2014年03月19日(水)

   * 6年ぶりのパソコン
 四月半ばのWindowsXP終了にともなって、新しいパソコンを導入して三週間経った。(年金暮しで、ローンだが)
これまでのPCは、iMacにWindowsVistaをのせて6年以上使ってきたが、XP終了後からは本来のMac画面を切り替えて使う予定。
現在、ブログは今までのPCを使っているが、徐々にWindows8に移行をしていく。
 数ヶ月かけ、迷いに迷った末に選んだのは、ソニーの21インチのテーブルトップ(大型タブレット)と、デスクトップの
両用が可能。「型落ち」(一シーズン前の秋冬シリーズもの)で、三割以上の値段が下っていた。3・9キロと軽いので、
居間と寝室と書斎に手軽に持ち運べて、使い勝手は理想的。ほぼタブレットPCと同じ機能で、充電が出来て、WiFi機能もあり、
家では、無線で何処でも持ち運び可能。 当然、6年前のVistaとの使いかっての段差が大きい! 「パソコンは四年で
入れ替えるべし」の意味を実感している。 SEの知人の助言、「新規の選定は、タッチ式が前提!」も、なるほど納得。
 パソコンは、デスクトップ、ノート型も、「タッチ式、直感的画面操作」の流れである。 これで一挙にパソコン難民が
使いこなせることになる。慣れるに、iPadと同じく3ヶ月〜半年はかかるが、面白い! iPad以来の興奮である。
旧来のWindows/Vistaが、本来のiMacになるので、アップスケール(脱皮)になる。iPadも含めて果てしない情報機器の
進化の恩恵である。この進化も、メガネ、腕時計、チョッキなどウェアラブルPCになっていく。 面白い時代である。
   * 追憶の写真旅
 Yahooのブログに、過ってツアーで行った先の写真を、ネット上で探し載せているが、これが奇妙な感覚で面白い!
同じ対象を違う人の視線で見ると、自分が見ているような錯覚が起こる。例えば長岡花火を、後日、ネット上からみると、
分かるはずだが、違う視線を幾つか加えると、その時の臨場感が鮮明に思い出される。実際は、混雑の中のお祭り騒ぎが
加わり、面白み、迫力が違うが、それでも、ネットで行き先の写真をみて、感じとった一瞬は、当時を彷彿させる。
現場感覚があるのが、追憶の旅を面白くする。それはTVの旅番組で同じ。後退的だが、情報化の恩恵の味わいも良い。
・・・・・・
4385, 「うつ」かもしれない ー1
2013年03月19日(火)
           ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか 〜磯部潮著
 うつ病に関しての書評を幾つか書いてきた。
【2012/05/09 本当は怖い抗うつ剤】【2012/01/23 他人を責める「新型うつ」について】【2011/11/24 「現代型うつ」とは】
【2010年02月13日(土)「うつ」9つの症状】【3246,新・欝の時代】【2007/06/05 2254 ビョーキな人々探訪記 *鬱病について】
【2006/10/27 2033, 躁鬱病について】【2005/12/18 1720, 生きるのがつらい】【2003/07/15 「阿弥陀堂だより」−映画日記】  
 よく書いたものだ。平均、それぞれ4回として、9×4=36回は書いたことになる。それぞれの視点で切り口を変えた本は、
 病気というより人間の本質を教えてくれる。。著者は年に何人も死なせている。だから、うつ病の恐さを知り尽くし警告する。。
  ーアマゾンの内容紹介ーより
【 私が精神科医として働き始めて、二〇年近く経ちます。その間、私自身が把握しているだけで数十人のうつ病の
 受け持ち患者さんが自殺しています。必ず毎年、数人の患者さんが自殺してしまうのです。 そしてその度に
「もっと適切な方法があったのではないか」「私が主治医でなければ自殺しないで済んだのではないか」という慚愧の念に
強くとらわれます。(略) 今回、うつ病の本を書くにあたり、これまで私の記憶から排除しようとしていた、死に至った
患者さんたちのことを思い起こしました。(本文より)】
 ここで、一般に「「うつ」は、心のカゼであり、早期治療でクスリを飲めば治る」というような解説が多いが、著者は
このような考え方を明確に否定し、「うつ」に罹った人のうち一定数は必ず自殺する」という認識をしている。
 本来「うつ」としてきっちりと治療すべき人を「自律神経失調症」として安易に診断していたり、「うつ」で休職した人を
無理に早く職場復帰させることはとても危険であるという。
 以下の九項目のうち五つ以上該当し(1と2のどちらか含まれる)、それが二週間以上続いていたら「うつ」と判断される。
1、一日中気持ちがしずむ      2、これまで好きだったことが楽しいと感じられない  3、急に体重や食欲が落ちる    
4、眠れない、あるいは眠りすぎる  5、ソワソワと落ち着かなくなったり、反対に動作が鈍くなる
6、毎日体がだるく、なにもする気がしない     7、自分をダメ人間だと考える
8、なにも決められなくなり集中して考えられない  9、死にたいと思う
 ▼ 多くの「うつ」に関する本を読み、身近の人の相談にのったり、青年期のウツ症状の時、独りで本などを読み乗り越えてきた。
  しかし人間の心身は生もの。いつなん時、襲いくるか分からない。これは慢性病になる可能性があり、下手をすると死に至る病。
  九項目の中で、一つか二つはあるが、それも一瞬の間だけ。 そういえば、節目時に、「虚無感」に陥ったことがあった。
  あの不思議な捉えどころない自信喪失というか、虚無感、脱力感。 振り返ってみても底知れぬ心の状態である。
  現在の私の状況、最もウツになりやすい事態だが、戦争時にウツは出ないのと同じ。それと遊んでいる? とすると痴呆かい
・・・・・・
4011, ビジネスマン退職後の誇りある生き方 ー4
2012年03月19日(月)
           ービジネスマン退職後の誇りある生き方章ー キングスレイ・ウォード著
  * 実業界には三種類の成功者群がある ー 翻訳者の、後書きより ー
 【 実業界には、三種類の成功者、つまり二億ドル人間と、二千万ドル人間と、二百万ドル人間がいるといわれます。
 二億ドル人間は、自分の起こした事業を世界的な規模に育てあげて市場を征服することに夢を託す本来的な企業家、実業家です。
 その結果蓄積される個入の財産は二億ドル(約二百四十億円)を下らないでしょう。一方、二千万ドル人間は、むしろ経済的な
 成功の成果である富で普通の人にはできない豪華な生活、つまり豪邸に最高級車、使用人がいて、海外の別荘でゴルフといった
 生活を楽しみたい人たちです。二千万ドル(約二十四億円)以上の財産がなければ、そのような生活は望めません。
 そして二百万ドル人間は、ウォード氏のような人たちです。製造業の例をあげるなら、二億ドル人間はホンダの創業者本田宗一郎、
 二千万ドル人間はホンダと創業をともにした本社の幹部や部長たちと、関連会社の部品などの経営者たち、二百万ドルは自営業の域
 を出ない下請けの町工場の事業主ということになるでしょう。 二百万ドルは家族を養い、善良な市民の務めを果たしながら
 二百万ドルの資産を築けば、よくやったと自分をほめてやれる、ごく普通の金銭感覚を失わない市井の入です。本書で述べられている
 ウォード氏の意見が私たちの共感を呼び、私たちにとって適切な助言になるのは、ウォード氏がビジネスマンとして成功しながらも、
 市井人の心を失わない二百万ドルであるからです。 お金は生活を保証するもの、人生にはお金で買えないもっと大切なものがある
 というのがウォード氏の持論です。大企業の創業者の人並みはずれた才能、努力、そして時代を彩るまばゆいばかりのドラマを
 ウォード氏に期待することはできませんが、人生の成功者としてのウォード氏の功績は、決して彼らに劣りません。
 ウォード氏は普通の人たちの普通の悩みや喜びを語ることによって、人生の成功者になるための秘訣を明らかにしています。】
  ▼ 三種の成功者の分類が面白い。 娑婆は、それで色分けをして人の価値を決めていく。日本でも、この数値が百〜二百万、
   千〜二千万、一〜二億ドルと少し下がるが、こんなもの。これが人間の価値と信じて疑わないのが、俗に言う世間様。 
  一歩ひいてみると滑稽に見えるが、世の中の9割が金で買えるという幻覚の中にいると、それはそれで目安になる。3つの震災で
  実業界から退場してみて、「娑婆など死んで三日も経てば、‘それがどうした!’でしかない儚い世でしかないのが分かる。
  逆に、これも肯定してみるのも一つの理で面白い。事業人生を決心してから去年までの45年間は面白かったが、赤裸々の人生。
  しかし45年間を通じて人間社会の実態を多くを学ぶことが出きた充実感が残った。それも3つの大震災で崩壊。 敗者の弁かい!
 ・・・・・・
3645, 地震 ―つれづれに  ー8
2011年03月19日(土)
  * 震災 まる一週間
 地震も、昨日でまる一週間になる。 当初は、ここまでの大震災とは思ってもいなかったが、
時間が経過するにつれて、歴史的な大震災の姿が現われ出てきている。その上に原発事故の誘発である。
大津波だけでも歴史的大災害の上に、もし大爆発をして日本中が被爆をしたら本州全体が破綻してしまう可能性がある。
3月11日から日本は、全く違う国になってしまったのである。 村山とかいう人が首相がなった時に神戸震災、
そして今度の首相では、この大震災である。 現在、我われは誰もが身近にデジタルカメラとビデオを持ち歩いている。
そのために生生しい写真とビデオが、あらゆる角度から映し出されている。それが規制無しでネットで多く飛び交っている。
その結果リアルの現実が直接、我われの目前に突きつけられる。 一つ例に挙げると、私の学生時代の友人が、
仙台を気に入って終の棲家として仙台飛行場近くの漁村に住んでいる便りを貰った。 恐らく、巻き込まれたのではと、
その村の名前を検索したところ、その地の震災の惨状の写真が、その村のブログに載っていた。 
跡形もない村の惨状に、驚いてしまった。。
   * 原発事故のリアルな現実
 福島原発事故で、20〜30キロ内の屋内退避が県外退避に転換され大型バスでの移動が始った。
この圏内には14万人が居住していて、今後、一斉に退避が始まるが、問題はガソリンや食料がないこと。
米国などでは、80キロ圏内の避難を指示しているが、福島原発の80キロ圏内には、更に数十万人がいる。
最悪の大爆発が生じて、放射能が日本中を覆うことになれば日本壊滅になってしまう。 それが、この数日中に
発生する可能性が大というから、何をいわんかである。 リーマンショックで疲弊している上に、
この大震災と原発事故の二重の打撃は、日本経済は致命傷になってしまう。 まず早急に消費税などの直接税が
20パーセントも現実問題になる。これは15パーの収入減と同じことになる。もちろん、この事態では当然、
受けいれるしかないが、体力を消耗してしまった中小企業は致命傷になる。日本全体が被災者という現実がある。
 ・・・・・・・
3280, 人みな骨になるならば ー2
2010年03月19日(金)
  * わたしは特別か?          
ー まずは、次の部分の抜粋から  P−41
自分だけは大丈夫と感じる原初的な感覚をE.エリクソンは「基本的信頼」と名づけた。
幼児期における適切な保護か養育者との愛着関係によって成立しているかに信じられている。個人差はあるだろうが、
相当の怖がりやでも心の底に、「自分だけは大丈夫だろう」という最低限の楽天性が備わっている。たしかに、
数百の卵子と、数億個の精子のうちの、一つずつが合体することでも大変な奇遇である。・・・・
われわれは生きているというだけですでに、宝くじを三回買って三回とも当たったぐらいラッキ-な人物なのである。
そのことを特別な存在だと感じても不思議ではない。もちろん、自分が特別だと感じる根拠はそうした
生物学的事実によるのではなくて、われわれが直接的体験として自分しか与えられていないといった心理学的(認識論的)
事実に基づいている。 われわれは各自の心しか直接に知ることがない。それ以外はすべて憶測である。
目の前にある花やコップでさえ、自分の感覚を信じないことには「在る」と断定できない。
ましてや自分以外の全人類は「在る」のかもしれないが、他方すべてが幻影や書き割りのようなものなのかもしれない。
コギト(われ思う)は不確かだが、スム(われ在り)だけは確かなのだ。そもそも現在の自分の在り方を「存在」と規定しないかぎり、
それ以外に存在を規定する原理はない。しかし、そんな特別な存在が地球上に何十億とひしめいているらしいのである。
そのことを認めたとたんに自分が特別でもなんでもないことを思い知らされる。なにしろ、自分は特別だと実感している人間が
自分以外にも六十億近くいるもようなのだ。これならあきらめるしかない。わたしは特別な存在ではなく、せいぜい
六十億分の一の特別さにすぎない。 宇宙において、わたしが生まれたり死んだりすることの重要性は、
地球の裏側でアンデスのインディオの一人が生き死にすることの重要性と何らかのかわりのないものである。・・・・
「人間は特別」という価値観は人間だけにしか共有されてないからである。
 ー
人間は誰も、自分は特別の存在と思っている。で、還暦を過ぎて、そろそろゴールが目前と感じ、自分の存在が
必要とされないと気づいた時、特別の存在のはずの自分が、逆に邪魔なものと思い悩むことになる。
初老の身体の変わり目と、それに気づく時期が重なり鬱症・鬱病という人生の節目が訪れる。 
宇宙の視点からみて「わたしは特別ではない」のは当たり前。その当たり前のことを知らないまま、一生を終える。
・・・・・・・・・
2905, 寝入る瞬間を意識したことがあるか
 2009年03月19日(木)
 * 寝入る瞬間を経験したことがあるか?
ある随想に、「寝入る瞬間を経験しようと狙っているが、まだ経験をしてない。
それは死ぬ瞬間に類似しているのではないだろうか?云々・・・」とあった。以前ここで書いたことがあるが、10年ほど前に、
その経験をしたことがある。その時に「過去の二万回で初めての経験だから貴重の経験だろう。無へ狭間の瞬間の実感してみた」
と記憶として刻印した。 具体的に、どうだったか?というと、「TVを消した時の画面の感覚で、一瞬のスッと小さな点に
意識が縮小し消えていく感覚。もしかしたら、死ぬ時は、あの感覚ではないだろうか。」である。
一般的に多くの人が経験していることなのか、してないかは、私は知らない。 先日、図書館で借りた「現代哲学がわかる」
というAERAMOOKという雑誌の特集号の中で、マギーという哲学者が「哲学人」という著書で、
「何故、人は眠る瞬間を意識できないか?」というテーマで論じているとあった。(詳細は書いてなかった)とすると、
その瞬間は意識できないことになる。しかし私は、その一瞬を捉えたのは間違いない事実。私が特殊経験をしたのか、
それともマギーが正しいのか? ネットで「寝る瞬間をけいけんしたか」と検索したが解答はなかった。 
ーマギーの「何故、寝入る瞬間を把握できないか」の論旨を知りたいが、私の推論をしてみる。
<寝入ったとは意識が無くなるということだ。 意識が無意識への瞬間など捉える由はないのは、その瞬間の無の際を
経験しようがないのは自明のことだ。見たという一瞬の知覚は、まだ寝入っていない意識であり実は寝入ってなかったのである。
意識から無意識への移行の瞬時など膨大な無意識が小さな意識の一瞬の補足できようがないのである。向こう側(寝入ったサイド)
から見ると、その瞬間=扉は、すでに無の世界である故に、その瞬間など捉えられないのである・・・>
ーマギーは、こんなわけの解らない論旨ではないはずだが。しかし、私は間違いなく、その瞬間を捉えた事実は事実としてあるし、
夢ではなかった。マドロミの中で、漂うことは何時ものことだが。 今度、この本を読んでみるつもりである。
・・・・・・・・・
2541, ウェブ時代 5つの定理 ?3
2008年03月19日(水)
まず梅田望夫の第四の定理について述べている部分を抜粋してみる。
 ーー    
第4定理は「グーグリネス」である。グーグリネスとは、ウェブ時代をリードするグーグルという会社の気質や
グーグルらしさを表す言葉だ。 グーグルの経営・組織・文化における独自の論理は、ここまで取り上げた
「アントレプレナーシップ」「チーム力」「技術者の眼(め)」が、高いレベルで統合された最新で最良の実例と言える。
 私はシリコンバレーで数多くの会社を見てきたが、その中でグーグルは、これまでの会社とは「種」が違うのではないかと
思うほどの、突然変異とも言うべき「変な会社」である。こんな奇妙で不思議な会社は、かつて存在したことがない。
そう断言できる。しかし、こういう会社がビジネス社会の中心に躍り出てきたことが情報化社会たる現代の特質なのであろう。
≪いま、世界は(以前と)本当に違う。それは、君たち一人一人が世界中のどんなことについても
「情報を得る力」を持ったからだ。私が学校に通っていたころと、本当にまったく違う世界だ≫
 これは数年前にグーグル創業者の一人、サーゲイ・ブリン(1973年生まれ)が高校生向けに行った講演での言葉である。
80年代と比べて今が「本当にまったく違う」のは、行き着く先は「時間」。 「時間」だけが私たち一人一人に平等に
与えられた貴重な資源だ。グーグルは「頭脳の拡張」の世紀のリーダーであるとともに、私たちが自発的に過ごす
「時間」からしか創造的イノベーションは生まれない、という思想の信奉者なのである。
 グーグルはこのやり方を貫き、創業からわずか9年でトヨタ自動車の時価総額と肩を並べた。
しかも、社員数はトヨタの約20分の1にすぎない。
ーー
解)インターネットの、その中の検索こそが世界の要になると確信した信念が世界を変えたのである。下手の考えより、
己をグーグル化した方が手っ取りはやいのかもしれない。時間という資源を最大限活用できるという面から見たら正しいのだろう。
インターネット下のオープンソースの潮流の中で頭脳のネットに己をリンクすることこそ、一番合理的かもしれない。
ただし己というベースが確立してある前提が必要だが。それと、五つの定理をマスターした上での自発的に過ごす時間の重要性である。


4751,そんなに長生きしたいですか ー4

2014年03月18日(火)

                『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
   * 老後に安住の地があるか? 
《 この結論は、「ない!」である。グループホームも、「認知症介護の切り札」として、マスコミで好意的に紹介されて
 いるが、現場は凄惨。グループホームは施設基準が緩いので、質のばらつきが大きくて住宅・不動産業界からの参入も多く、
専門性に疑問も生じる。職員は経験者が条件だが、無資格で働けるため、最低賃金に近く、過酷な介護を担わせられたら、
やめるか、手を抜くか、暴発するか、いずれにしても、かなり危険な状況が多い。 
 有料老人ホームの実態も、ふれ込みはパラダイスだが、実態は大いに疑問のところが多い。介護企業の施設も、本当に
良いサービスをすれば評判が良くなり、顧客も増えるが、経営が不安定になると、その理念など、簡単に捨てられる。
 公的な福祉は営利でないので、ある程度は信頼できるが、人手が足りなかったり、順番待ちが長かったり、効率、
工夫の点で、企業に劣っている。その点、企業の方が良いが、何か釈然としないものが残っている。・・・徘徊の激しい
おばあさんが、脳梗塞で寝たきりになったとき、世話をしていたお嫁さんがやつれた顔で、「これで楽になります・・・」。
医師として不謹慎かもしれませんが、私は心から「よかったね」と思いました。》
 ▼ 老後の不安で大きいのが、終の住まい、生活がある。老いるほど、そこは決して安住の地ではなく、いずれも、
  非常に危険で、厳しい状況のようだ。それも、薬漬けで脳をやられた廃人として、ただ生きているだけとしたら・・ 
 私たちは、その恐怖と不安のため、僅かな年金を節約して預金をする。しかし、お金の余裕が有る無しに関わらず、
 「安住の地は無い」のである。それなら、元気のうちが花。その日、その日を目いっぱい生きるしかない。
 そう割り切ったら、妄想など、当てにしないで、そのままを受け入れるしかない。出来ることの一つが、死の知識の予習。 
 もう一つは、般若心経の暗記か、その読経の習慣である。色即是空、空即是色と諦念を心に植え付けることだ。
 安住の地は、心の奥底にしかない、ということ。 家は浄土真宗だから南無阿弥陀仏の読経もあるが。安住の地など、
 考えてみたら、あるわけない。誰もいない海の真っ只中で、安住の島を求めて彷徨っている漂流者の心持ちでしかない! 
  で、偶然だが、去年と、2010年の同月同日の、以下の内容に続く! 
・・・・・・
4384, 背筋が寒くなる「一生時計」
2013年03月18日(月)
   * あと2時間しか残されていない?
 野口悠紀雄の「クラウド「超」仕事法」(講談社)を読んでいると、その中に恐怖の「一生時計」というコラムが載っていた。
アナログの時計で一生を表すもので、1周が80歳になっている(日本人男性の30歳時における平均余命が50歳であることを
考慮して、80歳としている) とすると40歳で時計上の6時の数字を針が指すことになる。著者の年齢からしては10時半を
過ぎている。それまでの経歴と歴史的事件が時計時間に振り分け、人生を鳥瞰することが出来る。著者は、あと1時間半しかない。
その針が一刻一刻進むのを見ると背筋が寒くなるはず。これを応用した一年時計も作れる。歴史的事件における自分の立場や、
残り時間を鳥瞰するにはアナログ時計を図示すればよい。 それからすると私の人生時間は午後の8時過ぎ。あと4時間になる。
 これ商品化されている。買うかどうか迷っている。 不摂生もあり、あと二時間あるかどうか。それも不意に止まる可能性が
充分ある。この年齢になると残存時間も当てにならないのは周囲をみれば分かる。 父は71歳で亡くなった。一生時計では9時。
あと一時間しかない。一番上の姉が12年前に現在の私の年齢で亡くなった。時刻は8時である。 事業も二年前に清算したし、
やり残したことは殆どないが、せっかく与えられた時間を味わなければ。あと一時間も5時間も永遠の時計からしたら、一瞬。
この一生時計を机の前に置いて刻々と過ぎていく時を眺めるのも一興か。目を背けて、まだまだ高をくくっている。 
50から還暦まで残された人生分を圧縮して生きた分、焦りは少ない。父の口癖、「死んでしまえば、それまでよ!」が実感。
 実際に同じ年代の人の4人に1人が既に亡くなっている。どの人をみても、良い死に方には思えない。これが人生である。
下記の2010年03月18日に、「人みな骨になるならば」頼藤和寛著について偶然、書いてあった。重ね合わせて読むと、連動する。
・・・・・・・
4010,デジタル化の波間で
2012年03月18日(日)
     * 愛蔵書120冊を電子化
  蔵書70冊を業者に送り電子化した書籍がメールで送付されてきた。それをダウンロードし、iPadに入れた。
 去年の暮れに50冊を電子化していたので、合計120冊をiPadに入力し終えた。 これでiPadに120冊の本と、
 2000曲の音楽が入力された。 外出先でiPad立ち上げれば、そこが「自分の居場所」になる。 
 かって読んだ書籍が瞬時に読めるのと、目次の上覧のページ検索に見たいページの数字を入れると瞬時出てくることと、
 電子シオリを気楽に挟めるのがよい。 上覧のシオリの部分を押しておくと次回に、そのページが出てくる。 
 分類ごとに本棚が作れ、並べ替えも気楽にできるうえ、本棚の移動も気楽にできる。 これでは、数年で紙から電子ブック化の
 流れは大きくなり、紙出版は半減するはず。パソコンも、ノート型からタブレットへ流れは大きく変化する。
   * 朝日新聞デジタル版
  電子新聞は、新聞社のブログがあるので必要はないのでは?と躊躇したが、半年とってから決めようと、とりあえず入ってみた。
 朝日新聞の場合、新聞をとっていると、プラス千円でよいが二つ必要かどうか?だが、今のところ、その価値は認める。
 紙面の場合、その日が過ぎると二度と目にすることはないが、これだと、過去一週間分が、直ぐに読めるところが良い。
 それと、当日の記事内容で、気になった部分を再び読み返し、コピーできるところが便利である。これは電子書籍にもいえる。 
 デジタル化は、映画、TV、書籍、新聞などを根こそぎ変えている。それがグローバル化を促進し、時代を激しく変動させている。
  ・・・・・・・
3644, 地震 ―つれづれに  ー7
2011年03月18日(金)
 ここまできたら、今更だが、原発事故の順序が一号機、三号機、二号機、四号機、次に、6号機の順番である。
ジクザグに一つおきに重ならないように火災が発生している奇妙さである。 すべてが手遅れのため、
隣り合わせの爆発を避けるため一つおきにガス抜きをさせているとみると整合する。メルトダウンを始めた原子炉は
最後まで行き着く(暴発)しかないと実しやかに言われている。 日本のJリーグのサッカーの欧州出身監督は殆ど帰った。
欧州はチェルノブイリ原発事故の情報を持っているので、その恐ろしさを知っているため。
 それが現在進行形で最悪に向けてカウントダウンに入っている。 その最悪とは何?だろうか考えると。
ますは本州が全滅の上に、地球上に大量の放射能をバラマクことである。 少なくとも原発??キロ以内は、
立ち入り禁止地区になり、当分は国内の米・野菜が一切、食べられなくなる? 雨水も飲めなくなるとすると?
それが広島の数千倍?の放射能を放出であれば? それを誰も口には出せないのが現状。
評論家は、その最悪の想定値の場合、広島や、チェルノブイリ事故と比較して語らない。もし語ったらパニックになるからだ。
フランスとアメリカが、特別便の飛行機で自国民の救済に向かったという・・・
 日本を壊滅させるほどの大被害をもたらすものとしたら? まずは一番の被害者は、今回の津波の被災者になる。 
至上最大の原発事故が目前に迫っている現在、大津波と、いま正に東北・関東地区に襲うとする原発事故が
重なっているところが、不思議である。新潟も福島から200キロにところに位置して、安全といえない場所である。
 しかし、今回の政府は首都圏の三千万の住民に万一に備える警告をしていない。むしろ、逆の情報を流している。
何故、国家非常事態宣言をしないのか! 万一に備え逃避の準備を呼びかけないのか! この程度の人物が何ゆえ首相なのか!
今日から明日が、一番危ないと思われる。 とはいえ、何処に逃げればよいのか? 200キロも500キロも同じと放射線の
専門家医師が言っている中で、ジタバタしても同じということか。それにしても、日本人は暢気である。自分もだが・・・
 たまたま去年の今日、虚無主義の論が書いてあった。人みな骨になるのだから、今更がたがたすることもないか!
 ・・・・・・・・
3279, 人みな骨になるならば −1
2010年03月18日(木)
「人みな骨になるならば」 頼藤和寛 著
  なかなか面白い人生論である。 副題がー虚無から始める人生論ーである。初めから終わりまで、
 「人はみな骨になるならば」の虚無の思想が、どの言葉の後ろにピッタリと付いている。といって、読んでいて気分が
 悪くならないのは、本人の持っている温もりのためか。 この本を書き終わった数年でガンが発見され亡くなった。
 そのプロセスを書きのこした本「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」も出されている。
 「斯う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」(一茶)の句が、この本のテーマである。そして次から次へと繰り返される虚無思想。
・「誰しも認めたがらないことではあるが、おそらくわれわれ一人一人の人生が一種の無駄である。」とか。
・「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。・・・どうあがいてみたっって、逃れられない人生という檻の
 なかに?我々は産み落とされてしまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、
 その檻の中で 一舞いしてみせる?しかないではないか」
・「人生に、意味なんて無い。けど、何かに意味を見出さないと、人は生きていけない。
 だから、自ら意味を作る。それはまるで、無神論者が祈る神のようなものだ」とか。宇宙人?の視線である。
   ーここで「エゴ・トリップ」という幻想を紹介している。
 【 「わたしが生きようが死のうが大したことは、といった現実は非常に不愉快な現実である。
  たぶん、宇宙から見れば、一匹のゴキブリや一本の松が生きたり死んだりするのと大して変わりない。
 この現実から逃れるために人間は実にさまざまのことをしてきた。われわれの自我は、その酷薄な現実に堪えられないようだ。
 それに堪えるために人間は自分の意味を膨らませるために、自分を誇大視するか、あるいは自分が属する何かを大層なものにするか、
 に心をくだいた。・・・・自分の存在を「なにものでもない。」という実態から、「なにものか」であるような幻想へと
 昇格させようという営みの全てをエゴ・トリップという。 自分を膨張させようとする、あえない試みである。
 これは子供の背伸びから、青年の客気、男女の虚栄や見栄、年寄りのあがきに至るまで、およそ人間の煩悩や業の全てに浸透している
 動機のひとつである。 宗教的な修行や脱俗ですら、それによって自分を特別なものに昇格させたいという目論見が透けて見える。 】
  ー考えてみれば、われわれの生活の中で何らかの努力をもった営み全てが、このエゴ・トリップと考えると、人生そのものが
 エゴ・トリップゲームになってくる。 しかし、秘境ツアーで大自然の美しさや広大な姿に触れて、感動した経験を多く持つ身にとって、
 それはエゴ・トリップとは違う、と思うが、どうだろうか。特別に昇格したいのでなく、対象に自分が溶け込んでしまう経験そのものが
 良いからである。すべて夢の中 か〜 そして、すべてがエゴ・トリップでしかないのか? そう思うと気が楽になるが!
 ・・・・・・・・
2904,清水洋の経済危機
2009年03月18日(水)
 この人のセミナーを東京まで行って何年前から聞いてきた。今年の彼のセミナーの案内がきたが、去年に二度出席したので、
今年は行かないと判断した。ところが案内のパンフレットに、そのDVDを販売するとあった。
セミナーは3万8千円、二万円なら安いが関連の本が十冊買うことが出来る。といって、時が時だけに現場の生々しい
視点からの現状の情報も興味深い。去年、三回の彼のセミナーを知人とシェアをした(二度私が参加し、
一度は取引先の社長が参加)。今回も再びシェアをと声をかけた。それが昨日の午前中に届いたので、
午後から4時間部屋でパソコンを通して聞いてみた。今回は一切メモを取らないで一度、脳にいれた後に、印象として残った
言葉を待つ実験をしてみることにした。「脳に残らないのは、必要としないこと」という言葉を思い出したからである。
 −印象を、そのまま書いてみると・・・
・ハイパーインフレが数年後に起こる。そのタネを現在、世界中で公然と蒔き始めた。
 その芽が出てくるのが、数年後である。間違いなく、ある日に爆発的に発生する。
・不動産の暴落は、さらに大きく起きてくる。 買いにきた初めの客に迷わずに売るべし。
 不動産の供給過剰は、これからの時代の趨勢である。東京のマンションや売りアパートは半値以下。
 それでも買い手がいなくなった。 銀行が金を出さないからである。 不動産の市場は想像を絶した惨状。
・三百年続いた近代工業主義社会が、この恐慌で間違いなく終焉した。 日本のバブル崩壊後に何とか主導してきた
 輸出立国モデルが、崩壊してしまった。これに替わるモデルが全く見当たらない現在、日本の将来に非常に悲観的である。
・さらに少子化問題は、今後の日本にとって非常に大きなマイナス条件。
・金(きん)は、今後数年後には6〜7000円まで上がる。金が上がるというより、貨幣の価値が下がる。
 今度の金融恐慌に対して、世界中のトップが取れる政策は、ペーパーマネーを増発してハイパーインフレを
 起こすしか手立てはない。世界の資産家は、金の買い集めを始めている。
・実感として、そうじて40パーセント減である。政府は中小企業を潰さないことを金融庁に指導している。 
 その手立ての一つは、リ・スケジュール(返済計画の見直し)であり、それを利用すべきである。
・政府も銀行も信用すべきでない。自分の身は自分で守るべし。
▼ 以上だが、聞くたびに話しは辛らつになっている。 私の事業は不動産の要素が7〜8割を占めるから、深刻である。
 再開発地区の物件だから、救いがあるから、何とかやれているが・・・
 ・・・・・・・・
2540, ロシアの小話、8つ
 2008年03月18日(火)
小話といえば、ユダヤと、ロシア、そして中国などがある。その中で、一番スリルとサスペンスがあったのは、
ソ連の体制時の小話だろう。ひつと間違えば、秘密警察に連行されシベリアに流される。そのギリギリの中で、
ひねりを入れた小話を「アネクドート」といいうが、ロシア人は食事時などに普段人には言えない鬱憤を
ぶちまけるために作られたブラックジョークだからこそ、毒があり捻りが味がある?
その幾つかインターネットで探してみたが、ブラックージョーク収集を趣味としている私でも、
なるほどと含み笑いをしてしまう。まずは、強烈なやつから順に・・・・息子が服をボロボロにして帰宅しました。
「どうしたんだ、お前」 ?父親が厳しく問い詰めました。「隣りの子と喧嘩した」
「なんてことをやらかしたんだ。これじゃ新しい服を買わなければならないじゃないか。」「だからどうなの。」 
 ー息子が自慢気に答える。
「あの子を見てみればいいんだよ。あの子のお父さんは新しい子供を買うことになるだろうさ。」
・母「ぼうや、大きくなったら、何になりたい?」、 子「お母さん、僕、外国人になりたい」

・・・・・・・・・・
2007年03月18日(日)
2175, 14歳の君へ ー読書日記       (~Q~;)  おはよう??ファ?
  =「宇宙」について=
「14歳からの哲学」に引き続き、今度は「14歳の君へ」という本を買った。
池田晶子の本は、これで8冊目である。こういうジュニア向きの本は、解りやすく噛み砕いてあるので、
読めば読むほど多くの示唆を受ける。去年の暮れの発刊なので、亡くなる直近の本である。
この二冊で取りあげてあるテーマは、多くが重なっている。同じようなテーマのところを開きながら、
見比べると切り口が微妙に違っている。何じことでも新鮮に思えてくるから不思議である。
宇宙」について、哲学的に幾ら問いを立てても、その答えは出つくすわけがない。
しかし、宇宙の存在の不思議は、切り口を変えて考えた分だけ面白い。
ーその面白そうなところをー
「14歳の君へ」ー?・君は誰だろう?ー の中の『宇宙』についての項目から抜粋してみる。
ーP/128 ー「宇宙はいったいどうなっているのか」の問いは、これだけでも充分にとんでもない。
だけど、「どうなっているかわからない宇宙は、どうして存在しているのか」という問いは、それ以上にとんでもない。
こういう問いはとんでもない、人間にはどうしようもないと気がついた人間は、苦し紛れに「神」という答えを思いついた。
宇宙は神が創ったものだから、それが存在しているのも神の意志だとする考えだ。一般的に、これが宗教というものの始まりだ。
そう答える方が、人間は安心する。 しかし、科学が発達し、科学的知識を身につけた現代人は、こんな答えを到底
信じることはできない。宇宙の何処かにいて、宇宙を創った神様なんて、想像をしたって無理がある。
それなら、ビッグ・バンによって、ある時に突然始まったとする時の方がまだ納得する。
だけどやっぱり納得できないが、この「ある時突然」というやつだ。たとえば、こんなふうに考えてみよう。
天体望遠鏡で、百億光年向こうの星の姿を君はみる。光の到達時間差から計算して、百億年前の星の姿を、
今見ていると、科学は説明する。しかし、考えてみたら百億年前には、君は存在してなかったはずだ。
それなら、自分が存在してない世界を、なぜ現在みることができるのだろう。これはおかしいことだろう
両親が存在していない前の世界を、生まれていないはずの君が今みているということなんだから。
こういうおかしなことについて、科学は説明をすることができない。これは当然だ。科学は、宇宙と自分というものを、
あくまでも別物とすることで成立しているのだからだ。そうでなくては、それを対象として観察、実験できないからだ。
しかし、なお良く考えてみれば、自分と宇宙を別物にすることなんか、できるわけがない。宇宙を客観的に観察している
つもりの自分が、まさにその宇宙の中にいるのだから。宇宙を知りたい、宇宙とは何かを考えたいと願う君は、本当は、
それを考えている自分とは何かをこそ、考えなければならないんだ。「自分とは何か」、これはその意味で、
宇宙の不思議に匹敵する問いなんだ。百億年前の宇宙を今見ている自分は、百億年前にも存在していなければおかしいよ。
(字数制限のためカット 2012年3月18日)


4750,閑話小題 〜マレーシア機不明はテロとすると

2014年03月17日(月)

    * マレーシア機不明で、謎深まる
   ー まずは、断片的ニュースより
 《 マレーシア機不明 乗客のうち2人が盗まれた欧州連合(EU)加盟国のパスポートを悪用して搭乗していた
  可能性があることが、当局の発表や関係者の発言で8日に明らかになった。3月8日 》
 《 ナジブ首相は、首都のクアラルンプールを離陸したマレーシア航空機の通信手段が離陸からほどなくして、
  意図的に切られたことを明らかにした。機体はその後、マレーシア東海岸の上空で航空管制のレーダーから外れ、
  西に向きを変えたという。そして、マレー半島を横切り北西へ向かった。離陸から約1時間25分後には、軍の
  レーダーからも姿を消した。こうした機体の動きについてナジブ首相は、「こうした情報は(操縦士ではない)
  何者かが航空機を操縦したと考えて矛盾しない」と述べた。また通信衛星のデータを解析した結果、軍のレーダー
  から消えた約6時間後の午前8時11分に機体の信号が衛星にとらえられていたという。レーダーのスイッチを
  切った上で当初のコースを外れ、6時間も飛行していたことが明らかになったマレーシア航空機。3月15日)》
 《 機長は反政府派のアンワル・イブラヒム元副首相の熱烈な支持者であり、元副首相は先日3月7日、同性愛罪で
  禁固5年の実刑判決を受けた。消息不明になったのは翌日。なんらかの抗議か? 3月16日 》
 ▼ 当時、中国の全国人民代表大会(全人代=国会)が開催されていたが、それに対するメッセージの可能性がある。
  「3月1日に発生した雲南省昆明駅でのテロ事件」や、「北京・天安門の毛沢東の肖像画汚す」事件も、党への不満。
  その一連とすると、非常に恐ろしい事件になる。消息が不明とすると、既に自爆をしたと見るべきか? それとも、
  何処かの国に侵入して撃ち落とされた?か。 もし、機長がテロ犯としたら、北京の全人大に突っ込むことも可能
  だったが、その防御体制が出来ていたのだろうか? もし、実行されていたら「ソ連と同じような崩壊過程に
  入るほどの事件になる。 真相は、まだ分からないが、機長そのものがテロの実行犯としたら、「事実は少説より
  奇なり」になる。 中国の政治・経済バブル崩壊もチョットしたキッカケで起こる可能性を含んでいる!
・・・・・・
4383, 黒鳥は、いつ舞い降りてくるか分からない
2013年03月17日(日)              
   * 不測に備えよ !  「なぜ多重債務者がベンツに乗れるのか?」鳥巣 正樹 (著)
自家用車は20年以上前に買ったソアラである。現在も、ほとんど故障することもなく、乗り心地もベスト。
スポーツタイプもあってエンジンも劣化した感はない。燃費はL7キロだが、遠出は少ないのでガソリンは月に1〜2万円。
当り外れでいえば当りの車。査定ゼロで借金のカタにもならない。 ところで、「弁護士に全面委任したがよいが、どこまで
信頼してよいものか?」「個人保証分の債権のため個人破産をすべきか?」と戸迷っていた時、知人にこの本を紹介された。
しかし殆ど読まないうちに忘れていたが、先日、書棚で見つけ出し読んでみた。 破産は債権者からすれば何も回収できない
最悪の事態。今回、余裕資金があるうちに弁護士に駆け込んだのも債権者からみたら善し悪し。破産は以前と違い個人への
保護ネットと、この一連の経験の過程で知った。著者は「最後の手段として、ぎりぎり、とっておくべき」という。事業再開の
意思など更々ないので破産を避ける必要性がない。ただ「気持ちの問題、しないで済むものなら」と、現時点では、しない方針。 
著者の論からして、それが正しいようだ。ここで、「債務者の方が債権者より強い立場にある」というが、実感である。
 まずは弁護士費用を用意しておく。それ以前に長年かけ備えをしておくこと。 黒鳥は、いつ舞い降りてくるか分からない。
  ーアマゾンの内容紹介ーより
≪ 合法的に、正々堂々と、借金を踏み倒す方法があった。「借りた金はゼロになる!」。ズバリ、これが“新・債務整理論”。 
 本書では、事業ローン・住宅ローンをはじめ、多重に借金を抱える債務者を救う借金返済術を大収録。
「6億円の借金を踏み倒し、手元に残した1億円で再スタートを図った社長」「4億円の借金を踏み倒し、家を手放すことなく
ベンツを乗り回し続ける社長」「3億円の借金を踏み倒し、事業再生に成功した社長」など、合法的に借金をゼロにして、
人生を再スタートさせた事例をもとに、目からウロコの対応策を伝授します。
 父親の借金が原因で苦しい幼少時代を余儀なくされた著者が、その復活劇から学んだ“踏み倒しノウハウ”が詰まっています。 
借金は返すのがもちろん大前提だが、不幸にして返せない事態になった場合、借金のために死ぬ必要はない。 自己破産だって
しなくてよい(自己破産は最後のカード)。 債権者だって人間、ハートとテクニックで開ける道もある。そのためには
筆者のようなプロに相談すべしという内容。本書は、事業の借金や住宅ローンを返せなくなった人向けに書かれた本。 ≫
 ▼ 弁護士の当たり外れはある。今回は30年来の会計事務所のグループで、同じ建物内の弁護士だったので安心していた。
  しかし、弁護士は債務者の利益より法的正義を優先する立場。それを踏まえて対処すべきである。 債権者である銀行は、
  元もと損しない仕組みができている。 長期事業のためリスクヘッジを数十年積み上げてきた。 が、「自分は大丈夫!」
  という気持ちがあったことも事実。9・11、リーマンショック、3・11など想定できようがない。何とか雪崩に巻き込まれる
  直前に決断。辛うじて最悪を逃れた。とはいえ準備期間を入れ45年かけた事業崩壊である。そう簡単に割り切れない。
 「問題の中心を凝視し続け、弱気にならない」それが長年の経験から得た対処法。多重債務者か〜 中小は個人保証が前提。
・・・・・・
4009, 昼間、何してる?
2012年03月17日(土)
 私も数年前の集まりで、久々の高校時代の同期に「Uターンをして毎日、何をして過ごしている?」と聞いたことがある。
それと同じ質問を現在、自分がされている。その時、「スポーツセンターとか、図書館とか、暇を持て余すことはない」と、
現在の私と同じような答えであった。 それでも、暇そう、としか思えなかった。私はアウトサイダーで群れることが好きでなく、
同級会以外は一対一の付合いが多い。 それもあり、月に平均二度の飲み会以外に知人友人との接触が少なくても平気である。
ブログなどで、自分の気持ちを開放し書いているので孤独感は無い。ジムで人の中で運動していることも気持ちが落ち着く。
 参考のために、昨日の一日のスケジュールを、そのまま列記すると
4:50 起床ー> 随想日記の下書きの修正と、ネットへのアップと、翌日分の荒書き。
6:50  コーヒー・タイムと、新聞閲覧とTV(モーニングショー)
7:40  朝食と、TV       8:20 風呂
9:20  書斎で読書、パソコン
11:00 昼飯(牛丼店)後、   11:30アピタのシネマで映画
13:40 スポーツジムへ (ホリディSJが休日のため、公営のミニSJへ)
14:40 図書館、ドラッグストア、給油
16:00 居間で休憩後、書斎で読書
17:20 TV(大相撲)、晩酌 TV(録画)
20:00 パソコン・・・     21:20 就寝
▼ 金曜と日曜は民間のジムが使えないため公営のジムに行く。4月〜11月は、4時半に起床、6時まで、この随想日記の
 書き上げと、そのアップと、翌日分の下書きをする。その後、一時間かけて信濃川の二つの大橋を自転車で一周する。
 飲み会が月に平均二回。アピタのシネマに月2〜3回。ランチが週2〜3回。図書館と蔦屋は、週一。この合間の隙間時間に、
 iPadで、読書、ゲーム、ネットサーフィン、電子新聞・雑誌を見たりする。私として充実しており、一週間はアッという間。
  ・・・・・・
3643, 大地震 ―小題二題  ー6
2011年03月17日(木)
  * やはり国家非常事態宣言が必要では!
 非常事態宣言が可能な法律があるかどうか、知るところではないが、超法規で期限を決めて、
警察、軍隊、消防、金融政策をトップレベルで決定する権限を与えた臨時的組織体制をつくるべきである。 
一番相応しくない人が、最悪の時にトップにいる不幸も、日本の宿命である。 といって、今さら、この急場に
首の挿げ替えをしている時間はない。宣言と、メンバーの顔ぶれを並べ、迅速に動いている姿をみ見せるだけで
国民は安心するはずだ。空ろな顔をして、メモを読んでいる姿をみるにつけ、パニックに火をつけるだけ。
武道館を本部にして、政府機関のトップと、そのスタッフを集め、情報の共有化を迅速にして、即決即断しないと、
被災者も、これからの被災者もすくわれない。
  * 原発事故難民が新潟にも
 昨日、車で新潟から長岡までの帰り途中にラジオで、「福島からの避難民の方は、この電話番号・・に電話を下さい」
と放送していた。避難所の紹介である。東北自動車道が閉鎖されているためか、高速自動車道は車で満ちていた。
TVで、ぞくぞくと逃げてきた被災民が新潟市の体育館などに詰め掛けている画面を映し出していた。
その前に、ホテルに一泊しシャワーを浴びる宿泊客の車が駅前に溢れている。 三人の男性の宿泊客が、
「宮城から食料と、生活雑貨の買出しにきた。街には死体が散乱していて、死臭が凄い。」と言っていた。
関東も関西方面に避難している車が多くあるという。日ごと、この災害の影響が私たちにも迫ってきている。
 避難のため、得別便を日本に飛ばす国があったり、大使館の機能を関西に移動している国もある。
我々は、ただ座して放射能の被爆を受けるしかないのか! 大して先が残されてないので、諦めがつくが、
若い人たちや、日本国家を考えると、絶望的になるのは当然のこと。 まだ、発生より6日目でしかない。
・・・・・・・
3278, 哲学者は神について、どのように語ったか ー6
 2010年03月17日(水)
  * ニーチェの「ルサンチマン」
 「財力や権力より、魂の美しさに価値があり、他者を愛し、他者のために尽しなさい。貧しき者は幸いである。」
 と説くキリスト教。 その道徳も、弱者の自己防衛にすぎないと主張したニーチェ。弱者同士が欲望を否定し、
弱者同士が慰めあう考えに矛盾を感じ「死後の天国」という幻想のため善行を積むことを「奴隷の道徳」と否定、
天国のことを考え、この世の生を否定することを、死への意思と非難した。神、天国が幻想と暴いたニーチェは
「神が死んだ」と宣言をした。宗教そのものが弱者がつくり出した幻想と堂々と当時、言い放ったのである。
キリスト教を教会も、権力者も、弱者を「貧しきものは幸いである」で、納得させるに都合が良かったのである。
彼は人間の生の原動力を「力への意志」と考えた。誰も自分をパワーアップして生きたいもの。しかし、大部分の人は
挫折をし恨みや憎悪(ルサンチマン)を抱えて、小さく生きている。要は、この世の生に向き合わず、宗教のいう
天国や来世を幻想して生きるのである。その幻想をキッパリと捨て去り、今の、この世を生きることを肯定せよと
主張したのである。 神が死んだことで、神によって規定されることなく、無限の可能性を持ったともいえる。
キリスト教で絶対的な神は、人間を創造する存在だったが、しかし、神が死んだことで、人間こそが真の創造者になった。
人間は何を創造するのかというと、「超人」である。超人とは、「人間は神なしですませる為に、勇気、頭脳明晰、
自負、独立性と苛酷性を持った人間」である。超人は、そうした強靭と知恵とを持って、その生を生きます。
生の苦痛に耐えて、それを肯定することは、自分の運命に堪えることになる。悲惨でも、その「運命を愛すること」のみが
必要にとされるのである。人間は、「生まれ、生きて、死んでいく」、この意味のない有為転変が永遠に続くだけだが、
自分に与えられた運命を良く生きることで、この永劫回帰の苦痛を克服できるのである。
各々の運命を愛しながら生きることが大事なのである。一応、彼で近代が終わったといってよい。
 権力者や、それにつながる聖職者にとって大多数の弱者をコントロールするに宗教ほど都合良いものはない。
ヨーロッパ人が、アフリカやアジアに進出する前段階に、キリスト教の普及をしたのは、そのためである。
アーリア人がインドを占領し、ヒンズー教をつくり、カースト制度を植えつけたのも、それである。
 ・・・・・・・
2903, 日本は輸出立国か?
2009年03月17日(火)
 野口悠紀雄は、その著書「世界経済危機」で、「アメリカの金融立国に対応して円安にして資金を供給し、
かつ円安メリットを最大限利用して輸出立国をつくりあげた日本はアメリカと同罪である」と断じている。
ところが果たして日本が輸出立国かという素朴な疑問が生じるのも事実である。
そこで他国のGDPの輸出比率はどうなっているか調べてみたところ、意外な数字であった。
・中国 37パーセント    ・韓国 37パーセント
・ロシア 30パーセント   ・欧州平均 50パーセントの数字であった。
・原油輸出国のクエート 56パーセント。他の産油国では90%以上だろう。
これからみると日本は輸出立国と果たしていえるのだろうか。しかし輸入が13〜4パーセントになるので、輸出をしなければ
国が成り立たない。特に資源輸入国なので、それを稼ぎ出さないければならない。石油などのエネルギーを20兆円、食料6兆円の
輸入をしているから、少なくともそれだけの輸出を確保しなければならない。食料自給率が40パーセントを割ったことも、
日本にとって不利である。とはいえ、日本は中国など世界中に工場を移転してるので、一概に輸出立国を否定はできないが・・。
世界はグローバル化している中で、企業も国際化しないと生存できない時代である。
アメリカのサブプライム問題で、日本の産業をリードしてきた輸出産業の崩壊は、国の存亡の危機。
特に今年が最重要の年である。 現在の日本の政治は、それに対応しているのだろうか?と考えると
暗澹とした気持ちになってしまう。 非常事態には、非常体勢が必要なのに、何をしているのだろうか?
・・・・・・・・・
2539, 閑話小題  2008年03月17日(月)
 *三月の風景
三月は何ともいえない雰囲気で好きである。節目の時だからだろう。「誰々が、どこそこの大学に合格した、入社した」とか、
駅には卒業式の羽織袴の姿と、小・中・高校を卒業した少年少女のエネルギーが街に溢れかえる。
近くの散歩コースの土手の雪が融け、小さな犬の散歩の姿が見られるようになる。
春の到来ということだ。 企業は退社する人と、入社する人の交差の不安定の。時期になる。
野球のオープン戦と開幕戦が始まり、サッカーの開幕、大相撲春場所が始まり、春の高校野球、
そして卒業式の学生の姿が初々しく微笑ましい。 一年の節のの時節ということだ。
 *サブプライムローンと毒入り餃子
(字数の関係で中略ー2012年3月17日)
 *骨美人と水美人
(字数の関係で中略ー2010年3月17日)
・・・・・・・・
2007年03月17日(土)
 2174, 14歳からの哲学ー 2  オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
今回は池田晶子の真骨頂の部分といってよい「死について」考えてみよう。以前に「あたりまえことばかり」という著書の中でも、
死について述べている。(いや、彼女のあらゆる著書の中で述べているが・・)最近、「死」について考えると心地良いのは
どういうことだろう。死を考えることは、生を考えること、人生そのものを考えることだからである。いや歳をとったということか。
「あたりまえのことばかり」の中の、?章 生きているとはどういうことかーの一節から・・
 ー死を知らないくせに、そのくせ知ったつもりでいる。
普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。自分が死ぬという経験は絶対にありえない。
もう一つの勘違いは、死体を見て、それで死を見たと思う。ここが大事なことですが、死体は死ではないことに気づくと
色いろなことがわかってくる。死体は物質ですが、死そのものは物質ではない。それでは「死とは何か」の一般的な答えは、
「無になる」ことです。無というものは無いから無なわけです。無は存在しない。存在しか存在しない。
したがって、「死ぬことは無になること」という言い方によって、言われている無というものは無い。
すなわち死はない、ということになります。にもかかわらず、なぜ無い死を在ると思って人は生きていくのか。
その視点を手に入れると、死があると思って生きているこの世の光景が、可笑しく見えてくる。
 無いものを在ると思っているのですから。思い込みですね。世の中のすべてが、錯覚の上で動いている、これは面白い。
ですから、死が存在しないと気がつきますと「人生」という言葉の意味するところがまるっきし変わってくる。やがて死ぬ、
どうせ死ぬとは言えなくなる。なぜなら死は無いのだから、人生の意味はまるっきし変わってくる。
 「あたりまえのことばかり」よりー
しかし、この[14歳からの哲学」の中の死についての説明も、なかなか含蓄が深い。
  まずは、その部分を抜粋してみよう。
ー7、死をどう考えるかー P51
生死の不思議とは、実は「ある」と「ない」の不思議なんだ。人は、「死」という言い方で「無」ということを言いたいんだ。
でも、これは本当におかしなことなんだ。「無」ということは、「ない」ということなんだね。
無は、ないから、無なんだね。それなら、死は、「ある」のだろうか。「ない」が、「ある」のだろうか。死は、どこに、
あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。君はたぶん、死ぬことを恐ろしいと思っているだろう。
死んだら何もなくなるんじゃないかって。でも、何もなくなることは「ない」はずだ。なぜって、「ない」ということは、
「ない」からだ。じゃあ、なぜ、「ない」ものが怖いのだろう。ないものを怖がって生きるなんて何か変じゃないかと思わないか。
逆に、死んでしまいたいという気持ちになることもあるだろう。 死んだら何もなくなって、すっきりするだろうなって。
でも、やっぱり、それも「ない」よね。死んだって、「ない」ということは「ない」のだから、それなら、
  死ななくたって同じじゃないか。 あるいは、他人を死なせたい、殺したいという気持ちがよぎることがある。
でも、もしも、殺しても実は人は死なないとしたら、どうする? 生きている人が死のことを知らないのは当たり前なんだ。
なのに、世の中の人はほとんど、この知らないことを知っていると思って生きているんだ。じゃあ、誰もが知っていると
思っているこの「生きている」 ということは、死を知らないとしたら、何を言っていることになるのだろう。
 ーー
評)「存在と無」の論証ということになるが、これは難しいといえば難しい。
 死は生前に戻ること!という、道理が好きだが、生は生前と死後を取り巻いている無に浮かぶ一点という、
  小さな球状のイメージである。それは誰にも取って変えることができない自分だけの宇宙の一点である。
そう思うと、自分の人生をもっと大切にしなくてはと、おもうのだが。


4749,そんなに長生きしたいですか ー3

2014年03月16日(日)

                『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
    * 長寿の具体的危険とは
 長寿社会の陰で、老人に多くの危険が迫っている。そういう私も、母親の介護で多くの経験をした。傍から見たら・・?
第三者と、当事者、そして介護をする立場とでは全く違うのである。そして、今度は、自分の番が近づいてきた? 
その前に死にいくつもりだが、これだけは神(自然)の思し召し。いま出来ることは、前知識を蓄えておくことと、
覚悟しかない! ーその辺りを纏めてみたー 
《 簡単に死ねない時代に、長寿なるがゆえの危険が数多く控えている。医療制度のため、そう簡単に死ねないのである。
そこに当然、周囲との軋轢が出て弱者の年寄りに危険が迫ってくる。特にプチ虐待は深刻。昔は、ものが食べられなければ、
自然に静かに死んでいけた。今は鼻からチューブを入れたり、胃ろうをつけたり、点滴や輸液で補い、生かし続ける。
食事補給だけでなく、呼吸も循環も、排泄も、あらゆる生理機能が人工的に補助され、なかなか死ねないのである。
長生き=善という考えを無批判に肯定したため、死なせてやる視点が全くない。 ー危険といえば
・孤独と憤懣の危機 :老いれば老いるほど強くなる。そして、短気になり、周囲と馴染めなくなる孤独な老人。
・自殺の危機 :元気で長生きで、優しい家族に囲まれても、危険がある。老人の自殺は、独居や夫婦二人の世帯より、
  二世代、三世代同居の方が多い。そこでは、子供が中心になり、収入も子供が得てくる。自分は役に立たない、
  いらない存在という鬱憤が蓄積し、自死につながる。
・マスコミ報道に踊らされる危険 :世間では、‘最悪のことを想定する’という考えは、あまり歓迎されない。
  どうしても、‘良いこと’‘あるべき姿’に目がいってしまう。マスコミ報道は、老人虐待や少子高齢化社会の
  危機に切迫した警鐘をならすが、これは、老人世代を甘やかすことになる。常に完璧な、こうあるべき視点で、
  報じるから、老人の不満と、我が儘が蓄積していく。
 そこには、欲望肯定主義の陥穽がある。ただ、アンチエイジンだけでは幸せになれない。もっともっと、
 という気持ちが、不満を増長させる。そして、孤独と憤懣のあげく、自殺への道になる。》
 ▼ 私自身の5年半の介護経験からして、母親当人は大変だったはず。そういう時期には、他の問題が重なるから、
  家族全体が、極限的危機状況になる。肉体も、精神も老化のため弱体化し周囲に問題を投げかけるが、受け止める
 余裕がない。寝たきり平均6〜7年とすると、あと5年も経たないうちに、その時期に入ることになる。
 アンチエイジングなどしないで、自然に任せていた方が良い!というのも肯ける。自死の権利なるものが何故無い?
・・・・・・
4382, ブラック・スワン −2
2013年03月16日(土)
 ブラック・スワン ー2
               「ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ著
  ー まずは、「あるブログの要約」から ー 
≪ 歴史に接すると、人間の頭には3つの症状が出る。
1. 分かったという幻想。世界は実感するより遥かに複雑だが、皆何が起こっているか自分には分かっていると思い込んでいる。
2. 振り返ったときの歪み。 我々は後付けで物事を解釈しがちになる。
  (歴史は人が経験する現実よりも、本で読んだほうが分かりやすい)
3. 現実に起こった情報を過大評価する。権威と学識のある人は不自由になる。特に物事を分類し始めると、それに縛られる。
 科学が導き出した結論のいくつかは、めったに起こらないことが与える効果を過小評価したり、完全に無視している。
 だから、現実の世界では使い物にならないケースが多い。
 めったに起こらない出来事(黒い白鳥)を見るのに不自由だと、他にも色々な事が起こる。
1. 最初から目に見える一部に焦点を当て、それを目に見えない部分に一般化する。
2. はっきりとしたパターンを欲しがる自分を満足させる講釈で自分をごまかす。
3. 黒い白鳥なんていないかのように行動する。
4. 目に見えるものが全てとは限らない。歴史は黒い白鳥を隠し、それが起こるオッズを見誤らせる。
5. 私たちは素性のはっきりとした不確実性の源ばかりに注目する。しかし、それらは黒い白鳥のリストとしては
 具体的すぎるので、その結果、なかなか思いつかないその他の黒い白鳥は無視してしまう。
人間は現実に起こった物事に対して、やたら法則を作りたがる。いったん法則の仮説を構築すると、その後はその仮説を
立証しようとする行為のみに熱中してしまう。歴史とは「後から起こったことの効果を合わせて見た一連の事象」のことである。
911テロ後の約3ヶ月間に、アメリカ国内で交通事故で死亡する人が約1000人増加。これはテロの影響で飛行機に乗る人が減り、
その代わりに車で移動使用とする人が増加した結果である。実際、飛行機事故よりも自動車事故の方が遥かに確率が高い。
 人々を2つのグループに分け、ピンぼけの消火栓の写真を見せる。それが何だかわからないほどのピンぼけである。
一方のグループには、解像度を10段階に分けてゆっくり上げる。もう一方のグループにはもっとすばやく5段階で上げる。
そして、同じ解像度のところで、各グループに何の画像かを尋ねる。すると、画像が消火栓と見分けられるのが早いのは、
段階の少ない方のグループであった。 
 つまり、与えられる情報が多いほど、それだけ人は仮説を多く作って、どんどん間違った方向に結論を持っていってしまう。≫
 ▼ 現在も、黒鳥が何羽か近くに来ているが、ほとんどの人は日常に気をとられ。自分に直接関係ないだろうと思っている。
  リーマンショックの直撃で、まさか私が、この事態になるとは思ってもみなかった。9・11テロで直接、事業の根幹を
  揺らぐとは、思いもよらなかった。まさか、1000年に一度の東北大震災が、直撃しようとは。地元の中越の大地震二つも、
  まさかの黒鳥である。人生にとってのブラック・スワンといえば、突然、目の前に突きつけられる「死」である。
  必ず誰にもスワンは舞い降りてくる。私の人生時計は夜10時。闇は深くなってきたが、生きている限り黒鳥は気配だけ。
・・・・・・・
4008, 閑話小題 ースローヨガなど
2012年03月16日(金)
  * 昭和的価値が人々を苦しめている!
 図書館で、何気なく月刊誌「新潮45」をチラ読みをしたところ、ある対談の中で印象に残った言葉があった。
「良い大学を出て、大企業かに入るか、公務員になり、マンションを買って、子供を二人つくり、とかいう戦後の昭和的価値から
抜け出せないで、苦しんでいる人が多い」という内容。 特に、団塊世代の親子、とりわけ子供の心に、その断層があり、両者が、
その葛藤に苦しんでいる、ということ。 ここで現役から退いて一年、昭和的価値観に影響された、それまでの人生が見えてくる。
学生時代の専攻が社会学だったこともあり、卒業後も社会の潮流に興味を持ち、昭和的価値観を突き放し鳥瞰していたつもりだった。 
しかし振り返ると終戦後から高度成長期の昭和的価値観に縛られていた自分に、あらためて気づいた次第。
 特に地方は昭和的というより、戦前戦中の日本的価値観が失われず、そのまま残っている。 それを良しとするには、情報化が
それを許さない。そのため、その年代の横の繋がりが強すぎ孤立化傾向が強い。 それを絆というらしいが・・・ 
大量生産、大量消費を目指した昭和が終わり、情報化もあり、グローバル化の波が大きく覆い被さってくる。その昭和の価値から
抜け出れない人たちが、財布を握りしめているため経済は停滞、少子化もあり経済は最悪の事態に突き進んでいる。
  * スローヨガ
 スポーツジムで二週間前から「スローヨガ」に参加を始めた。入会当初に3回、参加したことがあるが、腰にきつかったため、
それ以降、参加するのを止めていた。 イージーラインを続けて二回するのが習慣になり、それが私にとってベストになっていた。
ランニングマシーンのウォーキング30分に、イージーライン(25分)を連続二回に、週二回のスローヨガ(50分)を
加えたことになる。チャレンジ10と勝手にキーワードを決めて昨日で4回目。この言葉を繰り返しながら通っている。
 腰痛改善のためのコースと思えるほど腰が軽くなる。40坪位のエアロビのスペースに30〜40人。男の参加は4人。
殆どが常連で、最後列からみると全員、姿勢がよい。 まずは、あと6回は参加すれば、恐らく常連になるだろう。 
 ・・・・・・・
3642, 現在、我々は歴史的災害の真っ只中にいる!
2011年03月16日(水)
   地震 ーつれづれに −5
 時間が経つにつれて、この歴史的大震災の凄みが現われてきている。
「震度7、M9、死者2万、津波の高さ20メートル、三陸沖の太平洋側幅500キロにわたる広域の大震災である。
その上、チェルノブイリ原発事故以上?の福島原子力発電所の事故が生じていて、それを加えると世界的、歴史的な
大震災が現在進行形で進んでいる。」 まず、このことを認識しておかないと!
 その心臓部の格納容器が爆発をしたら、日本だけでなく世界中に放射性物質を撒き散らすことになる。
一度、メルトダウンが始ると止めるのは不可能。最悪の場合、本州の全滅もあるかもしれない。
それより、まず被災民に放射能が直接ふりかかる深刻な問題がある。 株は二日間にわたり暴落をしている。
これをきっかけに日本が本格的経済恐慌に突入する可能性が出てきている。そこで非常事態宣言が発令され、
銀行閉鎖が行われ、預金移動や、貴金属などの取引に規制がかけられる可能性もある。 こういう隙を狙って中国、
ロシアが日本の領土や技術を、アメリカは金融を混乱させる?。 リーマンショック来の恐慌の最中の最悪期に、
さらに最悪のことが起きたのである。まず株式、そして国債の暴落。その結果、アメリカへの属国化は、さらにすすむ。 
「まさか、まさか、まさか」の出来事が、この20年以上にわたり、眼前に次々と現れてきていた。 
その最大のリーマンショックの本格的大津波が、まず日本に押し寄せてきている最中に、この歴史的大震災である。
その結果、世界も日本発世界恐慌の瀬戸際にたっている。 特に、この数日の原発事故の推移を直視しておかないと! 
 東北新幹線、東北自動車道は完全麻痺、復興の目処がたっていない。そのため新潟県の高速と、新幹線がバイパスと
して使われている。ことと次第によっては、地震、原発難民の受け入れ基地になる可能性すらある。
事態を知れば知るほど、背筋の凍る思い。  これが起こってしまった現実である。
 ・・・・・・・
3277, 大恐慌 失われる10年
2010年03月16日(火)
 「2009-2019年  大恐慌 失われる10年 」 浜矩子/高橋乗宣 (著)
  ーまずはアマゾンの内容紹介からー
■これから「10年恐慌」が始まる!
 アメリカドルは基軸通貨としての価値を失い、今後さらなる保護主義、統制経済へと突入していく。
 ユーロもドルに替わる基盤ができておらず、現在の大恐慌の痛手を直接こうむっている。
 リーマンショックに端を発した金融危機は、カネがカネを回す「金融IT化」「金融工学化」「金融証券化」の結末である。
 それゆえに、1929年恐慌とは異質なものである。これからの10年は「失われる10年」となるのか。その時、日本は
 どのような経済システムの中に組み込まれていくのか。大恐慌後の世界を、浜矩子、高橋乗宣2人の論客が読み解いていく。
■負の連鎖は世界各国に波及している 
 大恐慌の津波は、アメリカ本国よりもむしろ欧州各国に直撃していると言っていい。
 ユーロがアメリカドルに替わる基軸通貨となり得ないことが、各国の状況、IMFのこれまでの不始末から言及することができる。
●老衰死のイギリス
 サッチャー改革で巻き起こったイギリスバブルは、ロンドン一極集中で、地域格差を生んだに過ぎなかった。
 日本のバブルの轍を踏んだイギリスは「失われた10年」を経験する
●自閉症のドイツ 
 旧東ドイツのワーカー待遇改善で賃金格差縮小の狙いが、大恐慌で不透明に。
 立ち直りのきっかけを失ったドイツは、今後ネオナチの台頭の可能性も。
●目立ちたがりのフランス
「フランス・ナショナリズム」はどこまで突き進むのか?国外から入ってくる企業の締出しでサルコジ政権の実像が浮かび上がる。
●相変わらず身勝手なアメリカ
 オバマは自由主義、市場主義に別れを告げるのか? 貯蓄傾向が高まっているアメリカの消費は確実にブレーキがかかる。
 明らかになったドルの崩壊から1ドル=50円時代がやってくる。強烈な保護主義、統制経済となった時、日本は生き残れるのか?
暴走する国家は、今後、迷走する国家へと変貌を遂げる。さらにリセッションする国、ギブアップする国、
再びランディングを遂げる国……。「失われる10年」は、我々にどんな教訓を示してくれるのだろうか。
 ーー
 この本、何を言いたいのか何度も目を通したが、よくわからない。二人が対談をしているわけでもなく、
対策を述べているわけでもない。イギリスを中心とした欧州はダメ、アメリカは終わった。
中国もアメリカ目当ての輸出がダメで内需を目指そうとしているが、日本でさえ輸出頼みを克服するため内需拡大を目指したが
ダメだったのに、中国が成功するわけがないと切り捨てている。 「この10年間は大恐慌で大混乱、失われた10年になる」
と結論づけている。 甘い期待は無理ということである。
 ・・・・・・・・
2902, 脳と仮想  ー2
2009年03月16日(月)
     「脳と仮想」茂木健一郎著    ー読書日記
 ー印象に残った部分を抜粋してみるー
・広大なグランドキャニオンの前に立とうが、北極のオーロラを見上げようが、体験する広大の光景は全て脳内現象である。
 世界に脳だけあるといっているのではない。そんなことは当然のことだが、外部から入った刺激に基づいて脳のニューロンが
 活動しなければ、我われは広大の宇宙を表象することはできない。逆に、もし広大な宇宙が無くても、脳の中で
 ニューロンがある時空的な様式で活動すれば、私たちは広大な宇宙を表象することになる。もしそうなら、逆理が浮かび上がる。
 もし私たちが体験することが全て脳内現象なら、私たちは何故、広大な宇宙を思い浮かべることが出来るのか?
 いかに、私たちの思い描く世界は、脳内現象として一リットルの空間に閉じ込められていながら、無限定の空間を志向する
 ことができるのか? ・・・「熊本より東京の方が広い。東京より日本のほうが広い。日本より・・・」で切ったが、
 三四郎に男はいった「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と。
・「真理がどこにあるかといえば、それは仮想の世界にあるというしか言いようがない。どこかの博物館に、
 これが真理でございますと飾ってあるわけがないのである。
 私たちの精神の中枢に仮想がある。そのように考えると、「見る」ということの本質も違って見えてくる。
・現実のどこにもない仮想は、現代人の心の中でも中枢の位置を占めている。 私たちの精神は、頭蓋骨の中の「今、ここ」の
 局所的因果性の世界と、「今、ここ」に限定されない仮想の世界にまたがって存在する。私たちの精神は、本来的に二重国籍者。
・脳内に閉じ込められているだけでなく、心の本質的な属性をとらえた概念が「志向性」である。
 志向性とは、心が何かに向けられた状態をいう。
・私が恥じたのは、人間がそもそも生きものであり、それであるがゆえに、厳しい生存条件に置かれてきたことを
 理屈で判っていても、感覚的に忘れていたことである。つまり文明に飼いならされていたのである。
 真実は恐ろしい姿をしている。 人間は、なぜ、「平和」という仮想を生みださなければならなかったのか。
「愛」という仮想を生み出さなければならなかったのか。
 平安仏教を特徴付ける「極楽浄土」というヴィジョンは、どのような生の必然性から生み出されたのか。・・・
 私たちの意識の中で生み出される様々な仮想は、このうえなく厳しい人間の生存の中で、私たちの心が傷つき、
 その傷が治癒される際に放射される光のようなものはなかったか。
▼ 考えてみたら、自分に対しても、頭に浮かんで考えている相手にしても、社会も、全て「仮想」でしかない。
「精神の中枢に仮想がある」と自覚すると、良きにつけ悪くにつけ仮想している自分を見ている自分も
 仮想ということに気づく。自分の頭蓋骨の中の一リットルの脳は自分でさえ得体の知れない世界である。
・・・・・・・・・
2538, 一神教vs多神教
2008年03月16日(日)
  最近、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教に対して疑問を持ち始めた矢先に
 図書館で、この本を見つけた。 この3つの宗教の元はユダヤ教で、共通の唯一の神を信仰している。
 それがお互いに憎しみあい殺しあっているから、複雑なのである。 早く言えば民族戦争なのである。
  ー概要を解りやすく箇条書きにすると、
・元祖であるユダヤ 教は、迫害されて逃亡した奴隷たちの宗教、迫害され差別された人々の宗教のために
 恨みと復讐心がこもっている。被害者は、その被害をより弱い 者に移譲しようとすることで被害者の劣等感、
 屈辱感を補 償しようする。 他人を同じように不幸にして自分を 慰める。  
・差別された奴隷たちがモーゼに 率いられてエジプトから逃亡する過程で形成された「民族」としてユダヤ人となり、
 ユダヤ教自体も、その逃亡過程でエジプトのアトン信仰の影響を受けながら、純粋な一神教へと形成されていった。
・ユダヤ人の中でさらに差別されていた人たちを救う宗教としてイエスがキリスト教をつくった。
 そのキリスト教が、ローマ帝国の奴隷、下層民に受け入れられ、ローマ帝国の国教となり、
・多神教を信じていたヨーロッパ人もまた、ローマ帝国の圧力でキリスト教を押し 付けられて心の奥底で「不幸」を感じた。
 そのため一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人が、自分たちが味わっている不幸と 同じ不幸に世界の諸民族を
 巻き込みたいというのが、近代ヨーロッパ人の基本的な行動だったのではないか。
・欧州で差別された人々が新大陸に逃げ込んで、その先住民へ攻撃と迫害などをしていった。
 そこで造られたのがアメリカという国。つまりアメリカは被差別の最終駅になる。
 だから潜在意識の中で人類を恨み、攻撃的になり、非常に強くなった、という。
・ヨーロッパ人が、人種差別に基づく残虐性を発揮して世界制覇を果たしたのは、
 強烈な被害者意識があったからだという。 それをもたらしたのは、白人の始まりが白子で、そのために黒人から
 アフリカから差別されて追われたことと、ローマ帝国に無理矢理キリスト教を押しつけられたことだという。
・多神教の日本も欧米の圧迫に耐え切られなくなり、唯一絶対神という天皇制を発明した。
 近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教として、外に戦争を仕掛けるようになった。
 人類の不幸を被抑圧民族の連鎖という神経症として論じている。これがル・サンチマンである。
▼ 知識を持ってしまった人間は、己の生の限界も知ってしまった。そして未来の不安と恐怖という
 マイナスの気持ちを解消するため、そして民族を統一するためにアブラハムはヤフーという唯一絶対神を創ったのである。
 これがマイナスにもプラスにも人類に影響してきた。そして現在もである。


4748,そんなに長生きしたいですか ー2

2014年03月15日(土)

               『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
   * 長生きは苦しいらしい 〜こんなはず、なかった!
 両親二人の死に際を身近に見たが、死にいくのは甘くはない。父は70歳、母親は88歳だったが、死は傍でみていて、
直視できない。しかし死んでしまえば、それまでよ。その私も父の死の年齢まで、あと2年。 父は、余命一年で、
スキルス性胃ガンが発見され、宣言のとおり亡くなった。そうこう考えると、いつ何時、何が起きても不思議でない
危険水域に入っている。 ところで、「長生きは苦しい」ことは、老人仲間の会話以外は、どうもタブーのようだ。
 まず、第一章から、このテーマを取り上げている。著者は、老人デイケアを中心としたクリニック医の経験から、
その苦しみを数多見て、老人の「死にたい願望」が如何に強いかを述べている。  ーその辺りより抜粋ー
《・「心臓発作で死にかけた老女が生きかえって「まだ、死にません」に対し、「そんこと言わないで。長生きしていたら
 よいこともあるでしょう」と慰めでいうと、声を荒げ「いいことなど何もない。苦しいこと、辛いことばかり、
 このまま死んだほうがどれだけましか」と・・・ 
有料老人ホームに診断に行くことも多いが、そこで、「朝、起きて死んでいたら、どれよどよいか」
「階段からこけて、そのままポックリいけたら、どれほどよいか」という嘆きの声が多い。・・・
・よく耳にするのが、「こんなことになるとは思わなかった」という嘆きです。
◎腰痛と膝の変形に悩む老人が、歩行器にすがりながら顔をしかめます。
 「若いときから山歩きで鍛えてきたのに、こんなに腰や膝がいかれるとは思わなんだ。」
◎脳梗塞で右半身が麻痺した老女が、口惜しげに問いかけます。
 「健康には人一倍気をつけて、身体に悪いことは何もしなかったのに、なんでこんな病気になつたのでしょう」
◎頑固そうな男性が腕組みのまま、撫然としてつぶやきます。
 「年はとりたくないもんですな。引退したら司馬遼太郎の全集を読もうと思うてたのに、目がかすんでとても読めん」
 多くの老人が、予想外の状況に悩み、苦しんでいるようでした。しかし、それらはありふれた老化現象のようです。
・脳梗塞やその他の病、それはどうやら老いというものが、だれにも初体験だからのようでした。七十歳になった人は、
みんな生まれてはじめて七十歳になります。八十歳も九十歳も同じ。老人ははじめての老いの中でとまどっているのです。
 こんなことになるとは思わなかったという老人の多くは、老いを楽観していたのではないでしょうか。
老いても元気な人を見れば、なんとなく自分もそうなれると思ってしまう。逆に、老いて苦しんでいる人を見ても、
自分はそうはならないだろうと。今、長生きを望む人たちも、今の体力に近いまま長生きできると思っている・・・》
 ▼ これを読んでいると、老いていくのが末恐ろしくなる。 還暦を過ぎて、まる八年になるが、どうだったろう?
  良いことも、悪いこともあったが、やはり生きていて良かった。時代の変化の激しさと、情報化による恩恵が面白い。
 不謹慎だが、倒産劇も事業人生の終わりの仕上げのドラマ仕立てで、面白かった? これも人生の味。いつ何時、
上記の状態になるかもしれない危機感が、この状況の中で、日々を面白くしている! 長年の準備と、独りを慎めばこそ!
・・・・・
4381, ブラック・スワン −1
2013年03月15日(金)
         「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ著
 衝撃的で、世界の見方は一変しなくとも大きく変わるはず。どうも、近くに数羽、来ているが、何の化身か分からない。
 とてつも恐ろしそうなのは分かるが・・人間など儚いもの。  ーまずは、アマゾンのないよう説明からー
■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?
 むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者など一人もいなかった。
 ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地には黒い白鳥がいることがわかった。 白鳥は白いという常識は、
 この新しい発見によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」とは、この逸話に由来する。 ほとんどありえない事象、
 誰も予想しなかった事象の意味である。タレブによれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。
 一つは予測できないこと。二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん起きてしまうと、
 いかにもそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には見えなくなったり、最初からわかっていたような気にさせられたりする。
■ 世界の見方を変える書
 私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない、とタレブは言う。彼はそんな現象を長年研究してきた。
 私たちはどうでもよくて取るに足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件に虚をつかれ、
 そんな事件が私たちの世界を形づくっていく。本書でタレブは、私たちにはわかっていないとわかっていることのすべてを語る。
 「ブラック・スワン」に立ち向かい、それを利用できる驚くほど簡単な方法を提示する。  ーまずは、レビューよりー
≪ ブラック・スワンが象徴するのは、理論というものを「検証」することは非常に難しく、「反証」することは非常にたやすい、
 ということ。 我々は常にブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れない。サブプライム問題に
代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態は、そもそも理論で管理することが不可能なこと!金融論や投資理論を
少し聞きかじると、リスク、期待値、確率、変動率などわかった気になる。しかし、そうした業界で議論されているリスクとは
カジノゲームと同じで計測できるリスクに過ぎず、私たちが現実に直面する現実は、計測自体不可能な不確実性の方が圧倒的に多い。
そしてちょっと判った気になった程度が、実は一番危険だと本書は教えてくれる。「黒い白鳥」とは極めて稀な出来事の象徴である。 
一羽の黒い白鳥が舞い降りただけで、それまですべてのことが崩壊する。しかも、世間は判りやすい講釈のついた黒い白鳥には
過剰反応する一方で、講釈になじまない黒い白鳥の存在可能性は無視される。それが重大な結果をもたらすにも関わらずだ。
毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な七面鳥は「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く。
ただし、その経験主義的な七面鳥の世界観は感謝祭の前日に崩壊する。限定された経験から安易に結論を導き出すことへの警鐘。
たしかに、今回の金融危機で沢山の七面鳥が悲鳴を上げたことは間違いない。≫
 ▼ 9・11、リーマンショック、3・11は、ブラック・スワンそのもの。「まさか」の出来事で、起こって初めて気づくこと。
  これは、このような歴史的大事件だけでなく、日常の中の出来事で多く見られる。だから、人生は面白く、刺激に満ちている。
 ・・・・・・
4007, 共喰い
2012年03月15日(木)
                「共喰い」田中 慎弥 (著)
 スポーツセンターからの帰路、図書館により文芸春秋に目を通したところ、芥川賞受賞作の「共食い」が載っていた。
一時間あまりで読んだが、初めから終わりまで父と愛人と産みの母と主人公のシモネタ(異常な性生活)が続く。
受賞記者会見で、田中の世間に触れたことが殆んどない未知(無知)世界への戸惑いの挑戦的態度がユニークで幼稚である。 
 この小説は、近年の都会的軟弱傾向の中で、生々しい性の世界が地方の地熱と相まって露な人間の本性を描きだしている。
主人公と私が同じ年齢で高校二年の設定が、気味悪さを増幅したようだ。 
   まずは ーアマゾンの内容紹介ー
≪ 第146回芥川賞受賞作「共喰い」――昭和63年。17歳の遠馬は、怪しげな仕事をしている父とその愛人・琴子さんの三人で
川辺の町に暮らしていた。別れた母も近くに住んでおり、川で釣ったウナギを母にさばいてもらう距離にいる。日常的に父の乱暴な
性交場面を目の当たりにして、嫌悪感を募らせながらも、自分にも父の血が流れていることを感じている。 同じ学校の会田千種と
覚えたばかりの性交にのめりこんでいくが、父と同じ暴力的なセックスを試そうとしてケンカをしてしまう。一方、台風が近づき、
町が水にのまれる中、父との子を身ごもったまま逃げるように愛人は家を出てしまった。怒った父は、遠馬と仲直りをしようと
森の中で遠馬を待つ千種のもとに忍び寄っていく....。川辺の町で起こる、逃げ場のない血と性の臭いがたちこめる濃密な物語。 ≫
 ▼ どんよりした、田舎町での父子の葛藤の物語。 数ページも読まないうちに、その世界に引きこまれていった。
  自閉症?の田中ワールドである。 その中で主人公の二人の母親と父の愛人が、いやに生々しく浮かび上がっていた。
 この作品に対して石原慎太郎が異議をとなえ芥川賞の選定委員を辞職した。 地方の性の温もりを、どう捉えるかである。 
 地方は逃げ場のない土着がゆえに、ドロッとした人間関係が渦巻いている。その中での性の問題は深く、それぞれの小さな地縁と
 交友の中で発酵している。  

 ・・・・・・・・
276, 大暴落 サブプライムに潜む罠
 2010年03月15日(月)
一昨日、Wowowで、「リーマンショック」の映画化をした「大暴落 サブプライムに潜む罠」を放映した。
ロンドンの一人のトレーダーを通して、サブプライム問題を具体的な物語にしたもの。 
ニュースやドキュメントで返済不能になって売りに出されている住宅が度々、映像に出てきた。
その家族の姿がリアルに浮かび出されていた。アメリカは まだ物件を引き渡せば免責され個人破産においこまれないが。
(日本は破産まで追い込まれてしまう) この金融恐慌の一番の被害者は日本である。悲観的になるというより最悪の事態。 
現状は「茹で蛙」で身動きが出来ないで、ただ呆然としている状態。年金などにも関わってくるから他人事ではない。
この金融恐慌、「たまたまリーマンを潰したことが想定外の金融恐慌になってしまった。」というのではなく、
アメリカが戦略的に金融恐慌を仕掛けてきたとしか思えないのである。まだ、誰も言わないが。
  ーその番組の概要をNHKのHPにあったー
2008年9月に始まる株価大暴落。ロンドンの金融街で活躍するエリート、住宅ローンを専門に扱うブローカー、
住宅ローンを組んだ警備員、3人の男たちの人生は……。
「大暴落 サブプライムに潜む罠」は09年7月に英国BBCで放送。 米国でサブプライムローン問題が発覚する前の07年、
ロンドンの金融街シティの金融マンたちもまた、空前の好景気に沸いていた。 多くの家庭が 不動産を担保に融資を受ける中、
住宅ローンの営業マン、デイヴ(ドミニク・クーパー)は住宅ローンを組み込んだ証券を売りさばき、法外な利益を上げていた。
ある日、昔の同級生で警備員をしていたジム(ジョゼフ・モウル)に出会ったデイヴは住宅ローンの契約を持ちかける。
だが1年後、株価のフリーフォール(大暴落)はジムばかりでなく、英国中の人々の生活を一変させる…。
▼ アメリカでは、トレーラーなどに住む破産者がニュースなどの映像に映し出される。 
・・・・・
2901,のど自慢全国大会
2009年03月15日(日)
昨夜、NHKで「のど自慢大会」があった。参加1万組の中から選ばれた15組というだけあって、
誰がチャンピオンになっても不思議ではないほど素晴らしい内容。
初めから最後まで涙が溢れた状態で聞いていた。 彼らの歌が一期一会のステージだからである。
ジェロ、北島三郎、和田アキ子が、15人の歌が終わった後に歌ったが、彼らの歌に敵うわけがない。
土曜日のゴールデンタイムに歌えるチャンスは一生に一度、全てを、一曲にかけた魂の雄叫びに自然になっていた。 
盲目の少女がチャンピオンになったが、優勝をして貰った大きいトロフィーを北島三郎が代わりに持とうとするのを拒み、
最期まで重そうに抱えながら歌った場面が感動的であった。 あの重さは一生忘れることができないだろう。
恐らく専門家が15人それぞれにプロが歌と振り付けの指導をしたのだろうが、素人の初々しさに加味されて
何ともいえない雰囲気をかもし出していた。 

現在は、カラオケやスナックで素人がプロ並みになっているが、それにしても上手い。 
哲学的にいうと垂直に魂が入っている(一期一会・・永遠)のである。またNHKの演出も良かったのも見逃せない。 
それぞれの歌の背景にある人生劇場を浮出していた。歌は人生劇場を情念化した時空の世界で、歌っている間は、
その世界に我を忘れて没入しているのである。
現実だけでは人生は、あまりにも厳しく過酷である。別世界を持たないと人は生きることだ出来ない。
それが読書の世界であったり、酒の世界だったり、趣味の世界だったり、それぞれある。
「のど自慢」を哲学的に考えることもないが、情念の世界を無視することもない。

そういえば、月に1〜2度はスナックで、カラオケを歌うのが習慣になっている。
何で人は歌いたくなるのだろうか? それは物語を求めているからだろう。
物語を歌で辿っているのである。ミニ自己実現、そして、ささやかな宴ということだ。
また一年に一度の楽しみが増えた。 歳を重ね人生の深みが少しは見えてきたか!

・・・・・・・・・・
2537, パリ高級娼婦館女主人の告白 1
2008年03月15日(土)
                ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
  ニューヨーク州のスピッツァー知事による買春疑惑が表面化したと昨日のTVで放送していた。
  疑惑は、連邦捜査当局による高級売春組織摘発の中で浮かび上がったもので、
  先月中旬、訪問先のワシントンのホテルにニューヨークから高級売春婦を呼んだ際に、
  売春組織への電話が当局に盗聴され、同知事と特定された、という。 疑惑を受け「家族を裏切った。
  家族と州民に謝罪する」と事実上、疑惑を認め辞任の意向。
  2期8年間の州司法長官を経て、2006年、民主党から知事選に出馬し当選。
  07年1月、州知事に就任した。州司法長官時代には、売春組織の摘発にも積極的に取り組み、高い評価を得ていた。

  そこで思い浮かぶのが、マダム・クロード著 「愛の法則?パリ高級娼婦館女主人の告白 」である。
 ーこの本の紹介文と著者の履歴からして面白い。

1960年代から’70年代、パリで最高級売春宿を経営していたマダム・クロード。
フランス通の訳者が、その数奇な人生、知られざるフランスの裏面を紹介。
彼女の洗練の秘密は?女性の本当の幸せとは?「パリの粋」が見えてくる一冊。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」)
 グリュデ,クロード
1923年、フランスに生まれる。
’62年、友人ナディーヌから売春宿を受け継ぎ、「マダム・クロード」となる。
以後、70年代初めまで、各国の王や大統領、政治家を顧客とし、営業を続ける。
’74年、ある政治家との関係を巡り、クロードの館は閉館へ。
’77年、税金問題から逃れるため、アメリカに渡るが、’85年フランスに帰国したところを逮捕され、
以後4カ月刑務所に収監される。
出所後、2番目のネットワーク作りを開始するが、このことにより、再度刑務所に収監される。
’86年より、PR業、結婚相談所、美容アドバイザーなど様々な仕事に就く。
’94年、自叙伝『madam』(ミシェル・ラフォン社)を出版
ーー
ここの館の顧客名簿にはアラブの王族や欧州の貴族、ケネディー大統領はじめ各国の政治家、大金持ちが名をつらねていた。
ここを足場にフランスを代表する映画女優、皇太子妃や伯爵夫人にのし上がった娼婦が数多いという。
マダム・クロードは、自身が少女時代に修道院で尼さんから受けた躾を、街の売春婦に変身プログラムをつくり、
整形手術、肌の手入れ、性の技巧、ダイエット、ファッション、ハンドバックの中味に至るまで微にいり、
細にいり指導していったという。まあ、下手な子女よりもズット品良く仕上げたのだろう。
これを切っ掛けに、この本は見直されるだろう、恐らく!
                          つづく
・・・・・・・・・・
2007年03月15日(木)
2172, 獄中記
 (~Q~;)  おはよう  ファー   ?読書日記
                         佐藤優著  岩波書店

新幹線の通勤の車中に毎日50ページを、延べ10日間かけて読破した。
読んでいるうちに自分が牢獄に入っているような錯覚をする本である。著者の逞しいのは、
直ぐに頭を切り替えて読書・勉強の場と、割り切ってしまうところである。そして、人間としての尊厳を
保って哲学的問いに取り組んで、62冊の獄中ノートを書いたエネルギーには、驚ろかされた。

この本で国策捜査の恐ろしさの一端を見せつけられた思いである。
冷静に振り返ってみると、鈴木宗男と佐藤優は何をしたというのだろか。
「外務省を二人で牛耳って北方領土の二島返還を独断交渉を進めたことが、国家利益を損ねた」というが、
それが犯罪といえるのだろうか? 国家権力の闇の深さ思い知らされた内容である。
戦前の特高と、現在の検察と何が違うというのだろうか。もっとも、鈴木宗男も出すぎていたことも確かだが。
  印象に残っている部分を幾つか抜粋してみる。
 ーー
 拘置所内での生活は、中世の修道院のようです。中世の修道院や大学では、書籍は一冊しか所持することが認められず、
それを完全に習得するか、書き写した後に次の本が与えられるシステムだったそうです。 
拘置所もそれにかなり近いところがあります。 私本については三冊しか房内所持が認められていません。・・・・
案外、現在の環境で少数の本を深く読む生活も気に入っています。・・・・
禁固刑ならば、書籍の差し入れと筆記具の使用が認められるとの条件の下で、何年でも耐えられるような気がします。(p40)

拘置所生活も自分でリズムを作ってしまうと、それなりに楽しいです。
過去数年間、否、十年以上にわたって、腰を据えてしたかったけれども、時間に追われ、できなかった勉強をするよい機会です。
・・・・外に出て、将来家を建てることになったら、東京拘置所の独房にそっくりの小部屋を作り、思索と集中学習用の
特別室にしたいと考えています。それくらい現在の生活が気に入っているということです。   (p63-64)
おそらく、「拘置所は学習と鍛錬の場」と自分で決めてしまったからでしょう。
食事もおいしく、集中して勉強できる現在の生活を私は心底楽しんでいます。
保釈の必要ありませんし、接見禁止が続いていたほうが会いたくもない
面会希望者との会見を断り、気まずい関係になるよりもずっとよいです。(p69)
この制約をどのようにして利点に転換するかをよく考える。
恐らく、記憶力、構想力の強化ということになると思うが・・・。
しかし中世、近世と較べれば、文明の恩恵に浴している。紙もほぼ無制限に使えるし、図書も十分に入手できる。
ボールペンという文明の利器もあり、夜は電灯の下で勉強できる。
概ね、戦前の学者よりも恵まれた環境にあると見てよい(特にボールペンの点で)(p82)
ある意味で、拘置所内での生活は、夏目漱石の「それから」における代助、
「こころ」における先生のような「高等遊民」の世界に似ていると思います。(p112)
   (字数制限のためカット 2014年3月15日)


4747,そんなに長生きしたいですか ー1

2014年03月14日(金)

              『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
 4年前から、18年続けてきた一年一度の「一日人間ドック」を止めた。別に、深く考えた訳でなく、毎年、同じことの
繰り返しでしかない。検査で早期発見をしても、悪性なら助からないし、良性なら助かる。それならば現象が現れてから
でも同じこと。それをわざわざ、定期検査をするのは洗脳されているのではないか?の疑問もあった。それと「60歳までに、
人生を生ききった、元をとった」という思いがあることもある。この数年、近藤誠と中村仁一の「ガンとは闘うな!」の
影響もある。お二人は、薬漬け、抗癌治療、健康診断そのものに疑問を投げかけているが、この著者・久坂部は、
アンチエイジング、長生き、そのものに疑問を投げかけている。
   まずはーアマゾン内容ーより
《 何歳まで生きれば“ほどほどに”生きたことになるのか? 長寿をもてはやし抗加齢に踊る一方で、平均で男6.1年、
 女7.6年間の寝たきり生活を送る。多くの人にとって長生きは苦しい。寿命は不公平である。だが「寿命を大切に生きる」
ことは単なる長寿とはちがうはずだ。どうすれば満足な死を得られるか。元気な内にさがしておく「死ぬのにうってつけの時」
とは何か。 数々の老人の死を看取ってきた現役医師による“死に時”のすすめ。》
 ー‘はじめ’からしてシリアスであるー
「本書は、長生きの良くない面にスポットを当てています。だから、基本的にはいやなことを書いています。なぜそんな
いやなことを書くかというと、巷にあふれる健康長寿情報にはあまりにウソが多いからです。そんなきれい事ばかりを
聞かされていたら、この先どうなるのか。ますます老いや長生きが苦しくなってしまう。その危機感が強くあります」 
   ーあるレビューよりー
【 著者は現役の医師。「長寿」に対する日本人の考え方、医療のあり方に疑念を抱き続けてきました。
 そんな著者が臨床例を紹介しながら、長生きのよくない面にスポットを当てて解説します。
「今や早死にの危険は減ったけど、長生きの危険が高まっている」という逆転現象。むしろ、長生きすることを
「リスク」と捉える傾向すらあるそうです… 身体は死のうとしているのに、それを無理やり引き留めるのだから、
死が苦しくなるのは当たり前。延命治療のこういう側面には、なかなか気が付きません。誰もが初体験である「老化」
そこに大きな不安が生じるのは誰でも同じです。しかし、そこにつけ込んだビジネスの多さに驚かされます…
本書ではそれらの実態を踏まえたうえで、改めて理想の「老い方」、そして「死に方」を提案してくれます。
長寿を願い、健康情報に振り回され今を忘れていませんか?遠い先ばかり見て未来に逃げず、今を十分生きていますか? 】
▼ 最近、自分の血糖値や血圧の話題をしている人に違和感を覚えるようになった。「ああ、この人、洗脳されている」と。
 子供の頃、老人の悪口に、「死にそこない」という言葉があった。現在、そんなことを言ったら袋叩きになるが、まさに
著者は、「死にそこなわないで、自然に任せて逝きなさい」と勧める。死にそこなった老人たちの実態を見ているからだ。
・・・・・・
4380, 閑話小題  ーある相撲取り
2013年03月14日(木)
   * 長岡駅裏の道路拡張工事
 長岡駅裏から東バイパスまでの大通りの拡張工事も完成に近づいてきた。40年以上もかかっている。
当初は市役所などの施設を東バイパス近くに移転する計画だったが、地主の反対などでSCなどに変更し、三年前に完成。
毎日、その一角にあるスポーツジムに通っている。自宅から150M位の大通りの一角には、大東建託がマンションと、
セブンイレブンが完成間近か。これで近くにローソンとセブンイレブンがあれば、ますます便利。
    * ある相撲取り
 日本人を父に持つフィリッピン・ハーフの力士が二人が新顔として幕内上位に上がってきた。
その一人が枡ノ山という力士。 肺の持病のため、20秒以上相撲をとると呼吸困難になる。母親の離婚のため、
一度フィリッピンに帰国したが生活が困窮し、一度断念した力士の夢と生活のため母と日本に戻ってきた経歴を持つ。
母は日本で看護士として働いている。 取組直後は呼吸困難のため激しく息を切らす。「スタミナは一般人の半分以下」と、
本人も認めている。そのため激しいぶつかり稽古は無理で、特別メニューをこなしている。相撲はブチカマしで押出しだけ。
その必死な姿と、本番終了後の激しい息遣いが共感をよぶ。20歳そこそこの青年が、生活のため必死に闘っている姿が、
身体全体に現れ出ていて、ドラマそのもの。 力士生命は、長くないのは自明。これも人生である。
 もう一人、大卒で幕下からデビューしたての千代大龍という力士がいる。三役に直ぐになるだろうと思っていたら、
糖尿病になってしまった。これは、力士にとって致命傷。食事制限で太れないうえに体力維持も大変になる。 その後、
身体が一回り小さくなったが、それでも勢いで幕内上位に上がってきた。 昨日は横綱に初金星である。
短命の力士生命を本人も知っていて、必死に闘う姿が心をうつ。最近は、力士の人生を土俵上で見るようになってきた。
・・・・・・・
4006, 宇宙は本当にひとつなのか ー8
2012年03月14日(水)           
  * 超ひも理論とは      「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
【 これまで電子などの素粒子は大きさをもたない点として考えられてきました。ですが、素粒子をただの点として考えると、
 つじつまの合わない、ことが出てくるようになってきたのです。そこで、考えられたのが素粒子は実はひもだったと考える理論です。
これが超ひも理論につながる最初の考え方でした。素粒子が実はひもだったというのは、とても突飛な発想のように感じると思います。
どうすれば、今まで点だったものをひもとして考えられるのでしょうか。超ひも理論でいっているひもは、とても小さなもので、
その長さは一〇の三三乗分の一マイナスセンチです。小数点の後にゼロを三二個並べた後に一が来るくらい小さいものなので、
私たちは見ることができません。 超ひも理論では、私たちが素粒子だと思っていたものは、実は振動して広がっているひもなのですが、
あまりに小さいので点だと思い込んでいたというのです。 今まで点だと思っていた粒子の正体がとても小さなひもだったという超ひも理論が
正しいものだったら、宇宙の姿も大きく変わってきます。 まず、宇宙は一〇次元でなければいけないことになります。一次元の時間に加えて
空間は九次元ということですので、私たちが目にすることのできる三次元空間の他に小さな異次元が六次元あることになります。 加えて、
プレーンと呼ばれる三次元空間の膜も確かに存在して、物質はその膜に貼りついているということも、理論が正しいことになります。】
 ▼ 物質をカタチつくっていた素粒子が、実は振動して広がっているヒモだったとすると、モノとは何かという原点から
 考え直さなければならなくなる。その超ひも理論が正しいと、宇宙が10次元なければならなくなり、空間が9次元なければ
 ならないという。それから、多元宇宙論が導き出されるという。 「物質は、コトの一時的現象」という話を聞いたことがあった。
 コトのエネルギーから生じるのが振動なら、素粒子と思っていたのがヒモ状の振動と同じことになる。人間の感動も魂の振動。
 下にコピーしてある,二年前の3月14日のーカントの神について、どう語ったかーが、宇宙論を読むと符合する部分が多い。その前年分もか。
 ・・・・・・
3640, 大地震 ーつれづれに ー3
2011年03月14日(月)
* これからは原発の放射能漏れと大爆発の可能性がクローズアップをしている。 
 まず現在、何が起こっているか頭を整理してみよう。
 明治三陸地震以来の岩手、宮城、福島県沖の活断層が400キロにわたり起こった地震と大津波。
 世界的にみても、今回の地震は最大規模の一つになる。
  1番 チリ地震(M9.5 1960年) 2番 アラスカ湾地震(M9.2 1964年) 3番 スマトラ島沖地震(M9.1 2004年)
  4番 東北地方太平洋沖地震(M9,0 2011年) カムチャッカ半島地震(M9.0 1952年) 
 今回の規模は、日本の歴史的にみても、一番大きな地震と津波。 人的被害では、関東大震災がある。
 1923年9月1日(土曜日)午前11時58分32秒、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として発生したマグニチュード7.9による災害。
 死者・行方不明者 14万2800人。地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の火災が発生しめ死者が甚大になった。
 今回のように、地震、津波、石油の備蓄基地の火災、市街地の火災、原子力発電の爆発と放射能漏れなど起こりえる全てが
 重なってしまった震災は過ってなかったこと。 地震災害研究者からみたら、これほど研究材料の多い災害はない。
* この土・日曜日のTVは、東北・関東大震災の報道で一色。リアルタイムの生々しい内容に時間を忘れて終日、見入っていた。
 三陸海岸には津波に対する警戒もあり監視カメラが多く設置されており、個人のビデオカメラなども含め多くの映像が
 映し出されていた。 日がたつにつれてYoutubeなどから多くの映像が出てくることになる。 急な避難のため体一つで
 逃げてきた人が大部分。 帰る家も金も無くした被災民は今後、大変だろう。 年寄りなら生活保護があるが、
 中年の人は、この大不況の中、生活していくのは大変。 それでも、助かっただけでも良かった。 
 ところで、福島原発から200キロもはなれた女川原発の放射能の値が、福島原発から流れてきた放射能で、
 普段の観測地値の400〜700倍になったという。 すると300キロ位しか離れてない新潟も何らかの影響を受けることになる。
 一回ごとの発表が、どんどん悪くなっているのが気がかりである。深刻な事態になっているのだろう。 
 大爆発の可能性も考えていないと! 家に閉じこもっているしかないのか? 
・・・・・・・
3275, 哲学者は神について、どのように語ったか ー5
 2010年03月14日(日)
 * カントは神の問題を、どう片付けたか
 哲学の問題は古代以来、「世界は何で出来ているか」「神は存在するか」「真理とは何か」「自由と自然因果律の関係」等、
大きく4つに分けて考えてきた。人間の「理性」に絶対的な信仰を置き、これらのテーマについて壮大な哲学を構築してきた。
それについて、カントは、その問題自体が無意味と切って捨てたのである。 カントは、「世界」「真理」「神」は、元もと、
理性の外にあるとした。 神も含めて、理性では認識しようがないとした。 カントは、もし神がいるとしたら、客観(本質)は
神のみが認識できる。人間の理性には限界があるから、人間が相手に出来るのは、もっぱら世界の現象でしかない。
カントは、世界を神のみで知る「本質」の世界と、人間が「理性」によって認識できる「現象」の世界に分断してしまった。
本質の世界は、理性では捉えることができないと、一蹴してしまった。 多くの哲学者が悶々として苦しんできた問題を、
そこで切り捨ててしまった。 そうこう考えると、神の存在そのものを問うこと自体が無意味ということになる。
神は、この宇宙の外の存在者と仮説をたてて、その内なる人間の理性で、その存在を問うことと自体が初めから無理。
 ウィトゲンシュタインの「語りえるものは明晰に語り、語りえないものは沈黙を」と同じことになる。
「哲学は真偽の分からないことばかり語っている、判断の出来ないことを語ることなかれ!」と。だから、誰かに「神は存在するのか」
と問われたら、上記のような説明がベストになる。 とはいえ、神について、のっけから考えることを遮断するのも問題である。 
理性で現象だけを追い本質を分断することになる。人間は言葉を持ってしまい、イメージとしての死の恐怖を植えつけられてしまった。 
その恐怖から逃れるために客観としての宗教が必要である。人生そのものは振り返ると夢・幻でしかない、と感じる。
それなら、その人生の光を包む暗黒のイメージに光の根源を入れておくこと、それも人生をかけて、つくりあげることも大事なこと。
アッラーの神、ヤホバ、何でも良い。 イスラム教徒の祈りなど、非常に理にかなっている。あれは光の根源の祈りである。
 偶然、気づいたが、去年の同日、書いた以下の内容に続く。
 ・・・・・・・・・
2900, 脳と仮想
2009年03月14日(土)
  「脳と仮想」茂木健一郎著     −読書日記
松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」で、以前、読書日記で取り上げたことがある。
 ーウィキペディアによると
共同幻想とは、複数の人間で共有される幻想である。 日本の思想家である吉本隆明が用い、有名になった言葉である。吉本は、
自分の共同幻想とは、マルクスの用語である上部構造と同じ意味であり、ただ手垢がついているから使いたくなかったと述べている。
 吉本隆明は、著書「共同幻想論」で人間関係は、3種類に分類されると提唱した。
▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。
▼ 対幻想  = 個人と他者とのプライベートな関係。 ?家族・友人・恋人がこれに当たる。
▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 ?国家・法律・企業・組合がこれに当たる。
 ー以上だが、これを読んで、いささかショックであった。日本社会を構成している「世間」=地域社会をみていると、
地域の共同幻想を抱いている集団社会が露出して見える。また宗教団体も教祖様の教えの刷り込みをした共同幻想集団のことも明白。
自己幻想も、対幻想も、多くの幻滅を経験した結果として、所詮は自分も、自分を取り巻く社会も幻想で成り立ち、
そのバブルと破裂の繰り返しているだけということが分かった。 死に直面したり、リタイヤをする時に初めて、
勤めた会社を含めた全てが共同幻想の中で、自己幻想と、対幻想を持って生きてきた自分に直面することになる。
 図書館で茂木健一郎著「脳と仮想」を借りてきた。 幻想と仮想と、何処が違うのか? 似たものなら、
脳との関係はどうなっているのか?と、考えながら読んでみた。この本のテーマの「仮想」は、飛行場で5歳の姉が妹に問いかける
「ねえ、サンタさんていると思う?」という何気ない一言から始まる。サンタクロースという仮想の現われ方、その我われの
現実の生活への作用の仕方の中にこそ、人間が限りある人生を生きる中で忘れてはならない何ものかがある。 
それを徹底的に追求した本である。ヒントは吉本隆明の「共同幻想」から得たのだろうが、それは書いてない。
しかし、切り口は鋭く説得力がある。次回には、印象に残った部分を書き出してみるが、「共同幻想論」に劣らない。
般若心教の「色即是空 空即是色」にも通じる道理でもある。
・・・・・・・・・
2536, 意志するということ!
   2008年03月14日(金)
ーある作家の大病経験からー     っ´Ι`)っ { おはよう
 作家の石川好の大病経験の手記が、「生老病死」の「 老病死」を迎えるに当たって、示唆を与えられた内容であった。
彼は以下の文章を書く4年前にリュウマチに罹り、印度の病院に入院した経験から病気経験だけでなく人生の在り方まで学んだようだ。
 ーまずは、その部分を書き出してみた。 とくとご覧あれ! 
病床に伏して思い知ったのであるが(今更気がついたとて遅きに失するのであるが)、体力のある人間はおのれの体力を過信する
ものである。もし仮にわたしの体の一部にでも弱い部分があったのなら、日常生活においても仕事においても、病気いうことを
わきまえ、自重していたはずなのだが、体力に自信のあるわたしはそれまでひたすら走り続けたのであった。
無病息災という言葉があるが、重い病気を患い、むしろ一病息災が望ましいのだと思ったのである。
入院中インドの医者の、その技術的なレベルが優れていることに驚くとともに、医者と患者との関係がいかにあるべきかを
巡回してくる毎に話しかける、その見識に、わたしは深く心を打たれたのであった。例えば、わたしが入院した日、医者達は
次のように述ぺた「私たちはあなたの病気を治し、元の体に戻す自信がある。しかし何より重要なのは、あなた自身が我々と
同じ医者のメンバーになる自覚を持つことです。それは、具体的な治療は我々がするのですが、あなたには病人であるあなたを、
精神的に励ます医者の役割をやってほしいのです。あなたに自分の病気を直す意志や気持ち、あるいは闘争心がなければ
我々がどんなに努力をしてもあなたを完治させることは難しい」病人になってみれば、頼るのは医者だけだと思っていたが
(勿論それは間違いのない事実であるが)、その先生は、病人になったが故、なおさら人間は自ら生きる意欲を持たなければならない、
と暗に言っていたのである。 自分達医者は病人の自己回復力を手伝う人間にすぎないからだ。そういう考え方をその医者は
説明しようとしていたのだ。こういう医者達との会話の中で、わたしは思い知ったのであるが、人の生き死にとどう立ち会うかを
職業とする医者が、結局人間はすべてその人の意志の強さ(あるいは弱い意志の持ち主であるのならばその弱い意志を
どのようにして強くするのか)を鍛えるために生きているのだ、ということを、これまた暗に伝えているように聞こえるのであった。
前に述べたようにそれまでの人生で入院したこともなく、また十人家族の中で育っても、母親が長いこと腰を痛め入院した。
ことを除けば全員がすこぶる元気だったので、病気とか、それが進行しての死というものを深く考えることはなかったのだが、
 −−
以上だが、「宇宙の意志が、地球を奇跡の星として創り出した。そしてそこに自然と、生命をつくり出し、人間を創り、
この宇宙の意志が(己の目で)自分自身を見るようにした。」(幕末の僧)のである。意志こそ、大自然の力である。
かつ知識を積むことのできるようになったのは、目に見えない意志があればこそである。インドの医者の言いたかった、
「結局人間はすべてその人の意志の強さ(あるいは弱い意志の持ち主であるのならば、その弱い意志をどのようにして強くするのか)
を鍛えるために生きているのだ」、その意志こそ、我々人間の一番大事な何かが隠されているのである。
「死ぬまでは生きている」のである。そして生きている間は、意志を大事にすべき。」ということだ。
・・・・・・
2007年03月14日(水)
2171, 考える日々                    −読書日記
           池田晶子著 毎日新聞社出版
この本は、9年前の『サンデー毎日』の連載コラムをまとめたものである。一昔前のためか、少し感覚がずれてはいるが、
それでも彼女独特の現世、そして現象への白けた眼が面白い。私も、知人にはアウトサイダーとか、大変な人と、
思われている?が、それをむしろ目指しているのだから始末が悪い?。しかし、彼女の視線は私のような中途半端ではない。
(字数制限のためカット 2012年3月14日)


4746,閑話小題 ーソロモンの指輪の物語 〜2

2014年03月13日(木)

    * 情報端末と、ソロモンの指輪     <つまずき>の事典> 中村邦生編著
  
40年近い事業生活の中で、人に縛られることを嫌い、心の自由を大事にしてきた。ところが、振り返ってみると、
自分でつくりあげた思い込みに、勝手に雁字搦めになっていたようだ。このところ、パソコンやデジカメ、テレビの機能が
飛躍的にアップ。知識、情報という点では、非常に自由になって、面白く、楽しい反面、自由の持つ危険が発生してきた。 
この「ソロモンの指輪」が、まさに情報機器とネット。 ー以下の内容が、それを暗示しているー
【 ソロモンの指輪とは、その指輪を持つ者は、あらゆる動物・植物と会話することができると言われる魔法の指輪。
 ソロモンとは、古代イスラエルの富と知恵にすぐれた王であり、誰よりも賢く、どんな難問でも解決したといわれる。
 ソロモン王は、名誉や財を求めず、知恵のみを求めたため、神が褒美として神の名前を彫った指輪をさずけたとされる。
 その指輪は知恵のみでなく、他のすべての力の源になった。ソロモン王は、その指輪の力、動物や植物たちと話をし、
 悪霊たちを秘法をもちいて操り、平和に導いたとされます。神の守護によって守られた指輪の力が絶大だった。】
▼ スマートフォンやタブレットPCこそ「現代のソロモンの指輪」。格差の源になる情報が大衆に行き渡り、誰でも平等に
 入手できるようになったが、問題は、一つ(指輪)だけでなく、大方の人たちに入手可能になったこと。 検索で、
あらゆる知識と知恵が、簡単に現出するのだから、人間が道具を持って以来の20万年来の大革命!も、過言でない。
そのパソコンの進化もとどまることがない。最近、ローンだが、新しいパソコンを入れたが、その段差に戸惑っている。
6年来なら当然だが。よりコンビニエンスになっている。これにiPadがあれば、隙間時間を手軽に楽しめる。
その点、世界中の多くの人たちが、ソロモン王になった。とにかく、日々が面白い! 
 豊かさの定義は「心配しないで済む金と、自由の時間と、健康と、少々の教養があること」だが、それが持てないから
苦労する! ソロモンの指輪というより、首輪にならなければよいが・・・ シネマも、自転車、TV、タブレット、
時計、台所、車、何もかもがユビキタスで成り立っており、その恩恵を受けているが、マイナスも蓄積している。
ただし、ご隠居生活の身には、素晴らしい指輪である。
・・・・・
4379, 「世間」の捨て方  ー2
2013年03月13日(水)                
   * 世間の奴隷が発する、二つの質問     ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや (著)
≪ 聖徳太子は、「この世の中は何なんだ?」の疑問に、「世間虚仮、唯仏是真」と答えている。
この虚仮は、「自分をコケにしやがって」の虚仮である。早い話、私たちの生きている世間は「嘘偽り」ということ。・・・
その嘘偽りの中で、人間は、つい「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるか」と、自問自答する。そういうことを考えて
生きること自体、世間の奴隷になっている証拠。それらを考えることは、自分で手枷、足枷をはめて奴隷になっている。
そういった物差しなど捨てて、もっと自分らしさを求めようではないか。世間の中で生きているには、それらから逃れることは
出来ませんが、幸か不幸か、今の日本も滅亡までのカウントダウンが始まった。出世間には最適のタイミング。少しずつでも、
世間のしがらみから、抜け出すときである。お釈迦様は、「自灯明、法灯明」と説いている。これは自分自身を灯明にしなさい、
ということ。それより、「世間のどれいになってはいけない」ということ。 ≫
 ▼ 世間の奴隷の優等生になるなら「孔子」を、奴隷から逃れるには「老子」を、その中庸なら「孟子」に従えばよい。
  それから超越するに仏の教えを灯明にすればよい。世間という言葉には、「現象にドップリ浸かった考えない人たち」という
  意味がある。その感覚世界だけの幸せと生きがいを求めるの人たちを、著者は世間の奴隷という。趣味など自分の世界を持って、
  そこに生きていれば、そこに身近な7〜8人の人を立ち入れないことだ。その趣味の世界にも、世間がある。
  したがって、孤独の世界をつくっておかなければならない。孤独の世界は、求道の中にある。「学び、遊び、働き」の
  それぞれの場面で、個として守らなければならない。それが出来ない人たちが世間の奴隷になる。生きがい、幸福を自問自答
  するのは、それはそれでよい。問題はとらわれないこと。「進歩したい、向上したい」という気持ちも、考えてみれば、
  世間向けの気持ち。とにもかくにも面白く、楽しくなければならない。最期に、「ああ、面白かった!」と言えればよい。
  新潟駅前の事業を総括して一つ言える、「ああ、面白かった!」。本心である。それだけでない、事業の創業を決心してから、
  現在に至るまで、本当に面白かった。 咽喉ぼと過ぎればだが・・ そうこう考えると、感謝、感激、感動こそ人生である。
・・・・・・
4005, 宇宙は本当にひとつなのか ー7
2012年03月13日(火)
  * 人間原理とは        「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
【 この宇宙の物理法則を見なおして見ると、人間が出現するための条件がそろうようにできているのです。
 例えば、暗黒物質があるおかげで、星や銀河が生まれましたし、量子力学の法則の存在するおかげで、原子が潰れずに存在でき、
私たちの体も壊れずにすんでいます。また、私たちの世界は三次元空間が大きく広がっていて、それ以上の次元はとても
小さなっていると考えられている。空間が三次元に広がっているお陰で太陽系が存在できています。太陽系は、八つの惑星をはじめ、
たくさんの天体が太陽の周りをグルグルと回っています。もし、大きく広がっている空間が四次元以上だったとしたら、太陽の周りを
回るたびに少しずつずれてしまい、同じところをグルグルと回ることができなくなります。一方大きい空間が二次元しかないと、
DNAのこ重らせん構造をつくることができません。生物が存在できるかどうか怪しいものです。・・・
 そのようなことを一つ一つ考えていくと、この宇宙はうまくできすぎているのです。たくさんの条件をもった
宇宙がランダムにつくられていったと考えるにはできすぎているというところから考えられたのが、人間原理です。
 人間原理によると、人間が存在できるように宇宙の条件がそろえられているのは、ある意味で当たり前のことなのです。
宇宙のことを観測するのは人間です。人間が存在できる条件を満たしていないと、人間が生まれません。人間が生まれないということは、
観測されないわけなので存在しない、もしくは存在しないのと同じです。たくさん生まれた宇宙の中で、ごく稀に条件がそろった宇宙に
人間が生まれ、そのような特殊な宇宙だけが科学の対象になり、私たちが見ることができるという理論になっています。・・・ 
 自然法則やその中に含まれる物理定数は、人間のような高度な生命を生み出すのに丁度適した構造になっている。 
これはファイン・チューニングと呼ばれる。人間原理は、このファインチューニングという現象に対する説明を与える。
宇宙の自然法則と物理定数が生命の存在を許す絶妙なバランスを取っている事の理由を説明する議論には、他に、知的な存在を仮定する
宗教的な立場として創造論あるいはインテリジェント・デザインがある。 それに対して、人間原理は超越的な存在を仮定しない
自然主義的なアプローチである。 】
 ▼ 人間原理の「人間が現に存在をして認識するから宇宙が存在をする」は、カントの対象に対する認知の貼り付けの認識論に似ている。
  宇宙の広ろがりを知るほど、人間の存在と知能の不思議さを改めて思うことになる。「丁度良い」が、我々人間にも、
  住んでいる環境にも言えること。それを再確認するに、「ありがとう」を口癖にするのがベストになる。宇宙論も、最後は精神論か。
 ・・・・・・
3,639、大地震 ーつれづれに ー2
2011年03月13日(日)
 今回の地震の被害地・三陸地区はリアス式の入り組んだ海岸のため津波を増幅させ、被害を大きくした。
1896年の「明治三陸地震」は津波高さ 38メートル、死者不明者が2万2千人が出た。その37年後の1933年の「昭和三陸地震」
では、高さ28メートル−死者不明3千人、M8・1であった。 今度の津波は7メートルだが、津波の広がりは格段に大きいもの。
名称は本来は「平成三陸地震」が妥当だろうが、広範囲から最も頻繁に使われているのが「東日本大震災」。
しかし「東北地方太平洋沖地震」と名称されたようだ。 インド洋の大津波をビデオで何度かみたが、それに似た大津波を
日本でみようとは思ってもいなかった。色々な映像をYoutubeなどで見るにつけ、巨大津波に驚きざるを得ない。 
今回の地震は、北海道から九州までにわたっており、広範囲が特徴的である。 その中で首都東京に津波が発生しなかったことが、
不幸中の幸い。もし海水が流入したら国家機能が大きく麻痺をするになる。東京都内は地下鉄が網羅しており移動が非常に便利である。
それが浸水したら都民の足は大きく損なわれる。 関東・東海大地震も遠くない将来、必ず起こるといわれている。
それにしても、大津波の映像の迫力には驚かされた。釜石に押しよせた大津波の海水の流入や、広範囲の津波が海岸線を
飲み込んでいく場面には息をのんでしまうほど。 地震から発生した大津波、市街地や住宅地の火災、石油基地のタンク火災、
原発の放射能漏れなど、全ての問題が噴出してしまった。 特に、原発の爆発と放射能漏れという大問題が生じたが、
この数日は目を離せないことになった。世界のマスコミにとって、これほど映像として引き付けらるネタはない。
それがリアルタイムに世界に流されるのだから、日本の株、国債、円にとって大打撃になる。明日開かれる市場によっては、
本格的恐慌に入る可能性がある。弱り目に祟り目の循環が始るのだろうか? 土木・建設業界にとっては神風になるが、
日本経済には大打撃になる。
 ・・・・・・・
3274, ビックカメラの店頭は今!
 2010年03月13日(土)
 大型家電チェーンの店頭は時代の世相をそのまま現す。新潟駅新幹線出口の近くに位置して今まで10年以上あった
「ヨドバシ・カメラ」がある。 同じ駅中に競合の「ビック・カメラ」がオープンして一年になる。
「ヨドバシカメラ」は、これまで数年ごとに思い切ったレイアウトの変更をしてきた。 それを見ていると、
その時どきの時代の流れが見て取れた。携帯電話、デジカメ、パソコン、薄型TVの位置関係と種類と量だが。
 ビックカメラの店頭は、ある意味で駅周辺では現時点では一番ホットなところ。 で、店頭をみると、向かって
一番左側に携帯があり、中央に入って直ぐにモバイルパソコンが10種類以上展示してある。店のメインになる位置である。
そして、その後ろに最新の薄型TVが並んでいる。両方とも、売り場の至近距離にあり、「これが現在のパソコンや
薄型TVのホット商品ですよ」という紹介である。モバイルパソコンは、小さくて何処へでも移動しやすい。 
これだったら、常に持ち歩きが可能である。 各メーカーはiPadを意識しているようだ。 で、ドチラ?といえば、
やはりiPadを選択する。モバイルパソコンに、ツイッターが組み合わさって、この数年で世の中を一変するはず。
他のメーカーも似たような商品を出すだろうが、iPhone、iPodになれた客はiPadを選択する。
私も会社も、自宅もMacのパソコン。さらに、携帯もiPone、音楽もiPod。 立派なMacFanである。
 情報化の更なるウネリはマスマス大きくなるばかり。その元は、すべてアメリカ発である。ところでMacが
デジカメに興味を示したら、どんなカメラを創ってくるのだろう。今のところカメラやビデオを一つの機能としてしか
見てないが、思わない切り口があるはず。で、新聞をみていたら、デジカメの裏面が全てiPhoneのような
画面でタッチパネルの新商品の紹介記事があった。見るからに面白そうである。 家電の店内は夢があってよい。
・・・・・・・・・
2899, イオンの誤算
2009年03月13日(金)
イオンには大学を卒業直後、ジャスコの創業期に一年在社したことがある。まだジャスコ・オカダヤという名前で、
三社合併の一期生。僅か一年でも全エネルギーをようした記憶がある。その後のジャスコの躍進は目を見張るものがあったが、
地方の郊外型SCに全エネルギーを傾けたことと合併が最大の戦略ポイントであった。辞めた直後に三菱商事と組んで
ダイヤモンド・シティを設立したのを憶えている。その7〜8年後に長岡に立ち寄った元同僚の話によると、
「SCが大当たりで、テナント料だけで元が充分とれ本体の出店はイニシャルコストも、ランニングコストも零になる」という。
  (字数制限のためカット 2011年3月13日)
・・・・・・・・・
2535, 今年のフランチャイズ・ショーの感想
2008年03月13日(木)            ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪
二年ぶりにホテル・レストランショーと、フランチャイズショーを見てきた。
晴海に出来たビッグサイトで毎年開かれているが、30年来毎年行っていたが、この数年は隔年にしている。
おおよそ大会場を二回周る。 一度目は大雑把に見て周り、二周り目は気になったところに行く。もともと店舗ショーと、
一緒に行われていたが数年前から分離、開催されるようになった。ただ不景気のためか、年々勢いがなくなっている。  
 ー今回、面白いと思ったのを挙げてみると、
*木製のカプセルホテルのベッドである。
 家具屋が忠実に防音をテーマにして作ったもの。ホテルのテナントが撤退したあとに狙いを付け提案型にしたのがポイント。 
 当方にぴったりだが、少し値段が高いのが玉に瑕だが、木製のカプセル内は寝ていても 抵抗感が無いのがよい。 
 何か押入れの中で寝ているような感覚になる。 しかし木工団地の家具屋に行って特別仕様でつくれるレベルである。
 だから提案型にしなければ、誰もが自分で家具屋と組んで作るだろう。
*次に面白いのが電子レンジ・炊飯器。
 (字数制限のためカット 2012年3月13日)
・・・・・・・・・
2007年03月13日(火)
2170, 「日の名残り」ー 2   読書日記
       (~Q~;) おはよう?? ファ?
最後にある丸谷才一の解説の中の、ある一節がよい。
彼をしてこれだけの解説をさせるのだから、カズオ・イシグロの作家のレベルを窺い知ることができる。
 ーまずは、その解説の一節を抜粋してみるー
ーヘーゲルの名文句に「従僕の眼に英雄なし」あるが、ヘーゲルは、「それは英雄が英雄でなく従僕が従僕だからだ」
と言い添える。服を着せたら長靴をぬがせたり、身のまわりを世話してくれる卑小な男にかかると、
どんな歴史的人物も偉大なところが見えなくなる。欠点しか目につかない、というわけだ。
そういう理屈で押し切ることで、ヘーゲルは彼の歴史哲学を構築した。そうしてたいていの歴史小説は、
英雄を従僕の眼で見る手法と、英雄崇拝的な民衆の眼で見る態度とをまざあわせる手法で成り立っている。ー 
▼ この文章を読むまでは「英雄の私生活はその偉業を除けば普通の人と何ら変わらない」という解釈で、従僕の卑小な眼の
限界というヘーゲルの隠された意味を初めて知った。最近、「そうだったのか!」と、知らなかったことがあまりに多い。
良く解釈すれば、知識が増えた分だけ周辺の知らないことに気づいたということになるが。 そんなレベルには、まったくないことは
自分がいちばん知っている。またいかにもイギリス的なところが書いてある一節を紹介してみよう。断片からみる文化も興味をひかれる。
≪ ー私どもの世代にとりましては、執事としての職業的威信が雇主の人間的価値の大きさに比例して決まってくると言って
過言ではありません。 ・・・ 父の世代の執事は、世界を「はしご」に見立てていたと存じます。 いちばん上には、王室や
公爵家をはじめとする、古い家系を誇る家々があります。やや下がったところに、「新興階級」が位置し、サラにずーと下がってある
位置を越えると、あとは単純に財産の多寡で上下関係が決まります。 多少とも野心のある執事は、このはしごをできるだけ高くまで
上ろうとしましたし、一般的には、高く上るほど、その職業的威信も増したと言えましょう。 もちろん、ヘイズ協会の言う「名家」の
背後には、こうした価値観が隠されていたのです。・・・私どもの世代では、この世界を「はしご」ではなく「車輪」に見立てていました。
それは、偉大なお屋敷を中心に回転する車輪なのです。中心で下された決定が順次外側に放射され、いずれ、周辺で回転している
すべてにー 貧にも富にもーいきわたります。職業的野心を少しでも持つ執事なら、誰でも車輪の中心を望み、そこへできるだけ
近づきたいと願ったでしょう。 ・・・・(中略) ー執事になりたての頃は、私も雇主から雇主へ頻繁に移動いたしました。
それは最終的にダーリントン卿に巡りあう幸運に恵まれるまで、その時どきの地位から永続的な満足を得られなかったからに他なりません。
召使部屋の火を囲んで「偉大さ」の何たることかを語り合った当時、ミスター・グレーアム、
私も、この問題にこのような側面があろうとは思いもつきませんでした。ーー
ーーーー
この本を読んでいて、イングランドに行きたくなった。学生時代に行ったイングランドの印象は良くなかった。
プライドだけ高く、昔の威光がもの悲しそうに光っている国。もう二度と来たくない、というイメージがあった。
しかしその時、イギリスは数年いると深い魅力に圧倒されるとも聞いた。 面白いもので、一昨年に北イタリアに同行した人から
イングランドの旅の誘いの手紙が来た、さてどうするか。友人の息子がアイルランドに留学に行っているので、
二人で夏に訪ねていこうかと、先日酒を飲んで盛り上がったが、どういうものか?北イタリアの人に今日明日に手紙を出さないと!
この本を読んで感じ取ったことは、国の品格ということだろう。 この礎は世界中の植民地から奪略をしてきた富から
成り立っていることも事実である。突き詰めれば、どう考えるか?である。 


4745,閑話小題 ーあれから三年

2014年03月12日(水)

  * 現実に経験し、そうなってこそ、知ることがある!
 危険水域に入っているのは解ってはいたが、それでも、倒産など、その数ヶ月前までは、思いもしなかった。
当時、前年比20%半ばの売上減が三年目に入っても続いていたが、それでも何とかなる!という、気持ちがあった。
そして年末の支払に、予備資金を一時的に、手を付けざるを得なくなった。3年来の売上が半分、10年間で、
三分一まで、売上ダウン。その事態は10前には考えられないこと。予備資金を使いざるを得なくなった事態と、
年次決算が償却前で赤字が事業断念と、予め決めていた。資金枯渇前の事業断念は、当然である。
 その前に、家族や知人の連帯保証人による借入や、高利貸しの借入もあるが、子供の頃からの倒産に関する見聞で、
タブーは分かっていた。資金繰りに追われる前に、前倒しの実質自己精算の決断をしたことは、ここで書いてきた。 
三年経った現在、振り返ってみて、ベストの決断時だったと、自己総括している。
 5つの事業物件も順調に売却でき、四割近い自己弁済が出来た。後で知ったが、平均の弁済率は11%とか。
金融機関では40%以上が目標になっている。
 林原、林原生物化学研究所、林原商事のグループ中核3社が、同じ頃に会社更生法適用を出した。
その弁済率が93%というから、銀行と、何処かの国の共同陰謀?の疑いを持たれるのは当然。酷いものである!
事業物件の弁済のための売却相場は、半値八掛(4割)が通り相場。その差額は、誰かが利益を得ていることになる。
 事業が、この結果で終わって、どうだろう? 私の人生にとって、ベストだったか、ワーストだったか。
仮に、ベストだったとしての要素を集め、筋立てを組立てると、それなりの物語になる。
「老後は、年金生活範囲で、ごく普通に暮らせれば良しとすると、緊張感の中で、神経を尖られてきた40年の
事業人生より遥かに良い」というのは、自己欺瞞?。 会社の代わりにスポーツジムか、図書館に通う生活も悪くない。 
「自分(人間)が、ここに現在、あるのは、ビッグバン以来の奇跡の連続の結果。だから、何事も受け入れ、
何とかなる、と思っていれば何とかなるもの。 この経験で物事を多角度で見れるようになった。 物ごとは、
受けとめしだい!ということ。
・・・・・
4378, 閑話小題 ーあれから二年か
2013年03月12日(火)
   * あれから二年
 大震災から二年経つ。 また30年に亘った新潟駅前事業の整理も、それを機会に断行した。事業物件の売却などで4割近く
銀行に返済。残る6割強は回収機構から数年掛かりで百万を目安に買い取ることにした。別に買い取る必要もないが、成り行き
次第。 事前の依頼は、「綺麗に終わりたい!」。 弁護士、「事業整理に100点はない、せいぜい70点」。 
私、「それでは、70点にしてください!」。 で、その70点で終え、自己完結したと思っている。しかし、これまでの
社長の立場が今度は落伍者。「それがどうした!」と開き直るしかない。 自宅を家内が買い取り、肩身が少し狭いが、今までの
生活は大して変わらない。 長期の装置産業のため、時代変動のリスクヘッジを長年かけ積み上げてきため平然としているが、
倒産の9分9厘は悲惨なことは幼児期から見聞きし、分かっていた。それも一歩離れてしまえば、「夢幻」の過去の話になっていく。
 東北震災の影響は、これからである。その上に、リーマンショックの不良債権が奥底に隠されている。欧州危機、チャイナリスク、
イラン・イスラエル問題、北朝鮮リスクなど、問題が山積み。 過去10年を振り返ってみると、地元では中越地震と刈羽沖地震、
東北大震災。そして世界的な大地震の頻発。 金融危機としてリーマンショック、欧州危機が起こった。政治面では、アフガン、
イラクへのアメリカによる攻撃。北アフリカや中東では、独裁国家の崩壊の連鎖など激動だった。 しかし、今後10年は、
それ以上の大変動が起るはず。その中で事業経営は至難。 2001年の9・11テロの時点で、その影響を悲観的にみて、
現在を予測したら、誰も信じないはず。そうこう考えると、少しでも早く、事業整理か、思い切った縮小をすべきことになる。
これ10年前の自身に向けた言葉でもある。 リーマンショックも、東北震災も、その予兆はあった。しかし、大事件ほど、誰もが
「まさか!」で、何もしないし、出来ない。先日の、NHKのBS/TVで、地震学者が、首都圏の直下型と、南海トラフ地震は
間違いなく起こると予言していた。リーマンショックの不良債権は表立つし、ユーロ圏の崩壊も、イラン・イスラエル戦争も、
間違いなく起こる。そうこう考えれば、まだ、現時点は世界的動乱の序曲に過ぎない。悲観的過ぎる? その中でのサバイバル、
面白そうと嘯いていられない。夢幻でなく、これは現実。10年後に、これをどんな事態で読むのだろう。いや、生きていないか?
・・・・・・
4004, 3・11から一年
2012年03月12日(月)
 去年の今の頃、リーマンショックから三年目に入り売上の激減が止まらず事業整理の検討を始めた矢先、3・11が起きてしまった。
それまであった迷いと躊躇が吹っ飛び、その一週間後の3月18日に整理の最終決断をした。 この地震規模が千年に一度の、
三連動の太平洋沿岸沖500キロに及ぶ大震災。 それが大津波を伴って原子力発電所を直撃した歴史的大震災であった。
その上に、この規模の大地震は今後、数十年にわたり他の地震帯や火山に大きな影響を及ぼし、再び大地震が
起こる可能性が大きい。 その一つが首都圏にあり、何時、首都直下型地震が起きても不思議でない事態。 日本経済にとって、
失われた20年間で国家体力を消耗した上での大震災。この経済的マイナスの影響が、今後、大きく覆い被さってくる。
更に悪いことに欧米の経済は世界恐慌の一歩手前。よくぞ、ここまで悪い条件がつづくもの。
  ー 東北大震災の最終被災をまとめてみるとー
・ 死者、行方不明が19000人。 そのうち行方不明者が3155人もいる。
・ 避難生活者が34万人。 半分が仮設住宅に住んでいる。
・ 仕事を失ったままの人が 4割
・ 家族が離ればなれが   3割
・ 福島では原発事故の避難者12万人(県外避難者が6万3千人)で、そのうち三分の一は福島県には戻る気はない。
・ 日本にある原子力発電54基は、二基を除いて停止。 その二基も1〜2ヶ月で停止予定。
  おまけに、原油がホルムス海峡の封鎖が何時、起こるか分からない。
・ 欧州発の世界恐慌も、秒読み段階にきている。
 ▼ 他人事ではなく、私も間接的の被災民でもある。 直接原因はリーマンショックだが、最後の一撃が、この震災。
  昨日は一周年で、地上波のTVでは、終日、その報道を流していたが、このイベントを期に、次の関東直下型地震に
  シフトが移るのは、世のならい。 日本は、過って経験をしたことのないマイナス坂を転げ落ち始めた。
  数十年にわたった安穏とした時代が長すぎ、ゆで蛙状態が現状。リーマンショックの経済大津波が、そこに来ているのに!
・・・・・・・
3638, 大地震 ーつれづれに
2011年03月12日(土)
 数年前に地元の中越地震、柏崎・刈羽地震を身近で経験したばかりなのに、更に国家を揺るがすような大地震に遭遇しようとは。
事務所のある新潟駅前では震度4の震度だったが、揺れかたが広域の地震のような気がした。 直ぐにTVをつけたところ、
リアルタイムに生々しい地震と津波が中継されていた。特に大津波が海の彼方から押し寄せてくるのを据付カメラが写しだしていた。
そういば先週みた映画「ヒア・アフター」で、ヒロインの一人が大津波に襲われ九死に一生を得る場面があった。
津波に飲み込まれ流される場面は圧巻だった。しかし、これは現実である。 TVの画面は長い海岸線に何波も線を描いて
押し寄せてくる場面がリアルである。 その上に、お台場のビルや、石油基地のタンクが炎上している場面などが生々しい。
夜になっても全国彼方此方から津波が注意報が流されていた。 観測が始って以来最大のM8・8の大地震。 規模は東北全体と
関東甲信越にわたっている。 この文章を書いている現在でも、現在進行形で余震が発生しており、TVからライブで流れている。
江戸時代には、地震が多発していたというが、1896年 明治の三陸地震 - 岩手県綾里 の津波高さ 38.2 M - 死者不明者 22,000 人が
知られている。今回は、7メートルだったが、被害は、死者が数千か、数万人になるのか。東北6県の人口合計と東京都の人口は、
ほぼ同じ。 もし関東に地震が起きて同じような大津波が襲ってきたと想定したら被害は莫大になる。
 結果として、これまで起こっていた東北の地震は、この地震の予兆ということになる。 今朝も、震度4の地震があった。 
これだけの大規模の地震に対して、即応は無理のはず。救援を待っている被害者が多く存在してことを思うと心が痛む。 
まさか、まさか、まさか、で、今でも現実として受け止められないの大方だろう。 国内では部分的な地震は多くあっても、
これだけ広域にわたった地震と、津波は私が知っている限り初めてである。そういえば、学生時代の友人が仙台飛行場近くの
河口辺りに住んでいるが大丈夫だろうか心配だ。病いのある連れ合いがいるので動き辛いはず。
・・・・・・・
3273, 東京大空襲より65年
2010年03月12日(金)
 一昨日の3月10日で東京大空襲から65年というが、新聞では殆んど扱ってなかった。
東京の住民10万人がアメリカによって虐殺されてのである。その日にマスコミが取上げないのは如何いうこと?
長崎も、広島も、同様の殺戮をしているが、これも一般住民を狙った殺戮である。日本人は人が良いのか、馬鹿なのか?
敗戦国へのソ連の扱いを見ているので、恐ろしくて言えないのである。
 ー「東京空襲」をウキィペディアで調べると
東京大空は、第二次世界大戦中にアメリカ軍により行われた、東京に対する焼夷弾を用いた一連の計画的かつ大規模な
戦略爆撃の総称である。東京は、1944年11月14日以降に106回の空爆を受けたが、特に1945年3月10日、4月13日、4月15日、
5月25日に大規模な空襲を受けた。通常「東京大空襲」と言った場合、規模が大きかった1945年3月10日の空襲を指すことが多い。
太平洋戦争(大東亜戦争)中に行われた空襲の中でも、とりわけ民間人に被害を与えた空爆である。死者、合計10万。
 ▼ 以上だが、戦争とは、そういうものだとはいえ、罪ない虐殺は重大な犯罪。その後、アメリカは朝鮮とベトナム、アフガン、
 イラクで同じような殺戮を繰り返している。アメリカ支配者層の輩は、日本人などイエローモンキーとして数段下に見下している。
そうでなければ、こんな残酷なことをしない。もっとも、スターリンのソ連では国民を数千万も殺戮したし、
毛沢東支配下の中国では文化革命下2000万とか3000万の国民が殺戮された。狂った猿の最たるものである。
アメリカは戦争を金融に当てはめ、金融工学で100年にわたり世界の金融を支配していた。そして、このザマである。
その直轄支配国が、この日本である。マスコミも、自民党も、官僚も、その宦官でしかなかった。
それに最近になって気づいたのだから、私は何? それさえ気づいてないのが、現在の日本人の大多数。
 そして、これから10年、世界は恐慌の嵐になる。「東京と名古屋に原爆が二発!東京は金融恐慌。名古屋は輸出壊滅」
と恐慌本の見出しにあった。もっとも、世界中が原爆が落ちているようだが、目に見えないところが不気味。
 ・・・・・・・・・
2898,現在、歴史的転換期の真っ只中
2009年03月12日(木)
 現在、我われは途轍も大きな歴史的転換期に立っている。
・東欧・共産圏と、ソ連の解体を20年前に見せつけられた。
 誰も自分の生きているうちにソ連が解体するなど想像すら出来ないことであった。
・その直後から、パソコンによるインターネットや携帯電話などによる情報革命を目の当たりにした。
・21世紀の初頭の2001年9月11日にはニューヨークの二つのビルに旅客機による自爆テロが起きた。
・そして今度は、アメリカ資本主義帝国の破綻と世界恐慌である。それとアメリカで歴史上初の黒人の大統領が誕生した。
この一連の出来事は、何か得体の知れない歴史的な転換期に我われが立たされていることを知らせている。
近代という名のロシアを含めた欧米主導の進歩と共同幻想が破壊したことである。そして、欧米の暗示から醒めた世界中の民族と、
これまでの欧米の文明の衝突が数十年にわたり本格化する岐路に立っているのが、現在地ではなかろうか。 
そうすると、今年にかけてイスラエル国内?のアラブ地区での虐殺が象徴的に際立って見えてくる。世界の中東・イスラエル化が
今度の行き着くところだろうか。アメリカはイラクを捨てて、戦線をアフガニスタンまで下げようとしているが、
イラクからの名誉ある撤退のための方便とも考えられる。 最終的には日本まで下げてくる可能性もある。
アメリカの国力が、この恐慌で大きく疲弊してしまったからである。 そこで日本は大きな選択を迫られることになる。
・中国と距離を置いて、アメリカ、カナダ、ロシア・シベリア地区、日本のラインの同盟を組むか、
・中国、韓国、台湾、アジアと組んだブロック化の仲間入りをするか、
・何処とも距離を置いた欧州のスイス的な方向か、になるだろう。
どれをとるにしても、日本の国力があまりに疲弊しているので、大きな問題が次から次へと起きるだろう。
今までのアメリカのポチの存在であることは不可能である。
 私の人生だけでも、世界の激変を多く目撃することができた。時代の激変という面で何世紀も生きたような気がする。
  濃厚な時代を生きることが出来た!ということか。
・・・・・・・・・・
2008年03月12日(水)
「金と口の出し方」?2
ー「金と口の出し方」の問題に対して、更に書き写してみよう。
「金は出すが、ロは出さない」とか、「金は出すが口も出す」とかいう言葉がある。
それで、この金と口の出し方について、いろいろ考えて見た。
・まず、金を出す方の立場から。 金は出すが、口は出さない、という結構な人。寄附などこれに当たるだろうが、
ほかにそんな奇特な人はまずいないだろうと思われるが、それが、意外にある。銀行の預金者。それから、日本の納税者。
ただし、政治献金を出す大企業も、口先ではそんなことをいうが、むろん大嘘で、ほんとうは次項に属する。
金は出すが、口も出すというのは、社員に対する社長。テレビのスポンサー。それから、たいていのパトロン。
金は出さないが、口は出すという勇ましいのは、ろくに税金も払わないで、何とか国家に文句をつける方々。
もっとも一方で、政治家とは公然脱税業であると心得て、これもほとんど税金を払わないくせに、国防だの教育だのに、
大きな顔をして口を出す政治家がワンサとあるのだから、アイコである。金は出さないが、口も出さない、というのはアカの他人である。
・次に金をもらう方の立場から。金は出せ、その代り口を出してもいい、というのは大抵の場合、女房がそうだろう。
正確にいえば、口を出してもがまんするしかないということだろうが。 金は出せ、口を出すな、というのは、セガレや娘が
親に対していいたいせりふだろう。金を出さなくてもいい、その代り口も出すな、というのは、アカの他人に対しては、
こういうよりほかはない。金は出さなくてもいい、しかし口を出してくれ、という人。 こんな人はいない。 『半身棺桶』
 ―ー
以上だが、これはゲゼルシャフトとゲマインシャフトの混同の話になる。
(この難しそうな話は後日、読書日記で書いてみるつもり)己と他者の関係の話にもつながってくる。
一般的に、他人の知恵を借りるのはタダというのが一般の通り相場である。
それを如何に他者(本)から引き出し、それを己の知恵に摺りかえるのが読書の効用である。
話は変わってしまったので元に戻す。「金は出さないが知恵を出してくれ」ってのが、何人かいる。
無料コンサルトを当然のように求めてくる人。それも、交互の利益になるならいいだろうが、そうじゃない人の場合・・
・・・・・・・・
2007年03月12日(月)
 2169, 書店のカテゴリー・キラーの業態      オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
土曜日の朝、新潟駅裏に開店した『ジュンク堂』について書いていた。
コーヒータイムに、その日の朝日新聞・土曜版の一面トップをみたら、なんとジュンク堂社長の
インタビュー記事の特集をしていた。偶然にしては出来すぎである。「意味ある偶然の一致」である。  
それより「私の感覚も悪いものではない!」とほくそえんだが・・・。
  ーこの朝日新聞の内容をまとめてみると、
・最新の池袋本店は地上9階、地下1階で日本最大の2000坪(6600M)の売り場に約150万冊が並ぶ。
(字数制限のためカット 2014年3月12日)


4744,閑話小題 ー3年前の日記より

2014年03月11日(火)

  * あれから三年経ったが
  3月11日といえば、東北大震災から三年になる。
10年日記帳には具体的な現象を記録しているので、振り返ってみる。
 震災と、倒産への、生々しい日々が書かれている。人生の大きな節目に、
こういうことが重なるのが不思議である! 忘れたいが、そうは言って
いられない。直視し、現在を見つめ直すしかない。それにしても、日本の
政治は明らかに変!
・2011年3月09日(水):昨夜半、数時間、眠れず。 正午、轡田氏、
 事務所に来訪。2時まで。 事業断念に向け具体的になってきた。
 年齢からしても、こんなものか。終わりの始まりということ。
・3月10日(木):16時〜17時45分(会計事務所と弁護士事務所の共同
 センターの一室で)支配人、副支配人、会計事務所の担当Jさん、
 弁護士と、打ち合わせ。6月か、ゴールデンウィーク明けか、秋口か? 
・3月11日(金):14時から支配人と、前日の話合いの内容をチェック。
 決断は私がするが・・ その時に、14時46分に大きな揺れ。どうも、
 揺れ具合が、普通ではない。これは何処かで大地震が起きたはずと
 TVを入れると、東北で、過ってないほどの大地震と報じている。
 そのまま見ていると、とにかく海辺の人は非難するよう絶叫。
 17時過ぎに長岡に向け、バスで帰ることにした。
・3月12日(土):昨日の地震は、時間が経つにつれ、想像を絶する惨状。
 津波で多くの街が水没していく内容がリアル。昼は近くのイタ飯屋の
 サエゼリアで食事。
・3月13日(日):報道が、福島原発の崩壊に向いている。TVは全局、
 この震災関連。福島は、かなり危険な状況。 YouTubeをみると、
 さっそく、リアルな投稿が多く流されている。
・3月14日(月):新幹線が不通のため、車で新潟に向かう。高速道路に
 車がいやに多い。新潟回りで東北に向かっている。
 11時に福島原発の二つ目が爆発、かなり危険のようだ。
・3月15日(火):福島原発、3つ目が爆発、ますます危険になってきた。
 そういえば、学生時代の友人の奥野君が、仙台の海辺に終の棲家にして
 いるはず。東京の加藤君に電話をする。奥野君とは連絡取れず!
・3月16日(水):今日予定していた林さんとのコンサルト、この混乱で、
 中止。原発事故が、差合っての大問題。もしかしたら、金沢か、山陰
 あたりに避難? それより、会社のことがある。明日か、明後日に
 決断しないと!
・3月17日(木):前日は、車で自宅に。(新潟に16年間赴任していた
 大学時代の友人)東京の三崎君に電話を入れる。東京は、平静という。
 それより、明日にでも会社存続か、断念か、の決断である。
・3月18日(金):為替介入があって、79円ー>81・4円へ。大震災から、
 まる一週間になる。これで日本は新たな領域に入る。
 今日の、二人の役員との打合せで、事業断念を決定する。
 来週、弁護士と、その手続きに入る予定!
▼ 東北震災の中での、大きな節目。何か、いま一つ、現実感が無かった。
 しかし、動物的な感覚が、茹で蛙の自分を支配して、目の前の処理案件を
 淡々と一つずつこなしているのが見て取れる。 毎月、30年間、月次
 決算に来ていた会計事務所の担当が、「楽しんでいるように見える。
 不謹慎!」と、言われたが、この事態に現実感を持って動いては
 いられない。修羅場は修羅場で違う人格が現れ出る。ただ、後悔や、
 逡巡はしていられない。身近がまず、手のひらを返すのは当然だが・・
 あるのは、節目時の隠れた野生の感覚。 3月19日以降は、後日に
 書き出すが、この内容、自分でも、面白いのだから、第三者は、
 もっと面白い? 書き残す醍醐味か、変質者か? それでも大震災の
 ドサクサに、助けられた。
・・・・・・
4377, 「世間」の捨て方  ー1
2013年03月11日(月)
                ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや(著)
 創業は、既存の業界を根底から否定し全く新たな形態をつくること。起業だけでなく、何かをなすということは、社会、
世間に距離が出来てしまう。 社会学を専攻した影響もあるが、内から目線(信念)と、自分を見つめる上から目線が強くなる。
この経済の大津波に押し流されても平然?としていられるのは長年かけて作ったバイアスがあるから。世間など、とうの昔に
捨て去ってきた。しかし、世間にどっぷり浸かってきた人には、新鮮で奇異だろう。 ーまずは、アマゾンの内容紹介ー
【 景気に振り回される生き方はやめよう。世間はいつも狂ったもの。社会と距離をおき自分だけは愉快に楽しく暮らせばいい。
 そのための考え方を語り尽くす本。】  ーまえがきーより
≪ 「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」だと思います。普段、わたしたちは「世間中心」で
 生きています。無意識のうちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。 子どものころから、わたしたちは、
「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」と言われ続けてきました。「世間の人から褒められる人間になりなさい」
「立派な人になりなさい」と教えられてきた。つまり、世間の「期待」に応えることが求められていた。しんどい生き方ですね。
 よく考えてみてください。世間の「期待」に応えるといっても、その「期待」が何なのか、あなたに分かっていますか? 
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、仲間と協調する人間でしょうか? 
それとも、独断専行的ではあるが、行動力のある人間でしょうか? 場合によって違っています。 とすると、あなたが企業の
「期待」に応えるためには、場合場合に応じて自分を変えねばなりません。どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、
ともかく自分を相手に合わさねばならないのです。疲れますよ。そんなことをしていると、人間失格になってしまいます。
だから、わたしたちは世間を捨ててしまいましょう。世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。
 だいたい優等生というのは、相手の「期待」に応えようとして、うじうじ悩んでいる人間です。いままでの時代は、
そんな人間がある程度幅を利かせていたかもしれません。でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も予測できません。
とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。「世間中心」ではなしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
 ・・・世間のほうがどうしてよいか分からず、われわれに気兼ねしているのです。いまの時代をそのように読んでいます。
本書において、わたしは自己流の時代の読み方に従って、われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰にも
言わなかったことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。ぜひお読みいただきたいと思います。 ≫
 ▼ 学生時代の武澤ゼミでのケーススタディ。15人位で、会社内のトラブルの現象の問題点と背景を捉え、原因と対策の
  意見を出し合い円座で議論する訓練である。プリントされた問題点には、多くの要素が隠されている。その答えは思いも
  よらない分析と回答が用意されている。ゼミの出した結論と、それを対比し、更に議論する。よい経験をしたものである。 
  そして社会に出てみると、それぞれの具体的構造が、リアルに見え過ぎ戸惑うほど。事業の立ち上げには理想的経験だった。
  で、最後は経済恐慌など三連発で、この様。でも、悔いもない。 それを選択したのが、私なのだから。東北震災の
  被害者は、その世間を根こそぎ失ってみて、絆の暖かさと、逆に無意味さを感じ取っているはず。世間消滅も善し悪し!
・・・・・・・
4003,宇宙は本当にひとつなのか ー6
2012年03月11日(日)                  
  * 多次元宇宙論と多元宇宙論 ー2      「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著    
 ♠ 多元宇宙論とは  ー 宇宙は一つではない ー
◇「多元宇宙」= 暗黒エネルギーを説明するためには、相対性理論と量子力学を1つにした新しい理論が必要だ。
 その最有力候補の超ひも理論のよれば、まだ未完成だが、膨大な宇宙が存在するという結果が出てしまう。
これが宇宙は10の500乗個も作られたという「多元宇宙」という考え方だ。
◇ ー三次元のサンドイッチー
 これまでの話をまとめると、多次元宇宙とは、宇宙自身は一つで、私たちが見ることのできる三次元空間以外にも別の方向がある
というものでした。しかし多元宇宙は、その前提が大きく変わります。宇宙自身が一つではなくたくさんあるという考え方が多元宇宙です。
多元宇宙というアイデアの一つの例として、三次元空間がサンドイッチのように何層も存在するというものが考えられます。
これは私たちが生活する三次元空間がいくつもあるのではないかということですね。 しかし、この場合は、たくさんあるといっても、
全体から見ればひとくくりの空間の中に収まります。ということは、一つの宇宙の中に私たちが実際に見ることのできる空間と同じような
三次元空間がいくつもあることにすぎないのです。 実際、重いものを、この三次元空間の中に置くと、別の三次元空間に影響が出ます。
例えば、私たちの宇宙が図の「宇宙1」だとします。「宇宙2」にある星や物質は私たちの星や物質とぶつかったり反応したりすることは
できません。しかし三次元方向で近くに来ると重力では引き合います。もしかすると暗黒物質は重なった別宇宙の物質という説がある。
▼ 暗黒物質と暗黒エネルギーは、別宇宙の物質と考えると理にあう。 ヒモ理論が10次元の異次元宇宙の可能性を説いている。
 この本でも述べているが、「人間原理」という、カント哲学風の「宇宙を認識するから宇宙はそんざいする」という素朴な説が立ち現れる。
・・・・・・・
3637, 「みずうみ」 茨木のり子
2011年03月11日(金)
だいたいお母さんてものはさ  しいん としたとこがなくちゃいけないんだ
名台詞を聴くものかな!
ふりかえると お下げとお河童と 二つのランドセルがゆれてゆく 落葉の道
お母さんだけとはかぎらない 人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を持つべきなのだ
田沢湖のように深く青い湖を かくし持っているひとは 話すとわかる 二言 三言で
それこそ しいんと落ちついて 容易に増えも減りもしない自分の湖 さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい 人間の魅力とは たぶんその湖のあたりから 発する霧だ
早くもそのことに 気づいたらしい 小さな 二人の 娘たち
 ーー
 みずうみとは、 内省する時間、孤独の時間、過去を省みている時間。
この畔で水面にうつった周囲の景色や現在の自分の姿を眺めて、我を忘れ佇んでいる静粛が永遠に通じる。
・・・・・・・・
3272, 裏読み日本経済  ー2
 2010年03月11日(木)
  * 9・11テロを予測していた投機筋
 為替のディーラーをしていた人の著書「新・マネー敗戦」に刺激的な文章があった。「・・・2001年の7月からスイス買いが
始っていたのである。それは、何らかの危機が迫っているを察知していた投機筋がいたからだ。当時、北米からの資金が
スイスに大量に流れているという構図があった。 さらに、欧州通貨でみてもスイス買いが進んでいるのが英国ポンドである。
ユーロではスイス売りが進んでいるのに、ポンドでスイスが買われているということはつまり、欧州通貨内でみる限り、
米ドルに何かが起こることを示唆しているともいえるのだ。以上の理由から、米国発、あるいは北米発の金融危機が
起こるかもしれないとう漠然とした予測が脳裏をよぎり、ドル・スイスに関しては「ドル売り・スイス買いにしたままで、
二ヶ月後の9・11を迎えた。これは偶然の一致の域を超えていた。明らかにスイスはニケ月前から危険信号を発していた。
このトレードセンターの崩壊を明らかに察知し、それで儲けようとした一団がいたのである。 9・11の夜ほど、
肉食系投資家という見えない存在の恐ろしさを感じたことはなかった。」 ところが、先日に購入した「ドル亡き後の世界」にも、
「・・この日の一週間前から航空会社の株式の出来高が10倍になり、航空会社株には大量の空売りが入っていた。
このテロ後に、これらの投資家は天文学的な大儲けとなった」とあった。誰がいったいテロが起こることを知っていたのだろうか。 
当時、週刊誌に一時取り上げられたが、その後、何時の間にか、そのことを取り上げなくなった。 世の中には、私たちの知らない
世界があるようだ。あのテロはアメリカ軍事産業の業界に膨大の需要を発生させた。 数日前に民主党の国際局長の議員が、
9・11陰謀説を取り上げたことに、アメリカが異常な反応を示した。 陰謀説の仮説は充分に説得力があるからだ。 
更にいえば(私の説だが)リーマンショックも、「100年に一度、500年に一度の大恐慌になることを見越した陰謀」
という仮説も成り立つ。 これは私が当時から疑問に思っていたことである。 6千兆円以上の返す当てのない国債を、
毒入債権をアメリカ国内だけでなく世界中にばら撒くことにより、一度、現在の通貨をチャラにするチャンスになった。
グリーンスパンに「百年に一度の世界恐慌」と言わせ、フレーズにしてしまい何度も流し、それなら新しい貨幣制度も
いたし方あるまいと洗脳させ、まずは新しいドルに替えて裏にもぐった金を表に叩き出し、その後、踏み倒しのための
新ドル、それも交換価値の数分の一に一方的に下げる。 9・11も、リーマンショックも、元もと仕組まれていた
借金チャラのための大芝居という仮説が、生々しく筋として通ってくる。
 ・・・・・・・・・
2897,自民党はすでに死んでいる
2009年03月11日(水)
 ー自民党はすでに死んでいるー 上杉隆 (月刊SITGHT)
「STGHT」という雑誌に、政治ジャーナリストがインタビュー形式の「自民党はすでに死んでいる」が、
正しく現在の自民党の姿を浮き彫りにしている。すでに死んでいるのなら、「あの連中」は、ゾンビの集団ということになり
彼等の信じがたい政策と右往左往の理由が理解できる。 戦後の大部分の間、色いろあったにせよ、一応国民の支持を受けて
日本の舵取りをしてきた。 小泉も含めて20年間、日本を彷徨える船のように衰退へ導いてきた。
最後の締めは、安部、福田、麻生という二代目、三代目が政権を放り出しを含めて未曾有の無策を露呈してしまった。 
それを一番身近にみてきた政治ジャーナリストが、彼らの崩壊過程の姿を辛らつに切り捨てているため往生際の悪い醜態が
漫画のように思えてくる。 結論の「自民党はすでに死んでいる」の理由を、本の末尾で以下のように述べている。
 《2001年4月に、小泉首相が誕生した時に、山本一太さんと会う機会があった、その時彼は「自民党は、小泉という
奇人が登場して、たまたま助かった。だけど、小泉がいるから助かったので、この人がいなくなったら自民党は終わる」と。 
その時に喩えたのが自民党は恐竜だったと。その恐竜は、森政権が最後で、倒れてしまったけど、小泉が一人出てきて、
それが支えてきただけ。 それがいなくなれば倒れるだけと。7年前の山本さんの話は、そのとおりであった。》
 ーここで上杉隆は自民党の現状を冷たく以下のように切り捨てているー
・麻生内閣の支持率が下がるのは、今さら驚くことではない。問題は、自民党がまだ古い自民党の
 手法、政治体質を維持している麻生に「ノー」といっていることに、気がついてないことである。
・麻生は、小泉が体現した総理の権限、官邸主導の強さを一番真近で見てきたので、それを在任期間で使わないと
 死ぬに死ねない。もう全ての人は彼を見捨てていている。彼は死んだまま存在しているに過ぎない。
  (字数制限のためカット 2011年3月11日)
・・・・・・・・・
2533, 人間魔界図鑑 
2008年03月11日(火)
この事業を始めて28年になるが親戚縁者は、一人も入れてない。実家の会社で子供の頃から父と兄との葛藤や、
親戚の従業員のイザコザを見てきたからだ。親戚の場合、首を切りにくい。彼らは親戚の立場を利用しようとするから歪みが出るし、
これほど使うほうからして、タチの悪い相手はいない。その逆も言えるのである。立場違えば、これほど微妙な相手はいない。 
姉の舅も20年近く勤務していたこともあるが、・・・ まあ、やめておこう。次の文章が、人間の本性を辛らつに書き表わしている。
「金と口の出し方」
Pー25
「君はまだ若いから、わしの意見をきいておけば、何かの参考にはなるだろう。
わしはね、これでもずいぶんひとの面倒をみた。ぽんぽん金もやった。たくさんんの人間を一人前にしてやった。
ー君、君もすこしは人に知られるような人間になってみなさい。蟻やら蝿みたいな奴が、ウヨウヨとたかってくるよ。
そんな奴にかぎって、みんな面倒をみられ、金をもらい、一人前にしてくれるのを当然と思ってるな。
そうした意味でいちばん不愉快なのは、あかの他人より、知人親戚という奴だな。
わしがこうなるまでには、血の小便を出すほど奮闘した。しかし、むろんわしひとりの力とは思わん。
恩になったひとはずいぶんある。しかし、そういう知人親戚と称する奴とは何の関係もないな。
なかには、生まれてから、いちども顔をみず、名も知らなかったような親戚が続々と現れてくる。
叔母の従兄の細君の妹が嫁にいった先の義弟なんて連中だ。 あの安藤も、わしを叔父さんと呼んどるが、
その口だ。むろん、わしには一切合切みなたかるがままにしておいた」 「・・・・・・」
「ところがだ、それが、ちっともありがたがらんのだ。いや、ありがたがってもらいたくないが、恩を仇でかえす連中が多いのだな。
これをわしの不徳のいたすところなんて、ていさいのいいことをわしはいわん。かんがえてみると、はじめからただで人に
たかろうなどという気を起こす人間は、所詮それだけの人間なんだ、むろん、それはそれでよろしい。
そういう連中にかぎって、あまりものにならん。そいつらはたかっただけの勘定を、どこかでじぶんで支払うことになっとる
ようだが、それはわしの知ったことじゃない。ただ、よくよく見ていると、はじめわしが金をやり、面倒をみてやったことが、
かえうて害をなしておるのだね。世の中はこれで通ると甘くみる根性をうえつけたらしいのだな。
そうと知ってからは、わしは一切無意味な金は出さんことにした。人間は、自分のカだけで生きてゆくべきものだ」「・・・・・・」
損得をいえば、はした金をやって悪口をいわれん方がトクだよ。しかし、わしもこの年になれば、死んだあとで馬鹿者の悪口が
のこることより、この世にじぶんの養成した馬鹿者をのこすことの方がいやだ。
ーしたがって、わしは、わしにちかづく人間はだれでも、その人間の値打ちだけの待遇しかせんのだ」、『極悪人』
・・・・・・・・、
2007年03月11日(日)
 2168, 池田晶子が亡くなった!ー 2        おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
先日、8年前に出版された『考える日々』の中古本をネットで買ったが、最近の本を読んでいるためか、一つピンとこない
部分があった! 哲学者も8年で大きく成長するようだ。彼女を偲んで、印象的な彼女の文章を幾つか書き出し考えてみる。
  『人生のほんとう』 ー人の死は悲しいのかー 
(字数制限のためカット 2014年3月11日)


4743,心を上手に誘導する方! ー5

2014年03月10日(月)

      * 科学的に説明できないことの存在   「心を上手に透視する方法 」トルステン・ハーフェナー (著)      
 世の中には、科学で説明できないことが多く存在している。何もかもが、科学で説明できるという考え方が、
間違っている。私など、科学的という以前に、何も知らないことを、やっと実感してきたところ。
とはいえ無知も自覚しないで、一挙に神秘主義に、陥るのも問題である。 ー以下の内容が、面白いー
《 ・魔女が火あぶりにされた暗黒の中世の時代に、次のようなことが試された。
 魔女とされた女性が腕や足を縛られ、橋の上から川へと突き落とされ、女性が水に沈んだら、魔女ではないとされた。
水に浮いたら、その女性は悪魔と関係があるとされ、火あぶりにされた。しかしスペインから来たある宗教裁判官は、
このやり方にまだ慣れておらず、違う方法を思いついた。中身が見えない袋に、黒い球を六つと、白い球三つ入れておき、
魔女だと訴えられ女性に目隠しをされて、片手で袋の中から球を取り出す。そこで黒い球を取り出したら火あぶりにされ、
白い球を取り出したら釈放された。 この魔女裁判の論理的一貫性について疑問をもたれても、僕に聞かないでほしい。
本来なら、球の色を逆にすべきだ。 しかし当時はきっと、理にかなっているかどうかなど関係なく、ましてや誰かが
魔女だとされても、それが真実なのかどうかも重視されなかったのだろう。もし今が中世ならきっと、今読んでいる
この本を持っているというだけの理由で、訴えられてしまっただろう。
ところが、訴えられた女性のうち四人に三人が、白い球を取り出したそうだ! なぜそうなったかは、誰にもわからない。
 ・もう一つこんな話がある。一八九八年、モーガン・ロバートソンが書いた『フユーティリティ(愚行)』が出版された。
 この本で作者は、当時最大の豪華客船の沈没を描いた。このフィクションの船は長さ八八ニフィート(約二七〇メートル)、
重さ六万六千トン、乗客と乗組員三千名を乗せていたが、救命ボートが少なく二十四艘しかなかった。小説に出てくる船は、
不沈船とうたわれた。もう一点つけ加えると、ロバートソンはこの船に「タイタン」という名前をつけていた
「タイタニック号」のことは、有名な映画もあって誰もが知っているだろう。この船は一九一二年の時点で当時最大の客船。
長さ八○○フィート、重さ七万トンで、三千三百六十名の人が乗っていた。そして、救命ボートは二十艘だけ…。
実際にこの船が沈む十四年前に、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレット出演の映画ができる前に、
どうやったらあのような物語を書くことができたのだろうか。僕にはわからない。 》
▼ 前段に関しては、何とも微妙な確率だが、生死をかけた(賭けた?)選択なら、集中した神経の手のセンサーが、
 色を見分け確率が二倍以上になるのも不思議でない!と、私は信じる。これは話題として面白いので、雑談に使える。
 後段は、多く知られている実話である。戦争の実戦体験をしてきた人には、こういう不思議を多く経験している。
 孔雀の羽根のデザイン、誰がした? 何故、知恵が湧いて出てくるか? 科学で説明などできようがない。
・・・・・・
4376, 閑話小題 ーひと間の景気回復?
2013年03月10日(日)
   * つれづれに ーひと間の景気回復?
先日、家内に、「毎日、新幹線で新潟に30年も通っていて楽しそうだったのに、この生活、ツマラナクナイ?」と聞かれた。 
他にも誰かにも、「家で毎日、何をしているの?」とも聞かれた。「現役の時は、客商売もあり常時戦場。 口に出さないが、
全神経を張っていた。 物事には良いことには悪いことが、悪いことには良いことの両面ある。今は、刺激は少なくなったが、
40年間の緊張感から解放されて、サバサバしている。 以前と比べた良しあしなど考えたことがない。 今は今で、生きて
いるのに、精一杯。」が、私の返答だった。 節目の重要性知っていて、叩き方を間違わなかったので、混乱は最小だった。
起業を経験しているので、起承転結の、結の着地を長年かけて準備して軟着陸したこともあり、未練も悔いも、ほぼゼロ。
まだ、現役の日々を過ごす人を見るにつけ、「サッサと枝葉を切れば」と老婆心が出てくるが、これは立場の違い。
そうこうして日々、御隠居になっていく。 
 今月いっぱいで一年間の家内の当番の町内の班長が終わる。色いろ大変だったようだ。家内が、当番で、ある家の奥さんを最近、
見かけなかったが、別に気にとめてなかったが、うつ病で3年前に自死していたという。 去年秋には、一人暮らしの御婆さんが
孤独死があったばかり。 自死の9割が精神疾患あり、その6割が、うつ病という。うつ病は、15人に一人は一生のうちにかかる。
私が知る限り、前段階の「うつ症」を入れると
5人に1人。100万人が、それで現在、通院している。 
今回の節目時に一番注意したのは、この穴に落ちること。 しかし、死にたいとか、食欲がないとか、虚脱状況、外界の興味喪失
などは一切なかった。 その状況で右往左往している自分を上から目線で冷笑しているのも変だが。日本も世界も、恐慌の瀬戸際。
その最中、最後のリンゲルをうつべく、安部と麻生コンビが登場してきた。 重症の糖尿患者に強烈なホルモン注射で、
活を入れようというのだから。 「美しい日本」、どうなるのだろう。 大きな節目時は、自ら大きく変わるしかない。
 ・・・・・・
4002, 宇宙は本当にひとつなのか ー5
2012年03月10日(土)            
 * 多次元宇宙論と多元宇宙論     「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
  ♠ まずは多次元宇宙論
◇ 多元宇宙という言葉はあまりなじみがないと思いますが、この言葉には大きく分けて二つの意味が込められています。
 一つ目は多次元の宇宙。次元というのは時間や空間の広がりを表すもので、私たちの目には宇宙空間は三次元に見えています。
 私たちは上下、左右、前後と三つの方向に動くことができるので、三次元空間といっていますが、実は、宇宙には私たちが
 気づいていない方向があるかもしれません。つまり、三次元以上の次元があるという考えを多次元宇宙といいます。
 これは、あくまで、宇宙は一つという前提です。
◇ そして二つ目が多元宇宙。多次元と多元。文字が一つ違うだけで言葉の意味が大きく違ってきます。
 多次元宇宙は、宇宙空間に今まで知られていなかった次元があるということで、次元が増えても、「宇宙の数は一つのまま」です。
 ところが、多元宇宙というと、宇宙がたくさんあるかもしれないという考え方なのです。 私たちは、宇宙は一つしかないと思って
 生きてきたわけですが、もしかしたら、私たちが住んでいるこの宇宙は、たくさんある宇宙の中の一つで、この宇宙のほかに
 たくさんの宇宙があるかもしれないということをいっています。 
◇ まず、一つ目の多次元宇宙から話を進めていきます。そもそも、次元とは何かというとところからおさらいをしていきましょう。
 私たちは日常生活の中で人といろいろな約束をします。例えば、友だちと映画を見ようという場合・待ち合わせをするわけですが、
 このとき、基本的に四つの数字が必要です。場所を東京都新宿区の映画館としますと、新宿駅から東へ四分、そして南へ三分というように
 目的地までの道のりがあります。 ここで二つの数字が出てきました。目的地がビルの場合、もう一つ、ビルの何階という数字が
 必要になります。これで三つの数字が出てきました。この三つの数字があれば、待ち合わせの場所を指定することができます。
 しかし、これだけでは友達と会うことができません。あと大事な情報が抜けています。「いつ」という時間の情報ですね。
 今度の日曜日の十時と時間が決まっていれば、すれ違うことなく出会うことができます。これが四つ目の数字となります。
 ・・・しかし、これ以外に、違った見えない次元があるかもしれない。・・・空間が3次元であるというのは、人間の感知能力では
 3次元までしか感知できないという意味であって、空間が絶対的に3次元であるということではない
(「ひも理論」という最新の物理の理論では宇宙空間は9次元だという)。
 4次元以上の空間で働くエネルギーを把握できていないので、残りの95%は何なのか、分からないのでは? 
 ▼ 多次元宇宙は、この宇宙が一つで、その中の異次元宇宙をいう。三次元の他にも異次元があるが、
  三次元の空間では、それを理解できない。二次元の世界で、三次元を理解できないのと同じ。10年ほど前までは、
  異次元というと眉唾ものであったが、2003年を境に宇宙学者が真剣に研究を始めるようになったという。
  ・・・・・・・
3636,  精神科医師の幸福論 −1
2011年03月10日(木)
 * 精神科の医師の幸福論とは?
 学生時代に「自己改革」「自己実現」という言葉に出会った。そして、ニーチェ、司馬遼太郎の歴史小説に感化され、
その影響下で、ここまで生きてきたようである。 何とか辿りつき息を抜きかけた時に、一連の世界的変動である。
 ところで最近、以前ほど自己実現とか自己達成という言葉を聞かなくなった。その反面、「自分の好きなことを見つけ、
それに向かって邁進しなさい」という言葉に出会うし、私も、ここでも何度か書いてきた。自己実現など仰仰しくなく、
一日一日を好きなことに埋没できることが幸せであると・・。学生時代に上京し、都会人のセンスの良さに比べ、地方から抜け出せない
自分に嫌気をさしていた矢先に、抜け出す手立てとして自己改革・自己実現という言葉が、脱皮のための福音のように思えた。
 ー その辺のことを、精神科医の大平健がレポートの中で、以下のように書いている ー
≪ 幸福とは、《自分が人生に満足している状態》と定義してみると、幸福になるためには、
* ‘人生の箇所’にアクセントを付けて「満足できる人生を手に入れる」のと 
* ‘自分’にアクセントを付けて、「人生に満足ができる自分になる」のと、二種類の道筋があることが分かる。
 そこで、若者たちの場合、どんな"人生なら満足できるかというと、美味い食べ物・飲み物、綺麗な服、気の利いた家具といった
モノの数々に取り囲まれ、気に入った仕事、誇れる学歴、楽しい趣味といったコトの数々に浸る人生。
もちろん、おしゃれな彼や、かわいいベット、ほっとできる鉢植えといった‘生き物’も必要だが、それらは自分の人生を
幸福色に染めてくれるモノのようなニュアンスを帯びている。  
 次に、どんな"自分になれば人生に満足できるかというと、これは更にふたつの場合に分けられて、
 ー1 とりあえず今までの(不満の多かった)「自分」から抜け出す
 ー2 新たな「自分」になるというのとである。
 というのは、しがらみ(人間関係・社会的地位・財産などの束縛)から解放されてのびのびしたりすること。
若い人が「自分がきらい」というのは、大抵は、「きらいな自分」から抜け出せないで足踏みをしている状態にいるということ。
また宗教の力を借りてまで、自分の人生に(モノやコトの)不足ばかりを見ていた、それまでの「自分」から何としてでも
抜け出よう(解脱しよう)という若者もいる。{文藝春秋2010季刊秋号 ゼロからはじめる幸福論 P28「幸福の白地図」大平健}
▼ 私も自己実現という脱自を求め、ここまで生きて来たが、それが自由と名づけられたものだった。
しかし、これも廃れ無名称化してしまった。代わりに「好きなことを見つけ楽しむこと」が、最近の風潮になっている。
それに流されていただけでしかなかったのか? いや、こういう停滞の時代こそ、それぞれが己の感覚を信じて、
己の世界を構築することが求められるのか? マスコミに影響され流される時代は終わってしまったことだけは確かである。
・・・・・・・・
3271, 裏読み日本経済  ー1
2010年03月10日(水)
 「裏読み日本経済ー本当は何が起きているのか」 朝倉慶/ 著
  ー内容ー
 資本主義は「神の見えざる手」ではなく「人の見えざる手」で動く!今の資本主義の中核となっている市場が、
「神の見えざる手」によって機能しているのなら、経済はうまく回っていくはずだ。ところが市場は時として
 不思議な動きをみせて大きく崩れる。そして、ブラックマンデーや日本のバブル崩壊などの大暴落にの裏側には、
 つねに莫大な富を手にする人たちがいた。決して表には出てくることのない資本主義のタブーに迫り、
 「神の見えざる手」ならぬ「人の見えざる手」の存在を証明する。
<詳細>いま「日本売り」を仕掛けているのは誰なのか?株式と国債の大暴落から国家破綻までも
   視野に入れた恐るべきシナリオとは?経済を裏側から動かしている仕組みをすべて教えます。
第1章 世界はデフレなのかインフレなのか(いまはデフレなのか、インフレなのか?
 ;40兆円の需給ギャップが日本をデフレに陥れている ほか)
第2章 これから起きるのは国家破綻の連鎖(ドバイ・ショックの本当の意味
 ;世界経済はごまかしでもっているだけで、実質的には破綻 ほか)
 (字数制限のためカット 2012年3月10日)
 ・・・・・・・・
2896, オーラをみたことがあるか? −2 
 2009年03月10日(火)
*それをブロッケン現象というらしい!
 前回の「オーラをみたことがあるか?」を書いた翌日、これを読んだ知人A氏が来て「自分も見たことがある」という。
「亡くなった父が登山が好きで、早朝の登山で自分のオーラを見たという。それをブロッケン現象といい、登山仲間の間では、
これを見ると遭難しても助かるというジンクスがある。父も何度も登山で遭難しかけたが、助かった経験を持つ。そういう
自分も、早朝のゴルフで自動散水しているところにゴルフの球を取りに行った時に、自分の影のオーラを見た経験がある」とか。 
それをブロッケン現象と言うと教えてくれた。ドイツのブロッケンという山でよく見ることが出来るので、そういう。
 ーそこでネットのウィキペディア辞書で調べてみたー
ブロッケン現象は太陽などの光が背後からさしこみ、影の側にある雲粒や霧粒によって光が回折され、見る人の影の周りに、
虹と似た光の輪となって現われる大気光学現象。 光輪 ともいう。山岳の気象現象として有名で、尾根の日陰側かつ
風上側の急勾配の谷で山肌に沿って雲(霧)がゆっくり這い上がり、稜線で日光にあたって消える場合によく観察される。 
航空機から見下ろす雲や、平地でも川霧等に現われることがある。
・虹に比べて、見かけの大きさは10分の1程度と小さく、光の輪は何重にもなる場合がある。
 また、見る人の影が十分小さければ、中心点にも輝点が見られる。内側は青色で、外側は赤色。
・ブロッケンの妖怪(または怪物)とも呼ばれるが、日本では御来光、山の後(御)光、仏の後(御)光、あるいは
 単に御光とも呼ばれる。これは、古くは阿弥陀如来が姿を現したと考えられていたためである。
 槍ヶ岳開山を果たした僧・播隆の前に出現した話が有名。
 ーー
 私が母のオーラを見たときは、早朝の靄〈モヤ〉がカカッテいたため。ただ、あれが私が経験した稀な現象でないことを
初めて知った。昔の人が自分のオーラを見たら神の仕業と思うだろう。私は、人体の周りにはボデーフィールドが在ることを
知っていたので、たまたま見えたと思ったが。自分のブロッケン現象を見てみたいが、無理か。
・・・・・・・・・
2532, ウェブ時代 5つの定理 ー2
 2008年03月10日(月)
 ーまずは第3の定理の概要から
  第3定理は「技術者の眼(め)」である。21世紀のビジネスは、科学と技術を抜きにして考えることはできない。
 アントレプレナーシップとチーム力を、その根底で突き動かしているのが「技術者の眼」だ。 シリコンバレーの中核には、
 科学や技術を愛する人たち独特の価値観が深く根付いている。起業家やエンジニアばかりでなく、経営者、投資家や
 金融機関にまで、文系的な管理者的な論理とは全く異なる精神が貫徹されている。特に2つのことが重要である。
・1つが西海岸特有のカウンターカルチャー(伝統的・支配的な文化に対抗する文化)から強い影響を受けた思想である。
・もう1つが「大きな技術の流れに逆らっては絶対にダメだ」という考え方である。
 (字数制限のためカット 2012年3月10日)
・・・・・・
2007年03月10日(土)
2167, 「日の名残り」 ー1    読書日記       才八∋ウ  _〆(∀`●) 
 福田一男著「成熟への名作案内」で紹介してあった本である。さっそく、インターネットで取り寄せた読んだが、
英国在住の日本人作家カズオ・イシグロ(石黒一雄)が執事スティーブンスにー偉大さの条件は、品格にあるー
と言わせているところが良い。
 ー2007/01/20 に「2118, 品格についてー2 」で書いたが、その本の中で、他に幾つかのプロとしてのあり方、
そして品格について、英国的文化にも興味を引かれる。英国の上流階級のマナーと考え方と教養とは何かを、執事の眼を
通して論じている。ホテルのマネジャーの職業に似ているところがある。何か反省させられるところが多い本であった。
パタゴニアに行ったとき、ツアーの品の良い中年の添乗員が、若い時に何年間か英国暮らしをしていたといっていた。
(大手銀行系から脱サラしたが、事業に失敗して・・・・)「執事のつもりで、何なりと仰せ付け下さい」という言葉の通り、
執事のように自分を押し殺し手際よく役割をこなしていた。この本を読んでいると英国の歴史の深さと豊かさが感じられる。
イギリスといっても、その背後にはオーストラリア、南アフリカ、カナダなどの国が連邦をなしていて、英国人が多く住んでいる。
日本とは、その隠れた豊かさのレベルが違うようだ。
 ▼ 旅先の最後の日、桟橋で見知らずの老人と話す場面がある。その老人の言葉がよい!「なあ、あんた、わしは
あんたの言うことが全部理解できているかどうかわからん。だが、わしに言わせれば、あんたの態度は間違っているよ。
いいかい、いつも後ろを振り返っていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。
何だって?昔ほど仕事ができない?みんな同じさ。いつかは休むときくるんだよ。わしを見てごらん。
引退してから、楽しくて仕方がない。そりゃ、あんたもわしも、必ずしも若いといえんが、それでも前をみなくちゃいかん」
その時だったと存じます。男がこう言ったのはー「人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。
足を伸ばして、のんびりするさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方がいちばん一日で
いい時間だって言うよ」男が立ち去ってから20分ほどになります。私はここに残り、いまの瞬間をー桟橋のあかりが
点燈するのを待っておりました。さきほど申し上げましたが、楽しみを求めてこの桟橋に集まってきた人たちが、
点燈の瞬間に大きな歓声をあげました。その様子をみていると、先ほどの男の言葉の正しさが実感されます。
   (字数制限のためカット 2014年3月10日)


4742,閑話小題 ー大相撲が始まるが・・

2014年03月09日(日)

   * 面白くなってきた大相撲!
 今日から大相撲が始まるが、久々に有望力士の三人が出てきた。遠藤、モンゴル出身の「照の富士」、「逸ノ城」
(実業団優勝で外国人初の幕下15枚目付出しで、先場所から入った)である。1〜2年後には、役力士として、次の
大関候補になっているはずだが、怪我があるため断定は出来ない。私の目では、モンゴルの二人は、白鵬、朝青龍クラスの
要素があるようだが、どうだろう。「遠藤」は相撲センスがあるので、大関になれる逸材だが騒がれすぎで潰される?
 一連の不祥事の危機感もあってか、相撲が真剣勝負になって俄然面白くなっている。 
 ここで大関の鶴竜が、地味だったが徐々に力をつけてきた。先々場所から、その力が開花し、横綱候補になったが、
性格が大人しいのが弱点。真面目で、こつこつ稽古をするタイプで好感が持てるが、横綱は図太さが必要になる。
 このところ上位陣に個性的力士が揃ってきた。ブルガリア出身の碧山あたりが、突然、大化けの可能性がある。
今場所は、色いろ楽しめそうだが、相撲協会の体質が変わってないのが、気にかかる。
   * へ〜、そうか!
 一昨日のシネマの中で、「人はオナラを一日、平均14回する」と言っていた。身に覚えのあるのは4〜5回?だが、
意外と多いのに驚いた。白人は腸が短いため、回数が多い? 大家族の商家の中で育ったこともあって、暗黙の内に、
鼻ほじりやオナラなど人前の不調法は厳禁であった。「海外ツアーでは、日中、ほぼ皆無」を考えると、環境にもよる。
動いているとガスは溜まらない? ヨガにガス抜きのポーズがある。仰向けになって、脚を曲げ、膝の上から両手で
抑えて腹に圧迫を数分続ける。これを50人でするから壮観。 ところで、欧米人、本当に14回もするのかな〜 
・・・・・・
4375, 閑話小題 ーシネマ評論
2013年03月09日(土)
   * フライト ーシネマ評論ー
― まずは、荒すじから、
≪ フロリダ州オーランド発、アトランタ行きの旅客機が飛行中に原因不明のトラブルに見舞われ、3万フィートから
 急降下を始める。機長のウィトカーはとっさの判断で奇跡的緊急着陸に成功。多くの人命を救い、一夜にし国民的英雄と
 なる。しかし、彼の血液中からアルコールが検出されたことから、ある疑惑が浮上し・・≫
▼ この隠れテーマは「アル中機長の崩壊ドラマ」。そのアル中毒を隠すため覚醒剤を使っている二重構造の複雑な筋書き。
 搭乗の直前まで酒と女に浸り、それを隠すため覚醒剤を吸って職務につく。ところが悪天候。アルコールのため操縦を誤り、
 墜落の危機に陥る。しかし覚醒剤が効いたのか、奇跡的な機転で墜落を逃れる。そしてマスコミで一躍、ヒーローになるが、
 機内でも度の強いアルコールを飲んでいた。 ところが回収された殻ビンから発覚。 航空会社は、隠そうとし、本人も、
 騙し通そうとする。 裁判で逃げ切ったと思われたが、最後の最後に、良心の呵責で重度のアル中を告白する。
 アル中患者の手記などで、その実態を幾つか読んだことがあるが、それをハリウッド版にしてリアルに演出していた。
 私も酒癖で多くの失敗を重ねてきたので、身につまされた内容だった。 ー90点評
    * 草原の椅子 ーシネマ評論ー
  ― アラスジは、≪ バツイチで、年頃の娘と二人暮らしの遠間憲太郎に、50歳過ぎてから三つの運命的な出会いが訪れる。
 一つは、取引先の社長・富樫に懇願され、いい年になってから親友として付き合い始めたこと。
 二つは、ふと目に留まった独り身の女性・貴志子の、憂いを湛えた容貌に惹かれ、淡い想いを寄せるようになったこと。
 三つめは、親に見離された幼子、圭輔の面倒をみるようになったこと。
 憲太郎、富樫、貴志子の3人は、いつしか同じ時間を過ごすようになり、交流を深めていく中で、圭輔の将来を案じ始める。
 年を重ねながら心のどこかに傷を抱えてきた大人たち。そして、幼いにも関わらず深く傷ついてしまった少年。
 めぐり逢った4人は、ある日、異国への旅立ちを決意する。そして、世界最後の桃源郷・フンザを訪れたとき、
 貴志子が憲太郎に告げる。「遠間さんが父親になって、私が母親になれば、あの子と暮らせるんですよね」 ≫
▼ 7000メートル級の山々の間にあるフンザ。そこの、目がきらきら輝いていた子供たち、そして何ともいえない雰囲気の
 ある地元の素朴な人々。遠くに光輝いていたウルタル山。私の見たフンザは、映画の画面で見たものより遥かに輝いていた。
 ここで、多くの写真を撮ってきた。 最近みる映画は殆どがハリウッドもの。 陰鬱の時代に「ドンパチもの」で、ストレスを
 発散するものが多い。その中で、スローライフの中年のファンタジーものの映画も良い。フンザもよいが、あの旅そのものが
 絶品だったことを、この映画で改めて知った。 人生、万歳三度である。逆に人生に三度万歳をしろ!ということ。ー90点評
 ・・・・・・
4001,4000回の随想日記 ー2
2012年03月09日(金)
「11年も休むことなく2〜3時間もかけてエネルギーを入れて、それが何になるのか?」という疑問が立ち上がる。
そのことは私自身が、まず感じていること。40歳後半から60歳まで、秘境・異郷旅行に年に数回行っていた折に、
義母が家内に、「何で好きこのんで、そんなところにワザワザ出かけるのか分からない」と、首を傾げていたという。
これと同じである。そこで大自然の懐の中で出会う感動は、実際に経験しないと分からない。毎日、一文章を書き上げる習慣で
得られる知識と情報の蓄積が、物事の視点を変ていく面白さは、実際に書き続けないと分からないのと同じ。 
 一ヶ月ほど前に朝日新聞の投稿欄に面白い、○○丸出し?の投稿があった。 要約をすると
≪ 自分は退職後、ボランティアで忙しく充実した日々をおくっているが、聞くところ、定年後、暇を持て余して図書館で
時間潰しをしている人が多いという。それなら自分のように人のため、世のために、ボランティアをする道がありますよ!≫ 
 一見、正しく、道理である。ボランティアこそ定年後の人生の義務かもしれない。 しかし図書館に通い人生の経験の糧を
得た後の読書もベストの時間の使い方になる。 問題は自分のボランティアに酔いしれて、読書三味の人が、ただ時間潰しにしか
思えない自惚れに気づかないこと。その人の人生の余白の埋め方は当人が決めること。それを批判する知性が問題である。
 万人が、このことと似た勘違いをし自画自賛をしている無知の自分に気づかない。 四千回も書き続けている自分に自己満足を
しているのと、ボランティアを自画自賛している人を合わせ鏡にして、そのバカさを、自覚していない愚かな自分が、ここにいる。
自分のため、11年、書き続けてきた、ただそれだけのこと。 人生は、経験と知識と感動を得ていく旅路である。
 面白いのは、書いているプロセスで、自分の枠組が自然と浮かび上がって、その内側を覗き見えてくること。
 ・・・・・・・
3635, 他のせいにするな!
2011年03月09日(水)
  「自分の感受性くらい」 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を  ひとのせいにはするな  みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを  友人のせいにはするな  しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを  近親のせいにはするな  なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを  暮らしのせいにはするな  そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を  時代のせいにはするな  わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい  自分で守れ  ばかものよ
▼ 自分を批判する目が失われることが、老いの一現象かもしれない。若い人でも、心が老いてしまっている人がいる。
 その目は他人にいき、己の乾いた心が硬直しているのが見えなくなってしまっている。
「 駄目なことの一切を  時代のせいにはするな  わずかに光る尊厳の放棄 」 が身に沁みる!
 とはいえ、100年、500年来の地殻変動の中であることは確か。「駄目な一切」を「時代のせい」ではなく、
「他のせい」にするな、ということ。 感受性が鈍るから。
 ・・・・・・・
3270, 焼き鳥は何故串刺しにするのか?
 2010年03月09日(火)
 図書館で書棚を見ていたら「焼鳥は何故串刺しか?」という本があった。
「何々??」と手にとってみたが、成るほどと思う部分があった。迷ったが借りてはこなかった。
  記憶に残ったことといえば、ー 串刺しにすると ー
・何本食べたか出す方も、食べる方も分かりやすい。
・串は食べやすい。箸を使うことなく串を口に持っていける。
・皮、ハツ、モツ、軟骨など、多品種にできる。
・焼き台で焼くのに串が最適。 (かつ火が通りやすく、生焼きを避ける)
・肉や内臓の切れ端が無くすことができる。
・内臓など安い材料のものを、串に刺すことで、見た目に良く見える。
 このように、改めて考えると要領を得ている。
最近、串刺しをしないで、材料を焼くだけの焼鳥を居酒屋で見かけるが、何か様にならない。
串焼に刺した肉や魚などを鉄板の間に挟んで焼く専門店がある。駅前に一店しか成立をしないが、焼き鳥の方が人気が高い。
 串ものといえば串団子がある。これも串刺しにすることで一々箸で摘むことなく食べることができる。
蒲焼も串を通して焼くが、出すときは串を抜く。焼き鳥の焼き台で一本一本がクルクル回転するものや、ベルトコンベアで
一回転する間に自動的に焼き上げるものもある。また火も炭のような金属を熱して焼くものなど、色いろな工夫もされてきている。
冷凍は客に嫌われるので、食肉屋が串に刺したものを配達するのもある。豚肉や内臓を串に刺す焼とんは、戦後の食糧難のときに
苦肉の策でできたという説がある。最近、スーパーなどで中国製の冷凍のものを見かけるが、やはり焼き鳥屋で酒を傾けながらが良い。
 ・・・・・・・・・
2895, 不況景色 −9
 2009年03月09日(月)
去年の9月15日以来、毎日が恐慌の進行のメルクマールを書く日々になっている。この一年で中国で二千万人、
アメリカで四百万人の失業者が増加。直近の12・1・2月の三ヶ月でアメリカは200万人が失業をし、それは年率にすると800万人。
中国は今年は更に二千万人が失業するという。日本も水面下で失業が増え続けている。来月辺りから爆発的な倒産とリストラにより
失業者の激増が予測される。昨日の朝日新聞の一面トップで「失業者 雪崩打ち生活保護へ」ー1月は最多116万世帯ーと報じていた。
5年前の2004年の100世帯、14年前の1995年の60万世帯、25年前の79万からみると、異常な増加。
この事態の中では当然だが、それが更に大幅に失業者が増加し続けるのである。
・日本では、夫65歳、妻60歳以上平均で、収入平均が17万、支出が25万。残りは預金の取崩しや子供からの援助など。
・国民年金も40年払い続けて、満額で一人当たり6万6千円、二人で13万あまりだから、
 ギリギリまで働かないと個人営業者は生活できない構造になっている。
・支出25万円の内訳は、食費6万、住居2万、水道光熱1万6千、保健医療1万6千、交通通信2万7千、その他11万1千円。
地方では、最低生活は月に15万円と税務所の担当から聞いたことがある。中小会社や、個人営業者は船板一枚下は地獄。 
だから日々が刺激があって面白いが、反面、常に最悪の事態を常に想定して生活している。
この百年か数百年に一度の恐慌は弱者を土壇場に追い詰めることになる。イギリスでは、あのロイドが国家管理になり、
4大金融機関のうち2つが国家管理になってしまった。まずは世界の銀行が破綻しているが、これからは実体経済がやられ
企業倒産が続くことになる。その影響をモロに受けざるを得ない事業のため、毎日が生きた心地がしないが、成るがままに
身を任せるしかない。 今さらジタバタしても、しなくても同じことである。現金商売というのが、目先は何とかしてくれる。 
1〜2年は何とか大丈夫? 二年後には駅前再開発による道路拡張で「一つのホテルの買収計画」が具体化するので、
まずは二年さえ凌げばよいことになっている。 まあ何とか成るようになってはいるが・・・。
それすら、大津波は根こそぎ破壊するかもしれない、それが世界恐慌である。
・・・・・・・・・
2008年03月09日(日)
産経新聞のトップページに5回にわたって連載さっれた梅田望夫の【ウェブ時代 5つの定理】が面白い。 
梅田の本を読むのは4冊目になるが、今のところ外れはない。  その5つの定理とは、
 その1 アントレプレナーシップ     その2 チーム力
 その3 技術者の眼           その4 グーグリネス 自発性に導かれた「時間」
 その5 大人の流儀  になっているが、 
 まずは1と2の概要をまとめてみよう。
* 第1定理は「アントレプレナーシップ」(起業家精神)。
 新しい物事に対する積極的意欲、リスクを引き受けて果敢に挑む姿勢、不確実な未来を楽しむ精神の持ちよう、
 飽くなき探究心や冒険心や没頭、変化を求める心、自分の頭で考え続ける力、始めたら徹底して勝つまでやりぬく気持ち、
といった要素がこの言葉には含まれる。
 ≪シリコンバレーの存在理由は「世界を変える」こと。「世界を良い方向へ変える」ことだ。
 そしてそれをやり遂げれば、経済的にも信じられないほどの成功が手にできる≫
 これはアップル創業者兼CEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズの言葉である。
 「アントレプレナーシップ」を支える「常軌を逸した熱」は、「やりたいことをやる」という気持ちと、
 「社会をより良くしたい」という思いの組み合わせによって持続する。
 お金が最優先事項では長期にわたってそういう熱が持続しない。倫理性と経済性が融合したシリコンバレーの
 そんな独特の論理が、仕事の面白さを倍化させ、強い「働く意欲」の源になっている。
* 第二の定理はチーム力
 ≪Aクラスの人はAクラスの人と一緒に仕事をしたがる。Bクラスの人はCクラスの人を採用したがる≫
 この言葉をシリコンバレーでは格言としてよく耳にする。Aクラスの人は、自分を向上させたいと常に思っているから、
 自分より優れた人と一緒に働きたいと考えるが、Bクラスの人は実力に不安があるから自分よりも劣った人を採用してしまう、
 という意味である。チーム編成においてはAクラスの連鎖を作るべし。イノベーションを生むには、選りすぐりのチームを組成する
 ところから始めなければならないという経験則が、この言葉の背後にある。≪世界を変えるものも、常に小さく始まる。理想の
 プロジェクトチームは会議もせずランチを取るだけで進んでいく。チームの人数は、ランチテーブルを囲めるだけに限るべきだ≫ 
 これはサン・マイクロシステムズ共同創業者のビル・ジョイの言葉である。マイクロソフトもアップルもグーグルも、
 すべては数人のチームによる熱狂的な没頭から始まった。「世界を変える」イノベーションを生む一番大切なことは、
 資金でも設備でもなく、 情熱を持ったわずか数人の力を結集して爆発させる「チーム力」にある。
 ▼ この二つはソニーの創業時の井深や盛田などと同じである。日本にも筑波という素晴らしい都市があるが、
  そこの個性的な創業者の姿は見えてこない。研究都市だから、少し違うとしてもである。


4741,閑話小題 ーソロモンの指輪の物語 〜1

2014年03月08日(土)

    * 「ソロモンの指輪」の物語が面白い!    
  まずは、ーネット検索の内容からー
【 昔、ソロモン王は、悪をはたらく72人の悪魔たちを真鍮でできた器に入れて封じ、湖底深くしずめたとされます。
しかし時を経て、そうとは知らないバビロニアの民が湖底より引き上げて、封を開けてしまった。 かくして人と悪魔が
ともに住む時代がやってきた。時が経つにつれ、ソロモン王自ら望まなかった名誉をも手に入れていた。
外国の女性もふくめ妻700人、側女300人も仕えさせるほどとなっていた。賢明なソロモン王でも、長い間ライバルもなく、
一人勝ちの状態が続けば、慢心する。それを見た神が罰として、悪霊を遣わした。 その悪霊は、ソロモン王に化けて、
知恵の象徴であるソロモン王の指輪を奪い、海深くに投げ捨てた。 悪霊はその後、ソロモン王になりすまし、本物の
ソロモン王を城から追い出した。指輪を失ったソロモンは、知恵も誉れも無くし、自分を王だといっても信じてもらえず、
物乞いしながら生きながらえる毎日でした。 やがて3年の月日がたち、ソロモンは、別の王国の王宮料理人と知り合い、
見習い料理人となりました。 そのうち彼の料理が気に入られ、そして王女に慕われるようになりました。
やがて二人は結婚を決意しました。しかし、王様は、料理人との結婚を許さず、二人を砂漠に追放した。
二人は砂漠を彷徨い歩くうち、運よく海岸へ出て、とある漁港へたどり着く。 空腹を満たすために、そこの漁師から
なんとか水と魚を分けてもらい、魚を調理しようとお腹をあけると、神の名が刻まれた指輪がでてきました。
その昔、悪霊に海へと捨てられた彼の指輪だったのです。それを指にはめると、たちまち力が蘇った。
ソロモンは、その指輪を着けてエルサレムに戻り、偽のソロモン王を倒して王座を取り返ました。
そして、ともに砂漠をさまよった王女を唯一の妻として一生幸せに暮らしました。】
▼ 『ロード・オブ・ザ・リング』(2001年)からの三部作と、前日譚にあたる『ホビットの冒険』が3部作として、
 2012年から2014年にかけて2部が公開され、2部まで、都合5作を見てきたが、これが面白い!
 旧約聖書外伝のこの「ソロモンの指輪」が原型かどうか? キリスト教圏の人たちにとって、誰も知っている物語。
  その辺りが、欧米と日本人の見方の違いになるが・・・ ところで、生まれてこの方、指輪などしたことがなかった!
・・・・・・
4374, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー6
2013年03月08日(金)            
  * 平等も格差も遺伝子に組み込まれている    「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲著
 チンパンジーに、既に平等が埋め込まれているとは驚きである。長年の間の試行錯誤の結果である。
ということは、それから進歩した人間は、平等から一歩進めて「公平」という概念になる。しかし、この辺りが一番難しい。
容姿も、能力も、人種も、生まれてきた環境も、その人によって違っている。当然のことながら、人間は不平等に生まれつく。
しかし、チンパンジーの遺伝子に平等も格差も組み込まれている意味を考えてみる必要がある。 ーその辺りを抜粋するー
≪ 二頭のチンパンジーを、真ん中をガラス窓で仕切った部屋に入れ、片方にキュウリを与えるえるとおいしそうに食べる。
 ところがもう一方のチンパンジーにバナナが与えられると、いきなり怒り出して、手にしていたキュウリを壁に投げつける。
さっきまであんなにうれしそうだったのに。霊長類学者のドゥ・ヴァールは、こうした観察結果からきわめて重要な発見をした。
平等はチンパンジーにとって、けっして譲ることのできない「基本的猿権」なのだ。
 ぼくたち人間も、「平等」に強いこだわりをもっている。人種差別でたくさんの血が流れるのも、バックパッカーが
ぼったくられたことに延々と文句をいうのも、同じ人間として平等に扱われていないと感じるからだ(もっとも先進国の
バックパッカーは、自分たちが特権階級に生まれたという不平等を意図的に失念している)。
 でも平等が遺伝子に刻み込まれた生得的な価値観なら、なぜ世の中は格差社会になるのだろう。それは、「格差」もまた
ぼくたちの遺伝子に刻印されているからだ。
 初対面の二頭のチンパンジーを四角いテーブルに座らせ、どちらにも手が届くところにリンゴを置くと、互いに取りあう。
負けがつづくと威嚇の表情を見せるが、喧嘩にはならない。互いに先取者に所有権があることを認めているからだ。
 ところが同じことを何度も繰り返すうちに、どちらか一方がリンゴに手を出さなくなる。からだの大きさなどさまざまな
特徴から二頭の間で自然に序列が生まれ、いちど階層が決まると、下位のチンパンジーは上位者にエサを譲るようになる。
 保育園や幼稚園でも、子どもたちを集団で遊ばせるとごく自然に階層が生まれ、リーダーが決まる(とくに男の子の場合、
この傾向は明瞭)。サルやヒトには、相手と自分の関係を測り、無意識に支配したり従ったりする強力なちからが働いている。
人間の耳には、五〇〇ヘルツより低い周波数は意味のない雑音(ハミング音)としか聴こえない。ところがぼくたちが会話をすると、
最初はハミング音の高さがひとによってまちまちだが、そのうち全員が同じ高さにそろう。 ひとは無意識のうちに、
支配する側にハミング音を合わせるのだ。≫
 ▼ サルの研究では、サルと人間の重なる部分から、人間の本質を探っていく。特にサル社会の「平等」と「格差」との
  微妙な調整がポイントとなる。生まれて死ぬまで、高校、大学、会社、事業、結婚相手などの選定が延々と続く。
  その結果、都会では、住む地域まで格差ができる。その最たるものが皇居。アフリカの王族国家を見れば、システムの
  馬鹿馬鹿しさが見て取れるのに、自国になると分からない。
 ・・・・・・・
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。 旅行中も「書きだめ」をしたのを知人に頼んでアップをしていたので、
ほぼ休まず書いてきた。自分でも11年近く四千も連続して書いたと驚いている。 次は五千が目標になるが、四千回を契機に、
時どき休むことにする。 また五千回に到達した時点で半年位は休むつもりである。 
 この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した内容を書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。
「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、
自分のために整理し知識として残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけにしている。 
気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、それが、そのまま伝わっていたはず。 それも四千ともなると、
自分の脳内そのものでもある。 自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。今では、その日書いた分を含めると
11年分の同日の自分に出会っている。 書いたことも、その内容も、ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で奇妙な感覚になる。 
だから倒産とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、心が洗われる。 文章を起承転結でまとめるのはプロならいざしらず、
気力が無いと無理。 但し、一度、その習慣をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、当日分の書いた分だけ、
過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、
自分の手で削除することになるので、内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、アップすると、あとに戻せない。
何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が何人かいる。 注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなってしまう。
時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、毎日、書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、
価値が出来てくる。 また分類ボックスの一番下に、過去に書いた文章の検索が出来るようになっている。 時々、検索をすると、
キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、と入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
  以下の、千、二千、三千も、それぞれ検索で調べたもの。 
・・・・・・・・
2003/12/30
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると
約35〜40が合わない。調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かが間違いている。しかし小説風の「宗親日記」が
大体その位の数を書いているので、合わせて一千回の到着日とすることにした。 あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)。
だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、
随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく変った。一日一日が充実してきた。 20〜30人位?の人に毎日読まれていると思うと、
見守られているような感覚になる。 作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。 死ぬ前に全てを消し去るのもよいし、
また書き残すもよいのだろう。いずれにしても50年以上は残らないのだろう。 いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。 ところで実感としていうと一番勉強になり良いのが、自分。
・テーマ探しに46時中頭が1杯    ・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し   ・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。といってこの程度の内容であるが。
 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。それでも何とか書くからよいのだ。
・・・・・・
2006/09/25
2001, 二千日の随想日記!          おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
 この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも何かの因縁である。 
(字数制限のためカット 2014年03月08日)
・・・・・・・
3634,  閑話小題   
2011年03月08日(火)
 * てっぱん
 毎朝のNHKの連続TV小説の「てっぱん」が面白い。私生児?の19歳の女性の目を通して家族問題をテーマにしたもの。
舞台は大阪と尾道。下宿先の訳ありの住人たちが個性的で人情があり、互いを支えあっているという設定。
実際の社会は、この夢のような暖かさはない。逆に虐めと見下げの中で、本人は崩れていく。
往年の美女、藤純子がお祖母さん役で、番組そのものを引き締めている。全体に流れている湯気が出ているような暖かさは、
家族崩壊が問題になっている中、大きな問いかけになっている。それにしても、19歳のヒロインの持てること。
逆に周囲の男たちの持てないことが何か不自然である。 それがTV小説であるが。
それと、ここには悪役、三枚目役が全くといってよいほど出てこない。 それも良いのかもしれない。
 * 携帯電話の買い換え
 先日、家内の携帯電話の買い替えのお付き合いをした。 私の携帯電話を半年ほど前に、iPhonからドコモに
買いかえたばかりなので、家族割引もあるので家内もドコモにした。 私も家内も型落ちのゼロ円のもの。
しかし半年前には2〜3万はしたもの。 その二つを比べると、その差に驚いてしまった。携帯は日進月歩なのである。
売り場は半分はスマートフォンで占められていたが、これまでの携帯電話ではカメラ機能が強化されたものがメイン。
数年で、大部分がスマートフォンになるのだろう。世界中の情報が、これら端末情報機器から大量に流される時代。
一時代前までの社会的格差は、そのまま情報格差に比例していた。それが、フラット化していけば、社会的格差が、
これまでと違ったカタチになってくることになる。これが北アフリカ、中東のアラブ圏で起こっている変動として現れている。
パソコンも、卓上、ノート、そしてタブレット型と進化をしてきた。携帯電話からスマートフォンへ雪崩をうって移行を
始めたが、これがどの方向に変化していくのか? スマートフォンとタブレットの境目は、どの辺になるのだろう?
35歳が子供の頃からゲーム器やパソコンに慣れ親しんで育ってきた年代の分岐点となる。その人たちが社会の中心点に
なろうとしている現在、時代は大きく変わってきた。 もう化石人間などという言葉は、誰も使わなくなった。
 誰もが使えるようになってきたからだ。しかし、情報格差は、違う意味で果てしなく広がり出した。
 ・・・・・・・・・
3269, ドル亡き後の世界
 2010年03月08日(月)
   「ドル亡き後の世界 」副島 隆彦 (著)
 10年ほど前から、著者の副島の本を何冊か読んできた。何か山師的な表現で眉唾ものだが面白い。
 外れも多いが潮流は的を得ている。 この本も買おうか迷ったが思い切って注文をした。
 (そして、土・日曜の二日間ジックリと読んだが、これからの具体的な恐慌のスケジュールが書いてある。)
  ー以下は、ポイントを荒筋にまとめてみた。 恐ろしいことだが、こんなものだろう。
・FRBの「景気回復宣言」は大本営発表で、大嘘。アメリカの景気は冬季オリンピックが終了後の2010年3月頃から崩れ始め、
 いったん持ち直すものの、2010年末にアメリカは恐慌に突入し2012年が大底となる。 まずは株、為替、債権は世界的に暴落し
「金融恐慌」が顕著になる。一ドルが80円を割り、60〜70円代に、ダウ平均は6000〜7000ドルまで低落、日経平均も5000円を割る。
・オバマ政権は経済的な失敗から任期途中で辞任する。
・日本はいまだ米国債を購入しているが、中国は米国債を徐々に売る準備をしている。
 RMBS、CMBS、CDOなどの金融派生商品のリスクが一気に顕著になる。
・アメリカは借金を返せなくなり、デノミ、計画的インフレを引き起こさざるを得ない。
・このプロセスで、中国のプレゼンスは必然的に高まる。アメリカ中心の世界は崩壊し基軸通貨としてのドルは地位を失う。
・個人資金の保護のためには「金」や成長可能な日本株を底値で買うべし。(株価が5000円を割ったとき)
・国家戦略において、アメリカの国家戦略に勝る国はない。軍事力は他国を圧倒、食料も世界一、金(ゴールド)も圧倒的に保有。
 ドル暴落で借金棒引き、穀物の暴騰などで逆に潤う。アメリカの借金や財政から考えて、ドル暴落や大恐慌が起こって
 一番得をするのはアメリカである。 結局は世界がアメリカは借金の棒引きをしてしまう。これが国家戦略というもの。
・1ドル=10円時代の到来も有りうる。 日経平均は4,500円を割るのは二年以内?。
・ドルの暴落後は、ハイパーインフレーション、そしてデノミが起こる。日本は米国債や外貨を溜め込んでいるので、
 日本国民の資産が吹っ飛ぶ可能性が大。 既に800兆円もアメリカに貢いでいる。
・アメリカは現在、増刷した紙切れドルで米国債を買うという禁じ手を使っている。アメリカ自身がもう自国通貨を信用していない。
 各国の大使館に現金を送って現地通貨に替えている。2012年の底を経て、3年かけて世界の覇権はアメリカから中国に移る。
 したがって2015年には中国が新しい世界覇権国になると予言。 上海万博が開かれる5月1日から10月31日までは、
 世界経済や相場に何度か暴落はあっても決定的なものにはならない。上海万博が無事終わったその後にアメリカ発の大恐慌が起こり、
 世界経済は地獄を見る。その過程では、日本でも日経平均が一時、5000円を割り、1ドルが70円を割ると言う。
  ▼ 以上だが、100年、いや500年に一度の変わり目、これより劇的なことが起きても不思議ではない。
 ・・・・・・・・・
2894,厭世的時勢に、楽天であること
2009年03月08日(日)
 「厭世」とは、まず自己を厭うがゆえに世界を厭う心の習性をいう。「楽天」とは、幼児の頃から両親を初め周囲から愛され、
それ故に自分を愛する心の習性をいう。人生を振り返ると、悲しいこと、苦しいこと、不安、恐怖心など、多くの精神的苦痛が
あったが、なぜノイローゼや自殺に追い込まれなかったかというと、それ以上に楽しいこと、面白いこと、明るい展望があったからだ。
 いや、それを見守ってくれる家族・友人があったからである。そのもとは幼児体験、そう両親の絶対的な愛情が基本。
楽天性は、まずは親子関係の中でジックリと育てられる。基本的に親は子どもに絶対的な愛情を降り注がなければならない。
しかし家庭内にも色いろの事情がある。幼児期に親父が事業に失敗してしまったり、両親の不仲もある。 
最近では離婚確率が家庭内離婚を含めると過半数。その中で自分を楽天的性格にするためには、教養を自ら積むしかない。 
最近になって「楽天は意思」とつくづく思う。人間は誰でも心の底は楽天でないと生きていけない。「自分だけは大丈夫!」
と思っているからこそ、エネルギーが、生命力が、発露してくるのである。いずれにしても、誰もが直ぐに死んでしまうのだから、
生きている間は、面白可笑しく生きること。ただし、将来の見通しだけはシッカリと立てた上だが。だから楽天には長期的な生存確保が
前提になる。毎日、安心して日々を過ごせる生活力があり、時代の変化に堪えられる力を持ち、それ故に互いの信頼を維持できることが
基本になくてはならない。その前提がないと心が不安定になり、厭世家になるのである。楽天家過ぎてホームレスになった人はいても、
楽天的なホームレスは、ごく一部を除けばいない。このブログをみていると悲観論者と思われるかも知れないが振り返ると楽観主義者?。
(字数制限のためカット2,012年3月8日)
・・・・・・・・・・・
2530, 千年働いてきました ー2
2008年03月08日(土)             ー読書日記


4740,<つまずき>の事典 〜   ー8

2014年03月07日(金)

      * 「他人歓迎」           <つまずき>の事典> 中村邦生編著
 既に亡くなったが、長年、連続テレビ映画の『ララミー牧場』の解説をし、「さよなら、さよなら、またお会い
しましょう」で終わる名調子の淀川長治の言葉を紹介している。
*『 映画は、ただ娯楽というだけじゃなくて、いつでも人間勉強させてくれるので、私は映画に命をかけました。
 ちょっと大げさですけど、映画への愛が今日の私を作りました。(中略)そして私は、映画から3つの言葉を学びました。
 「がんばれ、苦労、来い」。二番目は「他人歓迎」。“他人”という言葉を持ちなさんな、みんな仲間と思いなさい、
 映画は、そう言っていました。もう一つは「私はいままで、嫌いな人に一人も会ったことがない」。映画を見ていて、
 こういう言葉が出てきた時に、私はメモしました。家に帰ってから、それを身につけようとして、身につけようとして、
 今日まで来て、どうやらどんな人とも仲良しになれる気持ちになりました。愛というものは、本当に、豊かな人生を
 もたらしてくれます。』                         :淀川長治「美学入門」より
  〜ネット調べると、以下も、なかなか良い〜
*『愛というものがあるからこそ、人間は美しく生きられる。愛のない人間は汚い。お金だけで行きている人間は汚い。
 アメリカの言葉にもあります。「金で買えるすべてのもの、それは悪魔でも買える。しかし・・金で買えないものを
 持っているのが、人間。」それは、愛ですね。愛は金では買えませんね。そういうことも映画から教えられました。』
                                     :「大人の学校ー入学編」
*『キザな言い方だが、講演するときもこのあと私はきっと死ぬのだと自分に言い聞かせることにしている。
 するとその講演に命をかける。二時間がまるで20分ぐらいの勢いでしゃべってしまう。講演の後は汗でびっしょり。
 けれども不思議なことにこの方が疲れない。思いっきりやったという私だけの満足感が疲れを忘れさせる。』
 『人は必ず死ぬ。一日を十分生きなければ損だ』              :格言[いつも人生最後だと思う]
*『チャップリンは幼少時代ひどい苦労をなめた。貧しさのあまり頭が変になった母とチャップリンは二人暮らしになった。
 父を5歳で失った時に母は発狂した。腹違いの9歳の兄はこの家から逃れて船のボーイになった。5歳のチャップリンは
 食べるものがなくなってマーケット裏に捨てられた残飯を拾ったこともあった。その苦労がのちのチャップリン喜劇の中で
 いかに生きて描かれているかがわかるのである。それにこの母が実は偉かったのである。気が鎮まって正気を戻すと、
 小さな我が子を枕辺に呼び「イエス様はお前が運命をまっとうすることをお望みなのだよ」と何度も諭した。
 つまり自殺をするなということである。それは小さな我が子に言うよりも苦しい自分に言って聞かせたのであろう。
 そのチャップリンの苦労がのちに幸せの花を咲かせたのである。思えば神様は人間を豊かに幸せにするためにいつも
 苦労させるのだ。                           :格言[苦難のあとに幸せの花が咲く]
▼ チャップリンのコメディの基本となる「悲惨な生活の喜劇化」。彼の芸は道化師の芸からの頂きで、「サーカスの
 ネタばらし=自分自身のネタばらし」である。少年の頃から、お金を稼ぐため、大道やステージに立って注目を
 集めるために道化師の芸を盗んだ。子供の頃の生活のための知恵は、万人の心をうつ。『一日を十分生きていれば、
 どんな場面でも乗越えることが可能である』が、それが一番難しい。 『一日を充実させる』さえ心掛ければ、十分!
・・・・・
4373, アフォノミックス
2013年03月07日(木)
   * アベノミクスは、アフォノミックスか
 アベノミクスを揶揄して「アフォノミックス」とは、よくいったものだ。経済評論家の浜規子が先日、アベノミクスの
内容を問われ、「アフォノミックスそのもの。死に掛けている病人にホルモン剤を投与するようなもの。気持ちが悪い。
今さら経済成長などおかしい!」と切り捨てていた。 日銀総裁の黒田氏の国会答弁の内容についてどうですかに対して、
「日銀総裁になりたいポチが尻尾を振っているだけ」と、これまた辛らつだが、当を得たりと納得をした。
この事態を招いた戦犯の主犯格の安部と麻生が、首相、副首相とは漫画の世界。殆どの人が、それを知っているから恐ろしい。
7月末の参院選までのミニバブルか、あと二年が限界とみてよい。それでも見渡す限り阿部しか見当たらないのが現実である。
一度、チャラにになるなら、早めに息の根を止めるのも仕方がないのか。この付けは、5年、10年後に覆いかぶさってくる。
 ところで韓国経済が特に変のようだ。 円安も効いて、あの元気にみえていた経済も崩壊過程。 輸出依存度を見ると、
日本 14% 、中国26%、アメリカ10%に対し、韓国は50%。 日本は貿易立国と言 われるが、実際には内需大国。
それにしても韓国の輸出比率が異常に高い。欧州危機と中国の経済停滞の影響を直撃し、急激に悪化している。
世界的動乱になると、国力がある方が有利。資源があり、海軍と空軍が断然強いアメリカが当分は世界をリードする。
体力を疲弊してしまった日本は、当分、アメリカの属国として生きていくしかなく、TPPの参加など当然のこと。
明治維新も、太平洋戦争の敗戦も、今回も、アメリカに屈した開国になる。アメリカにとって、どれも世界戦略の
一つでしかない。韓国、台湾、日本が、アメリカの軍事、経済の中国に対する前線基地。中国も北朝鮮を庭先の番犬で
飼っている。ここにロシアが絡んでくると、1930年代から太平洋戦争の様相に酷似してくる。そうすると、保守本流の
安部と麻生の出番というのも分からないこともない。「天気晴朗なれど、波高し」である。
 ・・・・・・
3999, 宇宙は本当にひとつなのか ー4
2012年03月07日(水)
  * 暗黒エネルギー
  ー 次に宇宙の全エネルギーの73%を占める暗黒エネルギーについてー
【 暗黒エネルギーは暗黒物質と並んで、宇宙を作るものの中で正体がわかっていないものです。正体不明のエネルギーなので、
 暗黒エネルギーといっている。暗黒物質のほうは10年以内にその正体が明らかになるのではないかと期待が持てるように
 なってきたが、宇宙の全エネルギーの73%を占めると考えられている暗黒エネルギーは、まだ糸口がつかめていない。
 今のところ、私たちは暗黒エネルギーを見ることも感じることも出来ない。しかし、宇宙のエネルギーの約四分の三を
 占めているものが、どこか一部の場所に偏って存在するとは考えられないので、私たちの周りに既に存在することになる。
 暗黒物質も、暗黒エネルギーも、それが分かっていないのに、物質とエネルギーとに分けているのはなぜか。
 一番の違いは、宇宙が大きくなると暗黒物質は普通の物質と同じように薄まるのに対し、暗黒エネルギーは薄まらない。
 暗黒エネルギーを発見するきっかけは非常に遠くの宇宙で起きた超新星爆発。 超新星の観測から宇宙は常に膨張し、
 その膨張速度は速くなっていることが分かった。宇宙には、目に見える星や銀河などより、目でみることの出来ない
 暗黒物質のほうが多く存在する。ところが、宇宙が広がっていけば、その分薄まっていきます。そうなると、宇宙のなかの
 エネルギー密度が低くなり、宇宙の膨張速度は遅くなると、物理学者は考えていた。ところが、観測結果はそうでなかった。
 宇宙が大きくなるにつれて、どこからからエネルギーが湧き出てくる。何故そうなるのか。それは宇宙が大きくなっても
 薄まらない何かがある。それを暗黒エネルギーと名づけた。】
【 宇宙の体積が大きくなっても、膨張速度は速くなっている。宇宙が広がるたびに増え続けるエネルギーが必要で、そのため
 考えられたのが暗黒エネルギーだ。有力な仮説は真空も粒子は反粒子が出来ては消えてを繰り返してエネルギーを持っている説。
 この説により真空エネルギーを計算すると120桁も大きな値になり宇宙は引き裂かれてしまうことになる。
 そこで素粒子を点でなく、小さなひもだという超ひも理論が登場し、宇宙は1次元の時間、目にできる3次元、小さな異次元が
 6次元(カラビ・ヤウ多様体)の10次元ということになる。超ひも理論は重力を含む力の統一が出来る可能性がある。
 超ひも理論は特異点を持つブラックホールが熱を持つという問題に解を与えた。アインシュタインの重力理論はまちがっていて、
宇宙は加速膨張しないとする人たちがいる。彼らは超ひも理論の一つにより泡宇宙となるとの提案をしている】
▼ 「宇宙の体積が大きくなっても、膨張速度は速くなっている。宇宙が広がるたびに増え続けるエネルギーが必要で、そのため
考えられたのが暗黒エネルギー。 有力な仮説は、真空も粒子は反粒子が出来ては消えてを繰り返してエネルギーを持っている」
 という説が分かりやすい。真空の中にエネルギーがあるというと、仏教の「空即是色」が思い浮かぶ。 この本をキッカケにし、
 「宇宙オタク」のブログを幾つか見たが面白い。 広大な宇宙に興味を持つと、シャバの世事に囚われている自分が見えてくる。。
 ・・・・・・・
3633, 「中東革命」の行方 −2
2011年03月07日(月)
 * 新たな独裁の可能性にマスコミは甘すぎる?
 ー 次の視点も、なかなか考えさせられる ー
≪1月から2月に掛けてチュニジア、エジプトで次々と起こった民主革命について、筆者に思い浮かぶのがこのトックヴィルの洞察だ。
この革命に対するマスコミの反応は一言でいえば慎重な楽観主義である。 通常、国際ニュースについて、国内と海外の新聞の間に
切り込みの鋭さの違いがあり、立場にも若干異なる点が見られるのだが、今回の場合、内外格差も国内格差もほとんどない。
おそらくアメリカ国務省でさえ事態を掌握できないほど急速に出来事が展開したためなのだろう(なぜ、出来事の展開がかくも
急速だったのかという点について、各紙はアラブ世界へのインターネットの普及を原因として指摘する)。
 チュニジア、エジプトの国民が腐敗した独裁体制と平和裡に決別し、民主化を実現したという「美談」にも関わらず、
内外のマスコミが手放しでこの出来事を賞賛できない理由は、言うまでもなく「イラン革命」の経験である。
民主化は結構だが、それが結局、強硬なイスラム思想に立った新たな独裁体制につながったら困ると認識されているわけである。
トックヴィルの洞察が重要なのはまさにこの点だ。結局、新たな独裁制に行き着くのか、イスラム原理主義が中東に浸透する
結果になるのか、それを占う大きな要因は、今後、民主主義への体制移行期においてどれだけアナーキーが深刻になるかである。
今回のチュニジア、エジプトでの民主革命は、この点に若干希望が持てる。なぜなら、流血を伴うことなく実現されたからである。
暴力によって生まれた新体制は、その維持のためにも暴力を必要とする。同時にその暴力に反発する国民の暴力を誘発する。
今回はそれを避けられるかもしれない。もっともエジプトの場合、軍による移行体制という現状からして、民主革命はまだ序の口。
もし今後、軍が強圧的な態度に出て、国民の反発が強まった場合、次の衝突では流血が起こる。アメリカを中心とする西側諸国は、
軍を監視して移行期をスムーズに進展させる責任を持つ。≫
▼ イスラム教が、何で民主化というのか? 彼らの民主主義は独裁打倒ということで、欧米の民主主義とは違う。
 要は、他の文明圏との経済格差がTVなどで露出されたこともある。特に恵まれてない若者層に不満が浸透している。
 独裁者たちの国家の私物化も露骨。同じことは欧米でもあるが、それぞれの階層の中で飼いならされ満足しているのだから今さら
・・・・・・・
3268, 哲学者は神について、どのように語ったか ー4
 2010年03月07日(日)
  * キルケゴールの「宗教的実存」
 キルケゴールは、「個人の生は3つの段階を経て深化する」と主張した。
1、美的実存:  美しいものを求めて、そのときそのときの享楽を求める生き方である。 ドンファン的生き方。
2、倫理的実存: よいことをし、社会的の規律を守り、習慣などに従い、全てに道徳的な生き方。
3、宗教的実存: 神である絶対者との関係の中で生きることにより、真の人生を手に入れることができる生き方。
 この宗教的な生き方も、二つに分けた。「宗教性A]と「宗教性B]である。「宗教性A」は、自力救済を試み、
 自分の主体や理性によって自分を支配しようとする。しかし、それはキエルケゴールによると罪になる。 
 支配するのは神である。(字数の関係でカット 12年03月7日)
 ・・・・・・
2893, 年寄りの持病自慢は、老人の猥談だと!
2009年03月07日(土)
50歳半ば頃から同級会では、年金か成人病の自慢のしあいか、誰かの死の話が中心になる。
青春時代に自分の体つきや身なりを気にしたり、性体験を陰で話したり、猥談を話したくなる時期があるが、
それと同じく、自分の「体調」や「病気体験」について語りはじめる老人の「健康談議」を「老人の猥談」というらしい。 
五十歳代半ばの下半身の衰えは男の共通の話題。 その次は癌体験か糖尿病か心臓病などの成人病の披露のしあい。
(字数の関係でカット 12年03月7日)
・・・・・・・・・
2529, 山田風太郎 のアフォリズム
 2008年03月07日(金)
彼の本が好きで、何冊か図書館で借りて読んできた。暗い中に何ともいえない温みがあり、2年に一度は彼の本を読んでいる。
また亡くなる前に朝日新聞に『あと千回の晩飯』が連載したことがあった。なかなか文に鬼気迫る内容だったことを憶えている。
先日も『人間魔界図鑑』を借りて読んだが、著作群の中からの警句やアフォリズムなどを一冊にまとめたもので読みやすい。
手元に置いておきたい本と判断し、アマゾンの中古本を注文することにした。
以下の文章は 「人生(時間)のセイムスケール」というHPの中の山田風太郎のアフォリズムなどを抜粋コピーしたもの。
★「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」
★「我が命は地球より重い。他人の命は犬より軽い」
★「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている」
★「みんないう。いつか死ぬことはわかっている。しかし、「今」死にたくないのだ」
★「---いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった、
 はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」
★「死が生にいう。〈おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない〉」
★「死の瞬間に何人も悟るだろう。--人生の目的なるものが、いかにばかばかしいことであったかを」
★「生きながらそれは、多少ともすでに神曲地獄篇の相を帯びている」
★「いかなる人間も臨終前に臨終の心象を知ることができない。
 いかなる人間も臨終後に臨終の心象を語ることができない。何という絶対的聖域」
★「生は有限の道づれ旅 死は無限のひとり旅」
(字数の関係でカット 09年03月7日)
 ・・・・・・・・・
2007年03月07日(水) 2164, 宮城まり子         (~Q~;)  おはよう〜〜 サム!
3月の日経新聞の「私の履歴書」は、「ねむの木学園」園長の宮城まり子である。まだ6回目だが、なかなか面白い。
 宮城まり子といえば私の小学校の頃から映画などに出ていたが、甘っ2007たるい声が印象的であった。
その後、芸能界をやめて「ねむの木学園」を開いた。もう二十年前のことになるが、TVでその「ねむの木学園」を放映した。
その時の子供の絵を見たときの衝撃は今でもハッキリと憶えている。ピカソのような絵だが、絵から純粋な子供の心が直に
伝わってきたからである。役者をやめた後からも、人生の舞台の「役割り」を正直に生きている人である。
「人生を思いのまま生きている人がいる!」というのが当時の感想であった。
「私の履歴書」の一日目に書いてあった、学園を開設するにあたっての、愛人?の作家・吉行淳之介との3つの約束がよい。
1.愚痴はこぼさないこと。2.お金がないと言わないこと。3.君を信じてくる子のため、やめてはいけません。
その時、宮城まり子は「ハイ」と答えたという。 三回目の、彼女の母の教えの「感じたまま」の言葉が印象的である。
 ーそこを抜粋してみるー
私は母と並んで絵を描くのが好きでした。小学校に入って間もない頃でした。並んで描きながら私は母に聞きました。
「お母さまはどうしてそんなに絵がうまいの?」すると母は「まりちゃん、人の絵をうまいなどと思っていけません。
人は人、自分は自分。自分の絵をお描きなさい。」と少し厳しい口調で言いました。
「お母さんは大人になってしまったから、あなたのような素直な絵は描けなくなってしまったの。
あなたにはあなたの絵があります。好きなように描きなさい」大きくなったら絵描きさんになりたい。
私の初めての夢でした。しかし母の言いつけを守ると学校で叱られました。
絵の時間にラジオ体操をする人を描いたときのことでした。その人がとても気持ちよさそうに見えたので、
感じたままに描いたら 腕が背よりも長くなりました。  先生は「真面目に描きなさい」といいました。
「ねむの木学園」では私は絵も担当していますが、一度も「上手ね」と言ったことは ありません。
  「うれしいわ」と言っています。だって「上手ね」と言ったら子供はそれで安心をして満足してしまいます。
▼ 書き写しているうちに20年前のTVの内容を再び思い出してきた。「ねむの木学園」の知恵足らすの子供が
  ピアノ演奏をしたが、鍵盤に魂を込めたピアノの音に気持が引き込まれた。
  感動のあまり、その番組のビデオを何人かに見せた記憶がある。今月は、毎朝彼女の魂と出会うことができる!
 ・・・・・・・・・
2006年03月07日(火)
1799, 風太郎の死ぬ話   (○´・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ   −読書日記
山田風太郎の「死」に関する本を読むと、色いろの人の死に様が面白可笑しく書いてある。そして読み終わって
「死」が軽く思えてくるから不思議である。また「死」を考えることは「生」を考えることになるのに気がつく。
(字数の関係でカット 11年03月7日)


4739,<つまずき>の事典 〜   ー7

2014年03月06日(木)

         * 私は人一倍こわわがり屋!(植村直己)    <つまずき>の事典> 中村邦生編著
  誰でもこわがり屋で、神経質である。もし、そうでないなら無知か、無神経である。それを登山家の植村が逆に
 準備を周到にすることで乗り越えてきた。私も、人一倍こわがりで、神経質の性格を乗越えてきた。初めてのケニアも、
 生きて帰れるかどうか、到着するまでは恐ろしさで震えていた。でも、サファリ地区に入ってしまえば、何とことはない、
 世界で名だたるレジャーランド。要は、決心できるかどうか。人生と同じである。 ーその辺りを抜粋ー
《 ☆ 人から「そんなに次次に危険を冒してこわくないのか」と、よく聞かれるがとんでもない、私は人一倍こわがり屋。
 危険に直面したとき、自分だけはなんとしても生きたい、と思うのである。 普段の生活では表に出ない利己的なものが、
危険に遭遇したとき、あらわれるのである。ー植村直己『冒険』〜
 植村直己(1941~84)は登山家・冒険家。兵庫県生まれ。モンブラン、キリマンジャロ、南米のアコンカグア、エペレスト、
北米のマッキンリーと世界初の五大陸最高峰登頂者となった。チョモランマを除いては単独登頂。他にも、アマゾン川を
筏で下ったり、北極圏一万二千キロを犬ゾリ単独走破などを成し遂げた。この希有の冒険家も明大山岳部に入りたての頃は、
新人の中でも最もパテが早く、使いものにならなかったという。
 この『冒険』は一九八○年刊行の自伝的冒険記。引用は単独行への新たな挑戦を語る章の一節。
この「利己的なもの」という言葉に続けて、「北極圏の犬ゾリ旅行のとき、ひとたび食糧が欠乏して生命に危険を感じると、
それまで家族のように接してきた犬も食糧に見えた」と告白している。植村直己は「未知の世界に立ち向かうとき、
私はあらゆる準備に時間をかける。そして、成功への可能性が見つかったとき、初めて行動に移る」と自他ともに認める
慎重居士であった。しかし一九八四年、マッキンリーの冬期単独初登頂に成功した帰路、消息を絶った。
43歳の誕生日を迎えた後であった。この登頂は南極大陸横断という挑戦に備えてのことだった。》
 ▼ 長期の設備投資の事業をしてきたが、20〜30年以上の投資のため、多くの時代の波に曝されることになる。
  判断と、決断は、それを前提にするが、そんな先が読める訳がない。そこに底知れぬ恐怖感がまとわり付く。そのため、
 万一の備えをつくっておくしかない。今回の一連で、大部分の人が計画倒産と思ったようだが、そんな小利口なことなど、
 私に出来ようがない。出来るのは、再投資の度に、リスク管理を積み重ねてきた。そこには利己的な自分が顔を出す。
 気が小さく、愚鈍で、利己的な自分と常に出会うことになる。だから綺麗ごとが綺麗ごとと自覚できない人の心中が
 透けて見えてくる。ドラマと、現実は違う。その内面は、ドラマでは表現できない。それは、自分で経験するしかない。
・・・・・・
4372, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー5
2013年03月06日(水)               
   * セックス原理主義から遺伝子中心主義へ    「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲著
 フロイトがユングにとってかわって久しい。そのユングも科学の進展のためか、これまた時代遅れになっている。
フロイトの説くエディコンプレックスの人間の本性は、あまりに極端である。身近にいると、性欲対象から逆に外れてしまう。 
幼児期からの女友達と結婚するケースが殆ど無いことをみても分かること。
 ーまずは、その辺りを抜粋してみるー
≪ 幸いなことに現在では、エディプスコンプレックスがまったくのでたらめだということが証明されている。フロイトは、
男の子の母親への欲望は生得的なもので、それを文化的に抑圧し近親相姦をタブーとすることで社会が成立していると考えた。
でもそうすると、ヒトとほとんど同じ遺伝子を持ちながら文化的なタブーのないチンパンジーやオラウータンなどの類人猿は、
近親相姦で子どもを産んでいることになる。ところが詳細な野外調査によって、彼らがじつに巧妙な方法で近親相姦避けている
ことが明らかになった。たとえば人間にいちばん近い類人類ボノボは、思春期になるとメスが冒険的になり、故郷を離れてほかの
群れに加わる。それに対して内気な雄は、母親とともに群れに残る。この無意識のプログラムによって、ボノボの兄弟姉妹が
性交することはない。遺伝子的にみて、近親相姦はきわめて不利な繁殖方法だ。・・・
 ・・・いま精神分析に代わる新たな‘こころの原理’が登場してきた。ダーウィンの進化論を、遺伝学や生物学、動物行動学、
脳科学などの成果を踏まえて検証し発展させようとするもので、進化心理学(進化生物学、社会生物学)と呼ばれている。
ダウィンの理論は、生物は自然淘汰によって、より効率的に子孫を残こそうに進化してきたというものだ。長い進化の過程を
生き延びてこなければいまここには存在しないのだから、これは考えてみれば当たり前で、コロンブスの卵みたいな話だ。
この単純な理論で、キリンの首が長くなったり、クジャクの尾羽が絢欄豪華になったり、生物学的にはチンパンジーと大して
変わらないヒトがとてつもない知能を持つようになった理由がきちんと説明できる。進化論はナチスの宣伝に利用されたり、
聖書の教えを否定する冒瀆と批判されたり、なにかと評判が悪いけれど、現代の進化論(新ダーウィニズム)はさまざまな知の
領域を横断してとても洗練されたものになってきている。 ・・・ ≫
 ▼「遺伝子は、自らが生き残るために生物の身体を使う」という。 当分は新進化論が主流だろう。結婚相手は、北海道とか、
  九州など遠くの地域の人の方が、遺伝子的にも良いと聞いたことがある。地方から一度、都会に出たほうが、色いろな
  人と接する機会が多くなる。それは海外にも言える。その遺伝子の性格は非常にエゴが強いときている。遺伝子も、
  乗り移った身体が弱ければ、そこで終わってしまう。 ところで、孔雀の絵柄、誰がデザインしたのでしょうね。
 ・・・・・・・
3998, 宇宙は本当にひとつなのか ー3
2012年03月06日(火)
               「宇宙は本当にひとつなのか」 ー村山斉著
「暗黒物質ーダークマター」「暗黒エネルギー」「多次元宇宙」「多元宇宙」が、この本のキーワード。
 まず、「暗黒物質ーダークマター」から取り上げてみる。
   * 「暗黒物質ーダークマター」とは?
 目で見えなくて正体不明だが重力を持つように観測されるものを暗黒物質と呼ぶ。銀河は遠くに行っても星やガスの速度は遅くなっていない。
このためには、見えない物質(暗黒物質)が銀河の端に行くほど増加していなければならないことになる。また、遠くの銀河団の光が巨大な
重力によって曲げられている。これから暗黒物質が存在していることがわかる。そもそも、この暗黒物質がなければ、地球も、太陽も、
星も、銀河も生まれなかった計算になる。この暗黒物質は何物とも干渉しないので、今この瞬間にも私達の周辺、身体をすり抜けている。
暗黒物質の有力候補がアクシオンと、超対称性粒子のニュートラリーノであると理論的に予言、期待されている。
 ニュートリノ観測結果から、銀河系の中にある星はすべて原子できていると結論。 銀河系全体では、その中心からの回転速度の観測から、
見えないが重力を持つもの(暗黒物質と命名)が存在し、宇宙進化のシミュレーションから暗黒物質が存在しないと現在の宇宙は存在しなかった
ことになる。 最新の宇宙研究の現場では、この「暗黒物質」をつかまえる一歩手前まで来ている。 
 現在、仮説としては、「暗黒物質は異次元から来る使者であるという可能性」が、まじめに議論されている。
  ー以下は、暗黒物質についての箇所であるー
【 私たちは学校で、万物は原子でできていると習いました。ですが、その原子は宇宙全体の5%にもならないのです。
 ここで疑問になるのが、残りの95%は何なのか。実は約23%は暗黒物質で、約73%を占めるのが暗黒エネルギーなのです。
 全部足すと誤差の範囲でちゃんと100%になります。暗黒物質も暗黒エネルギーも、名前はついていますがその正体はわかりません。】
【 この考え方が最初に提起されたのは1933年のことです。銀河団の中の銀河の運動を観測したフリッツ・ツビッキーが、最初にそういった。
 最近の観測では銀河団のほとんどが暗黒物質でできている。どうしてそれが分かるのか?重力レンズ効果を利用し暗黒物質の分布が分かります。
 重力レンズ効果とは、アインシュタインが予言したもので、光は重力に引っ張られて曲がる。 そのため、遠くにある銀河や星の光は変形して
 地球に届く。この重力レンズ効果が、今は正確に測定することができるようになったのです。暗黒物質の分布地図作りではっきりしたことは、
 暗黒物質は原子ではない、つまり宇宙にある物質の8割以上は、原子ではないということ。】
【 暗黒物質は、ニュートリノ以上に、他の物質と反応せずに、地球などもすぐに通り抜けてしまう物質です。
 電子やニュウトリノと同じような小さな粒々の粒子だと思われる反応はしない重い素粒子と想像される。】
▼ ビッグバンから、この宇宙が始まったというが、その元になる素粒子が、どうして生まれたかは謎のまま。暗黒物質が、他の宇宙から
 来たというなら、ビッグバンの原因が、暗黒物質が来た原因を探し求めていく中で分かってくるのでは?と思われる。
 ・・・・・・・
3632, 「中東革命」の行方 −1
2011年03月06日(日)
  * 「中東革命」をなぜ手放しで喜べないか
竹森 俊平(慶大学教授)の中東革命をなぜ手放しで喜べないかの、毎日新聞の論説が面白い。
 「アメリカのデモクラシー」を著した19世紀のフランスの社会思想家、トックヴィルは民主主義の支持者だったが、
 同時に民主化された国の先行きに不安を抱く「慎重な楽観主義者」であった。 そのトックヴィルの洞察とは、
≪ 貴族が政治を支配する君主制の下では、社会はいくつもの階層に分断されるが、個々の階層内での団結は強い。
そのため国は「利益集団」の連合体という形態を取り、その集団の抵抗があるため、国全体を君主の意思で自在に動かすことは困難で、
君主制が「独裁政治」に転化することは稀である。これに対して、国民の間の身分の差を認めない民主主義の下では階層に基づく
利益集団が消滅し、誰もが一個人にしか過ぎない。しかるに、巨大な社会の中での個人の力は僅かだから、国民は「個人」として
行動する場合には微弱である。 そのため国家、社会の動きに国民は脅える。とくに一番国民を脅えさせるのは「アナーキー」である。
しかも軍事的革命によって民主主義が確立した場合に国民のアナーキーへの恐怖は大きくなる。 力によって維持されていた体制が、
その力とともに崩壊したあとの混乱を誰もが経験しているからだ。 結局、この無政府への恐怖が、国民を「絶対権力願望」へと
駆り立て、独裁制を生む。 こうした経緯で誕生した独裁制は、君主制の下で発生した独裁制よりも強権的である。
なぜなら君主制の下では、国民は「意に反して」誕生した絶対権力に対し抵抗し続けることができるが、「意に従って」誕生した
民主主義の下での独裁制には抵抗し難いからである。 しかしマスコミは「慎重な楽観主義」として民主主義をみている。≫ −つづく
▼ 独裁国家の崩壊は、王政国家の崩壊より性質が悪くなる。今回のエジプト、チュニジア、リビアのような
時代遅れの独裁国家の存在を許し、崩壊後も同じような独裁者を生むことになる。ソ連のスターリンも然りである。
王政が軍事独裁者が取って替わっただけでしかない? 北朝鮮も、中国の共産党の体制も、同じ似ている。軍隊は共産党所属である。
だから騒動が起きても、軍部は民衆より共産党につくしかない。共産党もそのの子弟が代々上層を占めている。競争社会は格差を
生み出し、その蓄積が社会構造を作ってきた。その構造が突然、崩れても新たな理想的なシステムは、簡単につくれるはずがない。
 ・・・・・・・
3267, 哲学者は神について、どのように語ったか −3
 2010年03月06日(土)
 中世が終わると、キリスト教の影響から脱した反動から16世紀以降特に、素朴な信仰は色あせてくる。
その中で、バスカルは神への信仰を語っている。人間は卑小なものだが、その卑小さを知るがゆえに偉大であると。
彼は、「人間は考える葦である」という有名な言葉がある。「人間は一くきの葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものである。
だが、それは考える葦である」すべての人間は幸福を目指して行動をするが、最終的には「人間は死刑囚だ」と嘆き、
その不幸から逃れるためには来世の幸福を望むしかないと考える。遺稿に遺作の「パンセ」がある。
《パスカルの賭け》という断章がある。
「神は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける? ― いや、どちらかを選べということがまちがっている。
正しいのは賭けないことだ。 ― そう。 だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから。」
すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。賭けないということ自体が、結果的に一つの選択となるからだ。 
賭け金は自分の人生である。神が存在するという方に賭けたとしよう。勝てば君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになる。
しかも、君の人生は意味あるものとなるだろう。賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。反対に、神は存在しないという方に
賭けたとしよう。その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは現世の幸福だけである。死後は虚無とみなすわけだから、
そこで得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。来世の幸福をすべて失うことになるから。
 ▼ なるほど、理にかなっていると学生時代に「パンセ」を読んで納得したことがある。パスカルは、理性を根拠に神の存在を
証明したデカルトに反対する。有限な人間の理性では、無限な神を理解できない。神を理解できるのは「心」と、考えた。
彼が考えた神は「ヤコブの神」という。旧約聖書の登場人物たちの語りかけ、導いた神こそ本当の神とであり、デカルトの神は
「哲学者の神」にすぎないという。若いときの私にとって、非常に新鮮な感覚で、大きな影響を受けた一人である。
・・・・・・・・・
2892, オーラをみたことがあるか?
2009年03月06日(金)
 オーラを見たことがあるか?というと、殆どの人は見たことがないのでは? 一般的にオーラがかかっているというと、
「貴乃花を見たときに、オーラが見えた」という人は、弟子に前後5〜6人に囲まれて熱狂的なファンの間を歩いている姿の
全体のエネルギーの威圧感を言っている。「光の手」という本に、「人間の体にはエネルギーフィールドがあり、
7つのチャクラがある云々」とあった。それを一般的にオーラというのだろうが、実は私は一度だけオーラを見たことがある。
15年ほど前、母が痴呆症になった時に三年ほど毎朝、車で20分の長岡ニュータウンの丘陵公園に母親を連れて、
車椅子で誰も居ない広場の散歩道を歩いている時のこと。大きな広場を坂道をやっと上がりきった瞬間に前方から
朝の陽光が雲間から私たち二人を照らした。その時に車椅子の後ろから見た白髪の母に虹のようなものが
包みこんでいるのが見えたのである。 逆光が私の位置から母の白髪を通して見たため光の加減もあったのだろう。
早朝の誰も居ない坂道の幻想的背景もあってか、今も心に焼き付いている。その半年後に二番目の姉夫妻が千葉から母を訪ねてきた。
その時のオーラの話をしたところ、そこに行きたいという。そこで母と姉夫婦と私の4人で車でドライブがてら行ってみたところ、
そこで義兄が面白いことを言った。「私が学生時代に登山で似た体験をしたことがある。早朝の山頂で日の出をみていた時のこと。
自分の影が朝日に映し出された時に、その光景がオーラのように感じ取られ何とも不思議な感覚になった。
その感覚とソックリのような気がする」とのこと。自分のオーラを影の中で見たのだろう。これは経験した者でなければ分からないこと。
自分の感覚にはバクテリアの発生から進化を20億年以上かけてしてきた蓄積がある。それを何かの折に、底知れない何かを感じるのは
何ら不思議のことではない。 この年齢で人生を振り返ると、色いろの経験をしてきたのである。過去に数百、数千億人が人生を
過ごしてきたのだから、信じられないほどの蓄積が存在している。それを可能な限り知ること、これも生きるということである。
まったく、人間には自分というバカの壁が強固に張り付いている。  しゃ〜ないが・・・
・・・・・・・・・
2008年03月06日(木)
「ニッポン、ほんとに格差社会? 」池上 彰 (著)
ーHPでの内容紹介ー
 「日本は本当に格差社会?」 ー常識のウソを大検証
ーまずは内容概略からー
 日本は本当に格差社会なのか? 本当に少子化国家なのか? 
元NHK「週刊こどもニュース」の池上彰が、新聞、テレビから伝えられる「ニッポンの常識」を最新データをもとに診断。
世界の国々と比較することで、「日本はこんな国」と漠然と信じてきた「常識」が、劇的に覆ります。
項目は、「日本人は貯蓄好き?」「女性の社会進出は進んでいない?」「郵政民営化は先進国では常識?」など「30題」。
池上彰が○×形式で平易、そして明快に解説します。目から鱗になること請け合い。これがほんとの「ニッポンのかたち」!
▼ 発行されてから一年半が経つが、指摘していること自体が怪しくなっている。それだけ日本が急速に悪化している!ということが
解る内容でもある。その一つが生徒の学力である。現在はさらに著しく低下をしている。経済が縮小しているのに対処できない姿が、
この本の統計から窺い知ることが出来る。この本では格差社会の問題は、あくまで一部。色々の30の分野で外国との差異を示し
日本の特異な部分を浮かび上がらせている。 なるほどと、現在おかれている日本の危機を考えさせられてしまう。
 30の命題に、○×△の判定を下してあるが、その中で印象的なものを選んでみた。
「日本の政府は巨大である」     ○      「郵政民営化は先進国では当たり前」 △
「米軍との地位協定は不平等」    ○      「日本でも格差が広がっている」    ○
「日本社会もかなり危険になってきた」 △     「日本の生徒の学力は低下している」  ×
「国会議員の数は多すぎる」     ×
ーその他に、幾つか印象に残った部分を書き出してみた。
*財政状態を家計に例えると借金総額は5380万円。
*「日本の生徒の学力は低下している」の項では「データを正しく読み取ることができない大人の方が学力低下の心配がある」
*厚生年金などは消費税率の高いヨーロッパよりも、給付額が多い。
  次回は、「日本は本当に格差社会だろうか?」を取り上げてみる。
・・・・・・・・・・
2007年03月06日(火)
2163, 池田晶子が亡くなった!       才八∋ウ_〆(∀`●)サン        
「哲学者の池田晶子さんが亡くなった」と昨日のモーニング・ショーで、読売新聞元政治部長の解説者がコメントしていた。
二年間に彼女の本を6冊を「何度も」読んだ。「生きることは考えること、考えることは生きること」と、
自分の頭で考える必要性を説いていた。哲学を普通の言葉で説明するのが売りで、彼女の本を読みこんだ分だけ、
地頭で考える力がついていったような気がする。  
    ー字数のためカット(2013年03月06日) 


4738,<つまずき>の事典 〜   ー6

2014年03月05日(水)

       * 据え膳食わなねど高楊枝の後悔と・・      <つまずき>の事典> 中村邦生編著
 人生の黄昏時になると、若い時の愚行と共に、絶好の機会でありながら、犯さなかった愚行の悔い?が交差する。
   ーここで紹介している内容からー
《「男が最も悔やむ愚行は、絶好の機会でありながら犯さなかった愚行なのです。」ヘレン・ローランド『男への案内』
ヘレン・ローランドは、アメリカのジャーナリスト・作家・主に若い女性への愛と結婚をめぐるユーモラスで、皮肉な寸言を
得意とした。例えば、「結婚前、男はあなたの言ったことを夜中あれこれ考えて眠らずにいるが、結婚後はあなたの話がまだ
終わらないうちに眠ってしまうものなんです」といったように。 o(・`ω´-+) --☆Wink…o(;-_-;)oドキドキ♪ _+)(/_;) 
 引用の警句「絶好の機会でありながら・・」を読んで、忸怩たる思いが込み上げてこない男はいないだろう。
もちろんこの種の「愚かさ」は、特に男だけに限られたものではないが。しかしこれはやはり男のもの。 
つまり「悔やむ」という未練の引きずり方のだらしなさにおいて、男独自のものである。そもそも「絶好の機会」などと
いうものからして、常に後になってみなければ気づかないようにできている「機会」なのだ。》 (“o(>ω<)o”))オシイー!! 
 ▼ 「あの時、もし、愚行をしてしまったら、どうだったか」を考えると、やはり留まる理由があったからである。
  逆に「愚行の失敗の結果が現在の自分」と思うと、これまた複雑な心境である。「踏みとどまって良かったのか、
 踏みとどまらずに云々・・」などを考えることが、引きずっている男の哀しさである。結婚を考えると、解りやすい!
 男は強力な下半身のエネルギーによる愚行で結婚相手の判断を狂わせ、一生かかって後悔する。その結果が世の男たちの、
 姿だが。「若気のいたりの愚行が無いのが一番の愚行、若気のいたり!」と、今東光が身の下相談で言っていたが。
 「いい女、いい男」は、「いい女、いい男に見えるため、思えるだけ!」というのが解らず、家庭内離婚を含め、
 大部分が一生かかって後悔する。人生の大部分が愚行で成立している。 「絶好の機会」は「絶体的危機」でもあった。
・・・・・・
4371, 歳を取りそこねる人たち ー3
2013年03月05日(火)                  
   * 嫌なジジイの自覚         「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち」春日 武彦 (著)
 人は歳をとるにつれ、嫌なジジババになっていく定めにある。肉体と精神が緩んでくる結果である。自分で気づかないが、
 世代の違う人から見れば、60過ぎればシッカリした老人である。 ーその辺りをシビアに述べている部分を抜粋するー
 ≪ おそらく、わたしは老いていくに従い偏屈で意地悪で寂しい老人となっていくであろう。ひと筆描きの描写で事足りそうな
「いやなじじい」で片づけられてしまうだろう。いやなじじいであることはその通りであるにしても、そのようにタイプ分けされて
オシマイー そんな呆気なさが付いて回る老人たちの孤独感や屈託には、そうした粗雑な決めつけを受けがちな立場に由来している
部分が予想以上に大きい気がしてならない。 とはいうものの、たとえば人品卑しからぬ「かくしゃく」とした老人がアンフェアな
ことをすると、わたしは必要以上に失望し立腹してしまう。イメージに忠実でなかったから、と。強がりを言ってまでも独りぼっちの
生活を送っていた井杉あやが、風邪を契機に急に弱気になったりすると、左知子は裏切られたように感じてしまう。勝手なものである。
老いることとは、自身の在りようを一方的に決めつけられ、それを甘受させられることなのである。つまり物語を押し付けられる
ことに他ならない。しかもその物語は、なべて安っぽく底が浅い。不良少年にまつわる物語のように。 P−66≫
 ≪ 60歳あたりで急に妄想的になったり、精神的に不安定になる人が結構いる。改めて考えてみると、彼らの胸の内に若さに
付随する筈の楽しいことや充実感を享受し損ねたという未練や不満が「損をした」という感覚で漂っているのではないだろうか。
その恨みの気持ちが、世の中から取り残された、見捨てられたという実感と合体すると、そこに被害者意識が生まれることになる。
それは往々にして「だから自分は何をしても許される」といった放漫さや尊大さにつながる。そうした心の動きが、異様なほどの
自己中心的な行動として顕現することになるのではないか。たとえば暴走老人や高齢者の万引きとか。 P−208 ≫
 ▼ 噂話そのものが、安っぽく底が浅いもの。その物語が、さらに書き加えられ魔女狩りのようになっていく。特に老人は、
  その手の名人になっていて、歳を重ねるにつれ嫌なジジイ、ババアに色濃くなっていく。往々にして人生の総括期に、思いも
  よらないことになり、それまで全く気付かない肯定すべき材料が一挙に自己嫌悪の対象に下落してしまう事態になる (私も)。
  癌だったり、連れ合いの喪失、初老性欝、事業の倒産など生々しい事態が急に圧迫する。円熟などの妄想は一瞬に吹っ飛ぶ。
  いきなりオセロゲームのように人生の行蔵が裏返しになってしまう。それも、こういった事態は幾つか重なる。 
 不幸論は、こういうところから成り立つ。問題は、そこで独りに成りきれるかどうか。 孤独に徹っし、受け入れるかどうか。
  それらも含めて、人生を味わう心掛けが最後の一里に必要になる。他人に嫌らしさは見えても、自分のそれは見えづらい。
・・・・・・
3997, ビジネスマン退職後の誇りある生き方 ー3
2012年03月05日(月)
            ービジネスマン退職後の誇りある生き方章ー キングスレイ・ウォード著
  この本の中で7人の人が提唱している「若いための十の秘訣」がある。
 その共通をまとめると、次のようになる。これは年齢に関係ない人生の秘訣でもある。
 * 若いための十の秘訣
1、人生に好奇心を持ち、冒険を恐れない ー自主的であること
2、あらゆる年代の人たちと接する場を持つ
3、何ごとも最善を尽くせ ー諦めず、忍耐強くあれ
4、楽天的であれ、これは考え方の訓練で可能になる ー障害を挑戦と受け止める
5、ユーモアのセンスを持つ 
6、運動をする。散歩、ヨガと、スポーツジムなど。 ー健康が一番の財産
7、教養を身につける。そうすれば、いろいろな人たちと気楽に付き合える
8、家族、友人を大切に ー友好の関係を当たり前でなく、壊れやすいものとして維持とメンテに心がける。
9、自分自身の最大の長所を見つめ、自分を好きになれ ー本来の自分を受け入れること
10、今日一日を大切に生ききること
 ▼ どれもこれも、老化は逆の力が働くもの。ここには書いてなかったが、これらを実現するための少々の
  お金が必要である。それと思いやりと、家族である。 一つバランスを崩すと、誇りない人生になってしまう。
・・・・・・
3631, 入試投稿漏えいには驚いた!
2011年03月05日(土)
 韓国で数年前に摘発された入試漏えい事件からしばらく経つが、日本でも似た事件が発生した。
起こるべくして起こった問題で、氷山の一角なのかどうかは誰も今のところは分からない。
中国ではビジネスとして成り立っているとマスコミで報じている。眼鏡などに超小型の撮影機を埋め込んで、
それを近くの受信機で受け取り、回答をメールにして携帯電話などに送り込めばよい。
犯人は逮捕されたが、これらから大掛かりな不正合格ビジネスが成立してくることになる?
機器の高度化に防犯がついていけるかどうかだが、無理だろう。 本人にしてみれば、カンニングにネットを使っただけで、
これほどの大騒ぎになるとは思ってなかったようだ。 せいぜい、学校当局の厳重注意ぐらいしか考えていなかったのでは。
この手際からすると、帯電話を使ったカンニングのキャリアではないか?と疑われる。過去の分まで記録が残っているはずだから、
キャリアなら情状酌量の余地はなくなる。そうこう考えると、かなりの受験生が、これまで入試投稿で合格をしてきたと疑うことができる。 
こういう暗記した問題を解く入試方式はアジア特有のもの。そろそろ、入試そのもののあり方を考える時に来ている。 
高校までの、本人の総合評価と、大学独自の能力検定などを加味した判定方式など・・・
 それより大学の選定によって、その人の人生が大きく変わることも間違いはない。京大が早稲田、同志社より、
よいとは限らないが、そこで出会う教授、先輩、友人等から受ける影響は膨大。学校のブランドは伊達ではないことも確か。
一流大学のビリの方が、三流大学のトップより格段に良いことは、周知の事実。 「田舎の学問より、京の居眠り」という諺がある。
 ・・・・・・・
3266, 大阪市の支出の半分が生活保護費
2010年03月05日(金)
 昨日の朝のTVで「大阪市税の6091億の半分近くが生活保護費(2863億)に消えている」と報じていた。
大阪は他より生活保護を受けやすいとは、聞いてはいたが・・・。 
何と13世帯に一世帯が給付を受けており、アパートの前に「このアパートに入居すると生活保護がもらえます」
という看板が出ているのがあるとか。 他と比べると5倍以上である。人口230万人で国の2%で、国の1割の生活保護費である。
ネットによると、大阪市の予算は1兆7千憶円。国や大阪府の交付金、その他税収で、公債発行は千二百憶で済んでいる。
市債合計は5兆円))夕張の次の、市の破綻の候補。「これは日本の将来の姿?」とキャスターがコメントをしていた。
これでは厚生年金や国民年金などかけないで、最後は大阪市に移住して生活保護を受ければよい。
 大阪は、社会党と共産党の支持基盤が前より強い地区。これが成れの果てといわれても仕方がない。
民主党が自民党の自壊のため政権を取ったは良いが、綺麗ごとを並び立てた22年度の予算。税収の二倍以上の予算。
国家破綻へまっしぐら。 大阪市の拡大版を国家として、やろうとしている。
もう国家としてのコントロールが不可能と市場が判断をすれば、国債と株式の暴落圧力が一挙に高まる。 
・・・・・・・・・
2891, 末期自民党政権
2009年03月05日(木)
 自民党が最後の醜態を露出している。 その最後に相応しいのが麻生首相と思えば腹が立たない。
どうして、こうなったのであろう。 以前のようなドスのきいた首相がいなくなった。
・三角大福中は、叩きあげで派閥を率いていた。早くいえば「汚職」ギリギリの塀上で集金し手下の面倒をみていた。
・その後、安部晋太郎、宮沢喜一、竹下登という半二代目の親分が派閥を率ていた。
・更に小粒の村山、橋本竜太郎、小渕、森などが続いて
・小泉が一言パフォーマンスを駆使して改革という幻想を国民に抱かせて何とか自民を持たせた
・極めつけが直近の安部、福田、麻生首相である。ひ弱な二代目、三代目が とても一国を率いる器ではない。
劣化の最たる者たちが政権にきゅうきゅうしている姿は、亡国の醜態そのもの。
首相は学歴とか、血筋で務まるものではない。それぞれの世界で、叩き上げでのし上がったものしか、国のトップになれない。
下から這い上がってきたからこそ、庶民の気持ちをくみ上げることができる。麻生に関しては全く大衆の生活が分かってないのを
大衆が直感で解ってしまった。第二次大戦を潜り抜けてきた連中が消滅してしまった。では、なぜ彼等が首相になれたのか?
といえば、彼等でもやれる環境が、そうさせたのである。そしていざ地球規模の危機に際して、これほど程度の低い首相に
国民は茫然自失状態。あのレベルの失言で済んでいるだけ!まだ良いとしなければならない。実際は致命的ミスが出ないかハラハラ。
それだけではない、自民党そのものも劣化の最たるもの。ところで今度の小沢の第一秘書の逮捕は、タイミングから見て明らかに
国策逮捕である。検察の頭からして腐りきっているから始末が悪い。 これで更に国民に自民は嫌われること必定。
これは歴史に残る腐りきった自民と検察(官僚)の仕組んだ猿芝居として残る。
日本は世界恐慌に先駆けて突入したというのに。4〜5月には株価が6千円はおろか5千円を割るのでは?
・・・・・・・・・
2008年03月05日(水) 
「千年、働いてきました」                          
  「千年、働いてきました」ー老舗企業大国ニッポン (角川書店)が面白い。
三ヶ月に一度、金融を中心にコンサルトをしてもらっている林さんから、是非面白いから読んでみたらというメールが入った。
さっそくアマゾンから(中古だが)この本を取り寄せたが、成るほど面白い。まずは最も面白い部分を書き出してみると
*「世界最古の会社はどこの国にあるだろうか?」。企業の寿命が30年といわれる中で、我が国日本に578年から
 創業している会社がある。聖徳太子に招かれ百済(中国)から来た職人の技術を持った会社である。
・他にも、創業して千三百年にもなろうかという北陸の旅館、
・千二百年以上の京都の和菓子屋
・同じく千百年を超える京都の仏具屋  
・千年を超える薬局といった具合に、開業当時に思いをはせると、気が遠くなる店や会社ばかりである。
*日本には創業100年以上の老舗企業が10万社以上あると推定されている。
 これほど老舗が多い国は世界でも例がない。こんなにあるのは、アジアだけでなくヨーロッパにもない。
*伝統は革新の連続である。
*製薬トップの武田薬品(1781年)、大手ゼネコンの鹿島建設(1840年)や竹中工務店(1610年)、化粧品トップの資生堂(1872年)、
ゲーム機の任天堂(1889年)、楽器最大手のヤマハ(1887年)など・・  大手デパートのほとんどが江戸時代に
 創業した呉服店から発展しているし、三井、住友の様なロスチャイルドより古い歴史を持つ財閥も存在する。
*初代目から11代目に当たる福田さんは、こう言った。「身の程をわきまえるというのが、ずうっと貫かれてきたのではないかな。
 バブルの時など、それはもう土地を買えとか言われたんですが、・・・・
 『コア・ミッション』=使命の核心=から離れてはいけない、というのはわかっていました」
(字数の関係でカット 2012年3月5日)
・・・・・・・・
2007年03月05日(月)
2162, 秋田市のホテル事情
      オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
秋田のシングル・ルームの値段がバス無しといえども、何と3000円。三度目の値下げでここまで落ちたという。
考えられないほど、安いが・・秋田は秋田新幹線が開通したとはいえ袋小路の県である。
・・・・・・・・
2006年03月05日(日)
1797, 心に効くクラシックー3    才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪
 ー作曲家の性格の三分類
偉大な作曲家はそれぞれの性格的な傾向を持っているという。
強い個性があるからこそ、個性的な曲を生み出すことができるといえる。
性格分類といえば、クレッチマーの気質の三類型がある。
   S型ー分裂気質 Z型ー躁鬱気質 V型ー粘着気質で、誰にも当てはまる。
S型ー分裂気質は、体型的には痩せ型。
   一般的には内向的で自分独自の世界を作るのが特徴。天才肌が多く、自らを孤独に追い込み、シャープな頭脳で思考を重ね、
   独特の研ぎ澄まされた世界をつくり、芸術上に現れたものは恐ろしいような美しさがあります。 
   服装も調度の好みもうるさく、いわゆる貴族趣味に走る傾向がある。感受性が豊かなゆえに矛盾した要素を抱え込み、
   冷淡で利己的で鈍感だと思うと、別の面では非常に敏感で情熱的で興奮しやすかったりします。
   ーベートーヴェン、ドビッシーなど
Z型ー躁鬱気質は、体型的に肥満型多く、循環気質ともいわれる。
   S型の怜悧な美しさとは対照的に、親しみやすさに溢れ人間的な美しさがある。
   一般的には、人間大好きで、他者への共感性や同情心に溢れ、社交的、快活、温厚、善良、陽気、といった
   性格に富んでいます。目新しいことにひかれ、アイデアが閃くと直に実行します。循環気質といわれるように、
   気分の段差が激しく、明るく陽気と思えば、落ち込むと自室に籠るような極端さがある。
   ーバッハ、モーツアルト、ヴェルディーなど  =ε=(。・ω・)_旦~~ オマタセー                       
V型ー何ごとにもこつこつと丁寧に打ち込み、まじめで粘り強いという特徴がある。
   少々スロースターターだが、礼儀正しく、社会の常識や伝統を大切にします。冗談やユーモアにも縁遠い。
   気質は、蓄積と爆発と評される。ネガティブな感情や不愉快な体験などの心的エネルギーを溜め込み、
   世間に従おうとするが、時に大爆発をする。体型は筋肉質、闘士型でがっしりして、スポーツマンタイプが多い。
   ベートーヴェンはS気質にV気質が加味されている。 作家だがドフトエスキーなどが典型である。
   ヘーゲル、ジュリアス・シーザーのこのタイプである。
この三分類に当てはめることはできないが、実際には、複数の類型の中間型であったり、特定の分類の属していても
それほどの明確な特徴を現していなかったりする。この本では三つを使って作曲家の心理を分析している。´',_c')зβyё☆


4737,<つまずき>の事典 〜   ー5

2014年03月04日(火)

    * 思い出のグリーングラスの意味      <つまずき>の事典> 中村邦生編著
 半世紀近く前の学生時代、トム・ジョーンズが大ヒットを飛ばし、森山良子が日本版で歌った「思い出のグリーン・グラス」
の歌詞の意味を、この本で初めて知った? 当時、その意味を知っている人が多かったのだろうが、現在になって知ろうとは!
この原曲の本当の意味は「若い死刑囚が、執行の朝、望郷の夢から醒めた哀しい歌だった」 当時、何も知らなかったのか? 
知っていて、その心情を深く思わなかったのだろうか? その方が、もっと酷いが。 当時の底の浅さが、思いやられる! 
多くの人が死の直前に走馬灯のように思い出す故郷は、こんなものだろうか。 ーあるブログから、元歌の歌詞の訳を引用ー
 ーー
故郷の街並みは昔と同じ    列車を降りると 両親が迎えに来てくれている
通りを走ってくるメアリーが見える    金髪でさくらんぼのような唇の
故郷の緑に触れるのは気持ちが良いものだ  そうなんだ 皆が迎えに来てくれる
両手を差し伸べて 優しく微笑みながら   故郷の緑に触れるのは気持ちが良いものだ

古い家はまだちゃんと建っている      壁は干からびてひび割れてはいるけれど
そして 僕が遊んだあの古い樫の木もある   愛しいメアリーと一緒に小道を歩くんだ
金髪でさくらんぼのような唇の      故郷の緑に触れるのは気持ちが良いものだ

そして僕は目覚める 辺りを見回してみる   僕は灰色の壁に囲まれている
そして気づくんだ そうなんだ 僕は夢を見ていたんだ と
看守がいるし 悲しそうな顔をした年老いた牧師がいる
夜明けには 腕を掴まれ歩くんだ   それから僕は故郷の緑に触れることになる

そうなんだ 皆が僕に会いに来るんだ  あの古い樫の木陰のところに
皆は僕を故郷の緑の下に横たえるんだ
ーー
▼ Youtubeで、この歌を改めて聞いてみた。 この意味を知ってから聴くと、歌が違って聴こえてくる。
 私の幼児の頃の家と、家族と、店の人たちを、思い浮かべると、魂の故郷に帰ったような気がする。
 熟年になってきて、死が近い将来?に近づいてきた現在、この歌の味わいは、ことさらである。
 そういえば、この随想日記で「白い雲に乗って」のテーマで、書いたことを思い出した。〜以下
・・・・・
2007/02/10  
2139, 白い雲に乗って ー両親の思い出  ー1
  
 夜半に幻想的な夢をみた。 小さな白い雲があった。
それに乗ると、ふかふか浮いて異次元の世界に引き込まれてしまった。
そこは4歳の頃の世界におりたようだ。
すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。
両親がいて、兄達と姉達、そして多くの従業員がいた。
そこは越後長岡の十字路のど真ん中にある当時の私にとって大きなビルの中。
一階が店、二階に事務所と倉庫があり、三階に家族の住まいと台所、
四階には従業員と姉達の部屋があった。
白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。

 三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、
そこでラジオから童謡とか歌謡曲が聞こえていた。
店には若い女店員が多くいて、ぼくを「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、
正に当時の真っ只中にいた。
コロという生まれたばかりの白黒の小犬を運一・兄が拾ってきた。
そして三毛猫のタマとコロがジャレている。
その空間には何時も緊張感がただよっていた。

 燕が飛んできて窓に当たって死んでしまった。
初めて死をみた瞬間だ。いやに首の下の赤い色が印象的だ。
そこを出たところには大きな通りがあり、多くの人が歩いている。
小さな三輪車で駅の方に行くと右手に小さな公園があり、
その脇に池があり小さなスイッカスが水上を泳いでいた。

 そうだ、ここは公会堂の裏にある小さな山の上に神社が祭ってある公園である。
周りを見渡すと植木の展示会が開かれていた、多くの植木鉢がところ狭しと並んでいる。
その先に大きい広場があった。それは阪之上学校の運動場。
何時も遊んでいる近所の子がいたので声をかけると、スーと消えた。
夢をみているのだろうか?いや、夢のはずがない。
ぼくは間違いなく、ここにいる!

・・・・・・
2007/02/18
2147, 白い雲に乗って ー2
         b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪

 先日のつづきの夢をみた。半分は覚醒をしていたのかもしれない。
前回の夢が契機になって当時のイメージがドンドン出てくる。
如何いうことなのだろうか?それは57年前の世界そのものである。
その世界から此方をみている感覚と、此方の感覚の間にある塀の上での
微妙な世界に立っているようだ。    
    ーー
白い雲に乗って再び、その世界(4歳)へ行ってきた。
そこは前回よりリアルな当時の世界があった。
中央保育園の面接があるというので、目新しい服を着せられて、
母の手に引かれて「同じぐらいの小さい子が多くいるところ」に行った。
そこは家から10分ほど歩いた小さな小路にあった。
面接のオジサンがニコニコしながら、色々なことを聞いてきた。
母に前もって聞いていたので、驚くほど上手く答えた。
恐らく入れるだろうと思った。
 家(店)に帰った後、三輪車に乗って前の安栄館というビルの
同じくらいの友達のところに行った。
やはり最近できた大きなビルのところの子だ。
何か遊んでいると楽しい!

 その数日後に場面が変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。
手紙を待っていたが、何時までたってもこないので、
お母さんが「落第したのかもしれないけれど、そんなことがないはずだが・・」と言う。
ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、凄く嬉しい。

 クリスマスの飾り付けのため、二番目の姉の恭子と近くにツリーの飾りを買いに
二人で行った。大きな雪がフワフワと降っている。
ツリーに吊るす色いろなものを二人で選んだ。
小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。
それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。
ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、それを他の姉たちと飾りつけた。
ツリーの電飾がいやに奇麗だ!
こんな楽しい気持ちは初めてと喜んでいる自分を誰かがみている。
あれは誰だろう?
翌日の朝、枕元に箱に入ったサンタの贈り物があった。
雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。
    
 突如、周りを見渡すと誰もいない空間になってしまった。
何処に行ったのだろう、皆は!
白い靄がかかり、その中で恐ろしさが襲ってきた。
目をつぶって白い布団を被った。
 目が覚めると、そこは寝室の布団の中であった
               (o ・д・)ツ  バイ!
 ズットここにいるのだ。
何で、ぼくは、ズ~ットここにいるのだろうか?
忘れたが何か遠い遠い旅をしてきたようだ。
何の旅だったのだろうか、僕はどこにいってきたのだろうか?
    
 そこで、無性に悲しくなり大声で泣いてしまった。
泣いても泣いても、あの遠くのズット向こうの世界は戻れない!
ぼくはもう、あの遠い世界には返れないのだろうか?
ふと脇をみると小さなコロが悲しそうな顔をして、ぼくをみていた。
でも、コロがいたので安心をして三輪車を引っ張りながら家路についた。

 両親は忙しそうに働いている。
その横で姉達は今度法事で着る洋服を試着して笑っている。
その後に夕飯の時間がきて、丁度みんなで食べようとしていた。
父チャンがいて、ぼくもふくめて子供達が8人が勢揃いをしてご飯を食べた。
外がいやに賑わしいのでみると、長岡祭りの山車が次々と通っている。
三階の窓から手を振ると、屋台の上から男の人が笑いながら手を振り返した。
何かそれをみていたら、嬉しくてケラケラ笑ってしまった。

 しばらくすると父親が今日の売り上げを持って、下にある店から上がってきた。
札を十枚ずつ数えて束にまとめて小さな金庫に入れている。嬉しそうな顔をしている。
何か自分が白い雲の中で浮いているような感じがしている。
ふと目が醒めると、隣に両親が寝ていた。
あ〜ぼくは、一人ではないんだ!よかったと独り言をいっていた。

 ここは間違いなく大手通の世界である。
どうして、ぼくはここにいるのだろう!
それにしても、それにしても、どうして浮いているのだろうか?
    
というところで、目が覚めてしまった。
幻想的な遥か彼方の遠い世界に舞い戻ったのだ。

・・・・・
2007/04/25
2213, 白い雲に乗って ー3
          (・_・) ノ オハヨウ!
 お風呂に入った直後の22時過ぎにクラッシック音楽を聴きながら就寝する。
就寝30分後に爆睡を4〜5時間した後、午前の3〜4時に一度目が覚める。
そして冬時間の起床時間が5時半、夏時間は5時に起床する。
起床前の2時間が半睡状態の時間になる。
その時間が、ある意味でゴールデン・タイムになる。
夢をみたり、夢と現実の塀の上を遊ぶ?のである。

以前、書いた「白い雲にのって」は、半覚醒で子供時代に立ち返った内容を書いた。
夢のような、魂の故郷を漂った白昼夢の世界の描写である(いや白朝夢か)。
白い雲に乗ったイメージで当時の思い出の世界に入ると、記憶がドンドン出てくる。
脳の奥行きの深さに驚いてしまう。
 ある意味で夢と同じぐらい深い脳の領域に思える。
50〜60年前の赤ちゃんから幼児の記億の世界は、魂の世界である。
殆んど忘れてしまった、古い古い記億の痕跡への旅である。
立ち返って気がついたのは、それからの人生の激しい時代の記億より、
ず〜と刺激の強い世界の思い出である。

白銀色の毎日が新鮮な経験のシャワーを浴びているようで、
愛情に包まれた夢のような日々であった。
ドラマをみているような、自分そのものが舞台劇の小さな子供の役者を担っていた。

初めての大きなショックが、柏崎の親戚の近くの海を初めてみた時である。
それまでは近くの公園の池しか見たことがなかった。
海のコバルト・ブルーを見たときの驚きは現在でもはっきり憶えている。
それと、舟と漁師の姿と磯のカオリも記億に鮮明に残っている。
よほどショックだったのだろう。

 ところで、私が生まれたのは第二次大戦の終戦の5ヶ月後の1946年1月15日である。
越後長岡の東神田で産湯をつかり、長岡駅から100胆菷鵬擲垢了佑蝶僂
三月後に戻ってきた。百日風邪になり、「もしかしたら駄目かもしれないと
医者に言われた」と、父は口ぐせのように言っていた。
私の名前は八人兄弟の末で「八郎」というが、実際は九人目で、
もう一人2歳で亡くなった兄がいた。
父が42歳、母が38歳の時の子供である。
そのためか、特に父親にはペットのように特別愛されて育った。
16歳、14歳、年上の兄と、その下に姉が4人、その下にすぐ上の兄がいて、
最後に私という構成であった。(2~3歳違いで、双子、年子は一人もいない)
終戦直後で両親は大家族の生活維持のため人一倍働かなくてはならない条件があった。
産まれてから10年間の長岡のど真ん中の大手通の生活は刺激の強い環境にあった。

 東神田から大手通に連れてこられた生後三ヶ月後の記憶が残っている。
リンタクに乗せられて、大手通の家に行った記憶である。
そこでは、「福ちゃん」という喫茶店をしていたが、一年もしないうちに止め、
衣料品店に転業をした。

 そして2歳になった頃に、その店兼住宅を丸太を下にいれ、転がしながら、
近くの公会堂の前に引きずっていき、仮店舗を開きながら4F建のビルを建築した。
個人名義のビルは国内で始めてと市役所で言われたとか?
その記憶が一つ一つ記憶として残っている。
人生を振り返って一番楽しい日々といえば、10歳までの大手通のビルの立ち上げから、
店の開店、そしてそこで起こった悲喜交々も日々だった。 本当に刺激的な日々だった。
                  ヾ(@⌒▽⌒@)ノ バイ


4736,<つまずき>の事典 〜   ー4

2014年03月03日(月)

                       <つまずき>の事典> 中村邦生編著
    * 言ってはならぬ、闘いが無益などと
  人生の終盤に、あまり良い結果ではなかった?が、自分の人生を全面否定する気持ちは最小である。
 気持ちは「天気晴朗なれど、波高し」だが。 この詩は、誰にでも訪れる人生の終焉で、励ましを与えてくれる。
《  言ってはならぬ、闘いが無益などと
   努力も傷手も無駄などと
   敵はなお息絶えず、怯むこともなく
   事態は相も変らず元のとおりだ、などと。
         ーアーサー・ヒュー・クラフ「言ってはならぬ、闘いが無益などと」よりー  P-44
 アーサー・ヒュー・クラフはイギリスの詩人。ラグビー校でトマス・アーノルドに習い、その息子マシューと
生涯にわたる親交を結んだ。マシュー・アーノルドの追悼詩の傑作「サーシス」はクラフを悼んだもの。
「言ってはならぬ、闘いが無益などと」は窮地にあってなお不屈の心をうたった詩として知られる(引用は冒頭の一節)。
また第二次大戦中にチャーチルがルーズベルトへの放送の結びにこの詩を引用し、イギりス国民を励ましたという逸話を
持っている。クラフには「一度も闘わないよりは、闘って敗れた方がましである」という有名な言葉もある。  》  
  ーネットで、調べたところ、以下の訳があった。   
【 悪戦苦闘しても無駄だ、
  骨折り損だし、怪我をするだけだ、
  敵は一向に怯(ひる)まないし、逃げる気配もない、
           結局元の木阿弥だ、などと言ってはならない。
  希望を抱いて馬鹿をみるなら、心配が杞憂に終わることもある。
           もしかしたら、ここからは見えない戦場の一隅で、
  まさに今、君の戦友が逃げる敵を追っているかもしれない、
           君さえいなければ、勝利は味方のものかもしれないのだ。
  疲れきった様子で浜辺にうち寄せている波も、
           いくら苦労しても一歩も前進してはいないように見える。
  それでも、ずっと彼方の湾や入江では、じわじわと、
           そして、黙々と、大きな潮がみちかけているのだ。
  夜明けの時にしても、東側の窓からだけ、
           光が射してくるのではない。
  東の空に太陽が昇るのが、どんなに遅々としていても、
          西の方を見るがいい、天地はもう明るくなっているのだ。 ー平井正穂編『イギリス名詩選』より 】
▼ 現在の私に、一言一言が実感として響いてくる。 何もしない人ほど、いや出来なかった人ほど、
 「闘いが無益で、努力も痛手も無駄」と言い張る。闘いもない、さしたる努力もない人生ほど、毒が溜まり、
 精神を腐らせている。その毒を、他人に?に向け、吐き出すしかない人々の哀れさを、この節目でタップリと見せて貰った。
 「世界は広い。そして深い!」人類は成功によって導かれてきたが、その背後には99%の失敗と挫折がある。それが人生だ。

・・・・・・
4369, 書くことが思いつかない人のための文章教室  ー8
2013年03月03日(日)

                 「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
     * そもそも書く手順とは
   12年間、毎日書き続けてきた。そして文章作法の本も数冊、読んできた割りに満足出来る内容に全く至ってない。
  しかし、この本には多くの基本を改めて確認することが出来た。以下のルールも量を書くうちに身についてきたが、
  話の筋たてのヒントが理路整然と書き連ねてある。 ー私なりに、要約してみた。
 ≪ ー まずは箇条書き、そして起承転結
 ・ まず頭に浮かんだことを箇条書きにする。そして、それを起承転結の順にナンバーをふる。
  起承転結は漢詩から生まれたもので、起句、承句、転句、決句、
  からなる。起句で文章を起こし、承句でこれを承(う)けて、転句でその単調さを破り、内容をガラッと一転させ、
  そして決句で全体をまとめる。その中で一番大事なのは、「転」である。この捻り、転がしが、その人の特徴になる。
 ・ 行き詰ったら、初めから読み流し最初からの流れに乗ること。これを面倒ぐさがらずやること。すると、すっと
  次の考えが出てくる。 他に、散歩に出ること。頭が煮詰まって何も浮かばないときは、その方が、新しい考えが
  浮かんでくる。 行き詰らない方法として、「また」「そして」「しかし」「おそらく」「たぶん」といった 
  接続詞や副詞も、文章を前進する働きをしてくれる。要は、次の文章が浮かんでくるところで、一休みの働きになる。
 ・ アイデアはすぐに書き留める ー何処であろうと、思いついだ時にメモをとっておくこと。とにかくメモ魔になる。
  書き留めることは、脳に刻み込むことでもある。長期保存された事柄は、書き留めたことが多い。
    ー 現在・過去・未来の順に書く
 ・ 現在は、今の状況、過去は、その今の状況をもたらした背景、そして未来は、その状況が今後どうなるかーですから、
  その順に書いていけば話の筋が組み立てられる。情報伝達で、この3つは欠かせない。・・文章は自由自在に「時」を
  操ることが出来る。文章は現在の状況を書きつつも、近未来、近過去を行ったり来たりできます。
    ー 書き出しで興味を引く
 ・ ハッとすることをズッバと書いて興味を引く。 気の利いた一文で、さっさと終わる
  ▼ プロの書き手には、それなりの定石がある。量を書けば良いのではない。量から質を高めるには基本が必要になる。
   定石を知っているといないとでは大きく違う。「現在」を基点に、「過去」そして「未来」の順を意識する、しない
   のとでは、大きく違ってくる。 この12年間で、論理脳が出来てしまったようだ。 ああでもない、こうでもないと、
   独りで言葉を組み立てている。感じ取り、思い、考える。これを自動的に脳内で誰もがしていることだが、問題は
   文章化をして残すかどうか。 「で、残して、どうなるの?」という問いには、「どうも、こうもなりません!」

・・・・・
3995, 宇宙は本当にひとつなのか ー2
2012年03月03日(土)
        「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
 先日、「 宇宙論のコペルニクス以来の大転換 」について書いたが、そのタネ本が、この「宇宙は本当にひとつなのか」。
私にとって、世界観がひっくり返るほどの驚きである。オーバーにいえば夜半に目がさめ、これを考えると息苦しくなるほど。
宇宙の果てがあるかどうか、時間の始まりがあるのか、神の存在とは、自由とは何か、どこまで自由になれるのか?などの問いは、この本を
読んでしまうと根底から揺らいでしまう。 前提が宇宙がひとつ、だったのが、10の500乗の宇宙の存在の可能性を突きつけられれば、
今までの宇宙論と、世界観は何だったのか?になる。コペルニクスの地動説が事実と知ったキリスト教徒のようなもの。 
 これは万物の存在に根底から問い直しを迫った宇宙論になる。
「 宇宙で原子でできている目に見える物質は5 %に満たず、残りの約23 %は正体不明の暗黒物質(ダークマター)と、73 %の
  暗黒エネルギーが占めている。それが、どうもあるらしい。ということは、宇宙の約96%は正体不明で、それらは他の宇宙から、
  私たちの宇宙に流れ込んできている 」という途方もない説。 まず、「 第一章 私たちの知っている宇宙 」から、幾つか書き出す。
   * 私たちの知っている宇宙
・ 地球が太陽の周りを回る速さは、秒速 30 km。
・ 星の成分は光を分析することで解る。 温度が高い場所ではどんな物質でもガスになる。
  光がガスの中を通るとガスにより決まる波長が吸収される。このスペクトラムの欠けで元素がわかる。
・ 宇宙の年齢は137億年。宇宙が膨張して38万歳のときに電子と原子核がくっついて光が真っ直ぐ進めるようになる(宇宙の晴れ上がり)。
  このときの光が宇宙背景放射である。 地球の年齢は約46億年。
・ 2006年8月に冥王星は惑星から準惑星に格下げになった。光の速度で4時間。 月は7分。 太陽系の中で恒星は太陽だけ。
  次に近い恒星はケンタウルス座プロキシマ星で4.2光年。 我々の天の川銀河には約2000億個の星がある。太陽系は中心から
  28千光年離れた端に近い場所にあり、天の川銀河では、まだ若く星や惑星が生まれている。太陽系は銀河の中心を秒速220kmで動いている。
・ 銀河団より広い6.6億光年でみると、銀河は一つの点になり、線のようにつながったフィラメント構造と空洞になった泡になる。
  これを宇宙の大規模構造という。
・ 60億光年くらいの範囲で見ると、宇宙はだいたい均質で同じような性質をもっている。 これを宇宙原理という。
・ スイス・ジュネーブ郊外の地下一周27kmの世界最大の加速器「大型ハドロン衝突型加速器」でビッグバンを再現する実験を行なっている。
  ここでは、ブラックホールをつくる計画があり、できれば4次元以外の次元、つまり、異次元があるという証拠になる。 
  そうすれば、異次元の中を運動する物質の暗黒物質の正体もわかるかもしれない。
 ▼ この数年来で最も面白く、ショックを受けた本である。このところ、ショックのことが多い。異次元世界、いや異次元宇宙があるとはね。
・・・・・・
3629, 閑話 小題ー二題
2011年03月03日(木)
  * クライストチャーチ
 ニュージーランドはチョットした旅行やショートスティーには良いところだ。オーストラリアの右下にある日本の北海道と九州が
上下に並べたような島国である。北より南の島の方が見るべきところがおおい。私には非常に良い印象が残っている。
今回の地震があったクライストチャーチは南の島のオーストラリアよりにあり、ロッキーのバンフに雰囲気が似ている。
この国は、こじんまりとした自然豊かだが、冬はかなりの寒さになる。近くにあるクインズタウンの小さな街並みがすばらしい。
クライストチャーチは観光地だが、最近は日本人学生の語学研修に人気がある。クイーンズタウンから6時間ほどにある氷河の
ミルフォードサンドが印象に残っている。山あり、氷河あり、港があり、高原ありで、日本人が好む国である。
一見、豊かそうだが、実際はそうでもなさそうだ。そういえば、現地人の姿は全くといってよいほ見かけなかった。
  ーニュージーランドのバンジージャンプー H7・05
 四十三mの渓谷の吊橋より足首に一本のゴム紐をつけて飛びおりるゲーム。
まさに“身も氷るおもい”そのものであった。あの飛びこみ台は死刑台と同じ感覚ではないかとその瞬間思えた。
立って下を見た瞬間まさに金縛りそのもの。自分は何でこんな事をしてしまったのか。 まさか自分がここより飛びおりる?  
…本当に恐怖のどん底とはあの瞬間であった。そういえば現地の日本人ガイドが私の申し込みに、四回も私の目をみて
念をおしたのも頷けた。また、その後にのったジェット・ボートの現地の運転手が、その事を聞き真面目な顔で“クレージー”。
  * ‘ありがとう’と‘ごめんなさい’
 人間の精神活動の根本に、この二つの言葉がある。 これを使いこなせれば人間関係は、よりスムースにいくのだが。
それが意外とむずかしいのである。 子供に対する躾で、この二つの言葉を素直にいえるようにするのが、まず第一歩。
それと、‘おはようございます’‘こんにちは’‘おつかれさま’‘ごくろうさま’は社会人の初めに訓練される。
そういえば最近の若者に、この言葉が聞かれなくなっている。 今年の学卒の3割は、就職ができないが、正社員とアルバイトの差が、
この辺の一年間の訓練、躾が入っているかどうかの大きな分岐になる。フリーター癖のついている人は、まず挨拶がまともに出来ない。 
これは20歳前後までに訓練されないとなかなか組織人として長年生きていくに難しくなる。 ありがとう、ごめんなさいは、互いの心を
開かせる働きがある。外国旅行では、サンキュー、ソーリーは、イエス、ノーより頻繁に使う。互いに迷惑をかけないが、基本にあるからだ。  
 ・・・・・・・
3264, 哲学者は神について、どのように語ったか ー1
 2010年03月03日(水)
 神について「一神教と多神教について」以外はは書いたことは殆どなかった。 書けるほどの知識も宗教体験もない。
そんな恐ろしいことがかける訳がないし、結果として無知を曝け出すことになる。今さらだが。
それなら、哲学者が神について、どのように書いてきたかなら調べることが出来る。
もし、あと半年しか命がないとしたら、永遠の命の存在としての神について、真剣に考え救いを求めるだろう。
「あの世は、あるのだろうか」「生まれ変わりは」「この私の人生とは何だったのだろうか」
「神が存在するとしたら、自分は、その大元に帰っていくのだろうか」等等・・・・
古代のプラトン、中世のトマス・アクィナス、近代のカントなどの哲学者が、神について書いている。
* まずはプラトンのイデア界(本物の世界)の考えが面白い。
【 我々が生きる、今ここは、人が真に生きる世界ではない。 前世のイデア界の世界で、完全な美や真実を目にしている。
 しかし生まれてきた現世では、そのことを忘れていて、この「世」の美しいもの、真実、良いものをみると、それを思い出す。
 このイデア界の憧れは、この世ならぬ完全なものへの憧れで、この世の中での有限なものの恐怖と表裏一体としている。】
* 次にローマ帝国期のAC3頃のプロティノスは、
【 プラトンの哲学の流れをくんで、プラトンのイデアと同じく、この世に根拠を与えているものを想定し、
 それを一者(ト・ヘン)となずけた。それは絶対的な超越者であり、人間が把握することも、表現することも出来ない。
 それは一者でさえなく、存在に先立ち、すべてを含む完全なものという。一者は完全なるがゆえに、力が満ち溢れ、
 外に溢れ出る。世界は、一者からの流出物と位置づけている。この一者からヌース(精神)が生まれる。
 これが一者の思惟の世界。これがプラトンのイデア界にあたる。そして、プシュケー(霊魂)が生まれる。
 さらにこれが、ヌース(精神)からイデアを受け取り、物質と結びついて、我われが感じ取る感覚の世界をつくる。
 これが世界をつくられる。流出のプロセスである 】【 一者は、流出を行っても完全性を損なわない。太陽の光が
 どんなに照らしても、その力を失わないのと同じである。ただ、遠ざかると太陽のように光も熱も弱まるように、 
  そのレベルが低くなる。ヌース、プシュケ、物質の順に、一者から遠い存在になる。】
【 人間は、物質である肉体を持ち、そこに霊魂を持っている。その物質に逆行して、一者を目指すのが人間のあるべき姿。
 それは忘我の境地でなされ、そこで人は知性の光に満ち溢れる。一者のことをプロティノスは「神」ともいう。
 忘我の境地になれば、人間は神と神秘的な合一が果たせる、という 】
  ー 以上だが、プラトンにしろ、プロティウスにしろ、説得力がある。 
 プロティウスの論理と、そのイメージは、キッチリと頭に叩き込んでいた方がよい。 いざという時の
 生から死へのイメージが沸いてくる。般若心教と同じような感覚として、安らかな気持ちになれる。考えぬかれたイメージ。
 ・・・・・・・・
2889,プーチンのリスト
 2009年03月03日(火)
 一昨日の三月一日のNKKスペシャルの「 揺れる大国 プーチンのロシア《プーチンのリストー強まる国家資本主義?》 」が、
今後の世界の方向を暗示する内容であった。米国もまたAIG、シティ、GMなどを政府管理下におき建直しを図ろうとしている。
  ーまずは、NHKのHPより、その番組説明をコピーしてみるー
オイルマネーの流入で、いちやく経済大国となったロシア。 去年秋の金融危機以降、プーチン首相のもとで進む経済対策、
支配の強化によって、財界はかつてない大混乱に陥っている。ロシア経済の繁栄を支えてきた外国資本が一気に去り、
頼りは国家が貯めこんだ資金だけとなった。ソ連邦崩壊後、市場経済化の中で急成長してきた新興財閥は巨額の負債を抱え、
国の支援を受ける代わりに国から送り込まれた監視役を受け入れざるを得ない状況に陥った。
プーチン首相は、国家が蓄えた巨額の資金を振り分ける企業を選別する「プーチンのリスト」の作成を指示。
財閥たちはリスト入りをかけて熾烈な争いを繰り広げ、そのことがプーチンによる財界支配を強化していく。
 (字数制限のためカット 2012年3月3日)
・・・・・・・・・
2525, 国家を斬る
2008年03月03日(月)
「 佐藤優 国家を斬る 」 佐藤 優 (著), 宮崎 学,       ー読書日記ー
佐藤優のみならず、、イーホームズ・藤田東吾社長、そしてヤメ検の田中森一の本を読んで国家の腐敗、
特に官僚の腐敗の実態に、ただただ驚く。それが司法の検察まで及んでいるのだから救いがない。
元々、腐っているのが、露見しただけということも言えるが。
  (字数制限のためカット 2011年3月3日)
・・・・・・・・・
2007年03月03日(土)
2160, 今日は息子の結婚式!          、おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ 
今日は花婿の父である。結婚式のその役割りの一つを演じるのも滅多にないこと。
その辺が面白そうだが! とにかく目出度いことである。 *⌒ヮ⌒*)ゞ        
 まずは、最後の来賓への挨拶のメモより
   ー新郎の父親の挨拶ー           m(_ _)m
新郎の父、堀井です。 堀井家・高橋家、両家を代表し、お礼の挨拶をさせていただきます。
本日はお忙しい中、遠路はるばる 崇史、みな子両名の結婚披露宴に来ていただき誠にありがとうございます。
お忙しい中、ご出席いただきました皆様のおかげで、無事に結婚式を挙げることができましたことを、心より感謝申し上げます。
先ほどより、新郎新婦には、温かいお祝いの言葉、お褒めの言葉をいただき、親としてましては大変ありがたく思っております。
去年、崇史から結婚したいと話を聞いたとき、子供だと思っていた息子が、大人になっていたのだと感じた瞬間でございました。
嫁となるミナコさんを見て、私は人目で品性の良さと堅実な人柄を感じ、二人の結婚をすぐに快諾した所存でございます。
私自身は娘が欲しかったのですが、これでやっと「娘を持つ願い」が叶いました。「自分の家庭で平和を見出すものが、
もっとも幸福な人間である」といいますが、次男の崇史も、その点だけは大丈夫に育てたつもりです。
理想的な家庭人に必ずなることと思います。これから新しいスタートとなります二人に、どうか皆様のご指導、
ご鞭撻をお願い申し上げたいと思います。 本日は誠にありがとうございました。
▼ 自分の息子が家庭を持つというのも不思議で複雑な気持ち。孫ができるち、何か自分が老けこんでしまう感じがするが・・
 花婿の父の役割をただ目立たないように果たすことだ。 こういう役割、実をいうと好きである。それも明治記念館なら、
なお面白そうだ!会社の社員の結婚式の挨拶で、一度もトチッタことがない。しかし自分の息子の場合は、どうなることか? 
少しトチッタほうが場がもりあがるのだろうが・・やってみるか? 13時半過ぎに家族紹介、そして14時半に挙式。 
披露宴15時半、17時半?18時に終了。新幹線に19時半に乗車、21時半から長岡で二次会、23時半に帰宅!予定。
幸せな楽しい一日になりそうだ!  さてと、明治神宮に向け出発の用意だ!     ヽ(゜∀A)ゞ イケー!


4735,閑話小題 ー冬期オリンピックも終わり

2014年03月02日(日)

   * 冬期オリンピックも終わり
「オリンピック騒ぎも終わりつつある。お祭りだから、何もいうこともない!」 なら、話が始まらない。
ワールドカップのサッカーと同じように、国家の威信を背負っての闘いだから、熱くなる。
期待とおりメダルを取れた人も、取れなかった人もいた。オリンピックには魔物が棲むという言葉のとおり、
思いもよらないハプニングが起こる。 極限の緊張の中で、プラスにもマイナスにも身体が違った反応をする。
フィギアの浅田麻央、引退表明をしていたのが、ここで急に妙なことを言い出した。もう選手寿命が明らかに
ピークを過ぎたのは、誰の目にも明らか。 幼いのだろうが・・ この娘は、今が辞め時! 葛西選手とは違う。
   * 今年の雪国長岡は、この十数年来の少雪
 表日本を含めた日本中が寒波に襲われ大雪で騒いでいるが、こと豪雪地区の越後長岡は、10年来の少雪だった。
例年は、12月半ばに70〜80cm位積もり、その後、1月半ばから下旬にかけて、1・5〜2m位の積雪になるが、
今年の二度目の積雪は例年の半分以下。この時期、(庭師や建設業者などが副業)除雪業者は、完全に当て外れ。
豪雪は稲作にとって、地下水の貯水源になるため、降らないと何らかの影響が出てくる。
 で、先日、1月初旬以来、一時間程のポタリング(自転車散歩)をしてきた。近くの土手を、自転車一台が
通れるほど、地面が雪間から出ている所を恐る恐る走った。しかし雪に乗り上げ、アワヤ転倒になりかけた。
まさか二月の下旬にポタリングとは・・ さすがに、信濃川の土手は走行不可。 今日の午後も予定している。
・・・・・
4368, 歳を取りそこねる人たち ー2
2013年03月02日(土)
                  「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち」春日 武彦 (著)  
 「老いると独自の当惑や釦の掛け違いによる問題、恥や失望や悔しさが待ち受けている」というのが本当のところ。
 そして最期は死ぬのである。その中で幸福であるために、幸福とは何かを常に自省しなければならない。
   * 幸福のふたつの文脈
≪ 近頃の私は、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになっている。
・ひとつは日常における安寧とか平和とか、つまり波風の立たない平穏の毎日である。それは往々にして退屈に感じたり、
 無価値に映る。だが、大病を患ったり危機の状況に追い込まれると、つくづく【当たり前の日常】の有難さに気づく。
 現代社会における大問題として、年齢を重ねたなりに淡々として、維持していく筈の【当たり前の日常】が、老人に
 とって手の届かない危惧が挙げられてないだろうか。
・幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、楽しいこと、満足感を得ること――
 そのよう躍動的で高揚感をもたらす事象との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとって十分に
 喜ばしいことが、別の人にはむしろ物足りなさや悔しさを惹起することなど幾らである。
 こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを告げる日差しの変化とか、隣人から土産にもらった
 鯵の干物の美味さとか、窓の向こうに見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とがまったく同じ赤であったことに
 今さらながら気付いた軽い驚きであるとか、学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、そういった
 もので十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。ガッツポーズをしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく
 幸福の滴を感じ取ることができる。それが年寄りになることの醍瑚味だと信じてきた(へいや、今でも信じている)。… ≫
▼ 幸福とは、当たり前の日常を受け入れる「受容」と、驚き、楽しみ、満足感をえる「新鮮な事象との出会い」にある。
 自虐的な性格もあり、倒産すら楽しんでいた自分がいる。ならば、老いていく自分を楽しむには、これは最適の本。
  ー次のアマゾンのレビューが解りやすいー
《老いるとはいかなることか、そのかたちの探求を試みる。自己の人生のなかで出会ってきた様々に個性的な老人たちや、
 小説に描かれた味わい深い老人たちを参考にしながら、その探求の過程において示されるのは、著者の考える素敵な老いや適切な
「年寄り」のかたちも若干はあるが、ほとんど、みっともなかったり、哀しかったり、ときには常識をはずれさえするグロテスクな
 老いの姿。他者と生き別れ死に別れた孤独のなかで、死の可能性が充実したゾーンへと入っていく時、空間の戸惑いのなかで、
 人間が抱えている厄介なものが唐突にあらわになる。老いるとは、あらゆる出来事に対する達観した精神の獲得といったような
 ものではなく、人生が与えてくる難儀さに傷つけながら、なんとか過ごしていくことではあるまいか。》
 肉体も精神も老いぼれ朽ち果て、無になる。それで良いではないか。 ただ、噂話や愚痴を言い合う老人の群れに入らないことだ。
・・・・・
3994, 時代が生んだ、ボーカル・アンドロイド
2012年03月02日(金)
    * 初音ミクには驚いた
 最近、NHKニュースや「クローズアップ現代」で取り上げられた「初音ミク」には驚いた。 検索で調べたブログに次にようにあった。
≪  ◎ 思いが伝わる声を作れ 〜初音ミク 歌声の秘密〜
 ステージ上で歌って踊る日本発のCGキャラクター「初音ミク」。 世界中でライブが開かれ、人気が急上昇している。
 人気の秘密は、その自然な歌声。ある声優の声を録音し、その声の素材から合成しているが、人間の脳の認知の仕組みに
 最新技術が組み込まれている。 最近、音声合成技術は飛躍的に進歩し、社会に深く浸透し始めている。特に注目されているのが
 医療の分野。声帯の切除を行う喉頭がんや、ALSなど進行性で筋力が低下する運動ニューロン疾患などで、声をだすのが難しい人たちに、
 音声合成技術によって、再び自分の声を取り戻してもらおうというのだ。音声合成技術の最先端を伝える。 ≫
≪  ◎ 初音ミクーカルチャー&エンタテインメント
 パソコンの音声合成ソフトによって作成されたボーカル・アンドロイド。 札幌に本社のあるクリプトン・フューチャー・メディアが
 2007年8月に発売した『VOCALOID2』で、現実には存在しないバーチャル・シンガーである。 メロディと歌詞を入力すると、合成音声が
 その通りに歌う。YAMAHAが長年研究してきた周波数ドメイン歌唱アーティキュレーション接続法を採用しているので、母音と子音が
 なめらかにつながり、実際の人間と変わらないような日本語になっている。キャラクター・ボイスは声優の藤田咲の声であるが、
 それを元にして、自身でパソコンの画面上のピアノのキーでメロディを打ち込み、歌詞を日本語で入力することで、音声合成された声で
 メロディに合わせて自在に歌わせることができる。強弱の変化やビブラートをつけたいときも、音符をダブルクリックするだけで
 簡単に編集できる。まるで音楽CDのプロデューサーやディレクターの気分になることができるソフトなのである。 ≫
  ▼ カラオケで好きな曲を歌うと、モニター画面に初音ミカの歌声と姿が出てくる。 また初音ミカのライブが開催され、
   会場にはバーチャルの初音ミカが現れ、歌い踊る。 こうなるとSFの世界である。Youtubeには、そのソフトを使った多くの
   初音ミカが歌う音楽が投稿されてある。それはバーチャルのCGキャラクターを通して、自分の曲を世に問うことになる。
   設定が年齢が15歳、身長が158センチだそうだ。 バカみたいと言えば、そうだが、ライブの映像の歌とフリは面白い! 
  ・・・・・・・
3628, 閑話小題
2011年03月02日(水)
* 女子高生が電車内で毛を剃っていた
 先日の朝日新聞(全国版)投稿欄で中年女性の投稿に目を奪われた。
「電車内のこと、小千谷辺りで女子高生がやおら剃刀で脛毛を剃り始め、さらに腿の毛まで剃っていた」という。
化粧をしていたとか、スカートからジーンズを変えている目撃談はあるが、ついに毛まで電車内で剃るとは恐れ入る。
その手順からして、今回が初めてとは思われなかったという。
年々、中高生の質の低下が問題になっている。新幹線内では見かけないが、在来線や駅構内での学生の横暴無人の言動に唖然とする。
こうなると質の低下云々の話では無くなってくる。 携帯電話、パソコンなどから、色いろな情報が入ってくるが、それぞれのレベルに
無制限に入るのだから、プラス・マイナスの拡大が進むことになる。以前、有名カメラマンが電車内の女子高生の荒れた写真を公表した。
魚は頭と尻尾から腐るというが! 「今の若い者は!」という古来からの小言がある。 今さらだが・・・
・・・・・・・
3263, つれづれに 
 2010年03月02日(火)
  * 冬季オリンピックは終わったが
 オリンピックの賑わいも、昨日まで。今日からは現実がまっている。
この商売は不景感がモロに伝わってくる。 実感は、「大津波が静かに荒れている!」というところか。 
狼少年ではないが、狼がいても今さら騒いでも仕方がないと、鍵をかけて家の中でジッとしている、という喩えか。
民主党、これで本当に大丈夫なのか? 革命ごっこはいいけど、社会と経済が壊れてしまえば、もともこうもない。
  * 「津波と高波と高潮の違い」とは
「高波、大波」は、一般的な波で大きな波。「高潮」は、台風などで水面が盛り上がる現象。気圧がさがる事によって、
水が上に持ち上がる現象をいう。 カトリーナの被害はこれである。「津波」は、地震などによる海底の振動や隆起によって
水が持ち上げられて起こる。持ち上がった水が周りに広がっていく現象。震源地の周囲が一様に一時的に水面が上昇、海岸線の海面が
一気に上昇して、津などの内陸まで水が押し寄せる。チリ地震のように地球の裏側まで到達することもある。
「津波」と「高潮」は「水面が上昇する」という現象において同じ。海底の隆起によって起こった水の盛り上がりは、当然元の水位に
戻ろうとするので、津波による水位変化は一時的。高潮は、気圧が上昇するまで続く。津波は地震だけでなく土砂崩れで湾が一気に
埋まってしまったりする場合にも起こる。「津波」が英語で「TSUNAMI」なのは、ハワイの日系人が「津波だ」と言ったことが語源とされている。
潮が一気に引いたのを見て、日系人が経験則から「津波がくる!」と避難を促したことが切っ掛けである。
チリ地震をきっかけに、数年前に起こったインド洋の津波の映像を幾つかiTuneでみた。
現在、100年に一度の恐慌という大津波が世界を襲っていることと重ねると、とんでもない事態がわかる。
まず日本に、そして欧州に、そして、中国に連鎖していくのだろうが。
・・・・・・・・・
2888, 天地人と先祖
2009年03月02日(月)
 現在、「天地人」を日曜日の20時の連続ドラマで放送している。NHKの、このゴールデンタイムのドラマは
20年来見なかったが去年から観始めた。今年は地元越後の上杉家・家老の直江兼継が主人公で、先祖の縁があるので面白い。 
 堀井の家系は小父谷市近郊の片貝に、30代近く続いた総本家がある。4代前の祖先が江戸末期に長岡に出てきたと
子供の頃から聞いていた。その堀井家の総本家に父が亡くなる数年前に訪ねていったという。ご先祖様は上杉謙信が亡くなった後の
起きた御家騒動【御館の乱】で負けた影虎の家来で、その火中に小父谷郊外の片貝の池津の村に落ちてきたという。
  (字数制限のためカット2011年3月2日)
・・・・・・・・・
2524, 酒は涙か溜息か 
2008年03月02日(日)
「酒は憂さ晴らしに逆効果 」ー東大がラットで実験ー という記事が先日の地元紙に載っていた。
 ーまずは、その内容をー
憂さ晴らしに酒を飲んでもむしろ逆効果? 嫌なことを思い出した直後にアルコールを摂取すると、かえってその記憶が
強められることを松木則夫東京大教授(薬理学)らがラットの実験で見つけ、28日までに米専門誌の電子版に発表した。
人の場合なら、嫌なことを忘れようと酒を飲んで一時的に楽しくなっても、翌日には楽しいことを忘れ、嫌な記憶が
強く残ることを示しているという。松木教授は「酒を飲まずに、嫌な記憶に楽しい記憶を上書きしてしまうのが良いのでは」と
“しらふの気分転換”を勧めている。実験で、かごに入れたラットに電気ショックを与え、恐怖を学習させると、かごに
入れただけで身をすくめて固まるようになる。チームはいったん固まった直後のラットに飲酒相当のアルコールを注射した。
 その結果、注射しないラットと比べると、かごの中で固まり続ける時間が長くなった。
その効果は2週間続き、記憶が強くなったと判断されたという。(共同通信社)
▼ 以上だが、20年以上前になるが、ある取引先の営業の人に 「私は、不味い酒は飲まないことにしている。
自棄酒とか、気分を紛らわせる酒は、ますます気分も体調も悪くする。楽しい酒を選んで飲めば気分は更に良くなるが、
その逆を金を出してすると逆効果になる。」と言われた。そして、その日以来、忠実に守ってきた。
10年ほど前に、高校の同級生に「おい堀井、御前な?自室でな酒を飲んで、二日酔いをした経験をしたことがあるか?」
と言われ、そういう経験の記憶は殆どない。色々の挫折の末に独りで部屋に篭って飲みざるをえない酒の味を
言いたかったのだろう。そいうば私の好きな歌に古賀政男の「悲しい酒」がある。
1 酒は涙か 溜息か  心のうさの 捨てどころ   2 遠いえにしの かの人に  夜毎の夢の 切なさに
3 酒は涙か 溜息か  かなしい恋の 捨てどころ  4 忘れた筈の かの人に  のこる心を なんとしょう
 「かの人」を、「かの憂さ」、「恋」を「傷」と置き換えると、中小企業のオヤジや、サラリーマンの赤提の憂さ晴らしと
 同じになるか! これを歌っていると何とも面白く楽しくなるのは如何いうこと?  飲まなきゃ、やってられないことは
 よーく解るが!「しらふの気分転換」じゃ晴れないから飲むんじゃないか!ったく!! ってのが、おちか!
・・・・・・・・・
2007年03月02日(金)
 2159, 閑話小題  (o_△_)oゴロン (o_ _)o.。o○グー オハヨ?
* 都知事選が面白くなった!*
 ・都知事選に前宮城県知事の浅野氏が立候補の意向を表明した。これで見ている分には面白くなってきた。
  石原知事は批判があるにしても、名知事である。少し変節したが許容範囲である。しかし浅野に代わるのも
  タイミング的に良いのかもしれない。二期で充分と言えなくもない。これで三月・四月の面白いイベントが一つ加わった!
  石原都知事も浅野氏が出てくるとは思ってなかっただろう。 一番手ごわい相手である。 浅野の方が勝ちそうな気がするが、
  実績からみて五分五分だろう。 首都圏の為にどちらが有効なのだろう?まあ、楽しみが一つ増えた! 
   浅野氏勝ったらゼネコンは一大事だろう。談合が更に厳しくなるからだ。
* 中国発、世界同時株安*
  この言葉は何処かで聞いたことがある。同じような題名の本の題名が数年前から本屋の平台に積んであった。
  今回の下げは地震に例えるならば、前振れの余震だろう。それが数度つづいた後に、本格的な大地震がくる。
  現在の世界経済は、一度清算をしなければならないところにきている。  以前は、世界大戦というカタチで清算してきたが、
  それができなくなってきた。今は株や債権の暴落から大恐慌が発生、それがキッカケで破壊がおこなわれる。
* 新潟駅周辺が変わり始めてきた*
  日本海側初の政令都市へ移行にともない、新潟駅周辺も変化を始めてきた。今日明日中に新幹線改札口近くの専門店街大改装と、
  その至近距離にあるやはり大型ビルの地下と1Fに大型書店など合計1万平米が開店。駅から6分ほどにある万代シティーの
  SCのダイエー跡も今日、開店。合計一万数千坪の商業施設が新たにオープンするのだから、雰囲気は一変するだろう。
  今までが、郊外のSCに押されて、駅周辺が寂れる一方だったが、これで駅再開発工事も始まりやっと明るさが見えてきた!
 ・・・・・・                                  (o ・д・)ツ  バイ!   
2006年03月02日(木)
1794, 超アメリカ整理日記 ー1       (o´・ェ・`o)♪ぉはょぅ  ー読書日記
 ー スタンフォードから日米をみると・・ ー
野口悠紀雄氏がスタンフォード大学客員教授時代に週刊ダイヤモンド誌の2004年5月1・8日合併号?2005年4月16日に
連載したものをまとめたもの。米国生活からみる日本の政治経済システムの貧困を説いている。
政治経済学者の視点で、米国と日本のシステムの差異の分析が解りやすい。現在の日本の国際競争力の低下、高コスト構造、
年金制度、など、社会システムの非合理性を指摘している。イケア、マイクロソフト、トヨタ、米国デトロイトの盛衰なども登場。
経営、経済、経済システムや、荒涼とした大地に、都市と生活とクルマ社会のアメリカのシステム。それに対する、日本という
国土の狭い国の諸処にシステムとの比較、それによって、浮かび上がってくるシステムの矛盾の指摘がわかりやすい。
 ー印象に残ったところを幾つかあげてみるー
p.43 「能力に応じた役割分担」こそ、アメリカ社会の能率を支える基本的なメカニズムなのだ。
p.190 日本で所得を得て海外で生活すればよい
   →日本の高い物価を回避する手段。年金生活者にとっては、不可能ではない。
   ただし現地のコミュニティに溶け込むことが重要。
(字数制限のためカット2012年3月2日)


4734, 心を上手に誘導する方! ー3

2014年03月01日(土)

              「心を上手に透視する方法 」トルステン・ハーフェナー (著)
   *「凄くプライベートのことを質問してよいですか?」
 この本にあった、人の心を惹きつける一言「凄くプライベートのことを質問してよいですか?」である。 
同じ質問でも、この一言を置くと、質問された相手も、周囲もエッと注目をする。たったこれだけで、である。
「あなたの趣味は何?」というより、「凄くプライベートな質問だけど、あなたの趣味は何ですか?」と聞かれれば、
エッと思ってしまう強烈な添え言葉が、これ。「凄くプライベートのことだけど、(間をおいて)昨日、偶然入った
ラーメン店が大当たりで・・」というと、ありきたりな話でも、凄くプライベートの話を聞いてしまった気持ちにさせる。
「凄くプライベートの質問だけど、どうして、そんなに綺麗なの?」と、今度、誰かに言ってみようか? 冗談だが。
 ところで「凄くプライベートのことだけど、私、堀井さんのファンなの」と、言われたことがある。当人にフィアンセが
いたので、気楽に言ったのだろうが。その時は何とも思わなかったが、40年以上の年月が経った現在、この一言が、
これを書いていて、遠い記憶の底から湧き上がってきた。当時、失意のドン底の時だから、少し光っていたのだろう。
今度は、その引き継ぎで、若い女性にでも言ってやりたいが、若い時分に若い人に言われたから良いのであって、
この年齢だと誤解されかねない? スポーツジムか、趣味の会で、誰かが突然、「凄くプライベート・・」と前置きして、
「貴方の趣味は何ですか?」と聞いてきたら、〈よくぞ聞いてくれた(内語)〉と、勿体なぶった上に、喜んで話すはず。
まず秘境ツアー、ブログ、週一のシネマ通い、そしてポタリングに、酒の失敗談にと材料は幾らでもある・・ 
 とすると、ブログで毎日書いているのが実は、これ。だから見る方からしたら面白いのだろうが、結局は自慢話?
それを知っているから、書く方も、偽善より露悪、いや偽悪の内容になっていく。でも、それが自分の心の傷を癒やす?
 ところで、凄くプライベートのことを質問してもよいですか?
・「あなたは、何ものですか?」
・「何で、ここにいるのですか?」
・「いま現在、充実してますか?」
・「自分の人生、肯定できますか?」
・「今の答えは、本当ですか?」     これを何度か、考えてみると、底の浅い自分の心が透視できる!
・・・・・・・
2003年03月02日(日)
 697, ルーツー2(縦人脈)
  ーその資料によると
 先祖を遡ると「平家の侍」であったが「源平の戦」で負けて、落人となって富山から上越と逃れてきた。
そして「上杉家の家来」になった。上杉謙信の時代に、上越の高田の先にある新井市の郊外にある「鮫ヶ尾城」
という出城の城主であった。謙信の死後、跡目相続の争いの「お館の乱」に巻き込まれて、小千谷の郊外の
片貝の近くの「池津」の村に知人を頼って逃れてきたという。その時の先祖の名前が「堀井宗親」と「堀井四四太郎」という。
一緒に逃げてきた名前が馬場、小黒、大矢とか。その後、そこで百姓をしていたようだ。ルーツというほどのものではないが、
平家・上杉という流れと、関西ー富山ー新井ー小千谷ー長岡の流れがある。また、武士ー百姓ー商人という流れも時代によって
変わってきている。金沢にいた時(25歳)によくいった店が落人焼きの「平家」であった事を思い出した。
また第二新館の鉄骨が富山の「堀井鉄工所」であった。その検査に富山に行った時に会った社長は正しく「堀井ヅラ」。
その時入った食堂の電話帳で堀井の名を調べてみたら、三桁に近い堀井の姓があった。上越市も新井も小千谷も本当に多いのだ。
長岡は10あるかないかで、新潟市では数人だけ。20年近く前に家内と子供と、ドライブがてら鮫ヶ城に行ってきた事を思い出した。
車を止めて独りで歩いて城跡に行ったが、そこに立った時に何ともいえない気持ちになった。何か昔の記憶が沸き立ってくるような
フワ?という感覚で、何かオーラに包まれたような気分である。この気分は柏崎の「極楽寺」に行った時に同じ気分になった事があった。
そこで亡くなったある僧の墓を訪ねた時だった。人間の脳には全く知られてない領域を感じた瞬間であった。家のルーツ探しから
500年ー1000年スパンの鳥瞰ができたのが最大の収穫だ。それと「自分とは何か?」を考える一つのヒントになったことだ。
・・・・・・・・・
2002年03月02日(土)
347,心の陰
人を指さしたとき、他の指は全て自分のほうを向いている。人を非難するのは、結局自分の影を非難しているに過ぎないことを、
いっているのだ。「他者認識は不可知」という論がある。ー他人のそれを認識はできない、認識したらもう他者のそれでなく
自分のそれを認識しているに過ぎないー
これが理解できるかどうかで、「人生に背負っている人間関係の重荷」が半分か三分の一に軽減する。
特に「嫌いな人間」に対しては「自己の嫌いな部分」をみているにすぎないからである。
自己脱皮のできない「子狐」どもを嫌っているのは、今でも脱皮できなかった自分の部分を見ている。
自分もその「子狐」で、少し程度がいいだけだからだ。
私の嫌いな「教養のないオバサン」結局教養のない現実志向も、自分のある一面であるからだ
・・・・・・
3993, 閑話小題 
2012年03月01日(木)
   * ペットのインコ
 雀ぐらいの大きさのルリハインコのピーが我が家に来て一年あまりになる。 前のインコの存在感が大きくケタタマシかったので、
今度は小さな大人しいインコにした。 とにかく可愛い。少し攻撃的だが人懐こく、常に鳴き声で呼びかけてくる。そこでガラス越しの
ベランダに目をやると、止り木でデスプレイの連続回転を続けて7〜10回はする。とにかくかまって欲しいようだ。前のインコを
風邪で死なせたこともあり、この越冬は注意しているが何とか越えそうだ。 ペットも家族に同化してくると心があるのが分かる。
カゴを置いているベランダにはサッシの囲いがあり外気とは一応遮断されているが、それでも殆ど寒さは変わらない。
障子を開け姿がみえている時は大人しいが、閉めると騒ぎ出す。二日か三日に一度はヒステリックが起き、狂ったようにカゴの中で
飛び回る。本来なら餌を求めて森を飛び回っているのが、小さな空間に押し込まれ、飽食なら、さもありなん。
   * 「貯蓄ない」世帯、過去最高の28・6%
 ネットのニュースに、次のような記事があった。
【 金融広報中央委員会が22日発表した2011年の「家計の金融行動に関する世論調査」によると、2人以上の世帯で「貯蓄がない」
 と答えた世帯の割合が28・6%に上り、調査を始めた1963年以来、過去最高となった。 貯蓄の平均値は1150万円で、
 前年より19万円減った。 人々の実感に近い中央値(答えた世帯の中間の値)は前年より80万円少ない420万円だった。 
 貯蓄残高が1年前に比べて「減った」世帯は40・5%で、「増えた」世帯(21・3%)の2倍近くになった。
 減った理由は「収入が減ったので取り崩した」が43・3%で最も多く、景気減速が家計に大きな影響を与えている。
 調査は11年10〜11月に全国8000世帯を対象に訪問と郵送で行い、回収率は47・5% 】
  ▼ 家電などの一般ローンと住宅ローンの残債もあるので、実際の家計は苦しいはず。平均値と中央値の大きい乖離は、
   老齢化した金持ちに預金が偏っているため。 世代間格差も、今後ますます広がる傾向にある。失なわれた20年で、
   急速に家計が苦しくなった実感がヒシヒシと伝わってくる。二人以上の世帯で貯蓄ゼロが三割、中央値が400万は厳しい。
   持家があっても、資産価値が暴落ときたら、家計をしめるのは自然の理。それに地震列島が大きく歪んで動き出したときたら・・
・・・・・・・
3627, 「生きがい」について
2011年03月01日(火)
「生きがい」という言葉を最近、以前ほど聞くことが無くなったが、私の学生時代は「生きがい論」ばやりであった。
「この子は、私の生きがいなの」と母親が子供に対していうケースとか、趣味に没頭している時などに対していう。
「現在している仕事に生きがいを感じない」と聞くこともある。この不況の中では生きがいより、食べていく方が優先される。
 やはり生きがい論は経済成長の時代にあっている。 「生(活)きている、かい!」ということ。
*この子が生きがい、という時は、この子の幸せのため骨身を削って働いている時にいう。自分の子供、家族に献身している幸せである。
*夢や希望に向かって没我をしている時にも「生きがい」という言葉が出てくる。両者とも未来に向っている時の充実感がある時である。 
 また、そこに価値=意味を感じ取ることが出来る時に「生きていて良かった」「生きている価値がある」と思うのである。 
ところで、「生きがい」という言葉は、日本だけの特有の言葉という。 哲学は人生の意味、価値は論じるが、それを主体的に感じとる
「生きがい」は、日本人特有のもの。 ネット辞書には、「生きるに値するもの。 生きていくはりあいや喜び」とある。
「生きるに値するもの」とは、対象の中に見出すことだから、まず自分の価値を見定めていなければならない。
そのためには時間をかけエネルギーを注いで、多くの困難を乗り越え満足出来た結果、心の底から「生きがい」が生じる。
従って、若い人が「生きがいを見出せない」というのは、当然のことで、それほど薄っぺらなものではない。
しかし若いうちから「生きがい」に足る目標、対象を探すことは必要。 基準は好きになれるかどうかである。
 何ごとも無我夢中になれる対象に向かっていけば、それが生きがいになる。
 ・・・・・・・・
3262, 久々のジョーク −8
 2010年03月01日(月)
* レストランで財布を落とした男「千ポンド入りの財布を落とした。
  見つけた人に百ポンドはらうぞ!」というと、奥のほうから「俺は二百ポンド払う!」
* 教会での結婚式に参列していた小さな男の子が小さな声で母親に訪ねた。「ママ。あの女の人ドレスはどうして白いの?」
 「白いウェディングドレスは,幸福の色なのよ。人生で一番幸せな日に着るのよ」
 「フーン」男の子はしばらく考えて,また聞いた。「じゃ、ママ。なんで隣の男の人は黒い服を着てるの?」
*「ママ、新婚旅行って何?」「結婚したばかりの男の人と女の人が一緒に旅行することよ」「ふうん、ママもパパと行ったの?」
 「行ったわよ、とても楽しかったわ」「その時ボクも一緒に行ったの?」「もちろん行きましたとも。
 「行きはパパと一緒に、帰りはママと一緒にね」
* A子が久しぶりに車を運転していた。 その時、母親が心配そうな声で彼女の携帯に電話を掛けてきた。
 「もしもし、A子?母さんよ。今どこ?」 「東名高速に入ったところ」 「東名高速!?気をつけて!
  今ニュースで言ってたんだけど、そこを逆走してる狂った女がいるんですって。あなた見なかった?」
 「見た見た!でも一台じゃないわよ」 「え?」 「さっきから何百台も逆走してるわ」
*「どうしたんだ?そんな暗い顔をして」 「ああ…。実は俺、もうすぐ父親になるんだ…」
 「本当か! おめでとう! でもなんで喜ばないんだよ?」 「妻にまだ話してないんだ…」
* 週刊誌の人生相談のコーナーに、男性読者から次のような手紙が送られてきた。
 「ボクは20歳の独身男性です。六ヶ月前から、誰が見ても魅力いっぱいの女性と同棲しています。
 彼女は美しくて、利口で、愛想がよく、かわいらしくて……。僕たちはお互いに声を張り上げたことなど
 一度もありませんし、口げんかで二人を包み込む青空にかげりがさすなどといったこともありませんし、
 そこでお伺いします。僕は彼女と結婚するべきでしょうか?」 回答者はただ一行、こう返信した。
       「そんな素晴らしい関係を台無しにするのは、おやめなさい」
ー字数の関係でカット(2012年0301)
・・・・・・・・・
887,日本は輸出立国か?
2009年03月01日(日)
野口悠紀雄は、その著書で、
「アメリカの金融立国に対応して、日本も円安に誘導して資金をアメリカに供給し、かつ円安メリットを最大限利用し輸出立国を
つくりあげた。 金融恐慌は日本も同罪である」と断じている。しかし統計の数値からみて、果たして日本が輸出立国かという
素朴な疑問が生じるのも事実である。 他国のGDPの輸出比率をみてみると、意外なデーターがある。
・中国 37パーセント ・韓国 37パーセント ・ロシア 30パーセント
・欧州平均 50パーセントの数字。(中は大きなばらつきがあるが)
・原油輸出国のクエート 56パーセント。 他の産油国では90以上だろう。
 対して日本は 15パーセント なのである。間違いだろと思ってしまう数字である。
 これからみると、日本は輸出立国と果たしていえるのだろうか。しかし輸入も13〜4パーセントがあるので輸出は必要である。
ー字数の関係でカット(2012年0301)
・・・・・・・・・・
2008年03月01日(土)
 2523, 賢人の知恵 ?2
 面白そうなところを幾つか選んで、考えてみる!人間や、それを構成している社会などは数百年経っても、
 簡単に変わるものではない! 人間は全て、飯くって、?!して、寝て、死ぬのだからだ。    
    ーー
“知恵を備えていることが最大の幸運であり、それがないことが最大の不運だ”
  ー解ー 知恵は知識が醸成され出てくるもの、そうでないのは浅知恵でしかない。
“言葉は飼いならされてない野獣と同じ、一度解き放つと戻ってこない。”
  ー解ー 全く、これでどれだけ無駄をしてしまったか!
“第三者の悪口を言うのは、下手な駆け引きでしかない。”
“運のいい人を見分け、ついていない人からは逃げるに限る。”
“大事なのは知識より知人である。”
“落ちぶれた人とはかかわりを持たないほうがいい。”
“友人に貸しがあるなら、つまらないことで返してもらわないこと”
“うそをついてはいけないが、すべてを明らかにする必要もない。 ” うそも方便だが、その方便がつけないから・・・?
“敬愛される立派な人と行動を共にしていれば、その威光のおかげで、こちらまで輝いて見える”と言う反面次の次のページで、
“「自分より光っている人は、・・相手の方が常に注目や栄光を集め、こちらはそのおこぼれにありつくだけだ。
 ・・自分より優れた人とではなく、平凡な人と肩を並べて歩くこと”
“平凡な人と付き合おう。自分より優れた人と一緒にいると自分が目立たないから。”など、矛盾もしている。
“みんなが王になれなくても、一人ひとりが王にふさわしい行動を目指すことが可能だ”
  ー解ーこれが少し分かりかけたのが、ごく最近になってからだ。神と言い換えてもよい。
“自分という作品を完成させようではないか”
  ー解ー この人は、牢につながれたのが完成か?でも、この方が素晴らしい!
”賢人は、何ごとも偶然はないことを知っている。ただし運命に身を任せるより、自ら運命を切り開いていく人になろう。
 よく考えればチャンスに敏感でいること以外に成功の道がないことがわかるはずである。”
  ー解ー 何がチャンスか、それを常に問いかけていないと敏感になれない。
“持てる資源を一度に使い切らないこと。今の境遇を保ちたいなら、後方に備え・蓄えを用意しておこう。
 失敗の恐れがあっても、利用できる援軍があれば力は倍になる。後方部隊は、前線より重要といえるだろう。
 彼らは信頼と不屈の精神で成り立っているからだ。常に大事をとることを考えよう。
 ー解)当時の彼に孫子を知るはずもないが、孫子の兵法と同じことを所々で述べている。
“人には七年ごとに転機があるという。これを精神向上のためのしよう。
 最初の七年は知性の誕生で、その後七年ごとに新しい美徳が輝いてあらわれるのだ。
 この間に起こる変化を意識して、うまく手助けしよう。 変化は新しい地位や仕事などの形で
 ごく普通にあらわれるかもしれないが、かなり大きくなるまで気がつかないときもある。
 人は、二十で孔雀のように気どって歩き、三十で獅子のように吠える。
 四十で酪駝のように節制家となり、五十で蛇のような陰険さを身につける。
 六十はくだらない犬、七十はする賢い猿、そして八十は……、何も言うまい。”
 ー解)ーくだらない犬のとしになったか? それにしても辛辣である!
・・・・・・・・・
2007年03月01日(木)
2158, 幸福に驚く力 ー4          (~Q~;)  おはよう?? キョウハ スゴク サム? 
ーまずは、要点の抜粋から
  *日常の幸福に驚く力*
 何かを買ってもらった喜びと、何処かに連れて行ってもらった喜びを除いた子供時代の一番幸福な思い出は
何だろうかと考えると、チョッとしたことの中に喜んだことを多く発見することができる。
つまり日常にあるそういう幸せをしっかり受け取る力が子どもにはあるのです。しかし、それを放っておくと、
イベントや買い物の方にいってしまう。そういうものに邪魔をされて見えなくなってしまう。
そして「凡庸で退屈なことは悪だ」という情報社会の空気の中で自分たちの日常なんてつまらないものと思い込まされていく。
ー字数の関係でカット(2012年0301)
  *凡庸や退屈が悪と思わせられる社会*
 ー字数の関係でカット(2009年0301)

 < 過去  INDEX  未来 >


horii86 [HOMEPAGE]