堀井On-Line



453,世界で一番に貴方の味方

2002年06月30日(日)


「大都会の超高級クラブの裏側」というドキュメントがあった。
-お水の青春ー女心の裏表ーが副題であった。
印象順に順不同で書いてみると
・大都会のクラブの「ママとナンバーワンホステスとタイとフィリピンの
 混血のホステスの3人」の内側レポート。
・会員制でお客の情報がパソコンで完璧に把握されている。
 その相手のホステスも決まっており、 気配りを徹底的にしてある。
・指名ナンバーワンーベストスリーを発表、お互い競わせる。
・ナンバー1の女性が店が終わった後、必ずその夜のうちにその日のことを
 ノートにきめ細かく書き込むー書く事でいろいろな気づきとか、
 話題を記憶にとどめる。
 その人の話題書き留めるーそのうち重要な事を情報はパソコンに打ち込む。
 ポイントはその日のうちにやることだという。
・メールと電話をする。
 食事に誘う。事前の準備をきめ細かくしておく。
・銀座などの高級クラブのシステムは世界で日本しかないシステムである。
・男は夜の世界でー嘘と誠の世界を楽しむ
 ホステスは自分総てをかけて男女の際どいゲームを楽しむ

ホステス教育で其処のママが言っていた、
「自分のお客に、世界で一番に貴方の味方と自分を認識して下さい」
「一番大事なことは人格であるーそれを磨く事」
なるほどと思った、そういう店が有ったら行ってみたいものと思った。
一晩10万以上も払ってけして高いと思わせない何かがあるから行くのだろう。その一片を見たようだった。

以前にも書いたが、
銀座ホステスの対談を読んで驚いたことがあった、15年ほど前か。
要旨はー店に出る前に準備を完璧にまで終えている。
孫子の兵法そのものを実行しているだけだ。

あと男は威張りたい動物だそうだ。


452,「まあだだよ」

2002年06月29日(土)



昨夜TVで見た黒澤明作品である、これで見るのが3回目だ。
見れば見るほどその味わいが深くなる。

内田百聞とその門下生だった男達の心あたたまる物語である。
その内容は省くが、見るたびに新しい味わいを感じる
百聞の記念式典で花の贈り物を持ってきた生徒の孫に、
思わず説教をする。もちろん小学生低学年でその意味が解るはずがない。

その内容は普段私が本当に実感している事である。
「自分の好きな事を見つけなさい。そして周囲に惑わされる事なくやりなさい!
自分の持っている範囲で最大限やりなさい!」
私の見る範囲では90㌫以上の人がそれができなかった人だ。

黒澤作品で目立たない作品ほど味がある。
「夢」という作品もあまり評価は高くなかったが、私の気に入っている作品だ。
黒澤明の隠れテーマは「人間」である事に昨夜見ていて初めて気づいた。

昨夜の百聞の映画の最後の夢がよい、
「子供の時の田舎の田圃でのカクレンボで、
ーもういいかいー まあだだよーという思い出の夢」の内容である。

ー黒澤はやはり世界的映画監督である。


451,星野富弘ー詩画展

2002年06月28日(金)



先日、新潟近郊の豊栄の公会堂で彼の詩画展に行ってきた。
数百人が来ていて,何ともいえない熱気に包まれていた。

ー彼の概略は
・私と同じ年の1946年生まれ。
 24歳のとき教師をしていたクラブ活動で、首の骨を骨折して手足の自由を失う。
・入院の2年目より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
・9年後の退院の年に前橋で絵画展を開く。
・その後国内やアメリカ各地で花の詩画展を開く。
・1991年に生地の群馬県勢多郡東村で村立富弘美術館を開く。
   毎年40万人が訪れるという。

彼のことを知ったのは十数年前の「到知」という雑誌である。
対談だったと思うが、その中で「傷口よりあなたの優しさが沁みこむ」
という文が忘れられない。

早速詩画集を買って絵を繰り返し見た。
口で、これだけの絵を書くエネルギーに別世界を感じ取った。

今回の豊栄の「花の詩画展」で彼の絵を同じ目線で直接見て、
自分が彼そのものになって、自分の絵を見ているような気持ちになってしまった。

何か悲しい、しかし底から突き上げてくるような暖かさを感じとった。
更に動けない自分と花が一体化したような。
花も星野という一つの生き物が自分と一体になっていることを喜んでいる感覚。

見方によっては、反対に不自然な絵でもある。

これまで一人の人間に見つめられた花が過去にあっただろうか?
愛情と言葉とエネルギーに包まれ一体化して、絵として表現されたことが。
絵の世界ではあったのか知れないが。

決して幸せでない、動けない自分に対する苛立ち、諦め,怒り、そして
愛がそのまま絵と文を通して迫ってきた。
地方の女性が一生、因縁に縛られ他の世界を知ることなく終えようとしている。
そういう人にとって、その絵と文は今はやりの癒しとなるのだろう。


450,吉村作治-宗教・教えー3

2002年06月27日(木)

・スフィンクスはピラミッドの守りの動物といわれているが、 
 実際は「夕陽の神様」で岩を掘りぬいた岩細工である。
・ルクソール神殿は神様の家-ルクソールのオべリクスは肉を刺す串を意味しており、
 二本で一対をなしている。一本はフランスのコンコルド広場にある。
・ピラミッドは現地では「メル」といっていた。
 ギリシャ人が2300年前に多くの人が観光に来ていた時に、パンに似ていることから
 ピラミス(パン)といったのが語源。
・エジプトは予算制度をとっていた。
・彼等の宗教は自然崇拝で多神教であった。
 自然に逆らわない。
 自然循環ー輪廻の考え方の元。
 自分が自分に責任を持つためには自分が循環しなくては。
・魂というカタチのないもの矛盾をどう調節するか、
 矛盾はあってよい、それをどう調節するかがポイント。
 ギリシャ哲学の元となるものが、その2000年前に考え出していた。
・エジプトの42のやってはいけない事の決まりがあった。
 ユダヤ教のモーゼの10戒のうち7つがこの42の中にあった。
 それを神の教えとしてモーゼが創作した。
  ー私の感想ー
 考えてみれば宗教はこんなもの。
 モーゼも十戒も事実を知ればこんなこと。
 旧約聖書も新約聖書もこんなものでしかない。
 しかし真実という面では、それでよいのでは。
ー統一した真実を規定するという面で。

ー時間に対して
 時間の概念もエジプト人がつくった「ある絶対という仮説」である。
 エジプトは10進法であるが、時間に関しては12進法である。
 これは今の世界の趨勢であり、当時のエジプト人がその基礎を創っていた。
 ー夜が12、昼が12。夜は星の位置で決め、昼は太陽で決めた。
 しかし昼の太陽の位置は時期により変わる。
 天文学もそこより・・・・・・

 絶対は元々ないー人間が創ったものだ。
 それを信じるということは、おかしい上に恐ろしいことだ。
 しかし便利なものだ。

以上が今回の講演の内容だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・

以前書いた文をコピーしておく

 ー H0805-エジプト感激の旅  

・まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのがカルナック神殿であった。
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、
現地のまだ若い日本人女性ガイドの熱心な説明も手伝って,
古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセスⅡ世などの王や神の像の数々、
今まで何度か海外旅行をしていながら、何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?
と考えてしまったほどだ。

・次に行った“王家の谷”。
 ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々掘られている集団墓地だ。ここで、
 英国の考古学者カーターの執念でつきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
 また夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と,
 そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
 その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つ,
 メムノンの二体の巨像の神秘的な光景も印象的であった。

・その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセスⅡ等の巨大な立像も,
 実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。

・またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”
 という小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、
 一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。

・旅の後半になってカイロに入ったが、ナポレオンが言ったという
“四千年が諸君を見下ろしている!”というまさに異様なイスラム社会が,
 大きなカルチャーショックになった。
 丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
 異様さがさらに目立ち、日本人は西欧社会に感化去れているのが対比する事ができた。
 早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
 我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、それがイスラム教という。

・カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。
 考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、ゾクゾクと身ぶるいがした。
 今にも起きあがりそうなラムネスⅡをはじめとする数々のミイラも,
 数千年をこえて不死への激しい希求を魂にかたりかけてくるようであった。


449,吉村作治ーピラミッドは王様の墓ではない!ー2

2002年06月26日(水)

「歴史」ー岩波文庫
に書いてあるが、紀元前ギリシャのヘロドトスがピラミッドを見たときに、
近くにいた老いた神官が「これは何か?」の問いに「王の墓ではないか」
と答えたという。ただそれをヘロドトスが歴史書に書いただけで、
数千年それが信じられてきただけだという。

最近になってピラミッドを造った人達の街が見つかった。
墓や出勤簿が出てきたという。
それまでは奴隷が造ったと信じられてきた。
出勤簿には欠勤の理由が書き込まれていたという。
二日酔い、兄の結婚式等々。

発掘で事実がまったく変わってしまう。

日本では中ぐらいの川が3000本あるという。
エジプトはナイル川一本だけ。

しかしエジプトの農耕地は日本の面積分が今もあるという。

ピラミッドは公共事業という説がある。
それも無用の長物だから意味があるという。
収穫の50㌫が王様、25㌫が地主、25㌫が農民が取った。
する仕事がない時に王様が25㌫をその公共事業のために放出したという。

一回だけ200年かけて4,500年前に運河を作った、しかしそれが王様の利益と
判ると二度とそれをやらなくなった。
その後神殿造りに変わっていった。

今地球上で61億人中45億の人間が神がいると信じているという。
当時のエジプトで神について以下のように考えた
・一番良いのは、神などいる訳がないと理解した上でいた方がよいという考え
・二番目に良いのは、神が本当いると信じること
・三番目は神はいないと思うこと
・最低なのは神がいてもいなくてもどうでもよいと思うこと

{これが今回一番面白い内容であったー現代人とあまり変わってない}

日本は古い国と思っているのは日本が世界を知らないだけでしかない。
新しい国だ。AC3世紀にはもうエジプトは終わっていた。

エジプト中には83のピラミッドがあるという。
ほかに50はあるといわれているが、まだ発掘されてない。
王様にも最大5個のピラミッドを持つ者や、ゼロのものもいる。

今は3年に一個の割合で発見されている。
最終出るまでに後200年かかるといわれている。


448,吉村作治ー考古学について  -1

2002年06月25日(火)

昨日、彼の講演があったので聞いてきた。
エジプトなど遺跡が好きであった事と彼の本を読んでいたため、
一言一言が非常に興味をもてた。

講演内容を時系列にそのまま書いてみる

・考古学は人間学である 
 骨董屋とは違う
・掘ること自体が面白いー好きにやれと好きに掘らせておくと60日経つと
 虜になる
・自分だけの史料を見つけることができる
・歴史学は批判学であるー歴史上言い伝えられていることは真っ当な事はない
 非難とは違うーそれを検証する事である
・考古学はない史料を探すこと
 図書館の片隅の史料を探す事も発掘という
・一回の発掘のクルーはー60日*20人・現地人100~150人・
 2000万の費用ーが目安
 今までない史料探し、それを今までの史料と検証する

生き様ーこれは造語
死に様の対語としての造語

全部の人が死ぬ、「生まれ変わり」というのはギャグである。
エジプト人は生きるにあたっての大事なことを発明していた。
ーいろいろな概念をつくっていた
「あの世は何か」という概念をびしっと明確に決め文字に残していた。

・あの世とはこの世ではないーその前提としてこの世を知っている
 死を知るということは前提として生を知っていなくてはならない
・神の住んでいるところ
・西の空に太陽が沈んで、東の空から出てくる向こうをあの世と規定した
・あの世の風景が書いてあるがーこの世と同じ風景でしかない
 想像は人間のイメージの範囲しかできないのは当然だ
 火星人のイメージは人間と同じ頭があって、直立で・・・

  -続くー


447,内面処理の仕方ー心の自己処理

2002年06月24日(月)

昔から自我の強い性格「プライドの高い性格=コンプレックスの強い性格」
でいろいろ行き詰まりなどあった?。
それなりに乗り越えてきたのは、「最後は一人」ということが実感で
解っていることもある。

行き詰まりとかトラブルがあった時の気持ちの処し方で
・一番手っ取りはやいのは、辛らつにその内容を紙に書く。
 自分の気持ちも事象を、とことん書き連ねる。
・それでもどんどん出てくる気持ちの混乱、それをとことん書く。
・脳内に出てきた言葉を全部、書き出す。
 もう出てこなくなるまで書く。
・その内容を読み返す、そして更に書く。
 これを繰り返すと、幾らでも出てくる、それを書き尽くす。
・それをきっちりまとめて、最後は破って捨てる。
・そしてその全てを袋に入れて紐で縛りつけ、
 心の奥にしまっておくイメージを繰り返す。

その時は残るが、時間が経つと全く内面から消滅する。
「割り切」を合理的にしていることになる。
それを中途半端にすると後に残ってしまう。

あとは時間が全て洗い流してくれる事を信じる。
その時間の見積もりをする、これは一年、三ヶ月と、最近は誤差がない。
一番辛いという、連れ添いの死も三年という。

般若心教を暗記してあるのも良い。
全ては宇宙の出来事の些細な出来事でしかないことが自己確認できる。
般若心教は憶えておいた方がよい、心の保険としても。


446,喧嘩のコツ

2002年06月23日(日)



・まずは先手必勝、なんでもそうだが
 - 王手・飛車より、先手が怖い
・相打ちを狙う。 ー但し、相手よりより力を込め、弱点を狙う
 自分が傷つくことを恐れて腰が引ける、やるなら相打ち
・逃げ道をつくっておくー 引き際を見つける
 相手の逃げ道もつくるー窮鼠猫を噛む
・短期決戦ーこれも鉄則
・大義をつくっておく
・時には捨て身でも
・長期に喧嘩か短期で戦法を変えるー見際めをする
  ー長期戦は江戸の敵を長崎で討つ方式
  こういう奴の在庫がいっぱいある、男社会は仕方ないが。
  その前に殆んど自滅していくが。

喧嘩はしない事だ、但し仕方ない時は全力ですべきだ。

事業は見方を変えれば喧嘩そのものだ。
事業は弱い相手を探して叩けばいいが。

子狐がけっこう喧嘩を売ってくる、
仲間内に自慢か話題つくりか箔付けの為に。
その場合けっこう面白がってやる。
生理的に楽しくかつラインが作れるからだ。

エネルギーのロスだが、長期戦にすぐ切り替える。
長期戦の相手は徹底的に蔑視する,内面から消滅するまで。
おかげで人間関係で悩むことは少ない、割り切れるからだ。


445,腰痛ー2

2002年06月22日(土)

この4~5日前よりの腰痛、山場を越したようだ。
数年に一度のひどい状態であった。
現金なもので酒が入ると痛みが激減、あったたまるためであろう。

今は痛みが一進一退の状態、今朝も少し痛みが残っていた。
一昨日より腰痛バンドを買っていたのを思い出して、つけてみる。
熱を腰の部分に持つ。更に通勤途中で腰痛向きのシップを買って張る。

なかなか利くので吃驚する。
今まではホッカイロ一筋であったが、他にもあるのに初めて気づく。
暖めるのがポイントのようだ。
いつも冬場と、この時期の湿気の多いときになる。

腰痛は猿から人間に進化する過程で、
-4つ足から、二足歩行に切り替わったときにー
腰にその過重がきている為に腰痛になるという。
人類の大きい課題だ。

母が腰痛持ちでそれが遺伝したようだ。
今みたいに自宅で座った状態でパソコンを打つのが一番悪い。

これは腰痛を検索したものだ。
http://www.h3.dion.ne.jp/~kumihimo/k/txt/t3-4.htm


444,面白い話ー本??

2002年06月21日(金)



 http://www.melonpan.net/tatsu/yatta/index.html
    「やった。」坂本達著

図書館の海外旅行のコーナーで面白い本を見つけた。
なかなか面白い。
子供服の「ミキハウス」に勤め数年、何処でもある話で自己逃避も含めて
「海外旅行に出たい」という気持ちが出る。辞表を書く段階で社長の耳に入る。

オーナー社長がそれを宣伝材料?とみて、有給休暇を条件に引きとめる。
そして夢のような4年3ヶ月の旅行記。
なかなか面白い内容であったー本もホームページも。

そして社長の思惑どうり?帰国後その体験をホームページに書き込み、
さらに講演を続けている。それなりに面白い内容である。
少なくとも自分でしたいができなかった事だ。

こういう社会もあるということで目を通してもいいのでは?
またこういうことがあっても、良いのではと思った。


http://www.nikon.co.jp/main/jpn/society/sakamoto/
http://www.melonpan.net/tatsu/
http://www.melonpan.net/tatsu/report/index.php


443, 見せ金ーブランド志向心理

2002年06月20日(木)



ヤクザが1万円札を財布にビッシリ入れ見せびらかす、見せ金である。
中学の同級会で久々に出てきた男がまったく同じ事をしていた。
普段金に困っているから、逆に故郷に帰ってきたときぐらい
金を持っている振りをしたくなるのがミエミエである。
可愛いものだが。

銀座で永くクラブのマネジャーをしていた人の「人の見分け方」の話。
「高価な服装、靴、時計で身を固めている人が一番危ない」ツケはできないという。
外見が金持ちに見える人は、成金とかバブルの成り上がりの人が多い。
実用本位の質素の服装をしている人が一番信用できるという。

何回か会社を潰した人が再び会社を興し、少しうまくいくとベンツに
髭に皮ジャンに高級クラブ、お決まりのコース。
そして数年後夜逃げ、身辺でいくらでもある。

すぐに逆上せ上ってしまう。
結局は事業はそれをしたかったための手段でしかなかったのだ。

それと同じ事が、スナックで見かけるやり手ブスの中年女。
ブランド品を上から下まで飾りつけ、香水の匂いを撒き散らす姿は喜劇。
コンプレックスの裸の王様そのもので、-心理は見せ金と一緒。
それに気がつかないから世の中面白いのだろう。
日本人のブランド好きは上記のやり手ブスの心理そのもの。

それが人間の全ての集約した姿だ、自分の見えない姿でもある。


442,皆がそう言っている-世間様のヘドロ言葉

2002年06月19日(水)


これほどいいかげんな言葉はない。
世間様の世界の「言葉の流通手段」である。
ある同?会の「子狐とチンドンヤの対話」が常にこれだ。

ある噂を聞きつけると、次にいう言葉[みんなが・・言っている」
子狐どもの自分を子狐たらしめている言葉である。

それを少し問い詰めると、子狐の小騙しがバレル、
その時「誰というわけでないが・・・、とにかく評判が悪いぞ、
皆がそういっている」と逃げる。
自己宣伝屋のチンドンヤと子狐の話を横で聞いていると、
唾を吐きかけたくなる、大の男が馬鹿丸出し!!

特に人生に迷いがでたり、自信をなくしている時「みんなが・・」
といわれると、その内容や意見や噂を鵜呑みにしてしまう。
特にぬれ落ち葉の集まりでは、子狐に掻き回されてしまう。

そのことにより、選択や進むべき方向を間違ってしまう。
後になって考えて「みんな・・・」
は何も実態がなかったことに気づいても遅い。

あちこちの社会を見てくると、それがすぐわかる。
いかに実態のない言葉ということが。
ヘドロ化した、移動性のない社会のへドロ言葉でしかないことを。


441,時間持ち

2002年06月18日(火)

「金持ちがあるなら、時間持ちという言葉もあってよい」
というのを本で読んだ事がある。

若いときから時間だけは多くあった。
時間のブルジョアといってよい。現在もそうである。
初めは持て余していたが、今は充分?に有効利用をしている?

現在も装置産業を選んでしまった為、時間だけはたっぷりある。
初めの数年は本当のところ、どうしてよいか戸惑った。
小人閑居して不善をなす」というところもあった、今もか。

経営セミナーに出るか本を読むか??しかなかった。 

お金と同じである。
人がお金を持て余さないのは、お金を自分のために使おうとしている為である。
「主体的」に使えるから、お金は幾らあっても持て余さない。
お金は自由の塊そのもの。

時間があるということは、自分で使える自由があるということだ。
時間を持て余すことは、その自由を使いこなせない事。

もう十数年も前の事になるが、ある長岡の不動産屋の社長が
毎日が日曜日のくらい暇な日程の私の姿を見ていて笑っていた。

3月のある日、年度替りで不動産屋が一番忙しい時だった。
奥さんと二人パニックに近い状態に。

その後二人で喫茶店に行った。
本人自慢げに「イヤー忙しいくってね~」
私「その仕事何パーセント、500円のパートのできる仕事?」
不動「99パーセント」
私「ふーん、あんたの時給はいくら?」
不動「一万円あたりかな!」
私「時給一万が、500円(当時)の仕事をして喜んでいるんだ」
 その後、本人はすぐ一切の雑務をしなくなった。

話しは外れたが、
時間もち(金持ち)とは、主体を持って使いこなしているかどうかだ。


440,自己不一致の人

2002年06月17日(月)


誰でも持っている要素である。
組織も対象の人とも合わない、突き詰めてみると自分と合わない人だ。

自分の事といってよい。
・今所属している組織か職業と自己一致しているかである。
・夫婦間の問題
・両親の仲が良かったか

中学時の問題児は両親の不一致である場合が多い。
不幸にしているのは本人にその意識がないことだ。
あと舅・姑の関係も絡んでくる。
家庭内が安定しているかどうかであるし、やはり家系も関係している。

夫婦間を見ていると、いろいろな問題がある。
それがそのまま子供に反映してくる。
あるいは自分に反映してくる。

その蓄積が自己不一致を深めていく。
そしてそれが対象に不満という形で向けられる、実際は自分の問題なのに。
誰もが多かれ少なかれ抱えている問題である。

大手会社が両親が離婚をしている人を入れたがらないのは、
多くの人の中で経験的にそれを知っているからである。
何事も例外はあるだろうが。

言葉を持ってしまった人間が無限の欲を持ってしまった。
アダムとイブが蛇に勧められて食べてしまったりんごである。
しかしそれは有限である。そこに不平が出てくる。
仏様はその欲の対処の仕方を教えた、それが仏教である。

ただ自己不一致も捉え方によっては必要なことがある。
理想主義による不一致、それを埋めるための視点であるからである。
あるいは経営にとって、計画の不一致のフィードバックとして必要な事だ。
前向きな建設的な自己不一致ならむしろエネルギーにもなる。
コンプレックスもそうなのかもしれない。


439,随想日記の不思議

2002年06月16日(日)



毎日書いていて不思議な気がする事がある。
気の置けない友人か家内に話す内容を、そのまま正直に書いている。
それが何か非常に気持ちが安定するのだ。

心の中の自分との対話を常に書き込んでいるのである。
悪趣味?といえば、そうかも知れないが、
見られていることを意識して書いている事で一応修正はしてある。
書いた翌日一番で書き直すことは度々だ。

書き続けていて不思議な感覚がどんどん深くなる。
色々の人の日記を見ていても、やはり「ソフィーの世界」
のような不思議な感覚を受ける事がある。
ある意味で開き直っている自分とコントロールしている自分がいる。

もっと面白いのは、過去の自分の文章である。
読み返した時に、空の上から自分を見ている自分の視点が何とも不思議である。
書き続けている事で、その日その時間の心のメルクマールになる。

過去に日記を書いておけばよかった。
反面忘れる事も大事である、書かなかった良さもある。
学生時代の卒業間じか半年分は書いたのがあるが、その時の心情が赤裸々に書いてある。
書くという事は排泄と感じることもあるし、昇華ということもある?
メルクマールでもあるし、呼吸でもあるし、発散でもある。

一度書けばコピーをして、その書き足しもできる。
思考の再深耕が容易になる。
ビルの上からの視線でその方向も見えてくる。


438, 因縁について  ー与三八さん

2002年06月15日(土)

私の仲人の名前である。
私が八郎ー兄が三郎。
兄は男で3番目、私が兄姉の8番目で八郎になった。
多くて最後の方は面倒だったのか、戦時戦後のドサクサで
じっくり考えている余裕がなかったのだろうか?
シンプルだ・

兄も私も嫁さんを与三八が紹介してくれた「仲人」である。
三八に与えるで与三八である。
そのことに気づいたのは、結婚して数年経ってからである。

本人に「自分の名を宿命と考えてか、ブラックジョークと考え意識して
紹介したのか」と聞いた。
本人はエヘヘと笑って答えをはぐらかした。
まあ面白いものだ。

話が変わるが
最近はあまり行かなくなったが7~8年までは、よく経営セミナーに行った。
会場の席とか食事等で隣席の人と話すと何処かで因縁がある事が多い。
またかと思うほど何処かで繋がっている。
確率から考えて異常に多い。何かがあるのでは?目に見えない??

あるセミナーで聞いたが、「集まりで同じ姓名の人が集まる確率が、
理屈ぬきで多い」という。また誕生日も月単位で同じ人が集まるという。

会社も斎藤だったら斎藤が集まるという。
以前プロ野球で国鉄で、
「田」のつく人が異常に多くて話題になったことがある。
金田投手のいた頃だ。

自分の名前は大事だ。
名前で無意識で縛られている事が多い。


437,地球に気が満ちている

2002年06月14日(金)


朝散歩をしていて、今までにない全身に気が満ちていて驚いた。
何故だろうか、そうだサッカーのせいだ。

一球に地球上の多くの人の気が集まっている、それを毎日見ている為だ。
ワールドカップはサッカーを通した国家間の戦争ともいえる。

オリンピックは多くの競技で行われるが、
サッカーはその時間帯では一試合か二試合である。

それも自国の試合だけでなく、他の国も微妙に関係してくる。
少しのミスが取り返しのきかない致命傷になったりする。
数億いや10億人以上が全神経を集中してみている。

庶民レベルでは、今地球上のイベントでは最大の催事といってよいだろう。
地元で行われることにより、私のようなあまり興味のない人間でも
俄かファンになってしまう。

その為か見ている自分にまでも、そのエネルギーが流れてくる。
地球上がこの期間、人の気で満ち溢れる。
これからは勝ち進んでいく国にそれが集中していくのだろう。

フランスが前回優勝した時のフランスの気は、満ち満ちていただろう。
これとオリンピックが隔年で行われるのだから、丁度よいバランスである。


436,凄い時代  ー光ファイバーの時代

2002年06月13日(木)


ADSLを自宅に入れようと思っていたところ、パソコンの
先生に9月まで待ったほうがよいと言われた。
光ファイバーが各家庭やオフィスに入るという。

会社の方の切り替えも考えて、早速NTTにきてもらって話を聞いた。
契約後、導入に3ヶ月位かかるが9月より新潟でも可能という。

そのパンフレットを見て驚いた、インターネットを通さずに
直接メールやチャットが映像でやり取り出来るようになる。
あるペットの好きな人が、映像でチャットで話している,
そこの席が空いていればそこに入り,お互いの顔を見ながら話ができる。
驚きである。

またホームページ内で映像も編集しておけば、いつでもそれをみる事ができる。
今まではスイスの写真を見る事ができたが、今度は映像をみる事ができる。
メールも映像を送れるしTV電話もできる。
ホームページも個人サテライトスタジオになってしまう。

3~4年前では考えられない現象がいまや現実になろうとしている。
携帯TV電話の時代に、これなど当たり前の事かもしれない。
インターネットとホームページに集中しているが、
それを超えた?時代の変化がきている。

光ファイバーの家庭への導入は3年先と考えていたのが、
あと数ヶ月と現実になってきている。
出張が減るのは間違いないだろう。
1000倍~2000倍の大量の情報量が安価になりTV会議や営業活動も
一般的になる。

面白い反面、ナンバーワンしか生存できない競争社会の到来だ。


435, 酒の話ー2      -酒飲みの作法ー

2002年06月12日(水)

女か酒か博打どれか一つは、癖の悪いものがあるものだ?
私の場合それが酒だ。

かなり危ないことが多くあった。
警察沙汰にならなかったっことが不思議なくらいだ。
それでも最近は2年に一度は??

酒で失敗したことで、かなり自分の人生で失ったことが多い。
しかし全然後悔していないのも、それだけ酒が好きということだろう。
更に失った以上に、失ったことで逆に得ていることのほうが多い??
子狐との喧嘩はむしろ??、いやしないほうがいいか?!

酒席はお茶の世界と同じで、一会一期で飲んでいる。
ボトルを入れる人の気持ちが解らない。
従って、非常に楽しい思い出が山ほどある。
ただ飲みすぎて身体を壊さないように、自己ルール化をしてある。
-30数年の痛飲からの知恵である

タブーとしてー自己規制
・一人酒 a 一人で気にった店を探して入るプロセスを楽しむ酒
     b なじみの店に一人通う酒-
・自宅での日本酒の晩酌  -これが一番危ない、蓄積される 。
             自宅で飲んで二日酔いしてる馬?がいる
        ーその代替として7~8年前より紹興酒に切り替えた
・誘い酒ー こちらから誘わない
・二日続けての酒席ー どうしても重なるが
・自棄酒ー面白くない時の憂さ晴らしの酒 -不快さがより深くなる
・子狐との同席ー最近これだけは十分気をつけているつもりだが・・
・人の噂、悪口を話題にしないー 子狐どもの子狐たらしめているもの
・女性と2人だけで飲むことー家内は除くーよった勢いで???
・23時を目途とする
このルールを憶えるまでに数千万の金と、あわや???のリスクを負った。
好きとは、こういうことだ。

実際の酒乱はこんなもんじゃないと聞く。
軽症と思っているが。   一応許容範囲か???
記憶が全く無くなるという、はじめは言い訳と思っていたが。
実際経験してみて、嘘でないことが解った。

「酒飲まずタバコを吸わず100まで生きた馬鹿がいる!」
というが、どうであろうか?


434,創業の勧め??

2002年06月11日(火)

過去に創業を何回か繰り返してきた。
好きで自分で望んだ事だから、そう苦ではなかった。

しかしそう甘くもなかった。
その時は、のるか反るかの大勝負を賭けている。
やはり脳は全開、見えない相手を考え尽くした上で一つづつ
判断していかなくてはならない。ゼロからの出発である。

表面には出してないが、しかし色で出ているだろうが、
キーワードは「発狂」である。
まったく存在してない自分の主張を、実際のカタチに創り上げていく
工程を踏んでいるのだから。

部外者の人は狂っているという。
そうでなくては実際新しい創造は不可能だ。
基本に忠実にゼロから一人で、一日一日孤独の行為の積み重ねである。

その時、見えるのは人間の浅ましさと嫌らしさである。
これは自分事でもある、人間の底である。

・人間はエゴであるー生命の発展はそれぞれのエゴイズムが原点である。
・それがどうしたというのかーその当然の行為を始めたのだ。
・その積み重ねが事業の出発点である。
・馬鹿二代目が冷笑している、結構である。
 むしろそれが正しい事を証明してくれている。
・赤裸々な莚旗を立てた赤裸々な姿、それが創業である。
・事業に関していえば、まずは金そして金そして金・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・金である。
  それを命を賭けて投資するのである。
  なけなしの金と銀行から借りた資金を合わせて、
  その「思い込みの対象」に対する命を賭けた博打である。 
  それが面白いといえば面白いが、それは結果がよければの話しである。
   
 いま世の中の風潮で創業の勧めがあるが、そう甘いものではない。
 コツがあるとすれば、時間をかけた準備、準備、準備、計画の練り上げしかない。
 500㌫の成功確立の見通しになるまで練り上げるしかない。
 それで実際のところ50㌫しかうまくいかないだろう。

 実際のところ事業を始める時、自分の心に約束した全て失っても
 後悔はしないと。
   創業は勉強になる!!それでこの程度!


433,自由ほど不自由なものはなし!

2002年06月10日(月)

自由ほど不自由なものはなし!
誰もが経験がある事だと思うが。

ー至近の例で、
サラリーマン生活をしてきて、待っていた定年がきた時ただ呆然。
こんな筈でなかった、何もできない自分に直面する。
あれだけ求めていた自由に躊躇してしまう。

今まで束縛されていた組織からの自由を求めているだけ。
「自らに由る」という言葉の意味さえ考える余裕も無かった自分に直面する。

如何してよいか判らない。
仕方がないので、それまでの行動をとるしかない。
会社の近くに同じ時間に出勤する。
今まで行っていた喫茶店やスナックなどの溜まり場に行きざるをえなくなる。
目の見えない首輪がそのまま付いたままなのだ、紐まで付いたまま。

そして紐付き首輪を付けて、それまで出たことのない同級会に出たりする。
「元・・などの肩書き」はそこでは何も通用しない事をそこで思い知らされる。
そして他の軽く軽蔑してきた人と同じレベルまで引き摺り下ろされる。
いや彼らの中味のほうがズット詰まっていることに初めて気が付く。

自らに由るとは何か?自ら判断し責任をとることだ。
ただ群れて、その群れと同じ行動をして、
何も考えず判断をしてこなかった自分に初めて直面する。

自由とは本当に厳しいことだ。
人に甘く自分に厳しさが基本になくてはならない。
普通、人間は逆になってしまう、自分に甘く人に厳しく。

自由、平等、博愛のフランス革命の精神。
自由に重きを置いたのが資本主義社会。
平等に重きを置いたのが社会主義である。

自由は平等ではなく公平を求められる。

それまでの平等の意識が根底から崩される。
もう誰も相手にしてくれない小さな自分にはじめて気づく。
公平?社会がすぐに冷たく圧し掛かってくる。
自由はそれに適応できる人には優しく、出来ない人には
厳しく反応してくる。


432, スイス旅行

2002年06月09日(日)

スイス旅行日程ー  7月3日(水)~12日(金)   新日本トラベル

           
http://www2.plala.or.jp/dontak/Swiss-AlCont.htm
http://www2.plala.or.jp/dontak/map01.html

1日目、 日本航空でチューリッヒへ。          
 -チューリッヒ泊

2日目、 リヒテンシュタインの首都ファドーツ散策と
「アルプスの少女ハイジ」の舞台マイエンフェルトで
ミニハイキングを楽しんだ後、サンモリッツへ。
   夕食は郷土料理ビュントナー・ゲルステンズッペ。-サンモリッツ泊
http://www2.plala.or.jp/dontak/heidi-01.htm
3日目、 神秘的な白い湖を眺める”もうひとつの氷河特急”ベルニナ特急
とディアボレッツァ登頂観光の旅。夕食はマス料理。
   http://www2.plala.or.jp/dontak/glacier1.html -サンモリッツ泊
4日目、スイスの観光列車の中でも最も人気のある氷河特急で
ツェルマットへ。夕食はチーズ料理ラクレット。            -ツェルマット泊
http://www2.plala.or.jp/dontak/mthr01.htm
5日目、登山電車でゴルナグラードへ登り”
ピラミッド”の愛称をもつマッターホルン(希望者は高原ハイキ
ング)。下山後モンブラン山麓のシャモニーへ。
   http://www2.plala.or.jp/dontak/dan04.htm    -シャモニー泊

6日目、 ロープウェーでエギーユ・デュ・ミディへ上がりモンブラン観光。
   昼食はサヴォア料理。
午後、美しいシヨン城を観光しながらモントルーへ。
   夕食はレマン湖産の魚料理とヴォー州産ワイン。  -モントルー泊

7日目、 風景の美しさで有名なパノラマ特急と”山峡の宝石”
   と謳われるエッシネン湖観光を満喫後グリンデルワルドへ。
   夕食はミートフォンデュ。         -グリンデルワルド泊

8日目、 登山電車で名峰ユウグフランヨッホ登頂観光
(希望者はアルプス高原ハイキング)。
   下山後、中世都市ルッツェルン小観光。
  夕食はゲシュネッツェルテス。         ールッツェルン泊
http://www2.plala.or.jp/dontak/Jungfr01.htm

9日目、チューリッヒへ。
   チューリッヒ発日本航空で帰国の途へ。  -機内泊

10日目 成田到着

      


431,モテル男

2002年06月08日(土)

世の中に、自称持てる男が多くいる。
そういう男をからかうのが好きだ。
「貴方持てるでしょう!」大体がこれに引っかかる。
そしてレクチャーが始まる。

・まずは[貴方は持てないでしょう。
 けちで努力もしなくては持てるわけがない。]
     (--)心の言葉
(ほってけ!馬鹿!うっせいこの女貧乏!勝手にそう思っているだけだろう。
 ー貴方が持てたいと思っている相手など傍にいるだけで反吐が?)

・「自分等中年はそうでもないのに脂ぎっている、
 それを如何に隠すかが勝負!」(それは当たっている)
・「とりあえず自分から絶対に積極的にいってはならない」
(ふんふん・・・・)
・「服装と言葉には十分気を配る」
(へーそうか、苦労してるんだ)

日夜それだけを考え努力しているという事だ。
ちやほやされている状態が趣味という事。(負け惜しみ)

逆に持てないという事は、そういう努力もしないで、
表面だけを見て持てたいと思っているということか。
ギラギラした欲をそのまま出してしまう男??

ところでゴッド姉ちゃんが4人もいた立場で育った環境。
いっぱい教訓をいただいている。今度書いてみる。

もてる人(但しここでいうのは自称の人)
は職場とか家庭環境に女性が少ない人か、母親とか女姉妹がいない環境の人。
心の奥に常に女性に対する渇望があるからだろう。
こういう人は奥さんが離婚か自殺など早死にしている人が多い。

クリントンあたりなら、少しは羨ましいが??
くだらない話、しかし人間の一番の本質の話か。

女性もそうだが、そういう人は
こまめに、常に積極的、気配りを欠かさない。
   -どれもないなー??!
関係ないことだがー
昔から,好きなタイプの女性には共通点があった
・身長が162cm当たり
・血液A型
・長女
・お嬢様タイプ
・美人-清そ
・知的
学生時代よりそうだった、自分が好きのせいもあるが。
56歳の男の書く内容でないが。


430,自分の居場所

2002年06月07日(金)



誰もが自分の居場所を持っている。
逆に居場所がすくないということは、非常に厳しい状態の時である。

自宅の自分の場所、会社の自分の場所、通勤の自分の場所、
日祭日の自分の居場所、すべて時間と同時に変わっていく。

20代のある時、ある姉にいわれた。
「あなたはすぐ自分の居場所を作り始める。
まず部屋の中に本と椅子と机に本棚に手帳を配置する。
そうすると、そこにあなたの居場所ができあがる。
座ると何気なく自分の物を机の上などに配置する。
いつの間にあなたの場所ができている。」


その時代だけでなく何時もそうだった。
私だけでなく人間すべてがその筈だ。

居場所とは、
・自分が一人でいても寂しくないところ
・何かをしていて、自分が生き生きしてるところ
・すわり心地の良いところ
 
 そうすると趣味など、そういえるかもしれない。
 それをしている時、それが心の居場所だ。
 毎朝あげるお経もそうかもしれない。


引っ越したら、別に住まいだけでなく、まずは居酒屋,
そして昼飯を食べる店と自分の座る席。

猫でもそれを本能的にあるはずだ、テリトリーとして。


429,両親の死

2002年06月06日(木)



両親が亡くなった時、一緒に住んでいた。
そしてその死に様から「生きるとはどういうことか」を学んだ。
死ぬとは如何に大変な事を知った。
今ひとつ、死の視点から生を見るということを。

世間とか、娑婆の事を徹底的に割り切って見れるのも、
両親の死から、それがいかに幻想である事を学んだからだ。

結局,残るのは「子供と愛情」だけ。
それと‘生きてきた事’ー乗り越えてきた「行蔵」それだけだ。
意味とは最後の自己慰めかー心の印ということか?

死を自覚した瞬間の人間の「生に対する渇望」のすざましさに、
側にいて身震いした。
その瞬間-死を覚悟した瞬間‘砂漠の真ん中に立たされる残酷さ’を直感した。

‘心’は「主体」と「イメージ」で成立している。
心を失っている状態は、「主体をなくして何も考えられない状態」
と考えれば逆に解かる?

何で‘心’が両親の死の話しから出てくるかと言うと、
両親が死と直面した時に、「主体」と「イメージ」が
湧き出てくる事実を見たからだ。
それは死の恐怖感からくるものである?

特に「主体」が凄い。
人生の全てのことは自分の戯曲でしかない。
それに満足できるか、できないかだ。
死ぬ事はそう簡単のことではない。

昨日の朝、隣の主人が亡くなられた。
今夜通夜、明日葬式に出る予定!


428, おしっこをしながら、水を飲む

2002年06月05日(水)



「おしっこをしながら、水を飲むとそのまま飲んだ水が
垂直に排出された感じになる。宇宙が身体に流れ込む感じ」
という本を読んで、昨日3回も実行してみた。

・まず感じたことは、「こんなことを実際やってみる人は,
 この本を読んだごく僅かな単細胞の人だろうな~」という気持ち。
・世界広しといえども、こんな経験をした人は殆どいない事を
 してみた自分の可笑しさ。
・現実にはそうでないが、飲んだ水がじかにそのまま排出されるという
 実感が愉快であった。そこには胃も腸もないそのまま出て行く実感である。

ところでそれがどうしたの?と聞かれても答えようがないが、
新鮮な気分と、誰もやったことない体験をしてみた!
という可笑しさで,気分が一新しただけでも価値があった。
  
    何事も経験です!!!!!!!!!!!
  貴方も経験してみたら??!


427,世間とはー3

2002年06月04日(火)



世間に住む人々を喩え話で挙げてみると面白い!
娑婆の集約の姿であろう。

・まずは私の大好きな???! -子狐 そうあの子狐!!
 ーどぶに浮くボウフラ!!

・そしてチンドンヤー自己宣伝に全て注ぎ込んでいる倒産寸前の!!!
 ーとくに地方は-痴呆になってしまうのだろう!!
 小さい世間の中で如何によい地位をつくるかという幻想に血眼ー痴呆症か。

・太鼓もちー芸者と組み合わせ!!!
 -夫婦で、低脳の痴呆名士に対して夫婦漫才をして売り込む!!
 あの角栄の組織を乗っ取った竹ちゃんも!!
  ただただ太鼓もちの世間士???

・鳶ー不動屋やマイナス情報を探し回るあの男。

・ガマカエルー王様カエル  ノータリンクラブとかに入って偉くなったつもりの人
・宅上犬ー??

世間という心の壁は、自分と他者の問題になってくる。
あいまいな甘えの世界ともいえる。
自分を持ち得ない群集の世界ともいえる。
特に島国のような固定化社会では、その甘さがお互いのクッションの働きになる。
必要悪だからさらに性質が?!。

若い母親のまず社会の第一歩、そう公園の砂場デビュウー。
音羽で幼児殺人があったが、インタビューされた若い同じ立場の母親が
「動機がいたいほど解る」と何人も言っていた。
あれが世間という世界、日本的カースト制度の差別の世界。
あれも範疇だろう。
細かくランク付けされた立場の小さい視点!

しかし情報化社会において、その根本が崩壊してきている。
この情報化が根底から社会を変えようとしている。
日本的世間(社会)主義の崩壊である。
しかし新しいネット世間ができている、空間を越えて。

この位の割り切った眼で見てないと、世間様のゆで蛙になってしまう。


426,富豪の館

2002年06月03日(月)


昨日ラーメン屋で見た週刊誌に、マリナーズのイチローの新しい屋敷が
載っていた。2億5千万にしてはプールはなかったが、豪華な建物だった。
南ベトナムに行った時、サイゴンの元南ベトナム大統領府が公開されていた。
やはり広大で豪華なものだった。

その時の説明で、豪邸の条件の話しが面白かった。
1、映画館を備えている事ーいつでも見たい映画をすぐ見れる状態
2、プールがあること
3、バーがある事ーホームパーテーが開ける事

さらにヘリコプターの離発着の機能がついていれば、さらによしという。
大統領府にその条件が揃っていた。

ホームバーと映画館は一般の家庭に形を変えて入りこみつつある。
TVのホームシアターでいつでも見たい映画を取り込める時代の到来だ。
プールだけは無理のようだ。

以前の日本では、大きい庭と池と茶室、それに法事や正月に
親戚が集まった大きい部屋だ。

こんなものより自由に世界を飛び廻っているほうが好きというのも、
「物より事の時代」のせいか!


425,父・堀井誠作のこと-2

2002年06月02日(日)


・女性の噂の全くない非常に真面目の人であった。
  家庭人としてこれが一番の基本である。
・非常にシャイなところがあった。

・商売では非常に厳しし反面、それを離れるとやさしいところがあった。
 これは自分で心がけているが、営業を狙ってくるタイプはその隙を狙ってくる。
  年内にその整理に入る!!!!ーこれは自分の話しか!

・その時々の時代に合わせて仕事を変えていったのは、最も学ぶ事であった。

・仕事も私生活も、楽しむ事が基本にあった。
 これも両親からの最大の教えである。

・宗教に関しては、ごく普通の仏教徒であった。
 特に法事などの仏事に関しては非常に大事にしていた。
 これを疎かにすると家が傾くと本当に信じているようだった。
 集り坊主の丁度いいお客様であった。
 所詮はレジャーでしかないのにーこれは私の主観。

・お金に関して父なりの金銭哲学があった。
   ー何を奇麗事を言っても、お金に関しては赤裸々な欲がある。
   -あまりに露骨の欲の塊が金、それをちゃんと見据えろ。
   -金は仕事の楽しみのカス、自分でその楽しみを見つけるべし。

・若い時に肋膜炎になり、戦争に行かないですんだ。
 これがコンプレックスと幸運の両方で人生観の背後にあったようだ。

・どちらかというと、母が男のように芯の強いところがあり、
 逆に父はシャイなところがあった。

・母から聞いた話だが、人間的に面白いエピソードがある。
 -戦前に一年に一商売をすると、一年間一家が生活できるだけの
  利益があったという。その商売が成立すると、50銭ー今でいうと5000
  ~10000円の硬貨を耳に挟んで、嬉しそうに一人で夜食事に行ったという。
    -5円なら解るが,50銭というところが自分に似ている。

    いずれにしても自分にとって最大の先生であった。


424, 父・堀井誠作のこと -1

2002年06月01日(土)


一昨日は父が亡くなってまる29年経つ。
早いといえば早いし、永いといえば永い年月だ。

父の供養も含めて少し父のことを書いてみよう。

・典型的な明治人で長岡商人であった。
・私が父の44歳の時の子供であり、父に間接的だが溺愛されていた。
・数代続いた骨董品屋の2代目で、
 父が跡を継いだ時7万ぐらいの資産があったと母から聞いた。
 当時の長岡では3~5万が一応資産家の目安だったというから、
 もともと裕福な家だった?私のお祖父さんが貧乏で、お金に苦労した。
 その為必至に資産をつくり上げたようだ。
・父の代で戦前、それをかなりの資産に増やした。
 しかし戦災で大部分失ってしまった。
・戦前は山本五十六とか津上退助とか野本互尊翁等の人に贔屓にされ、
 かなりの骨董品の商売をしていたという。
・戦時中は仏壇で食いつないだという。
・戦後は長岡の大手通の4つかどの土地を手にいれ喫茶店を少しやり、
 古着屋に転業、そして衣料量販店で全国的にも知れるほどだった。

以前父のことを書いた文をコピーしておく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
H0505小説のような本当の話!

 十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。

生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。

たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に、
正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。

それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。

聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく考えさせられる
出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、
それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?当時、
丁度今の会社の理念を考えていた矢先、
それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決まった次第です。

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