堀井On-Line
2002年05月31日(金)
学生時代も、勤めていた時代も、 どこに行ってもすぐ見つけるのが、飲み友達と、いきつけの飲み屋である。
地元で今も数人いるが、そのうち特に飲んだ二人は、 亡くなったり転勤で居なくなった。 転勤の一人は新潟に出張にくる度、今でも年3回は飲んでいる。
特に勤めてからの、いろいろな地方での酒が忘れられない。 やはり金沢の酒が忘れられない。 なんともいえない、味がそれぞれの店にあった。 歴史の深みであろうか。
転勤商売も苦しいだけ、そういう楽しみもある。 苦しい時期ほど、そういう居酒屋の酒がうまっかった。
新潟では20年前から5年位前までの酒が、特に美味しい思い出が多くある。 大学時代の友人が、丁度その時新潟に転勤で赴任してきており飲み歩いた。
それと数年前に亡くなったが、「新潟駅前の花園の町内会長をしていた 不動産やの社長」と古町を飲み歩いたことだ。 有名な老舗の小料理屋や料亭を芸者をあげたりして飲んだ。 数十回も。 自分では間違ってもできない昔流の粋な遊びを教えてもらった。
亡くなってからは、当然のこと料亭などは全く行ってない。 丁度「海外旅行と遊びの入れ替え」の部分があったが。 飲むほうも、その時期時期に一応一とおりのことを経験した。
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2002年05月30日(木)
以前も書いた事があるが? 社会構造をエジプトのピラミッドとその周辺の風景に例えで説明すると、 いやに納得できる。
ピラミッドを組織に喩え、 ・頂上に向けピラミッドに登る人、 ・途中で上るの止めてそこに留まってる人 ・ピラミッドをメンテしている人 周辺では ・小さなピラミッドを創っている人 ・オアシスで遊んでいる人 ・ラクダをひく人 ・砂漠で住んでいる人 ・そこで商売している人
全く上手く社会と組織を説明をしている。 そうすると私は小さなピラミッドを作っている人ということになる。
船も喩えで見ると、組織を説明しやすい。 世界一周する大型船、小さな漁船、帆掛け舟、ボート、丸太とそれぞれの 組織を喩えることができる。一人でサーフィンを楽しんでいる人。
大型船は世界一周できるが、それぞれの仕事を分担されてしまう。 自分は何をしているのか解らなくなる「自己疎外」という問題がでてくる。
小型船なら面白いし、小回りが聞く。 しかし船の行動範囲が狭められてしまう。
丸太にのって遊んでいるのも、それなりに面白い。
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2002年05月29日(水)
前回では「個人が確立されてない日本では社会が存在し得ないのでないか。 そしてその代わりー世間ー存在している」と書いた。
ある地域に生まれ育って、一歩も外の世界で住んだことがない人は、 世間という枠組みから出ることができないのも仕方がない。 神話の世界でいう蛇である。
その対極にある鷲に憧れを持ち、その合体の龍を創りあげた。 どういうわけか世界中の神話に龍が出てくる。 縛られた世界からの脱出の希求は人間の本質的欲求なのであろう。
羽仁五郎の「都市の論理」に、 両親からの自立が人間としての第一歩と書いてあった。 西洋社会でいう「個人」とは、自立した自己ということになる。
まずは職業である、自分で稼いで生きていくのが第一歩である。 次に両親からの影響と環境からの自立である。 自分という意志を持った主体の確立である。 世間というものに対し、戦い挑んで勝ち取る意志である。
両親と周辺のせいぜい20人を[濃厚な?世間]という。 それを自覚する事である。 「短い人生、ただ狂え!」が、世間様の丁度いい噂の餌になるが。 王陽明に「羊になるな、狼になり羊を食い散らす生き方を!」 というのも、世間に縛られた生き方を諌めたものだ。
個人ー個性とは世間との闘いで創っていくものだ。 世間とは、他者とのあいまいな緩衝地帯でもある。 私はそこに生きるそれを『子狐』とよんでいる。 誰にもある要素だ。
もちろん自分にある最も嫌っている影である。 その集約が、そうあの人!
誰もがこう言われれば自分と?考えてしまうのが不思議???!!
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2002年05月28日(火)
「西洋でいう個人が確立されてない日本では、社会は存在していないのでないか?」 という疑問が以前からあった。 その代わり存在するのは、噂と悪口からでお互い牽制しあう「世間」である。 阿部謹也の「世間とは何か」という本を立ち読みをして、思わず納得した。
現在国際社会で日本が冷笑されるのも、もともと日本では存在していない 国際「社会」の中で、常に世間という日本社会を外に出してしまう為である。 勤めとか事業で、いろいろの地域社会をみてきて漫画的な社会?構造に驚いた。 世間様の存在と、それに対するペルソナー仮面を付けて、 全員して演技している滑稽さである。
それは社会というより、群れという感覚でありその統制は噂と恥の文化である。 ある作家がある部落に住んで、、その滑稽を「気違い部落」という本で著した。 それが売れると、逆に気違い?にされ村八分にされてしまった事が、 話題になったことがあった。
世間に属さない他者は今の日本では人であって人間でない、 と先ほどの「世間とは何か」に書いてあった。 その地域の集り坊主とか、地銀とかに勤め、支店長あたりになる。 そしてその地域の噂社会の中で、よい人を演技する?のが、 「世間を渡る」という世界。
この世界で、個人として真っ当に生きるには、 強靭な意思と主体が必要だ。 結局それを殺ぎ落とさないと、生きていけない社会でもある。
そして自分とは何かを死に近づいて考えて、気づく? 世間に縛られた小さな一生を、その時初めて悔やむ! 世間とは、幻想社会という事を!
日本の島国的特性そのものだ。
ーーーーーーーーーーーーー 10年前書いた文章をコピーしておく。
H0407城下街小唄 私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。 その大手通りのほとんど真中に生まれ育った事もあり、その長所・短所がよくわかる。 その特質は閉鎖性・固定的、商人的であり、 “城下街曼陀羅”がきっちりできており漫画的ですらある。 彼等の社会は“ウワサ社会”で構成されている。 特に長岡財界とかいう社会が存在(?)しており、彼等の出す“ウワサ” がその社会を大きく左右する。 それが事実であろうがなかろうが“マンダラ” の中心点に近い人間が言った事こそ絶対のようだ。 (“ウワサ”として)彼等の社会をみていて、維持型の人間こそ“一級”と評価される。 固定社会が故に何もしない(何もできない)事こそがベストなのだ。
“非能動的二代目+婿取り娘サロン社会”と言える。先日もいやな“ウワサ”を聞いた、 今は下火になったのだが、新興の各業界の№1の社長が十人あまり№1が、 ゆえに聞くに耐えない“ウワサ”を流された。“一種の集団いじめ”なのだが、 そのストーリーが陰湿でリアリテーにとんでいる。 冷静に考えればほとんどが尾鰭のついたウソである。 それがおもしろおかしくて集団ヒステリック的につくりあげられており、 自らの名が出るかどうか怯えている。 “参加型変態うわさゲーム”を全員で楽しんでいる“痴呆社会”そのものである。
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2002年05月27日(月)
昨夜、BSー6チャンネルの「金融腐敗列島]を見ていると、 現在進行中の何処かのある痴?の末端銀行の姿。 (4回見ているが)
何か哀れだね!全く同じ姿。 ただ建てなおす主役がいないことが映画と違うが???
ひどいものだ!!!!!!!!!!! 「取れるところから、分母の貸し金を剥ぎ取れ」 が、実際露骨におこなわれている!!!!!! (大口の倒産の引っかかりを、 中小の引き剥がしでカバーしている露骨な実態)
どうなるの日本???????????????? これが情報化!
これがどんどんTVで流されていること解ってないと思う!!! 自分が同じことをやっている事、解ってないんだろう! こっちは4回見ているのに。 映画以下の現実を現在進行中の実態が今の現場。
これが日本の姿!!!旧約聖書の世界だね!
日本的社会主義の末端??の最終踏ん張り。 見る人が見たら、びんびん来るだろうね。
狂った末端エセ??には、解らないだろうね! なにが底打ちか!狂っている。
西アフリカの現実は何も変わってない。 奴隷国家を見てきた自分は、今の末端??の実相が見え見え!
でもその一員でしかない!!そのテリトリーの?
それだけ現在は追い詰められている!日本は! 「自分の会社と自分は、自分で守るしかない」 ことが当たり前になっているだけ真っ当だと考えると、 今の時代に適するということ。
金融腐敗列島の内容が、今こそ露骨な現実だ。 本当だよ!!!!!!!!!!!! これいえるだけ、会社真っ当だから!安心して!! 今の日本狂っている、本当に!!!!
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2002年05月26日(日)
大学の同期のゼミの男が「価値観の年齢における変遷」 を卒論のテーマに選んだ。 「こいつ凄いテーマを考えたな」と完成を待ったが、 結局テーマ倒れであった。 時間がないということで、断念してしまった。
そこで軽く短かい内容で、遊びで考えてみる。
1、中学まではやはり親の価値観にほとんど左右されている。
2、中学、高校は、自分に適した大学、高校選びである。 マセタ子供なら緊急事態の性欲処理としての異性の確保であろう。
3、大学はそれまでの進学という目標から、 基礎教養と,会社選びと職業選択の知識の収集である。
4、そして社会人。 男の場合は、その集約として会社の仕事の把握である。 そしてその中での出世がポイントとなる。 女性の場合は、結婚相手の選択が大きい位置を占める。
6、そして家庭づくりである。 家と子供育て、そして会社では自分の出世、事業ならその発展である。 7、・・・ そして最後は「ころりと死にたいと望む老人の切なる願い」
以上のようなことが、その年齢でどんどん変化していく。 以前書いた人間の7年・8年の周期説がある。 その周期ごとの価値観の変更とも考えることができる。 それを受身でなく、積極的に自ら変えていく時節。
どんどん変わっていく価値観と、変わらない価値観がある。 そして地域によって違う価値観がある。 その年齢ごとの欲望の変遷でもある。
56歳ー7年説から考えると、8*7=56歳で変身の歳・時節にきている。 価値観の再検討、いや今の変えるべき価値観からの脱皮の時節という事か。
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2002年05月25日(土)
だいたい20㌫が勝ちで、80㌫は負け組みである。 何をもって勝ちで、何をもって負けというのか?というが。
一般的に自分の真にやりたかった事を見つけ、やりとおせたかどうかだ。 その意味でやはり、あるはずだ。社会的な勝ち負けの話しではない。
負け組みの、負け惜しみで何かへ理屈が出てきそうだが。 ・過去の蔵にそれ(やりたかった事をやってきた行為)が詰まっており、 ・現在それを過去の計画どおり実行しており、 ・未来の計画をキッチリ立ててある人
そういう意味で大体私の周囲では、2対8の比率は間違いない。
刑務所など99㌫だろう。 その共通点は目先しか見えない峡視の人だろう。 80㌫の人も然り?
ダイヤを入れれば、ダイヤが出てくる。 ゴミを入れいればゴミが出てくる、その分別ができなかった人だ。
何か厳しい内容だが、見方を変えればいい。 「自分は社会的なことは別として、ずっとやりたいように生きてきた。 自分の大好きな○○をしてきた、それで充分だ」 こう言える生き方が勝ち組だ。
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2002年05月24日(金)
何回か立ち読みをして買うかどうか迷っていたが, 先日買って読んで面白かった。 しかし本来ある技法を、とってつけたような内容も多かった。
最近ノウハウ書に凝っている。 以前はノウハウ書などの小手先の本を甘く見るところがあった。
ところがそれが思い込みでしかないことが、この年で解った。 ノウハウ書ばかり偏るのがよくないのであって、 技術の宝庫であることは間違いない。
この本もそうだ。 ノートのとり方一つでも目から鱗である。 私の場合あまり勉強が得意でなかったこともある。
最近凝っている即読法もそうだ。 10倍とはまだなってないが、3~5倍早く読めるようになった。 うそみたいな話だが。
10歳ぐらいのときに、ある姉が教えてくれた。 「一科目だけでいいから、勉強して一番をとりな!」 これが小学年の後半、算数だったと思うが一番になった。 それがきっかけであった。 そして中学二年の時、・・・・・と。
さてこれで印象に残っている順に書くと! ・ノートの左右の書き分け 左にキチット先生の教えたことを、ノートにとる。 右に 右脳的に 絵とか自分の 形に遊びを入れて書き換える。 また、そのときの部屋の様子や、他のことも書き加える。 ダビンチのノートもそうだ。 絵と文を交互に空間を広く取りながら書き込む。 広くとった空間にどんどん書き加える。 ・あと問題集を徹底的に解く。 それもどんどん答えを見ながら、先に進む。 ・本は全体をとりあえず読む。 そして後ろのほうから、逆読みをする。 推理小説の犯人を先に知った上で、 そのストーリーを読み解く方法を勉強法に取り入れる。 ・黒板を周辺に置き、いま覚えるべきところを書き込む。 ・勉強をすることが楽しい雰囲気を作る。 音楽はアダージョなどの、アルファー波の出る音楽を流す。 ・黒板で自分が先生になったつもりで、生徒に教えるように演技してみる。 ・暗記は繰り返し暗記をすれば、誰でも憶えられる。 ・頭の切り替えの為、ポイントごとに遊びを入れる。 ・最も大事なところは、勉強と終わりに集中させる。 ・あくまで本人の主体性を尊重する。
これは別に写したわけでなく、自分の印象に残った順に記憶から記している。 受験なら、どこそこの大学と具体的に目標を決め、 その科目を集中して勉強する。 それも高校一年の時から割り切り、 他の授業は割り切って進級すればよいレベルにする。
こういうのを戦略的勉強法というんだろうが。 でもそれを出来なかったが、「生き方で戦略的に生きてやれ」 と、学生時代に意識できた収穫もあった。
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2002年05月23日(木)
ホームページ上のテーマ随想日記は、非常に有効だ。 一年書き続けて、毎日それなりにチャンとテーマが出てくる。 10日に一度くらいが、まったく思いつかない状態になるが、 それでも、その状態の中でも湧くように出てくる。
書き続けることが、大事である。 「一ヶ月で、千項目テーマをあげて文章を書け」 といわれても絶対に不可能だ。
しかし毎日一項目書き続けることは不可能でない。 その習慣をつければ、何とか千項目書けるのではないか。 後二年近くかかるが。
それさえ作っておけば、自分のデータベースになる。 大テーマを立ちあげた時に、それぞれの大テーマに合わせて それを組み替えればよい。
書いているうちにコツが解ってくる。 新幹線の中とか、散歩の時間にそれを集中する。 またどういう訳か集中できるのだ。
この時間の集中の積み重ねが、膨大のデーター化になる。 またテーマを考えることと、そのテーマに対し色々言葉を 組み合わせる作業が考えを深める。
内容に対しては、それぞれ批判があると思うが、その時点の自分の 自然に出てきたテーマと内容なので、これ以上でも以下でもない。
書き続けるポイントは「ギブ・アンド・ギブ」である。 そうでなくては、続けられない。
今までの自分の持っている経験・知識を全て吐き出し、 現在、得た情報をそのまま出し続けなくてはならない。 しかしそれを実行していると、他のホームページのそれが 良く理解できるからだ。
そうする事が、逆に自分の為になるからだ。 仏教の布施、キリスト教のボランティアみたいに。 それをすることで、他のページのそれが解ってきた。 自分が入れたエネルギーの数十倍、いや数百倍が入っている事が、 理解できるようになったからだ。それもギブアンドギブで。
そうしていれば、相手の内容を見る目が違ってくる。 また謙虚な眼で、それを見ることができるようになってくる。 またその時々のメルクマールにもなる。
時間が経つにつれて、自分の考えもどんどん変化していく。 その変化した視点で、過去の自分の考えを見つめ直すこともできる。
参考の為に「テーマ日記」を書き始めて一年 ー1をコピーしておきます。 ----------------------------------------- 「テーマ日記」を書き始めて一年
あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。 旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。
何処までやれるか自身との闘いで始めた。 あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。
気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。 よく書いたものだが、内容はこんなもの。
あと1~2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。 その後で底から真水が出てくるのではないか。 今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。
テーマの種が尽き始めた事は事実だ。 大した事を考えてない自分が顕わになった。 本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に 今更驚かされる。それで食べているのだから当然といえば当然だが。
書くということと、内面で考える事とあまり違いはない。 内面を赤裸々に顕してしまう。 毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。
しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ-(;一_一)(+_+)(-_-;) ー恥ずかしいことはない。 後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。 人生の7割生きたのだから仕方ない。 自分史そのものだ。 自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。
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2002年05月22日(水)
一昨日、TVでサッカーのキャンセルがここにきて大量に出て、 開催地のホテルが深刻な?悩みというのを放映していた。
一年前の説明会で25パーセントの紹介手数料と聞いて、何を馬鹿な! それなら逆に、他の一切の代理店の予約もとらないで、 落穂拾いの方針に切り替えた。 黙っていても、溢れたお客が流れてくるのを拾ったほうが 有利に決まっている。
どこかの国の訳のわからない総代理店、何の保障がない。
昨日のTVで、それに合わせて開業予定のあるホテルが、 設備を代理店の言うままに追加投資。 それが直前になって90パーセントが解約されてしまったという。 泣くになけない状態とTVで責任者が嘆いていた。
何処かの県?の旅館組合の代表が、 この時期に毎年やる他のイベントがそれを嫌がり、他の県に移った。 むしろ普通の月よりマイナスだと、間抜け顔をして言っていた。
少し考えれば、幾らでも知恵が出てきそうなものを! 普段の月より、一割も稼動が増えるかどうかのレベルの話。 去年、プレの大会があった為、前年並みで終わる可能性がある。
ただなんとなく街に人が多い感覚で終わるだろう
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2002年05月21日(火)
母から聞いた言葉で「片耳だけを聞くな」という言葉があった。
昔から、ちゃんとそういう言葉があったのだ。 世間知らずの人や、人の良い人を利用しようとする時、 あるタイプの人(片耳内幕情報や)が利用する。 三流マスコミや株屋、そしていびつな組織人が良く使う手だ。
要するに一方的の話しだけを聞いて判断するな、 数名の人の話を聞いて判断すべきという事だ。 何人かに聞いているうちに、その背景見えてくる。
「あと歯に血がつく」という言葉も、母から聞いた。 博打で勝ってその味を知ってしまう事をいうが、 上手い言葉だ。歯についた血がいつまでも口に残る。
今はあまり言葉として聞かないが、 父が使っていた言葉で「てんごうを欠く」があった。 自分の力の以上の仕事をして、失敗することを言っていたので、 天の理を欠くで、「天合」?を欠くというのだろう。 倒産した会社の社長を何時もそう非難していた。
「きみせをするな」とも、子供の頃よく言われた。 他人におどけて見せたり、パフォーマンスをするなという意味だった。 大家族のせいもあって、あまり目立つ行為をするなということだった。 家内に時々そういう類の言葉を使い、 「明治生まれの両親の子」とからかわれている。
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2002年05月20日(月)
次の旅行の予定である、だだ変わる可能性があるが。 1、スイス・アルプス 2002/07 2、イラン 2002/10 3、南米のパタゴニア 2003/02 4、南アフリカのナミビア2003/06 5、南米のガラパゴス 2003/10 6、ポルトガル 2004/02 7、アラスカ 2004/06 8、イースター島 2004/10 9、パプアニューギニア 2005/02 10、リビア 2005/05 11、南インド 2005/07 12、アイスランド 2005/10 13、エチオピア 2006/01 これで50回ー目標達成である。 ー2006年1月15日ー60歳 飛び石で世界一周したことになる。
これ以降は、フランス、ドイツ、イングランド、トルコ、中国 などの国の田舎街をじっくりまわるコースを中心に? 70歳までに85回を目標とする。 75歳で100回をめやすとする。
77歳で98回目の人が、シリア・ヨルダンの旅行でいたが。 何か100回が執念という感じがあった。
そう思って生きれば、張り合いもできる。 海外旅行紀行などの番組を見ていても、楽しい。
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411,自分の人生のつくり方 -いろいろな悩みー3 |
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2002年05月19日(日)
それでは自分の人生のつくり方とは?どうしたらよいか。
ライフワークをきっちりつかまえて、その都度脱皮すればよい。 「脱皮できない蛇は死ぬ」というが、そういう人間で満ちている。
ライフワークとは、一生涯を通じてやり遂げる趣味と仕事。 そして一生涯を通して脱皮の時期がある。 7年説、8年と10年という説がある。
ライフサイクルというが、 ・7年ー7歳、14、21,28、35、42、・・と節目がある。 ・8年ー16、24、32、40歳・・ ・10年ー20,30,40,50年歳と・・
またこういう説がある 1、児童期・青年期 0~22歳 2、成人前期 17~45歳 3、成人中期ー中年期 40~65歳 4、成人後期ー老年期 60歳以降
重なっているところは移行期、これが一番わかりやすい。 これと7年説が私の一番納得できる。
その節目ごと、脱皮していく事をいう。 「節目を叩け!」という諺があるが。
自己実現という言葉がある。たしかユングの言葉であった。 自分のなりたいこと、したいことを実現することをいう。 それも一生涯を通してだが。 それを自分の人生という事にならないか。
子狐がここにきて、にわかにそれをつくろうとしている。 やらないよりはいいが。 やるなら10年~20年スパンで何をすべきか判断して、 それぞれ節目を作り、やり通すのがライフワークである。
それをやり通すことが、結果として自分の人生という。 「濡れ落ち葉」はそれを全くやってこなかった人、 そして、これからもそれを見つけられない、その気力のない人 をいうのではないか。
中年クライシスという中年の危機といわれてのが、これである。 中学の先生もそれだった。 今度中年クライシスについて書いてみよう。 周囲はその人たちで満ちている。 一ヶ月前、150m先の58歳のご主人が自殺したという。 家を新築したばかりなのに! それにしてもそういうことに無知すぎる!
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2002年05月18日(土)
昨日の続編でもある。 書いていて、改めて中学の担任の先生の悩みの深さに気づいた。 それすら理解できない子狐レベルを除けば、それぞれの人が理解できるし、 身につまされる問題である。
それでは「自分の人生」とは何であるか。 やはり親からの自立である。 あるいは、育った環境ー社会からの自立である。 そしてその人独自の生き方が自分の人生でないか。
しかし、それ(自立とか脱皮をしない人生)も自分の人生ではないか? という疑問がでる。しかし自分の趣味とか、与えられた環境をフルに生きれば、 それが自分の人生といえる。
そういう意味で、先生にとって適正でなかったのかもしれない。 80㌫の人はやはり先生の悩みに近い悩みを持っている。 「自分の人生これでよかったのか?」 という疑問を持っている。
サラリーマンも事業家も100㌫は最後は挫折するという。 勝ち組の人も、最後は後進にその立場を譲らなくてはならない。 後進の人や事業そのものもは、その人を乗りこえるため、 それまでの破壊を始めるからだ。 そしてその時初めて敗者の気持ち立場が見えてくる。
その年齢の景色を正直に先生が話されたのだ。 おそらく先生の過去の行蔵の中に、いっぱい宝が詰まっているはず。 気づかなかったのかもしれない? その年齢に段々近づいてきている。 50歳代後半から60歳に訪れる、最大の人生の危機の典型ではなかろうか そう、初老性鬱病!
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2002年05月17日(金)
3年前まで20年近く中学の同級会が開かれていた。 3年間休み今年から再開とのこと。 高校もしかり、本当にまとまりのあるクラスだ。
もう10年少し前の話だが、丁度、中学の担任の先生が定年退職の年だった。 そのときは、先生にとって至福の一年となるらしい。
受け持たれたクラス単位で、それぞれお祝いの会を開いてもらえるという。 湯沢の旅館で泊り込みでクラス会が盛大に開かれた。 そして次の日の夜まで、30時間延延と続いたクラス会になった。
長岡である女性がスナックを開いており、翌日の2次会はそこで行われた。 その時、たまたまカウンタの隣の席に座った先生が、 浮かない顔で、俺の悩みを聞いてくれという。
先生「俺の両親が90歳と87歳、同居しており今もカクシャクとしている。 両方とも先生をしていた。 別に自宅と別に、マンションを持っていて時たまそこに行く。 実をいうと、この年で実感として自分の人生が無かった。 それが無念だ!本当に深刻の悩みなんだ。」
自分には、その先生の悩みが理解できた。 父が亡くなった時、自分にとって溺愛してくれた喪失感が大きかった。
反面その時の家庭の事情等で、 あと頼れるのは自分ひとりという精神的自立ができた。 丁度、千葉で事業の立ち上げの時期と結婚も含め、 自分にとってタイミングが、ぴったりであった事も確かであった。
親の死は子供に対する最大のプレゼントというが。 その要素も確かにある。 その意味で、先生の悩みが理解できた。
でもその状態を「無念と考えるか最大の幸せと考えるか」 もあるだろうが、本人しかわからない悩みだろう。
その数年後、両親が亡くなった。 先生に「実際亡くなると、違うでしょう」というと、 「いや何の悲しみも、喜びも感じなかった。 やっと死んでくれたという気持ちと、ただ無念だけが残った」 といわれた。
その先生も4年前に脳梗塞になり、東京の子供のところに引っ越して いかれた。
人生はいろいろある。
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2002年05月16日(木)
面白おかしく書いた文章を、そのまま受け取られない為に書く。 決して宗教を否定しているわけでない。 逆に最後は宗教しかない。 ただ権力者が利用しやすいのだ。
ある規範を作り、それを基準に仲良く生きていくべきだ。 組織もしかり、番犬も、座卓犬も、牧用犬も機能として必要だ。 ただ、犬になるなということだ。
犬は何も考えず、ただ上司の(直接上司)命令を待っている、 自主性のない組織人をいう。あるのは胡麻すり(尻尾振り)と 従順だけ。それも組織を円滑にすすめる為に必要かもしれない。
ただそういうレベルの人が、犬に割り切って上手くいくのが、 人間社会の縮図の組織で多い。ある都銀の支店長が言っていた、 「常に組織として、2~3クラス上の上司を意識して行動すべき」 犬レベルは一ランクしか見えない。 だから例えがシビアに当てはまるるのだ。
宗教もしかり、絶対紳を造り上げ、その言葉として基準をつくる。 それも大事な事だ。 また死に対しては宗教しか人間の心を救う事が出来ない。 犬の例えは組織人にとって、耳の痛い話だ。
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2002年05月15日(水)
以前「テーマ随想日記を書いて一年」を書いたが。 このテーマはホームページである。 「ホームページつくりを通して、パソコンをわがものにする」 と目標を立て、実行して一年半経つ。
やはり人生が根本的に変わろうとしている。 情報化を実感している。
たどたどしく、やってきたというのが実感だ。 一つの目安が、現在のこの時期と考えている。 ここで一回ホームページの解体の時期かもしれない。 実施は夏以降か?
現在の自分の現状に似ている。 今までのビジネスや人間関係や慣例の解体のプロセスの時期だ。 ゼロベースからの見直しである。 ホームページづくりと、旅行の積み重ねと、去年の9・11で、 世界と世界観が全く変わってしまったからだ。
やはり情報は最も大事である。
どこまで一人になりきれるか、とりあえず一人に。 とくに「--会」といっている集まり。 当分は「空」への過程だ。
そしてある時期がきたら、新しい「色」を求める。 ポイントは「電脳、グローバル、21世紀へ、前向き、楽しさ、興味」 である。濡れ落ち葉にはなりたくない。
ここで他者のホームページが見えはじめてきた。 素晴らしいホームページにいきあたる。 それと自分のホームページとのリンクがポイントである。
特にリンクの分類がポイントになってくる。 それとやはり絞込みが重要だ。 そうしないと、みさかえなく情報が入ってくる。
現在、電脳というキーワードがある。 その時代に入ったことが実感できるかできないかが分岐点だ。
ポイントはホームページだ。 自分のリンク集でもいい。
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2002年05月14日(火)
倒産にもいろいろある。 特に自分で事業を立ち上げて失敗するケースである。 実際経験しなくては解らないのが経営である。 早くいえば、実際は博打に似ている。 博打は多くは場数を踏まないと上達しない。 遵って、経営管理と経営は全く別物である。
経営に無知?の社長が大手の幹部を社長にスカウト。 そこまではよい、経営を全面的に任せる? その間違いという事に気づかないケースが身近にあった。 「飾り」ならいいが、あるいは叩き上げならまだよい。
それをカバーするには、 準備を何処まで周到にできるかにかかっている。
自分が22年前、今の事業を立ち上げた時、 「500㌫の成功確立」が、自分の信念の中にあった。 そしてそれだけの準備を、15年間ー19歳よりーかけてきた。 その15年の中身は誰もわからない。 そして表面を見て「運」と思ってしまう。
ある人と飲んだ時、かなり深酒の後、ふと横を見ると 私の顔を不思議そうな眼でじっと見ていた。 「何でこんな奴が、事業の創業ができるの?」
何処でも捨てるほど失敗事例がある。 起業、起業と最近いわれるが、そう甘いものでない。 それだけの充分の準備が必要だ、それも周到の。
もう先年亡くなったが、以前地銀の次長として長岡の店にいた人が、 支店長として私の会社の取引店に栄転できた。 いうことがずばり「たまたま上手くいったの?それとも周到の計画の上で?」 たまたま上手くいった奴と、勝手に決め付ける人よりよいが。
失敗した人はいっぱいいるが、 彼らは「たまたま失敗した、運が悪いだけだ!」と思っている。
その上に、失敗の共通点は、私生活が崩れる場合が多い。 打つ買う飲むに溺れてしまう。 自己管理ができない人が、経営管理ができるわけがない。
二代目では、変化対応ができないで失敗するケースが多い。 青年会議所のトップ?になってるが、自分の会社は潰れそう。 それと商工会議所の部会長とか? あの街、この街の現在進行形?のパターン!
ゼネコンとか集り政治家に煽てられ、再開発とか。 何処かの街の話だが、厚生会館をつぶし2Fの大駐車場を造ればよいのに 地下駐車場を数十億かけつくり、一台あたり20万~50万で、 できるのに確か??00万の経費をかけ、地下駐車場を再開発。 こういうのをマフィアという。利権の為の犯?的行為だからだ。 一桁の差でもありえないのに、二桁は歴史に残る話だ。
その??人形に使われて、娑婆はだから面白い! 少し問題がずれた。 潰れるまでに、こういう体質を永年かけてつくっている。 会社は一瞬にして潰れるが、しかし反面まともに? 経営をしていれば、そう簡単には潰れない。
経営に向かない人が成り行きや、立場上なってしまう。 他人のことでないかもしれないが! 明日はわが身か?
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2002年05月13日(月)
駅前の変遷をいうと、10年前まではビジネス旅館とミニビジネスホテル、 そしてファッションメーカーミニ工場が目に付いた。 それがここ数年で殆どなくなった。
その反面、専門学校と予備校、そして1DKマンション 大型のビジネスホテルが眼につくようになってきた。 若者の比重がどんどん増えている。
飲食店がどういうわけか殆ど、増えていないし減りもしてない。 殆どスナックは行ってないが、感じでは4割がたは減った? 夜が以前と様変わり、客引きが多く立つようになっている。
新潟駅構内がセゾンとか専門店がどんどん増えて、集客力を増している。 駅に隣接して、APAの百数十室のマンションができ、 更に再開発ビルが完成しようとしている。 これが完成すると、感じが変わってくるだろう。
更にJRの高架の工事が始まる為、 当分はー20年近くは駅周辺はエネルギーが溜まる。
話しは少しそれるが、新潟は住みやすい街である。 仙台と長野が好いというが、新潟もそれに匹敵してよいだろう。 都会の好さと、地方のよさがうまく混合している。 また結構自然に恵まれている。
若者があまり東京に憧れを持たないのも、その為だ。 何処も住めば都か?
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2002年05月12日(日)
人生の永遠のテーマの為か、過去に多くのエピソードが多くのこっている。 まずはソクラテスの妻は悪妻で知られている。 「哲学者になりたかったら、悪妻を持て」というジョークがある。 徳川家康の築山御前は、愛人と謀反を企て殺された。 あと息子も殺してしまった。
夫婦の間には、永年の間に底なしの泥沼になってしまう。 一時の熱で、一生後悔の人生を過ごさなくてはならないのは、 悲劇より喜劇といってよいのかもしれない。
それが解ってたら誰も結婚をしないから、 「恋愛という高熱の麻痺」を神が創りあげたのだろう。 誤解で結婚をして理解で離婚するのが、夫婦のある一面かもしれない。
といって一生の連れ添いは必要である。 やはり生きていくうえでなくてはならない存在である。 特に離婚した人や死に別れをした人を見ていると、そう感じる。
やはり家庭ーそれも夫婦という基本形は大事にしなくてはならない。 しみじみ感じる年頃になってきたということか! 「また生まれたらもらってね!」といって知人の奥さんが亡くなった。 いい言葉だ。
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2002年05月11日(土)
結婚と離婚ー2 -夫婦というもの
お互いの性格の違いや、育ってきた環境が違ううえに、 さらに互いの舅姑や小姑という人間関係が絡んでくる。 それを考えると結婚が上手くいく確立が50㌫というのも、 肯ける。
その人間関係の縺れを、常に話し合いで解いていかないと、 どうにもならない状態に陥ってしまう。
夫婦間の争いは、動物的ないや生物的な二匹の権力争いそのものだ。 これがいい過ぎなら,主導権争いといってよい。
そもそも出発点にお互いに惹かれるのは、 自分のない部分を相手に求めるからだ。 上手くいっているうちはいいが、歯車が狂うと、 それが逆に全く性格の不一致になってしまう。
家庭は本来は子供を育て上げる‘場’である。 「すまい」は鳥の巣から語源が来ているという。 そして最終的にそれが崩壊していく‘場’でもある。
最近、間接的に知っている人の70歳近くの両親が離婚したという。 40年間どういう人生を過ごしてきたのだろうか? 人生の悲鳴が聞こえてきそうだ。 人類最大の課題である。
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2002年05月10日(金)
現在離婚は4組に一組という。 家庭内離婚も半分?はその状態という。 そうすると上手くいく結婚の確立は(相性)は、 五分五分ということになる。厳しいことだ。 やはりこの世は不幸で満ちているのか? そうとも思えないが。
私達はまあ上手くいっているうちだ。 そうでなくては海外旅行を一緒に24回もできない。 旅はカスガイの部分があるが。 旅行は8日から15日間にわたり24時間一緒だから厳しい。 お互い同行者と割り切り、一線を引いておく事だ。
私の場合の結婚生活で守っている事は ・お互いある一線を越えないこと。 (浅くて広い川があるー溝ができようがない) ・外部のごたごたは絶対に持ち込まない事。 ・会話を絶やさない事ーお互いの話しを聞く事。 ・長女と末っ子の組み合わせが良かったが、その特性を生かす。 結果として、長女的視点で(一段上の視点)見守ってもらう。 ・美点凝視。
スナックのママなどは、離婚経験者が多い。 みていると一人で生きていくことは本当に大変だ。 知人でも何人かその経験者がいるが、そう甘くはない。 特に長期連休など、何の取っ掛りがなくなり、 孤独地獄に落ちてしまうらしい。 あとは女1人、男社会で生きていくのはそう甘くはない。
考えてみれば、人生の一番の難題かもしれない。 でも乗り越えなければならない難題である。 ある姉が言っていた「結婚は一生の大事業だ」
相性の悪いのもどうしようもない事だが。
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2002年05月09日(木)
昭和38年の三八豪雪の時、長岡高校の屋根の雪落としをしていて、 腰痛になってしまった。
母が腰痛もちで、よく腰が左右に曲がっていたのを見たが、 それがそのまま遺伝したようだ。 腰の骨が本当に左右にずれるのである。
その時の痛みは言葉に言いがたく、脂汗がにじみ出る。 大体が季節の変わり目に出る。
その対策として15年前から散歩を始めたが、今は腰痛対策というより、 精神的肉体的両面の健康のすべての対策になっている。 散歩も一日30000歩を超えると、逆に腰痛になる。
人間の今の身体の構造は、歩く前提で出来ているという。 何かあったら歩くのが一番自然だ。
腰痛は猿が人間に進化する過程で、腰に不自然な力がかかるようになった。 その結果、人類共通の持病になってしまった。 歩行がその対策によいことは、15年続けての実績で解る。 しかし完治はしない。
腰痛が出はじめたら、ホッカイロをその部分に当てるのが一番効果がある。 (母の対策を見て知ったことだが)それで4~5日で直るからだ。 医者には一度もかかったことはない。 あとは腰痛と仲良くしていくしかない。
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2002年05月08日(水)
姉が見たら(聞いたら)なにをいっているか!と怒鳴られそうだ。 「両親に、兄姉にみんなに可愛がられて!とんでもない」と。 確かにそれもそうだ。特に両親にとって、 いつも傍において置きたいペットみたいなものであった。
死ぬ時もしかり、傍にいた。 そして遺言も財産に関しても、一番有利に書いて亡くなっていた。
また両親が死ぬまで常にお手伝いがいる家だった。 チヤホヤされてきたことも事実だ。 末っ子の特権を充分享受した。
それと孤独に強くなる。一人で何かいつも遊んでいた。 長姉がいうに、いつも一人で三輪車で遊んでいたという。 今も殆ど同じ一人遊びが好きだ。 ノイローゼになる人は一人遊びの出来ない人だ。 ーできればノイローゼにはならないが。
花よ蝶とはいかないが、そういう立場にあったことは否定できない。 幼児期・少年期は事業の立ち上げ時で、非常に刺激的な環境であった。 そういう意味で「三つ子の魂百までも」である。
それぞれの性格はその時代の背景と、 血液型と家族関係と両親の年齢などによって、微妙に決まってくる。 長男には長男の立場、末娘ならその立場で決まってくる。 すぐ上の兄は、私の影的存在で?少し大人しい性格だ。
「積み木崩し」というあるタレント手記があった。 長女、次女の次に男が生まれると、その次女がひねてしまい 非行に走るケースが多いという。
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2002年05月07日(火)
8人兄弟の末っ子である立場を書いてみる。 少年期まで、末っ子は上からの虐めがきつい。 特にすぐ上の2人のそれがきつい。 常に気を張っていなくてはならないのがその宿命だ。
食事も気を抜くと自分の食べ分がなくなる為、 早食いが癖になってしまう。 常に周囲の情勢を把握していなくてはならない。
誰かに聞いたが、多くの兄弟で育った末っ子は社長に向いているそうだ。 他人の気持ちを常に読んでいなくてはならない事が、それに向くのだろう。
それと結婚の相手は長女がいいと最近聞いた。 たまたま家内がそうだった。 そういえば知人のW氏も長姉もその組み合わせだ。 上手くいっているようだ。
そういえば過去に惹かれた女性は長女で、A 型で、160cm、 おっとりしたタイプが多かったー今もそうだ。 末っ子は口が堅くなくてはならない。 それぞれの兄姉の秘密を知ってしまうからだ。
万一告げ口をしたら、袋たたきにあってしまう。 家族はまず出会う初めての社会だ。
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2002年05月06日(月)
ほとんどの店(飲食店)が瀕死の状態である。 止めるに止められない状態といってよい。
以前から私は個人で飲むときは、一軒目は3500円が最高限度である。 二軒目も4000円か5000円止まりである。 彼らに馬鹿にされたものだ「3500円までの男」とか言われて。
でも今は一般に3000円で9時までどう過ごすかが、 一般の飲む基準になっているという、それも週一度。
店主の役割は「客の視線で店を見なくてはならない」が、 彼らは自分の都合でお客を見ている。 殆どの店が死に瀕しても、その視線を捨てる事が出来ない。 さっさと潰れろといいたい、まさか目の前で言うわけにいかないが。
彼らに聞いた事だが、自分に生命保険をかけて失敗したら死んで 借金を返す世界があるという。 飲食の世界はまだそういう信じられない世界が残っているという? ママつきの店の売り物ー金ずるのオーナーが倒産ー そうすると、そういうオーナー探しをする世界があるという。
一回だが何処かのママに言われたことがある 「あのこオーナー探しているんだって、あんたどう?」 それが金があれば考えてもいいような絶世の美女! 違う世界の話しでしかない。
やり手のママは・実際の彼氏に・オナーに・お客数名の 男を持ち、それを鵜のように使い分けるというが?
しかし意外と半数以上は真面目な実直の人が多い。 永くやるにはそうでなくては続ける事が出来ないのだろう。
以前新潟駅前を書いた文章をコピーしておく。 ーーーーーーーーーーーー H0603ゴネ社会のカラス達
ラジオで鳥学者のカラスの習性という話題の中で印象的な話があった。 “牛の出産時に、ただ対象が弱味を見せている、というだけでおそいかかり、 時には牛が出血で死んでしまうケースが多々ある。”
この新潟駅前花園地区近辺は、ゼネコン関係者の間でも鬼門になっている位、 そのカラス的習性人種のたまり場で有名の地区という。 飲食関係者とかミニオーナー達が 「自分達も何かゴネ社会でチャンスがあればタカってやろう」 とうごめいている。全く関係のないところまで出向き、口を出し?をせびる。 その為にそのカラス達は飲食組合や、町内会の役員をまずねらうという。
考えてみれば今の小物代議士(政治業界のたかり屋)と全く同じ手口だ。 今回の工事でもその代表的カラスが何匹かさわぎかけた。 但し今回は比較的うまう納まったが。 第二増築工事の時は、近隣のオーナーに停年退職期のウサを、 すべて工事妨害にたたきつけられてしまった。 (店子にあいさつに行きオーナーになかったという理由で)
隣地の工事等の妨害は相手は数十倍いや数百倍こたえる。 当然その怒りは形を変えて数倍も攻撃する事となった。 隣地の攻撃は後ほど有利になるのだ。 これがわかってないから目前の相手を攻撃してしまうのだ。
“隣地境界は絶対に攻撃してはならない” あたり前の事がどうしてわからないのか。 人間の心の中にサド的なものが、 悪魔が秘んでいると工事の度に思いしらされる。
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397, たとえ話ー人間の姿を犬に例えるとシビアなわけ? |
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2002年05月05日(日)
以前も書いたが、たとえ話はより深い真実をあらわす。 犬のたとえがシビアである。
犬は狼を数千年かけて、人間の都合のよいように作り上げた動物である。 (人間に絶対服従の性格に)
社会もしかり、権力者が自分に都合のよいように作り上げた制約社会である。 イスラム教のアラーの神はその発明の典型といってよい。 砂漠の中で規範が必要であった、それだけだ。 宗教は一番権力者に利用される。 キリスト教は未開発国に放たれた尖兵ー細菌であった。
論語もしかり、孔子が権力者に自分を売り込むための教えである。 鼻声で唱和するのも、歳をとってからならよいだろう。 人間は従属しか出来ない哀れな猿でしかない。 人間の95㌫は従属を望んでいるという。
したがって狼を犬に創りあげた人間を、逆に犬に例えるとより本質的になる。 「番犬、野良犬、捨て犬、雑種、負け犬、闘犬、噛まし犬 、狂犬・・・」 あまりにシビアに人間の被支配性の本質を顕している。 ー番犬のような男、野良犬のような男、座卓犬のような人間、牧羊犬、 しかしそれが自然の推理なら、それに従うのが人間の姿である。 それに気づいているかどうかである。
話が変わるが、 ハワイでの事、現地のガイドが日系Ⅱの事をバナナと言っていた。 外が黄色で、内側が白(白人)、いい得て妙であった。
いまの日本人は正しくそうだ。日本人のキリスト教信者もそういえる。 白人の仏教信者は白瓜、アメリカの黒人は茄子か。
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2002年05月04日(土)
三条で昨日見た映画「光の旅人」がなかなか面白い!当たりであった。 昨年の9・11に最も救いを求めていたアメリカで、 10月にNO.1にヒットに記録された映画という。 ー内容は 「初夏のニューヨークのグランドセントラル駅が不思議な光につつまれた。 雑踏の中に黒いサングラスの男が現れた。彼.プロート(P)は自分を、惑星 K-パックスから来たと主張し精神病院に送られる。 医師マークは的確に宇宙の謎を語るその男に興味をひかれ、 K-パックスと宇宙のなぞを突き止めようと治療をする。
その男は医師に治せない患者に対し癒しを与えていく。 そしてそのおとこPに夢療法を始めたところ、その男は実在していた。 流れ者に妻子を殺されところを見たその男は、 流れ者を殺し入水自殺をして行方不明になっていた。
その男にたまたま地球にきて、その身体を捜していたKーパックス人が のり移っていた事実が?そしてかれPは最後にはK-paXに帰るのだが・・・?」 まあこんな内容だ。
次の小説?に丁度これに近い内容を考えていたので、 この偶然の一致に唖然とした。 私の場合、「精神病の患者がやはり、宇宙の星の話を始める。そしてそこの詳しい内容を話すのだが、 あまりものリアルさに患者仲間たちがその世界に入ってしまう。 先生には絶対秘密のその空想?の世界。そこが実際あるのか?、 それともカルト教団のようにたんに空想の世界か? 彼らは治療薬をためたり盗んで、それを自分たちの治療に応用する。 そして驚異的な回復をしていく。そして全員が退院をして・・・・・・・・・・」
こんな内容で、7割位同じ内容であった。 ユングの「意味のある偶然の一致」か? たまたま知人がシネマのパンフレットを前日に持ってきたのを見た。 それまでは「ロード・オブ・ザリング」を見るつもりであった。 これにしようという案に、家内は普段は反対するが、 今回に限り?賛成をした。
私のこの私小説?は全くボツになってしまった。 いや基本から考え直して、再度組み立てろということか? 大体考える事は一緒か? いや世界にはプロがいて、その程度のことは書いている。 趣味でストーリーを遊んでいればよい。
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2002年05月03日(金)
この種の本を数冊借りて、もっている本を数冊計7冊並べて見た。 共通点と相違点を考えてみた。
共通点は全てそれぞれの人の人生論であること。 相違点はその職業の立場の視点であった。 ー詩人、作家、記者上がりの作家
面白い発見であった。 そして文章を書くことの大事さを再確認した。 その2つの更にベースの共通点がある。
聞く人によっては非常にきつい事が羅列してある。
・好きな事を書け(好きな事をやれ) 愛情をもてること以外書くな(するな)ー対象に愛情を込めること ・自分の選らんだテーマに集中する ー結論を先に ・自分の地頭で考えた事を書け(やれ) 自分で考えた事をそのまま書くー自己責任の行為 ・失敗を大事に書け(大事にしろ) ・わかった振りするな ・まず書け(行動しろ)ー ・とりあえず量を書き、推敲をどんどんするしかない ーとりあえず多くの経験を積んで、フィードバックするしかない (行動を噛み砕け) ・いかにして「書くプレッシャー」を乗り越えるか ・自然体でー背伸びや虚勢を張らない ・自分を直視するー自己責任 ・基本的の技術を身につける ・自分の持ち味を生かした文を書くー個性を発揮する ・文章の脈絡をキチントとうすー筋をとうす 起承転結を常に忘れずに ・他人の文と比較しないー生き方と比較しない ・常に現象のの底を見つめる ・何故を常に忘れない事 ・見えないものを常に見る視点をー観察力を持つ ・主語を忘れずにー主体性を大事に 書く時代であるー個人発信の時代 ・常識を常に疑う
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2002年05月02日(木)
昨夜、NHK でウオーキング特集を組んでいた。 「人生を変える至福の散歩」というタイトルだった。 今更という感で見ていたが、散歩の素人向けの番組だった。 こちとら15年のプロ、柔道でいうと2段くらいか。
新潟市内を平日の日中歩けば、3段ぐらいになれる。 ただ楽しい至福の時間だ。 他人のことはどうでもいいが、 これだけの素晴らしい事を殆どの人が見つけていない。
家内に言っても、息子にいってもいまだ解らない。 それが他人にいっても解るわけがない。 全てが含まれている。
一日7^8時間歩いているという人の手記を日経新聞で読んで、 凄い人がいるものと驚いた。
毎日散歩をしていて感じる事は、 自然に溶け込む、自然と一体感が持てることだ。
鳥の世界が見えてくる、草木の世界が見えてくる、昆虫の世界が見えてくる。 橋が見えてくる、山が見えてくる。 その世界に入っている自分が見えてくる。
太陽の光と空気の世界が見てくる。 自分の人間世界の卑小さが見えてくる。
そして何よりも 自分の人生が見えてくる。 雀のあの楽しそうなしぜんが見えてくる。
ーーーーーーーーーーーーー 過去に書いた文章をコピーしておこう。
H0311事業百訓 最近私が造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。 (江藤淳の“夜の紅茶”をもじったものだが)①早朝(4時半~5時半)起床 ②近くの土手を一時間散歩③テレビ体操④瞑想⑤家族全員のお祈り⑥食事 ⑦風呂と続く。特に散歩が非常により。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。 季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経をとなえる。 この散歩に全てが含まれても過言ではないという“気”にもなる。
これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、 酒量が激減した事だ。健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。 時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく重くなるのがはっきり判る。 また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。
早朝型のきっかけは、松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き、 感激して自ら挑戦してみた事だ。 彼は登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。 1時間半10km歩くという。そして読書とシャワーをあびるとの事。 夜は定時がくるとすぐ帰宅。夜のつきあいは一切断っている。 これが逆に考える時間と、心の余裕をつくった。 山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー H0503万歩計 “万歩計”をつけてから約一年が経過する。 冬期八千歩・それ以外が一万三千歩・平均して歩いた。 一年で四百二十万歩、一歩五十センチとして、二千 km歩いた事になる。江戸時代の人は平均二万歩近く歩いたという。
ある調査によると会社の営業系の人は七千歩!事務系六千歩!管理職が五千歩! トップは四千歩が平均歩数との事。また人間の身体の構造は本来、 歩くようにできているそうです。 私の場合必ず手帳に歩数をメモにとり一週と一ケ月の平均歩数を出します。 これを実施していて雨の日の休日でも傘をさしてでも散歩に出るか、 天気予報を見ながら“歩き溜め”をしたりする様になりました。
私の知人も数名万歩計をつける様になりました。 今では、万歩計をつけ忘れても大体、歩数はわかるようになりました。 参考の為に、万歩計は薬局かドラッグストアに二千円位で売っています。
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2002年05月01日(水)
身近にある事で今更の感もないが、自省も含め書いてみよう。 子供の時の両親の話題はいつも「倒産、夜逃げ、自殺の話し」であった。 子供なりに刺激の強い話しであった為、記憶に鮮明に残っている。
少し上手くいくと、「妾」か「ライオンズ」か「商工会議所」通い。 本分を忘れてしまうものらしい。 子供ながらに「人間は幼稚なものだ」と感じていた。
現在の全国の会社の70㌫が赤字、30㌫が倒産予備軍 (いつ潰れるかの線上)という。県内はこれより更に悪いという。 身近で多くの倒産を見てきた。(誰もが見てきているはずだ)
人間の死と同じで悲惨で直視できない。 離婚などの家庭崩壊がそれに加わるからだ。
それと最後は資金繰りのため、詐欺同然までに陥ってしまう。 「狂言自殺」や「??揃っての計画的詐欺」 よくやるなというほどの知恵を出す。 それを社員や親戚や同級生や親友にやるから深刻になる。
子供の時より子守唄のように聞いていたが、 いざ自分が実際目の辺りでであうと、そのリアルな悲劇にとまどってしまう。 事業をしていると常に倒産の危険に出会うが、 ついついその備えを忘れてしまう。
それを予防の為に反面教師という意味で、 そういう場面にあった時それを直視する。 時代が変化する、事業の利益はその先取りからくる。 変化の先行益であることを忘れてしまう。
したがって常に時代を読み、自分を変えていかなければならない。 変化対応の体質を作っていなくてはならない。
それでも今までは愚直にやっていれば、何とか生きていけたのだが。 今はそうは行かない時代に入ってしまった。実質社会主義制度から 資本主義制度の移行期であるからなおさら難しい。
事業は上手くいっている時は天国、上手くいかなくなったときは地獄である。 坂道を転がり落ちるように破滅へ向かう。難しいといえば難しい。 そうでなくては誰もが自分で事業を興すだろう。 特に金の心配は地獄の苦しみという。
こと事業に関して、資金繰りがつかない時点で即倒産だ。 ゲームとはそこが全く違う。 その危なさが面白いとは、上手くいっている時の感情・感想でしかない。 またサラリーマンとは全く違うところだ。
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