堀井On-Line
2002年02月28日(木)
野田一夫教授
経済・経営系の人なら、この人の名を知っているはずだ。 ドラッガーの訳者だからだ。
忘れられない授業がある。 確か3年の時の6月の初旬あたりである。 講座は「経営学」である。 その時の感激を今でも忘れられない。 学生時代の自分の中で色々な内面のビッグバンがあった。 その中で「Aクラスのショック」であった。 ーその内容とはー
諸君、同じ人間として生まれたからに、 せっかくこうして学んで人の上に立とうというなら、 ロマンローランの「ベートーベンの生涯」をぜひ読んでみなさい! ベートーベンは音楽家でありながら、耳が聞こえなくなってしまった。 音楽家にとっての難聴は致命的である。 それを乗り越え、その心を作曲したのが「運命」である。
この本の中の彼の手紙に 「絶望を突き抜け歓喜に!」 「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実に拠ってだけでも、 不幸に耐ええることができる!」という言葉がある。
不幸のどん底の中の意志の言葉だから素晴らしいのだ。 この本を買って繰り返し読みたまえ!
これから諸君は何らかの形で指導者になる人間だ。 素晴らしい本を読みたまえ。勉強をもっともっとしたまえ。 何処でも席を座るならこそこそ隅に座るな!真ん中に座りなさい。
大体がこんな内容であった。この時から何かが変わったように思えた。 野田一夫教授は当時、ドラッガーの訳者として高度成長期の 売れっ子教授で、今でいうタレント教授的なところがあった。 自信と個性の塊のような人で、 人をある方向に駆り立てるカリスマがあった。
その後立教を辞めた。 多摩大学の創立総長として、何度かTVでお目にかかった。 更に宮城大学も同様に創立に関わり総長をされていた。 ドラッガーが愛読書になったのも野田教授のお陰である。
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2002年02月27日(水)
ーキャンベルとモイヤーズの対談集を読んで 私の愛読書の一冊でもある 「シェーン」をはじめとする西部劇の大部分は、 [神話のストーリ]の転用であるという。
主人公がある街に流れてくる。 そこで悪に遭遇して、正義感からその悪と対決し退治をする。 そして何も報酬を求めず黙って去っていく。 「英雄の理想像」である。
英雄の立場からすると、大いなる旅に出てそこで色々な困難に遭遇をする。 それと闘い勝利して「大きい精神的な何か」を得て故郷に帰っていく。 アメリカ西部劇の全てに共通しているストーリである。
「スターウオーズ」も、そのストーリーが背後に一本通っている。 現代の神話、西部劇である。
今話題の「千と千ヒロの神隠し」もその筋道だ。 桃太郎、一寸法師などの昔話もそうだ。 挑戦、闘い、変化ー成長、の成長過程が全て含まれている。
我々もそのプロセスを重ねて成長していく。 神話はそういう意味で「人間の一番の本質」といってよい。 誰もが自分を一生を貫いている神話を持っている。 自分にとって誰もが主役、皆が大将である。 「脱皮できない蛇は死ぬ」という諺があるが、神話のない人生をいう。
西部劇をみていて、そこに懐かしいアイデンティテーを感じるのはその為である。 そこに内面の深奥の旅を経験する為だろう。 蛇と鷲の闘いを絵でみたり、TVのドキュメントを見て興奮を覚えるのは、 「地に縛られている蛇」と「飛躍の象徴のわし」の戦いを、 「自身の内面、過去の経験」で知っているからである。
英雄は鷲である。飛躍とは地に縛られている自分からの飛躍である。 蛇は縛られている自分でもある。その自己葛藤がその闘いである。 また蛇は人間がまだサルの時、森に縛られていた時の天敵である。 本能的に嫌うのは、その時の記憶が遺伝子に残っているからだ。
その合体が龍である。羽の生えた蛇である。 何処の世界にも龍という架空の動物がいるのは、人類共通の想像的産物である。 願望の結果である。 神話の中によく大きい鳥に乗り、はるかかなたに旅をする世界共通の物語も その形を変えたものであろう。
実は私の「秘境のたび」もこれに似ている! 一時の蛇から、森からの飛躍のバーチャル版といっていい。 鳥を飛行機と喩えることができる。
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2002年02月26日(火)
1968年 9月10日 7時5分起床。 掃除に食事、9時半より11時半まで勉強! その後長岡の明治大学の1年の田村君と話す。 2〜3日まえにやはり勉強の為に来た男だ。
夕食後7時半より、午前様と「神」について話す。 午前様「一という数字はあるが、一という実体はない。 それを一といえば一であるが、一でないといえば一でない。 一は万物であるともいえる」 「人間は実体だけでない、魂であり、永遠的なものである。全ては 生き続けている。」 デカルトの「我思う、故に我あり」の言葉を引用された。 「誰もが神の要素を持っている、磨くかどかだ」 「人間の見る聞くは5感6感の働きでしかない。 それを超えた存在はいくらでも存在する。 それは修行によって初めて知る事ができる。」 「神が罰を与えるのは、困らせる為でなくそれにより、 間違いを知らしめる為である。」 御前様と話していると自分の無知が露出されてくる。
明日は座禅を8時にくむ予定である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 9月11日 御前様が座禅の指導をしてくれる。 解ったような解らないような!
9時から夜9時まで座禅に挑戦!計8時間休み休みだ。 午前中は雑念だけだ。午後からは少し集中できる。
感想はただ疲れただけだ。 当然ながら禅の事はさっぱり解らない。 ここの2週間近くは、充実したものだった。
明日からは娑婆である、楽しみだ。 これから高橋さんと根本君と送別会だ。
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2002年02月25日(月)
この頃何を考えていたか、誰でもこの頃は大きなターニングポイントの時期であった。 土がたっぷり付いていた田舎の青年が、それを必死に振り払い 「自分に目覚め始めよう」としていた時期であったようだ。
キリスト教倫理の教授の「将来の自分の設計」というテーマを 休暇に与えられ、(生まれて初めて)真剣に考たレポートを出した。
その内容に対し心の入った文章の返事が書いてあった。 200人の学生に対し、これだけ長い心のこもった返事を書くものかと 感激をした。 それとも「自分の真心に対しての特別の返事」だったのか? 鈴木教授という名前と、 その授業が心のこもった内容であった事を憶えている。
私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容であった。 初めて第三者に自分の心情を真剣に書いた。 いや書かされたのかも知れない。
要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさにしり込みをした。 そして安易な生き方を選んだが(商売人よりサラリーマンに嫁ぐこと を選んだ)しかし自分は両親の生き方を求めていこう。 今になって特に「父の生きかた」に男として魅力を感じるようになった、 等々。
もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎて不幸な死に方をしてしまった」 とも書いたかもしれない。
心のこもった返事とは 「その中で、よくぞ父の生き方を肯定をした。 そしてその生きかたを選んだ貴方にたいし心から賛同する。 貴方が自分自身で考え抜いて判断したことが素晴らしい!」 というな内容であった。
この時点で自分の行き方が変わったように思える。 いや決まったように思える。 もともと決まっていたのかもしれないが。
俄然それから目標がハッキリした。 「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!」
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2002年02月24日(日)
人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。 そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。
まずその達人を事例で考えてみる。 一番身近では母がそのプロ?であった。
戦前、戦中、戦後の動乱期に10人の家族が生きていく中で、 父とともに苦労の連続であった。そして長男、次男の連続の 不幸な死で今の重症のノイローゼーになった。 心筋梗塞、死の一歩の手前までいった。 亡くなった時、医師の要望で心臓を解剖したら、心臓の4分の1が壊死していた。
それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを遊びに全て向けていった。 約40年近く遊びきって亡くなった。 日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。 毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。
子供ながらに、そのエネルギーに感心をしていた。 遊びの重要さもそのため学んだ。 重点としてだが父は「働く人」、母は「遊ぶ人」と役割分担がハッキリしていた。 ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。
「遊び」を儒教的影響の為かキリスト教的倫理観の為か、 罪悪と教えられてなかったか。 子供のころ誰もが、毎日目を光らせて遊んでいた。 ただただ無心に遊んでいた。 あの遊びをいつの間にか我々は忘れてしまった。
人間は生きていかなくてはならない。 その為に働かなくてはならない。 競争に打ち勝たなくてはならない。 その為に勉強もしなくてはならない。
しかしそれだけでは、それだけの人生だ。 それがクロなら、その対象の白が必要になる。 どちらが大事かでない、どちらも必要なのである。 それを特に母の生き様から学んだ。
一般的にいうと、遊びの優先順位があまり高くない。 どうしてだろうか、やはり生活をしていかなくてはならないからだ。 そして厄介な不安という心理がある。 その為に、お金をセッセと溜め込まなくてはならない、 「馬鹿な?生き物」である。
遊びとは、「好きな事をして、それを楽しむ事」をいう。 そうすると、仕事も遊びになりうる。 天才はその典型であろう。
あの子供の時の遊びを我々は忘れてしまった。 何でも遊びの対象にした「遊び心」を。 純真の心を失っているからだ。 「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。
「遊んでないで、笑ってないでもっと真面目にやれ!」 と暗示をかけられてないか?
私の趣味の一つにウオーキングある。 初めは腰痛対策であった。今は大事な趣味ー遊びになっている。 純真に楽しいーヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vのである。
その中に純真な遊び心が躍動を始める。 何々のためにといった場合は、遊びでなくなる。 それを乗り越え、純真な遊び心になった時点で「遊びに昇華」する。
パソコンもそうだ、このホームページもそうだ。 そこまで持ち上げる必要性を人生で学んだ。 「遊びになるまで集中する」という事か。
これから散歩だ!
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2002年02月23日(土)
1968年9月2日 六日町 雲頓庵
朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。 食事の後、「流通革命」を後半100頁を読み終える。 そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。 二浪とか「つらいだろう!」
13時から17時半まで「流通機構の話し」 を読む。中央公論の流通の切り取りも読む。 何か集中が足りない。21時半に禅堂にいって座禅をくむが、 何かごそごそという音がする。
こわごわ見ると猫みたいなのがいる。一瞬凍りつく! よく見ると小さなイタチみたいだ。 皆を呼びにいく。全員でそれを追いかけまわす。 逆に歯をむいてくる。 とりあえず戸締りをして、次の日にする。
ーーーーーーーーーーーーーーーー 1968年9月3日
目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。 本堂に行くと6時10分、顔をあらっていると、住職が昨日の動物を 退治しようと長い棒を持ってやってくる。
そして気合もろともその動物をたたき殺す!凄い気合だ。 よく見るとイタチでなくモモンガであった。 顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。
昼飯後、住職とわれら3人組で裏山に茗荷を取りに行く。 それが結構面白い!かごで3杯とる。午後の勉強は3時になる。 急に将来のことを考えると、不安が押し寄せる。
相変わらず、読書のペースが遅い。
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2002年02月22日(金)
ベトナムに行った時に出会ったバスのドライバーという人。 旅行の最中、ほとんど笑いっぱなしであった。 あるいは人を笑わせていた。
お笑いの芸人も2種類いるという。 普段の生活の中で「全く笑わない人と、笑いっぱなしの人」と。
その人に「如何してそんなにわらえるのか?」聞いた。 「母親が何時も笑っている人で、その影響だ」という。 職業が「観光バスのドライバー」というから、それに磨きがかかったのだろう。
ハワイに初めて行った時のバスのドライバーが「ポパイにそっくりな顔」 をしていた。そして初めから最後まで運転しながら、 ニコニコしながら鼻声で歌っていた。 こんな陽気な笑いは、かって見たことが無かった。 ハワイにピッタリであった。
あそこまでは無理としても、訓練すれば半分は可能な筈だ。 土壌と、また特に母親の影響が大きいのだろう。 子供は何らかの形で両親の分身なのだ。
会社に毎年新人が何名か入ってくる。 研修を終えて恒例の歓迎会が毎年楽しみである。 若い女性が研修から解放され、「純粋な笑いの渦」にその会がなるからだ。
知人の数名もそれを知っていて、招待されるのを待っている。 ちょうどこんな感じである。 ー(^<^)!(^^)!(^'^)(^^♪(~o~)(^・^)(^o^)丿
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2002年02月21日(木)
この本が最近話題になり、インターネットで早速買ってみた。 本屋で立ち読みをしたら、買わなかったと思う。 ほとんどが「TVで放映されている内容」でしかなかった。
昨日、印象に残ったものを「サロンのコーナー」に、 デジタル写真で撮り、貼り付けておいた。 もっと色々な内容があるはずだ、そう思って買った。
すぐ考えたのは、「日本がもし100人の村だったら」が書けるのではないか、 という事であった。日本人は2番煎じはうまいのだが。
ただ「テーマ」がよい!ーいや問いかけといった方がいいか。 今まで難しいと意識しなかった問題が見えてくる。 テーマの決め方で、問題を深く捉えることが可能になる。
「国家予算」も「県の予算」も、「100人の村だったら」 の喩えでもして解説をしてくれたら、一般の人も関心を持つ。
ある人の文章が巧くなった。 何故だろうと考えたら、いつの間にかテーマをつけていた。 テーマは円でいう中心点である、芯ができた為だろう。
テーマ日記を書き続けて、少し自分の頭がよくなったような気がする。 テーマを考えるのと、その内容の構成をするからだ。 また書きながら、違う視点にも気づくからである。
100という数字が分かりやすいのと、村の住民という喩えがよかった。 山下清が何か考える時「兵隊の位でいうと,どのくらい?」 と問いかけるのと似ている。 単純だが一番の中心をつく。
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2002年02月20日(水)
随想日記を書き続けてまず考えたことは、負担にならないで、 如何に自然体で書きつづけるか? そしてそのノウハウは?
・まず数人の前で話を毎日することを想定した。 ・気取らず、自然体で書く。 ・自分の為に書くー書いていて楽しい文にする。 ・話題の底がつきるまで書く 、 いや尽きた時こそチャンスと考える事にした。 ・毎日15~20人の人に読んでもらえるまで、内容を上げる。
3週間ぐらい前、定点観測の本屋でコピーライターの書いた 「文章上達トレーニング」という本を買った。 「話すように書く」が、自分の方法と同じだったからだ。
・「話し言葉で」下書きするー最も親しい人に話しかけるように書く。 ・そしてそれを文章化する。 ・更に文章らしくなるように手を入れる、 が要旨である。 文章作法の基本は「起承転結」である。 それを「結承転結」ぐらいの感覚で、まずいいたい事をまず明確に書く。 いい文章とは分かりやすい文章だ。けして美文をいわない。
「葉書の書き方」の方法論の本の中に 「まず結論を初めの2〜3行で書き上げてしまえ!」というのがあった。 その後は、流しでよい。それを先に書いてしまえば後は気も楽になるし、 すらすら日常のことが出てくる。 それを実行してから葉書や手紙を気楽に出せるようになった。
随想日記も基本はそれである。 それとなるべく短文にすることだ、ようするにシンプルにする。 短文なら誰でも書ける。それを重ねていけばいい。 読むほうも、読んでいて読みやすい。
気取らず、自身の言葉で書く。 あと書き換えをなるべく多くやる。上達の訓練はそれしかない。 その点でパソコンはいい。いくら書き換えても汚くなることはない。
それと意外なポイントとして、短時間で一気に書き上げることだ。 何事も気合だ。それを何回か添削する。
それと書きだめを幾つか書いておく。 書きだめと思って書くと気楽に書けるからだ。
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2002年02月19日(火)
−1968年8月31日日記帳より
今日雲頓庵(禅寺)に来る。卒論の勉強の為だが、予想どうりのところだ。 早速座禅をくんでみる。足が痛くなり無我の境地にさほど遠い。 しかし現在の自分が求めていたもののヒントを与えてくれそうだ。
ここに慶応大学を卒業して弁護士の試験勉強をしている高橋さんと、 立教女学院の短大生が10人位いる。面白い人ばかりで明日帰ると言う。
帳面を忘れてきた。 これから当初の目標の計画立てだ。
ーーー ー9月1日 朝5時に目が覚める。6時半に起き 早速掃除をする。朝食前に高橋さんと裏山に登ってみる。 たった今鐘の音が聞こえてくる。深夜の鐘もいいものだ。 昼、彼女らが帰る、何か寂しい。 昼飯時にこの寺の後見人という人と話す。 午後は離れの一室で「流通革命」を100ページと「流通機構の話し」 を60ページを繰り返し読む。 勉強の集中力が足りないのがいらだつ。 明日より気を入れなおさなくては。 夜は10時にうとうとしてしまった。 後記ー独りで夜30分禅堂で座禅をくんでみる。 ロマンチックな感がする。誰も見ていないので自分との闘いだ。
ーーーーーーーーーーーーーーー 捜し物をしていたら「日記帳」が紙袋の底より出てきた。 半年分が書いてあった。
過去の自分との対面である。
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2002年02月18日(月)
・大学にいってよかったのは、 「都会の人は本を読んでいる」ことを知ったことだ。 ー読 書の必要性を学生生活を通して実感 ・特に基礎教養としての読書の必要性, しかしノウハウ書の重要性も馬鹿にできない ・知識・情報を得る手段として、人間と本そしてラジオ・TV 、 今はパソコンのインターネットである。 その価格や内容からみて、まだまだ書物を超えるものは無い。 「おおよそ500円から5000円」の間でこれだけの情報が 詰まっていて、手軽にあつかえるのは今のところ他に無い。 ・時空を超えていろいろな人と邂逅できる。 頭の中のバーチャルの世界の触発をしてくれる。 ・よい本は自身の中の悪い情報を、どんどん弾き出す働きを持つ。 ・特に学校を出てからの読書が大事である。 ・学歴でなく、学力が最も重要である。 その力を効率良くつけるのが読書だ。 他人の話を聞けない人の特性が「読書の重要性」のわからない人だ。 ・一般に言う「井戸端会議のおばちゃん」は、本を読まない人の別称 と言える。いや蔑称か。 ・卒業をしてから大体平均2〜3時間は読んできて、この程度の学力だ。 ‘子狐’の中に「もしかして全く読んでない自分の姿」をみた時、 背筋の寒さを覚えた。
世間には凄い人が多い、それも過去の人の中に無限に存在している。
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2002年02月17日(日)
やはり速読法が中心だ。 それも「要点集中主義」だ。 その典型が図書館で可能な限り(10冊)借りてきて、居間の「私の居場所」 の横に積んでおく。食事やパソコンをイジッテッル合間にチョイ読みをする。 通勤で行き帰り読む。
そして返す時間が詰まってくる、もちろん週10冊は読めない。 そうすると要点を見ざるを得ない状態になる。 本はその状態でないと、読まないことが多い。 返す期間が決められていると、要点をみざるを得ない。
これは買うに値すると判断するとすぐ「ネット」で注文をする。 買った本は、すぐ折込に入る。 本の端を重要な箇所を折り込んでしまう。 目次、各章、終わりに、図と絵、太字のページを折りこむ。 そうすると、その時点で自分だけの本になってしまう
そして身近においておく。 読んでいて、いやパラパラと開いていて、ここは重要と思うと左下を折り込む。 折込にも情報を入れる。左上は図示と絵。
急ぐ時は、終わりより逆にめくっていく。 そうすると、どういう訳かポイントが良くわかるのだ。 それでも時間が無い時は、この本から一つだけ情報を取るという視点で 集中する。 一つはあるものだ、特に「目次」か「終わりに」でそれを探す。
いま一つ実行していることは、本屋に週2回は寄る。 通勤途中の二軒のどちらか一軒だ。 本屋も毎日のように、売れているコナーの本を入れ替えている。 定点観測である。 立ち読みで要点読みが結構できる。
都会ー東京の羨ましいのは神田も含め大書店が多いことだ。 情報格差の一番象徴的なところだ。
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2002年02月16日(土)
立花隆の「二十歳のころ」が面白そうなので ネットで買い寄せた。
本屋で立ち読みをしていたが、実際に買い読み始めるとこれが面白い! 立花隆と東大の立花ゼミ生が「各界著名人や無名の人の20歳のころの事」 をまとめたものである。
一番の人生の不定形の可能性の塊のころである, と同時に一番不安定のころでもある。
そして一番その後の「人生の基盤」を作っている時期でもある。 私の周辺の人を見ていると「大学時代何をしていたか」 で人生が決まってしまったように思える。
その頃遊びほうけていたり、ただ漫然と大学生活を過ごしてきた人は、 今もその延長にいる。人生の要所であることに若さゆえ気づかない。
さすが立花隆と思うのは、これを「ホームページ上でサイバー大学という形」 で進めていったことである。ゼミの連中は同じ年代の一番大事な時期に、 各界のこれをやらなくては絶対会えない人から、色々な啓示を受けたことだ。 それもホームページ作りを通して。羨ましい限りである。
人生のOFF−J−T,いやOFF−L(LIFE)−Tになる。
私の二十歳頃を近くに書いてみよう。 それより学生時代の頃になるか。
屋上から「通行人の自分」を眺めているみたいで面白い。
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2002年02月15日(金)
我々は「自分を愛することを罪悪」と知らないうちに, 教え込まれてこなかったか。 人間のいや生物の「遺伝子にはエゴイズムが書きこめれている」という。 まず自分のエゴイズムをハッキリと認めよう。 そしてそのコントロールをすべきだ。
自己への愛が自己陶酔やエゴイズムと混同され、否定されている。 私たちの大部分が、実は愛を経験していなかったのではないか? 経験してきたのは、実は[報酬]であった。
どこかの「チンドンヤ」のように第三者の容認を目指しているのを、 本当の愛といえるだろうか? 第三者の影を探し続けている「子狐」的偽愛・偏愛を愛と勘違いしていた。
まず自分自身を愛し、魂を育てることが「愛」の第一歩である。 その前に人を愛そうとしたり、人に愛されることを求める。 それはオカシイと考えもしない、世界の大部分がそういう人で満ちている。
別にエゴイズムを勧めているのではない。 他人に対する愛の希求を、まず自分に向けよ!である。 自分の魂に慈愛を与えよ!である。 自分のやりたい事を見つけやることが、魂に慈愛を与えることである。
それを第三者に求めることを「愛」と勘違いしている。 真にやりたいことを、第三者に求めていないか?
第三者にそれがある訳が無いことを解ってない。 新約聖書に「汝を愛するように、隣人を愛せ」という最も象徴的な 真理がある。汝を愛せない人間が隣人を愛することができるのだろうか。 聖書もまず隣人を愛せとか、自分への愛を否定はしていない。 宗教的な文章になってきた。
それを知っている人間は他人のそれも解る。 自己欺瞞が世界に満ちている。 解ってない人間が奇麗事を言う。 他人のアラを探す、無能だからそれしかないのだ。 こういう一生を「無能松の一生」という。
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2002年02月14日(木)
お見舞い申し上げます。 どう見舞ったらよいか?私の仕方で最善と考えてこの本 (フランクルの<生きる意味について>)を贈ります。 非常に深い内容のある本です。 今度の貴女の病、あなた自身にコペルニクス的大転換 (人生に何を要求するかより、人生そのものが貴方になにを求めるか?) の問いの大転換のチャンスです。 この本を読んでいるうちに、何かが見えてくるのではないでしょうか。 <過去の総てを肯定し、容認すべし>
父が死を目前にした時「もう一度、同じ人生を・・」と言っていました。 これは非常に深い言葉だったと思います。 それも知識より触発された言葉でなく「苦しみの底より掴んだ言葉」 だからこそ父のこの言葉を素晴らしいと思います。
貴女の場合 「池津屋とともに生き、そしてそこを去り倒産、そして音楽の先生 という人生」はそのまま安穏とした人生より、はるかによかったという見方です。 自分の人生の総てを肯定する見方です。
この数年父の心境が判りかけています。 「社会的自分を一度すてて、真なる自分」を今一度じっくり見つめ直す時期です。 「過去の総てを肯定する視点をもつべし」これは私が言った言葉でなく フランクルがいっている言葉です。 神が一日だけ、この世の中にある人を呼び戻したそうです。 総てが光輝いて見えたそうです。
娑婆の人間に「何故それが見えないのか?」 「どうでもよいこと、娑婆の表象」に流されているからだと思います。 そのゴミの中で生きているからです。 それを餌の種にしているからです。 これを機会に真実に生きてください! ご自愛のほど! ー魂の言葉ー 2000年11月30日 ー 八郎
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2002年02月13日(水)
真実の時
闘牛に「真実の時」という瞬間がある。 闘牛士が最後の止めを刺す瞬間、牛もそれを悟り最後の力を 振り絞って突進しようとするその「一瞬の間」 ーこれを「真実の時」という。
葬式の火葬場で最後に釜に最愛の人を入れる瞬間もそうだ。 最も親しい人との別れの瞬間もそれだ。何回見ただろうか。 いや両親の経験をしている、叔母も。 昨日もその場面を経験した。
感動の絶頂の時もそうだ。 バンジージャンプの落下している瞬間もそれだ。
純粋に泣いているとき、笑っているとき、怒っているとき、 そして悲しんでいるとき、そして楽しんでいるとき、 感動しているとき、をいう。
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2002年02月12日(火)
こういう経験ー夢をみたことがありますか?
「全く無能で白痴の何の取っ掛りのない自分」に呆然としている夢。 夢から覚めても、しばし呆然としている。
自己喪失感というか、虚空の自分を実感した感覚である。 それこそ「自己中心絶対無」でなく、 ・自己中心絶対無能、 ・自己中心絶対虚空 ・自己中心絶対自信喪失
何か聞こえてきそうだ! 「実をいうと、自分はその塊だ!」
あの恐ろしさ! 独り社会から引き離され、虚空をさ迷っている魂。
ある人に話したら「 自己喪失感というやつでないか」といった。 永年連れ添った人を失った人が経験するのが、あの夢の感覚かも。
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2002年02月11日(月)
マ〜コとは昨日亡くなった(4人いる姉の一番上の) 姉正子の幼少年期に呼んでいたあだ名である。 彼女の話をしてみよう。
「声楽家になりたかった」が口癖であった。 「家の犠牲になり、それを断念せざるを得なかった」とも。 「中沢桂」と高校の新潟県大会で負けたのが人生の分かれ目であった。
兄がたてつづきに亡くなり家業の為(婿養子の)芳朗さんと結婚。 家族の間に立ち、気苦労をした一生であった。
長岡社会から一歩も出たことがなく、 その卑小性・特異性を全く自覚できないのが特性であった。 「城下町の特性」をそのまま価値観にして生きた。
性格は自己顕示の強い、自分を常に「ヒロインにしたて演じている 可愛い人」でもあった。 常に人に気を使い、その場を常にパフォーマンスで盛り上げる事に、 全神経を使う人であった。 その面で母に似ていた。
「波乱万丈長岡版」の人生を充分に生きた。 独り芝居のパフォーマンスを会話だけでなく、人生で演じきった。
人に好かれ、彼女の居るところは常にオーラが輝いていた。 もって生まれた才能であろう。
後半ー40歳過ぎは事業で失敗。 音楽の先生として200人を越える弟子がいたとか。 好きなことを仕事にできたのが「彼女への神の贈り物」であった。
おそらく彼女のこと、あの世でも歌を歌い周囲を笑わせ、独り芝居を 演じているだろう。 安らかにお休みください!さようなら。
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2002年02月10日(日)
通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。それぞれに思い出がある。 たて続きに3回乗り過ごした。 いまから10〜15年前で一番酒を飲んでいた時期であった。 初めは湯沢で泊まった。
飲んでいた勢いで、ビジネスホテルの近くのスナックに飲みに出た。 10時半過ぎであった。 大きい猫がいて手を噛まれた!中年のママさんがいた。 湯沢の情緒が漂っていた!
その次は浦佐駅であった。やはり乗り過ごした2人と話し合い 「割りかん」で帰ってきた。 長岡駅と思い歩いていて,何かが違うのでよく駅名を見ると[浦佐]であった。
3回目は本を読んでいて、夢中になりすぎて乗り過ごした。 折り返しの新幹線で帰ってきた。
5年位前の乗り過ごしが面白かった。 ウソみたいな本当の話である。 正月の3日か4日であった。 乗り過ごした私と同年代の人と駅の改札で話し合い、 どこかのホテルのツインを割り勘で泊まることにした。 そして近くのビジネスホテルで、乗り過ごしの事情をいい「値引を交渉!」
「自分には値引きの権限が無い,駄目!」 酔っていて滅茶苦茶!面白くないので、そのまま出て歩いていた。
たまたま向こうから60歳すぎのの人と、40歳後半の男の人が歩いてきた。 事情を話し、「もっと安いホテルが無いか?」と聞いたら、 ちょっと待てと電話をしてくれた。 そして安くしてくれるホテルがあるといいう。
助かったと思い感謝しつつ後をついていくと、 何と初め値段交渉をしたホテルであった。 そしてその若い方がその社長であった。
そして飲みに行こうという。 それならばこちらも乗りかかった船、その連れと付き合うこととなった。 但し値引いた分の金額を出せという。それは当然のこと二人で出した。
その後、湯沢で一番の高級のクラブで2時間、正月という事もあって 大騒ぎ。ー後で知人に話したら、そのスナックを知っていたー
次の日4時間だけ寝て一番の新幹線で帰ってきた。 だんだん恥のさらけ出し?
「気違い水ー酒」を飲んだドラマがいろいろある。
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2002年02月09日(土)
イルカはどんな状況でも楽しみを見つけ遊ぶという。 私の身辺にイルカのような人がいる。
「今日如何して一日を楽しむか」それしか頭に無い。 オリンピックといえば、一月前からそれを楽しみに待っている。 始まれば夜半でも寝ずに見る。 ウインブルドンのテニスが始まれば、これも然り。
毎日のTVも当然いくつか楽しみの番組がある。 一日が楽しむ為にフルに使われるのだ。 昼は誰か友達と安くて美味しいランチを探し食べている。
その為か顔までがイルカのようになってしまっている。 笑い顔なのである。 必ず笑いのネタを何処からか見つけてきている。
働くことは大嫌い! 遊びならどんなハードな事でも平気、 仕事は少しやると顔がはれ寝込んでしまう。
2〜3人のグループで常に群れているところが、 更にイルカに似ているところだ。 そういう人は今でいう癒しを周囲に与える。 それが唯一のの社会的貢献だ。
こういう人は西欧系の人では当たり前のタイプかもしれない。 我々の年代の日本ではすくないが、若い人ではいくらでもいるのだろう。
社会学で人間には二タイプに分けられるという。 仕事タイプの人と、遊びタイプの人とに。 難しくいうと「仕事タイプをホモ・ハーベン」、「遊び人タイプを ホモ・ルーベン」という。
いるかのような人は「遊びタイプ」の典型である。 これで一生終えるだろう。 母親がこれに劣らず、一生を楽しんでいる。 家系からきているから間違いない。
人生とは、こういう人には幾らでも楽しみを与える。 反対の人には、いくらでも苦しみを与える。 何か法則があるのだろう。
この視点でみると私はシャチというところか?
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2002年02月08日(金)
こういう時代だから、この言葉が大事だ! といって、これは手を打っての話だ。 「最善をつくして天命を待て」の時の言葉だ!
考えてみたら、心の奥で何時もこう呟いていた。 歌に「明日がある、明日がある、明日があるさ・・・」 とかいう歌があった。「明日がある」も似た言葉だ。
「何とかなるさ」も同じ意味か。 今更、一休和尚の話しをしても仕方がないが敢えてする。 「死んだ後どうにもならなくなったら開けよと、一通の封筒を 残して死んだ。そしてどうにもならない時に開けたら(どうにかなるさ!) と書いてあった」
実際今まで生きてきて何とかなってきた。そして良くなってきた。 実際起こりうることより、それに対する不安の方が10倍は大きい事は、 誰も経験済みである。海外旅行ほどその段差を実感する。
今の悪い状態に対して悲観するのでなくて、よくなる方策を考え抜き 実行すればーーーー「今によくなるさ!」
「今の日本はそれをやっているのだろうか?」
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2002年02月07日(木)
この人の本を読んで人生観が変わった。 基本は人生は「積極一貫」である。 言葉を大切にしろ、何気なく使ってる「言葉の力」に気づかずにいる。
「言葉のコントロール」をすべし。「プラスの言葉、積極的言葉」を使うべし。 ‘何か元気の出る本がないか’とい聞かれたら迷わず天風を薦める。
・「積極一貫」がその中心 ・「誠心誠意」がその背後にあり、「良心」が発生源である。 ・なにげなく話す言葉は、どうしても「マイナスの言葉」になってしまう。 常に注意を払い,充分に気をつけていなくてはならない。 ・天風が瞑想の果てにつかんだものは「人間は受信体だ!」ということだ。 その為に、「独りだけの時間」をもち、「心を澄み渡る」ようにしておくべし。 そうすると「感受性」が高まる。
ー最近また天風の本を一日一回目を通している。 理由は簡単である、トイレに置いた。 一週間置いたが、コウカテキメンで毎日が気分がいい。 単純なものだが、何か力が底から湧いてくる。 言葉にどうしてもマイナスが出るが、それを一日一回でも窘めてくれる。
「人生の花園に常によき花を咲かし、よりよき実りをつくらなくちゃ。 それが自分の義務だもん。」 -天風
天風の言葉を書いた手帳があるが、来年はそれを使う!
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2002年02月06日(水)
モロッコのマラケシュで、夜半ホテルより馬車に乗り中心街の「ジャマ・エル・フナ広場」に行った時のことの話。 4人のりの馬車のったのが、同じグループの母娘と一緒であった。 母親は少し初老性のボケ?が入っていたか、もしくは「お姫様出身」 ではという感があった?一人興奮していたのか話しっぱなしであった。
その話しが面白い!といって今回の観光のピーク。 その街の景色が素晴らしい。 どっちに気持ちを集中していいのか迷ってしまった。 世界的に知られている「マラケシュの街並み」も素晴らしいが、 その人の話しも面白い! 私はマラケシュの街並みの方をとる。それは座る場所で決まるのだ。 家内はその話の聞き役をとった。 その為か街並みは殆ど見れなかったという。
その内容とは ー自分の亭主は日航の機長であった。 以前羽田で精神症で大事故をおこした・?機長と同期。 実を言うと自分の亭主が高所恐怖症。 誰も知らない秘密を私だけがしっていた。 「屋根の修理で震えていた」のを見てしまった。 本人に聞いたら「実をいうとそうだ!」と答えた。 こういう話がそのベストタイムに続くのだ、よりにもよってその時間に! そのTPOSで聞くから、その話が更に面白いのだ!家内は笑いっぱなし! それに劣らず、その夜景が素晴らしいのだ。 まさしく小説の世界、いや映画の世界といってよい。
同行の娘が傍でハラハラしているのが、手に取るようにわかる。 母の世話に全神経を帰国するまで使っていた。
ネタはツキマセン!このての話しなら!
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2002年02月05日(火)
「 北海道一周、九州一周、紀伊半島、能登半島」 けっこう経験しているが、世界一周の一人旅の経験はしてない。
人見知りするためか、どちらかというと「一人旅」は苦手だ! といって振り返ってみると、結構経験をしていた。 若い時の一番人見知りの時期ほど旅をしているのは、若さのエネルギーか? そのいくつかを書いてみよう。
今回は北海道である。 大学の4年の時である。今でいうと自己逃避か、はやまた気取りか。 いやそうしなくてはならない「自身の何か?」であった。 かっこよく言えば行き詰った自己打開ということだったのか? といって、それほど無理した旅行でなかった!
殆ど記憶に残ってないが、確か列車の乗り継いで青森へ! そして連絡船で函館?そして札幌、釧路、根室、知床、網走と汽車を乗り継いだ。 書いていていて、多くのことを思い出してきた!
印象的なことが結構ある。 やはり青春の一番の思い出の一つである。 自分ながらよく行ったものである。 世界への一人旅へ出なかったのが悔やまれる? いや当時はまだ無理だったのか?
あの時何故日記を書かなかったのか?書いておけばよかった! 何か何処かの山の上によじ登り、尾根を歩いたのを思い出した! 一人に対して何の寂しさとか、不安は何もなかった? いやあったが忘れてしまったのか?
函館の函館山から見た夜景を鮮明に思い出した。 屈斜路湖、摩周湖、層雲峡と・・・・ 一応振り返ってみると、やるべき時にやるべき事はやっていたようだ。 30数年たって、この旅行を初めて振り返ってみた。 行方不明のアルバムに写真が残っている筈だが。
青春時代はいつも大きい壁があった。その為フラストレーションが マグマのように溜まっていた。 それがエネルギーになっていたのだろう。
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2002年02月04日(月)
・「もし、私の聖書の読み方が正しいとすれば、神があるがままの 人間を愛される、あるべき人間の姿を期待して愛されるのではないのです」 (ジョセフラブ・神父)
この言葉でハッとした。あるべきという視点で人を見ていなかったか? マイナスをマイナスとして愛すということか。 だから、こうあるべきとかいう自分の価値観で、人を見るべきでないという 理屈はそのとおりである。
宗教は真実を気ずかしてくれる。
・「聖書は事実でないかもしれないが、真実である」 これもいい言葉である。 聖書の創世記では「アダムとイブの時代」は7000年前という。 150億年前のビッグバンとはあまりに差がありすぎだ。
私の神をどう思っているかというと 「人間を自然をここまでならしめている天地創造の存在」 「人間の創り出した手前勝手な絶対的存在」 「人間が持っている共通の意識の存在」 「言葉が造り出したバーチャルの世界」
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2002年02月03日(日)
この世の中には詐欺に近い商売がある。 40数年まえダイヤモンドを当時の80万で母が買った。
今でいうと1千万円に近い値段である。 確か「必ず物価と共に上がる」といっていた。
母が亡くなった時、遺産総額の把握の為に鑑定にかけた。 なんと120万だという、500万くらいだろうと思っていたため、 その安い値段に耳を疑った。
ほぼ詐欺に近い商売をしていたことになる。 せいぜい20万ぐらいのダイヤを、4倍にして売っていたことになる? 口先だけの騙しの世界といっていい?
ドラマで同じような内容をやっていた。 「買うまでの楽しみを売っている」のだから詐欺でないとか。 貴金属の世界はそういう世界である?
長岡の唯一のデパートがほんの数年前まで、これに近い商売をやっていた。 年寄りを集め食事を出し、虚栄心をくすぐるやり方で「屑のような商品」を 売りつけていた。 それも半ボケ老人を集め、詐欺そのもの! 三越が20年近く前、大問題になった詐欺商法をやって表面化した。
三越のブランドを詐欺?で悪用したのだ。 補聴器の世界がそうだ。あれは年寄りをだます詐欺だ。 でも誰も親身になって見てくれないから、仕方がないのか?
そう言う視点で言うと全てに言えるかもしれない
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2002年02月02日(土)
我が内なる無能性を具体的話に書いてみる。
周辺にいる特にいる「だめな奴ーあれ」ーなんか虐め! ーこの特性をあげてみると
1、一回も脱皮したことがない。 一生をただ何も考えず、そのまま流れている。 2、「他人の目」が全ての価値観ーしたがって[自分の本心]が何かわからない。 価値という言葉も全く理解できない。 3、その前提として、本を読んだことがない。ーこういう人が本トウにいる。 ー思考能力ゼロ!!!!!!ーそれだけならいいが、毒ガスを撒き散らす。 4、その結果、仕事に恵まれてない。 ー会社ではヘドロといわれてる。 5、チャレンジとか闘いを、仕事で人生で経験してない。 ー逃げ回っている。 6、他人と対話ができない。 ー聞いているふりの名人で、ただ自分の話を喚いているだけだ。 7、「かにの甲羅」を心の周りにがっちり固めている。 8、関心は誰かの噂話しかない。全てが蟹の餌でしかない。 9、群れたがるーノータリんクラブ、 ー青年会議所、町内会にでたがる。(人間関係が即仕事になる場合は除く) 仕事上の利害の関係あるなし関係ない。 10、人の肩書きを利用したがる。 -貶すことで自己肯定しようとする。
何かどこかの街の旦那衆みたいな話だ。 そして自分の家柄とか誇ってる。 ー自分に関係ないのに、かつ虚構でしかない! 「どこかの同?会の要約人間」みたいだ。
そこに更に濃いヘドロが何人かいる。 その特性の共通点を挙げると、 a,本を読まず、人の話を聞かない地元有名校卒ー変なプライド持ち。 b, その結果として、ヒラのまま。 名刺に何とかが付いている場合がある。ー肩書?長とか。 それを周囲が皆知っているのに、しかし本人の唯一の誇り。
c、,取得権益でまだ持っている会社ー地銀や地方TV局??? その為現在、存続の危機にある。 d,?男が多い。 e,それ(内容がない事を)を隠すため、日々努力しているのが愛想学である。 何処の会社も、何処の街にも一杯いる!そうあの男! そしてあれも!ー「あれ」と言う言葉がぴったし! ここで書いてはいけないのかも。
これ経営学にしっかり書いてあること。 但し、この正反対の特性としてだが。
これを平気で話すから嫌われている、それも濃いヘドロに! ー真面目すぎるのかなー? 「自分のことを書いているのか」と思った? だから、我が内なる無能性なのです。自身でもあるからだ。
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2002年02月01日(金)
5〜6年前か、パプアニューギニアの現地人のドキメントがよかった。 いまでもその内容を全て憶えている。 たまたまその現地のある部族の撮影をしていた時、隣の部族とトラブルになり あわや戦争の一歩手前までの状態になった。 といって弓や槍の武装である。 かなり危ない緊張感になっていて、徒党を組み軍隊のような示唆行為を 繰り返していた。
その時期が数年に一回の踊りの全国大会の直前であった。 かなりの緊張の中、踊りに参加するため車で出かけるが、 いつ襲われるかの危険なたびであった。そして飛行機に乗る。 その前に彼らが海を見る場面がよかった。波が信じられのだ。 波を洪水の水が押し寄せてきたと勘違いして、震えているのが可笑しい。
そして踊りの会場で、彼らは事前から「変わった踊り」のため優勝候補に なっていた。 12〜20人がいろいろな化粧をして踊るのだ。 そこにトラブルの相手の部族もきて、向こうで練習をしていた。 お互い無視しているふりをしながら、お互いを意識している。 そして競技が始まった。当事者の踊りがすばらしく優勝か、 それに準じる賞をもらった。 その時である、隣村の部族の長が和解に来たのだ。
彼らは踊りを通して、同じ地域の共通のアイデンティテーを観たのだ。 そして和解!下手な小説、映画よりずっと劇的で感動的であった。 もちろんやらせでない。 神が宿っているようであった。いや踊りの中に宿っていたのだろう。
そのビデオ知人に貸したが、子供が間違え録画をしてしまい消滅、今はない! その前に何回も再放送でやっていた。 何回も見た。
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