堀井On-Line



[204] 霊体質ー3

2001年10月31日(水)


今まで起きた実際の事実を書く!信じようが信じまいがその人の判断だ。
シンクロニシテー(意味ある、乃至考えられないような遇然の一致)と重なっている。

1、5~6年前柏崎の義父の葬式の帰り、峠で行く先々で7~8回虹ができその下を
  通った。100回以上そこを通ったが虹が出たことは初めて。
  かつ虹の下なぞ通ったのも初めての経験である。

2、近くの堀井といううちの分家にあたる従兄弟が、7~8年前「自死」をしたときの事。
  丁度通夜の日、ジャイアンツの二軍が悠久山で試合があった。
  それで天侯を憶えていたが、 午後3時過ぎに突風がふくと天気予報がいっていた。
  
  3時に納棺であったが、その時突風がふき桜の花が納棺の最中吹荒れた。
  終わったと同時にピタッと止んだ。彼は毎年桜の花を写真に撮るのを趣味としていた。
  その年は桜の当たり年で、私もかなり多くをとった。
  彼もそれを覚悟で多くの写真を撮っていた。

3、母の葬式の日、‘おとき’のかえり天気なのに突然雨が降ってきた。
  涙雨といってよくあるそうだ。その時初めて知った。
  
4、昨年東京の叔母の葬式の時、丁度焼き場に遺体が行っていて、式場で家族以外が
  待っている時、急に気分が悪くなった。ハッとした、今叔母が私の処にきている
  のが解った。横を見ると鏡のついた柱があった。「鏡は霊を呼ぶのかーと思った。」

  ということは、10年前に抜けた霊体質がまだ残っているのかもしれない。
 また以前の文をコピ-しておく。


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S6201霊的体験

私には少し強めな霊的感覚があります。今回より数回シリーズで実体験を公開します。

“A”さんが数年前になくなった時の事です。同じ会社仲間だった“B”さんと十日町の彼の家へ

おまいりにいきました。その途中の車中で“B”さんと般若心経の話になりました。

そこで彼の供養も含めてお経をとなえました。

その後、Aさんの家の確認のため車をとめ地図をみました。何げなく“B”さんの顔をみると、

彼の顔がまっ青になっているのです。やはり車中で“C子”さんの話をしていたのです。

“A”さんが入社試験にやってきた時、彼(A)が優秀という事であり、

同じ十日町出身の美人C子さんにお茶を出させ、郷里の話をさせたのです。

そのせいかどうか彼は私の思いどおり入社したのです。

そのおもい出話をした事であったのか数万分の一、いや数十万分の一の確立で彼女の家の前に

車がとまったのです。十日町に出店をした時、彼女の家の前を“B”さんが通って知っていたのです。

私がそこに“偶然”(?)車をとめてしまったのです。

“B”さんはあまり霊的な事を信じない人ですが、その時は最後まで信じられないという風でした。

私自身またかというのが実感でした。

その日一日“A”さんがニコニコ私達を見守っていたという何かを感じとりました。


[203] 夢ー11

2001年10月30日(火)


五~六年前にみた夢で忘れられないのが、自分の葬式の祭壇を見たことだ。

学生時代住んでいた部屋であった。久しぶりに寮の自分のいた部屋を覗くと、それがあった。

恐らくもう‘あの時の自分がもう終わってしまった’というシグナルか。

何か変な奇妙な印象が残っている。

どんどん変わっていく中で変わらないのが過去だけだ、しかし夢でさえもうあの時の自分は

消滅したといってくる。それから一年に一度位見ていた寮の夢をほとんどみなくなった。

ーまたこんな夢もみた。

中東?の兵隊の自分が絞首刑になる夢である。7~8年前か。

それを当人になっている自分と、それを上から見ている自分がいた。

その瞬間もう一人の違う自分に移り、やはり絞首刑を経験する夢である。

いやに茶色の埃っぽいイメージが残っている。その前に確か廃墟の建物を訓練で

数人と昇っていた。

非常にリアルな、前世の自分の過去霊をが夢に出てきた?感覚であった。

これとは全く違うと思うが、瞑想をしていると、突如「タジータジーダ」という人の名前?が

突如出てきた。「なんだこれは?」と今でもそれが何かわからない。情報のシャワーの中で、

脳が勝手にある単語を吐き出したのだと思うが。



[202] 霊体質ー2

2001年10月29日(月)


霊とは全く違う話になるが、初めて日本の南極越冬隊が犬を連れて行った時、

ある時間になると日本に向かい犬が吠え出すという。

不思議に思い日本に連絡をすると、その時間に子犬が南極のほうに向かい吠えていたという。

何か脳波が数千キロを超えて通じるのだろう。こういうまだ科学に解ってない

ことが数限りなくに多い。そのうちの一つがこういうことにもあるのだろう。

霊体質に対しての今の私の解釈はー「ヒステリック状況の感覚の鋭敏からくる、

不思議な磁石が何かをすいよせる。そういう時は状況的にはかなり緊張の状態の時である。

それと夢に近い状況で現象に出る場合が多い。」

きのうのコピーした文の、父の亡くなった時のことも夢だろう。

それにしても身辺の人の死には不思議なことがおこる。これは次回書く。

人間も30億年の生命の進化?の中で細胞になり、魚になり、陸にあがり鳥になったり、

哺乳類になり、猿になり、ここまできた。その中で脳の奥にそのすべての記憶と能力

が隠されているのは、当然と言えば当然である。それがヒステリック状態の時に、

普段のブロックを越えて自分の中より出てくるのは、別に不思議でないとも言える。

それと霊を一緒に考えるのは飛躍だが、といってあの不思議な現象も事実である。
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H0511妙な夢―(Ⅰ)

 ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!

起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。

ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 
また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。
かなりうなされていたと思うが?何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、
よくある事だそうだ。

こんな事もあった、これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。
はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、しかし夢ではなかった。

ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。


[201] 霊体質ー1

2001年10月28日(日)

作家の佐藤愛子が月刊誌の「新潮45」に連載で、

霊体質に52歳になってしまった体験を書いている。図書館でトビトビ読んでいるので

全て読んだわけでないが、今まで8回シリーズになっている。

その連載はまだ続いているが面白い。北海道で買った別荘に霊がついており、

そこでかなり激しい霊現象が起こるそうだ。それがさすが作家、きめ細かく書かれている。

実際経験したことのない人にとって、考えられない妄想にしか思えない。

私も父の死の直後から起きた怪現象から、霊体質になった。

(後で昔書いたその時の文章のコピーを貼り付け)

この10年は元に戻り、ほとんど身辺でなくなったが、私の27歳の時だった。

約20年はその体質だったことになる。

かなり共通の部分があるが、家付きの霊というところが違う。

それと私の場合、身体から自分の霊が抜け対するところが彼女にはない。

同じところは、ラップが聞こえたり、動物の何かが被さってくるところだ。

それが起こるまでは全く信じてなかった。ーつづく


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H0407霊的体験

 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。

死後一週間後位か妙な夢をみた。

私自身父の気持になり“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という

“念”になってしまった夢である。そして夢よりさめた時の妙な気持。

私自身父になってしまった。

いや私自身(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。

夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が
自身実感できたのだと思う。

それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。

恐らく経験した人間ではないとわからないはずだ。

また死後二~三日後の夢も強烈な夢(?)であった。何か強烈な恐怖感がおそってきた。

その時、父のベットで寝ていたが“おやじ助けて!”と言ってしまった。

と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。

そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、

その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。全身汗びっしょりであった。

まだまだ不思議な事がいっぱいある…。あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、

妙な霊的体験が多くなった。


[200] 月刊ー文芸春秋

2001年10月27日(土)


今月の‘文芸春秋’の内容があった。

イスラエル旅行から帰ってきら、毎月読んでいた‘文芸春秋と週間誌’を買わなくなった。

嘘みたいだが本当の話である。‘図書館で読めばいい’に変わった。

あまりにも旧約聖書の世界が生々しいのだ。

今更そんなえげつない現象など如何でもいい、軽い話でしかないに変わってしまった。

半年に一回買うか買わないかである。

しかし今回は違った!テロの特集で、内容はかなり悲観的に書いてあったが、買う価値は充分ある。

新聞で、インターネットで、TV でその意味はとらえていたつもりであった、

かなりシビアにその意味が書かれていた。

第一次世界大戦に似ている、始まりは(皇太子の暗殺)誰もそこまでいかないと思っていたが、

それは大戦の始まりでしかなかった。

アメリカの中心の世界貿易センターが壊滅した大事件だ。

イラクやアフガン北朝鮮?は攻撃対象になる!

当然考えらないテロも更に行われるだろう,日本も当然巻き込まれる。

それも仕方がない、当然と受け止めていいだろう。

少し本題とそれたが、今回は700円の価値が充分ある。

これからが本題。

新聞と週刊誌と月刊誌の関係が時代によって、どんどん変わっているという。

これに進化したデジタルTVとインターネットと携帯電話の情報手段が加わってきた。

まず新聞は週刊誌の分野を侵す、週刊誌は月刊誌の分野を。

月刊誌は小説等の分野か、専門雑誌の分野により進化、深化していくパターンになっていく。

一例をとると、新聞は週刊誌のやっている、「特集もの、解説、カラー写真、連続小説」

などの付加価値につけないと、部数が減っていく。

週刊誌は月刊誌のある専門分野のスペシャリストの手記や、
各種の専門分野を深く入り込んだ記事に入っていく。

月刊誌はそれぞれの特化した専門雑誌に変身していく。

それぞれ勝ち組と負け組みが、はっきりしている。

週刊誌では「週刊文春」、月刊誌では「文芸春秋」が勝ち組。

あとは年代層に特化した「週刊ポスト」、「週刊現代」あたり。

月刊誌では「新潮45」あたりがまあまあといったところ。

あとは専門雑誌の細分化が進む。



[199] トレード.オフ

2001年10月26日(金)




トレードとは野球のトレードである。
5名トレードすれば、5名首を切らなくてはならない。これがオフである。

ビジネスホテルのもっと合理化できる業態を考えた。カットできるもの、
和室、会議室、ツウインである。
そのぶんシングルの部屋数をとる。これがトレードオフである。

ホット商品を早くコストカットして、安く、大量に生産、売り抜ける。
その時まずやるのが、トレードオフである。
まずはこれが基本である。

ファッションに10-4-2-1の原理がある。まずシーズン初めに種類を10をばら撒き、
顧客の反応を見て、すばやく4に絞る、そして2に最後は1に絞り上げていく。

これも時間を入れたトレードオフと言える。もう20年も前なので、
忘れたが衣料をやっていたとき、冬春夏秋と4シーズンその中に、導入期、最盛期、
仕上期がある。そうすると毎月がどれかにあたる。しかしその年に気候の変動がある。
それを読みながら、10-4-2-1をやっていた。すこぶる面白いが、目先に捉われる。

自己評価としては5年近く手がけ、100点満点であった。
あまり長くやるとそのドタバタで自己を見失うと判断?丁度いい引き時であった。
しかし面白かった。とくにゲーム化が面白い。
朝礼で予算達成順に並べたり、その日の予算を達成すると、その部門の持ち曲を店内に
流したり、値札に可能な限りの暗号の情報を入れたりした。
仕入れ総量、原価、色別数量、値下げ時期の達成枚数、値札のカラー別による情報化
等々。少し本題からそれたが。

激烈な勝負の世界では、トレード・オフの繰り返しで、より強さを求めなくては
敗者になる。
アメリカのGEは先日のTVで、事業部門のトレード・オフを徹底的に
くりかえしたために、今は超優良企業に変身したと特別報道を放送していた。


[198] 天の広さ

2001年10月25日(木)

井の中の蛙,大海の広さ知らず,

この言葉の後の言葉をもじって

‘井の中の蛙大海を知らず!されど天の広さを知る’

この後の「されど天の広さを知る」がいい。世間知らずの学者が考えたか?

「世間知りの、天命知らず」とも考えられる深い味のある言葉だ。

しかし両方でなくては(大海ー世間も天も知らなくては)、

所詮井戸から見た天しか知る事が出来ないのは当然の事だ。

それもこれも全て独り言でしかない、世間ー他人のことは自分の想像でしかないのだから。

ーーーーーーー
つれずれにー

今更当たり前のことかもしらないが、おかしい!

不況のうえに、このテロから急に何かおかしくなってきたと感じるのは、
客商売をしている為か。

恐ろしいのは、これが序曲ではないかということだ。

全くその日(9月11日)から変わった。かなり多くの人があれーテロをTVで見ていたことだ。

あまりに劇的過ぎた。アメリカだけでなく、日本も準戦争国になってしまった。

如何考えても簡単に解決はしない問題だ。

新潟駅前の飲食街は9時を過ぎると、ゴーストタウンみたいに人っ子一人歩いてない。

いるのは呼び込みと怪しげな女性だけだ。他人事みたいだがどうなるのだろう?


[196] 本格的チェーン店の出現

2001年10月24日(水)


日本にもやっと国内資本系のチェーン店で本物が出始めてきた。

ユニクロ、家具のニトリ、しまむら、イタリヤ料理のサエゼリア、100円ショップ、
無印良品、全国居酒屋チェーンの一部、そしてーーーー

上記の店は今の日本において本格的なチェーンといっていい。
ホット商品を廉価で提供しているからである。

チェーン理論のコンサルタント渥美俊一が三十年以上前から、口酸っぱく言っていた。
「普段の生活を豊かに!日本の物価は高すぎる。それはチェーンの形態しかできない。」

業態というカタチしか、出来てなかったそれが最近になってやっと出来てきたようだ。
デフレとグローバル化の追い風に乗って。

皮革張りのイタリヤ家具で、皮はイタリア製で木工と製造が韓国製の応接セットがある。
韓国は昔から木工の家具の得意なところ、イタリヤから皮革を輸入して、、
木工と人件費の安さと合わせた韓国製イタリヤ家具が完成する。

実をいうと自宅の家具がそうなのだが、ブランド家具の150万相当の家具が、
30万で買えた。五分の一である、グローバルとはそういうことが可能となる。
100円ショップの原価は27円だそうだ。ほとんどが中国・東南アジア製だ。
100円ショップの凄いところは、300円~1000円なら要らないが、
100円なら買おうというところに目をつけてところだ。

チェーン店はそれがより可能になる。サエゼリアでもワインなど船一隻丸ごと?運ぶことが
可能となる。イタリヤ料理の材料を直接運ぶことが可能だ。近くの地方スパーの原信の惣菜より
安く、もちろんずっと美味く提供が可能になる。客として不思議にさえ感じる。。
知らない客にとって見えないマジックそのものだ。

マクドナルドはそれを65円ハンバーグで、実現してみせた。
今の海外ツアーと国内ツアーみたいなものだ。
3倍~5倍の価値の商品が同額だからだ。


[195] 宗教戦争ー6-

2001年10月23日(火)



-イスラム原理主義とはー
  ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の違い

原理過激派はイスラム教を母体としたカルト教と思えば簡単である。
ややこしいのがイスラムが母体という事である。

モハメッドは一人考えた!「何故アラブ人に偉大なる神がないのか、
預言者がいないからだ。そうだそれを考えている自分が預言者になればいい」
と考えたのだろう。

まずは「コーラン」をユダヤ教の「タルムード」の代わりと考えた。
そんなものだ、宗教とは。

宗教学者ひろさちあ氏が月刊誌に、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の違いを解りやすく
書いていた。

ユダヤ教は・・・・「旧約聖書」プラス「タルムード」
キリスト教は・・・「旧約聖書」プラス「新約聖書」
イスラム教は・・・・旧約聖書プラス「コーラン」
   まずベースが旧約聖書である。
三宗教のうち、
・父親的な立場がユダヤ教、その父親から長男のキリスト教が誕生、次男のイスラム教が
 誕生した。
・ユダヤ教では、ーアブラハムが神ヤーヴェと契約を結んだ。
その契約は、人間のほうからは、あなた以外の神と絶対に拝みませんと誓い、その契約に
もとずいて神は人間にあれこれと命令する。その命令が律法だ。したがってユダヤ教は
、本質的にー契約宗教です。

・キリスト教のイエスは「神は我々を愛しているのだ。だから神の奴隷になる必要がない。
我々は自由人だ」と大胆な主張しました。律法に縛られる必要がないと。
本質的にー自由宗教です。

・マホメットはーキリスト教は安息日を守りません。
そういう自由に対しそれはおかしい律法に忠実であるべしとアラブ人向けにつくった。
自由を謳歌して神と律法から離れた長男のキリスト教に対し、もう一度
原理に戻ろうと主張した。
本質的にー原理主義です。

イスラム教にー神の(アラーの)ために戦う「ジハード」と言う概念がある。
もともとモハメッドが異教徒と闘うことー聖戦ーによって確立されたもの。
後世の信徒もそれにならってつねに異教徒と闘い続け、その教えを世界に広げることを
求められた。

その聖典のハデイースは聖戦について、
・たとえ一日でもアラーの道の戦い身を投ずることは、この世とそこにあるものよりより良い
・天国に入ることになる人は、たとえこの地上に何をもっていようと、
 現世に帰ることを望まないが、だだ殉教者だけは別で、彼は神から与えられる恩寵を知っているため、
 現世に戻り,更に10回も殺される事を切に願うのだ

熱心なイスラム教徒は、そのまま本気で信じているのだ。
 要するに殉教;は生より望ましいと思っているのだ。
それが過激派になったのだ。

実際はジハードは日常生活の中で「コーラン」をの原理を全世界に定着することである。
過激派はそれを暴力でと解釈した。



[194] NoSubject

2001年10月22日(月)



もう10年前に読んだコリン・ウイルソンの‘至高体験’が面白かった。
フロイトは‘性’で、ユングは‘聖’で、アドラーは‘権力’の視点で精神分析を
深めていった。しかし彼ら心理学者は精神症・精神病の患者の医者の立場だ。

これに対して‘非常に健康的な人’の持っている性格的特性とかを調べた。
そしてその共通点を探したところ、普通の人に対して‘至高体験’が多いという事だった。
至高体験とはこれ以上ない感激の極み、絶頂の幸福感をいう。

インドを旅行した時、ツアーで一緒だった女性に「20年前にインドに来たとき、
ハシシー麻薬を吸ったことがある」と言ったので「どういう気分になるのか?」聞いた。
「とにかく楽しくって、笑いが止まらなくなった」とのこと。
しかし薬物は中毒になる。死ぬときの痛め止めの薬物の楽しみに取っておくとよい。

ある姉が嬉しそうな顔をして、「極致の喜びを味わったことがある?」
と数年前か私に聞いた。少し躁鬱の気がある人で、近くにいた義兄がハッとした顔をした。
「まさかオルガニズムの事出でも言い出すのでは?」と私もその瞬間思った。

「それでは貴女はあるのか?」と聞いたら、「一度ある」という。
もちろん私がそういう系統ー精神分析とか、心理学が好きということは解らないようだった。
そちら(セックス系)の内容でなかったが、「私は三桁は軽くある」、と答えると
全く信じられない反応であった。「そんな事絶対あるわけはない」という。

「それでは長島が昨年(7~8年前)セリーグで、10月6日?に大逆転優勝をした時に、
至高体験したのでは。長島は三桁は至高経験をしているのでは?」といった時やっと納得した。

私の場合では、海外旅行で数十回はある。
また事業で一仕事終えた時、緊張感の極めの合間の一瞬の弛緩の時、
あるいは会社の忘年会とかに絶対的幸福感になる。(それだけ盛り上がる)
上げれば限がない。

これはある程度の訓練も必要だ。
会社で昼休みに30分、アルファー波の発生器に‘聴く麻薬の音楽’
(アルファー系音楽)を繋げて、もう10年以上聞いている。(アルバム日記に写真あり)
それを毎日している為か酒を飲んだ時など、直ぐブロックが外れそれに近い状態になる。

少しきわどい内容になるが、コリー・ウイルソンのその本に、「ロシアンルーレットが
その状態になりやすい」と書いてあったことをおもいだした。ピストルに弾一発を入れ、弾そう
を回すやつだ。そして引き金を引く。6分の1で死ぬやつだ。死の緊張感と助かるのを楽しむ。
そして相手と自分が死ぬまでやるやつだ。助かった時の幸福感は至高体験に近いらしい。

家内が不思議そうな顔をして、何人もの友人が「自分を不幸と信じているみたい?」という。
少しは勉強すれば?と思う。生きているそれだけで素晴らしいのに!


[182] 偽悪

2001年10月21日(日)




この言葉を聴いたとき、‘へーえこんな言葉もあるんだ!’と驚いた。

また言葉のもつ深さと魅力もその時感じた。しかしその時はそれ以上深く考えなかった。

そこでその意味を考えてみた。この言葉から考えられる言葉は露悪、偽善、

露善というところか。善悪はそれぞれの価値のプラスマイナスの表現でしかない。

偽善もしかり、うけるイメージはその価値観のプラスを演じること、いや実際は

マイナスだがプラスに表面を見せておこうという時に使う。

偽悪はその対極にある場合に使う。

その価値観に捉われないために、むしろマイナスを演じる事をいう。

それを意識して演じて、その価値観がいかにつまらない事をジェスチャーして見せる為にする行為か。



[192] 種銭ー2

2001年10月20日(土)


物覚えのついた4~5歳のころから、年末の31日にお年玉を姉兄揃って貰った。それが楽しみだった事を思い出す。

一旦渡しておいて、次の日に全額取り上げられるのだ。

そして貯金通帳に入れられてしまう。高校になるまでそれが続いた。

そして高校に入って暫くすると、なにか株を自分で考えて決めろと言う。

そしてある株を買った。その日から株式のコナーを目を凝らしてみるようになった。

子供のころから、両親に玩具を一回も買って貰った憶えがない。

子供のころ友達の家に行くと、箱に玩具が一杯入っているのを見て、

信じられなかった事を今でもありありと憶えている。

といってお年玉は自分で稼いだ金でないことも確かだ。

株の上達の本を読んだとき、

「まずは種銭をつくれ、それも強い金でなくてはならない。それは自分が

汗水を流した芯のある金でなくてはならない。そういう金でなくては株で利益は

絶対にあげることは不可能だ」これは事業でも当たり前だ。

しかしこの強い金を創るのが一番大変なのである。

父は子供たちに、我慢をしてまず種銭つくりを教えたかったのだ。

お金に対してシビアなのは、実際のこういう教育があったからだ。

実際のところ、金に対してみるところあまりにも甘い。


[191] 種銭

2001年10月19日(金)


事業を興そうとした時、まず問題になるのが事業資金である。
俗に言う種銭である!これが硬くないと芯にならない。

資金の芯が甘くなると、事業そのものが甘くなる。
二代目とか婿養子が事業で失敗するのが、それが解ってないケースが多い。

松下幸之助しても、中内功も出発点でそれなりに財産があった。
全くなかったのは私がしっている範囲では、山種証券を興した山崎種三と、
国際興業を興した小佐野賢治と、ニュー大谷の大谷某ぐらいだ。

そのくらい種銭をつくるのが大変で時間がかかる。
20歳の頃読んだ山崎種三の自伝がおもしろかった。

「米屋小僧をしていた時、鼠を捕まえて警察に持っていくと僅かな報奨金が
もらえた。米屋なのでいくらでも鼠がいる、毎日鼠とりで捕まえ警察に持って行った。
親方の許可を得て、その金でヒヨコを買った。落ちている米をヒヨコにやり育て、
鶏から卵をとって、それを金に変えこつこつ貯めた。それを元手で成長しそうな株を買った。
そうしてそれを拡大して株師になり株の取引会社までつくった」

それをよんだ時、ハッとした。
父親が恐らくその話を知っていたのではと思ったからだ。


[190] 駅前旅館

2001年10月18日(木)




9月半ばに至近にある駅前で最期の旅館の‘たけや’が廃業した。この10年で

小竹旅館、みゆき旅館、大野屋、菊や、越路会館、琥珀、篠田旅館、大山旅館等々10軒あまりが廃業した。

当社等の宿泊主体のビジネス系のホテルに、客を奪われたのが主原因だ。

新潟市内の80パーセントが、この20年で廃業したという。

旅館に何人か知り合いがいたが、本人の自殺とか、夜逃げとか?奥さんの自殺とか

悲惨だ。旅館関係の人にはお妾さん、ヤクザ、花柳界出身者が多い。その筋の人が小金を溜めて

堅気の仕事というのが、その出発点らしい。それにしても見事消滅してしまった。

この次に危ないのが、割烹旅館で風前の灯火とか。

数万円もする割烹の客は,すべてとは言わないが
‘交際費ー実質はたかり’の客そのもの。

当然ながら淘汰されるべき人種。そのミニ犯罪に近い客を相手にしているのだから、

整理されて当然である。これは殆ど全ての商売・仕事に言えることだが、
他人事でなくなってきた。

時代の変化があまりに激しい。


[188] コロー

2001年10月16日(火)


犬ー子供のころのペットは懐かしい。

猫がいて猿がいて、犬のコロがいた。初代コロである。

白と茶と黒の混ざった雑種のムクイヌみたいな犬であった。

一番のおもちゃと同時に友達みたいであった。初めて出会ったころは私の6歳の頃か。

少し頭が悪く、人がいい?ところがあった、当時は放し飼いで、

時たま行方不明になったりした。近くの高砂園というお茶屋の犬がライバルで、

喧嘩ばかりしていた。家族にも従業員にもお客にも、愛されていた。

最後は病気で死んだが、ペットといえば一番印象に残っているのがこのコロである。
次のコロは、長岡駅駅裏に10歳の頃住んでた時、前の家主の飼っていた犬であった。

九州に引っ越した為、そのまま飼っていた。

細い茶色の猟犬のメス犬で、家付きの犬のせいか陰のある犬であった。

猟犬のため鼠をよく獲っていた。この犬はよく子供を産んでいたが、捨てにいった後一晩中

啼いていたのを思い出す。4年後に交通事故で死んだ。

よくしたもので、その直後小さな柴犬が紛れ込んできた。恐らく逃げ出したのだろうが、

愛想ががよくそのまま居つき、10数年後行方不明になった。

学生時代、夏休み等の長期休暇の暇つぶしに、石灯籠に飛び乗る芸当を教え込んだ。

その犬を散歩に連れて行ったら、橋の欄干に自分で飛び乗った。そのまま彼女の芸になった。

結婚後は家内がペットが嫌いで飼ってない。


[187] 強い人

2001年10月15日(月)


私ん周辺に非常に強い人がいる。
何を持って強いのかと難しいことは横において、

そういう人を観察してみると、10歳位までに両親の愛情をたっぷり注がれている。
逆に弱い人はその時期、両親の不和とかで愛情が中途半端な人が多い。

精神の柱が愛情で出来ているのではと思われる。
そういう人は、明るい、暖かい、さっぱりしているが反面,我侭だ。
人生の何かを教えられる。

そこで自身は如何であろうか。
少なくとも10歳までは、多くの人にたっぷりそそがれたことに氣づいた。
両親からはベタベタしたそれでなく、間接的な絹木綿的な感覚の愛情であったようだ。
やはり直接しっかりとじかに愛情を受けた人は違う。

愛情のなかで親の愛情ほど、強いものはない。一番の自我愛だからだろう。
だからその子は我侭になってしまうのだろう。

子供にとって両親の不和ほど不幸の事はない。

子供に対しては絶対愛と夫婦愛の両輪が必要という事か。


[186] 野村と円楽

2001年10月14日(日)


10年前の話になるが、新潟の大蔵ホテルで野村と円楽の講演会があった。

メインが円楽で前座が野村であった。もちろん私も円楽がまず面白そうで、

野村もまあ面白いのではと期待していった。

野村が出てきた、そして黙って会場を見渡し、ニヤッと笑い、

「大部分は女性ですね、私の話なぞ如何でも言いと思っているんしょう。

円楽の刺身のツマぐらいと思ってるのでしょう」実際そうでだったから、

ザワツイテイタ会場はシーンとなってしまった。その瞬間に野村のペースに

聞き手をのせてしまった。

ー要点はー
・自分は投手の練習用のキャチャー「壁」として採用され

・数年後解雇を言い渡された・丁度その時父親が癌になっていた

・直接上司と掛け合い絶対に辞めないと粘りかろうじて首を免れた

・そのぎりぎりのところでどうしたら一流になれるか考えた

・一流の選手は持って生まれた天性ある、努力だけでは埋めがたい差がある

・そこでぎりぎりのところで、どうしたら一流になるための方法を考えたー頭を使ったー

等々、底から這い上がってきただけに、一言一言が経験にうらずいているためか説得力があった。

また彼も浪人の真っ最中の状態で、話に力が入っていた。

今までにー王、広岡、森と講演を聞いたが、野村だけは底から這い上げって来たためか、
ずば抜けた内容があった。

その日の円楽の話も力が入っていたが、所詮噺家の内容はしれたもの、
しらけた会場の空気が漂っていた 。

さすがキャチャー、瞬間その場を雰囲気をとらえ、自分のペースに捉える術。今でもありありと

憶えている。

9人の選手のうち、一人だけ逆方向を見ているのだから。



[184] 基本

2001年10月13日(土)


この20数年春になると、ほぼ毎年のように新入社員の入社前教育をしている。

以前はまる三日、最近はまる一日になった。

真っ白な若い人に教育する楽しみも以前ほど無くなってきた。

結局家庭のやるべき躾や言葉使いを、基本から教え直すことから始めなくてはならない。

本当にどうなっているのかと、開いた口がふさがらない事が多いが、
もうなんとも思わなくなった。

対話形式で基本的な会話・対話の仕方から教えていく!
それはここではどうでもよい話だが、教えるべき要点は

1、本を読むこと
2、日記を書くこと
3、相手の話をきっちり聞き取る事
4、自分の言うべきことを明確にする事
5、メモをとること
6、給料を貰う立場になった事(買い手から売り手の立場の逆転)
7、同質社会ー学校から異質社会に変わった事
8、その会社の制服を着たと同時に、個人はその制服の配役になってしまう事
  等々おしえる。

  しかし一番勉強になるのが、自分自身である。
 毎年春先にこれを真っ白な新卒に教えていると、自分自身にそのまま教える事になるからだ。
 全てが大事な事だ。

読書にしろ日記にしろ今でも続けているのは、これを毎年反駁しているからだ。
本当にこれをきっちりやっている人間の少ない事は、今更言うまでも無い。
それでもこのレベルの文章しかかけないのだから、別に如何という事がないのか。


[181] テロの影響

2001年10月11日(木)


昨日、月刊誌の「現代」と「文芸春秋」を買ってきて、テロの特集を読んだ。

そして今までのの週刊誌と新聞の切り抜きに目を通して、改めて戦慄をおぼえた。

‘日本は恐慌、世界は?必至の状態’は間違いないようだ!

やはり初め直感したとおり、9月11日以前と以後といえる位の段差のある出来事だ。

その重大さが日ごと増していくことを私のみならず感じているはずだ。

成田空港はガラガラ、昨日TVで相撲の元横綱の曙がハワイの観光地の宣伝をしていた。

40パーセントの客が減ったそうだ。実際そんなものですんでないと思われる。

実際古町にしても駅前の飲食店も、20~30パーセントの売り上げが減るだろう。

そうでもなくても死に掛けているのだから、本当に死活問題であろう。

10日まえに古町にいったとき、ほぼ毎日お茶引き(客が一人も来ないこと)で、

廃業直前とある店のママが言っていた。

当ホテルの第二が飲食客の流れの宿泊が多いが、端的にその減少が見えてきた。

新幹線に警官の姿は年に2~3日しか見なかったのが、数人車内の中を覗き見ている。

それにしても、あの国会議員の質疑内容のひどい事!日本が6000人殺されても、

黙っていろというのか。国連に提訴して、その判断に従えというのか!アメリカが

その相手を探し出し殺してくれるというのか?

あれが国会で議論されているー実際馬鹿馬鹿しく見てないが見なくとも解る!

国の態をなしてない!どうしてこうなったのだろう?

アメリカの隷属国家に安住しているためだろう。自民党と社会党(社民党)の  

今の姿がそのまま現状を表している。

文芸春秋は内容があった。  現代はひどい。


[179] 創造について-1

2001年10月09日(火)


創造とは‘カタチ’ にすることである。

言葉を‘か’と‘かた’と‘かたち’にわけて考えると

‘カ’ は ー神のカー神示ー 発想ーアイデアーインスピレーションであり

‘カタ’は  -型,形ー  枠組みにする、 システムを作るということになる。
  ( アイデアの実現の計画化ともいえる) 田は字のとうり枠組みであり、
       ‘かとた’をつけて形になる。

‘カタチ’ -カタに血(エネルギー)をいれ、カタチにする。

創造について、システム工学の城功氏の本に書いてあった内容であった。

なるほどと唸ったものである。

これはアイデアが出た後、これを実現化していく内容を簡便に分解したもので、
非常にわかりやすい内容であった。

カレーライスを例に取ると、急にカレーが食べたくなったとする。

これがカである。冷蔵庫の材料を頭に浮かべ、スーパーにいって足りない食材を買い、

仕込む、これが形作りである。そして煮込むこれが血である。

これが国作りでも、会社でも、ビルでもみな一緒である。

かー>かたー>かたちー>これを知らないうちに何らかの形でしている。

もちろんこの文章も、そうである。まずはテーマ次に枠組みを考え、時間をかけて修正、

そして一挙に書き上げである。


[178] 忘れられない店ー4(金沢)

2001年10月08日(月)


ー平家ー鉄板焼き

金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。

4~5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んでしまっていた。

その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。

落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。

今でもちょっとないかわった店だ。食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りでツマミにでる。

大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。その為店が油でギトギトで真っ黒で、
またそれがいい。

親父が遊び人風の個性の塊のような親父で、その話を聞いているだけでよかった。

当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、必ず大喧嘩を

するのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。

「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人まで出る始末。そしてすざましい喧嘩である。

たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。

何回も家に電話しているのだ。たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で大あてをして

連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、大穴を当てた味を知ってしまった
のだからだ!」と先輩に説教が始まった。それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。

ーーーーーーーーーーーーー
NEC本社ビル屋上の生映像が見れるサイト。
http://livecast01.ias.biglobe.ne.jp/nec-sea/ibs.htm


[177] 世間様ー2

2001年10月07日(日)


あまりに程度の低い言葉なので書きたくないが、最も実感している言葉として、

その言葉を多用している‘痴呆症(病)の無恥蒙昧’(自身も含め)に捧げるためにかく。

しかしこの言葉の被害者になったり、加害者になったりしているからことは重大だ!

それこそ「みな皆いっている」

これが‘世間というやつ’の正体の、いや現象の表皮の世界の(俗に言う世間の)

テクニックとして通用しているからことは重大だ。

ある話を聞いてこれは面白い!利用してやろうという時、

「皆言っている!」と知的レベル低い人間を探していう。

あるいは相手を混乱させる目的に言う。

それでは「皆言っている」にどのようなが含まれているか?

1、誰も言わなくとも自分の主張強調するために使う。

2、一人に聞いたとき、誰かに話を強調するために使う。

3、噂の場合につかう。

4、聞くほうは実際どうか解らないが、それをまた人に使うに都合よい。

5、相手を実際やりこめる場合の言葉のテクニックとして有効。
  (俗物の塊のような男に何回もいはれた)
6、皆ーとは何?程度の低い底レベルの戯言そのもの。そのレベルの人種の呼び名。

くだらないことを書いているが、でもこういう世界が世間という事か?

[180] 創造ー2 (心観学術態)
会社を作るときまずは1、理念、そして2、何をやるか3、何をモデルとするか

4、どうしてそのモデルをカタチ化していくか、の手順を踏む。

別の例をとれば医者の例がある。

医者に子供の頃助けてもらって、自分も医者になりたいと誓いを立てるーこれが心、

そしてその為に良い進学校に入らなくてはと考えるーこれが視点・観点である。
そして勉強をするーこれが学である。

そのうち成績もトップクラスのノウハウを身につけ、そして医者の卵インターになり、
学び続け医者の技術を身につけるーこれがーこれが術である。

そして医者になるこれが態である。

心ー目的、中心点、目指すところ。
(芯・真・親・信・神・心・新・信・深・針・深

観ー観点、視点
  (感・観・勘・感・歓・完・歓・幹・肝・幹・

学ーその視点から学ぶ
  (楽・学・愕

術ー学んだ結果身につく、熟練する
  (術

態ーそれがカタチとしてみえている
  (態・体・諦
  ---
心観学術態は、カタチ作りのシステムそのものといってよい。

  心ー会社の理念、個人の信念、国の国是-ー芯というところか!

  観ー心からの視点、見方といってよい(ある商社の部長が部下の女社員に手をだして
    妊娠させてしまった。帰りのの電車から、20数件の産婦人科のネオンが見えたという)
    たとえが悪いが、解りやすい!
  学ー観からの情報収集とか、経験から学ぶ。

  術ー学からくる、体質化、業態化、熟練化

 逆もある。業態-現象から学・観・心を観ていく




[176] [自己能力の限界の設定]

2001年10月06日(土)


この言葉は30年前になるが金沢にいた会社の浅野という人事部長の言葉だった。

何か強烈なインパクトのある言葉だった。

‘自己能力の限界点’から自分の足すべき能力をプラスしていく事と解釈した。

10数年前の講演会でヤクルトの野村監督が(彼の浪人時代)全く同じことを言っていた。

「自分は三流選手、一流になるために何をプラスすべきかを、
ぎりぎりのところで考え実行してた」

要するに三流をわきまえたため、戦略戦術をたてることが出来た。

それゆえに一流の成績を残す事ができた。

戦術戦略を立てるときに、自己把握なしにたてることは自殺行為でかつ空論でしかない。

自己能力の棚卸という事だろう。

自己能力の限界の設定は逆の面でも言える。勝手にマイナスに設定して、

それを理由に何もしないで留まってしまう事だ。



[175] 忘れられない店ー3

2001年10月05日(金)



2001/10/05 11:25 NoName


衣料のデスカウント店で、産地直結の仕入れで大量仕入れ大量販売のはしりで、
全国的に有名な店であった。
大阪、岐阜、岡山、広島の産地に直接仕入れをしていた。
また大手商社からも直接仕入れをしていた。

全国的に超繁盛店で有名にもなっていた。
20年間位は店にはお客が殺到していた。

大家族のため両親からの干渉は一切なく、放任そのものであった。
各自が自分ひとり生きていくのが精一杯の状態であ。
-当時は商売をしているところは、大方そうでなかったかと思われる。

そのプロセスで大光無尽の駒形重吉とかいう男の‘金貸し’の勃興とか、
三条の香具師か露天商の渡辺とかいう人の興こした‘丸大’とか、
十日町の衣料品店の市村とか言う人の興した‘イチムラ’とか、
‘内山商店’とか、大手通りを見ているだけで激しい流れがあった。

私の実家は(特に父は)戦前、津上製作所の津上退助とか、互尊翁といわれた野本某とか、
山本五十六とかに可愛がられ、茶人としてもかなりのレベルの人であったようだ。

怪しげな金貸しの駒形某など馬鹿にしきっていた。反面羨ましそうの面もあったが。
そういえばこの本家すじの山形の元家老の事業家が、私のところに来たことがあった。

10歳までの10年間は遠い彼方の異次元の世界に思える。

ーーーーーーーーーーーーーーー
今回旅行はベトナム
  (11月8日~14日ー7日間)に決定!
                ー近畿ツーリストー16.8万ー

ガラパゴスかマダガスカル島かベトナムか迷っていた次回旅行が
ベトナムに決定。このニューヨークのテロで本命のマダガスカルが成立せず、
ガラパゴスもどうも出発も怪しげで、今回は自粛も含めてベトナムに決定した。
旅行仲間からベトナムのよさは聞いていて、この2~3年先の計画に入れていた。

あまり今回のテロの影響の少ないベトナムが手ごろと判断した。
行くなら今のうちがベトナムの合言葉になっていた。

あと10年も経てば今のタイや中国みたいに、西洋社会に染められるからである。

今年はメキシコとロシヤ・北欧と今回のべとなむと刺激の少ないところだった。

来年は西アフリカ、ガラパゴス、スイスアルプスの予定だ、いければの話だが。
何があっても行くのが趣味の世界だ。


[172] このテーマ日記について

2001年10月04日(木)


新たに考えた事より、殆どが一度日記帳などに書いた事があるものだ。

それをむしろ再度まとめ直しているといってよい。

具体的文章と抽象的文章とその中間の文章の3つを意識して書いた。

かなり刺激的な文章もある。これも迷ったが思い切って載せた。

ある意味でこの随想日記と事業百訓などの20年の文章は私の潜在意識かもしれない。

潜在意識の顕在化のプロセスを毎日実施していることになる。

自分でもよくテーマが出てくると感心する。一週に一回ぐらいの割りに全く何を書いていいか

解らなくなることがあるが、しかしいつの間にかテーマが出てくる。

もう一つは‘しかかり文章’を先に2~3作っておく。

そうしておくと気持ちが楽である。

また仕掛かりとしての文章は余裕を持って気楽に書ける。

土日曜日に3~4つまとめて、仕掛かりの文を書き溜める習慣もポイントのようだ。

なんか今までの宿便を出しているようでもあり、すっきりする。

どろどろした経験でたまった原始言語の概念化か。


[170] 忘れられないお店ー2

2001年10月03日(水)


その店(池津屋)で10年生活した事になる。すざましい日々だっだと思う。

その後長岡駅裏の台町の今の‘父ちゃんラーメン’のところに、

高校を卒業するまでの8年住むことになるが。

衣料のデスカウントハウスのはしりで、全国的にも有名な店であった。

‘1Fが店’‘2Fが荷捌きと倉庫と事務所’‘3Fが住居’‘4Fが直しと女子寮’

になっており、全宇宙が圧縮されているようであった。

ネコのタマとサルのタローと犬のコロが同居していた。そのビルと大手通りが私の遊び場であった。

かなりマセタ餓鬼だったと思うが、誰にもかなり可愛がってもらった。

特に綺麗な女社員が入ってくると、ぴったしくっついていた。

競合店が出来ると子供心に心配で一人偵察に行った。

また毎日の売り上げが気になり、必ずレジを覗いていた。

両親が従業員の評価をしていると聞き耳を立てて聞いていた。

倒産夜逃げはごく当たり前の日常の話題であった。今でも年に2~3回はその頃の夢をみる。

でもクリスマスといえば皆でツリーを作ったり、正月は家族と従業員全員集まりご馳走を食べたり

して年越しをしていた。        - つづく


[168] 忘れられないあのお店-1

2001年10月02日(火)


このキーワードを聞いただけでも、ある年齢を超えた人なら深い思いに駆られるはずだ。

初めてのデ-トで入った店とか、初めて勤めた時の近くのお店とか。

これをキーワードに過去をさかのぼると、無限に近い記憶が戻ってくるはずだ。

考えていたら予想を超えて、全く違う思いが底より湧き出してきた。

それが意外と?長岡の大手通りの‘生家の池津屋’という店だ。

要するに幼児体験の自身のアイデンデテーに立ち返るということだった。

私の3歳の時に両親が計画、仮店輔のため木造の家を今の厚生会館(前は公会堂)の前に引越した。

下に丸たんぼうを入れて移動したのだ。個人の申請として全国で初めてのビル建設の始まりという。

昭和24~25年、その時のことをありありと覚えている。

そしてビルの完成、そして引越し、仮ネグラの二階の奥の場所。

今の緊張感の数倍あった、ということは当時の方が圧縮されていたという事か。

あの白壁の匂い!そして三階に引越し。四階に従業員のねぐらと倉庫。

子供ながら色いろあった。それが(トップページの倉蔵の写真)の中にある。

今から考えてみれば異常体験だった。

でも刺激的で悲しくもあり、楽しい毎日であった。

10人の家族と10人以上の従業員の戦場のような毎日!

軽く面白い小説になるような日々であった。

                -つづくー


[167] 読書について

2001年10月01日(月)


読書ー書物はすべての人の学校である、いや大学といっていい。

どこの学校に入ったとしても学べる事はしれている。学校を出てから学び続けるしかない。
本を読み続けるしかない。

大学を出ているかは関係ない、生涯本という大学・専門学校に通い続けなくてはならない。

もちろんセミナーや新聞やTVや、実際の仕事の上で学ぶべることが多い。

しかし読書という分母の上でそれらをやると効率が違う。

初対面の人でも書物の大学にどの程度通い詰めたかどうか直ぐわかる。
私もわかられているだろう。

本は安い500円から2000円であれだけの情報・知識を買えるのだから。

もし高いというなら、古本屋かブックオフで買えばよい。

それでも高いというなら、図書館がある。

主知主義ではないが人間として生まれてきたからには、知る事が最も優先されるべき権利であり

義務でもある。知れば知るほど知らない事が増えてくる。知っただけその周囲の未知の部分が
増えるからだ。

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