堀井On-Line



[69] 夢について−1

2001年06月30日(土)


夢分析も非常に奥行きの深いテーマだ。

年に一〜二回熊に追われている夢を見る。
熊に追われて二階‐三階の部屋に逃げるが、どこまでも追いかけてくる。
そこで目がさめるという内容である。

熊は現実の問題の変形、逃げているのは恐怖心・不安である。
誰もが経験ある夢である。

一度凄い夢を見た。10年以上前に社内報に書いた文章をコピーしてみる。

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霊的体験‐                 平成4年 7月

二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで
何度か不思議な体験をしてみた。

死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。

夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が
自身実感できたのだと思う。父が‘なんだ自分はこうして生きているではないか’
という内的実感。

夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。
恐らく経験した人間ではないとわからない。

また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。
何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが
“おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より
本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。

そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、
その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。

全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。


[68] 久しぶりの古町

2001年06月29日(金)


久々に新潟に泊まる。

古町も数ヶ月ぶり、さすがホステスもママも

洗練されている。ただ何処もお客が入っていない。

このところ11時前に必ず帰る、翌日二日酔いがしないぎりぎりの時間だ。

以前ほど面白いと感じないのは年のせいか?

新潟駅前の客引き、異常に多いどういう事だろう。


[67] 月次決算

2001年06月28日(木)


20年前の創業時より月次決算と毎月監査を実施している。

そしてその報告書を銀行に提出している。

都銀の担当者がいうに県内で大手も含めて殆どなかったという。

不況に入り今になってその実施を慌てて地銀が要求始めていると聞く。

これをきっちりしてあるから権限の委譲ができる。

安心して海外旅行もできた。

装置産業の為、本当のことういうとそこまでやる事はなかったが、

次の計画の時、銀行の担当は上にとうしやすいことは確かだ。


[66] ソフト変更

2001年06月27日(水)


昨日よりこのコーナーのソフトが変わった。

今までのものは70日で書いた内容が自動的に消される。

これは写真も貼れる。

そうなると写真日記とダブルという問題もでてくる。

お笑いも分類のコーナーをつくり、見やすくした。

まだ分類の移行ができてないが、徐々にしていくつもりだ。

昨日は3Dホームページソフトの打ち合わせと、このホームページ

の変更の打ち合わをしたが、だんだん形が見えてきた。


[64] おまいり

2001年06月26日(火)


毎日の散歩のユーターンの地蔵様に祈っている言葉がある。
もう4〜5年続けている。

「あの世のお父さんお母さん、運ちゃん(長兄)進ちゃん(次兄)誠ちゃん(次次兄)、
御祖父さん御祖母さん、親戚の人たち、ご先祖様、そして総ての霊が安らかお眠りください。。

仏様有難うございます。そしてご苦労様です。お父さんお母さん有難うございます。
そしてこの世の総ての人達がより良くありますように。特に大変な人こそより良くあります
ように。

かさねてお父さんお母さん有難うございます。
今日一日精一杯活きます。そして笑って暮らします。」

大変な人は、今周辺で大きい問題に突き当たっている人の具体名をあげる。
これを続けているせいか、精神のバランスが崩れることはない。


[63] 秘境ツアーコーナー故障中

2001年06月25日(月)


3Dホームページ作成中故障発生?

明日中に直ります。

ホームページ面白いがメンテとランニング大変!

好きだからやってるが、そうでなくては無理。


[62] あと2週間

2001年06月24日(日)


あと2週間で北欧ロシア旅行だ。

まだ実感がわかない。かなりハードな旅行になりそうだが、

南アフリカやシルクロードからみれば、半分ぐらいだろう。

このコースはやはり外せないコースだ。

ペルーにいった時、同行の人に「旅行道という言葉があるなら

インドは絶対外せない」と言われて、インドに行ってみて納得。

このコースもそれに近い何かを直感した。

それが当たっているかどうか?12日で5カ国、

バスあり飛行機あり船あり、毎日が移動の日々になるが楽しみだ。



[61] 小泉総理メルマガの紹介

2001年06月23日(土)

[61] 小泉総理メルマガの紹介
らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
● 感動のスポーツ

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[大臣のほんねとーく] 

● 私がタケノコ医者であったころ(坂口厚生労働大臣)

 藪医者に至らない医者のことをタケノコ医者という。私が大学院の在学中
で、衛生学を学びながら一方で小児科臨床を1年半ばかり研鑽したある日、
上司の助教授に呼ばれた。

 「宮川村は三重県一の短命村、その調査に一年ばかり行ってはどうか。」
行ってはどうか、は「行ってきたまえ」の命令に等しい。

 平均寿命35歳の短命村へ、結婚間もない私でしたが、妻を残したまま、
赴任した。

 調査とは名ばかり、宮川村の一番奥に旧大杉谷地区があり、約千名の人口
に一カ所の診療所があった。その診療を行いながら、短命の調査研究をやれ
というのだ。

 赴任したのは五月の中頃だったと記憶している。診療所は村立で看護婦さ
んが一人、事務員さんが二人、私の食事や洗濯をしてくれる人が一人、四人
で私を迎えてくれた。診療所の二階が私の住処で、お茶を一杯入れてもらっ
たところで、患者さんの第一号が来たという。

 泣き叫ぶ子供の声に驚いて診察室に入ると、小学校六年生ぐらいの男の子
が床を転がるようにして「痛い、いたい」を連発している。聞けば、耳にコ
ガネムシがはいったという。

 右耳を覗くと、大きなコガネムシがお尻を外にしながら、外耳道いっぱい
に入っている。「どうしましょう」看護婦は私の腕を試すように見ている。
ピンセットでコガネムシのお尻を摘もうとすると、ツルッとすべって、ムシ
はさらに前へ進もうとする。前に進むと、少年は悲鳴をあげて転がった。

 小児科でも耳鼻科でも、コガネムシが外耳道にはいった治療など、習った
ことはなかった。四〇キロ四方、医者なるものは私一人しかいない。「どう
すべきか」患者や家族より、自分の方が心細くなってきた。

 「水を入れたら死なないか」私の言葉に従い、看護婦は水を入れたが、水
がコガネムシの頭の方へ入っていく隙間はなかった。

 一呼吸して、看護婦は手際よく小さい注射器を取り出し、「麻酔液を入れ
ましょう」そういってコガネムシのお尻に注射針を刺した。すぐにムシは動
かなくなり、痛みのなくなった少年は起きあがり、看護婦は巧みにコガネム
シを引き出した。

 以後一年半、私の滞在期間中「婦長さん」と呼び、常に頭が上がらなかっ
た。このときだけでなく、何度も「婦長さん」に助けられて、急場を凌いだ
ことがあった。

 私にとって、医学部のどの教授から教えられたことよりも、この「婦長さ
ん」から教えられたことの方が多かった。お世話になったから言うわけでは
ないが、激務の中で知恵をしぼる看護婦さんの待遇はもう少し考えなければ
ならない。

 現在の保険点数は看護婦さんの頭かずだけを決めている。その仕事内容を
評価すべきだ。医師と看護婦、その教育に違いはあるが、それにしても評価
が違いすぎないか。看護婦さんが辞めて行くのは何故なのか。

 今、私の考えなければならない仕事の一つである。

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[小泉内閣メールマガジン]
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/


[60] 小泉サイト

2001年06月22日(金)


先日パソコン教室の香月先生が、例の小泉首相のメルマガに入ったという。

そこでついでに私も入る事にした。

昨日より早速メールが届いた。

首相のその時々の生の気持ちが書き込まれ100万以上の人に届けられるのだ。

これが情報革命か!と唸ってしまう。100万人が見てるというと本人が

一番楽しいだろうと思う。


[59] 3D-ホームページー三回目打ち合わせ

2001年06月21日(木)


富士総業の小竹さんより3dのホームページの

モニターという話に乗ったがちょっとしたプロジェクトだ。

当たればおお化けする可能性がある。

デジタル文化の1現象を目の当たりにしている。

7月1日を楽しみにしている。

凄い世界に入ったものだ。


[58] 一六会について

2001年06月20日(水)

一六会ー           6月20日記
毎月の16日に第二新館近くの大橋ー料理屋で開かれる。

平均7〜8人集まる会である。

もともと花園のマルヒロ不動産の後藤会長が開いていた会で、

会長が元気な4年前までは20人以上集まっていた会であった。

亡くなった後も続いていること自体不思議なことで、やはり

後藤会長の人柄だったのではないかと思われる。

ただ酒を飲んで騒ぐだけなのだが、全く利害のない集まりで

好きなことを言っても喧嘩にもならないのが良い。

ただ流れているのはやはり後藤会長の好きな連中の集まり

というコンセプトだと思われる。

なんの気を使わず騒げる場もそうあるもでない。平均年齢が

65〜70歳とすこし高いが、それが何ともいえない味を出している。


[57] 3D-ホームページ

2001年06月19日(火)

今日は午前、午後パソコンずけだ。

午前はインテリア山下の南雲さんと、富士総業の小竹さんと3d開発の増嶋さんだ。
そして午後はパソコン教室だ。

一日一日がドラマでもある。
凄い世界だ。

このホームページに、それも構造にだけで、これだけの背後にエネルギーが入っているのだ。
何気なく見過ごしている中に、情報がびっしりつまっているのだ。

情報革命は私の情報を遥かにこえている.

3Dが実際動くのは7月からで実際いまはダウンロードしても動きません。


[56] 母のアルバム

2001年06月18日(月)

昨日母のアルバムを見ていたら、若かりしころの父とその兄弟達の写真があった。

そこでパソコンのアルバムに取り入れようスキャンしたところ、

上部が細くなる写真に映し出された。

何回やってもそうなるので、ひっくり返してやってみてもおなじように上部が細くなる。

怪奇現象化と薄気味悪くなりっていると、TVのBSデジタルラジオから

‘故郷’曲(ウサギ追いしかの川ーーー)が流れてきた。

遇然の一致は解っているがなにか不思議な感覚にになってきた。

仕方がないので隣にならんであった、母の見合い用と聞いていた写真をスキャンする。

何回やっても歪む、かなり小姑に虐められた話を聞いていたので

‘あの世でも上手くいってないのでは’と心配になってきた。

思い出の写真コーナーに載せてある。


[55] ジョーク集について

2001年06月17日(日)


面白いジョークは意外と少ない。

これだけの‘一応面白いジョーク?’集めるのは大変だといえば大変だった!

好きだからできた。一応半分は吐き出した。

このままいくと一~二カ月ごに在庫が尽きる。  

一応分類をして週1〜2追加していく方式に変わっていくだろう。

ちょっとした本一冊分になる。

二十~三十秒のショートエンターテナーである。

超ミニノートに分類ごとに題目を書いて

鞄に入れて持ち歩いている!

そして何もしないとき眺める。月に一~二回みる。

何回みても思わず笑ってしまう。他人が見たら薄気味悪いだろう。

暗いといえば暗いか!


[54] なんとなく

2001年06月16日(土)

朝20000歩歩く。前日の飲み会のアルコールを抜く為だ。

更に風呂でほぼ完璧!二日酔いなし。

ホームページを開いてから、毎日が楽しい。

パソコンの先生のように、故郷の友人がお互いにホームページを覗きあい

コミニケをしているという。女性だからできるのだろうが、

ある意味で理想に近いコミニヶだろう。

もし知人が私にようなホームページを開いたら毎日か、一日おきに見るだろう。

自分の居間の開放をしたうえで、かつサテライトスタジオを開いたようなものだ。


[53] 北欧ロシアに決定!

2001年06月15日(金)


朝スイスに決まっていた旅行、急遽‘北欧・ロシア’に変更。

理由は「迷った場合は今先に行っていたほうがよいほう選定基準にする」

である。スイスも捨てがたかったが、‘モスクワとサンクトペテルブルグの

エルミタージュ美術館’と‘北欧の大自然’が捨てがたかった為だ!

ぎりぎり迷い判断するから、後で後悔が少なくて済む。

ぎりぎり迷うのも旅行前の楽しみの一つだ

それだけ多くの情報を真剣に探し、その世界に入るからだ。

あと三週間今からが呼吸を整える時期になる。

たまたま朝、決断後書いた文章で、

一度ホームページに載せた後削除した内容である。
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スイスーアルプスに決定 投稿者:堀井八郎  投稿日:
                   6月15日(金)06時52分33秒
かなりハードな10日間の旅行になりそうだ。

スイスの三大明峰(マッターホルン・モンブラン・アイガー)や

多くの湖をめぐる。ミニハイキングも織り込まれており、想像を絶した

景色に出会えると期待できる。

ヨーロッパは60過ぎてから集中的に行く予定だったが、

今回はどういう風のふきまわせか、スイスに決まった。

一度決めるてしまうと、このコースの、いやヨーロッパアルプスの

素晴らしさがわかってくる。

実を言うと初めての欧州旅行の時と、10年位前のライン下りの旅行で

ユングラウヨッホは行っている。

特に初回のそれは、非常に印象的であった。

登山列車から見たパノラマは絵に出てくる世界そのものであった。 
       
         ‘楽しみだ!’


[52] つれつれに

2001年06月14日(木)

情報化社会がもたらしている時代の変化をつくずく感じる。

共産社会‐ソ連も東側ベルリンの壁も

遅くなったが自民党ー経政会?も壊してしてしまった。

情報端末の究極は携帯TV電話だという。

これが普及はじめる3〜4年先は想像不能だ!

この秋玩具メーカーから7〜8万円で撮影機のついた移動式

ロボットが売り出されるという。これだとTV携帯電話に連動

すれば家の移動式防犯カメラになり、警備会社の存亡の危機

になりかねない。ホームページに連動して個人や情報の公開や、

お店なども家にいながら観て回れる。あらゆる場所に固定して置いて、

自由に公開しておけば世界のあらゆる場所に、

視界と言う意味で自由に何処でも飛べるようになる。


[51] 無駄な事なし

2001年06月13日(水)


無駄な事なし
人生ふりかえってみて感じる事は無駄な事は全くないという事である。
もっともある程度燃焼してきたから、言えるのかもしれないが!
それも全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、一番重要なポイント
だったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。ポイントはぼろを羽織ってくるのだろう。
老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖「自分の人生これでよかったのだろうか?」
という問いかけだそうだ。ある本に自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」
という言葉を残していたと、姉より死後聞いてが立ち上がれないほど
ショックを受けたという内容が書いてあったが。
無駄な事だらけという人生もあるのかもしれない。
人生にやはり意味を求めていないと
、失敗だった?という気持ちになってしまうのだろう。


[50] 日本のプロ野球がつまらない!

2001年06月12日(火)


どうして?もちろん理由は解っている。

野球もいっきょにグローバルになってしまった為だ。

イチロウ効果だ!

いい意味で野球馬鹿の長島監督、もちろん監督としての裸の王様を、

彼も含め皆で遊んでいた!でもそれが自分の姿をと解って
いながら!

アメリカの隷属国家の日本の微笑ましさ!

アメリカは多民族社会の実力社会。野球に関してとくに土壌が違う!

ここまで日本のプロ野球を駄目にした読売新聞の痴呆老人の渡辺某!
老醜の判断ミス!

正しく認可民放の象徴たる日本テレビの壊滅の姿が、
あのミスターのジャイアントである。

スター気取りの巨人選手がグローバルで見た時、

もう言葉でいわないほうがいい

‘巨人大鵬卵焼き’の自分がここまで変わるとは。


[49] 一期は夢 ただ狂え

2001年06月11日(月)

世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や
    夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ
                閑吟抄

470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男
が古今集をまねてつくった歌の一つ。
‘人生など一瞬でしかない。なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’
と言う内容である。今年の年賀状にこの一節を載せたほど、感じろところがあった
内容だ。500年前この無名の男の人生‐過去に何があったのだろうか?
今500年の時空を越えて、激しく共感するのはなぜか!


[48] 同じ人生を

2001年06月10日(日)


全く同じ人生を生きたい!
私の常識的判断では、90%以上の人は‘とんでもない!’と即座に思うと考えられる。
しかし生きていく上で、全く同じ人生を生きたい!と思う事、思える人生を生きることこそ
必要な事であると、難しい人生論の本に書いてあった。そういえば父がガンで死を悟ったとき、母に何回も同じ事を言っていたと死後母から聞いた。その時はやはりとんでもない!と自問自答したことを憶えている。最近そうおもえるようになってきた。


[47] シンクロ二シテ-

2001年06月09日(土)


これは普通では考えられない、遇然の一致を言う。
‐意味ある遇然の一致と心理学で言う‐特にユングが深く研究ー

私の場合非常に多い。人間個人を考えれば、今生きている事こそ
奇跡‐遇然の一致の積み重ねである。

・ある自死をした元の部下の所に行ったとき起きた、不思議な遇然の一致の
   重なり

・柏崎の義父の葬式の帰り、そち峠で7回の‘虹の下’を通りすぎた考えられない出来事!

・従兄弟が自死をした時の納棺のおり、突風が吹き桜吹雪が舞い散った光景!

・大学を卒業して1年ぶりに池袋の本屋に行ったとき、たまたま学生時代の親友だった
  男が目の前を歩いていた。

・家内の実家で展示会があり、いっしゅのお祭りで地元の道具やが出店を出していた。 
 そこの象 牙の仏像が気になり、帰ってから電話でそれを買いもとめた。
 4〜5日経ってから送られてきて、底をみたら
 家内と同じ銘で恵子と彫ってあったこと。‐その時全身鳥肌が立った!
 等々書けばきりがない。
  
 遠藤周作などは、イギリスにある作家に興味があり、その地を訪ねた折ホテルの
  エレベーターでぶつかった相手がその作家だったと言う。

葬式とか、自分が行きずっまってヒステリック状態の時とか、気持ちが異常に近いときに考えてみるとおき易い。


[46] ユニクロのホームページ

2001年06月08日(金)


ユニクロのホームページがいい。

そこで何点か商品を買ってみた。またパンフレットも取り寄せてみた。

ズボンの裾上げもサイズをうちこむと直され送ってくる。

一度注文するとメールで週末その日の特売情報を知らせてくる。

衣料の小売りで私の知っている限り、ネット販売で

これほど買いやすいサイトはない。

サイズ、色、形、管理が大変だと思うが、

そこがコンピューター管理の得意なところ!200メートル先に店があるが、

どーも中年で行くのがおっくうな気分の時に注文する。

こういう部分を一つとってみても、ユニクロのシステムの凄さを感じる。

けっこうネット販売売れているのでは。


http://www.uniqlo.com


[45] 創業の話

2001年06月07日(木)


27歳、千葉の千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。

準備1年4カ月かかった。その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。

今も忘れられない1973年5月30日であった。

11月07日、店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。地獄!・・・・・

その頃写真を撮っているいる余裕などない、

写真日記のそれは千城台を引き揚げたあと、懐かしく行った時に撮った写真である。

全く知らない千葉で我ながらよくやったと思う。

この地獄の中で創業のノウハウしっかり身につけることができたと思う。

自らを空にして、おきて来た問題を一つずつ解決していくしかない。

その時本能的に相手に両手で拝んでいた。どういうわけか拝まれると

人間引き受けてくれるものだと、その時感じた事を憶えている。

軽い気持ちで拝むポーズを時々みると,張りたおしたくなるのそのせいだ。

当時のことを記した文章があるのでコピーをしておく。また写真も写真日記に

コピーしておく。


H0907 養老の瀧1122号店、店長の日々

 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであったが、
いざ自分がその立場に立って、その認識の甘さをつくづく思い知らされた。
千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”と“養老の瀧オ−プン”と
“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。
丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、
ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、最悪の出発となってしまたった。
そしてオ−プン...!完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!
しかし、こちらは全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、
地獄のような日になってしまった。辛くて、恐ろしくて、一日一日が精一杯、
今考えても、よく持ちこたえたと思う。当初の、2〜3ヶ月は朝8時より
夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの3人の激しい日々であった。
“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。
それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、“24時間(休んでいても仕事のう
ちという)仕事”という立場になった。
サラリ−マンが事業をおこして大部分失敗するのは前者より脱皮できない為である。
大手ス−パ−の創業期に入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが...。
その厳しさが全く違うのだ。はじめの数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという
位、厳しいものであった。
あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!という
前提があった為乗り越えられたと思うが。
でも不思議なもので、真っ正面より立ち向かっていると、
いつの間にか辛さが辛さでなくなってくる、適応能力が自然についてくるのだ。
ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”を飲ませているのだ。
それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。
そこで自分1人で店を衛らなくてはならない。
酒を飲んだ人間の本当の恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、
命が幾つあっても足らない位の事件が月に一度はおきた。
恐怖の中で1人トイレの中で(他の人にはわからないように)震えた事があった。
そこで、大きく唸った。そしてお客に対処したところ腹が据わったのだろう、
お客が逆に竦んでしまった。“これだ!”と直感した。
また店の従業員に前もって、うちあわせをしておき、
お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、
土壇場に立つと知恵がついてくる。
ただフランチャイズのシステムは今でも素晴らしいものであったと思う。
標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。
創業時の勉強という点で、このシステムは自らに非常に有効に働いたと
振り返って思えるようになった。
                 創業は辛い! 1973.11.07〜


[44] 何の為のホームページ

2001年06月06日(水)


何でわざわざ個人のホームページを立ち上げ、公開するのか?
   まずはこの疑問
1・わざわざ写真を撮って入れたり、
2.貧しい内面の公開をしたり
3.せっかくとった最重要情報?の公開をわざわざしたり
4.とにかくエネルギーを使わなくてはならない

でもそんなこと、この巨大情報空間から見ればどうでもよい事。
むしろさらす事により、リンクの可能性が大きくなる。

インターネットとは考えてみてば、ホームページ間のネットである。
基本はホームページである。その拠点を個人や会社で持つことは、
情報空間に自分の基地を持つ事になる。
この時代あたりまえと言えばあたりまえである。

ウエブ上に拠点を持つことにより、他のホームページと相互関係になる。
その事をホームページ持ったことで実感できた。

もしホームページを持つまでもないと考えるなら、‘お気に入り’の集積と
その分類を自分のパソコンにきっちりしておくべきだ。
そうした場合どうしても自分拠点を持ちたくなる。
それは自分のパソコン内でいいのだが。
公開してもかまわない場合ホームページがよい。

巨大情報空間にさ迷い出た
子羊というところか。


[43] オークションサイトについて

2001年06月05日(火)


今日インテリア山下の社長が来られて、

‘下取りのダンツーの絨毯を1円でネットオークションに出してみた’

と言われたので早速オークションに1000円で入札をしてみた。

またネット上の新しい世界を垣間見た思いだ
(e−ビジネスの新しい可能性の一部を)。

これこそ新しい社会の1つの可能性を現している。

ホームページにしろインターネットで毎日が新しい発見の連続である。

確かにネットバブルの部分があることは否定できないが、といって

ネット社会の方向は事実である。是非このサイト見てみる事を薦めます。

前の頑張ってます!はパソコン教室の練習です。記念の為残してきます。

http://auction.excite.co.jp/


[41] 20年の通勤

2001年06月04日(月)


新潟と長岡を20年通勤している。
1年に250日*20年=5000
5000*2800円平均=1400万円になる。
マンションの一つも買える。
2つの地方都市の30分の新幹線の通勤も悪くない。 
仕事と私生活をきっちり分ける事が、より可能になるからだ。
長岡と新潟の気質がまるで違う事も見えてくる。
あくまで対比の話だが、新潟は鷹揚だ。そして明るい。かつクールだ。
反面こと商売という意味の仕事は甘い。反面長岡はマクロという意味で
仕事がいいかげんだ。
人間関係‐付き合いとかなにかで誤魔化してしまう。
長岡で住んで仕事をしていると、
陸の孤島の住人の感覚となってしまって当然だ。
特に中年から老年に至ったとき毒(ストレスのヘドロ化)が
とっぷりたまらないかと?
それなりに知恵で解毒しているはずだが。
5〜6年前までに4回新幹線を乗り過ごした。3回湯沢で泊まった。
それぞれにミニドラマがあった。飲んだ勢いで湯沢でも飲むからだ。


自宅の玄関に配られていたチラシ

2001年06月03日(日)

自宅の玄関に配られていたチラシに‘貴方に合わせたパソコン指導します’
昨日ホームセンターのムサシの外食部門の‘やき肉の店
赤大門’に行った。‐夕食
大ジョッキーの生ビールとカルビ定食とカルビとロース四品で
2100円であった。
二人だから一人1000円あまり!安いと思った。
長岡の郊外に焼肉の店がここで増えた。日本人は誰かがやると
それに集中してしまう。 焼肉は5〜10年前までは3000円
以上だった。それが合理化により半額ちかくなってきたため、
新しい客層が増えてきた為もある。目安のカルビ680〜780円が
350〜500円に下がってきた。焼肉や同士の闘いは高額の店を
ますます追い詰めていく。‐‐‐写真日記に撮ってあります。



[39] パソコン教室の薦め

2001年06月02日(土)

自宅の玄関に配られていたチラシに‘貴方に合わせたパソコン指導します’
というので取りあえず行ってみた
。話を聞くと今の自分にぴったし、2日続けて行った。
高校で情報系を教えていたが主人の転勤で学校を辞めて長岡に来て、
この春ソフトハウスに勤め6月1日に教室を開いたという。
ちかい、安い、気軽ということもあり長続きしそうだ。
今の自分に合わせて指導してくれるのがいい。
宅建試験のため自宅に居る長男も通う事になった。
本人も‘解りやすくてよい’と気に入ったようだ。
私の目的はこのホームページの改善と、今1つパソコンを使いきれない
部分をカバーしてもらう為だ。
とりあえずパソコンに対するアレルギーがなくなってきている。
かろうじてIT社会にぎりぎり間にあったというのが実感だ!
やはり年配になってきたら教室に通うべきだ!



言葉の トリック

2001年06月01日(金)


宗教家とか占い師そして政治家がつかう言葉のトリックに次のような方法がある。
宜保愛子がこの方法を多用していた。
1.あなたは悩んでいますね。
2.あなたは転換期にありますね。
3.−−−ははしゃいだ後落ち込んでいますね。
4.小さな動物を殺した事がありますね。
5.近くに水がありますね。ーーーー花が近くにありますね。
6.恋愛に悩んでますね。−若い女性に
すべて当てはまるからだ。
これを三十〜四十位使いこなせば占い師か宗教家になれる。
こういう笑い話がある
占い師がある男に子供が2人いますね?と聞くと、
‘いや3人だ’と答えると、
‘そうあなたが思っているだけです!’
女性ならさしずめ‐その逆も言える。−−外に子供がいるという思わせで
そういう意味で自分達は自身の言葉のトリックに身動きできなくなっているのでは。
宜保愛子があるTV番組で。・玄関に花か花の絵がありますね?・右に回ると居間で左が仏間か物置になっていて、居間の左が台所でーーと延々と続く、間違えると首をひねりごまかす。ほぼ
私の自宅と一緒であったのに笑ってしまった。これに私立の探偵かスタッフに外観か玄関を覗き見れば当たって当然。さすがに最近は出なくなった。

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