股・戯れ言


BBS

つばさよ、お前はヤツザキか

夏真っ盛りですなー。
早くも甲子園が始まっております。
今年もがっつり見ようとしていたとこですが、まさかの台風で2日間中止て。
なんだよオイ。
まあ、そのぶん2日間ずれてくれたのは大変ありがたいので、
今年はホントにホントに甲子園に行こうかと思っております。


て、久々に日記を書くのは甲子園のことが書きたいのではないのだ!
わしの日課である朝の連ドラ「つばさ」のことが書きたいのだ!
http://www9.nhk.or.jp/asadora/tsubasa/index.html

「つばさ」はわたくしが2年ぶりくらいにハマっている朝ドラなのだけど、
舞台が埼玉県の川越だし、そこから上京するとかのストーリーもないので比較的地味な話なんだけど、いちいちグッとくる話なのですよ。
いちいち泣ける話なのですよ。

簡単にストーリーを説明すると、主人公のつばさは20歳の老舗和菓子屋の孫。
祖母が厳しい人で、跡継ぎだったつばさの母は、つばさが10歳のときに家出をしてしまう。それ以来、つばさは主婦の役割を10年間こなしていたのだけど、母が10年ぶりに家に帰ってきたのです。
んで、時を同じくして老舗和菓子屋にはものすごい借金があったことが判明。
地元のヤクザ(母の幼馴染)の手ほどきで借金の負担を軽くする代わりに、つばさは開局したばかりの地元のローカルFM局で働くこととなる・・・

というちょっと無理のある設定なんだけど、
この母ちゃんとその母ちゃん、つまりつばさの祖母との関係とか、泣けるんだよなー。
母と娘が対等に向き合うために必要だったプロセスとしての家出。
川越くらいだと上京して一人暮らしして親元離れるてのは難しいことだし、母の期待にこたえなければならんとやってきても、いつも自分はどこかダメだという気持ちをずっと引きずっているところからの脱却てのが、自分が子供産んでもテーマになるということが、NHKドラマにしては踏み込んでてリアルだ。
10年間家飛び出して、まわりにダメだ最低だ言われても
「自分の人生だもの。私は後悔なんかしてない」
と胸張って言う母ちゃんに涙涙。
あと、祖母に「あなたなんか生まなきゃよかった」と言われて
「親って勝手よね。母さんがそう思うのは仕方ないかもしれない。母さんのことは否定しないわ。だけど、私はつばさを産んだことをそんな風には言わないわ」
と語るところが最大に泣けました。
つばさも、自由奔放な母に対して
「母のことは、嫌いになれないことが一番つらい」
と言っていたのがぐっときた。わかる。よくわかる。

家族って、近すぎるからどうしようもないし、いやだなと思うことも多いけど、それでも否定できないところがいいとこであり悪いとこなのだろう。
それって、人と関わるということと一緒だよね。
すうごくいやなことがあったり、もう二度と会いたくないということがあっても、それでもどこかで繋がっていたいと思う心。
それが絆というやつなんだろうけど。
本当にいやだったら切れるからね。縁て。絆なんてないからね。


と、つばさの家族のことで長々書いたけど、
「つばさ」の中で最大に泣けたエピソードは、つばさとつばさの恋人・翔太の話だ。
翔太は宮崎のチームのJリーガーになった幼馴染なんだけど、怪我をしてしまって川越でリハビリをしておったのです。
その頃のつばさはローカルFMの仕事が順風満帆で、母とも関係が良好。さらに職場の上司がつばさに好意を持って楽しい毎日を送っていたわけだが、
翔太は怪我がままならないし、チームからは「もう帰ってこなくていい」と言われて絶望の淵におったのですよ。
そんな翔太に「一緒にがんばろうよ」というつばさ。
「翔太がいるから私は仕事がんばれるんだよ」というつばさ。
よかれと思っていろいろ世話するが、翔太が浮かない表情であるので、
「私、仕事やめて宮崎に一緒に行くよ」
と言ってしまい、
言われた翔太はカッとなって
「俺のために仕事辞めるなんて言わないでくれよ!」
と叫び、たまらず部屋を出て行ってしまう。
そんでもって、
「つばさの思いが重いから別れよう」
と告げて別れてしまうのですわ。

なんでそうなったのかわからず、悩み苦しみ、挙句の果てに仕事で大失敗をしてしまうつばさ。
そのままつばさは旅に出てしまうのだ。


あ、あ、あ、あ、あ、あ・・・・

男女が別れるのは、浮気とかそういうことじゃないよな。
こういう、思いのズレだ。
送信と受信にわずかにズレがあった瞬間だ。

思いはずれる。相手のことを思えば思うほどずれる。
「わたし」と「あなた」という2人の思いが、いつだって合致するわけじゃないし、
「わたし」と「あなた」、どちらも自分の人生がうまくいくわけじゃない。


つばさが、自分の人生がうまくいきながらも、「軸は翔太なんだよ」と言い続けたのも無神経すぎるのがよくわかるし、
翔太が、不甲斐ない自分に対する怒りをつばさにぶつけて、「自分さえいなければいいんだろ」となった卑屈さもよくわかる。
と、ネガティブな側面でとらえてみたが、どちらも「相手の人生も、自分の人生も、そして2人で歩む人生も全部うまくいきたい」と願う心が出発点で、でも一緒にいすぎて「どれかを優先しなければならない」という考え方に変わってしまった結果なので、決してネガティブなことではないと思う。
お互い、お互いのことを思いすぎてしまったからこうなった、てだけのことなのだ。
で、いまは、「あなたの人生」と「わたしの人生」が交わるときじゃない、ってだけのことだ。

でも、ここでダメだ、と相手に対する思いを捨てることはない。
捨てずに、今は「わたしの人生」を精一杯歩くだけであるよ。
思い(つまり希望)さえもって、歩んでいけば、恋なんかよりずっと濃ゆい絆ができると思う。
できなくても、そう思って生き続けるというプロセスが大事なんだと思う。


いやー。泣いた。この二週くらいはずっとボロ泣きだったわ。
私はつばさほどしっかりもしてねえし(ミスいい加減)、地元の人々に希望を与えるというような前向きな仕事をしているわけでもないけど、ものすうごく感情移入してしまったわ。
仕事でミスこいて、頭が不安と罪悪感でグルグルしている状態を解消するために「旅に出る」という行為をしたとことに
おい、つばさ!あんた、ヤツザキと一緒だよ!
と思ってしまった。
旅の中でのエピソードも書きたいとこだが、割愛。
ただ、つばさが「翔太の夢に乗っかろうとしてた」「翔太のことが好きな自分が好きだっただけ」と認めたのはまた泣けてもうた。
そこまで認めるのはようできんことだ。


そして、旅から戻ってきて、「自分のやるべきことをがんばろう」とまた働き出したつばさに、地元のヤクザ(西城ヒデキ)が一番大事な人を失ってしまって意気消沈というエピソードが待ち受けているのだけど、
これがまた泣けた!
ヤクザが恋愛で失敗し、傷心状態で浅草をさまよったときに出会い、励まされ、一緒に働いてきたブラジル人女性がブラジルで亡くなったという報せがあるのだけど、
そのときにヤクザが彼女のことを

「家族でもないし、恋人でもないし、遠くはなれていたけれど、心の奥底でしっかり繋がっている人。彼女は俺の『同志』」

と説明するのですわ。(正確にはつばさがそういうのだが)


この説明が胸を打ちましたわ。
家族でもないし、恋人でもない。もちろん友人以上で。
ドラマん中ではそれをポルトガル語で「アミーゴ・インチモ」と説明しておりました。それだと親友て意味らしいけど。

家族や恋人て、確固たる契約だと思うんですけど、
それではない関係って、恋人なんかよりずっと強固な絆があるのに説明する言葉がない=不確かだから、いろいろ不安になったりするのだと思う。
名前がないということ。
たったそれだけのことに不安になったり泣けたり狂ったりしてしまう。
でも、カイジも言ってたが(テレビの中で)、自分の中でそれが絶対であれば、不安になることなんかないんだよな。
自分が、心が震えるほどその人に対して何かを思える、そして通じ合えているということを自分で感じられるという感情つーか力つーか、そういうものがあるということに自信を持てばよいのだよな。


私が大事だと思う人は、家族でも恋人でもないし、遠く離れているかもしれないが、私は誰よりもずっと大事に思っている。
それだけが絶対だ。
相手がなんも思ってないかもしれなくても、わたしの心が今も、いつでも思っているということが、とてもとても大切なことなのです。
言葉がないことなんて、たいした問題じゃないよ。


てなわけで、「つばさ」は最高だ。川越行きたい。長瀞行きたい。
もうひとつ見ている昼ドラ「かりゆし先生、ちばる」は小浜島オールロケなんだけど話がしょぼい。が、見てしまう。
私は暑苦しいが沼田先生が好きです。
パンヤオのチューヤンじゃないほうの人が、いい男役で出ているけど、どうなのか。いい男なのか。
あと、美木良介は年取っても声がシャガレ高い声だなあ。
ちょっと前まで「つばさ」にも「かりゆし先生」にも永島敏行が出てたけど、なぜなんだろう。「サード」や「遠雷」以来の永島敏行ブーム勃発してんのかね。
2009年08月10日(月)

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