もんすん日記

2011年04月28日(木) 南気仙沼小学校への支援プラン

mixiやTwitterを通じて行っていた活動ですが、こちらにも記録しておきます。


☆4/28の報告☆

南気仙沼小学校へ義援金を寄せてくださった皆様へ

この度は、南気仙沼小学校へのご支援、誠にありがとうございました。
おかげさまで、総額47万8千円の義援金をお預かりしました。
義援金を寄せてくださった皆様、そして情熱的に!募金活動を展開してくれたマイミク「いっちゃん」にこの場をお借りして改めて御礼申し上げます。

当初子供達へ肌着を送るプランとして計画していましたが、募金活動を開始してから、大口で避難所への肌着の支援があったとのことで、学校の希望を聞いて、今後季節が変わる際に必要となる、帽子、傘、ハンカチを全生徒分(231名+α)と、普段着を何種類か発送しました。
混乱の中、男女比がまだわからなかったので、デザイン、数量等若干調整いたしました。

☆支援物資明細は下記のとおりです。
                  
-「ニッセンBtoB」購入分     

男女子供用メッシュキャップ  155点          
男女ジュニア用キャップ   80点
男女低学年用45cm傘 62点
男女高学年用無地傘 90点
高学年女子用55cm傘 80点
男女ハンドタオル 250点
低学年用ヨットパーカー(120-140) 60点
高学年ジャージセットアップ(150-160)40点

-「靴のヒラキ」購入分

ジュニアパンツ(130-150) 30点
レギンス3種類 (120-150) 80点

-「しまむら」購入分

先生用ジャージ 3点

-「喜久屋書店」購入分

小学生雑誌4冊
(ラブベリー、キャラぱふぇ、デュエット、ニコプチ)
 
- あやとりセット(ご寄付)  


☆会計報告

義援金合計 \ 478,000

ニッセン \ 443,538
ヒラキ \ 39,060
しまむら \ 2,310
喜久屋書店 \ 2,320
送料、振り込み手数料など \2,010

TOTAL \489,238

*義援金の不足分を高山負担とさせていただきました。

この度合計100名以上の皆様から義援金をお預かりし、物資だけではなく、皆様の気持ちも届けたいという思いで、物資を発送しました。

私の叔母である南気仙沼小学校の教員□□からも、皆様へのお礼の言葉を預かっております。
可能であれば、配布の様子など、写真等で伝えてくれるそうです。

温かいお気持ち、本当にありがとうございました。

被災地復興への道のりはまだまだ長いもので、大変なのはこれからかとも思います。
今後とも可能な限り支援活動を続けていきたいと思っておりますので、どうぞ宜しくお願い致します。


☆4/15の呼びかけ☆

これまで日記にも書きましたが、叔母が小学校教師をしている南気仙沼小学校の子供達の多くが家を焼失、流失し、避難所で暮らしています。
親を亡くした子供達もいます。行方不明になっている生徒さんも。

困難な環境にいる子供達を微力ながらも支援したく、こじんまりと妹と協力して、物資を送ってきました。
今必要なものを問い合わせたところ、お風呂に入れず、洗濯もほとんどできないので、肌着が望まれているとのこと。
(大人のも、避難所でブラジャーの配給があったとき、長蛇の列だったそうです。)

早速妹と出来る範囲で送ろうと思っていたところ、友人が子供達にと資金を送ってくれて、今募金活動までしてくれています。

当初は我が家だけで考えていましたが、こうして広がっていくことに感動を覚えます。

せっかく募金活動してもらっているので、私からも、もしこの動きに賛同される方があれば、募金を受け付けさせていただきます。(一口1000円で)

既に様々な団体へ義援金、物資を送っている方が多いと思うし、個人へお金を預けていただくことになるので、ここに書くのは正直迷ったのですが、友人の熱いリーダーシップに影響されました。

もし賛同され、参加したいというかたがあれば、メッセージお送りください。送金先お知らせいたします。
見ちゃったから協力しなきゃとか、コメント残さなきゃとか、お気遣いは一切不要ですよ
(押し付けがましくなるかと心配で、書くのを躊躇したのです。)

22日で締め切って、肌着などを購入し(実際の購入内容は、そのときの状況を聞いて詳細決める予定です)、叔母経由で避難所で配ってもらう予定です。
責任もって募金総額等の会計報告もさせていただく予定です。



2011年04月14日(木) 子供達にドリルが届きました。

先ほど叔母から連絡があり、学研さんが、避難所の子供達に無事学習ドリルを大量に届けてくれたそうです。

それを聞いて、嬉しくて私も大泣き。

抜かりなく県の教育庁に許可取ってくれたり、さすが大企業、仕事もあざやかだったとか。

こんな大企業が一消費者の声を聞いてくれて、大量の学習教材(たぶん数十万〜数百万)を速やかに寄付してくださったことに感動を覚えます。

広報の方になんてお礼を書こう、とさっきから考えていて、さらに大泣き。
消費者に耳を傾けてくれる広報の方がいて、PRではなく、本来の意味でのCSR活動を推進している、学研さんは素晴らしい会社です。

明日ゆっくりお礼の手紙を書こう。

そして、今また避難所に肌着を送る準備をしています。

これも、うちでそのうちこじんまりやろうと思っていたところ、友人が子供達に届けてほしいとお金を託してくれて、更に募金活動までしてくれて、他にも物資を一緒に送ってほしいとか、フロアマット譲るよとか、買い物や梱包手伝うよ、とか、皆さん色々声をかけてくれて、胸いっぱい。

叔母も、「あなたの一族はすごい」と言われたよ、と電話くれて嬉しくて。

今月いっぱい慣らし保育で時間もあるので、小さくても私の出来ること、やっていこうと思います。関西でこうして何の不自由もなく暮らしていることだけでなく、本当にまわりの人に恵まれてこの幸せはあるのだな、と感謝しています。



2011年04月07日(木) 春の一日

今週より娘の慣らし保育開始。が、昨日より熱でつまずき、今週は明日も1時間しか預かってもらえず。まーまだ一ヶ月あるし、いっか。

実質45分くらいで戻らねばならぬので、おはしカフェでドリンクバーを頼みながら読書して待機。
ドリンクバーだけだと高くて、モスでコーヒーにすればよかったと思いつつ。

カフェには(カフェっつーか、ガストやな!)中国人の方が数人いて、ウェートレスさんに「これ魚入ってる?」としきりに確認していた。

カフェを出ると、ライフの前で、がらの悪そうなばあちゃん連中(いや、愛をこめてそう呼びます)がタバコ吸っていて、別のばあちゃんが赤ちゃんを抱いてそこを通りかかり、「この子、嫁さんといっしょに千葉から避難してきてるねん」とたばこばあちゃんに話しかけてた。

なんだか、全て夢のように思えた朝でした。

インフル検査シロだった娘は、昼寝中。

学研の広報の方からメールが届いていて、まだドリルのプラン、社内で候補リストに残して頑張ってくれてるよう。
ありがたい。私、もう学用品は学研さんのものしか買いませんからね〜!
どうも行政を通すと、図書の寄贈はまだ歓迎されないらしく、春休み中には無理そうだけど、プランが通ったら、叔母に直接連絡くれるよう。

震災がなかったら、この人とメールのやり取りをすることはなかっただろうなと、ありがたく感じながら思う。

やっぱり全てが幻のようだ。

そして、昼ごはんを食べたら、片付けて掃除をして、生活をきちんとしよう。



2011年04月03日(日) 勉強したい子供達

日記やボイスにも書きましたが、叔母が被災地気仙沼で小学校の先生をしています。幸い叔母の家族は皆無事で、家も残っており、なんとか生活出来ているそうです。
しかし、小学校の生徒さんの多くが、家を流失、焼失し、親御さんを失っている子供達もいます。そして、行方不明の子供も・・・。

家を失った子供達の多くは、避難所で暮らしています。
津波の恐怖を経験し(二階まで避難してもまだ水が迫ってきて、三階まで逃げてやっと助かったそう)、未だ余震におびえ、その上家や家族を失った子供達の心を思うと、私の心まで万力でギリギリ締め付けられるような思いがします。
想像したってわかりっこないけど、やっぱり想像せずにいられない。

叔母とメールでやり取りしていて、お菓子やおもちゃを送るなど、子供達のために何か出来ることはないか聞いたところ、子供達も親も勉強の遅れを心配していて、避難所で出来る春休みの復習用のドリルみたいなものが望まれていると話してくれました。
4/21に近隣の学校に間借りして授業が出来ることになったものの、子供達は一ヶ月近くも勉強できないわけで、確かに不安だろうなと思います。

震災後一週間は「命が助かってよかった」と過ごしていたけれど、2週間以上たって、皆これからの生活への不安が募ってきた頃、勉強できないことで更に子供達の不安は大きくなってしまうのかなと。

そんなわけで、ドリル、なんとかして子供達の手に渡らないかな〜とない知恵を絞って考えてみました。4/21からは学校で支給されるそうで、できれば4/10までにほしいそう。

ドリル1冊約500円?1人2冊としても、400人で40万円か〜、1人で伊達直子なるのは難しいな〜と計算。大量のドリル短期間でかき集めるのも大変。ネットで出来る無料ドリルもあるようだけど、印刷して製本とか考えると、印刷業者並みの仕事になるし。。。。

で、ふと、出版社に直接リクエストするのはどうかな?と思いついて、早速小学生向けドリルを出版している2社に、状況を説明して、ドリルを寄付してもらえないかメールしてみました。
「子供たちが避難所で勉強できることで、少しでも日常を取り戻し、ほんの少しでも心の傷が癒えるのではないかと」

すると、うち1社からその日のうちに返事が来て、「今弊社でも全社員から被災地復興プランを出しあって、何を具体的に実行していくか検討しているところ。あなたの提案は大変参考になり、本当にありがたい。確約はできないが、学校名とご親戚の先生の名前を教えてほしい」と連絡をいただいた。

やったー伝えてみるものだなあ。もし今回実現しないとしても、避難所のニーズを伝えることができたので、今後の支援に繋がるかもしれないし。

叔母に、出版社が前向きに検討していることを伝えると、実現しなくたって、そうやってあなたが色々考えて具体的に動いてくれていることが嬉しい、と言ってくれてものすごく嬉しかった。

避難所の子供達は、自分達で「ファイト新聞」などを作って、子供達なりに立ち上がろうと健気にがんばっているそう。
子供達のそのまっすぐな強さに、こっちが励まされるよ。
叔母は、全国からの支援が本当にありがたい、TVの中継がずっと入っているので、子供達の元気な姿を見てもらうのが恩返しになるかな?と言っていたけど、今はとにかく町の人たちの生活、子供達の生活を立て直すことに専念してほしい。
被災した町が復興することが何よりの恩返し、と阪神大震災の町に住んでいて思います。


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