桂文珍独演会に行ってきました。桂楽珍の「子ほめ」から始まって、ANA寄席で有名な内海英華師匠の三味線をはさんで「老婆の休日」「包丁間男」「老楽風呂」の3席でしたが、どれもしみじみとおもしろくて涙が出ました。最前列の端っこといういいんだかわるいんだかよくわからない席でしたが、楽しかったーです。帰りに電気屋によって、ビクターのEXEを買いました。情報を提供していただいたみなさま、ありがとうございました。ポイント割引を考えてもネット上で買うより高いんですが、配送無料というのと、いまのテレビを持ってってくれるということで店頭で買いました。しかし、ポイントなんて使うのかしらん。
某MLではいまさらながら「エコノミストって?」という議論が再燃してて、議論の方向がちょっとちがうのですが、ワタクシの理解ではこんな感じではなかったかと。民間シンクタンクや金融機関でマーケット周りの「調査」をしているひとたちのうち、海外も含めたマクロ経済指標の動きを追っているのが「エコノミスト」、個別企業・業界の分析をしているのが「アナリスト」、エコノミストやアナリストのレポートを参考に投資戦略を組むのが「ストラテジスト」ということになっていたんじゃなかったかと(もっと金融工学っぽいひとたちは「クォンツ・アナリスト」とか?)。もちろん、それぞれの領域が互いに独立しているわけではなく、重なりあってるのでしょうけども。財政の動きは彼らにとっては所与のものなので、あくまで「見通し」を作ることが本業なのでしょうけれども、見ているうちに言いたいことも出てこようかということではないかとおもいます。 他方、民間シンクタンクや金融機関で「政策」を口にするひとたちもいますが、彼らのやることは基本的にカネにならないので、そういうのは「エコノミスト」の副業か、あるいは「広告塔」としての役割を担っているのではないかと思います。このような政策を論じる人は「研究員」の肩書きが多いように思います。また、個人的に活動する人もなかにはいて、それやこれらのひとたちを漠然とまとめて「エコノミスト」と呼ぶこともあり、学会で発表したり大学で教えていたりする「経済学者」となんとなく区別されているのではないかなあとおもいます。あ、「官庁エコノミスト」(旧経企庁と日銀。財務省や経産省にもいたっけ?)と呼ばれるひとたちもいましたね。昨今ではその境界上にいるひとたちや、転職(天下り)や任期付き採用や特任教授もいるので、分かりにくさが増幅されているような気もします。 「民間エコノミスト」は個人商売のようなところがあるので、給与を保障されている(?)官庁エコノミストや経済学者よりは自分のいうことに慎重だったり首尾一貫していたりしているような気もしますが、バイサイド(生保や信託等の機関投資家のような「買う」側)から、セルサイド(証券会社等の「売る」側)へ「転職」して言うことが変わっちゃうこともあるみたいですし、基本的には「社の方針」があるので、そこまで「責任」持つ気あるのかしらんと思ったりします。 ええまあ、まだ職のない院生よりは責任のある立場なんでしょうけれども。
家にいたので、液晶テレビを買おうと思ってお出かけしました。AQUASとかWOOOとかVEGAとかいろいろありましたが、意外とビクターのEXEもよいのではないか、と思いました。値段もそこそこだし。新しいし。26インチくらいを想定しているので、一家言あるかたはぜひご一報を。
財政制度等審議会の「平成18年度予算の編成等に関する建議」が出て、おもしろいから読んでみよ、との噂が耳に入ってきているところなのですが、眺めただけでぜんぜん読んでおりません。「地方交付税制度がモラルハザードをもたらす」とかいうどこかで聞いたようなややインチキっぽい言い回しがあったり、「給付の伸びを抑制する」という財政面しか考えてない表現があったり、いまだに「世代間の公平」がでかでかと取り上げられてたり、突っ込みどころ盛り沢山なんでしょうなあ、とは思いますが。 社会保障、といえば、「自己負担率の設計をうまくやると医療給付を削減できると思うんですけど、そういう推計って、ざっくりしたのでいいのでできませんかね」とか真顔で聞く人がいるのには驚きです。そんな単純な理屈で医療保険給付の額が決まっているわけがないし、かりに近似として間違ってないとしても医療費の弾力性の値だってまだよく分かってないというのに。で、そういう人に限って、ここらへんの話を説明しようと試みると「この人は私がなにが聞きたいかを分かってない。頭悪いんじゃないか」みたいな顔をします。こちらはアタマが悪いほうなのでべつにそう思われることはかまいはしないし、たぶんお金を積めばそういう数字を作ってくれる便利なところもあると思うのでそっち方面に当たっていただければいいんですけど、それでいいんですかね。SNA統計でいうところの中央政府・地方政府・社会保障基金がそろって自分の会計(とくにマスコミ受けするところ)の「健全化」を図っているのって、さすがにいかがかと。 トップが長くて2年で替わるという奇妙な組織の特性なのかもしれませんがどうなんでしょうか。アタマのいいひとの考えることは分かりませんなあ。あっはっは。 ってゆーか、このご時世にこの種の公開資料をPDFでつくって5MBってのはさすがにどうなのよ。プリントアウトしてスキャンする、とかいう二度手間な馬鹿げたことをやってるからでしょうけど、こういうことやって平気な顔をしていられる省に「効率性」とか「公益」とか語ってほしくないところですな。そりゃもちろん、「大所高所の観点から」こういうのが望ましいというご判断があったんでしょうけどね。
こんな本が出るようなんですけど、ひょっとして(しなくても)同学年なのか?
都心に出なければならない用事があったので、ついでに夕方から上野鈴本に落語を聞きに行きました。以前と同じく空いているだろうと思っていたら、柳家一九の落語会ということで思ったより混んでいて(値段も高くなっていて)驚きました。落語会ということでプログラムも通常とはちょっと違ってました。前座さんの「寿限無」に始まりましたが、そういえば寿限無をちゃんと(?)聞いたのは初めてかもしれません。そのあと、落語2席で中入り、紙芝居と落語で終わり、ということなのですが、最後の落語は「柳田格之進」でありました。人情話というんですか、なかなかにしみじみとするお話でした。「なる堪忍は誰もする、ならぬ堪忍するが堪忍」ですか。そういえばあの共同論文は……。
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