たまに××したり。
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大変ご無沙汰しております。 昨今は主に、mixiとtwitterで活動しています。 自身の1年を振り返る日記にしようかと思ったのですが、その前にこれだけはどうしても書いておきたいと思ったので、書くことにしました。
今年は、3月11日の震災を受け、様々な思いが去来しました。命のありがたさ、平穏無事ということのありがたさが身にしみ、明日何が起きるかわからないのが人生なのだ、という当たり前のことを、改めて痛感しました。
私が住んでいる横浜も、大きな揺れに見舞われ、停電で不安な夜を過ごしたり、今思えば、笑い話ですが、一時的な物流のストップにより、オイルショックさながらの軽いパニックに襲われた人々による買い占めで、ちょっとした食糧危機を味わったり、節電の夏を超え、いつの間にか、『平穏な』日常を取り戻し、今に至っています。
被災地の惨状や、様々な不幸を思えば、私たちの受けた被害は『大したことのないもの』で、悲しんだり、恐れたりするのは大げさであるかのように『思いこまされ』、無理をして元気にふるまったり、腫れものを触るように被災地を思うのが『日常』になってしまっていました。 それでも、スーパーに行って買う米もなく、日用品のほとんどを奪いあうように買い占める人たちを見ることで、被災地から離れた私からも『本当の日常』を奪われたことのショックは、確実に心に傷を残しました。被災地は大変でつらいんだ、我慢しろ、という風潮も、理解はできるけれど何か違う、という思いが強くなっていったのも事実です。 受けた被害の程度の差が、恐怖心の優劣をつける、心の傷の大小を決める、というのは、いじめの問題にも似て、当事者からすれば、たった1日の停電でも、数ヶ月にわたるライフラインの切断でも、ショックには違いないという事実を、一体どれだけの人が理解しているのでしょうか。
震災は、多くの人の命や暮らしを奪いました。 それは、文字通り、大切な人を亡くし、生活の基盤である住処を奪われた人たちだけの問題ではありません。 繰り返し、テレビで流される被災地の映像で、遠く離れた私たちにも、擬似体験として、あの震災は共有されているのです。
阪神の震災の時に、生まれた子供たちが、今、高校生になっているそうです。母親たちから話を聞くことでしか、当時を知ることができない彼らを見て、時間の流れに驚きました。一見何事もなかったかのように、復興を遂げている神戸の街並みに、東北を重ね、いつの日か、想い出話に、変わる日が来ることを願うばかりです。
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