朝からあま〜い菓子パンをひとくち食い、はっきり言って気持ち悪いです。しかも寒いし。
息子は昨日は無事帰宅することができました。
連絡帳に事情を書いて、もう一度下校方法を指導してくれるように担任にお願いしたのだけど、それに対する返事が納得行かなくて(違うクラスの、家の方向も少し違う子と帰るように話したというので)、またしても連絡帳にお手紙したためたのですが、うるさい母親だなと思われるかしらん。
男の先生は初めてなので、ちょっとばかし、緊張するあたしなのであった。
それよりも息子が今日、それをきちんと見せているかどうかのほうが心配だ。
最近マネージャーの姿を見ないなあ、と思っていたら、リフレッシュ休暇中でした。
「やっとマネージャーのリフレッシュ終わるねえ〜」
K嬢がしみじみと言い、初めて事実に気が付いたのは休暇最後の日。
そういや、最近会ってなかったけど、休みの関係で会わないのかなあと思っていたバカなあたし。
ていうか、何にも聞いてないし。
最近そう言うことが多いの。いえ、あたしの記憶がないというのではなく、周りがあたしに言ったつもりになっていることが多く、聞いてないよ〜って事が結構あるのです。しかも、結構大事なことについて。
そのたびにあたしは自分の記憶がますます悪くなったのか、不安に陥るのですが。
常日頃数字が全てだ、と言う会社にいて、みたくもないデータ見て眉間にしわ寄せなければならない部門(つまり結果が出せない部門)の人は、あまりに状況が悪いと、本部に呼ばれて逐一現状と対策を報告しなければならなくなるそうです。
それはもう、はっきり言ってつるし上げだとか。
そしてそのあとには降格、と言うお仕置きが待っているそうです。
だから社員の人たちはみんな必死になって上からの指示に従ってあくせくするんだなあ。
なんか、ちょっと哀れ。
最近ネット繋ぐのがめんどくさくて、さりとて、メールの受信はためるとめんどくさいから一応1日に1回は繋ぐようにはしてるですけど、時間も足りないし、ビビエスへの書き込みもめったにないし、繋がなくても事欠かないっていやあ事欠かないので、もっぱら携帯の利用頻度が高くなっております。
いろいろいじっていましたら、辞書のダウンロードができるのを発見。和英、とかカタカナ英語、とかどうでもいいんだけど、何となくダウンロードして登録なんてして見ました。ついでに若者言葉(ってこのネーミングがうける)、小学生用語、なんていうのもあったので、登録してみた所、今まで変換に時間がかかってた単語(給食とかね)がさくっと出てくるようになって結構快適です。
「ち」って打つと「ちょ→」とか出てくるのはオバサンうけましたよ。
ちょっとまじめな話ですが。
主義主張をするのは間違っていないと思うのです。自分が正しいと思うことを、自分の言葉で述べることが出来るのはよいことだと思うのです。
だけど、(よく言えば)平和主義的(悪く言えば八方美人)なあたしは、自分の意見で相手をねじ伏せようとする人は苦手です。
100%の正義なんてありえない。
私はこう思う、あなたもそう思うでしょう?私は正しいわよね?の構図が見えた瞬間に引きます。
まあ難しいんですけどね、自己主張には自信がなくてはならないわけですし、自分が正しいと信じるからこその主張な訳ですけども。むしろ、それだけの確固たる自信が持てることのほうがうらやましい。
その点、あたしは自分の意見に自信なんてまるでないので、間違っていたらすぐ折れます。
それはそれで問題ありだな。
状況に進展が見られないから仕方ないといえば仕方ないのですが、日々繰り返される感情論的な報道の仕方にはどうにもおなかいっぱいな感じがあります。
語弊があるかもしれませんが、マスコミを味方につけているうちは良いですけど、マスコミは絶対といっていいほど裏切ります。それはもう、手のひらを返したように。
運良く、といってしまっていいのか悪いのか、事件が解決した暁に、双方がどのような対応を見せるのかが気になります。
情報の伝え手が必ずしも公平であるとは限らないのが、マスコミが信用できないことの一因なのだけど。
さて、病院でも行ってくるか。
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心配していた学校生活も1週間を何とか無事に過ごすことができ、ほっとしたのもつかの間。今週からお迎えなしで自力で学校から帰ってくる。
決められた通学路を同じ方向の子達と一緒に帰ってくるのだ。
我が家は学校から徒歩5分ほどのところにある。どんなにゆっくり歩いても10分とはかからない距離なのだ。
ただ、1ヶ所、見通しの悪い地点さえ渡ることができればあとはなんてことはない通学路なのだが、ひとりで家まで帰ってくるなんて言うのは皆無に等しい我が息子のこと、アマアマな母親であるあたしは心配でならない。
心配な親御さんはお迎えに来てもいいですよ、と言うことだったので、一応念のため、おばばに途中まで様子を見に行ってもらうようにお願いして仕事に行った。
仕事を終え、ゆっくりと歩いて帰り、疲れてぼーっと夕飯を食べていたら、おばばが
「今日は、なんだか春の風に誘われてゆうくんお散歩に行っちゃったみたいなのよ」
と訳のわからないことを言う。
「は?」
疲れきって思考能力も低下しているときに何を言っているのだ、と話を聞いてみたところ、一応下校時刻よりちょっと早めに家を出て、息子のお迎えに行ってくれたのだが、肝心の息子がいつまでたってもやってこない。何人かの子ども達が帰っていき、それらしい子ども達の姿が見えなくなっても息子の姿は見えず、どうしたのだろうと、昇降口のあたりなど探してみたが、どこにも見当たらない。
そうこうしているうちにどこかで入れ違いになっても、と、とりあえず家に帰ることにしたら、ヨーコママとすれ違ったという。
「ゆうくん下のほうにいましたよ」
教えられて行ってみると、息子が鼻歌を歌いながら通学路とはまるっきり反対方向から歩いてきたという。
なんでそんな方からやってきたのだろう、と息子を連れ、もう一度学校に戻り、学校から息子が歩いてきたという道を案内してもらうと、通学路とはまるっきり正反対の門(子どもが通う小学校には門が3つあります)から出て、バス通りを渡り、延々と坂道を下り、裏通りを通り、もう一度バス通りを渡り、ヨーコママとすれ違った道にまで戻ってきたらしい。その距離、大人の足にして、徒歩30分近く。
今まで通ったこともないような道まで通ってきたらしい。
疲労と驚きのあまり、気を失いそうになったものの、とりあえず、息子に事情を聞くと、帰りの会が終わって、先生がなにやら説明をしたらしいのだが、よく意味が分からず、分からないままにさようなら、と言うことになって、どこからどうやって帰れば良いのかわからず、近くにいた友達にくっついて帰ってきてしまったということらしい。しかもその友達とも途中で別れ、そこからはひとりでぶらぶらと歩いてきたらしい。
ヨーコママに電話をし、ことの成り行きを話すと、
「なんか楽しそうに歩いてたよ。お天気も良かったし、ちょっと冒険してみたかったんじゃない?」
やれやれ・・・。
娘の時はそんな心配はなかったのに、やっぱりやってくれるなあ・・・と脱力。
何はともあれ無事に帰り着くことができたからよかったものの、途中迷子になったり、事故に遭ったり、人さらいにでもあったりしたら、と思うとぞっとした。
今回はおばばも、本人にきつく言い聞かせ、通学路の説明をし、明日も心配だから迎えに行こうか、と言ってくれたのだが、本人がやる気満々なもので、とりあえず、先生にひとことお手紙を書くことにした。
息子も自分でどうやって帰るのか、学校からの地図を描き、
「こうやって帰ればいいんだよね?」
と念を押しているくらいだから大丈夫だとは思うけど、やっぱり心配でたまらず。
明日は仕事が手につかないかも。
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こう言う問題について語るにはあたしの頭は悪すぎるので、突込みどころ満載になるかもしれませんが、ふと思いまして。
日本という国は本当に平和で、失業率がどうだの、景気が悪いだの、何やかやいっても、あまり何も考えなくてもどうにか生きていけてしまう国で、戦争がどうとか、世界平和がどうとか言われても、
「自分たちは平和だし〜」
って感じでいまいち危機感であるとか、そう言ったものも持たずに、暮らしていける国で。
そんな生ぬるい温室のような環境の中から、国際貢献のために、と言う高い志を持ち、危険を承知であえてその渦中に飛び込んでいくのは、個人の自由であるだろうし、とてもすばらしいことだと思うのだが、一歩外へ出たら、一個人ではなく、日本という国から来た日本人の代表のようなものだということは、忘れてはいけないことだと思う。
身柄を拘束され、要求は家族ではなく、国家に向けられる。
これが普通の誘拐ならば、家族が身代金払うなり、犯人側の要求をのむことで解決にあたることになるだろうが、国を相手に出された要求はそうやすやすとのむことができるものではない。
家族からしたら人命第一、と言う結論に達するのは至極当然のことだが、国という大局からしたら、そう簡単に結論付けることができる問題ではないと思う。
教科書で学ぶ、まさに机上の空論的な戦争と平和では、本当の理解にはならないということをもう一度きちんと考える時期に来ているのかもしれない。
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はらはらと舞い落ちる桜の花びらは、絶えることなく舞い落ちるのかと思っていた。
だけどそれは、時折途絶えては、再び散る花びらが溜まってから舞い落ちてくるようだ。まるで紙ふぶきを作っては舞い散らせ、なくなってはまた作り、と言うように。
そんなどうでもいいようなことに気が付いて感心した。
そんなどうでもいいようなことに気が付かずにいた自分にもあきれた。
息子は毎日楽しそうに学校に行っている。心配していた給食も何とか食べているようだし、初めての授業もそれなりに楽しく受けているようだ。
何もかも初めての環境に、戸惑いながらも、恐れることなく、すんなり馴染んでいけそうで、いつの間にそんなたくましさを身に付けていたのかと驚かされる。
きっとあたしが思うより、子どもはどんどん成長しているのだろう。
いつまでも赤ちゃん扱いしていたいと言う気持ちが、子どもを幼く思い込もうとしているのかもしれない。
このところ、体調が思わしくない。
年中めまいがするし、頭も痛い。
何より不安になるのは時々記憶が途切れることだ。
前後のことは覚えているのに、肝心なところが全く思い出せない。忘れっぽい、と言うのともまた微妙に違う。自分がやったことを全く憶えていないのだ。
前後関係から自分が何をしたかということを想像は出来るのだけど、実際にやったことまでは憶えていない。
例えば服を探していて、その服を最後に見た場所は覚えているのだけど、それをどうしたか全く思い出せない。どこかにしまおうと思ったのか、しまったのか、それすらも思い出せない。何とか見つけたときにそこにしまった自分も思い出せないのだ。なんでこれがここに?という感じで。
忘れたことを思い出そうとすると、余計に混乱し、思考が停止してしまう。
脳が悲鳴をあげているようだ。
例え1時間でも毎日労働時間が増えたことによって、その負荷はかなりのもののようで、作業量も増え、責任分担も増え、短時間で答えを出さなければならないことばかりが増え、きっとあたしの脳の容量とメモリでは処理しきれなくなってオーバーヒートを起こしているに違いない。
願わくば、何も考えずにぼんやりと桜の花が散るのを見て過ごしてみたい今日この頃なのだ。
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4年前は朝からあいにくの雨模様だった入学式。今年はどうかな、と思ったらすっきりと晴れた。
たまたま仕事の休みが取れた夫も一緒に式に参加できることになった。娘は自分の時は出席しなかったから、と、ひがむかなあ、と事前にお伺いを立て了承を得た。さらに当日一緒に参加しようと呼びかけたものの、拒否された。
そんなこんなで親子3人で学校に向かう。この日のために買ったスーツはどうにも身体になじんでいなくて入学式というよりは七五三のような息子を見て、ついつい顔が緩む。
学校に着くと、たった4年でこうも様変わりするのが世の中。しばしば触れているけれど、父親の姿が多くなったこと!
娘の時はほとんどいなかった気がするのだけど、なんだか、半分は父親同伴というくらいの人数だ。
「まだまだ俺は若い方だな」
夫は訳のわからないことを言いながら会場を見回す。
確かに、娘の時は周りはみんな年上のお父さんばかりで、運動会のときなど、なんかよく分からない優越感に浸っていたようだ。
あたしから見たらどの人もオジサン、に代わりはないのだけど。
(まあ、逆から見てもオバサンに代わりがないのと同じだろうね)
式は和やかに進む。
式の最中、小柄な息子の姿を見つけることが出来ず、入退場の際だけその姿を見ることが出来た。
時折ぐずって泣き叫んだり、大声で騒いだりする下の子たちを見て、何年か前はうちもあんなだったのに、と思うとなんだか胸がいっぱいになった。
式も終わり、各教室で担任の先生からの話を聞き、教科書やら算数セットやらを受け取り家に帰る。
そのあと給料日だし、お祝いだ、と食事に出かけ、買い物をし、夕方家に帰り着くとひたすら教材へ名前シールを貼る。夕飯の支度があるから、と続きを娘に任せ、夕飯後、教科書やらノートやらもろもろのものに名前を書き、翌日の支度を終えるまでずいぶん時間がかかってしまった。
「明日は国語があるんだって。これが教科書とノート、筆箱と下敷き、ランドセルに入ってるからね」
説明すると息子は嬉々としてランドセルを背負い、学校ごっこを始めた。
「ただいまあ。今日は国語の勉強してきたよ」
「お帰り、大変だったねえ」
付き合って答えたら息子が
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といってもうちの店は3月が年度始めなので、なんてことはないのですが。
今日から総額表示、とか言って、そのための前準備が3月中旬からずっと続いていましたが、レジはどうなるのよ、って言うと税込価格で表示されるため、別にこれといって変化はないのですな。
まあ、今まで値札見て、
「これっていくらになるの?」
って言う質問を何回かされたことがありますが、これからは値札見ればその金額ですから、悩むこともなくなるでしょう。
でも、細かい点がややこしくなるのですよね。消費税額であるとか、税抜き価格の計算法であるとか。
「今日は新しい表示方法の初日、と言うことで、マスコミの取材が入ります。誰にインタビューされるか分かりませんので、きちんと受け答えできるようにしておいてください」
などといきなり言い渡され、一応返答マニュアルみたいなものを見せられたのだが、全く憶えられず。
取材に会わないことを祈りつつ過ごしました。
一応テレビの取材は入ったようですが、幸か不幸か現場に直面することはなかったですね。
そんな中、やはり慣れ親しんだレジ操作とは微妙に違うこと、なにやらよく分からないけど、『税込みで値上げしたみたいに見えるけどそんなことはないのよ割引セール』が入っていることからレジ操作にかなり気を使っていたにも関わらず、打ち間違いをして、しかも全く気付かず、後から戻ってきたお客様に指摘されてもなお、全く記憶になく、いったんレジを清算してみた所、やはりあたしのミスでした。
ごめんなさい。本当に申し訳ない。情けない。
上司からのお咎めがないのがかえって心苦しいあたしであります。
そのあとのレジ操作はいつも以上に慎重かつ丁寧にさせていただきました。
ミスって言うのはやっぱりなんか、ぽっと記憶が抜けたり注意力が欠けたりしたときに起きるのでしょうな。不思議なもので、そのお客様のところだけ記憶が欠落しているのですよ。
深く反省。
後日スタンプラリー(店長まで全てのえらい人に謝りながら書類に印鑑をもらう)が待っているのですな。やれやれ。。。
でもとてもいいお客様だったので、
「自分の勘違いかもしれないんですが、もし本当に勘違いだったらごめんなさい」
と何回もおっしゃっていただいたのがせめてもの救いでした。
「ふざけんな!ゴルァ!」
ぐらいな勢いで怒られたら1日中凹みまくりだったでしょう。
まあ、やってしまったものは仕方ない。以後充分に気をつけたいと思います。
そんな情けないスタートを切った4月ですが、いよいよ月曜日から息子も1年生です。
娘の時はあまり心配もなかったのですが、どうにもこうにも息子のことになるとアマアマなあたしは、ひとりで給食食べられるんだろうか、とか、家まできちんと帰って来れるのだろうか、とか(ちなみに小学校までは徒歩5分です)もう、心配で心配で。
先日も夕食のとき、うまく箸が使えず、おかずをつかめないで苦労しているのを見てついうっかり食べさせてあげちゃいましたよ!
「学校じゃひとりで食べなくちゃいけないんだよ」
と娘に冷たく言われましたが、見てられなかったんだも〜ん。。。
心配で心配でしばらくはおろおろと日々を過ごすことになりそうです。
あたしのマイは非通知です。