日々の状況。
目次未来


2004年06月27日(日) 赤い腕から流れるのは後悔と焦燥感。

 日曜日。何も無い休日。何も無いから怠惰なのか、それともだたそういう気分なだけなのか、そんなの解らないけれど、酷く気だるい。
 昼食は食べる気になれなかった。
 午後から殆どの人たちが明日の球技大会の為に練習に出掛けた。
 朝、あれだけ降っていた雨がもう止んでいた。
 雨が降っていたから感傷的なのか、止んでしまったから感傷的なのか、多分 どちらも当て嵌まっていて、何かが違う。
 一度鬱な渦の中に呑まれてしまったら中々抜け出す事は出来ない。そんな事、今更だけど、今がそうだと思う。
 誤魔化そうと馬鹿みたいな空元気を振ってみて、墓穴を掘って、また独りで沈んでく。
 夕方に、友人に言われた。私を見てるとテンション下がるって。
 こんな事、今更だよね。解ってるよ。
 私はいつもそう、人に気分の悪い思いをさせてばかりだ。
 別に、そうしたいわけでもないのに。寧ろ、笑っていて欲しい。苦しい思いなんてして欲しくない。なのに、いつも空回る。
 今日だって、そう言われてしまったら、もう何も言えない。私が原因なら言えない。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 丁度目に付いた空が綺麗過ぎた。
 西の雲の青灰色、淡い橙色の沈む日の光。
 ほんの数分だった。その空の綺麗さと刹那さは感傷的な今には不思議な気分にさせた。
 同室の子が夕食に行くのを誘ってくれたけど、首を横に振って断った。その子は私の頭をぽんぽん、と優しくたたいて出て行った。何か言ってたけど何を言ったのか覚えてない。でも、優しい言葉だったのは覚えてる。安心感と罪悪感で涙が落ちた。

私、貴女が最近調子が良くないの、知ってるよ。だからこそ、どうしても棘々してしまうのも解る。だから、出来るだけ笑って流してるもの。だけど、流石に今日の一言は私も堪えられなかった。その時笑って流すのが精一杯だった。
だって、ほら、独りで居る今何故だか涙が止まらないもの。
嗚咽を漏らすわけでもなく、涙がずっと落ちてる。ずっと視界がぼやけてる。
明日、笑えてると良いな。
こんな傷だらけの腕自分でも忘れるぐらいに。
作り笑顔で良い。ああ、こいつは元気なんだなって周りが認識出来る程度の笑顔でいい。今、私を取り巻いてる重たい闇を悟られないように。
笑って居られたら良い。


 帰寮して一週間。
 まだ一週間しか経っていない。
 なのに、何でこんなに疲れてるんだろうね。
 何で私の腕はまた、こんなにも真っ赤なんだろうね。
 もう止めなくちゃ。
 自分の為にならないって知っていて何で今もまだ続けてるんだろ。
 他の方法なんて見付からない。…見つけようとしてないだけなのかもしれないけれど。
 この一週間、テンションは低めの所を常に這っていて、時には其処から更に下に落ちたりした。
 何故だろう。妙に島根に帰りたくなる。
 島根の家に、とかじゃなくて、ただ島根の空気に触れたくなる。


2004年06月25日(金) 何とか立ってる。笑ってる。

 今日の調理実習のメンバーは2年、3年両方とも女子ばかりの4人だった。
 メニューは3年生が午前中に校外実習で打ってきた蕎麦と豆腐田楽、葛餅、とお腹に溜まるようなやつばっかりでちょっときつかった…。豆腐半丁は、ねぇ…。

 最近、何だか変だ。妙に無気力になってしまう。
 お決まりの“やらなくちゃ”と無駄な見栄のおかげで立ってる。 笑ってる。
 だけど、ギリギリの感じなのが独りになると強く解かる。
 ざわざわしてる。
 不思議な息苦しさ。


2004年06月17日(木) 矛盾した生き方と後悔を今日も繰り返す。

 今更だけど、本当にしょうもない事だけど後悔してる。
 理由もきっかけも覚えてない。私が腕を切るようになった事の。
 ただ、相変わらずそれは私にとっての生きる手段でいる。
 腕を切ることが生きる手段なんて、矛盾もいいとこ、馬鹿げてる。
 解っていても、変えられない。未だ私は弱いまま。
 だから、少し後悔してる。
 自分の腕を切る事への後悔なんて薄っぺら過ぎて無いに等しい。
 けど、その他に対しての後悔が大き過ぎて時々潰れそうになる。
 妹は何で腕を切るようになったんだろう。
 私と大差無いのかも知れない。ほんの些細なきっかけだったのかも知れない。
 やっぱり、私の所為なのかも知れない。
 私みたいな姉を持ったから、あの子はああなのかも知れない。
 私は、人を傷付ける事しか出来ないのかな。
 どれだけ傷付けていけば気が済むんだろうね。
 自分の腕だけじゃ物足りない?
 馬鹿げてる。
 こうしなくちゃ進めない。
 そう言って繰り返してきた愚行。
 今更止め方を見つけるなんて、私に出来るのかな。
 でも、他人がそうやって血を流すのに心を痛めるくせに、自分は平気でそれをするなんて、あまりの矛盾さに情けなくなる。
 でも、どうすれば良いかなんて未だに答えも見付からなくて、ただ、ただ、後悔する。
 こんな進み方しか知らないくせに、傷跡を見る度苦しくなる。
 どうかしてるわ。


2004年06月06日(日) 向き合えるだけの大切なモノ。

 午後から3名の3年生と同じ美術部員の2年生の5人で美術教員の先生と共に美術系の大学の説明会に行った。京都・大阪近辺の5つの大学・短大が合同で開いているもので、私は同じ2年の子と一緒に3つの大学の説明を聞いて資料をもらった。
 何だか、少し現実とか将来とか、そういう物が近くにあるんだって事に触れた気がした。自分って何がしたいんだろう。改めて考えると案外解らないものだね。
 だって、説明してくれるスタッフの人に「美術系?それともデザイン系行きたいの?」って聞かれても、曖昧な事しか言えなくて、今一どっちかとか解らないもの。
 帰る前に、去年の美術コンクールの帰りに連れて行ってもらった事のあるギャラリーに再び連れて行ってもらった。
 やっぱり中では石の作品の展示をしているけれど、作品が前とは違ってた。でも、やっぱりどれも素敵だった。一つ一つ、色んな角度から見ていった。同じ石を使った作品がいくつか並んでいても、加工とか、表現の仕方でまったく違う表情をして見えた。石の塊をあんな素敵なモノにする事が出来るなんて本当にすごいと思う。
 展示してある作品を作った人たちが居たから少し話をしたのだけれど、私が「こういうのを作る作業って力がいるんだろうな」って言ってたら、「力任せにやる奴はそんなにすごくなんてない、本当に巧い奴は少ない力で綺麗に同じだけの事をやるんだ。」って返してくれた。
 きっと、この人たちは本当に石が好きで、それとうまく向き合う方法を知っているんだ、なんて思って感動した。
 私も、そうやって向き合って、自分を高めていけるような“何か”を見つけられるようになりたい。
 夢見がちな事かも知れないけど、そう思う。


伍龍 |MAILHomePage

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