The First The Latest Contents MAIL MY HOMEPAGE


Personal Diary
meiqi
MAIL
My Homepage

My追加

2004年12月31日(金)
ゆき時々ゆき

今日はまた雪が降ってる。積もるといいな。

日本人はおかしなもので、忘れることに果然力を入れる。
年末年始がその例で、新年会の誘いより忘年会の誘いのほうが、
圧倒的に回数も多く、熱意もあって、酔いも深い。

みんな楽しい年末を過ごして、来年もがんばるぞってなる。





雪は雨に変わって、積もった雪を溶かし始めてる。
忘れるということはこんな感じなのかもしれない。

でも実際、記憶は溶けることもできないので、
きっと生まれてからずっと降り積もっているんだと思う。

年末はなんだかごちゃごちゃごちゃーとして、
迷子になって終わった感がある。
今、人生でも夢でも友情でも恋愛でも仕事でも迷っている。

今までは、誰かに依存して道を歩いてきた。
もしくは自分で勝手に歩いてきた。

来年の人生は、今までなんとなく体裁とか今だけのものにこだわってきたから、これからはもっと一生懸命、誠実に生きていく。特に誠実に!!来年からの夢は今かなえるものじゃないと考える。人生80年、まだ夢をかなえるには早すぎる。友情にはもっと人にやさしくなる。優しい言葉を使う。恋愛は自分に向きあう。好きになってもらうんじゃなくて好きになる。なにかしてもらうんじゃなくて何かする。愛してもらうんじゃなくて愛する。仕事はもっと貪欲に。絶対出来るから逃げない。どこかで逃げてきてどこかで余力を残してきたことをもう繰り返さない。


最近反省ばっかし。もうしないぞ。
これで今年最後だ!

今やりたいこと。
・映画「東京タワー」見る(もうやってないかも・・・あー)
・アジカンのライブチケット取る(行きたい行きたい、ごっちに会いたい)
・スケート行く(富士急がいいー)
・髪切る(さっぱり行きたいかもー)
・ミレナリオに行く(あーもう時間がない、今年もおわーるー)
・温泉に行く(これはもう本当に行こうかな)

雪は雨になって、もうすぐやみそう。
でも外が寒すぎてこおりそう。
今年の記憶もとりあえず凍結させて、
時々溶かして思い出だそう。

さて、今日はジルベスターでも見るか。










2004年12月30日(木)
くもり時々ゆき

今日は雪が降って、もっと積もって欲しかったけどだめだった。
一日にいろんなことがありすぎて、喜怒哀楽が駆け抜けた。

最後にはまた自分のずるいところを突きつけられたか、
言われた言葉の意味を今ならわかる。
でももらったメールの返事をまだ書けないでいる。
「うんん、気にしてないよ」
と書くべきか、むしろ「ごめんなさい」か・・・。
返事はうやむやなまま、年を越えてしまうかもしれない。


でも自己嫌悪もとまらないかも。
私は私のずるいところを甘えて許してもらってるのかもしれない。


-------------


「やさしさに甘えすぎだよ」



本当にそれだけなのかわからない。きっともっと言いたいことあったんじゃないかと思う。でも、これも怒らせたまぎれもない事実の一つかな。

極度のさみしがりや=弱いところ

いつも気丈に見えるらしく、さばさばしてるねなんてよく言われる。
本当は、すごいさみしがりやで、この部分をいつも許して欲しい、認めて欲しい、嫌いにならないで欲しいと思ってた。



でも、そろそろ変わらなくては、変えなくては、直さなくては。
勝手にさみしい私を許してもらおうとする私は、
やさしさに甘えすぎなのかもしれない。




2004年12月27日(月)
コンセント

田口ランディ『コンセント』

この本はもう読むのが怖い。
自分に直面した気がした。

うーだめだ。これ以上書けない。



---------------
後日の追記

友達の感想は、「あんまり好きじゃない」とのこと。
確かに後半は妄想小説な感はアリ。

でも、私が「なんか主人公が私に似てるんだよね」と言ったら「あはっそうかもー」と言われる。

結構八方美人に生きて来て、人に気に入られるように生きてきて、なんだか人に「この人違うな」と思わせるように仕向けてきて、でも、さみしがりやで。





『アンテナ』も読みたいな。探そう。



2004年12月24日(金)
24歳のクリスマス

12時をすぎて、24歳のクリスマスがやってきました。

とかいっても別になんてことはなくて、明日も別に予定はありません。
まっ事務所の掃除かな。でもそれはそれで楽しそう。

今日は年賀状を書いて、いろいろ昔の友達思い出してた。
年賀状には、とにかく文章いっぱい書いて、only-oneな年賀状を作ってみた。

オムニバスなアルバムを開いたら、昔の私が出てきた。
もらった手紙を読んだら、自分愛されてるなーと思って幸せになる。
でももうこの世にいない人がいて、実は現実味がずっとなかったけど、今日、もうその人が本当にいないんだと確信した。
まだ若いよね。25歳。私は今でもその人に掛けた最後の言葉が引っかかってる。
今日、もらったカードとか手紙とか読んで、すごく暖かい言葉もらってたのに、私は何をあげられてただろう。

なんだか優しい人ばっかりいなくなちゃって、だから優しい人に会うと怖いよ。


今年は楽しいこともたくさんあったけど、二人も優しい人を失ってしまった。
彼らはみんな自分でそう決めたけど、そう決めさせたのはなんだったんだろう。

こういうことがあると、仲間同士だともうタブーになってしまって話せない。
本当はもっと話したい。
そうしないと、写真を見るたび、手紙を読むたび、つらくて前に進めない。

でも、きっとあの人は私の笑ってる顔を「かわいい、かわいい」と誉めてくれてたから、明日も笑います。楽しいクリスマスを過ごすことを望んでると思うしね。



明日も素敵な日になりますように。
私の出会った人達みんなに幸せがきますように。

そして、世界に平和を。
pax optima rerum





2004年12月23日(木)
スケートができる

来週はスケートができる。嬉しい。
でもできたら富士急とか野外がいいけど無理かなぁー。
探してみよう。

昨日は就活。
それなりによかった。
きっとこんな感じでやっていけば苦にならないんじゃないかと思う。
でも広告に疑問も感じた。
なんだか自社でできることをわざわざ任せさせて、仕事を作る業界というか、
本当は、自分の企業のことは自給自足でやるべきなのに、なんだかそれを「うちがやったほうがいいですよ」といった話にして、それを自社の仕事にする。なんだか疑問だな。一つの製品から、どんどんごり押しで派生商品を発生させていくのっていかがなものか。それこそ資本主義的な自己増殖?なのでは。なんでも製品にしちゃうのっていいのかなー。

就活後は飲み会。
東海道線は本当によくない。
あんなんで毎日通ったら人生楽しいことも楽しく感じれなそう。
なんとかしないとつらすぎる。

そして、横浜。
ビールがすごくんまい。
でもたった3杯でほろ酔いになる。昔はそれくらいじゃ全然酔わなかったのに。

私は留学した人間だから、留学したい人に対して、
「行きたいなら行った方がいい」という回答しかできない。
迷う気持ちもわかるけど、そういった気持ちは、自分が行けないという事実を正当化できないんじゃないかと思っている。「本当に行きたければ、行く」やっぱりこれしかないと思っている。
本当に行きたいって気持ちをもって、事を始めないと、バイトで稼いだお金は、いつのまにやら雑多なことで消えちゃうだろうし、いいチャンスが回ってきても全力で応募できないだろうし、今の状況をいいわけにしちゃう気がする。
だから、1年後でも5年後でも行くと決めて、いつか行きたいにしないことはとても大事だと思っている。とりあえず、行くことを決めることだと思う。行くことを決めていれば、ちょっとだけチャンスが早く来ても対応できる気がする。そう思っている。

でも、こんな考えは追い立てるだけなのかもとも思う。
だけど、私にはこれ以外言えない。
もっといいアドバイザーになりたいけど・・・たぶん、もう一生無理だな。


足りなかったお金のことも
日本にいれなかった1年間も、
いない間に失ったものに対しても、
やっと最近納得してきている。

昨日昔の日記を読んでそう思った。
私はやっぱり留学してよかったんだと。




2004年12月19日(日)
あしたのこと

明日は飯田橋で会社説明会が会って、
すこぶる行きたくないと思っている。

なにが行きたくないって、
モチベーションがあがらないのと、
生活が夜型になってて起きれそうにないのと、
お金がない。

こんな感じで最近毎日が過ぎてる気がする。
でもだからって動き出しても(12/15のように)なにも満たされなかったので、
もう一体今のこの空虚感はどうしたらいいのかと思っている。

会社説明会に行きたくないのは、ただの甘えで、
朝起きることはできるし、説明会でそれなりに一生懸命になることもできる。

でも、自分の中では、
朝起きるほどのインセンティブは感じていないし、
説明会から察するになんか余興的で、冷めてしまうような自分がいる。

行ったことがプラスになるのか、マイナスになるのかわからなくて、
だったらお金がないのに出て行かなくてもいいかなって思う。

だけど、じゃあ明日何するって言ったときに、何もないんだよね。

何するも、何したいも、ない。



今日はこれから明日何するかを考えよう。



2004年12月12日(日)
泣けること

泣けることはすごく重要だと思う。
世の中、なんだか熱いことがバカなように扱われて、
みんな素直な気持ちをぐっとこらえている。

こんなのはやだーと思う。

今日、雑誌のコラムで絶対泣けると保証している宣伝文句の映画を見て、泣いて、そして、周りも泣いていることにほっとするってなことが書いてあった。

なんて空しい泣き方なんだろうと思う。

涙という感情のバロメーターは絶対みんな同じじゃないし、
そんな機械的に流す涙なんてフェイクだと思う。

だから、昨日涙ぐむ人を見て、とても素敵だと思った。



泣くことがおかしいなんて、一体誰が決めたんだろう。



他にも言いたいことを書きなぐっているページ
Click!!

チャイ語を勉強したい人のページ
Click!!

っていうか、私のホームページ
Click!!

The first The latest Contents