日々雑感
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2002年12月31日(火) 年越し

晴れ間をみて、浜まで歩く。冬の浜には人がいない。犬を連れた人影がひとつ、ずっと遠くに見えるばかり。水平線の向こうには船の影もぼんやりかすむ。

夜は家にて年越し。年越しもきりたんぽ。外からは、雪の中、家々を周って歩くなまはげの声がする。今年の紅白歌合戦、中島みゆきの「地上の星」はさすがの貫禄。短い時間の中継だったが、その場面だけひとつの舞台を観ているようで圧倒される。すごい。

2002年が行く。来る年もよい年になりますように。


2002年12月30日(月) 星と雪のあいだで

父親の友人が来る。小さい頃から兄弟のように過ごしてきた相手だという。今は大阪に住んでいるのだが、帰ってくるたびに必ず2人して会っている。話していると風通しがよくなるような気がする人。

久々に会っていかにも嬉しそうな2人(母曰く「2人とも昔から純情青年だった」)を残し、夜、友人と今年の飲み納め。町に一軒きりの居酒屋は7時には既に満員。瓶ビールから始めて、赤、赤、白と、3人でワインを3本空ける。

帰り道。夜更け、しんしんと冷え込んで道路はすっかり凍っている。皆で歩きながら、何度も滑っては転び、その度に笑いながら起き上がり、また転ぶ。まさに酔っ払いの見本。

ものすごい星だ。オリオン座におおいぬ座のシリウス、プレアデス星団、星の光を明るいと感じるのは久しぶりだと思う。星があまりにも見えすぎて悲しかった。転んで笑いながら、なぜだか少し泣けてきた。


2002年12月29日(日) 年の瀬の風景

昨晩はBSで録画ながらサッカーの試合を観て夜更かし。明日は寝坊しようと思いつつ布団に入ったところ、朝早く叩き起こされる。近所のスーパーにて「朝8時からタイムサービス」のチラシが入っていたらしい。「1人1パック」の卵を複数手にいれるための動員。まだ日はのぼったばかり。朦朧としながら起き出して支度する。

こんな寒い朝に人がやってくるのかと思っていたが、8時前に車で店の前に行くと既に行列ができている。大晦日、元旦を前に、どの人も皆「買いこむぞ!」といった気合に満ちて、何か急いたような、浮き立ったような、上気した表情。箱みかん購入。卵も無事に2パック手に入れる。

ときおり思い出したように吹雪く。四方八方から降ってくる。道路沿いに設置された温度計を見ると零下3度。凍った道の上をつまづきそうになりながら歩く。


2002年12月28日(土) きりたんぽ

昨日から一転、少し暖かい。積もった雪が屋根から落ちる音がする。

夜、きりたんぽ。スープは鳥ガラ、それに醤油とお酒と塩少々、具はゴボウ、セリ、春菊、焼豆腐、白たき、鳥肉、今日は珍しくエリンギ、それにきりたんぽ。
今回はしっかり作り方をおぼえようと思っていたのだが、結局自分で食べる方に夢中になって、これではいつもと変わらない。結局は、自分の舌を頼りに「これだ」という味を探すのが一番なのだろう。

夜が更けるのといっしょに、どんどん寒くなる。布団が冷たい。以前、家に猫がいたときは、冬になると布団の中に入ってきて湯たんぽがわりになっていた。今はもういないけれども、「太郎」という名の猫だった。


2002年12月27日(金) 帰郷

新幹線にて帰省。盛岡を過ぎたあたりで吹雪いてくる。

夜の雪だ。暗がりの奥から吐き出されるように降ってくる。隣りの席の家族連れ、お母さんは「寒そうだね。降りるのやだね」と言っているが、まだ小さい子どものほうは「雪!雪!」と興奮気味。

やや遅れて駅に到着。ホームにもすっかり雪が積もっている。車で迎えにきてくれた父親が、運転しながら「これは積もる雪だな」と言う。あらゆる音を吸い込んで、雪の夜は静かだ。


2002年12月25日(水) 冬空

晴れる。うす青い空に白い小さな飛行機が一機だけ浮かんで、まるで網走で見たクリオネのようだと思う。冷たく澄んだ海にゆらゆらとゆれる小さな光だ。

夜、髪を切る。ドライヤーが温かくて気持ちよく、うとうとしてしまう。担当の美容師さんに「きりたんぽ」の正しい作り方について聞かれるが、うまく答えられず。話しながら、そろそろ自分でもしっかりと「きりたんぽ」を作れるようになろうと決意する。来年の目標。


2002年12月24日(火) クリスマスの夜

クリスマスイブ。駅前のケーキ屋には人だかりがしている。

クリスマスというと、地元で過ごした冬の夜を思い出す。ストーブが燃えていた。外は雪の気配がするけれども、家の中は暖かだった。壁時計の音だけ規則正しく響く。しんしんと夜は更けてゆく。

今年は曇り空のクリスマス。友人と「クリスマス限定いちごパフェ」なるものを食べる。窓の向こうにぼんやりとにじむ電飾がきれいだ。今晩と、明日と、二夜限りの灯りだ。


2002年12月23日(月) 1年

渋谷のスタジオにて練習。今年の演奏仕納め。クリスマスソング流れる渋谷の街を歩きながら、そういえば昨年も、同じ時期に、同じスタジオで、同じ面々と練習していたなあと思い出す。あれからちょうど1年経ったのだ。

練習後、ラーメン屋の片隅のテーブルにてささやかにビールで乾杯。そのラーメン屋がものすごく良い店だった。汁なし坦坦麺、特製の醤油ラーメン、焼餃子など、どれも丁寧に心をこめてつくられている感じがして、身体にじんわりとしみてくるような味。デザートの杏仁豆腐がまた、言葉も出ないような美味しさ。皆、話すのも忘れて夢中で食べた。

「よいお年を」と言い合いながら、それぞれ帰る。空いた電車の窓から夜の暗い川が見える。


2002年12月22日(日) 「赤土色のスペイン」

読売新聞日曜版に連載されていた「赤土色のスペイン」が最終回。スペイン在住の画家である堀越千秋氏が書き、描くスペインを毎週楽しみにしていただけに終わってしまうのは寂しい。都会の裏通り、小さな村、とぼとぼと歩くヒターノ、光の強さの分だけ濃く落ちる影に向けられた眼差し。自身、フラメンコのカンテの名手であるという堀越氏の語り口が好きだった。

赤土色のスペイン/堀越千秋

夜、銭湯で柚子湯。湯気まで柚子の香りがする。帰りがけ、番台にて柚子湯の日に恒例のヤクルトをもらう。いつもは1本なのに今年はなぜか2本。風呂上がりの夜道で飲むヤクルトは冷たくて美味しい。


2002年12月21日(土) 忘年会

新宿にて大学時代のサークル仲間との忘年会。いつもは同期だけで集まるのだが、今回はひとつ下の代と合同ということで、懐かしい顔がたくさんそろう。嬉しく、また楽しく、久々に盛大に酔っ払う。

大勢の飲み会で騒いだあとは、反省したり、自己嫌悪だったり、何か後味の悪い気分になることも多いけれど、この面々とだとそんなことはない。長いこといっしょにいて、もういろんな面を見せてきているからだろう。飲みすぎてへろへろになりながらも、清々しい思い。ただし、連れて帰ってくれた友人は大変だったかもしれない。ごめんなさい。


2002年12月20日(金) 冬至前

スーパーの店頭に黄色い一角、冬至コーナーが出来ているのだ。山積みの柚子、柚子湯用に袋詰めしたものなどの他に、なぜか入浴剤「バブ」の「ゆず」、それにかぼちゃ。柚子もかぼちゃも陽の光の色かもしれない。店内で、その一角だけ不思議に明るい。

今日もあっという間に日が暮れた。夜よりも昼のほうが長くなる、折り返し地点はもうすぐだ。

夜、銭湯へ。「22日は柚子湯」との張り紙。5月の菖蒲湯など銭湯行事はいろいろあるけれど、柚子湯がいちばん好きだ。いつも行く銭湯では、その日に必ずヤクルトを1本くれる。子どもみたいと思いつつ、それも嬉しい。


2002年12月19日(木) かまってほしい

家庭教師の日。大きな猫がいる家。

いつもは窓際でじっとしている猫だが、今日はしきりにこちらへ寄ってくる。足元にまとわりついたり、机の上にゴロリと転がってみたり、そのまま尻尾をバッタンバッタン振ったり。寒い季節は、人も猫も誰かにかまってほしくなるのか。

花屋には、ポインセチアといっしょにシクラメンの鉢植えが並ぶ。立ち止まって見てしまう。色のある花が部屋にひとつほしい。明るい色の花がいい。


2002年12月18日(水) トマトジュース

トマトジュースが切れたのでスーパーにて補給。トマトジュースは大好き。食塩無添加の青臭いやつだと、なおいい。小さい頃から牛乳がわりに毎日喜んで飲んでいたという(牛乳嫌いの子どもだったのだ)。今でも、冷蔵庫には必ず缶かペットボトルのトマトジュースが入っている。

夜、銭湯へ。今日は空いている。中に入ってゆくと、ひとり湯船にて歌を口ずさむ人あり。「きよしこの夜」だ。湯気の中で、思わずこちらにもクリスマス気分が伝染。


2002年12月17日(火) みんないつかは

風邪長引く。どうしても外せない用事があって出かけるが、ティッシュ手放せず。電車に乗りながらもぼうっとしてしまう。

昨晩は雨だったが、今日はよく晴れた。雨上がりのせいか空気が少し暖かい。夕方、買い物袋を提げて、子供の手をひいて、あるいはうつむいて、何かを思いながら、皆それぞれ、どこかへ向かって歩いている。行き交う人々の足元を、神妙な顔をして猫も行く。猫には猫の道があるのだ。

日が沈んだばかりの西の空に、ひとすじ、飛行機雲が白く光って浮かぶ。長く尾を引く彗星のようだと思った。どちらも、いつかはどこかへ消えてゆく。


2002年12月15日(日) 静かな夜

本格的に風邪をひく。咳やら鼻水やら寒気やら、風邪の症状がここまでしっかり出たのは久しぶりだ。一日中、家の中でうつらうつらして過ごす。

15時をまわると、窓越しに、もう日が暮れてゆく気配がする。冬至が近いのだ。遠くから車の音が聞こえる。アパート前の路地を何か話しながら歩いて行く人がいる。外では、今日はどんなことがあったのだろう。

頭がぼうっとしているせいか、本を手にとっても目が同じところを何度も行き来して、先に進まない。あきらめて横になる。何もなくとも一日は終わる。日曜の夜は静かだ。


2002年12月14日(土) 今年のニュース

そろそろ、1年を振り返るような時期になってきた。「自分にとっての今年のニュースは何か」という話をしていて、友人に「ワールド・カップは絶対入るでしょう。それも上位に」と笑われる。まったくそのとおり。

「とりあえず一度は観てみるか」と軽い気持ちでテレビのチャンネルをサッカーの試合に合わせたのが、今思えば運の尽き。夢中になった。毎日のように何試合も観ては一喜一憂していた。それ以来、寝ても覚めてもサッカーのことが頭から離れず。時が過ぎて、いつか自分の「これまで」を振り返ったとき、2002年6月、W杯以前・以後がひとつの区切りとなるかもしれない。ほんとうに、何がどうなるかわからないものだと思う。

夜、友人の家に大勢集まって忘年会を兼ねた鍋会。年の瀬の匂い。


2002年12月13日(金) 光を売る店

日暮里から新大久保まで歩く。東京横断。

西の方へと向かう道沿いには古い店が並ぶ。鰻屋、雑貨屋、白っぽい蛍光灯の中の和菓子屋、どこに何があるか棚の隅々まで全部わかっているような小さな本屋(小さい頃、立ち読みしていた近所の本屋と似ている)。時計店のくもったガラスの向こうには、針が止まったままの腕時計がまばらに置かれている。

歩き始めた頃はまだ明るかったけれども、だんだん日が暮れてくる。今日も寒い。背を丸め、襟巻きにしっかり顔をうずめたまま、洗面器を抱えて銭湯へと向かうおじいさんとすれ違う。

道沿いに灯りがともってゆく。そんな中、ひときわ明るい店がある。のぞくと、狭い店内いっぱいに色とりどりの電飾やチカチカとまたたく看板。ネオンの専門店らしい。光を売る店だ。

夜、新大久保のスタジオにて、いつも参加しているアルゼンチン舞踏団と先日から遊びに行っているブルガリア舞踏団の初顔合わせ。ステップの踏み方やリズムなど全然違うはずなのに、すぐに身体が反応し、しっかりと踊ってしまうのに感心、感動。思いがけないところから、あるいは、ちょっとした偶然の積み重なりから、音楽や、踊りや、いろいろな「何か」を介して人と人がつながってゆく。面白く、嬉しく、素晴らしいことだなあと、踊る面々を見ながら、しみじみ思う。


2002年12月12日(木) 冬の月

どこへ行ってもクリスマス・ソングが流れている。店頭ディスプレイやイルミネーションなどにはあまり心動かされないけれども、音楽には弱い。すっかりその気になってしまう。

『雲の宴』辻邦生(朝日文庫)再読中。辻邦生作品は、何かプラスの力がほしいときに読みたくなる。明るい方へ、遠い方へと向かう眼差しに惹かれるのだろう。『樹の声、海の声』(朝日文庫)も好きだ。『廻廊にて』(新潮文庫)もよい。どれも繰り返し読んでいるので、表紙がボロボロになっている。

夜、空には三日月。秋の月の光は空全体にやわらかく広がるけれども、冬の月の光はまっすぐに地上まで届く。そんな気がする。


2002年12月11日(水) 箱みかん

晴れ。布団を干している人もいる。

八百屋の店頭にはみかんが山積み。箱みかんもある。冬になると必ず、買ってきたか、もらうかした箱みかんが家にあった。暖房のない寒い部屋に置いておき、夕食後など誰かが立ち上がって全員分のみかんを持ってくるのだ。箱の中のみかんのひんやりとした感触。急いで暖かい部屋へ戻り、ストーブの前に転がってみかんを食べるのが好きだった。

箱みかんが家の中にあるのはいい。いてくれると安心するような冬の友である。さすがに今は箱みかんは買えず。とりあえずは、小さいネット入りのみかんを連れて帰る。


2002年12月10日(火) 雪と暮らす

昨日の雪はほとんど溶けた。日陰や屋根の上に溶け残った白いものが少しあるばかり。一日だけの雪景色だった。

母親から電話。向こうは地吹雪で大変だという。「真冬の、ちょうどいちばんひどいときの降りかた」らしい。「雪の降らない土地に住みたい」という両親。かたや、雪景色が嬉しい自分。その地で実際に雪と関わって365日を過ごしていない者の勝手な感傷とも思いつつ、雪にはどうしても心が動く。好きなのだ。

来年春にNHKで「ちゅらさん」の続編放映と聞く。今春の「私の青空」のように、全6回シリーズらしい。「ちゅらさん」は唯一欠かさずに観た朝ドラである。大好きだった。嬉しいニュース。



2002年12月09日(月) 冬の気付け薬

ジャリッ、ジャリッという音で目が覚める。もしやとカーテンを開けると、思ったとおり外は真っ白。隣りの家の人が道路に積もった雪をスコップで寄せているのだ。冬になると聞こえてくるなつかしい音だ。

電車に乗ると、座席についた人たちは皆うとうとしている。外が寒い分だけ、車内の暖かさが気持ちよいのだろう。

授業中も雪ふりやまず。窓の外では、ついこのあいだまで紅葉していた木々がもう白一色である。ゼミ終了後、帰り道が寒くないようにと、先生がノルウェー産のシュナップスのボトルを取り出してくれる(常備しているのか?)。研究室にて、小さいグラスに1杯ずつ。ものすごく強いけれども、味よし、香りよし。一口だけで身体も温まり、背筋も伸びる。

シュナップス効果は帰宅するまで続く。寒くないどころか、妙に元気になって散歩がてら一駅分歩く。まさに冬の気付け薬。


2002年12月08日(日) 夢か現か

昨日よりさらに冷え込む。暖房をコタツに頼っていると、足元は温かいけれども指先が冷たくていけない。

ああ、この夢は前にも見た、と思っている夢を見た。大きな古い家が出てきて、薄暗いその屋内を歩きながら、この家を夢に見るのは二度目だと思っているのだ。ということは、夢の中で「これは夢だ」と自覚していたということか? 目が覚めて、何が何だかわからなくなる。夢だとか現実だとか言うけれども、どの境界も実はひどく曖昧なのかもしれない。

夜、雨の音がする。今晩中に雪に変わるだろうか。


2002年12月07日(土) 初雪の気配

朝から雨。紅葉した葉もだいぶ散って、色のあるものが少なくなった。そんな中、裏道に名前の知らない、小さな紫色の花がたくさん咲いているのを見かける。色というのは、それだけで力を持っていると思う。

『廃墟からのワールドカップ』金丸知好(NTT出版)、『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』木村元彦(集英社)読む。どちらも、旧ユーゴスラビア解体後の、ユーゴスラビア、クロアチアの主に代表サッカーチームの辿った道程について書かれたものだ。帰宅後、表紙を開いたきり止まらず。読み終えて放心。

天気予報では、明日は東京でも白いものが舞うかもしれないという。初雪になるだろうか。何回冬を迎えても、初雪の瞬間はいまだに嬉しい。


2002年12月06日(金) ザクロのような

『バルカンの亡霊たち』を引き続き読んでいる。ルーマニア、カルパチア山脈と旧ソ連との国境の間に広がるブコビア地方には、内部だけでなく外壁も様々な絵で飾られた「絵の修道院」があるという。

そのひとつ、ボロネッツ修道院には「最後の審判」のフレスコ画がある。「地獄では、多くの魂がはてしなく続く血のトンネルで溺れており、『正義の秤』の両側には、善行を象徴する二、三の天使と、猿と竜が象徴する多くの悪行が描かれていた」。

読みながら、小さい頃に見た地獄の絵を思い出した。お盆になると墓参りに行く寺の中に、そこだけ少し薄暗い一角があった。目をむきだし、大きな口をあけた閻魔様の像と、それをぐるりと取り囲むように描かれた地獄絵図。いっしょにいた祖母がひとつずつ説明してくれる。これは血の池地獄、針の山、悪いことをした人は鬼にここまで引きずってこられ、嘘つきは舌をひっこ抜かれる。炎の色。血の色。鬼の顔も閻魔様の顔も、すべて赤。それも、ザクロのように生々しい赤だ。

ほんとうに怖かった。頭だけの話でなく、思わず身震いするような、身体に直に伝わってくる恐怖だ。目を閉じても、あの赤色が浮かんで消えない。あそこに行くのだけは嫌だと思った。

フレスコ画の中の「はてしなく続く血のトンネル」という部分に、あの地獄絵図の赤色がよみがえったのだろう。先日、友人と「あの世のイメージとはどういうものか」と話し合ったけれども、天国が花咲き乱れる、世にも美しい場所として描かれるとすれば、煉獄、地獄のイメージはどうだろう。

夜、小さい土鍋で鍋焼きうどん。煮込みすぎてちょっとのびた。


2002年12月05日(木) 黒猫

朝から空気がぬるい。これから年末というのに、春のはじまりのような日。

目の前を黒猫がゆっくり横切っていった。黒猫は不運の徴とも幸運の徴ともいうけれど、とにかく「何か起こるぞ」という気分にさせられるのは確かだ。今月、大一番が控えていることもあって、少しざわざわする。

夜、洗濯。終了後、洗濯機から取り出してみると白いものが点々と洗濯物についている。しまった、と思うが、時すでに遅し。何かのポケットにティッシュが入ったままになっていたらしい。ちょっと落ち込むが、あの黒猫はこれを暗示してたのかと思うと気も楽になる。とりあえず、そういうことにしておこう。

外からは大家さんの猫モモちゃんの鈴の音。今晩はどこまで遠征か。


2002年12月04日(水) メッセージ

雨。遠くで雷も鳴っている。

夜ゼミ後、友人とベトナム料理屋に寄り道。この店は安くて美味しい。生春巻きに豚の耳の酢の物、それにベトナムうどんのフォーを2人して分ける。友人はデザートにココナツぜんざいも。

少し前に手帳をなくしたのだが、その話をすると「それはきっと何かのメッセージだ」と言って、ちゃんとしたものを早く用意したほうがいいと勧められる。そういえば、同じような時期にずっと使っていた財布に穴が開いた。鏡も割れた。置き時計の目覚まし機能も壊れた。次々挙げていくと、「それで何も感じないのは鈍感」と呆れられる。たしかに。いろんなものをメンテナンスすべき時期なのかもしれない。

家に戻って靴をぬぐと、靴下に穴が開いている。朝は何ともなかったのに。友人のアドバイスに従うならば、これは「急げ」ということか。


2002年12月03日(火) トヨタカップに行ってきた

トヨタカップ、レアル・マドリード対オリンピア観戦。W杯決勝戦の会場であった横浜国際総合競技場にて。サッカーの生観戦はこれがはじめてだが、そのカードがトヨタカップというのはまったく贅沢。バチが当りそうだ。

スター軍団であるレアル・マドリードばかりが騒がれていたけれども、オリンピアもよいチーム。守備は固いし、攻撃でも惜しい場面が何度もあった。しかし、レアルのパス回しはやっぱりすごい。ほれぼれする。ひとつきりのボールをめぐって攻め、守るというシンプルな競技なのに、観ていてまったく飽きないのはどういうことだろう。前後半、あわせて90分があっという間だった。結局、試合はレアルが2対0で勝利。

印象に残ったこと。ボールがゴールポストや人にあたる音というのは驚くほど大きい。選手の声もよく聞こえる。フィーゴがボールを持ったときだけ、なぜか皆「フィーゴー、フィーゴー」と名前を連呼(発音しやすいのか?)。うしろの席のお兄さんは「ラウール、行け!」とひたすらラウールの名を絶叫。そのラウールの動きは美しい。オリンピアのオルテマンは良い選手。優勝杯を受け取ったあと、レアルの選手は全員でピッチの上を一周。ロベカルがいちばん元気。

試合を観ながら、このまま終わらなければいいのにと思っていた。ずっと観ていたかった。

帰りは興奮したまま駅まで歩く。橋の上から振り返ると、夜の闇の中にスタジアムの青い光が浮かんでいる。ものすごくきれいで、どこか非現実的な光景。ふと迷い込んだ別世界から「こちら側」へと戻ってきて、向こう側での出来事をしみじみと思い返しているような気分になる。あれはほんとうにあったことなのか? それとも夢か?


2002年12月02日(月) 知らないことが多すぎる

大学へと向かう電車にて『バルカンの亡霊たち』ロバートD.カプラン(NTT出版)を読む。ジャーナリストである著者が、ユーゴ内戦が勃発する時期に訪れたバルカン地方の「過去、現在」について記したもの。プロローグで語られるバルカンの民族対立の底知れぬ根の深さ、凄惨さ。いったい何なんだろう。悶々としながら一日過ごす。

夜はハヤシライス。食後にりんご。


2002年12月01日(日) 「塩野七生、サッカーを語る」

古本屋にて「Number PLUS」のバックナンバーを発見。一昨年の9月に出たものだが、「塩野七生、サッカーを語る」という特別寄稿が読みたくて、ずっと探していたのだ。

「イタリアに三十年以上も住んでいて、サッカーを知らないではすまないのですよ」という塩野七生が、15の質問に答えていくというもの。各国チームについても選手についても、バッサバッサと言い倒す様が痛快。

2000年のヨーロッパ選手権の話題が主なのだが「決勝でのイタリアの敗因は、ただ単にイタリア・チームが坊やで構成されていたからですよ」、デル・ピエロのことは「母国語であるイタリア語でさえも上手く話せない、ということは、頭脳の出来が疑われてもしかたのないあの坊や」など、容赦ない。

試合運びやプレーについての分析も玄人はだしだが、人物分析がやはり面白い。ジダンの評価は高いようで、「ジダンが話すのを聴いていると、こういう男と結婚したら女は幸福になる、と思ってしまう。おだやかなユーモア、サッカーを仕事にするうえでの気がまえの確かさ、大舞台であればあるほど発揮される勝負度胸。不美男であろうが禿げていようが、知ったことはない、とさえ感じてしまいますね」。「古代ローマの将軍だったら、迷うことなく彼を百人隊長に任命しただろう。それも、第一大隊の第一百人隊の隊長に。つまり戦場では、先頭に立って突撃していく中隊の指揮官です」。

トヨタカップのためにレアル・マドリードが来日中ということで、夜のニュースにジダンが映る。「隊長!」と思ってしまう。


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