日々雑感
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2002年08月31日(土) なつかしく思い出すだろう

夜、友人3人で集まる。2人とも小学校からの同期で、今は地元で働いている。ひとりの家でワインなど飲みつつ、彼女のアルバムを見せてもらう。小さい頃のものから、つい最近の写真まで、アルバムは何冊もある。過ぎていった時間の重み。途中からは残りの2人も登場してくるが、みな、変わっていないようで変わった。年齢を重ねたというだけでなく、数年前と今とでは顔つきが全然違う。

その後、カラオケ。明日が誕生日ということで、2人して「贈る歌」をいろいろ歌ってくれる。すぐ横に座って聞きながら、照れくさいけれども嬉しい。共に過ごしてきた時間のことなど思い出してしまう。最後のほう、「これは私からのメッセージだからね、心をこめて歌うんだからちゃんと聞いてね」と念を押して友人が歌ってくれたのは「帰ってこいよ」だった。友人、熱唱。

8月の夜も終わる。草むらからは虫の声。夜空にはぼんやりとした月が浮かぶ。その下を3人で歩く。今晩の光景も、いつかまた思い出すだろうか。なつかしく。


2002年08月30日(金) すべてはめぐる

海の青が濃い日。水平線の向こうには、遠く離れた町にある風力発電までくっきりと見える。3台の風車はゆっくりと回る。

夕方、祖父母の家へ。いっしょに行った母親は、請われて祖父の背中に湿布を貼っている。昨日の晩、頼まれて、同じように母親の背中に湿布を貼ったのを思い出す。窓の外はだんだんと日が暮れてゆく。

日が沈み、夜は来る。夏の星座の次には秋の星座が夜空にのぼる。そして、祖父の背中を母が、母の背中を自分が。すべてはめぐる。つながりながら回る。

夜、外から子供たちの声と花火の音がする。小さい姉妹がいる向かいの家で、一家総出の花火大会をしているらしい。それもまた、いつか見た光景。


2002年08月29日(木) 30年前

父親はお酒に弱いくせに晩酌を欠かさない。ビール1杯で真っ赤になり、気分がよくなるとよく語る。

今晩はなぜか桃太郎の話(話のとっかかりは、いつも唐突なのだ)。「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯にって、あれ、つい最近まで普通にあった話なんだよな」。地元では、山へ入って燃料用の柴を刈ったり、町を流れる川で洗濯をしたりという光景は、30年ほど前まではよく見られたという。

父曰く。この30年で町も社会もがらりと変わった。それまでずっと残っていたものが一気に姿を消し、いろんなものが生まれてきた。30年前、携帯電話もパソコンも、CDすらなかった。海外旅行など文字通り夢のような話だった。変化のキーワードは「情報と交通」。

このまま、変化は加速してゆくだろうか。いざというとき、ちゃんとブレーキはきくのだろうか。NHKの「にんげんドキュメント」で、過疎化が進む秩父の山中での暮らしを観ながら考える。

父親の晩酌用500ml缶ビールは、必ず半分残る。ありがたく頂く。


2002年08月28日(水) 希望の鐘の音

少し離れた町に「希望の鐘」なるものがあると聞く。「希望の鐘」というからには、鳴らすと希望が叶うのではないかと根拠のない期待を抱きつつ、友人と車で出かける。

正確な場所はわからないのだが、まあ何とかなるだろうと見当をつけて田んぼの中の道をひた走る。今日もよく晴れた。ドライブ日和だ。車で30分ほどというので、気分も楽である。

しかし、行けども行けども、それらしき場所にたどり着かない。道を間違えて目当ての町を通り過ぎたり、戻ったはいいが行き過ぎたり、やっと看板を見つけたもののなぜか墓場に迷い込んだり、車を下に置いて、炎天下、急な坂道をのぼったり。ようやく、町外れの山の頂上にあると分かったのが出発してから2時間後。

これで大丈夫と山頂への道を車で登り始めると、だんだんと道が細く、険しく、急になってゆく。車道になっているのが信じられないような山道。対向車が来たらおしまいというような狭さで、すぐ横は深い森である。おまけに日光の「いろは坂」にも負けないカーブ続き。運転する友人の顔が固まっている。お願いだから帰り、代わりに運転してと泣きそうな顔をして言われるが、残念ながら(幸いに)免許は持っていない。希望を叶えるための道とは、かくも険しいのだ。

そしてたどり着いた山頂。確かに大きな鐘がある。何より、絶景。遠く日本海、かつて日本で2番目に大きかった湖の名残りである一面の水田、連なる山々、ぞっとするような深い森、そんな中、まばらに人が暮らす町がある。

鐘を鳴らす。大きな音が響く。町にも聞こえたろうか。「車で無事に山を下りられますように」と願いながら鳴らした、その希望はしっかり叶って無事に下山。ご利益あるかもしれない。


2002年08月27日(火) 自業自得

朝、ゴミ捨てに行くと、途中の道にあるハマナスの低い茂みに真っ赤な実がなっている。よく見ると、その陰に見慣れない猫もいる。猫の隠れ家か。

昨晩はBSでリーガ・エスパニョーラのレアル・マドリード対バルセロナ(録画・再放送)を観戦。面白かった。ラウールすごい。ジダンにフィーゴ、ロベルト・カルロス、W杯からサッカーを観始めたので、レアル・マドリードの選手の豪華さに改めて驚く。華やか。

夜更かししたせいで、一日中眠気がとれず。それでもこりずに、夜には再びレアル・マドリード対セルタの試合を観戦。昨晩の試合とくらべて、ガリシア地方特有の太鼓を使ったセルタの応援は一種独特。スペインという土地の多様さを思う。

何度も意識が途切れそうになりつつも、気合で最後まで観戦。終わったのは深夜3時すぎ。明日も眠気との戦いか(自業自得)。


2002年08月26日(月) ある日突然

親戚が交通事故に遭う。前の晩、バイパスで死亡者も出た大きな事故があったと聞き、家族も友人もよく使う道路なので他人事とは思えずぞっとしていたのだ。それが一夜明けて早朝に電話。事故にあった車に乗っていたのは親戚の一家だったという。血の気が引く。

幸い命に別状はなかったのだが、安心したと言い切れない。亡くなった向こうの家族はどんな思いでいるだろう。ざわざわしている。事故のニュースなど毎日のように耳にしていながら、自分と関わりが生じてはじめて、それがいつ、誰の身に起きてもおかしくないことだと気づくのだ。

事故や、事件や、天災や、病気や、いろんな姿をして「それ」は突然やってくる。家族や友人や、大事な人のところへやってくる(もちろん自分のところへも)。そうしたものの前で、いったいどうすればよいというのだろう。

母親が、離れて暮らす弟に「運転にはくれぐれも気をつけるように」と電話している。とりあえずは、思いを伝えるところから始めるのだ。


2002年08月25日(日) 晩夏の風物詩

地元の小・中学校では明日から新学期が始まる。夏休みも終わりだ。

父親が小学生だった頃は、20日を過ぎるともう新学期が始まっていたらしい(北の方では夏休みが短いのだ)。父曰く「20日はいっつも盆踊りがあって、それは見たいし、でも宿題は残ってるしで、べそかきながらやってたなあ」。今晩もまた、終わらなかった宿題を前に泣きそうになっている小学生がたくさんいるのだろうか。

自分のことを振り返ると、毎年のように、書き込み忘れた夏休み中の天気をひねり出すのに苦労していたと思う。晩夏の風物詩。


2002年08月23日(金) 「北の国から」

友人と川沿いの繁華街にあるジャズ喫茶店へ行く。日中でも薄暗い店内は、そこだけ別の時間が流れているみたいだ。何時間でもいられそうな空気。音楽もマスターもいい。どのお客もすっと入ってきて、さっと出て行く。ものすごく自然に。

コーヒー1杯で延々と話す。通勤途中の車の中でエレカシの「ファイティング・マン」や「デーデ」など大音量でかけ、仕事前に気合を入れている話など聞く。話が尽きない相手と時間を気にせずに過ごせる幸せ。

夜、母親が「北の国から」の総集編を熱心に観ている。別のことをしながら眺めていたら段々と引き込まれ、結局自分もテレビのほうに専念。見覚えのあるシーンがたくさん出てきて懐かしい。それに音楽。「北の国から」が今のような大作になった理由の20パーセントくらいは、さだまさしの、あのテーマ曲にあるのではないか。映像と音楽が不可分に結びついた良い例だと思う(他に「スター・ウォーズ」とか)。

9月の放映で、ついに「北の国から」も最終話となるらしい。最後の場面には、きっとあのテーマ曲が流れるのだろう。それでもって、「やっぱり」と思いつつもじんとくるに違いない。


2002年08月22日(木) 強面度

部屋の中で寝転がっていると、いろんなところから風が入ってくる。どの風も涼しい。遠くから船の音も聞こえてくる。

夜、BSでサッカー観戦。バイエルン・ミュンヘン対ACミラン。久々のサッカー観戦で幸せ。W杯でみていた懐かしい顔がたくさんいる。カーンの印象が少し変わったと思ったら、もみあげが消えていた。強面度、やや下がる。

試合も終わってチャンネルを変えると、キリンのビール「秋味」のCMが流れている。もう秋ビールの季節なのか。夜風は涼しいというより、既に冷たい。


2002年08月21日(水) 宇宙への回路

市内の本屋を何軒か回って、棚の片隅に一冊だけ隠れていた『人類最古の哲学』中沢新一(講談社選書メチエ)をやっと見つける。ずっと探していたのだ。地元では、ある本がほしいと思い立ったとき、すぐに手にするのは難しい。実際に店頭で探すのとネットで注文するのはやっぱり違う。「東京の良さ」として確信をもって挙げられるのは3つ、「本屋」「CD屋」「映画館」の充実ぶりだ。

夕方、田んぼの中の一本道を通る。道の両側に広がるいちめんの稲穂も、遠くに横たわる山も、風に揺れる木々も、日が暮れて同じ夜の色となる。西の空に月。満月にはもう少しだが、それでもずいぶんと大きくて明るい月だ。ただ見渡す限りの稲穂と空だけの風景の中、月を眺めていると、今自分がいる表層の部分とは別の遥かな流れがそこにあることを思う。

「地元の良さ」として確信をもって挙げられること。宇宙へと開く回路を見つけやすい。


2002年08月20日(火) 灯籠流し

送り盆。灯籠流しの日。

夕方、灯籠を手にした人たちが船着場に集まってくる。家族でやってくる人、ひとり灯籠を抱えて歩いてくるおばあさん、ざわめきとその中に響く読経の声。灯籠は次々に小舟に乗せられ、ろうそくに灯りがともされてゆく。風が強い。雲が変にぎらぎらと光っている。灯籠の灯りも風に揺れる。

やがて小舟は海へ出て、灯籠がひとつずつ水面へと置かれてゆく。だんだんと暮れてゆく風景の中、ゆっくりと海の向こうへと消えてゆくいくつもの灯り。岸には、手をあわせながらその様子を見守る人々の群れがいる。

夜、肌寒い。長袖を着る。灯籠といっしょに夏も見送ってしまったらしい。


2002年08月19日(月) 秋の気配

外では芙蓉が花盛りだ。家の中にいると窓の向こうから母親の声がする。「私、昔は芙蓉のようなひとだって言われたんだからね。ちゃんと覚えといてね」。「はいはい」と聞き流す父親。

夕方、近くのポストまでハガキを出しに行く。夕空にはまだ夏の名残りがあるけれど、ノウゼンカズラも終わって、草花のほうは既に秋の気配である。桔梗、萩、月見草、それにコスモスにも小さなつぼみ。町のあちこちにあるニセアカシアの大木が風にざわざわと揺れている。海沿いの道にはススキ。

明日は送り盆だ。


2002年08月18日(日) 置いていかれないように

ほんとうに久しぶりに晴れる。外の光がまぶしい。

午前10時発の飛行機で東京へと向かうドイツの一行を空港まで見送りに行く。スタッフやホストファミリーがほぼ全員来ており、小さな空港は大混雑。できるだけ近くで最後まで見送ろうとする人々で出発ゲートのところに大きなアーチができ、その中をドイツの13人がくぐってゆく。

飛行機に乗り込んだあとは屋上へ。機体へ向かって皆で手を振る。ドイツの国旗の色にぬった扇を持ってきている人がいて「おまえが頼りだ!」と言われながら一生懸命振っていたけれど、見えていただろうか。飛行機は定刻通りに離陸、久々の青空の中へと小さくなっていった。

帰宅。気温も少しあがって夏らしい午後。夕方、隣町の町内放送が聞こえてくる。「嬉しい報告がございます。本日の町内運動会で我が町のチームが優勝いたしました」。夏も残りわずか。そのスピードに置いていかれないように、人も町も、どこか駆け足だ。


2002年08月17日(土) ドイツの夜

「青少年スポーツ交流」という名前でドイツから13人が来県し、ホームステイなどしながら2週間滞在していたのだが、今日がその最終日。夜は「さよならパーティー」が行われる。

ドイツ側のメンバーは男女とりまぜ14歳から28歳まで。皆、南ドイツの街に住む人々なのだが、北ドイツに10年住んでいた日本側のメンバーが言うに「ドイツ人のイメージが変わった」。どちらかといえば生真面目な北ドイツの人々に対して、南ドイツのほうは、日本でいえば大阪人、あるいはラテン系。

2週間ずっといっしょに過ごしていたステイ先のホストファミリーは、パーティーの最中からもう涙ぐんでいる。皆の様子を見ていて、全日程参加できなかったのをほんとうに残念に思う。何人も友人ができて嬉しかったけれど、もっと年齢が低いうちにこんな経験がしたかった。

どんなに短い時間であれ、いっしょに過ごした人たちと別れるのはやっぱり寂しい。いろんな人とハグして「さよなら」を言う。慣れていないので、はじめは少し緊張したけれども、自然にハグする習慣というのはいいものだ(日本人同士だと何となく照れそうな気がするけれども)。

伝えたくて伝えられなかったことがたくさん残っている。ドイツ語を真剣に勉強しようと心に誓った夜。


2002年08月15日(木) 血筋

雨の中、叔母と従姉妹3人来たる。

お盆の料理を並べた食卓を囲んでいる最中、叔母の携帯電話が鳴る。その音楽がなぜかドイツ国歌。ワールドカップで、すっかりドイツのキーパー、カーンのファンになったらしい。自分もパソコンの壁紙をカーンにしていると言うと、すぐに送ってくれと頼まれる。カーン人気の裾野の広さを見た思い。それとも血筋か?

午後はずっと持ち帰りバイト。帰省してからというもの「しなければならないこと」がない日が一日もない。今までにない夏休み。来週頭に来るはずの「一段落」を心待ちにする。


2002年08月14日(水) お盆の風景

薄い掛け布団で寝ていたら、寒くて明け方目が覚める。厚めの布団を取り出して二度寝。今日も外は雨の音だ。

友人と車で出かける。お盆という時期もあってか県外ナンバーの車も多い。川を越え、古い建物が残る街を抜け、深い山に挟まれた道をどこまでも進んで湖まで。雲が低く、湖をぐるりと取り囲んでいる山並は低い部分しか見えない。湖面は静かだ。近寄ってみると、小さな魚がたくさん泳いでいるのが透けて見える。

海や川、そして湖、同じ水辺でも前にしたときの気持ちは違う。海には向こうへの広がりがあり、川には流れがあるが、湖は四方を閉ざされてひっそりと深い。ネス湖のネッシーだとか、屈斜路湖のクッシーだとか、湖に「謎の生物発見」の噂が立つのはわかるような気がする。

夜はもう一人の友人も合流して地元の居酒屋で飲む。いつもの空き具合が嘘のような大盛況。お盆で帰省した人々で、この町の人口も3倍くらいに膨らんでいるかもしれない。店を出て外に出ると、あさっての盆踊り用の提灯が遠くで光っている。晴れるとよいのだが。


2002年08月13日(火) 気温19度のお盆

11日から湖畔の高原にあるスポーツセンターで2泊3日。ドイツとのスポーツ交流研修にお手伝いで参加する。本来ならばとても景色のよい場所なのだが、雨降りやまず。湖も山も見えない中、センターにこもったまま、プールで泳いだり、体育館でゲームをしたり、近くの温泉に3度も行ったり、ものすごく久々にフォークダンスなどしたりして過ごす。寝るのは2段ベットが入った8人部屋。アルコールつきの修学旅行といった感じか。

3日目の午後に帰宅。夕方からお墓参りに行く。毎年、お墓参りの日は大抵晴れていて、夕方の墓地にろうそくの灯りが浮かび上がる様子が町中に見られる。低く響くお経の声に線香の匂い。静けさと不思議な明るさ。それが今年は傘をさしてのお墓参りとなる。

雨の中、ろうそくを供え、お墓の上から水をかけて手をあわせる。いつもの蝉の声のかわりに雨の音がする。肌寒い。帰りがけ、道路上の温度計に目をやると気温は19度。お盆の前に、夏は行ってしまったか。


2002年08月10日(土) 夏の匂い

ノウゼンカズラが咲いている。オレンジ色の夏の花だ。

一日中、雨。家の中にいて雨や雷の音を聞いて過ごす。今年の夏はほんとに雨が多い。それも夕立というよりは秋雨のような降り方。風に落ちたノウゼンカズラが地面に散らばったまま雨に濡れている。

夜、蚊取り線香に火をつける。細い煙があがる。本棚の奥から出てきた小学生の頃の日記には「蚊取り線香は夏の匂い」と書かれていた。部屋の中に「夏の匂い」広がる。


2002年08月09日(金) 津軽の空

朝、ホテルを出て青森駅へ。仕事へと向かうスーツ姿の人々とすれ違う。夜は観光客が大手を振って歩いているけれども、朝はここに住んでいる人たちのものだ。

青森から川部まで、そこで五能線に乗り換える。五能線は林檎畑の中を走る。林檎の実はまだ青い。ところどころにひまわり、そして真っ青な朝顔。岩木山も見える。茫漠とした空。

五所川原駅で降りる。ここからバスで1時間ほどの場所にある神社へ行ってみたかったのだ。海沿いの高台に立つ古い神社。しかし、バスの時間を見ると、行って戻ってくると今日中に帰れないことが判明。泣く泣くあきらめる。また近いうちに絶対に来ようと心に誓う。

予定を変更し、弘前の街をぶらぶら歩いてから帰途に着く。あとは座っているだけと思ってぼんやりしていると、いきなり電車が止まる。この先が集中豪雨のため動けないという。温泉街の小さな駅だ。時間はどんどん過ぎる。暗くなってくる。大雨の前では、なす術なし。弘前駅を出たときに開いた本をちょうど読み終える頃、ようやく帰りつく。こちらは星空。


2002年08月08日(木) 青森へ

「青春18きっぷ」を使って北上、青森へ。ねぶたが終わったばかりの青森市街はどこかがらんとして、祭りのあとの寂しさ漂う。小雨も降っている。

夕方から「東北ルネッサンス」と題された赤坂憲雄、中沢新一両氏の対談を聴く。今日のテーマは「縄文の記憶を求めて」。昨夜2人が観たというねぶたの感想から始まって、主に中沢氏が最近出した「カイエ・ソバージュ」の内容にそって話が進む。自分たちの足元や目にしているものを深く掘り下げてゆきながら、ある瞬間それが反転してより広い世界につながってゆく様が面白い。北米からユーラシアへとつながる「文化ベルト」に共通する熊や鮭の伝承の話を聞きつつ、ベーリング海峡を越えて広がるワタリガラスの伝承を追っていた星野道夫のことを思い出す。

夜、外は涼しい。青森では、ねぶたと共に夏が終わると言うらしい。立秋。


2002年08月07日(水) 本棚の誘惑

用があって、知り合いのピアノ教室へ行く。レッスン室には大きな作り付けの本棚があって、本がぎっしり詰まっている。きっと、順番を待つ子供たちが好きなものを取り出しては読んでいるのだ。

小さい頃、自分が通っていたピアノ教室にも同じように本棚があった。ピアノのレッスンは嫌いだったけれど、その本棚は大好きだった。絵本や漫画、おそらく先生の好みであったろう外国の児童文学。それに植物や星や昆虫の図鑑。ずっと順番が来なければいいのにと思いながら、片っ端から読んだ。

本棚の前にへばりつき、鍵盤の前に来るとぼうっとなる生徒を持った先生に、今さらのように同情してしまう。ピアノはもうほとんど弾けないけれども、あのとき読んだ本のことはよく覚えている。

今日見た本棚。ムーミンシリーズ、『小さなスプーンおばさん』、いろいろな絵本、『稲中卓球部』、それらに混じってなぜか「日本刀全集」がずらりと揃っている。ここのピアノ教室、生徒層が厚いのかもしれない。


2002年08月06日(火) 帰ってきた

帰省。早朝の東京駅はすでに蒸し暑い。

終点に着いた頃はちょうど大雨。さらに在来線に乗り換えて実家のある町へ向かうが、途中で雨が上がり晴れてきた。窓の外に目をやると、ずっと遠くまで見える。緑色の水田に、真っ白なサギが一羽だけすっくと立っている。

この涼しさはどうだろう。それでも皆「蒸し暑い」とこぼしているが、これで蒸し暑いというなら、東京に来たら倒れてしまうに違いない。テレビのニュースに映る「今年いちばんの暑さ」という東京の映像。自分も今朝まではあそこにいたのだ。

夜、車で精米へ行く。精米所までの道には建物も街灯もなく、夜の闇の中、遠くに青や赤や緑の光が手持ち花火のようにまたたいている。あれは何の灯りだろう。虫の声。馴染み深い空気の匂い。帰ってきたなあと思う。


2002年08月05日(月) 写真の力

東京・大丸ミュージアムにて「木村伊兵衛写真展」を観る。

戦前、戦後の昭和の風景が並ぶ。沖縄、東京、秋田といった土地の街並や人々。モノクロの写真の片隅に写っている軒先の洗濯物や店頭の商品、電柱の貼り紙、細かい部分が面白くて見入ってしまう。そして、切り取られた風景の中に入り込んだ人々がとてもいい。一人一人の表情がはっきり見えてくる写真だ。見飽きない。

この日常も、自分がいる場所も、カメラのレンズで一瞬切り取られることによって、その前後の時間をも含んだ大きな物語の一場面となる。写真の力を思う。

明日からの帰省のための切符を買う。お盆休みにはまだ早いが、駅の「みどりの窓口」は大混雑だ。その他、いろいろと雑用。部屋の掃除など、終わったのは夜も遅くなってから。暗くなっても外では蝉が鳴いている。夏の夜も更ける。


2002年08月04日(日) おばちゃん、それは

午後から新大久保のスタジオで練習。このメンバーでは1ヶ月ぶりの演奏なので、うまく流れがつかめない。「やっぱり継続は力なりだね」などと言い合いつつ、2時間練習する。終了後、暑気払いやら、仕事が一段落ついたメンバーの打ち上げやらを兼ねて焼肉屋へ。こんなにしっかり肉を食べるのはほんとうに久しぶり。テーブルにずらりと皿が並んだ様子は壮観だ。めくるめく肉の世界。

帰り、駅前の小さな本屋でサッカー雑誌を買う。レジに立つ人は日によって違うのだが、今日はおばちゃんが担当だ。雑誌を受け取って表紙をまじまじと見たおばちゃん、「バティストゥータのポスターが1枚余ってたから、あげるわ」と言って、奥の棚から取り出したポスターをいっしょに袋に入れてくれる。

帰宅後、取り出したポスターに写っているのは、なぜかスペインのユニフォームを着た選手。おばちゃん、これはラウールだ。


2002年08月03日(土) 幻の鯨

鯨のニュース。先月26日、鹿児島県川内市の海岸に漂着した一頭の鯨が、未知の種類である「タイヘイヨウアカボウモドキ」ではないかとして調査されているという。いまだかつて捕獲されたことがなく、頭蓋骨の標本が2体残るだけの「幻の鯨」。どんな外見をしているのかもわからないらしい。

「幻の鯨」ということで特別なニュースになっているけれども、鯨が海岸に流れ着くのは、それだけでも大ニュースだ。小学生の頃、地元の海岸に鯨があがった。「鯨が来たって!」という知らせがあっという間に広まり、急いで船着場へ走った。大勢人が集まり、その輪の中に黒いものが見える。はじめて見る鯨は、てらてらと光る大きな黒い物体で、得体の知れない不気味なものであり、尻尾に触ってみようと近づいたがなぜだか怖くて手が出せなかった。

ある日、海岸に大きな鯨が流れ着く。人々は、どんな思いでその姿を眺めてきたことだろう。海の底深く、地球の奥深くに広がる自分たちの知らない世界を体現するかのような存在。

夜、横浜の川っぷちの居酒屋にて友人たちと飲む。久々の日本酒がおいしい。酔鯨を飲んで酔っ払う。


2002年08月02日(金) 『月のひつじ』

午後、あたりが暗くなったかと思うと、ものすごい勢いで雨が降る。それに雷。空全体が光って、すぐにドンと音が鳴る。近いのだ。

駅のホーム、景色は薄暗く沈んでいる。線路越しに見える熱帯魚屋の水槽の蛍光灯が、稲妻と同じ青白さで浮かびあがる。信号の赤や青。ネオン。暗くなった中に、灯りの色だけ鮮やかに際立つ。

映画『月のひつじ』を観る。1969年7月、アポロ11号の月面着陸の映像を受信したのは、オーストラリアの小さな町にあるアンテナだった。そのアンテナに関わった人々の奮闘ぶりや、町に起こる騒動について描いた作品。

アンテナを守り、大仕事をなしとげようとする4人の男たち。職人気質のリーダーがいたり、メンバー同士の反目や和解があったり、何度も訪れる危機を一致団結して乗り越えたり、オーストラリア版「プロジェクトX」といった趣。それでも、肩に力入りすぎず、思わず笑ってしまう場面もいくつもあって、「よい映画だったなあ」としみじみ余韻を味わえるような作品だった。

ただ羊の群れだけが点在する、だだっ広い平原の真ん中に立つアンテナはほんとうに美しい。古い遺跡を見るときの気持ちとどこか似ている。真っ暗な夜の闇の中に、その灯りだけがぽつんと、けれどもしっかりと浮かんでいる。アンテナは宇宙を向いている。

ずっと昔から、人は夜空を見上げてきたのだ。人の眼差しもアンテナも、等しく宇宙を見つめている。彼方に何があるのか知りたい。そして宇宙空間の前に立つ自分。科学を極めようとする思いと、自然の前で佇むときの思いと、根っこは同じなのだと思う。遥かなるものに対する畏怖。

夜、雨が上がった外は嘘のように涼しい。ずっと暑い日がつづいていたので「これでよいのか」と思ってしまう。雨上がりの草の匂いがする。夏の夜、外に出て蚊にさされながら夜空を見上げていたときの匂いだ。


2002年08月01日(木) かき氷のある世界

今年はじめてのかき氷を食べる。

小豆、ブルーベリー、金柑の3種類があって、その中から金柑を選ぶ。漆塗りの小さな器にさっくりとした氷、そこに金柑の砂糖漬けがのり、シロップがかかっている。金柑のかき氷など初体験だけれども、甘さと酸っぱさのバランスが絶妙。色合いもきれいだ。冷たくて後頭部のところがキンとする。

氷の山を崩しながら、かき氷というのは不思議な食べ物だなあとふと思う。氷を削って、シロップをかけただけのもの。口の中に入れればすぐに溶けて消えてゆく。ものすごくはかなくて頼りなげだ。いっしょに食べていた友人にそう言うと「要は水だもんね」と返され、よくわからないながらも何となく納得する。

それでも、かき氷は幸福度の高い食べ物だ。目の前に置かれたときから期待がたかまり、何よりスプーンで氷をすくうときの、あの感触と音がいい。栄養があって「身体」に良いという食べ物ではないかもしれないが、「気持ち」には良い食べ物だと思う。かき氷のある世界はすばらしい。

夜、遠くで雷が聞こえる。雨も降ってくる。夏の真ん中。


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