今日のこあら
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こあらの上海旅行記(まとめ

こあらの見た風景(要はブログ) スタートしました。


2002年03月31日(日) 結局、飲んでしまった日曜日

久しぶりに「お客さんのいない」休日。午前中は、柴とこあらは、それぞれのんびり過ごす。

午後、柴さんが駅前留学に行くと、しばらくひとりの時間。吹奏楽のCDを聞く。僕は、中学・高校と6年間吹奏楽部に所属していた。担当楽器はホルン。カタツムリのように管が巻いてある金管楽器である。本来なら、僕の唇は分厚いので、チューバやトロンボーンのような楽器がむいているのだが、中学1年生のときに勢いで決めてしまって、そのまま6年間お付き合い・・・というわけ。

今日聞いていた曲は、「カタロニアの栄光」「ぐるりよざ」「吹奏楽のための民話」などなどなど。聞いていると、つい、自分の担当していた楽器を探してしまう。金管楽器がB管なのに、ひとりだけF管。ホルンは中音部だから、トランペットのように目立たないくせに、間違えたときは対旋律のほうがよくわかる・・・などと僕の性格のようにゴーイングマイウェイな楽器だった。

でも、現代作家の曲って、聞いているだけだとつまらないんだよな。実際に演奏したほうがとてもわくわくして、何倍も楽しいもん。

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柴さんの駅前留学の終わるのを待って、二人で横浜へ。最近ご無沙汰していたバーに顔を出すためだ。そして、予定どおり飲んでまいりました。今週は、アルコールに使った1週間だったなぁ・・・。反省。


2002年03月30日(土) また、2人の生活に

金曜日の豪遊がたたって、今日は体調が最悪・・・かと思いきや、思ったよりすっきりと目が覚めた。これはもしかして「すっぽんの血」のおかげ?

寝る前には「明日は渋谷にご飯を食べに行こう!」と固く決意をしていたものの、起きた時間が10時ごろ。ここからお茶を飲んで、身支度を整えてなどと考えるうちに、ランチを食べにいくという気力を失う。なんだかんだいっても「美食」の金曜日の翌日なので、胃にやさしいブランチをつくることにする。

ただ、「胃にやさしい」というコンセプトからは外れた皿が一つ。豚の角煮。木曜日に食材を買いに行ったときに購入し、柴の帰りがあまりに遅かったので(午前1時)、待ち時間を埋めるために煮こんだもの。

僕のブランチ製作の間に、何も言わないと本当にボケ~っと座っていかねない人たちだから、お嬢様二人には身支度を整えていただいた。食事は概ね好評だったようだ。

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R嬢滞在最終日。本人の希望により、デックス東京ビーチへ。金曜日とはうってかわってごみごみとした人の群れ。これがお台場なんだけど。そして、ワイワイという思い出とともに、R嬢は17:30の新幹線で帰っていった。柴は泣きそうだった。

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R嬢を見送った後、夫婦でカラオケに。1時間半歌うと、さすがに小腹がすく。せっかく銀座にいるので、柴の「吉野屋の牛丼」という声を無視して、金曜日も行ったKさんのバーに行く。僕が通っているバーは基本的に「ご飯のおいしいお店」となっている。「バーでご飯?」と訝るむきもあるかもしれない。しかし、Kさんのバーには、フレンチのシェフがいる。だから、「料理とお酒の競演」なんてことを簡単に体験できるのだ。

銀座のバーは、(いいか悪いかは別として)客単価が高い分、食材調達にお金がかけられる。そんなわけで、他の街では出てこないようなお酒や食材に対面できることが多いのだ。他の街の方々だって、食材に対する探求心は大きなものがあるはずだろうけど、どんなにいいものを調達しても「それなりのお金を出して食べてくださるお客がいない」から、知識としては持っていても、調達することは出来ないのだろう。銀座のバーテンダーさんと話していると「こんな商売が出来るのは、このお店が銀座にあるからなんですよね」とよく聞く。そういえば、僕の父親も同じことを言っていたな(父は寿し職人です。念のため)。

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家に帰ると、柴と二人。きょうからまた、二人暮しである。










2002年03月29日(金) 歓迎という名のささやかな豪遊

義妹宿泊2日目。

「めったに東京にこられない」「妹はかわいい」の条件がそろい、しばとこあらは東京中をはしりまわった。
 ①千駄ケ谷・マンジャペッシェでランチ。
  今までは休日しかいったことなかったけど、平日には客層が変わるんだなぁ・・・と、実感。「今日はお友達とみんなでランチ」みたいな女性が多かったかも。もちろん、料理は休日だろうが平日だろうがおいしいものはおいしいんですけど。

 ②新宿・東急ハンズ
  千駄ケ谷から腹ごなしを兼ねて散歩。

 ③お台場・ヴィーナスフォート
  ここに入った瞬間、義妹の顔が変わった。「こんな夢みたいな世界、楽しくてしかたがない。」さすが、柴の妹である。歩き回るたびに歓声をあげていたR嬢。雑貨屋嫌いの僕がいることもあって、少々遠慮していたみたい。すいません。
  それにしても、平日のお台場ってすいているんだね。今日と休日が同じビーナスフォートとは思えなかったもん。

 ④銀座・Mさんところのバー 
  柴は、R嬢がきたら銀座に連れて行きたかったらしい。お台場からユリカモメに揺られて新橋→そのまま銀座。そういえば、金曜日の夜の銀座には来たことがなかったなぁ。結構な賑わいだった。
  Mさんのところも、さすがに土曜日の夜とは違い、ばたばただった。でも、義妹を連れてきているということもあり、かなり気を使って頂いていたようだ。スタッフと一緒に話に花が咲く。

 ⑤銀座・Kさんところのバー
  今日のこの日程表は、全体的に遅いほうに傾いている。④のバーを出たのは、実は午前0時すこし前。しかし、でたところで柴が言いました。「Kさんのところにいこう~♪」
  そんなわけで、日付が変わってから第2ラウンドスタート。久しぶりだぞ、こんな時間帯に飲むのは。それよりもなによりも、こんな時間帯に「外出」していること自体、久しぶりではないか。
  Kさんのところに行くと、「飲んでみて」と、小さなリキュールグラスに「スッポンの生き血」と出してくれた。「生き血」ときくとかなり生臭いモノと思ったらさにあらず。グレープジュースみたい。全然動物くさくないの。スタッフさんが「メルロー系の赤ワインに近いですよ」とおっしゃっていたけど、さもありなん。もし黙ってだされたら、「血」とは思わずに飲んでいただろうな。

  結局、1時過ぎまで店内に滞在。おとなしく帰還。さっさと就寝。そのとき、時計は午前2時。

  そして、翌日。この日記を打っているこあらがいるというわけ。そろそろ柴達を起こすかな。義妹の東京滞在が「寝てすごす」だったら、かわいそうでしょ。


  
  
  


2002年03月28日(木) 2人の妹

 最近の自分の日記を振り返ると、妹ネタが多いことに気がつく。周囲から(妹本人からも)兄バカ(もしくはバカ兄)といわれる僕である。身近に妹がいるのに日記のネタにしないはずがなかろう。
 結婚前までは、妹は一人しかいなかったけど、結婚後、妹が増えた。義理の妹(しばの妹)である。今日、R條が上京してきた。転職前の最後のバカンス(?)らしい。僕は、彼女のお迎えのため午後半休をもらった。本当なら柴が直接東京駅に迎えに行きたかったところであろうが、彼女は休みをもらうのがかなり困難なので、こあらの担当となったわけ。

 でも、彼女が到着するのは夕方。それまでは時間があったので、僕の妹の家に遊びに行く。新居がどんな家なのかみたかったのと、引っ越したばかりで、少々さびしそうだったのが心配だったからだ。
 彼女の新居は埼玉の川口市。駅から彼女の家までには、いろいろなお店がそろっていた。さすが生活感のある街だなぁ・・・と、自分の家の周辺と引き比べて考える。彼女の部屋は南むきだった。窓から遠くに見える景色は、蕨市らしい。このときに繰り広げられた会話。
 こあら「あの建物はどこ?」
 妹「蕨だよ」
 こあら「ぴょ~ん、ぴょ~ん、ぴょ~ん、ぴょ~ん」
 妹「それは「ワラビー」。」

 その後、R嬢を迎えに東京駅の新幹線ホームへ。R嬢はかなりの方向音痴で、しばも「無事に家までたどり着けるのだろうか」と、かなり心配していた。彼女は東京駅でも迷ってしまうだろう。だから、絶対迷い様のないホームでのお迎えとなったのだ。

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R嬢はただ今お風呂。しばは明日のために遅くなるのだろう。普段ほよよんとしている柴さんも、妹のためには必死で仕事を片付ける。妹とはそんな存在なんだよなぁ・・・。よしよし。  


2002年03月27日(水) しみじみ

柴の日記にありますように、柴は本日より「月に1度の出血期間」にはいっております。

しばの様子を見ていると、本当に「からだの再構築」をしているんだなぁ・・・と実感する。いつもよりツンツンしているし、イライラしているし、僕にやつあたりしてくるし・・・からだのいろいろなところで、バランスを崩しているのが見ていてよくわかる。

こんな時に柴に文句を言ってもしょうがないので、こあらは静かに過ごすことにしよう。しばさ~ん、お風呂にはいろうよ~。


2002年03月26日(火) その1:書いてしまおう卒業式話(のこり編)/その2:きょうの雑感

【その2】へ

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【その1】
もうすぐ3月も終わってしまうので、この卒業式話も一気に終わらせてしまいます。中学から大学まで一気に終わらせてしまうことができるのは、それほど感慨がないからでして・・・

<中学>
 いろいろあって、はっきり言えば苦痛だった中学時代。だから、卒業式も「やっと終わった~」という理由で晴れ晴れしたもの。式次第そのものは正直言って覚えていないけど、卒業生が「大地讃頌」を歌ったこと、そして、その指揮をした先生(部活の顧問の先生でもある)が、指揮をしながらうれしそうな顔をしていたことは、きっちり覚えている。
 当然、この曲は声が詰まりましたよ。音楽に弱い私ですから。

<高校・普通科と専攻科>
 普通科の卒業式は、正直言って覚えていません。だって、浪人することが確定していたから、卒業という気分には浸れなかったこと。そしてその浪人中の勉強先が、同じ高校の「専攻科」になるはずだったから、卒業という気分ではなかったのだ。

 専攻科。ご存知の方のほうが少ないと思う。これは、学校教育法48条に規定があり、高等学校卒業者等が、高等学校の上にさらに1年以上の高度な専門教育を行うことを目的として設置されるもの。専攻科そのものは例えば看護士養成課程などで見られるものなのだが、私の行っていた専攻科は、そういう資格を身につけるものではない。要は公立の「予備校」である。
 鳥取県内には、こういう専攻科が3つの進学校に設置されており、公立高校が浪人生用の受験指導専門のコースを持っているのである。浪人することが確定したとき、僕は「ここにくるんだよなぁ」と、専攻科の教室(普通科の隣にあった)を眺めていた。

 そして1年後、専攻科にも卒業式があった。これは、本当に簡単なもので、感慨もなにもなかった。このときは、国立大学の後期日程の結果待ちで、第2志望の大学には合格していたため、「これから学生だ~」とは思っていたものの、中途半端な精神状態だったということもある。

<大学>
 柴と同様5年生まで大学にいた私。式場には学生証を見せれば入ることができるので、卒業式は2度出席した。4年生のときは友達と会うのが最後だったから。5年生のときは自分が卒業するから。
 4年生のときは、半分はお祭り気分だったので、タキシードに身を包み、式が終わった後に本当に卒業する人間とともにゼミの先生のところに挨拶に行き、「大学に留年する君が一番卒業生らしいねぇ」と、言われてしまった。
 5年生の卒業式のとき、京都の家は引き払っていたので、衣装の調達ができず、おとなしくスーツを着る。式の冒頭、オケのメンバーが創立100周年を記念して作曲された「式典曲」を演奏していたが、正直言って聞くに耐えなかった。うちの大学のオケにも苦手な分野があるんだなぁ・・・と、隣に座っていたはまはま氏と話をする。

 あれから4年。あの曲はどうなったのだろう?

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【その2】

 もうすぐ年度末。あまり「締めきり」とは縁のない僕の仕事も、年度を越えれば、決算書類の作成が待っている。決算処理のメインの業務は確かに経理部であるのは確かなのだが、株式会社である以上、商法に決算の手続きが定められており、法律やさんもそれに参加しなくてはならない。「手続き魔こあら」のうでがなる時期ともいえる。 今日、わが社の関連会社に行ったのだが、最近「こあらの手続き魔」ぶりがグループに広まっているらしく、いろいろ相談を受けた。うれしいことだ。

 最近読んだ岩波文庫の「日本語」という本の中に、「戦前は男はカナをできるだけ使わないようにする傾向がまだ残っていて、例えば会社への欠勤届には『私儀、三月二九日、風邪之為欠勤仕候間、此段及御届候也。』と書いていた。」とあった。現在が現在で良かった。契約書が漢字だらけになってしまうのは、たぶんこの傾向がいまだに残っているからかもしれない。


2002年03月25日(月) ばたばたの月曜日

 久しぶりに朝から横浜出社。手帳を見てみると、朝から横浜に行ったのは2週間ぶりだ。横浜と東京、朝出社する場所がどこになるかで、朝起きる時間が1時間変わる。今日は、すこし朝が辛かった。

 横浜の本社のオフィスは、管理部門しかいないので、どんなにざわついていても、営業の現場のような騒然とした雰囲気になることはない。営業の現場に近いところで法務の業務をしてほしい、という上司の思いは十分承知しているのだが、横浜のオフィスじゃないと、正直言って仕事は進まない。贅沢ではあるんだけど。

 後輩君がきてからもうすぐ1年。彼の働く姿を見ていると、「大きくなったねぇ」と、肩をポンポンとたたいてやりたい気持ちになる。僕も、こんなふうに見られていたのかなぁ。

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 昨日に引き続き、妹3泊目である。今日帰ると、風呂場から水音。柴さんが帰っているはずもないので、妹なのはわかっていたが、何をしているのかと不思議に思うこと数分。「お風呂掃除をしてた~」といいながら妹が出てきた。おととい昨日とお風呂に入っていて、「あまりに汚れている」ことに炭火のようにイライラを感じていたらしい。柴もこあらも、掃除は苦手だからなぁ・・・妹よ、ありがとう。

 柴さんは、たぶん今週は忙しい。今週末に義妹(柴の妹。今いる妹は私の妹)が遊びに来るから会社を休むといっていたので、その分平日は普段より遅くなるはずだ。いつも書くことだが、僕は柴さんの仕事を手伝うことはできないので、夕食をつくって柴を待つ。

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<最近、のどに刺さる小さなとげのように気になること>
 銀座コージーコーナーは、どうしてこんな名前になったんですか? 


2002年03月24日(日) 元気をもらった日曜日

妹宿泊2日目。

柴さんも妹も、得意不得意はあるものの、家事はそれなりにこなす。しかし、同時に「自分から積極的にはしない」タイプでもあるので、家事をする人がいるのなら自分はごろりんとしているのである。

実家にいるころ、母の手伝いをしていたのはもっぱら僕で、妹は居間でコロリンとテレビを見ているだけだった。しかし、いろいろな事情で母が家事をできないときは、妹が率先して家事をこなしていた。柴さんも、例えば、僕が病気で倒れれば、家事はきちんとこなしてくれるだろう。

昼ご飯の用意をしながら、ダイニングテーブルに仲良く並んで座って昼ご飯を待つ妹と柴さんの二人をみて、僕は思った。僕は、どうやら妹と似ているタイプの女性を、妻として選んだようだ。

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それはさておき、

今日の夜は、はんなさんとGenkey君と夕食をともにした。
以前、はんなさんとはお会いしたのだが、そのときの印象があまりにも良かったので、「ぜひ次は彼氏と・・・」というわけ。年度末の大学がお休みの時期とはいえ、お二人ともそれぞれの目標のために忙しいらしく、ようやっと、今日お会いできたという感じ。

最初はコーヒー屋で軽くお喋りをした後、食事へ。銀座のお店で食事をしたのだが、そのお店選びにあたっては、「二人がどんな反応をするか」を見たいなぁ・・・という興味もあった。結果は、こちらの期待どおりというか、予想以上の反応をしてくれた(悪い意味じゃないですよ、念のため)。

でも、二人を見ていると、本当にこちらも元気がもらえる。若いということもあるのだろうけど、二人の持つ「いい雰囲気」の恩恵にあずかったという感じだ。こういう人たちと時間を過ごせて、本当にうれしかった。ありがとね、お二人さん。

二人が仕事運と金運をばっちりつけて、あしたからバイトにいそしむことを祈っております。もちろん、しば&こあらも・・・。
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2002年03月23日(土) 妹登場(その2)

こあらの妹、今日からまたしばらくお泊り。2週間前の土日にも泊まっていったし、先日、卒業式のため深夜バスで帰ってきた時に「シャワーを使いに」立ち寄ったこともあるから、お久しぶりという感じはない。

・・・こういうことを言うと、赤の他人の方々からは、「妹とはいっても他人なんだから、なんでもかんでもうけいれちゃだめ」みたいなことをいわれもする。しかし、である。東京に来て、頼るべき親戚もない妹に、「兄はもう結婚したんだから、すこしは遠慮しろ」なんて言えないし、言うつもりもない。確かに、家には「しば」という、妹とは全く血縁関係のない他人もいるのだが、その点は柴も了解してくれるはずだ。そもそも、この家の家事の大半をしきっているのは、この私なんだから。

それに、新居に引越しするまでは家がないんだから、うちに来るしかないし。ホテル泊まりするほど余裕のある財政ではないし。

いま、しばと妹の二人で表参道に行っている。夕ご飯はできたから、後は帰ってくるのを待つばかりである。


2002年03月22日(金) わーいわーい

今日、残業で遅くなった。会社でうめいているこあらに柴から電話。「もう会社でたんやけど、ご飯作ろうか?」結婚してちょうど4ヶ月の今日この良き日、平日に初めて柴がご飯を作ってくれました。帰ったらご飯が待っている。あぁ、しあわせ。もちろん、味も申し分ありません。柴に心から感謝しました。

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では、昨日の続き

<その2:谷中墓地散策>
 博物館の敷地を出た二人、芸大美術館に行きたいと柴が言うので、そちらの道へトコトコ。でも、大学は入学試験中のため立ち入り禁止でした。その割には、人がたくさん上野公園のほうに向かって歩いてきます。「この大量の人たちはどこから来るの?」
 この疑問を解消するために、流れに逆らって歩いてみると、谷中墓地に到着。お彼岸だもんね、人は多いよ。地図を見てみると、墓地を抜ければ日暮里の駅に近い。ちょうど桜も満開、桜の花をめでながら墓地を抜けることにする。
 博物館を出たところで、しばは上野公園に戻りたがっていた。花見のためだ。でも、僕は、酔っ払い+どんちゃん騒ぎが大嫌いなので、上野公園なんてもってのほかだった。だから、「墓地で大騒ぎする人なんていないだろう」とおもってたら・・・結構いた。なんとなく奇妙。

<その3:小石川後楽園>
 日暮里駅に着いた後、次はどこに行くか柴とこあらで考える。とつぜん、小石川後楽園のことを思い出す。
 この庭は水戸藩の屋敷跡。前回は紅葉のきれいな季節だった。庭の中の自然いっぱいの風景と、塀越しに見える東京ドームやホテルのコントラストは、面白いといえば面白い。
 
 入り口をくぐると、池のほとりに大きなしだれ桜。風になびいて花びらが舞う中で、しばしたたずむ。
 しば「きれいやねぇ」
 こあら「細雪の世界やねぇ」
 しば「『いとさん』や『こいさん』は、いるんかなぁ?」
 こあら「ここにおるで」(と、池を指差す)
 しば「鯉やんかぁ」(ちゃんちゃん。失礼しました~)

 この庭は、春よりは秋のほうが彩りは多いのかもしれない。でも、春の若々しい、柔らかい感じは、見るものの気持ちをほのぼのさせてくれる。(ちなみに、庭が生命の力であふれるようになると、こあらはもうそのゾーンには怖くて近寄れない。)たったかた~と歩き回っただけだったが、かなり癒された。

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2002年03月21日(木) 動き回った休日

柴とこあらで行動したから、柴さんも同じ事を書くとは思いますが・・・今日やったこと。

<その1:横山大観展@東京国立博物館>
 今日をはずすと、これだけの大観の作品には2度とあえないかも・・・展覧会の傾向と対策ははんなさんの日記を読んでばっちり。チケットの入手はできたし、休日にもかかわらず、会社に行くのと同じように起きて身支度を整えられた。これで、開門と同時に入場できるはず、とばかりに意気揚揚と出かける。
 8:50ごろ上野駅に到着。そこからテクテク歩いて博物館のほうを見てみると、正門前に黒山の人だかり。不安を感じつつ近づくと、案内係のお兄さんのこんな声「あらかじめ入場券をおもちの方は正門前へ、おもちでない方はチケット売り場へ~」。チケットおもちの皆様の列を見ると、会場30分前なのに少なくとも70人くらいの人が並んでる・・・といってもどうしようもないので、「ここに来る前にスタバによったのが悪かったんじゃないの?」などと、言い合いつつおとなしく並ぶ。

定刻のすこし前に正門前から平成館(会場)の前に誘導され、いよいよ開場。開場に入るやいなや、柴が展示室入り口に猛然とダッシュ。こあらも後を追いかける。普段は「イヤホンガイド」を借りるこあらも、今日ばかりはとにかく展示室に入ることにする。
 
 はんなさんの忠告「ほとんどの人は第一展示室に気をとられているので、入ったら第二展示室に最初に行けば人は少ない」に従い、さっさと第二展示室へ。柴は「紅葉」「夜桜」の屏風の前へ、僕は「生々流転」の巻物へ、それぞれ散る。

 生々流転。地上に降ってきた雨が長い道のりを旅して海にたどり着くところまでを、一幅の巻物にしたてたもの。重要文化財。水や流れの周辺の風景の変化を、墨の濃淡だけでここまで表現できるものなのかと、しばらく心を奪われた。一番最後に描かれている龍も、いまにも「ぬ~っ」と飛び出てきそうだったし。
 でも、巻物もさることながら、一幅の巻物をいっぱいにのばして、全部展示する方法にも感心した。やるねぇ。(柴が見ていた屏風絵については、柴が書くでしょうから省略。)

 本物を見て気がついたのだが、大観の作品については「大正から昭和1桁」くらいにかかれた作品が私の好みだ。だから、名作といわれる「屈原」や、絵そのものについては知らない人はいないであろう「霊峰飛鶴」は、僕の好みではなかった。

 展示室が込み合ってきたので、さっさと移動すると、会場の外には長蛇の列。見たい作品がゆっくり見られてよかったと、柴と二人で話あう。

 このあと、本館や法隆寺宝物館を見学、東洋館で食事を取って、敷地の外に出る。

<その2:谷中墓地散策>
<その3:小石川後楽園散策>
<その4:お台場散策>
これについては、また明日・・・今日は眠いのでもう寝ます。
 

 
 
 

 



2002年03月19日(火) ただいま~!あっ、やっぱり・・・

今日、高松に日帰りで往復してまいりました。700キロを超える距離なんだけど、意外とつかれていないのは、やはり「飛行機」での往復だからだろう。

僕は、空港が大好きである。特に羽田や関西国際空港(伊丹ではありません。念のため)のチェックインカウンターや搭乗口周辺の、「非日常的」な空間が大好きなのである。これに、"May I have your attention please? Japan Airlines Flight 001, non stop service..."なんて加われば、気分はすでに「スチュワーデス物語」なんちゃんて。(古い)

*実際は、国際線に乗ったことがないので、英語のアナウンスを聞いたことはありません。


昨日、さっさと帰ってきた柴さん。今日、家を出る前に「私のほうが帰りが遅くなるかもね」といっていたけれど、やっぱり本当になってしまった。今日はご飯がないけど、ごめんね


2002年03月17日(日) あるきました(追記あり)

追記部分へ

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日曜日。普段から予定を入れていることのほうが少ない曜日である。柴の実家から荷物を待って散歩へ。家にじっとしていると腹が減るんで。

今日は柴さんがいないので、駅前留学に。ポイントをたくさん消費することはわかっているんだけど、グループレッスンだけだと思いっきり話せないので、プライベートレッスンにする。話すという点において、満足。

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その後、柴のかばんが壊れたので修理に出すために表参道へ。地上に出ると、いつもと雰囲気が違う。妙に外国人が多い。しかも、みんな赤い顔・・・何事?
周りを見渡すと、ハナエモリのビルのところに、ギネスビールのバーカウンター。どうやら試飲会らしい。そして、カウンターのところに緑地に白文字で”St. Patricks Day”のサイン・・・そういうことか。

3月17日。今日は、聖パトリクスの命日を記念したアイルランドのお祭り。聖パトリクスというのは、アイルランドにキリスト教を布教した聖人。シンボルがグリーンなので、やたらと緑色が目立つ。そういえば、ギネスはアイルランドのビールだ。

でも、どうしてこんなに外国人が?とおもったら、どこからともなくアナウンス。「パレードは2:00から行います」。どうやら、これに参加するか、見学かにきた人なんだろう。僕はお祭り騒ぎが苦手なので、早々に立ち去る。

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表参道の交差点から原宿へ、ついでなので渋谷までとことこ歩く。本当なら、ここから閉館間際の東京国立博物館「横山大観展」に行くつもりだったのが、さすがに体力が切れていた。もちろん、ここから上野に行っても十分に間に合う時間ではあったのだが、大作を見るには、僕の体力も必要だ・・・。今度にしよう(いつ?)

渋谷には、僕が勝手に「アンケートどおり」と読んでいる一帯がある。路上で「アンケートに答えてください」と捕まえられて、商品のアンケートに答える奴だ。決して怪しいものではない。日によってターゲットが異なるのだが、今日は、僕がストライクだったらしい。1軒終われば次の人が僕を待っている、といった感じで、アンケートのはしご。謝礼はトータル3000円分の図書券になった。

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渋谷でしばらく時間をつぶした後、なんとなく銀座へ。銀座は、僕にとっては目的もなく散策できる街だ。よって、お金を一切使うことなく、銀座を散歩して、そこから、日比谷通りを自宅まで歩いて帰る。

日比谷通り沿いには、芝の増上寺がある。桜の花に誘われて、境内に足を踏み入れる。すると、大きな鐘が「ご~ん」。本堂から、「お勤めが始まるよ~」の合図の鐘が聞こえてきた。いそいそと本堂へ。

勤行が始まっても、増上寺は浄土宗なので、般若心経や観音経など僕に耳慣れたお経が聞こえてくることはない(うちは曹洞宗)。ただ、「南無阿弥陀仏」の念仏は常にG(ソ)の音だった。音の動かし方にも法則があって、この高さで念仏を唱えて終わりをすこし変化させる、となっているらしい。そういえば、京都にいた頃、近くの大本山でオルガンを使って声明の練習をしていたのを聞いたことがあったな。今日は、みんなきれいに音をとっていたけど、音感の悪いお坊さんはどうするのだろう?

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今日は出発前に万歩計をつけておいた。19500歩。満足満足。胃腸のメンテナンスもほぼ完了。さっき体重を量ったら、2キロ体重が減っていた。いい傾向だ。


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<追記部分>
今日、柴が大阪から帰ってきました。面接がかなりお疲れだったらしく、ぐったりとして帰ってきましたが、面接の様子なんかを僕に話してくれた様子を見ていると、柴がとてもかっこよく思えました毎日ピーピー言っているけど、なんだかんだいって、総合職として責任を負って仕事をしているんだなぁ・・・そんな一端を見せてくれたように思います。
最近、仕事の話をする柴を見ていると、うらやましいくらい輝いています。かっこいいよ、柴さん。このまま無理のない程度に着実に進んでいこうね。

でも、家事のことも思い出してね。僕も仕事しているんだから。そのあたりも、仕事と同じようによろしく。


2002年03月16日(土) メンテは続くよどこまでも

 胃腸のメンテナンスのため、お粥だけですごすことを決意したこあら。健康のためだもんね。今日はおとなしく転がっていよう・・・と、それができるこあらだったら苦労はしない。

 家にじっとしていたら、腹減っただけが頭を占めることになって、辛いことこの上ない。だから、横浜へ散歩に。とにかく「他のこと」をするに限るからだ。

 横浜駅周辺や、みなとみらい地区。すこし前まではよく歩いていた地域も、最近はめったにこなくなった。とくに、桜木町駅をおりて、ランドマークタワーに至る道筋は、まるっきり変わっていた。少しの間なのに、びっくり。

 ところで、街を歩いていてふと、「気がねなく飲みに行けるのはきょうぐらい?!」という事実に気がつく。別に柴さんがいたら飲みに行けないということはないし、柴さんは「一人でのみに行ってはだめ!」という了見の狭いことを言う人ではない。でも、どこか「気がね」が付きまとう。「やるべきことをやらない罪悪感」とでも言うのかなぁ。
 その点、「きょうは何もしなくてもいい日」なんだ~~~あぁ~~気がつくのが遅かった。

 でも、ちゃんとちゃんと帰ったよ。これから部屋の掃除とかいろいろするからね。やっぱり時間つぶしのためにさぁ>柴さん


2002年03月15日(金) からだのメンテ

今日からしばは大阪出張。だから、今日から家にはこあらがポツンと1人佇む。気分としては「あしびきの~山鳥の尾の~しだり尾の~」状態である。

そういえば、一緒にすみ始めてから、この部屋で1人夜を過ごすのは初めてだ。何となく寂しい。丁度、結婚する前、デートの後「バイバ~イ」と手を振って別れた後の感じとよく似ている。

あぁ、まだ新婚さんだなぁ。しばとこあらは。(照)

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そんなわけで、1人の夜。他人のためには食事の用意をするこあらも、自分「だけ」のためには、食事を作らない。そんなわけで、お粥三昧の日々を過ごすことを決意する。

・・・といっても、「面倒」だけが理由ではない。最近、内臓が「どこか悪い」のだ。

僕の大好きな足裏マッサージ。方法は様々あれど、考え方は「足の裏に体の調子が反映されている」と言うのが基本。だから、「あしの裏を触って変な感じがする時は、その体の部分もおかしい」ということになる。
僕の場合、もんでもらった後に「胃腸の調子が悪いようです。気をつけた方がよろしいですよ」と必ず言われる。胃腸の調子が出てくるのは、足の土踏まずのところ。もんでみると、今日もゴリゴリっとした感じがする。

どうやら、内臓にはキッチリ休んでもらった方が良さそうだ。しばもいないから食事を作る必要もない。だから、お粥生活にしよう。体のメンテもできるし、面倒でもないし(お米を鍋に入れておくだけだから)、一石二鳥♪


2002年03月14日(木) 卒業式の思い出(小学校編)

予定どおり、しばに何も差し上げなかったこあらです。

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小学校の卒業式は自分が送り出されるのを含めて6回経験しているから、記憶ははっきりしている。

小学校の卒業式。もちろん、校長先生の式辞やいろいろな来賓の挨拶があるのだが、メインイベントは「卒業式の歌」である(送辞や答辞はなかった)。これは、1・2年生、3・4・5年生、先生、6年生と学年ごとにパートが異なっており、通すと一つの大きな曲となる一大ページェントである。こんなことは全校生徒300人も居ない小さな学校だからできたんだろうけど。実家の周辺の小学校ぐらいしか歌っていないローカルな曲かと思ったら、インターネットで検索すると、意外とヒットした。

この曲を5年間は送る側として歌い、自分が6年生になったときのこと。6年生だけが歌うパートは、曲の最後の部分にある。6年間を振り返りながら、在校生、先生、保護者に対してそれぞれ感謝を述べる内容だ。

もともと、僕は音楽によって感情をフルに動かされるタイプである。そこまでは淡々と歌っていた僕も、6年生のパートに来た時、全然歌えなくなってしまった。在校生の顔を見ていると、これまで一度も話をしたことのない人であっても、名残惜しくなり、それまでのことが本当に走馬灯のようによみがえってきて、「今にも泣きそう」状態になってしまったのだ。いろいろあったけど、本当にこれでお別れなんだなぁト思うと、すごく寂しくて、悲しくて・・・なんてことを考えていた。

この「卒業式の歌」の後は校歌、そして、蛍の光に送られて退場。ただでさえ、気持ちが高ぶっているのに、校歌である。「これが小学生として最後の校歌だ」と、小学生とは思えないくらい気負っていたこあら。当然歌えるはずもない。涙をこらえるので必死。

蛍の光での退場は・・・いうまでもないだろう。

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こうやって考えると、「なんてかわいい小学生」と誰も言ってくれないので自分で思うしかないのだが、この「音楽に弱い」傾向は長じてからひょんな所で顔を出すことになった。その話はまたいずれ。


2002年03月13日(水) 隔日日記の克服

このままだと、本当に隔日日記or偶数日日記となってしまう・・・。

ひょんなことからうちの会社の産業医の講演を聞くことになった。テーマは「メンタルヘルス」。もともと、管理者向けの講演だったので、「あなた達は部下の面倒をみなくてはならないんですよ~」という趣旨だった。

そのなかででてきた、睡眠についての先生の名言。
「睡眠は、貯金が出来ないけど、借金の返済は出来るようになってます」。つまり、「来週忙しいから今週たくさん寝ておこう(=貯金)」はできないけど、「最近寝ていないから、昼寝をしよう(=借金の穴埋め)」はできるのです。

昼間起きている大多数の人なら、食事の時間とは関係なく、睡魔は午後2時前後に襲ってくるのがからだのリズム。その時間に睡眠をとって、夜十分に眠られるのなら、その日とはまだ借金返済中(=睡眠不足)、夜に眠れなくなったら、夜の睡眠時間を昼間使ってしまったという意味なので、睡眠は十分だとか。

この借金の返済は、年齢と共にしにくくなるので、若いころは「徹夜あけの爆睡」で、身体はしっかり回復するけど、年を重ねるにつれて「爆睡」ができなくなり、細切れの返済しかできない・・・そうだ。(僕はまだ大丈夫だ。)

ただ、ベットに入ったらバタンきゅ~の人は別として、眠りをさそうのために有益なのが、「軽い運動」か「お酒」。ただし、疲労回復目的で飲むお酒は「日本酒で5勺(=1合の半分)」。これ以上のむなら、お酒の副作用の方が問題になるそうな。つまり、これ以上飲まないと納得出来ない人は、「疲労回復のために酒を飲むぞ~」としてはならないのです。

ちなみに、酒を飲んだ翌日に「寝たはずなのに寝た気がしない」のは、実際には寝ていないからで、酒を飲みすぎて寝ている人に脳波計をつけると、脳波が睡眠状態ではなくて、覚醒している時とおなじ、つまり、脳はず~っと起きているわけ。感覚としては、睡眠ではなくて「起きているけど記憶がない」のと同じなのだから、翌日に「寝てない!」となる・・・そうだ。


2002年03月12日(火) 贈り物の雑感

最近、日記が隔日更新になっているような気がする。まぁ、いいか。

 僕は、男という人種の中では、比較的プレゼントをするほうではないかと思う。ただ、だれかれともなくあげるのではなくて、「プレゼントをもらったときに、何がどのようにうれしいのか明確に表現できる人」に差し上げることにしている。プレゼントしてもうれしいのかどうかわからない人には、買う気にもならない。

 しかし、こればっかりは見た目ではわからない。だから、最初はささやかなもの。この「テスト」で反応がよい人には、それからこあらのプレゼント攻勢が始まる。しばは、もちろん、このテストに合格している。

 僕は幸せにできているらしく、プレゼントをして、もらった人が喜ぶ顔を見ているのが好きだ。だから、部の一番若い男の仕事である『会社の女性陣からの「義理チョコレート」への「義理ホワイトデー」の品物を考える仕事』は、趣味と実益を兼ねていたのだったが、後輩君の配属により、今年からは彼の仕事である。正直言って、残念だ。

 ところで、この時期のデパートを見ていると、いつも不思議に思う。どうしてバレンタインデーのときは、チョコレート売り場しか盛り上がらないのに、ホワイトデーのときは、アクセサリー売り場までが盛り上がるのだろう。確かに、六方礼経というお経の中で、お釈迦様は「夫は妻に対し、尊敬と礼節と貞操と持って向かい、家政をまかせ、時々は飾りを与える」と説いていらっしゃるが・・・これとは違うんだろうな。

 もう一つ条件があった。「贈ったものを大切に『使う』人」だ。アクセサリーに関していえば、しばは使わない。だから、あげる気はない。使わない人にあげても意味ないもん。

 ちなみに、あさって柴に何かするか?
 しませんよ、そんなもん。何ももらってないから。

 私達はクールな夫婦なのです。ね、しばちゃん。


2002年03月10日(日) 試験三昧の週末

昨日・きょうと、資格試験を受けまくってました。

1.ビジネス・キャリア制度修了認定試験
 この資格は、厚生労働省の認定資格です。簡単に言うと「ホワイトカラーの技術認定試験」といったところでしょうか。職人さんや技術職の人とは違い、ホワイトカラー(管理系職種)の人は、自分の「能力」を客観的に示すことはできません。また、教育の仕方もOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング:実際の仕事をしながらの教育。別名:つかいっぱしり)ぐらいしかなく、明確な指導目標があるわけではありません。そこで、いろいろな管理職種について、分野を細分化して、その業務を行うにあたって必要な能力の「例示」をしたというのが、この制度の概要です。

 そのため、この試験を受けるためには、一定の教育を受けているか、関連した実務経験があることというものがあり、好きなものをバカバカ受けられる・・・というものではありません。

 なぜ、僕がこの試験を受けたか?うちの会社が、管理部門の査定にこれを利用することにしたから。だから、今回の会場もうちの会社の人がいっぱいだった。
 
 しか~し、「必要な知識は業務から得ているはず」という建前があるため、過去問集がない!!!(本当はあるのだが、過去問の一部しか紹介していないため、使い物にならない)そんなわけで、勉強もせずに3科目(昨日2科目、今日1科目)受けてまいりました。結果はどうなることやら・・・。
 
2.危険物取扱者乙種第四類
 この資格は、ガソリンスタンドのように石油類を取り扱うために必要な資格。だから、この資格を取る人は「ガソリンスタンドのお兄ちゃん・お姉ちゃん」がおおいのだが、会社の「取得おすすめ資格」に入っているため受験。
 
 会場には、やはり「そんな感じ」のお兄さんがたくさんいた。お兄ちゃんとはいっても、年下も結構多い。試験問題は、危険物に関する法令、化学・物理に関する基礎知識、第四類の危険物の取扱について、35問2時間の試験。実を言うと、以前1度受験したのだが、あまりになめてかかったため、不合格になってしまったのだ。今回は、前回よりは念入りに勉強をした。

 この試験の合格発表は、試験の30分くらいあとに発表される。自動車の運転免許の学科試験のようなもんだ。東京の会場では、「合格者の受験番号にはランプがつきます」タイプの発表。どんな試験であっても、合格発表はドキドキもの。今回は無事に合格できた。わーい、わーい、わーい。

 これで、ガソリンスタンドに転職するときに有利になる!(いつするのかは別として)

 ちなみに、この試験を受けたのは今日。上の試験を1科目受けて、すぐに移動して午後の試験を受けたのでした。


2002年03月08日(金) 銀座の夜の物語

 今日も無事に仕事が終わり、夕食の買出しがすんだ帰り道、いきなり携帯電話が鳴る。柴からだ。
 「これから銀座で食前酒を飲もうと思うんだけど、ご飯できてる?
 「ううん、まだ。」
 「久しぶりにKに行こうと思うんやけど」
 「僕も行く(--;」←久々の顔文字つき
「銀座で軽く食前酒を飲んで、いそいそとこあらが夕食を作っている家に帰って夕ご飯を食べる」という柴の野望は、こうして打ち砕かれたのであった。
 Kにて待ち合わせ。「仕事帰りに銀座のバーで待ち合わせ」・・・う~ん大人。違うって?

 かる~くお酒を頂いたあと、「梅林」で「スペシャルカツ丼」を頂く。このカツ丼のダシの味はかなり濃くなっているのだが、上に半熟の卵が乗っているため、ちょうどよい味になる。生卵好きの柴は、歓喜の涙を流していた。

 家に帰って、しばはさっさと寝てしまった。最近、早出が多かったし、夜も遅いし。早く帰られた今日くらいは、お酒もはいって、おなかも満たされたから、ゆっくり寝たほうがいいに決まっている。それを邪魔しないのが僕の役割だ。おやすみ、柴さん。

 でも、寝る前に、柴さんは「お風呂に入りたいから、お湯が入ったらおこしてね」といって布団にもぐったのだが、結果がどうなるかは長年の付き合いからわかっている。果たして、おこそうとしても起きなかった。たぶん、明日の朝、「なんでおこしてくれへんかったの?」と言われるであろうことも、十分予想がついているのだが、どうなるだろうか。


2002年03月07日(木) 採用の季節2

 NHKニュースを見ていたら、アメリカのブッシュさんがイラクを攻撃するかしないかということを、盛んに論評していた。振り上げたこぶしの落としどころを見つけられないのか、単に、調子に乗せられると周りがぜんぜん見えなくなるタイプなのかは別として、アメリカが世界の中で突っ走っているのは確かなようだ。
 そして毎度のことであるが、小泉さんは「世界に先駆けて」アメリカの全面的な支援を表明している。他の国が反対ムードにある中で、である。「日本はアメリカの植民地だもんなぁ・・・」などという、その筋の人が聞いたら怒るようなことを、柴と二人ではなす。
 日本の外交は、これからしばらく大事な局面にあるのだろう。こういうときの首相が、勢いでしゃべってしまう人であるのは少々心配だが、まぁ、外務大臣が田中さんではないだけ、まだマシかもしれない。田中さんの個人的資質とは別に、外務官僚を敵に回している状態では、外交なんてできるはずがないんだから。

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 前回の日記にある「グループディスカッション」。今日は本番でした。本番を通して知ったことをつらつら並べると、①会社の採用担当が、学生さんをどのように見ているか、知ることができた。②同じ学生に対する評価が、評価する側で大きく分かれてしまう例がかなりあった。③グループディスカッションは「目立てばいい」というものではないということがわかった。
 
 グループディスカッションを受験なさる皆さん。この試験を受けるときには、「一体この会社がどのような人材を求めているのか」ということを、きちんと念頭においておくと、有利にことが運ぶよ。あと、「見た目(顔の問題じゃないからね)」には、ある程度気を配ろうね。


2002年03月05日(火) 採用の季節

 街を歩いていると、リクルートスーツ姿のお兄ちゃんお姉ちゃんを見かける。髪型やかばんや靴の選び方などを含め、スーツを着こなすというよりは、スーツが街を歩いているという感じだけど、最初からきちんと着こなしている人のほうが、奇妙だもんね。(僕がどうだったのかも自信ないし・・・)

 こあらも、柴と同様に人事から採用活動の手伝いを依頼された。といっても、面接ではなくて、グループディスカッションの評価担当者。人事部から、その評価方法についての説明があった。

 採用試験の中に「グループディスカッション」をとり入れる会社はかなりあるようですが、そこから何を評価するのかは会社によってさまざまらしい。例えば、「意見の言い方」の評価をするときでも、「他人を押しのけて自説を主張すること」と「周りを見ながら自説を主張する」のどちらがよいのかは会社次第であって、どちらが善でどちらが悪・・・という議論ではない。それに、「ディスカッションでは、『意見の言い方』については評価しません」という会社だってあるんだろう(たぶんないだろうけど。意見のいい方を評価しないんだったらディスカッションの意味がないもん。ここでいいたいことは、「うちで評価するポイントも他社の評価ポイントも全く同じである」とは限らないということです)。

 人事からは、今回のディスカッションで評価をするべきポイントについて説明を受けた。でも、評価のポイントの説明を受けると、「自分はこんなことできたっけ?」と考え込んでしまうことが多い。自分ができないないことについて、他人ができてないと評価してもいいのだろうか?・・・たぶん、評価担当者は他人を評価することで、自分について振り返る機会を与えられているのだろう。

 ところで、評価者の注意事項に、「担当者は受験者に一切の影響を与えないでください」というものがある。要は、受験者は評価者のことが気にならないはずはないものだから、例えば、発言の後に評価者がその人に向かって「にこっ」と微笑んだりすれば、「ポイントゲット~」などと誤解されてしまうので、まずいということである。理想の表情はどういうものかというと、「鉄仮面「能面」。つまり、無表情。・・・僕はこの点でも心配である。

いずれにせよ、がんばれ~学生!!!。

<今日の柴日記の補足>

柴の夕ご飯、助六。これは「いなり寿司と巻寿し」のセットのこと。由来は、歌舞伎に助六という主人公が出てくるお芝居があり、その助六が惚れる相手の名前が揚巻(あげまき)という花魁(おいらん)なんですね。揚げと巻き、油揚げで出来たお稲荷、と巻き寿し、で「助六」という言葉遊び・・・となっています。


2002年03月04日(月) 横山さんと池田さん

まずは、きょうの「しば日記」の補足から。

①「声美人」
 どのように美人かというと、柴が一番嫌いな「女らしい女」の声なのである。例えば、カラオケで「恋に落ちて」を歌ってもらうと、その声は柴が出しているとは思えないほど色っぽい。もし、カラオケをすることがあったらお楽しみください。

②「こあら謹製サバラン」
 お菓子やさんで作っているようなものではありません。作り方は簡単。
 1)バゲットを適当な大きさに切ります。(カチカチになったものでも可)
 2)濃い目に紅茶を出し、砂糖を入れて非常に甘くします。
   (紅茶はティーパック、甘さは普通に飲めないくらい程度までどうぞ)
 3)お好みでラム酒やウイスキーを混ぜます。
 4)1)のパンを紅茶によく浸して、そのまま冷凍庫へ。
 5)カチカチに凍らせて完成。

 食べるときは、半解凍にしてお召し上がりください。

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 会社が終わった後、カルピス特撰バターをM氏に届けるため、銀座へ。
 M氏の店の途中の金券ショップで、東京国立博物館の「横山大観」展のチケットを売っていた。はんなさんのアドバイスどおり、あらかじめチケットを仕入れておくことにする。

 そのお店はちょっと変わっており、大観展と同時期に開かれている池田満寿夫の版画展のチケットとセットにして安く売っていたのだ(もちろん単品でも買えますよ。そうしなければ抱合せ販売ですから)。そこで、ついでにそちらの版画展のチケットも買う。

 チケット屋の店員さん曰く「横山さんと池田さんのチケットですね」。確かに、横山さんと池田さんであることには違いないのだが・・・ちょっと違うんじゃない?近所のフリーマーケットじゃないんだから。


2002年03月03日(日) 僕のお気に入り台所用品

これまでの話とは何の関係もありませんが、お気に入りグッズを。

1.土釜おこげ(無印良品・¥5000)

 新居での台所用品を探していた時に、無印良品有楽町店で発見したもの。名前からして、土鍋であることはおわかりでしょう。説明書が「A4」2枚だけのシンプルさで、このおなべで簡単においしいご飯が炊けると書いてあります。しかし、1度だけ柴が試してみたのですが、ちょうど良い水加減を探すのがちょっと大変かもしれません。でも、おかゆを炊くには最高です。うちのおかゆは、いつもこの鍋で炊いています。

 この鍋の特徴としては
 ・ふきこぼれがない
  ふたが鍋のふちよりも低いところにあるので、鍋の外には出てこない
 ・温度が一定に保たれる
  土鍋なので、いったん温まるとなかなか冷めません。だから、ワインなどを冷やすアイスペールとしても使えます。

 という点があります。写真は下をご覧ください。


正面から見たもの(左)と上から見たもの(右)
大きさの比較のため、ビール缶と並べています。

2.銅製三角コーナー&銅バスケット(日立電線)

 これも、台所道具探しで購入したもの。この品の特徴は「銅製」であること。銅は自身に抗菌作用があるため、生ごみによる「ぬめり」がおきないのです。もちろん、生ごみを放置しておけば、生ごみの「ぬめり」はおきますが、洗って磨けばすぐ元通りです。プラスチック製の三角コーナーみたいに、洗ってもぬめりが・・・ということは起きません。

 排水溝のバスケットも同じです。排水溝の大きさは家によって異なりますが、調整用のリングが2本付属してきますので、ほとんどの家で使えないことはありません(と、担当の営業さんが言っていた)。ちなみにうちでは、一番大きな輪の調整リングをつけて、ぴったり納まりました。ちなみに、使わなかった調整リングは、折って花瓶の中にいれましょう。花が長持ちします。

 なお、これはさすがに実際に使っているものをお見せするのは気が引けますので詳細はこちらからご覧ください。

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今日は雛祭り。
実家では、母が必ずハマグリの潮汁を作ってくれていた。だから、こちらでの夕食も同じようにした。こうやって、少しづつ春になっていくんだなぁ。


2002年03月02日(土) 銀座散歩

朝昼は、穏やかに休日をすごす。

夕方、銀座行こうと思い立つ。
つい最近オープンしたバーに、顔を出すためだ

いつも行くM氏のお店の弟分を開店するにあたり、
それまでM氏のお店の店長だった人が、新店舗の
店長になったのである。

お店の場所もわかりにくいところにあり、
それだけでもわくわくドキドキうれしい限りなのに、
お店がすごく空間をユッタリつかっているため、
「隠れたVIPクラブ」って感じ。

しばと、「本当のお気に入りの人と一緒に来たいね」と
和気藹々としゃべる。
結果として、お酒をほとんど飲まずに三時間しゃべり倒す。

ところで、
僕には「セロリ」と「納豆」という、2大天敵がいる。
このうちセロリについて、克服の兆しをつかむことができた。
バーでおしゃべりしているとき、
「セロリはブルーチーズと一緒に食べると臭みが消えるんですよ」と
バーテンダーさんに勧められた。
隣には「ブルーチーズもセロリも好き」な柴がいるため、
食べられなくても大丈夫かなぁと、用意をお願いする。

でてきました。食べました。
一緒に食べるとおいしい・・・
セロリのあの「生臭さ」がブルーチーズの香りと一緒になると
なんて甘美なんでしょう・・・
セロリをパクパクかじりつくこあらを見ながら
しばは不思議そうな顔をしていた。

これで、人生の約10分の1の楽しみを回復することができたと思う。


2002年03月01日(金) 弥生三月、は~るよこい。

 始まってしまいました。

 今朝、しばが今朝のスーツを選びながら「もう、冬ものを着たら変かなぁ」
あのね、確かに3月になったんだけどさ、まだ外は寒いよ。「♪春は名のみの風の寒さや~」なんて歌があるじゃない。でも、半ばを過ぎる頃には、春めいてくるのは確かなんだよね。季節は巡る。そして、こあらも年をとる。

 3月は卒業式シーズンなんだよね。僕の妹も無事に大学を卒業します。まずは、今年の春ご卒業を迎える皆さんへ

ご卒業おめでとうございます
これからそれぞれの舞台でがんばってね。 

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自分の卒業式を振り返ってみると、
◎幼稚園
 こあらの通っていた幼稚園の卒園式は、となりの大学の大講堂で(大学付属の幼稚園でした)。
 ただ、この卒園式の話をするためには、その前から話をしなくてはならない。
 卒園を前にして、こあらは盲腸で入院していました。退院後最初の登園は、卒園式の最終リハーサルの日。
 卒園式のクライマックス「卒園証書授与」は、園長先生が生徒の前に回ってきて、担任が名前を呼んだあと、返事をして立ちあがって、卒園証書をもらうという方法。でも、こあらはそれまでリハーサルに出てなかったので、先生が回ってきた瞬間に立ってしまったのです。そのとき、周りがどういう反応をしたかは覚えていません。でも、先生に「先生が名前を読んでから立ちあがろうね」と、他の幼稚園性の前で言われたのがとても恥ずかしかったことは今でも覚えています。
 
 そして、当日。母に連れられて会場へ。当然、卒園生と保護者は入口で別れるのですが、そのときに僕は大泣き。母と離れるのがイヤだったのです。先生もなんとか卒園生のほうに連れて行こうとしたのですが、僕も当時から頑固だったので、激しく抵抗。その理由は単純で、「もう二度と恥をかきたくない」。この当時から、自分の間違いを他人にさらすのが耐えられなかったこあら。ただ、悲しいかな幼児期のこあら、リハーサルでした間違いを本番でもすると確信していたようだ。そんなことはないのにね。

 結局、母とともに保護者席にいました。自分の卒園式を保護者席から見守る卒園生、母や先生はそのときどんな気持ちだったのだろう。卒園証書は、式が終わったあと、先生が保護者席に持ってきてくれました。不思議なことに、卒園式のあとの懇談会(最後のホームルームみたいなもんです)は、普通に出席していたんだよね。結局「卒園式」だけがイヤだったのです。

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意外と長くなって、書き出すと面白いので、続きは明日以降に。

ところで、昨日「しばのおなか」のためのメニューを作成したのですが、こあらにはテキメンの効果を発揮しました。しばはどうだったでしょうか?


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