日記帳

2004年09月29日(水) 歯痛

歯が痛い。

最後に歯医者に行ったのはいつだろう。妊娠中か、ひょっとして。娘の検診ではせっせと通うが、自分のこととなるとこれだ。

昨夜は「歯が痛い」以外のことが考えられず、夫と口論になったほどだ(嘘)。
※口論は本当。ははは。だってさー・・・あまりに馬鹿馬鹿しいので止めるわ。

あさっては、娘の歯科検診の予定だったが、来週に変更。カーサンの方が先だ、先。明日はいつものN大S病院、金曜日カーサン歯医者、土日夫は休出なので、久しぶりに実家に転がり込むことにした。

実家に泊まるのは、退院後初めてだ。「やっぱり必要」と5月頃にじじばばが買った娘用のコドモ椅子が初めて活躍する予定。

さーて何持っていけばいいんだ。大荷物になるのか。やっぱりタクシーで行くかなあ>病院まで。と、いつものように、どうでもいいことで煩悶中。



2004年09月28日(火) 五色米

雨が上がった隙に買い物に出る。

帰り道、段差に乗り上げた拍子にかちん、となにやら軽い音がする。何か落とした、と振り返ると、道路に小さな赤い輪っかが見える。

荷物と娘を乗せた自転車を止めて拾うのも難儀で、そのまま走る。と、また段差でかちり、曲がり角でかちり。振り向くと緑や黄色の小さな物体。

あなた、チェーリング(って呼ぶのはカーサンだけか?)持ってきたわねー。

ハンドル前の子供席に座る娘のポケットを探ると、まあ出てくるわ出てくるわ>おはじきとチェーリング。探る以前に3個くらいこぼれ落ちている。

家を出る前に、懸命に娘がずぼんのポケットに押し込んでいたのはこれかい。カーサンからパクッた台詞「ちょっとまってー」かなんか言いながら。

おはじきもチェーリングも、細かいもの好きな娘の大事なアイテム。畳にばらまいては「おさかなだよ」小さいフライパンに入れて「ごはんできた」と変幻自在。

その大事なもの、失くしちゃいかんよ。次からは持ってきてはいけない、と言い含めると、「えー(語尾上げ)なんでー」と最近得意のオトボケだよ・・・脱力。

点々とアスファルトを彩るチェーリング。姥捨て山かはたまた忍者の五色米かって風情だが、ええい、あとで拾いに行ってみよう。まったく。



2004年09月27日(月) 笑え

引越し前の住所から転送されてくる郵便物に、幼稚園からの案内がぽつぽつ入るようになってきた。今住んでいる区の幼稚園からは一切アプローチはないので、これはやはり区が違うからなのか、それともまだ私たちの存在が幼稚園に知られていないからなのか、さてどっちだろう。ええ、どっちでもいいです、はい。

園の案内にはいろんな種類のがあって、ひとつどうしても読んでしまうのが、心理学的な根拠をほんとにフロイトとかから引っ張ってくるやつ。えー、本当ー、と突っ込みつつ、「心理学ではそうなんです」と言われると、「はあそうですか」と頷くしかないような気がしてくる。

カーサンがひっかかったのは、「園児が泣いたりしてうまく幼稚園生活がうまくいかない、自立出来ないのは、入園以前の母子の信頼関係が成立していないから」という一文。ふん。園側の「何でもウチのせいにしないでくれ」という一種の転嫁とも読めるが、それはあまりにうがった読み方かしら。

カーサン入院中娘を置いて帰らなくてはいけなかった、というのから、未だに娘が立ち直りきっていないように感じられてならないのだ。退院後、赤ちゃんの頃のようにカーサンと密着しないと眠らなくなった、とか、瑣末なことからそう思うだけなんだけど。

「信頼が成立していない場合、それを埋め合わせる行為が必要」なんて読むと、本当に来年から通わせていいのか、とふと迷う。

自分自身、2年保育だったし、とか。ま、当時は3年保育が少なかったというのもある。単純に比較するのもナンだが。

迷う気持ちが40%くらい。

もう一年、カーサンとまったり過ごしたからって、必ずしもその埋め合わせが出来るかどうか疑問、娘もお友達を欲している様子、と幼稚園という新しい環境に入れたい気持ちが40%、あとの20%は「一人の時間が持てる」という誘惑にカーサン勝てない、というのが正直なところだったりする。
※合わせて60%、なんだかんだ言っても娘は幼稚園に行くことになるのであった。

うーん、考えてみると、通わすにしても、手元に置くにしても、所詮カーサンの都合でしかないわけね。

幼稚園に行く理由として、娘の持つ可能性を信じるという言い方も出来る。なにもかもどうってことないじゃん、オカーサン心配性ね、と笑い飛ばすのはきっと彼女自身だ。

そうとも、娘よ、こんなカーサンを笑っちゃってよ。



2004年09月26日(日) ディーラーにて

土曜日、またも車屋さん某ディーラーへ行く。そこの営業さんプロ意識が非常に高く、好感感じまくりだった我ら夫婦、ついに買い替えを決意。
今乗っている車に愛着はある。しかしいかんせん不具合連発。安心を買うってことでね(誰に言い訳・・・)。

週末には車屋さんと娘の中にもひとつ方程式が出来上がったらしく、「くるまやさん、いくー。くるまやさんのおもちゃ、いくー。」とリクエストしてくる始末。

確かにディーラー店舗内には、大概キッズコーナーというスペースがある。飲み物は出てくるわ、ビデオは見られるわ、おもちゃは目新しいわで言うことないわな。

さて、昨日も娘機嫌よくビデオを鑑賞しながらきっちーちゃん滑り台を満喫していたところ、小学校高学年姉妹が猛烈な勢いでキッズコーナーに登場。

ビデオを無言で「不思議の国のアリス」と取替え、見たい箇所まで早送り。君たちここの常連さんだね。こないだの続きを見るって決めてたの、というオーラを感じる。

それにしてもだよ、無言はないんじゃないのかね。

案の定娘は大泣きし始めた。うーん。なだめながら迷う。ここでガツンと彼女たちに言うべきか、それはオトナゲないことなのか。娘に「嫌だったら泣かないでお口で言おうね」と諭すべきか。うーん。

姉妹の両親は我らの隣のテーブルでアイスコーヒーをすすっておられる。偏見はいかんかもしれんが、オカーサマのお化粧がなんと申しましょうか、濃い。お面のような塗りっぷり、巻き髪で、マニキュアで、一世代前のお上品な奥様。あ、すごい書きようですか、私。

オカーサマはこちらを一瞥もしない。娘の号泣に気付いたのはオトーサマの方だったが、「アリス見てるの?」なんて姉妹に一言かけるのみ。

結局オカーサマから姉妹に掛けられた言葉は、「姉(名前)ちゃん、妹(名前)ちゃん、こっちきてアイスティー飲みなさい」であり「もうひとつクリーム欲しいってお店の人に言いなさい」であった。

姉妹はキッズコーナーを離れたり、戻ったり。ビデオを見たり、アイスティーを飲んだり。そのうち娘は機嫌を取り戻してブロックのおもちゃで遊びだした。

どうやら彼らは納車で来店したらしい。そのうち車の方に移動してしまった。店内に戻ってこない。カーサンそっとアリスのビデオを止め、娘が見ていた方をデッキに入れた。お、おとなげないですかね。

ややしばらくして姉妹が戻ってきた。ちょっと首を傾げて何か言いたそうな姉妹、妹の方が「アリスを見てもいいですか」とカーサンに尋ねてきた。姉は無言を貫いた。

そうよ、そうやって一言断ってくれればよかったのに。
どうぞ、と気持ちよく譲ることも出来たのに。

車の購入とは全く無関係な所でおたおたするカーサン。情けない大人の典型だろうな>自分。

ところで娘が気に入って見ていたビデオ、入院中に繰り返し見ていたブツだったのだ。入院一ヶ月という期間分、カーサンの中にはいろんな物事がスイッチとして堆積したが、中でも強力な部類に入るよ、このビデオは。

あのときと同じビデオ。ビデオ以外の風景。まだ入院しているかもしれない、娘に優しかった、彼や彼女たち。

ヘンなときにスイッチが入るから困るよ。



2004年09月24日(金) 深夜のドライブ

ここ2・3日お腹の具合が不安定だった娘、祝日早朝二時にお腹が痛いと泣いて起きた。泣いて身を捩られると不安が募る。

ええい、近所の休日診療に事情をあれこれ説明するのもしゃらくせえ。いつものN大S病院に電話して、夫の運転で駆け込んだ。夜中二時半。

さっきまで痛い痛いと訴えていた娘、けろりと復活してにこにこと当直の先生登場を待つ。いや、治ればいいんですよ。いいんですけどね。

現れた先生は初対面の若い男性。こちらの話を聞くよりカルテの解読に必死な様子。が、がんばれー。

最近薬が変わったこと、お腹が痛くなる前日から低血糖気味であることなどを伝えたが、どうもただの便秘らしい。娘よ、私の遺伝子をそんなところで発揮するな・・・。

カーサンも高校生くらいまでは便秘症で、一度は夜中に七転八倒して母が救急車呼んでしまったほどなのだ。すわ盲腸炎か、と。

娘には整腸剤が処方され、無罪放免。入院覚悟でわたしたちすごい荷物の量なんですけど。ははは。4時に帰宅。

翌朝10時に快適に目覚めた娘に起こされ、ヘロヘロな親二人それでも実家のお墓参りに参加(しかも遅刻)。娘この日も肝心なブツは出ず、帰宅後カンチョーのお世話になりました。ビロウな日記で恐縮です。すみません。

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救急外来の診察室の消毒液の強い匂いときたら、否応なしにカーサン娘を抱いてタクシーに乗った6月のことを思い出させてくれた。その匂いに対する自分の拒否反応にも驚いた。

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ただのフン詰まりとわかって思い出したのが、カーサン自身の体験。母が救急車を呼んでしまったときの看護婦さんの台詞、「あんたのおかあさんおかしいんじゃないの」。

あの病院には二度と行かなかったっけなあ。

今夜の看護婦さんはとてもとても優しくて、それが無性に嬉しかった。

帰り際に入院中お世話になった看護婦さんと遭遇、帰っちゃうの?泊まっていく?なんて軽口を叩ける幸せ。大事にならなくて本当によかった。



2004年09月22日(水) ダメダメ全開

連日幼稚園ネタ続きで恐縮だが、大穴幼稚園の見学に行った。

補欠幼稚園と同じくらい好感触。木陰のある園庭、保母さんたちは補欠より地味め(補欠の保母さん、やたらマスカラが濃かった)。

もう一度補欠に見学しに行って、補欠か大穴、どちらかに決めようと思っている。

たかが幼稚園の見学だが、えいやっと腰が上がるまで妙にエネルギーが要った。日々、いかにエネルギーを使わずに過ごしているかを痛感。

なんかねえ、ちょっとここ2日ほどダメダメに拍車がかかっているんですよ。気合が入らない。

まあ、そんなこともあります。ほっておこう>自分。



2004年09月19日(日) まとめアップ御免

●金曜日
朝食後、思い立って本命幼稚園に電話、自転車かっとばして当日飛び込みみたいな形で見学させてもらう。

下見した甲斐あって、迷うことなく到着。しかし、距離を感じる。ちと遠いなあ。

予想外だったのは他にも見学者がいたこと。時期を考えれば当たり前か。我ら母子の他に7組の母子が来ていた。もうこの幼稚園に決めている人がほとんどのように感じた。

幼稚園の印象は、補欠幼稚園よりきっちりしている感じ。園服も着ているし(補欠は登下園時のみ着用)、先生のお話を並んで座って聞いてたし(補欠はもう少しカジュアルな感じ)。見学者にも、園児に話しかけるなというお達しがあったし、教室には入れてもらえなかった(補欠では娘が園児に入り混じって遊んだ)。

プールがあって水泳の指導があるとか、体操の先生が来るとか、お勉強以外の方面でのお稽古に力を入れている様子。

計八組も見学者がいると質問もずびずばで、斬り込み隊長が一人、入園料授業料その他について突っ込みまくってた。聞き耳ダンボになる便乗カーサン。心の中でメモメモ。

仏教園で、お寺の境内を通って園の入り口に達する道を歩いてきたというのに、「クリスマス会はないのか」と質問し、「仏教園ですのでありません」という回答にあからさまにがっかりしていた人もいた。ははは。

なーんとなく、なんとなくの印象だけど、ここに通わせることはないような気がしている。

例えば娘が登園中に低血糖発作を起こしたとして、あの距離をかっとばす間ずっと彼女が倒れているのか、という危惧もあるし、見学のさせ方も補欠幼稚園に比べて表面的というか、あまり熱意が感じられなかった。

ただ、1型糖尿病であるということで入園を断られることはないということと、以前それらしき園児がいたようだ、という点で、ここもまだ捨てきれない。
※「お砂糖を預かったことがある、今は砂糖ではなくお薬であるんでしょう?」と説明のおばちゃんが言っていた。

もうひとつの大穴幼稚園を見てから決めよう。

●土曜日
実家がある町内で秋祭り。山車とお神輿が出る。

実家じじは長年、町内会で会計をしており、毎年それは楽しげに参加している。娘が産まれてからというもの、この時期になると娘を連れて来いと矢の催促だ。

ばばは娘の裄と背丈に合わせて浴衣に二重揚げをして準備万端、預けた下駄持ってこいと鼻息荒い。これは連れて行かないわけにはいかない(わかりにくい文章)。

娘は最初、山車に群がる人の量に圧倒され、「もう行かない。おうちがいい。」とクールな反応を見せたが、夕方になって浴衣を着せ縁日に連れて行くとウハウハ。ええ、じじもウハウハ。

町会の役員で大抵の大人参加者と顔見知りという立場を知ってか知らずか、きちんと列を作るこどもたちそっちのけで「これ頂戴」と娘を抱いて横入りしまくり。娘として恥ずかしいぞ。たしなめてもたしなめてもノンストップ。酔っ払いの孫溺愛を止める術は皆無。

娘はヨーヨーの浮いたプールに突進、カキ氷に舌鼓、輪投げの的は目の前まで移動してもらっておもちゃゲット、「ひとつじゃ足りないわよ」と町会のおばさんたちから大量の焼きそばやみそこんにゃくを仕入れ、親二人で荷物持ち。

そのうち縁日がお開きになり、では、と帰ろうとしたらじじが呼び止める。これから大人が担いで、少しだけお神輿で周るから見て行け、孫に見せたいというのだ。はいはい、残りますですよ。

するとお鉢が回ってきたのは親の方。夫いつのまにか町会の若い衆に絡め獲られて法被を着せられ、お神輿の担ぎ手の輪の中に。

近場を一周して帰ってきたお神輿を迎えると、今度はカーサンまで担ぎ手に引っ張り込まれる始末。周りは男性ばかりで肩が届いてないんですが。しかも先頭なんですが。

こんな体験初めてだ。そして知ったよ。お祭りに夢中になる人の気持ちが。三社だ深川だと大騒ぎする知り合いが何人かいるが、初めて彼らの気持ちがわかったよ。

担いで揺らしている間、妙に血がたぎった。嫌な気持ちがひとつ残らずすっとんでしまった。解放感、高揚感。なんて言ったらいいんだろう、あの気持ち。

夫も実はお神輿を担ぐのは初めての経験だったそうで(後日談)、彼がお祭りに目覚めたらどうしようかと思ったが、それは取り越し苦労だった。「いつ終わんねんて思ってた」夫に比べると、はまりそうなのはカーサンの方。

やばい、また一つ好きなものが増えた。

●日曜日
車の点検をお願いしにディーラーへ。エンジンをかけるとキュルキュル大音響なのだ。二度目なので余計に不安。

点検の結果、ファンベルトが伸びて緩んでいたためと判明、直してもらってさあどうしよう。

このところ調子が悪いという理由で、夫は車買いたい熱が高まっているのだ。直っちゃったんですけど。

それでもまあ冷やかしで、ということでショールームを二軒はしご。寄る所寄る所で飲み物が出て親はお腹タプンタプン、娘はキッズコーナーのおもちゃでアドレナリン分泌。お土産まで頂いてなんのこっちゃ有意義な一日だった。

薬の処方が変わって4日目、なかなか快調な滑り出しである。よしよし。



2004年09月16日(木) 変更

一ヶ月ぶりの病院。紫外線は感じるけど、風が爽やかになったなあ。

実は最近、血糖値のコントロールが芳しくなかった。ずっと高めをキープ。食事量が増えたわけでもなく、むしろ減ったくらいなのに何故。

それはU先生にも一目瞭然だったらしく、記録表を見るなり「高いねえ」と一言。そして熟考。時折なにやらつぶやき、「やっぱこっちの方がいいか・・」と結論に達し、薬剤と注射回数が変更された。

何が原因かは不明だけれど、今のやり方が効果的でないという判断。ごもっともです。

あたしゃてっきり「お母さんの栄養管理がなっちょらん」と叱られるか、とびくびくしていたので、U先生の反応をじいっと見守ってしまった。熟考してたなあ。信用するに足る長時間、熟考してた。有難いな。

さあ、明日からは新しい方法でトライだ。こりゃ様子見で一日過ぎそうだなあ。ちょっと緊張。

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そりゃそうと、「何がいくつ欲しい?」とU先生に尋ねられたらすぐ答えられるよう、カーサン手の平にボールペンで暗号のような箇条書きをしたよ。手の平に書くなんて、中学生以来じゃないか。

忘れ物女王だからね>自分。書いても忘れるし、「書かねば」という状況自体スルーしてしまうほどのツワモノだからさ。・・・自慢にならん。



2004年09月15日(水) 好天

昨日に続いて「その2」となるはずだったのだが、寝起きの悪い母子ってば調子が最悪、電話で本日の見学をお断りする羽目になってしまった。

泣き叫ぶ娘を引きずるようにして家を出、自転車に乗せて一個目の角を曲がるまでしたというのに。その頃カーサンも頭痛がピーク。あまりの娘の絶叫に、マンション管理人さん小言幸兵衛に「大丈夫かい」と声をかけられてしまった。とほほ。

あきらめて家に戻る。幼稚園に電話をかける。

しばらくして娘も落ち着きを取り戻し、カーサンの頭痛も薬で収まってきて、ああ窓の外の好天が恨めしい。せっかくいい天気なのになあ。

改めて幼稚園の位置を地図で確認してみたら、カーサン気付いた。本命幼稚園には第一と第二があり、カーサンの本命は第一なのに、今日予約を入れたのは第二の方じゃないか。ださいにもほどがある>自分。

キャンセルして正解だったと思うべきか、いや思えない。自分がアホーすぎて。

昼過ぎに本命「第一」幼稚園の位置を確認すべく、娘を乗せて自転車かっとばす。なんだよ、頭痛はどうした>完治。

地図を持ち歩いて正解。迷う迷う。入り組んだ路地を30分近くさまよい、幼稚園に到着。

ところで本命と目した理由は「オベンキョカリキュラムがない」という園HP上の情報からだったのだが、それだけを見るなら昨日の補欠幼稚園も条件は同じ。むしろ距離を考えると補欠幼稚園の方が断然いいぞ。むー。

あとは募集人数とか、園児の数や先生の比率で決めるか・・・。

思いつくのはそれくらい。あ、お弁当か給食か、とか、延長保育があるか、とかも知りたいか。

大体、願書の交付以前に入園案内を交付しないという区の規定がうっとおしい。比較検討せずにキメウチしろってことか。

ひとつ思い出した。昨日の補欠幼稚園、年少組で何人かの園児が園を去り、現在の人数だと説明されたのだ。何が理由でお辞めになったのかしらん。あの園長のダミ声のせいか。それとも「母の会」とやらの活動が面倒とか。単純に保護者の異動とか引越しなんていう物理的な理由であることを願う。

こういうとき、口コミで頼れそうな公園ママ友達が皆無なのは痛い。それだけのために「トモダチ」ってのもなんだが。

もう一回見学しにいったら、それとなく、いやはっきりと質問してみようっと。



2004年09月14日(火) 幼稚園見学その1

行かなくてはと思いつつ、腰の重かったカーサンようやく幼稚園の見学に行ってきた。3年保育なら来年4月入園。来月には願書やらなんやら手続きしなくてはいけない。

そろそろかしらと頭をかすめた6月は入院でばたばた、7月は退院後でばたばた、8月は世間は夏休み、9月になって帰省でばたばた。えーと誰に言い訳してるのかしら>自分。

日曜の晩に「今週は幼稚園見学ウィークだから」と夫に宣言して、ようやく、ようやくですよ。

昨日の電話で候補の3つの幼稚園に電話をかけ、補欠候補を今日、本命を明日、大穴(なんだそりゃ)を来週、それぞれ見学する段取りをつけた。やればできるじゃないか。

今日の補欠幼稚園(失敬)は電話で対応したおばちゃんがちと感じが悪く、それなりに覚悟して臨んだのだが、なんのこっちゃ蓋を開けてみればダミ声の彼女は園長先生であり、ほんとにただダミ声なだけらしい。

病気についてもストレートに質問してくるし、変に気を遣われるよりいいな。

副園長らしい男性がほぼ説明をしてくれたのだが、特にオベンキョーカリキュラムもないらしく、それはカーサンの希望に合っている。勉強はさ、まだいいや。娘には「遊び切る」経験をして欲しい。入院してからの、カーサンの願いだ。

1型糖尿病という園児は過去にいなかったようだが、食事制限なし運動制限なしということで、副園長もに園長にも、病気を理由に断る園はないだろう、と明るい見通しを告げられた。ほっ。

一応主治医Uが書いた病気についての説明をコピーして持参し、これが主治医と名前を指さすと、主治医の所属するN大病院出身の開業小児科医NT先生がそこの園医だと教えてくれた。それは心強いなあ。

そして強いて心配な点を挙げるなら、年長組のお泊り保育が軽井沢(!)なので、そのときは近辺に医師を探すとか、注射できるよう手段を講じましょうと前向きな姿勢も見せてくれて、カーサン激しく安心した。ありがとう副園長殿。

ダミ声園長も、娘の病気について「かわいそう」という言葉を使わなかったのが好ましい。「大変ね」とだけ。

初めての幼稚園見学であることを告げると、区内の幼稚園一覧の紙をくれて、あちこち見学してみて、合いそうな園を探すといい、とアドバイスをくれた。入園料も高いですしね、そちらもこちらもお互いの為に、よく検討してみてくださいね、と。

・・・気に入ってしまったのだが>補欠幼稚園。

明日、本命幼稚園を見学して、比較検討させていただくわ。

なんか嬉しいぞ。



2004年09月13日(月) 大阪より帰宅

ただいまー。昨夜大阪より帰宅しました。

夫と娘と三人で伊勢志摩に寄ってから大阪、のつもりが、地震と台風であえなく退却。というか素通りで大阪へ直行。無念じゃ。いつか必ず仕切り直してみせるわ。

大阪に着いた翌日から連日スケジュールめいっぱい。義父母が楽しみにしてくれているのは有難いが、ちょっとやりすぎー。

帰宅当日までびっしり予定が組まれていて、この帰省でかえって疲れさせてしまったのではないか、とあの義父の口からそんな台詞が飛び出るほど。
※ちなみに帰宅後、夫は「あんな風に言われたら、・・・どう返したらいいのだ?」と妻に助言を仰ぐのであった。アータってほんとに(以下略)。

毎度のことだが、出来ること(しかも最低限のレベル)しかやらないダメ嫁を貫いたので、気遣いで疲れることは無かった。が、体力的に限界に近かった>虚弱体質カーサン。帰りの新幹線で親子三人行き倒れ、アルファベットの「H」の形でぐっすり眠りこける始末。

それにしても、先日娘について「腹が据わって」てよかった。実にグッドタイミング。いやはや。

そして小学生幼稚園の甥っこ兄弟が、娘の血糖値測定や注射に興味津々だった。彼らに「何故するのか」と聞かれ、「娘は病気だから」と答えたのだが、今までこれが普通、これが当たり前、と娘に刷り込んできたもんだから、そのギャップにカーサン自身がとまどった。

そうだった。病気だったっけ。忘れそうなくらい、普通になってきているんだな。

今週は幼稚園見学強化週間の予定なんだけど、またああいうギャップを感じる予感。これも慣れてしまえばどうってことないだろう。慣れる慣れるとおまじない唱えていこう。



2004年09月05日(日) ずるい奴

宿も取れたし、電車の切符も取れた。さっき荷物も大阪に向けて発送したし、準備はおおかた整った。

娘よ、熱を出さないでおくれ。どきどき。
なんか怪しいんだよなあ。平熱なんだけど、こころなし手が熱いような・・・気のせいであってくれ。

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さて、別館のブログだが、糖尿病を切り口にしたことはあっちで、と思って始めたのですよ。

思い切って糖尿病関連のブログにコメントを残してみたりもしたのだが、これから続けられるか我ながら疑問。
ある程度腹がくくれたせいか、今後は泣き言も含め全てこちらに書きたい気分になっている。勝手なもんだなあ>自分。

もしブログを続けるなら、この日記帳を引き継ぐ形にして続けたいなあ。・・・こういうことを書くこと自体、ずるいですかね。



2004年09月03日(金) 疑いつつ

学生時代の「徹夜で語る」という行為を思い出す。妙にテンションがあがって、ものすごくいい感じな言葉が次から次へと口から滑り出て、人間としてステージをひとつクリアしたような晴々とした気分。でも実はなにひとつ変わっちゃいない自分。

昨夜の我々夫婦はそれに近いものがあったぞ。

でもまあ、ぼんやり感じていた自分自身への違和感がはっきりして、収まるところに収まったというのは気分がいい。

高揚感めいた感覚に身を任せてなんとなく外出する。別に今日じゃなくてもいい用事を済ませ、あえて実家に寄る。

気が晴れたというか、浮かれているというか、ひょっとしてバイオリズム上調子なだけなんじゃないかと自分で勘ぐりつつ、カーサン今日はしゃべるしゃべる。実家じじばば内心べっくらこいたにちがいない。

今だけのハイテンションかもしれない。ちょっとだけ覚悟はしておこう。

・・・ああ、あくまでも「悲観的な私」は消え去らないのね。



2004年09月02日(木) ひと山越えたか

伊勢志摩ブラボーはともかく、宿はどうする。夫と雁首並べて深夜のネット徘徊。1時近くまで探し回って候補を決め、予約のメールを送った。

その後、娘の糖尿病絡みで最近感じたことを夫に話し始めたら、これがもう止まらない。意外なことに夫も止まらない。二人でしゃべくり倒す。

もっと話すネタはあったのだが、3時に娘が泣いてお開き。

さ、なだめて抱え込んで寝かしつけて・・・と思ったら、娘が強硬に夜泣き。もう寝ない、起きる、お茶をくれ、もう朝になった、と言い張る。

お茶を飲ませて、念のため血糖値を測り(低くなくてひと安心)、夫も巻き込んでなんとか寝かそうとするも、寝付きがいいにもほどがあるだろう>夫。アータのいびきで娘が起きてしまう。

せっかく添い寝してくれて嬉しいんだけどさ、向こうの自分の部屋で寝てください。夫を追い出す鬼妻。
※それ以上に夫を蹴飛ばしてた鬼娘>遺伝したか。いや学習か、それとも。

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娘の発症〜入退院以来ずっと抱えてきた重いものが、腹をくくるという一番底の部分を夫と共有することで消滅したように感じている。

たとえ目が見えなくなっても透析を受けることになっても娘は娘だ。

食べ物に関しても、血糖値と直結するものがどんな食べ物なのかを知ることが出来たので、カロリー制限のジレンマから少し脱け出せそうだ。

食べるということはコミュニケーションの場と密接に繋がっていて、それだけに親としてどう振舞うのが妥当なのか、ずいぶん考え込んでしまっていたカーサン。

1型糖尿病が心理的に厄介なのは、管理次第で合併症が避けられる可能性と、「それでも管理しきれない血糖値」という努力が報われない可能性とが、短期間で見ると拮抗してしまうことだと思う。

100%理想的な管理を目指せば食べることがストレスになる。この二ヶ月でそれを学んだよ。

目指すべき方向や、その方法を病院は教えてくれる。我々親ふたりはそれを頭に入れつつ、娘に幸せを教えなければいけないと思う。

わたしたちには出来なくて、病院がしてくれること。

病院には出来なくて、わたしたちには可能なこと。

・・・何書いてるのかわからなくなってきたぞ。



2004年09月01日(水) 歯医者さん

はっと気付けば15時50分。わー、何やってんだカーサン、歯医者は15時半の予約だってば。起きてても寝ててもやること同じ。

慌てて電話して、正直に「うっかり忘れました」と告白し、電話の向こうの受付嬢のテンションを若干下げる。

幸い今日は患者さんが少なかったようで、すぐ来てくださいねえと受付嬢。自転車かっとばして、大汗かいて真っ赤な顔してちょっぴりいやらしくアピールしつつ、無事フッ素を塗ってもらった。あ、娘にね。

娘は診察室に入る前からやたらと落ち着いていて、診察台にもひとりで横たわり、泣かずにあーんと口を開け、ミラーを使っての診察を受けることが出来た。いやびっくり。
※フッ素を塗られてその苦味で口をへの字に閉じて半べそになってしまったが。先生の指を噛まなかっただけ前回より進歩。

この歯科医Y先生は、前回の診察から娘が1型糖尿病という事情をよく飲み込んでくださったようで、毎日の処置について、移植という治療法について、高血糖の場合の歯科的リスクについて、はたまた注射針の進歩について、診察終了後長めの会話を交わした。

それが、すごく嬉しかった。気にかけてもらっているんだなあ。

今のところ、炎症もなく、きれいに磨けているとお褒めの言葉をいただいたから余計に嬉しかったにちがいない。

歯髄炎を起こしているという診断も、抜歯という治療も、そのあとの入れ歯的処置の必要性も、大学病院の歯科で当然ですとつきつけられた全てのことが一体なんだったんだろうと疑問に思えてならない。

特に入れ歯的処置については、年齢的に酷じゃないかなあ、無理だよとY先生かなりびっくりしていた。

そうですよね。あのときカーサンが感じた違和感は、真っ当なものだったのかな。素人だから、専門家じゃないから、とあんまり卑屈になるのも考えものなのかな。

子どもの恐怖感を和らげるために、うちでは手足を縛ったりしませんのでお母さんもスタッフと一緒に押さえつけてくださいね、と語った大学病院の歯科医。

いや、ふと思い出しただけなんですけどね。

専門家の意見はもちろん尊重されて然るべきだけれど、こんなケースもあるんだなあ。

カーサン専門家とか権威とかに従順であるべし、と卑屈なまでに義務感が強い優等生タイプなので、なんかね、考えてしまうのよ。


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