ON LOTUS
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2004年03月29日(月) |
さてもさても、と云い乍ら。 |
今日までは、どうやら天気は上々だった様子。 明日から崩れるようです。
今日は午前五時半起床、午前八時東戸塚のデニーズで朝食。 ミルクティを三杯も飲んで、胃の中でこっそりとチャプチャプ音が…。
バタバタしていると、唐突にあらぬ方向から仕事が舞い込んできたりするもので、明後日は湘南方面に行く予定。というか、決定。 結構距離があるので、明日の仕事が終わったら、そちらにほど近い、じゃっく氏のお宅にお邪魔することになりました。
こんな時ばかりにしか行けず、どうもごめんなさいといったところですが。まあ、いい機会なのでちょうどいいでしょう。改めて遊びに行こうとすると、仕事とのかね合いでなかなか行けないのだから、いっそ混ぜてしまえば好都合というものです。
週刊少年ジャンプ…を、毎週買って読んでいます。 今まで、最初に開くのは『ONE PIECE』でしたが、最近は『DEATH NOTE』です。 大場つぐみ・原作/小畑健・画のこの漫画、週刊ということをかなり念頭に置いている物語。常に緊張感があって、次の週が非常に楽しみ。四月二日に第一巻が発売されます。買いです。
悠長に風流に花見をしたいと、しつこいほどに日記に書いております。 悠長で風流な花見とはなんぞやと。
人混みにもやもやと紛れて、人見に来たんだか花見に来たんだかわからねえや。と、いうのはあまり風流ではない気がするものです。 やいどんなものだ。と思ったのは、東京から大宮まで、贅沢にも新幹線で通過した時。
王子の、飛鳥山の少し上を、新幹線が通るわけですが。 花見用に祭り提灯を並べて夜桜見物と洒落込もうという頭の上を通る時、時間としては一瞬ながら、見事な桜が見えるのです。 この角度から見ようたって、新幹線に乗ってそちらの窓にへばりついていなけりゃ見えません。
花霞の風景を跨ぎ行くのは、なかなか風情があります。
とはいえ、鎌倉山中、見晴らしの良い場所で下界までを一遍に見おろしての花見などもしてみたいものです。
そうそう。花見、花見と言いますが、桜見るのだけが花見じゃありませんよ。
2004年03月27日(土) |
おめでとうございます。 |
今歳もどうぞよろしくお願いします。 落ち着いたら、まとめてお互いに祝ってみたりしませんか。 という体裁の地味宴会でも。
昼間の暖かさで、桜もだいぶ咲きそろってきた模様。 それを横目に、今日も仕事。明日も仕事。 世の中、この時季も仕事ですという人がほとんどのはず。 そうでなければ、誰も電車に乗って遠くの土地に花見になど行けないはず。
いつもの道で、満員の電車の中で、疲れ切って俯いているよりは、花でも愛でながら行きたいところです。 ああもうやだなあ。と、思いながら行動するのと、なんだか関係のない楽しいことを考えながら行動するのとでは、疲れの度合いが違いますな。 苛立つことも多々あれど。相殺するものを片手に用意して。
〓今日の読書〓
■東城和実「秘密のポー」新書館
モコが可愛い。人型のほうも、なんだか分からない形のほうも。 東城和実の直球萌えっぷりが思い切り良くて可笑しい。 そして、在りし日の直江を彷彿とさせる脇役キャラが。
■梨木香歩「春になったら莓を摘みに」新潮社
エッセイ。 梨木さんの、ものごとや人間に対する平等で冷静で優しい語り口が、とても心地よい。イギリスやその他の土地の描写がまた秀逸。行ったこともないのに、目の前に風景が広がって見えるような気がした。とても素敵なエッセイでした。
今月は、本当に家で活動している時間が短い。 一日中家にいたのは、三月一日のみであるという快挙。快挙なのかどうかはともかくとして。今週は、月曜から日曜まで仕事。来週は、来週はもう四月になる様子。
今年こそ、花を見にでかけたいところですが…。 八重桜なら見られるかな。 などと淡い夢を抱きつつ。自己の望みを強烈にたぐり寄せたい気分です。 無気力はいらない。
誰かに会う。 その会っている間に、お互いに浸透する。
幾度も会っていると、相手がその場にいなくても「こんな時、○○ならこんなことを言うだろうな」とか、「これは□□が好きそうなものだ」とか、思うようになると浸透率はだいぶ高い。
あとでその本人に会って「こんな事があったんだけど」と事の顛末を話して、想像通りの反応が返って来たら、これはもうかなり浸透していることになる。思考や嗜好や指向が滲み出して、お互いに浸透して、それが嫌でなければ、気が合うとか、ウマが合うとか、好きだとか、そういうことになったりする。
だいたいの場合、知人や友人や恋人や家族の間で、交歓しているうちに浸透していくけれど、それが一方通行の場合もある。例えば、役者などの自分の一部を世にさらけ出して生きている人などは、不特定多数に浸透している。 誤解や齟齬もかなりあるだろう。
それでもまん中の、何かを貫き通す姿勢は伝わってくるような気がする。浸透していることにかわりはない。 浸透とは、影響のことだ。
長らく、テレビで一方的にお会いする機会の多かった、いかりや長介さん。 ご冥福をお祈り致します。
それにしても、時々思うのだけれど、ワタシのあだ名が「ぼす」であることについて。「ぼす」とは一般に言うところの「統括する人物」「まとめ役」「なんだかちょっと偉い人」とは、大いに異なっていると思う。だいいち、表記してみれば平仮名なのだ。
どういう経緯でここまで定着しているのかは知らないが、あまりよく知らない人から「ぼす」と呼ばれると、少し驚く。驚き半分。反面少し嬉しいような恥ずかしいような複雑なところ。「ぼすさん」などと、敬称らしきものまでつけられた時には、一体どうしたらいいのか分からなくなってしまう。いくらなんでも名前じゃないのだから、敬称までつけることはないと思う。 最初は、冗談で呼ばれていたような気がするものの、いつの間にか、呼び名だけが一人歩きしている。
まったくの初対面の人を前にして「ぼす」と呼ばれた時、その初めて会った人は少し不思議そうな表情を浮かべて、
「この人は一体何者で、何のボスなのだろう。私の友達はこのボスと呼ばれた人とはどんな関係なんだろう。あんまりボスという感じはしないのだけれど」
という状態になる。まったくその通りだと思う。
ばたばたしていると、反動でしーんとしていたくなったりする。 座禅の心?ヨガ?瞑想?…などと迷走。 鎌倉に呼ばれている。呼ばれているというのは、つまりそちらに行きたいということ。たとえ銭洗い弁天の裏山を住処にしている野生のリスが、地べたをべたべた這って足を登ってこようとも。
疲れている時に、電車で本を読むと、ちょっと酔う。乗り物酔い。 途中で気がついたので、本をしまって睡眠時間に切り替え。どうも疲れているようで、時々目を覚ますと右に傾いている。鉢植えの朝顔みたいな支柱が欲しい。本当にそんなものに囲われていたらおかしな人だが…。 小さい頃は、車に乗ると必ず酔った。電車などはそうでもなかったが、自家用車だと究極に気分が悪くなった。 今は滅多に酔わない。三半規管が丈夫になったのだなと、三半規管に確認を取る。
サントリーから発売された『伊右衛門』というお茶を飲んでみたかったものの、500ミリリットルのペットボトル入りは売り切れ。紙パック入りのものが、たしかあったような気がするものの、まだ出会えず。
昨日から、日記に広告バナーが入らなくなった。よしよし。
〓今日の読書〓
■遠藤淑子「空のむこう」白泉社
この人の描く話は、どうしてこうも飄々としながら良いところを突いてくるのやら。相変わらず絵は変わらないし。そして、いつか『マダムとミスター』の続編が読めることを期待している。
2004年03月23日(火) |
何を焦る必要があるのか。 |
スケジュールの詰まった状態というのは、ものがたくさんあるのと同じ状態。机の上で、何か作業をしようとする時、必要なものだけを引き出しや棚から持ってきて使えばよろしい。 しかし、ものがたくさんあるので、余計なものが机の上にあったりする。余計なものがあるので作業がはかどらない。
余計なものは、とりあえず棚に乗せておくのが正解。 できることをまず片付けましょう。 そういう状態なのだな、と、気が付けばあとは勝ったようなものでしょうか。さて、何に勝ったのかはともかくとして。
気づいてみると、まあ、よく分からない理由で焦っていた自分も見えてきたりして、無性に可笑しかったりします。ああおかしい。 別に焦ろうがどうしようが、自分にできることしかできないのだから、落ち着いてやった方がいいのですね。楽しく焦るのは、焦るとは言わないのでそれはいいとして。
というようなことに、度々気がつくので、たぶんしょっちゅう焦っているのでしょう。忙しいのを理由にしないで、楽しく日暮らして行きたいところです。心に余裕を、1ミリでも。
〓今日の読書〓
■山下和美「天才柳沢教授の生活 23巻」講談社
まだまだ戦後の物語が続いています。かなりの長編です。 ところで『ゴーストラプソディー』はどうなったのでしょうか…。
■佐藤マコト「サトラレ 6巻」講談社
息の長い物語になりました。サトラレって、結構いっぱいいるなあ。 今回は「サトレズ」の人の話が好きでした。
■芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行 11巻」講談社
相変わらず空気の表現がいいです。未来のヨコハマが果たしてこんなふうなのかどうかはともかく、こんな風景はどこかにちゃんとあるような気がします。結構その辺に。
2004年03月22日(月) |
寒さに打ち震えている。 |
暖かくしておいて、急に冬の中にドヴォーン!と放り込まれたわけですが。
めだかは、冬の間にすっかり人間不信になっています。 夏になったら、また寄ってくるようになるのがいいですね。 冬の間は、人が近くを通ろうものなら、もの凄い勢いで逃げ惑います。 隠れて、じっと息をひそめています。 釣りをしたくなってきますね。
今日気がついたのですが、自分は海魚よりも川魚の方が、好きらしいと。 喰う方の話。 特に、焼き魚として頂いちゃう場合には、川魚がいいですね。 鮎とかイワナとか。あと、鰻とか。 夏になったら、どこかの山にでも行って、思うさま鮎などを食べたいと思います。想像するだけで、寒さも和らぎます。
夏になったら、鎌倉や京都で蓮を見たい今年。 蓮の佇まいに惚れております。 蓮の咲いている様を想像するだけで、寒さも遠のきます。
しかし、雪が降りますという天気予報を聞くだけで、そんな夢想も凍り付きます。寒いよ。
〓今日の読書〓
■荒川弘「鋼の錬金術師 7巻」スクエアエニックス
限定版の方を、わざわざ予約して買いました。 荒川さんのサーヴィス精神(サービスなんて軽いもんじゃない)には、毎度感服致します。カバー裏のネタで痙攣。 うっかり最近ガンガンまで買っちゃっているわけですが、雑誌を読んでいてもコミックスを買いたくなるような描き下ろしが必ず入っている上、セルフツッコミが最高であります。 イズミ師匠の「何者だ」「主婦だ!」のシーンが格好いい…。師匠男前すぎ。
桜もちらほらと咲き始め。この季節は、花の頃になると突然寒くなる。
東京都現代美術館まで移動。そうすい氏が同行。 球体関節人形展。
三輪輝子さんと天野可淡さんの人形が特に見たかった。最終日になんとか見に行くことができた。やれやれ。 三輪さんの人形は、格段に好みのタイプである。 他に誰もいない、人形と同じ部屋に閉じこめられたら、たぶん逃げ出したくなるような気がするが。 大勢の方の作品が一堂に会していると、それぞれの世界観にストンと入り込むのは大変。個々の展示ならば、また印象は変わってくるのだろうと思う。 この人形たちは、うっすらと闇のかかる場所に居るのが似合う。
さて、それにしても、ここに集まった人形たちの視線が、ほとんど「あちらの世界」を凝視しているような気がするのは何故だろう。 有機物であるところのヒトガタをしているのに、無機物なのは、ちょっと死に近い感じがするからなのか。 もちろん人形が死んでいるのではなくて、成熟した子供の姿で、死というものにほど近い位置に存在しているということ。それ故に「あの世」だかどこかが見えていそうな気がするのかも知れないなと、偉そうに考えてみる。
サイト自体を改装するより先に、日記だけを改装してみることにした。 蓮月堂で、最も更新頻度の高いのが日記だから、もっともといえばもっともな。
広告は、じきに消える予定なので、画面も大人しくなるでしょう。 肝心のサイト本体は、四月一日を目標に改装作業中。 果たしてぴったり公開できるのかどうかは、今のところ不明。 ともかく、じきにサイトはまるごと引っ越します。
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