Opportunity knocks
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NHKでABUロボコン2005をみた。 体育会系とはまた違う盛りあがりようが新鮮だったり。
決勝は愛知工業大学vs東京大学。 確かに効率の良さは東京大学に軍配という感じだったけれど、 アイデアとかユーモアは愛知工業大学もなかなかだった。 ドラゴンは良かったなあ。
親指のつけねを痛めてしまい(お稽古の方ではなくスポーツの方で)、しばらく三味線のお稽古はお休み。うーん、けっこう乗ってきたとこだったのになあ。 マイ三味線がほしい今日この頃。
台風直撃か、と思っていたら微妙に東の方へそれていってしまった。 雨も風も台風レベルではなく、夕方にはもう西の空が明るくなっていた。ひと安心。 明日は綺麗な青空がみられるかな。
仕事が午前で終わったのでその足で買い物。 白っぽいベージュの麻のジャケットと帽子を買った。 ジャケットの方は丈が短めで、体のラインにそった綺麗な形がよくて前からいいなとおもっていた。袖が少し長めで小さめのボタンが3つならんでいる。 帽子はちょっと(つれあいいわく)少女趣味的な雰囲気なのだけど、けっこう気に入っている。ああ小確幸。
夜は桃をたべながら世界水泳。 人が泳ぐ姿、それも一流の水泳選手が一瞬を競って泳ぐ姿は美しいなと観ていておもった。 あんなふうに泳ぐことはかなわぬ夢だけど、それでも明日は久しぶりに泳ぎにいこう、そうおもった。
休日だというのに一歩も家からでず、なにをしていたかというと寝転がって雑誌を読んだり、本を読んだり、昼寝したり。 あー有意義な一日だった(嘆息 でも来週(ってもう今週か)からまた忙しくなりそうだから、こんな一日でかえって良かったか。
明日はおきゅーりょーびなので、まえまえから目をつけていたものを買いに行こう。 今月はいっぱいはたらいたし。あーやるきでてきた。
さっきから部屋の奥でくすくす笑い声がきこえてきて、なんだろとおもっていたら、連れ合いがチャットをやっていた(自分のHPのチャットルーム) ちらっとのぞいたら、かなりディープな音楽ファンの方がいっぱいいた。 連れ合いの音楽の趣味ってかなり偏狭、というか辺境だから、同じ趣味の方々との会話がかなりたのしいらしい。 ドクター・ジョンとかエディー・ボーとかプロフェッサー・ロングヘアとか、サニーランド・スリムとか、タマ・チャールズとか、かなりコアなブルースファンにしかわからないとおもうし。
自分と趣味が同じ人と話すのってたのしいでしょ? と連れ合いにいったら、うん、そうだね、たのしい、とのこと。 普段当たり前の生活をしていたらとうてい出会えない人と出会うことができる、これがやっぱりインターネットというツールの良さなんじゃないかな。
2日続けてNHKの「世界遺産イタリア縦断1200キロ」というのをみる。 1日目はポルトヴェーネレ、2日目はサン・ジミニャーノ。 それをみてためいき混じりにおもった。ああイタリアいきたい!(我ながらなんて単純な)
来年の春は3人でヨーロッパに行こうといろいろプランをたてているのだけど、 この番組みていっきにイタリア(ポルトヴェーネレ!)に傾く。 2、3カ国で時間を分散するより、ひとつの国、地域をじっくりみるほうが良いかもなあ、なんて。
ああでもでも長年の憧れであるチェコや、スイス、オーストリアもすてがたい。 コドモはコドモでフランス美術館めぐりがいいというし、連れ合いは連れ合いでスペイン、ポルトガルにいきたいというし・・。 絞り込むにはまだまだ時間がかかりそう。
でもやっぱりこうやってあれこれ考えるのがたのしい。
2005年07月22日(金) |
つれあいが(めずらしく)服をかってきてくれた |
はいこれ、といって紙袋を渡されて、中をあけてみたら↓の服が入っていた。
うーむ、とおもったがとりあえず着てみた。 見たときは微妙、、、とおもったが実際着てみるとなかなかよかった。
がしかし。 試着したハハをみてコドモがひとこと。
「かあさんにはちょっとハデじゃないのー?」
にはってどうよ、にはって!
「ふーん、なんですか。かあさんはこーいうハデできらきらのついたキレイな洋服をもうきちゃいけないわけですか、そうなんですか」とかるくけんか腰につめよると、あわてたコドモはまたひとこと。
「えーっと、よくみたらイイかんじかも・・」
あわてた様子がかわいかったので、ゆるすことにした。
第三者的にみてどんなかんじなのか一抹の不安はあるが、 せっかく選んでくれたので、大切にして着ようとおもう。
あと余談ですが、左上のくろいのは、我が家に長年生息しているまっくろくろすけです。 というのはうそで、コドモがちっさいころ大切にしていたぬいぐるみのまっくろくろすけです。 おおきくなって、もういらないといってほかろうとしたので照明器具のひもにくくりつけました。イキモノじゃないですがかわいいです。
来月の中旬くらいにまたひとりでふらっとでかけようかと考えている。 といっても、父親の実家に寄ってお墓参り&仏壇参りをするのがメインなので、 場所は北陸及び中部方面に限定されるのだけど。
ネットで鉄道やバス、泊まる場所などを検索してみる。 金沢経由で富山入りし、新潟をまわって長野経由で帰るというプランを考え中。 でもまあそれは時間があればの話で、なければ富山・金沢で終わるかも。 学校時代の友達とも会いたいし、おわらの前夜祭にもいきたいし。 ああでも、こんなふうに旅行のことあれこれ考えているときがいちばんたのしい。
夏目漱石 「硝子戸の中」
小説ではなく新聞に連載していた随筆をまとめた本。 時期はすでに晩年にさしかかり、持病である胃腸の調子もおもわしくない中での執筆。 前半は時事に関することが書かれているが、次第に自分の幼少時の記憶を思い返したり今まで関わった人たちとの出来事を回顧したりという内容になっていく。 この連載が終わって翌年に漱石は胃潰瘍で病死するわけだけど、そういう予兆を知ってか知らずか、文章のトーンは静かで、深く、澄んでいる。
特に心に残った文章。
もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪いて、私に毫髪の疑いを挟む余地のない程明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出て来る凡ての人を、玲瓏透徹な正直ものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授けたまわん事を祈る。 今の私は馬鹿で人に騙されるか、或いは疑い深くて人を容れる事が出来ないか、この両方だけしかない様な気がする。 不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。
人の心が不可視であることは不幸なことなのだろうか。 馬鹿で人に騙されるか、疑い深くて人を容れることができないか、 そのどちらかを選ぶに選べず、だけど、選ばざるをえなかった漱石の人生を思わず考えてしまう。 そういう人間的な部分にひかれて、わたしはきっと漱石の小説を読むのだろうな。
朝からうるさいほどの蝉時雨。 ああ夏なんだなあ、と寝起きのぼんやりした頭でおもう。 それでもむかしほど夏がきらいではなくなった。 夏をたのしめるようになってきた気がする。
今日はすだれを買う予定。 涼しくなるといいな。
宿題がわからないというので、みてあげた。国語(古文) 奥の細道の「夏草」をやっているらしいのだけど、昔の人の語り口というか原文そのものがどうしても理解不能らしく頭を抱えている。
コ「だいたいさあ、舟の上に生涯を浮かべ、っていう意味がわかんねー」 「日々旅にして旅をすみかにす、ってどういう意味ー?」 「そもそも人生が旅のようなものだなんてこと自体わかんねー」
とわかんねーことだらけらしい。 まあ青春まっただなかのコドモに、こういう芭蕉の枯れた人生観というものを理解しろというほうが無理なのかもしれないけれど、それでも理解しなければテストで点をとることはできないわけで、なんとか四苦八苦しながら芭蕉の哲学みたいなものを説明する。そのあともムチャクチャな口語訳にチェックを入れながら、体言止めやら切れ字やら係り結びの法則について教えた。
でも教えるのって、やっぱりむずかしい。 教えるより教わる方が何倍もいいです、ほんと。
2005年07月17日(日) |
あんまり暑かったので |
かきごおりをたべにいった。
おなかこわした。
空の高いところに鳶。 気持ち良さそうにとんでた。
友達とふたりで二度目の万博。
いろいろみて歩いた。 なかなかたのしかった。 あと何回来れるかな。
三味線のお稽古。
この機械で音をとるのだけど、合わせるのがなかなかむずかしい。
譜面もおぼえるのがたいへん。
でもたのしい。
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