Opportunity knocks
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ピンク色の服を買った。 連れ合いには似合わないといわれた。 どこが?ときいたら、
すべて。
といわれた。
たまにはピンクの服を着たっていいじゃないか、 と思うのだけど、そんなにほんとに似合わないのだろうか。
でも着る。ええ着ますとも。ふん。
今日から連れ合いは2泊3日の宿泊学習で留守。 連れ合いがいないだけで家の中はとても静か。 帰ってくると機関銃のように喋っていろんな話につき合わされるのだけど、今日はそれもない。 だからどうというわけでもないのだけど。 とにかくとても静かな夜。
めずらしく青天が続くなあとおもっていたら、どうやらまた梅雨らしく雨模様になっていきそうな気配。 明日は・・・なにをしよう。久しぶりに腰をすえて本でも読もうか。本・・・「ボディ・アーティスト」の続き、「世界の終わり〜」「ねじまき鳥〜」の再読などなど。あと手紙を書くとか。メイル、書くとか。 久しぶりにゆっくりの休日だから、肩の力抜いて穏やかにすごそうと思う。
夕食後、AB-ROAD読みながら、夏どこいこうかなんて話してたり。 南の島にいきたいなあと二人、あとの一人は近場でいいなんて言ってる。どうなることやら。 でもそんなことをあれこれ言ってるだけでなんとなくたのしい。そういうものなのかも。
オフロに入った後、コドモと「ディープ・ブルー」観る。 想像を絶する狂暴鮫に絶句。 ありえないよねーなんて話しながらもちょっとはらはらどきどき。 水が苦手なのでもうそれだけで息苦しくなったりして。
「絶対生き残れない。たぶんいちばん先に死ぬ」 「なんのかんの言いつつ最後にはちゃっかり生き残ってしまうタイプなんじゃない?」 「なんとか生き残ろうってがんばって墓穴掘っちゃうタイプだよね」
なんて会話をかわす。(誰が誰のことをいっているかは想像におまかせします) なんだかすごく、典型的に中流階級的で平凡な家族が過ごす週末の夜・・・みたい(笑
夜、コドモの数学の問題に付き合わされる。 頭が軽く疲労困憊。
例えばこんな問題。
きじとうさぎがかごに入っている。上を見ると頭が35あり、下を見ると足が94ある。きじが何羽、うさぎが何匹いるか? (中国の数学書の「孫子算経」という本に載っていた問題)
連立方程式を使った解き方の横に、中国式の解き方も書いてあった。非常にシンプルなのだけど、たぶん逆立ちして町内一周してもわたしには思いつかない解き方。
その解き方のことを考えていたら、頭の中がきじの足とうさぎの足でいっぱいになり、なおかつきじの頭とうさぎの頭がもみ合いへしあいしている場面が浮かんで頭から離れなくなってしまった。それに、頭が35個足が94本もの動物が入るかごってどんなかごなんだ、って想像がどんどんふくらんじゃうし。 違う意味で頭が疲れた。
もくもくと方程式を解くコドモときじとうさぎで頭がいっぱいになっている母親…。 やっぱり数学って難しいです。
2004年06月17日(木) |
Life is go on |
「21grams」 前作と同様、時間軸が交錯する構成になっていて、それが引き込まれる一因になっている。しかし絶妙。言葉がでなくなるくらい。
人は目にみえないもの、理屈では説明できないものに、突き動かされながら生きているのかもしれない。無意識のうちに。どうしようもなく。
腕時計は好きです。が、あまり多くは持っていません。 気に入ったのものをひとつかふたつくらい。 普段はほとんど身につけていません。 もともと何かを身につけるのがあまり好きではないのです。 腕時計も好きなのですが、しばらくつけていると 手首の内側がむずむずしたり、なんだかしらないけど うっとうしくなります。 それにうっかり外ではずしてなくしてしまう、ということも考えられます。 なので、ほとんど身につけずに机の引き出しにしまってあります。 でも、はじめに書いたように腕時計は好きです。 使ってなくても、あまり積極的に身につけなくてもやっぱり好きです。 大事にしてます。使ってなくても電池はきちんとかえます。 自分のために作られた、と思えるような腕時計が好きです。 時々机の中からだして意味もなく眺めたりします。
そんな感じです。
週末は連れ合いの誕生日、ということでプレゼントを買いに街に行く。 事前に欲しいものをリサーチしたのだけど、なんとタイピンがほしいのだそう。 いまどきタイピンなんてものをする人がいるのか、とも思うのだけどとにかくそれが欲しいというので、某4Mデパートをめぐっていろんなものをみてきた。
前にも書いたけど、デパートをぶらぶら歩くのはかなり好き。特に紳士服売場。綺麗な色のシャツが折り目正しく並んでいるのをみると訳もなくうれしくなる。
タイピンはシャツとネクタイをくっと挟むタイプのものがほとんどだったのだけど、なかには針をさして固定するというのもあった。迷ったあげく針のタイプのものを購入。挟むタイプのものだとたぶん無くす、と確信したので。 そのほか、Tシャツを一枚買い、酒屋でシングルモルト(ラフロイグ)を買った。よろこんでくれるといいけど。
そのほか自分のための買い物(本屋洋服屋ケーキ屋)をして両手に荷物を抱え、よろよろしながら帰宅。 久々に買い物欲をみたした一日だった。
2004年06月07日(月) |
映画を観ながらおもったこと |
「ロスト・イン・トランスレーション」 うーん、良かった。
観た後、初めて海外(アメリカ)にいったときのことを少し思い出した。 連れ合いとコドモと3人でいった海外旅行。 連れ合いは数回目ということででかなりリラックスしていたけど、飛行機に乗るのも初めて、というわたしはかなりナーバスになっていた。コドモはまだ幼稚園の年中さんだった。ひと時も目が離せなかった。
最初に着いたのがデトロイトの空港。ニューオリンズ行きの飛行機がでるまでの5時間あまり、空港内で時間をつぶさないといけなかった。飛行機に乗っている間中緊張していたため(ずっとアラスカの凍りついた大地を眺めながらあそこに落ちませんようにと祈っていた)空港についたら一気に肩の力が抜けた。とりあえず飛行機をおりて入国手続きをする。荷物カートをがらがらおしながらてくてく歩く。ふと見てみるとまわりは異国だった。白人、黒人、アジア人、男、女、若者、子供、中年、老年、旅行者、働いている人、何をしているかよくわからない人、とにかくありとあらゆる人(しかも外国人、当たり前だけど)がいた。非日常だった。というかよくわからない感覚に包まれていた。
ぼーっとしているわたしに連れ合いが言った。 「ちょっとオレその辺みてまわってくるからそこで座って待ってて。」 連れ合いはそういって、さーっとどこかへ消えてしまった。 とても愛する妻への態度とは思えないとおもう。だって初めての海外で、初めての時差ぼけ状態なのに、そのうえ荷物もコドモも置いていくなんて。信じられますか?
仕方ないので連れ合いがもどってくるまでの数時間(数時間!)コドモとふたりで過ごした。
で、そのときなにを感じていたかというと、今日観た「ロスト・イン・トランスレーション」を観ていたときに感じた気持ち、だった。 誰一人自分のことを知らない、誰にもつながっていない、その孤独と自由な気持ち。心細さとほんの少しの高揚感がまじりあっていく感覚。
疲れて眠ってしまったコドモを抱きながら、ぼんやりと行きかう人たちをみていた。吸ったことのない空気、見たことのない風景、見たことのない人たち、その存在を感じながら時間が過ぎていった。
次に海外に行くときはもう、そんな感覚はないのかもしれない。最初で最後だったのかも。でも映画を観ている間中、そのときの気持ちを鮮明に思いだすことができた。懐かしくてせつなくて、とても素敵な時間だった。
朝起きたら雨の音がしていた。 なんとなく肌寒いのにまとわりつくような湿気。 梅雨に入ったんだなあと実感。 そんな日曜日。
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