Opportunity knocks
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2002年04月30日(火) やれやれ・・・。

昨日、茶碗蒸をたべているときに激しくむせてしまい、
喉の奥を火傷してしまった。
何かを飲みこんだりするととても痛い。

何だか最近こんなことが多いなあ・・・とおもう。
足の小指を思いっきりぶつけたり、寝違えたり、
自転車に乗って電柱にぶつかったり、
コンタクトを中和しないまま目につけて
ウサギのような目になってしまったり・・・。
枚挙に暇がない。

不注意、というか注意力散漫、というか、何というか・・。
虫歯はまだかすかにずきずきしてるし喉の奥はひりひりするし足の小指はいたいし
電柱にぶつけた膝小僧はあおじになってるし白目は充血してるし・・

やれやれ、だなあー、ほんと。




2002年04月29日(月) 今日の出来事

午前、遅めの朝ご飯をたべながら適当に家事をすませる。
コドモと連れ合いは買い物があるらしく、
大須というところにでかけてしまったので、
家のなかはとても静か。

新しく届いた教科書とスクーリングの日程を確認しながら、
今年1年間の学習計画をつくる。去年は思ったより進展しなかった学業だけど、
今年は気合入れてがんばるつもり。

一通り目を通したあと、やりかけのレポートにとりかかった。
大体レポートはひとつの設題につき3200文字程度なのだけど、
そのくらいの量の文章を書こうと思うと、かなり読みこまないと書けない。
とくにわたしの場合、まったくのゼロの状態からのスタートなので、
レポートが書けるくらいの知識が頭に入るまで、結構時間がかかる。
徐々に早めることができるようになるといいのだけど。

午後1時、
連れ合いとコドモが帰ってきた。
午後から映画を観にいく約束をしていたので、
ふたりで出掛ける。
「名探偵コナン ベーカー街の亡霊」・・・。
GWということもあって、映画館の中はかなりの人でいっぱい。
30分もまえにいったのに、あやうく立ち見になりそうだった。

たかがTVアニメの映画をなんで、映画館までいって観なきゃいけないんだろ…
と思わなくもないんだけど、こういうのもコミュニケーションの1つなのかも
しれないとおもう。
どっと爆笑する場面ではお約束のように大受けし、哀しい場面には哀しそうな顔をし、感動の場面では素直に感動するわがコドモ。
映画を観るより、横でみているコドモの反応を観察する方が
よっぽどおもしろかった。

家にもどって夕食を食べた後、連れ合いとコドモはお囃子の練習に出かけた。
5月3、4日は地元の祭り。よって我が家にとってGWとはほとんど祭りを意味している。
だいたい4月の中頃から、お囃子の稽古、山車の組み立て、道検分、寄付金集めなどでほとんど休みは祭り関係に忙殺される。
オンナは山車に触ってはいけない、とか、祭りに参加してはいけないという排他的なきまりがあるせいで、わたしはとくにやることもないのだけど、来客が多かったり、連れ合いの着付けを手伝ったり、コドモに装束をきせたり、といった雑事が多いので、祭り中はなんやかんやと忙しい。

コドモは、かなり熱心に稽古しているのだけど、何というか・・・リズム感というものが皆無に等しいので、いまいち太鼓がうまく打てないらしい。
小太鼓からはじまって、大太鼓、横笛、鼓、という感じで、ウチのコドモの年なら
もう笛くらい吹いてないといけないくらいなのだけど、いまだに大太鼓も打たせて
もらえない様子。太鼓の打ち方は、場合によっていくつかのパターンがあり、
このときにはこの打ち方、というように細かく決まりがある。だから結構、打ち分けがが大変なのだけど、・・それにしても、ウチのコドモはへたっぴぃらしい。

帰りがけも、ひとつ上の男の子から、
「おい、Y。おまえ何々(祭り用語なのでよくわからない)も打てんでどうするっもっとがんばってやれ!!」といわれてしまい、コドモはかなりへこんでしまった。
「がんばってるんだけどなあ・・」と肩をおとすコドモ。

「誰だって苦手なことくらいあるよ。誰だってあるんだから! そんなこと気にしなくていいの、元気だしなさいっ!」 とわたし。

こうやって、小さな挫折と立ち直りを経験しながら
大人になっていくのかもしれない。
自分の納得がいくまで、がんばってくれたらと思う。

そんな感じで、GW前半が終了した。












2002年04月28日(日) GW

虫歯の痛み、だいぶおさまった。ほっ。

夕ご飯に、カリフラワーとズッキーニの天麩羅をつくってたべる。
久しぶりにバドワイザーなんかものむ。
太陽が沈んで、辺りがだんだん暗闇に沈んでいくのをぼんやりと眺めた。
東の空をみると、でたばかりの月がかがやいていた。満月。
綺麗だった。

時間がゆっくりすぎてくような気がする。

あー、休みっていいですね、ほんと。


2002年04月27日(土) 治療

小さい虫歯を親センセイに削ってもらった、のはいいのだけど、
削ってもらう前より十倍くらい痛くなったのはなぜ?

キュイーン、グリグリグリ、ギー、ガリッ・・ガリガリガリッ、ズズー・・・

毎日聴き慣れている音なのだけど、他人の口から聞こえてくるのと自分の口から
聞こえてくるのでは、気持ち的にかなり違う。

ズキズキズキ・・・。

バファリンノンデ、モウネヨウ。


2002年04月26日(金) 無題

ストレイト・ストーリ―を観た。

ある日突然、旅への衝動にかられる。
そこには一台のトラクター。
自分の力で、自分の意志で、
彼は動き始める。

ロード・ムービーは結構苦手な方なのだけど、
この映画に関してはそれがなかった。
あまりにも映画の流れが自然だったからだろうとおもう。
ちょっと変った話だけど、違和感というものがなかった。
作られたもの、という感じがしなかった。

すこしずつすこしずつ、ひとのこころは動いていくものなのかもしれない。
そしてある日突然、堰きをきったようにあふれだすのかもしれない。




2002年04月25日(木) お休みの日に

今日は連れ合いが年休だったので、久しぶりにふたりでおでかけ。
ピッツァのおいしいお店でお昼ご飯を食べた。
フィオリ、という半生卵とバジル、アンチョビがのっているピッツァが
おいしかった。

食事のあと、本屋にいったり、中古CDのお店めぐりをしたりした。

ふたりでどこへいくともなく、のんびりとした時間を過ごした。

小確幸的な1日、だった。


2002年04月24日(水) 夢にみた

夢をみた。
なぜだかわからないけど、学校の保健室で寝ていた。
天気の良い日で、部屋の中はまばゆい光に満ちている。
そこへ誰かがやってきた。
目を瞑っているので、誰かはわからない。
その誰かはベッドの端までやってきて、
しばらくじっとしていた。
そのうちその誰かはそっと近づいて、わたしの額に手をあてた。
つめたくて、ほのかにその人の匂いがした。
その時点で夢の中のわたしは、その人が誰なのかがわかる。

あ、
と思ったら目が覚めた。

すごくリアルな夢だった。
今も、その人の手の感触を感じることができる。
額の上におかれたわずかな重み、冷たさ、手から伝わる息遣い。
でも、なんであの人なんだろう。
ふむ。
夢ってすごいかも。






2002年04月23日(火) 無題

「とにかく、美人!あんな美人はほんっとみたことがないなあ・・美人っていうと
何となく高慢ちきでつんつんしてる人が結構多いけど、彼女はそういうタイプ
じゃないんだよ、素朴で気さくで親切で、でも何とも言えない雰囲気があって、
そんでもってとにかく美人なんだって!んっと外人の名前に例えると・・・
エリザベス! そうエリザベスって感じ!キャサリンとかメアリとかじゃなくて
エリザベスっ、そんな雰囲気なんだよなあ・・・」

自分の恋人なり連れ合いが、こんなふうに自分が見も知らない異性のことを褒め称えたら、あなたはいったいどう思うだろうか。

連れ合いがわたしのまえで称賛した女性は、最近臨時講師として赴任してきた社会の先生なのだそう。

・・・・。
ふむ。これはじぇらしーなのだろうか?
いまさらじぇらしー?
それでもじぇらしー?

なんでじぇらしーなんだろう。
わたしがビジンじゃないから?
素朴でもなく気さくでもないから?

ふん。わたしにも適度にビジンなところぐらいあるぞ
ちょっとわかりにくいけど、素朴で気さくなところだってあるんだから

じぇらしーなんて
どっか遠くへとんでいってしまえ



2002年04月22日(月) 方向性

2回生になって履修する教科書やらテキストやらが、どかっと送られてきた。
文学概論、中国文学史、中国古典文化史、東洋文化史、仏教文学概論、比較文学
などなど。興味があるものもあるし、全くと言っていいほどないものもある。

言語学概論のテキストをぱらぱら流し読みしてみたのだけど、なかなか興味深い内容だった。言葉の起源からはじまって、言語と大脳の関わり合いといった生理学的なものから、チンパンジーの言語習得訓練に関する記述や第2言語習得についてのメカニズム、時代の変遷による言語の変種について、言語と社会のかかわり(方言や敬語の使い方)などなど面白いものが結構あった。
中でも、「ピジンとクレオール」という単元はかなり興味をひかれた。
ピジン、というのはおおまかにいうと混成語という意味になるかと思う。
英語のbusinessという言葉が中国風に訛ってできた言葉で、中国人とヨーロッパ人が商取引の際に使ったというのが起源らしい。
語源に関しては所説あるようだけど、ようするに言語を異とする人たちの間で使われた、商用的で単純化された言語がひとつのかたちとして定着したものといえるかもしれない。

そのようにして使われるようになったピジンをもっと日常化し、さらに第1言語(母語)として使うようになったものがクレオールらしい。
クレオールといえば、アメリカの南部がまだフランスの植民地だったころのなごりで、フランス文化とアメリカ文化が融合した文化のことが頭に浮かぶのだけど、
ようするに、2つの異なる言語、または文化が互いに影響しあって生まれた言葉
ということなのだろうか。

「お互いの言語を知らない人たちが、ある期間、継続的に接触して意志の疎通を図らなければならないような場合には、どこにおいてもピジンのような言語が生まれたと考えられる」とテキストに書いてあったのだけど、ピジンは世界中に分布している。歴史的にみて、十字軍、奴隷貿易、各国との交易、植民地開拓などがピジンの生まれた要因になっているようだ。
スワヒリ語なども、クレオールの1つに分類されるらしい。
テキストをみてみると、もともと使われていた現地語であるバンツー語と、商人の使っていたアラビア語が接触して生まれた言語、とある。
現在スワヒリ語は、ケニアとタンザニアの公用語となっていてかなりの人々に使われる言語となっている。

日本語にあてはめて考えてみると、ブラジルやハワイ、アメリカの西海岸などへ移住した人たちや、戦後日本に駐留したアメリカ人との間で使われていた言葉が、それにあたるらしい。

ピジンに関する部分を読みながら、何となくこういうものに自分は興味があるんだなあ、というのがおぼろげながらわかってきた。
2つの異なるものが影響しあった結果生み出されるもの、わたしはそんなものにみょうにひかれてしまうのだ。ラフカディオ・ハーンに興味があるのもそういう理由からだと思うし、比較文学に興味があるのも同じ理由だと思う。

まだ荒地に鍬を入れたばかりの状態で、どんな実りがあるのかもわからないけれど
いつかはそれなりの収穫を手に入れたいと思う。
がんばろう、うん。


2002年04月21日(日) 小説と絵画

江國香織さんが書いた「日のあたる白い壁」を読んだ。
”偶然で必然の、絵画との私的な出会い”とあるように、
江國さんの私的な言葉で24人の画家に対する思いが綴られていた。

24人の中にわたしの好きなアンドリュー・ワイエスの名前があった。
その文章の中ではっとするようなことが書かれてあったので抜粋してみる。

わたしがアメリカの現代小説がすきなことと、ワイエスの絵が好きなことは、きっと関係がある。中略。
人はごく一般的にいってそうそう感情的になれないものだ。感情のまわりには肉体があるのだし、それは皮膚に覆われており、そのまわりには生活があるのだ。この、皮膚と生活とその周辺、が、アメリカの現代小説の中心的テーマだし、ワイエスの絵の基調でもあると思う


ふーむ。
ようするに、
人間の核のようなものの周りをめぐっているものについて描かれている、
という点でアメリカの現代文学とワイエスの絵画は似通ったものを持っている、
ということだろうか。
うーん、わかるようでわからないような・・・。

でも、わたしも江國さんと同じで、アメリカの現代文学が好きでなおかつワイエスの絵に魅了されている。それは彼女のいうようにきっと何かの理由があるはずだと思う。彼女が書いたほかにも、わたしなりの理由というものがあるのかもしれない。今ははっきり言葉にできないけれど、いつかちゃんと言葉にできたらと思う。


2002年04月20日(土) 子どもの頃みてたもの

ウチの近所を歩いていたら、燕が飛んでいるのがみえた。
飛んでいく先を見てみると、去年と同じ家の軒下に巣を作っている。
毎年同じ燕が巣をかけているのだろうか?

♂と♀(と思われる)の2羽の燕が互いに小枝や葉っぱなどをくちに加えて
忙しそうに巣をつくっている。

子どもの頃よく、巣の下で燕の様子を見ていた。
毎年同じ時期に同じ場所に巣をつくり、卵を生み、ヒナが孵る。
そんな様子にすごくひきつけられた。

大きく口をあけたヒナに親鳥がえさをやっているのをあかず眺めた。
そんな燕の姿をみるのが好きだった。
父鳥がいて母鳥がいて、こどもは当たり前のように餌を与えられ育っていく、
普遍的な営み。ずっと繰り返されるもの。

そんなにめずらしいもんかねえ? 
熱心に燕を見ているわたしに向かって、近所の大人はよくそういった。
べつにめずらしいんじゃない。
ただ好きなだけなの、こうやって見てるのが。
わたしはそういって、いつまでも燕の姿を目で追っていた。


2002年04月19日(金) 今日の小確幸

先月書いたレポート2つの評価が、2つともAで返ってきた。(AからDの4段階で評価される)
そうやって自分の書いたものがきちんと評価されるって
ほんとにスバラシイ。
講評を読むと、自分が書きたかったこと、力を入れて論述したところについて
丁寧に書かれてあって、すごく勉強になった。

小さくはあるが確固とした幸福、しっかり感じた1日だった。
















2002年04月18日(木) 読書熱、あがる

ユリイカという雑誌を時々買って読んだりしているのだけど、
本屋でぱらぱらと流し読みしていた中に、P・オースターのロング・インタビューが掲載されていたので、つい買ってしまった。
因みにこの雑誌は雑誌のくせに、1300円もするので、よっぽど読みたい特集が無い限り買ったりしない。(大抵、暇な日を見つけて図書館で読んでいる)

今月号は「メルヴィルから始まるアメリカ文学航海誌」という特集がメインなので、オースターのインタビューもページにして、7、8ページくらいのものなのだけど、それでもやはり1300円払っても全然惜しくないような内容だった。

今までオースターの小説を読んで感じていたことや、疑問に思っていたことなどがより具体的な言葉で書かれていて、ふーん、とか、へえ、とか、なるほどね・・とか、そうなんだ、なんてぶつぶつ言いながらしきりに納得しながら読んだ。
その中であたらしく発見した事は、オースターがホーソーンにかなり影響を受けたということと、ユダヤ系の人間として自分がマイノリティであるということをオースター自身が強く意識しているということ。
何をいまさら、なんて声が聞こえてきそうだけど、あらためてそういうことを知って、また本の読み方、感じ方も違ってくるのかな、とすこし思った。
ホーソーンは「緋文字」を書いた作家くらいの認識しかなかったのだけど、
これを機に、ちょっと手を伸ばしてみようかなとおもっている。
(いつになるのかはちょっとわからないのだけど・・)

インタビューの中には新作(「ティンブクトゥ」)のことも多く書かれていた。
1999年に全米で出版された、ということなのでもうそろそろ翻訳が出る頃かもしれない。犬が主人公の話らしい。
ちょっとインタビューの中のオースターの言葉から抜粋。

「この小説でめざしたことは、複雑なストーリーではなくむしろある種の奇蹟であり、詩的な言葉のほとばしりなんだ」
「今までとは違った意図のもと、新しい方向へ向かった作品なんだよ。」

どうですか? 読みたくなったでしょう。ふふふ。(何がふふふなんだか)
インタビュアーいわく、今までのような不条理な冷たさとは打って変わって感傷的な暖かさをもった作品となっている、のだそうだ。

今月号のユリイカの中にはほかにもまだまだ興味のひかれる特集がいっぱいあった。メルヴィルから始まるアメリカ文学航海誌もそうだし、あとリチャード・パワーズのインタビュー特集もあった。それに中原中也賞を受賞した日和聡子という人の受賞作品である、「びるま」という詩集にもかなりひかれた。
私家版とあったので、自費出版という形で作った本だと思うのだけど、もっと読んでみたいと思った。受賞をきっかけに大きな書店で手に入れることができるかもしれないので、もし見かけたら買おうと思っている。

読書欲が急にたかまってきた今日この頃。
もうそろそろ、つぎの科目のレポートを書かないといけないのだけど
なかば頭の隅に追いやられている状態。
ほんとに1日が36時間くらいあればいいのにね。





2002年04月17日(水) 日常で遭遇した面白い人たち その2

歯科医院の受付なる仕事をしていますが、
ほんとうにいろいろな患者さんが日々訪れます。

今日治療にきた患者さんが、
ゴム製の手袋をはめているわたしの手をしげしげと
みながら言った一言。

「そんな毎日手袋ばっかりして、水虫になったりせんかね?」

・・・よっぽど水虫に悩まされた経験がある方に違いないです。

しかし、何気ない行動をとりながら、
何考えてるかわからないですね人間って。
ほんとおもしろいです。





2002年04月16日(火) Today's Headline

仕事が終わってから1人でシッピング・ニュースをみにいった。
映画館の中はわたしの他に2,3人が座っているだけで、ほとんど貸し切り状態。
まあ平日の昼過ぎにわざわざ観に来る人も少ないんだろうけど。

映画の方は相変わらずすごく良かった。
というか相変わらずすごく入りこんでしまった。
氷の上を少しずつ動く家、ロープをひく人々。
寒風吹きすさぶ海辺。
傷を負った人たち。
なんでこういった映像にひきつけられるんだろう、こんなにも。
映画をみている間、ワイエスの絵をずっと思いうかべていた。
ハルストレムはどこかでワイエスの影響を受けてるんじゃないだろうか。
そうとしか思えないような映像が次々と映し出されていた。


ケイト・ブランシェットがイメージとかけ離れた役をやってて少しびっくり。
今までの役柄からか、高貴なイメージをもっていたのだけど、それが全部ひっくり返ってしまった。でも、それを見て前よりももっとファンになった。
底がみえないくらい深い世界を持った人なんだろうと思う。


見終わった今も何かがアタマのなかをかけめぐっている気がする。
感受性を刺激された午後だった。








2002年04月15日(月) あらためて考えてみたよ

何%くらい?

そう、何%くらいなんだろう

自分でもよくわかってないんだ、たぶん

わたしらしいってあなたはいってくれるけど

あなたがみてるものは、

全部の中のほんの何%にしか過ぎないものなのかもよ

でも、その何%をわたしはすごく大切にしてるんだとおもうな

大切にするために

こうやって書いてる

きえてしまわないように

そうしてだれかにこんな自分を認めてもらいたがってるのかもね

うーん

そんなとこかな








2002年04月14日(日) 試験、そのあと

朝早めの電車にのって、試験を受けるため同朋大学というところにいく。
門の前にいくと、「科目最終試験の方はFの202へ行ってください」
という張り紙がしてあった。
キャンパスの中は人気が少なくて、閑散としている。
日曜日の大学の構内なんてどこも同じようなものなのだろうか。

試験官がくるのを待ちながら、ノートに目を通したり付箋をはった箇所を
再チェックしたりする。
それでも、高校生や専門学校生時代と比べると精神的にずいぶん余裕がある。
落ちたらまた勉強すればいいし、くらいの気持でやっているから当たり前といえば
あたりまえなんだけど。高校や専門学校のときもこのくらいキラクにやれたら、もっと勉強ずきな人間になれたのかもしれないな、とふと思ったり。

テストの課題は、
「カタルシスについてその病理的な解釈を述べた後、それを文学にあてはめて説明せよ。その際に「全人類的感情」という言葉を使って書け。」
というもの。
とりあえず、プロティノスの所説云々の問題でなくてよかった、と安堵。
全人類的感情、という言葉をどう使おうと、少し悩んだりしたけど
まあおおむねうまく(無難に)書けたのではないかと思う。

答案用紙を提出してさっさと大学を出る。
つかのまの解放感を感じて足取りも軽やか。

時間も早かったので、寄り道してミレー展を観にいくことにした。
つい最近までミレーの「種をまく人」が2点展示してあったのだけど、
1点はすでに展示が終わってしまったとのこと。
もともと所蔵している山梨県立美術館へ戻ったのか、またどこかの美術館へ旅立ってしまったのかわからないが、残念だった。

「種をまく人」は官展に出品するために、同じ構図で2点描かれたもの。
どちらを出品したかは今だ不明なのだそう。
晩秋、もしくは初冬、畑に麦をまく農夫の姿が描かれている。
大きく体を開いて、今にも種を空中に投げだそうとする瞬間を描いた構図が素晴らしい。ミレーは農民を主に描いた画家なのだけど、この絵を観てその理由がわかった気がした。どの絵にもそういう彼の農夫に対する思い入れが感じられた。
ミレーの絵を実物でみたのはこれが最初だったのだけど、やはり自分の目で見るということの大切さがよくわかった。自分の目で対象を見ること、そうすることでしかわからないこともあるのだ。
そんな当たり前のことを実感した展覧会だった。



2002年04月13日(土) 日常で遭遇した面白い人たち その1

スーパーで買い物していたときのこと。
鰹のたたきを買おうと魚売り場であれこれ見てたとき、
50代前半くらいの女性がわたしのそばにきて、こう言いました。

「まあ、ねーちゃん(わたしのこと)、イカが半額やと!安いねえ、ほんま。
でもうち昨日イカの照り焼きしたばっかしだがね。そんなイカばっかりたべたらイカれてまうわー、ははははははははー」
(何と無しにわたしの反応をうかがう)

「イカんイカん・・・・あはははは、今日はまぐろにしとこ!」

そういって鮪のお刺身をカゴに入れ、また何かぶつぶつ言いながら
忙しそうに別のコーナーへ歩いていきました。

すごい。
あれぐらいのことをさらりというくらいの人間になれれば、
毎日そう悩むこともなくなるのではないかと思う。

かっこつけてるばっかじゃだめなんだな、やっぱり。




2002年04月11日(木) 今日の出来事

今にも雨が降り出しそうな花冷えの日の朝、
予定通り、片道1時間かけて県図書館へいってきました。

前からみたかった文献を検索し、カウンターで受け取り
さー、はりきって勉強するぞ、と机に向かったその時、
それは起こってしまいました。

ぐー・・・・

かなり大きな音がきこえてきたのです。
どこから?
わたしの御腹から。

隣に座っていたいかにも頭の良さそうな学生(♂)が
びっくりして顔を上げました。
せっかく確保した机からダッシュで走り去ったことは言うまでもありません。
近くのコンビニへいって、おにぎりを2個、お茶を一本買い、即たべました。
あんなにはずかしい思いをしたのはほんとうに久しぶりでした・・・。

せっかく盛りあがっていた集中力もかなりダウンしてしまいましたが、
気を取りなおして、さっきとはまったく違うフロアの、なるだけ人気の少なそうな
場所に座りなおし、勉強を始めました。


今回、試験にでるポイントのいくつかがスタディガイド(学校が発行するテキストガイドみたいなもの)に書いてあったので、それを参考に勉強を進めてきました。

-試験のポイント-
カタルシスとその文学上の定義について
プロティノスの所説について
他の芸術と比較した際の文学の表現様式の特徴について
テーヌの所説と比べた際のギュイヨーの所説について
本文批評の実際について
比較文学について、どのような場合に行われるか、また対象はなにか

この中から出題されることが可能性として高い、ということなのですが
もし、プロティノスの所説について、という出題だったら、
まず再試験は間違いないです。
本文批評の実際について、というのもかなり危ないと思われます。
できることなら、カタルシスとその文学上の定義について、もしくは
比較文学について〜などの出題だったら、なんとか書けそうな気がします。
テーヌとギュイヨーに関しては、基本的な知識だけを詰めこんだだけなので
本番で出題されたら、もう開き直るしかないという感じです。
他の芸術と比較した際の〜という課題は、しばしば漠然と頭の中で考えてたこと
もあるので、もし出題されたらこれもまた開き直って書こうと思います。

ふう・・・知恵熱がでそうです。
そんな感じなので、日曜日まで更新はお休みです。
集中します。がんばります。
では。


追記:Zさんから教えてもらったたけのこご飯を作りました。
   すごくおいしかった。旬の味ですね。
   Zさんありがとう♪ またいろいろ教えて下さい。



2002年04月10日(水) 筍料理

食に対するエネルギーを違う方向へ転換するため、
明日は朝早くから県図書館にいって、1日試験勉強をすることにした。
勉強に関係ない本を読みふける事のないよう、がんばろう。


Zさんにおいしそうなたけのこ料理の作り方を教えてもらったので
夕方、八百屋へいってさっそくたけのこを買ってきた。
竹の香りがする、すごくおいしそうなたけのこ。

糠と唐辛子を入れた米のとぎ汁の中に、
切りこみを入れたたけのこを入れて茹でる。
たけ串が通るくらいの柔らかさになったので、今冷ましている途中。
明日はこのたけのこを使って、教えていただいた料理を作ってみようと思う。
たのしみー♪





2002年04月09日(火) ドラえもんの映画について。

ドラえもんをバカにしちゃいけない。
中学生だってドラえもんの映画をみるために、わざわざ映画館まで足を運ぶのだ。
それに、こうやってど・ら・え・も・んとkeyを打つと、ちゃんとドラえもんと変換される(Macはわからない)ドラえもんはそれくらい国民的なアニメなのである。

所詮は絵空事だ、などと思ってもいけない。
確かに、どこでもドアやタケコプターは実際には存在しない。でも、夢をみることって大切なことじゃないだろうか。

さらに、ドラえもんの映画なんて今までに作られたものの焼きなおしじゃないか
などと思うことは大変に浅はかな考えである。
TVとは比べ物にならない、クオリティの高さが映画にはある。
いつもは意気地なしののび太も、映画の中ではひとあじ違うのだ。
いつもは横暴なだけのジャイアン、いつもは狡猾なだけのスネ夫も、
映画となるとやっぱり違う。普段ばらばらになっている気持が映画の中では
ひとつとなり、すばらしい結果を生み出すのだ。


とまあ、そんな感じで映画を観にいく決意を固めていたのに、
ある日突然、
「かあさん、やっぱりドラえもんさ、トモダチと見にいく事にしたから」
と、あっけなく言われてしまった。

いいんだけどさ、ホンキで観たかったわけじゃないんだから。
でも、でもね、そう言われるとそれはそれで寂しくなったりもするわけで・・。

ちょっと複雑な気分。


2002年04月08日(月) 危機感

最近、暴力的なまでの食欲に悩まされている。
穴があいたバケツに水を注ぐように、
たべてもたべてもすぐおなかがすいてしまう。。

過食症?

かなりの危機感を感じている。
体重計の数字もそれに拍車をかけている。

どうにかなっちゃったんだろうか、わたしの神経中枢。
ふえー。。。


2002年04月07日(日) 映画鑑賞

「All about my mother」を観た。
すごく良い映画だった。
息子を亡くした母親の哀しみや、深い喪失感がひしひしと伝わってきた。
100%の愛情を注いできた人を亡くしたとき、ひとはすべてが空っぽになるのかもしれない。そしてすべてをなくしたとき、人はそれに変わるものを見つけずにはいられないのかもしれない。

マヌエラ役の女優、ロサ役のペネロペ・クルス(最近すごくファンになった)
ウマ役の女優(欲望という名の〜のブランチ役がすごくはまった。ビビアン・リーよりいいかもしれない)アグラード役の男優(たぶん男性なのだろうとおもう)
の演技が素晴らしかった。
多くの人の心に影響を与えることのできる何かを作り出せる人達なのだろうと思う。

表現すること、それを見た人が何かを感じ取ることってほんとに素晴らしいことだな、とあらためて思った。



2002年04月06日(土) 無題

まえ日記に書いたクレマチスが順調に育っている。
花が終わって殺風景になってしまったが、
このところのあたたかい日差しを受けて、
葉っぱが元気に伸びてきた。

つる性の植物なので、くねくねといろんな方向にのびている。
はじめベランダの柵にからませようかと思ったのだけど、
海からの風がかなり強く吹くので、それはやめにして
植木鉢の中に支柱をたてることにした。

友達の話によると、このまま順調にいけば秋にまた花芽がつくらしい。
もういちど咲かせたいな。
そしてあのマーブルチョコそっくりの甘い匂いをかいでみたい。
(ほんとにそんな匂いがするんだってば)




2002年04月05日(金)

最近、小沢健二の”Eclectic"を聴いている。
料理をしながら聴いたり、パソコンを打ちながら聴いたり。
あのひっそりした歌声を聴いていると、何だかとても落ちつく。
何だかとても良いことを耳元でささやかれているような、そんな気持になる。

この中では、「麝香」と「ひとつの魔法」そしてやっぱり、
「今夜はブギーバック」が好き。

良いです、すごく。







2002年04月04日(木) 物欲に振りまわされる今日この頃

TOWER RECORDSにいった。

シェリル・クロウの新譜を試聴した。

すごく良かった。

ほしい、と思った。

でも所持金がCDの値段にみたなかった。

銀行にいってお金をおろしてこようか、と思った。

でも結局やめにした。

かろうじて理性がはたらいた。

しかし、何だか納得がいかなかった。

こんな我慢をしなきゃいけないのは誰のせいだろう、と思った。

来月になったら買おうと、かたく決意して店を後にした。






2002年04月03日(水) 補足

・・・昨日の創作について少し。

読み返してみると、結構、いやかなりはずかしいのだけど、
なんでこんなものを書いたのかという理由は、いろいろ、ある。自分なりに。
最近、愛知県で虐待事件が相次いでいることもそのひとつ。
愛情を受けることがないまま育つ子どものことを、書きながら考えていた。
ほかには、・・・「孤独の発明」に影響されたというのもある。
昨日の創作は、あくまでフィクションであって現実に私の身の上に起こったことではないのだけど、やはり自分自身が投影されている部分はあると思う。
オースターがあの小説の中で書いているのと同じように、書きながら自分自身のことを深く考えたかった。

今、テスト勉強で「カタルシスとその文学上の定義」ということについて書いてるのだけど、カタルシスというものは享受する側の心的作用にとどまらず、創造作用の理論としても適用することができるみたいだ。
つまり、鬱屈したエネルギーを書くことで発散し解放するというもの。
(ゲーテが、自分の文学のことを「一種の告白である」といっているのを何かで読んだことがある)

つまりわたしも書くことで何らかのカタルシスを感じているのだと思う。

ということで少し気持がすっきりしたような気がする。

わたしにとっては意味のある文章だけど、他のひとにとってはまったく意味のない
駄文だということはじゅうじゅう承知しているのですが、まあ、日記というものはもともと個人的な文章の集まりなのだ、というわけでどうか許してください。








2002年04月02日(火) 創作

母親が帰ってこなくなって今日で3日が過ぎた。
カレンダーを眺めながら数えてみた。間違いない、今日で4日目だ。
こういうことは今までも何回となくあった。
学校から帰ってくると母親がいなくなっている。夜になっても帰ってこない。
帰ってくる気配もない、もちろん電話もかかってこない。そして、何日間か経った後ふらっと帰ってくる。
何事もなかったみたいに。

物心ついたときから母親とわたしは2人で暮らしていた。生物学上の父親はいたには違いないのだが、少なくともわたしはその姿を1度も目にした事がない。母親に幾度か父親のことを訊いたことがあったが、母親はきちんと説明してくれるどころか、わたしのその質問に対して怒りをあらわにした。それ以来わたしは母親に父親のことを訊くのをあきらめた。もともといないものだと思えばいい。そんな風に自分に言い聞かせた。

母親が最初に家を空けたのは、わたしが五歳くらいの頃だっただろうか。
近所に遊びにいって帰ってみると、家には誰もいなかった。
そのまま夜になるまで待っていたが、母親は帰ってこなかった。
家中の食べ物をあさり、それをたべ、布団を被り震えながら眠った。
朝起きても母親は帰ってこなかった。
どうすればいいのかわからないまま一人で幼稚園に行った。
誰にも何も言えなかった。
「お母さんが帰ってこないの。」
そういって誰かに助けを求めることができなかった。
近所づきあいも殆どなかったため、何かを相談できる人はわたしの周りには1人もいなかったのだ。
結局、2日後に母親は帰ってきた。幼稚園から帰ると、食卓の上に突っ伏した母親の姿が見えた。気が緩んだのか、涙がでた。母親が帰ってきて嬉しかったのか、それともただ単にほっとしただけなのかわからない。
そのうち母親は起き上がっていつものように夕食のしたくをはじめた。
母親は何も説明せず、なんの言い訳もしなかった。何事もなかったかのようにまた日常がはじまった。
でもわたしにはわかった。これは繰り返されるものだということが。
母親はまたどこかへふらりと出かけてしまうのだろう。わたしのことをこれっぽっちも省みることなく、ある日突然いなくなってしまうのだ。
強くなろうと決心した。すべてを受け入れよう、そのために強くならなければならない、そう思った。
実際にそれから同じように、母親はふらりとどこかへ行ってしまう事が何回かあった。その度にわたしは強くなろうと努力を重ねた。1人でも生きていける、誰にも頼るまい、そう繰り返し心の中で自分に言い聞かせた。

そんなわけで、今のわたしは母親が帰ってこないからといってめそめそしたりはしない。またいつものことかと思うだけだ。

 母親は大抵いつも男と一緒だった。社会の道からはずれたようなろくでもない男。捨てられてはまた新しい男のもとへと走り、また捨てられる、その繰り返しだった。自分を幸福にしてくれそうな地道なタイプの男には目もくれず、なぜかろくでもない男ばかり母親は選んだ。水商売で生計をたてていた母親にとって、そういう男たちがまわりに近寄ってくることは必然的だったに違いないが、わたしにはよくわからない。なぜ母は、自分から不幸を呼び寄せるような生き方しかできないのだろうか。わたしにはわからない。

ちらっと時計を見ると、もう1時をまわっていた。母親が帰ってこないことなどいつものことなのに、なぜか気になる。今夜は眠れないかもしれない。

母親のわたしに対する愛情があまり期待できないことを悟ってからというもの、わたしはできるだけ、自分自身強くなろうと日々頑張ってきた。与えられないものを欲しがったとしてもいったい何になるだろうか。失望するだけだ。
失望することのみじめさを味わいたくないがため、わたしは何かに期待することをやめた。そして、与えられたものだけを従順に受け入れる人間になっていった。

時々わたしという人間がいったいどこにあるのかわからなくなることがある。今こうして生きている自分、ただ呼吸をし、人間として最低限生きているわたし。
わたしという人間はいったいどこに存在しているのだろう。
わたしという人間を形作る核のようなもの、それは、誰かに愛されたい、誰かを愛したいと強く願っている。それは本当のわたしの姿なのだろう。でも、それはわたしの心の奥底の、誰にものぞくことのできない深い部分に沈んでしまっている。
感情の振り子をとめることで、その振れ幅を少なくすることで、ようやくわたしは生きている。本当の自分の存在を無理やり否定しながら生きている。

いつの日か、自分らしく生きることが出来る日がくるのだろうか。誰かに愛され、誰かに求められる日がはたしてくるのだろうか。そう確信をもって生きられる日が?
でも、今のわたしには途方もなく感じられる。そう考える事自体、今のわたしには哀しくて辛いのだ。
 
母親の姿が見えないものかと、窓の外をぼんやりと眺めた。薄暗い街灯に照らされた桜の木がぼんやりと見える。夜風に吹かれた花びらが蝶のように、空中をひらひらと漂っている。
その中にわたしは母親の姿を求めた。さびしい光景だった。その中にはひとすじの明かりも見えてこない気がした。それでもわたしはその中に何かを見出そうとしていくのだろうか。
何らかの恩寵がわたしに与えられるのを待つのだろうか。
ただひたすらに。





2002年04月01日(月) ロード・オブ・ザ・リング

コドモとふたりで「ロード・オブ・ザ・リング」を観にいった。
うーん・・・なんていうかすごかった。
現実離れしたものすごい映像が目白押し。
スケールの大きさやディティ―ルの細かさなど、
これぞ、超一流の技術の賜物という感じ。
特に、怪物たちのリアルさは筆舌につくしがたいほど。

ふと隣をみると、コドモが両手で目隠ししながら、指の隙間から
スクリーンを覗いている。「こわいの?」と笑いながらきくと、
「すごく、こわい」とのこと。
感じやすい子どもの感覚からいうと、これはかなりのインパクトなのかもしれない。
途中で何度もコドモがわたしにささやいた。
「最後には指輪が消滅して、悪いやつはやっつけられるんだよね?」
そのたびにわたしは、「うん、そうそう。最後にはそうなるようになってんの。
安心してみてなさい」と囁き返した。
と、ところが・・・、なんと映画は、二人だけになった小人族の男の子2人が、
決意も新たに悪の源である「滅びの山」へ向かう場面で終わってしまったのである。
エンディングのエンヤの曲を呆然と聴きながら
ふたりして、はにわ顔になってしまった。

「ねえ、かあさん・・・、もしかしてこれで終わったってこと?」
「指輪はどうなったの?フロドは?ホビット族はどうなるの?」
「かあさんさ、最後にはホビットたちが勝つっていったじゃん!、
でも終わっちゃったじゃん!、うそつきー。」
と、コドモはかなり納得できない様子。
しまった・・・こんな展開で終わってしまうとは・・。
考えてみれば、あんな長大な小説が一本の映画でおさまるわけがなかったのだ。

ふたりで納得できないまま映画館を後にした。
何だか、3時間もの間、主人公と一緒にずっと戦い続けていたような気がして、
かなり疲れた。。良くも悪くもかなり人に影響を与える映画だということは間違いないと思う。おそるべし、ロード・オブ・ザ・リング。




追記:まだコドモはぶつぶついっている。
   あんなのみにいかなきゃよかったよ・・
   きょう、夢にゾンビがでてきたらどうすんだよ・・・
   あー、もう・・・
   




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