TOI,TOI,TOI!


2003年08月18日(月) 猛暑の中、自宅安静

日本は涼しい夏だそうで。
こちらは記録的に暑い夏だそうです。

数日前から多少ましになって、今日は超久しぶりに少し雨が降った!

親知らずを抜いてからの一週間が、ちょうど一番暑かったときで、
毎日日中はフランクフルトでも40度を越えていた。本当異常。

医者から、

「コーヒー、紅茶、タバコ、禁止。日光も浴びないこと。」

と人差し指を立てながら宣告され、

「でも、なんでも食べてもいいわよ。ニコッ。」

と最後に言われたけど、とにかく3センチぐらい縫っているのでそこが痛くて、大きいお口があけられない。なんでも食べられるわけがないじゃないの。
あれは皮肉だったのか・・・・笑ってたし・・・やられたね・・・等とちっこい部屋でひとり不機嫌になった。

ヨーロッパには冷房というものが日本のように普及してなくて、
だから今回のような暑い夏が来ると、こんなに大変。
フランスで千人単位の方が亡くなったというニュースを聞きましたが、
つまりそういうわけなんですね。クーラーがあればね。と私は思ったんですけど。

というわけで、もちろん我が小部屋にクーラーがついているわけもなく、
おまけに屋根裏部屋。

もう、なんにもする気がなくて、(実際何もすることがなかったけど)ただベットに転がっていた。顔冷やしながら。
マライケに借りたアイスノンっぽいものは、いまいちの代物で、しょっちゅう冷凍庫で冷やしなおさなきゃいけなかったため、その間は氷をビニールに入れてそれを直接顔に当てていた。

ちなみに友人マライケさんは旅行中。
じゃなきゃ、暇つぶしにここにいてもらって話し相手になってもらうのに。
今ごろ優雅に海岸で転がってると思うと無性にうらやましく、
片や私は熱波の中、氷片手に一日中ベットに転がってるよ、と、またひとり不機嫌になっていた。


痛み止めの薬はぴったり4時間で切れた。
切れるとすぐ分かった。
ドイツの薬はとても強い。というか日本人と体質が違うだけだろうけど。

どうせ暑さで熟睡できてるわけじゃないので、
しょっちゅう夜中に起きてフラフラ冷凍庫とベットを往復していた。
薬が切れると痛かった。でも空きっ腹に薬を飲む気も、そのために痛い思いして何か食べる気もしなかったので、冷やして我慢しているほうがましだった。

ある日夜中にフラフラ〜と歩いていたら、寄りにもよって扇風機のコードに足を引っ掛けてしまった。あほである。
もちろん、ガラガラガッシャーンであった。

この扇風機は、先月、町を探し回って見つけて買ったものだった。
クーラーも普及してないくせに、扇風機もなかなか売ってないというこの国。
やっと見つけた小さいサイズの扇風機だったのに、安物だったためか簡単に壊れた。

扇風機なしは、一日ももたなかった。
次の日、腫れた顔で、町へ。
しかし、町中の電気屋をすべて見たのに、全部売りきれていた。
なんで売りきれてんだ!この暑いのに!とっとと仕入れろ!とぶち切れモードで文房具屋にいき、アロンアルファっぽいものを買って帰った。

壊れた扇風機を直すのは、暇つぶしにはよかった。
何時間も悪戦苦闘してたら、なんとか動くようになった。
新しいの買わなくてよかった〜!売りきれてくれててありがとう〜とさっきの怒りを忘れてひとり喜んだ。


一週間後に抜糸し、今はもう歯磨きもごしごしできるし、楽器もがんがん弾けるようになった。よかった。


2003年08月05日(火) 親知らず+バンベルク

今日、親知らずを抜いてきた。


親知らずは、右の下を数年前に抜いた。
そのときから、
「左下のもいつか抜かなくちゃいけないよ。」
と先生に言われていたが、右下と違って痛みもなかったので、なんとなく今までそのままだった。

今年に入って不覚にも虫歯になってしまい、歯医者にいった。
「歯医者はあちこちにあるけどピンキリだから」とのマライケの話を聞き、彼女いきつけの先生のところにいくことに。今年の春のこと。

「ところで、あなたの親知らずだけど、下のは遅くとも一年以内に抜かないと危険。上の二本もいつかは抜かないといけない。」
と先生。

下の左ということは、もちろん楽器が弾けない。数日間は無理だろう。
冬に卒業試験を受けることを考えると、このレッスンがない夏休みが最後のチャンス。そう思ったので7月にもう一回先生のところにいった。

下のは、なんだか切らないと取れない、とっても深い、とかで、この先生の手には負えないらしい。手術専門の病院にいかなくてはいけないとのこと。
私は、先生から渡された、病院の住所などが書かれた紙、私のレントゲン写真のコピー、先生からの今度の先生にあてたメモを持って、その病院にでかけていった。

3本、一気に抜くことになった。一度に抜いてしまえば、その後の数日間安静にしてれば済む。今一度にやったほうがいい、と言われた。

それから四日後の今日、”手術”でした。

先生は、
「あとの一本は故郷で抜いたの?」
「ぁ〜」(麻酔効いててしゃべれない)
「すごくすごく上手。本当にすごく良い。」
と何度も誉めていた。

山里先生にこの話をしたら喜んでくださるだろうなー。
ちなみに東京の田町にある、山里歯科医院という歯医者さんです。


術後12時間経った今、痛み止めの薬が切れてるころだけど、上の二本はなんともない。まったく腫れてもこない。上は痛くないってよく聞くけど、本当にそうだ。
下のは、痛い。少し腫れてきたみたい。ずっとアイスノンみたいなので冷やしている。


さて、夏はすでにはじまっている。
こないだ、バンベルクにいってきた。
バンベルクはフォーヒャルトの実家。
一日目はマライケがレッスンだったんだけど、私の顔を見た先生は、
「楽器持ってきてる?」
と聞き、私も急遽レッスンを受けることになった。
一人日本人の男のこがVorspielenしにきてたので、ちょっと通訳するはめになったりもした。通訳って、思ったよりずっと難しい。
でも私も3年ぐらい前にこうやってこの部屋でVorspielしたな〜と懐かしく思った。

同じクラスのエファもバンベルク出身。
エファに誘われたのがきっかけで、バンベルク観光がしにきたというのが本当のところだった。レッスン受けることになるとは・・・。

その日の夜はみんなで屋外ビアホールに集まった。
エファのお父さんと先生は友達だった。彼はバンベルク響の主席ビオラ奏者だった人。先生は元コンマス。この日ビアホールに集まった人は先生達が長い付き合いをしてきた気の知れた友達、みたいな人がたくさんいた。

エファのお父さんは、突然亡くなった。ほんの数ヶ月前。
突然、心臓の発作で亡くなってしまったので、家族は皆本当に辛い思いをしている。

2日目は観光した。
古い建物ばかりの街中、14世紀だかに建てられた教会やドーム、そしてすこし丘を登って自然もたくさん見せてくれた。全部素晴らしかった。
地元の人に案内してもらうのがなによりだね、やっぱ。
バンベルクの人はみんな本当にバンベルクが大好きで、やっぱり本当に素敵なところだった。


  
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