あれから1年。ということは、受験シーズン到来である。
ゼクレタリアート(事務)。むちゃくちゃ。
この1年、何度思ったことか。やっぱりひどすぎる。
私は去年の受験で「今年から学校がシステムを変えて、すでにどこかの大学を卒業している人は学部の受験資格がなくなった」と言われた。
ちなみに、それまでのシステムというのは、大学を卒業してる人は、学部の最後の2学年分だけ在籍することができる、というものだった。
募集要項などのどこをさがしてもそんなことは書いてない。なのに終わった後で、こう言われたのだ。ああ、今書いていても腹が立つ。
あれから1年もの時間があったのに。
今回の入試はめっちゃくちゃ。
ゼクレタリアート内で、システムを変えたことを把握してる人とそうでない人がいる!
ゼクレタリアートのボス(1年前はこの人のことを学長だと勘違いしていた)は、受験資格のない人から願書が来たら、願書受付通知を発送しない、という手抜きとしか思えない方法をとっていた。
しかし、何人かの事務員は、そんなこと知らずにどんどん発送してるという・・・。
というわけでめちゃくちゃなのである。ほとんどの実技の先生はそのシステムのことを知らずに、通知のこない受験生達に聞かれるまま受験日を教えてやっている。受験生にほんとのことを伝えているのは、私という前例があるから事情を知ることになったフォーヒャルトぐらいだろう。
いつもいいかげんなゼクレタリアートが、またミスしている!と怒っている実技の先生もいる。
なので、願書が受け付けられてない受験生が、そうとはしらず大勢集まってくる。
そして、受験資格がないのに通知が来てしまった人は、もちろん集まってくる。
あした、『通知が来てしまった』日本人二人が受験する。
どうなるか。まったく分からない。
受験生達を見てると、去年のあの時の気持ちを思い出す。ほんとにあの日々のことは忘れることは出来ない。
この日記を見てる人で、これからドイツに留学しようと考えてる人、いるかしら。
ちょっとこの場を借りてお知らせしますね。
・ここ数年で、かなり変っていますよー!先輩達の話をそのまま信じず、必ず自分で確認してください。
・留学するなら若いうちの方がチャンスは多いです。まだ高校生のあなたは、卒業後すぐ、または大学は卒業せず中退してきたほうが、こちらでのチャンスはぐっと広がるでしょう。(もちろん学校によってシステムはかなり違います。フランクフルトは、たぶん極端にいいかげんです。)
・もちろん、実力があればなんとかなるというのも事実です。
・語学、頑張ってください。重要です。
ここ見れないと思うけど、これからケルンで受験の友人C!
それから、フライブルクを受験する友人N!
頑張れー!
メズ−先生は、とにかく優しい、あったかい人なのだ。
そして彼は、とんでもなく頭のいい人でもある。
彼はもちろんハンガリー人だが、英、独、そして仏語もペラペラ。いったい何ヶ国語話せるのか、と思う。
歴史のこと、ハンガリーという国のこと、たくさん私たちに話してくれた。車で移動しながら、いろんな事を教えてくれた。
バルトークカルテットのレッスンを受けることになったいきさつ等は、2001年7月10日の日記を参照してください。
レッスンの内容は本当に尊いものだった。
バルトークはもちろん、モーツァルト、ベートーベン3曲それぞれ最高に良いレッスンだった。
1回のレッスンは4〜5時間で、休憩をまったくしなかった日もあった。
バルトーク記念館にも連れてってくれた。
バルトークが住んでいた家である。
バルトークという人の人柄がうかがえた。手紙の字がとてもきれいだったのが印象的。サインもすごく、きれい。彼のペンなどの道具を見ると、とっても几帳面な性格だったこともわかる。
バルトークという人は、顔もとても素敵だ。人柄がにじみ出ていると思う。私が想像する彼の人柄とは、無駄に興奮することがなく、話し方も、早口ではなく静かに話す。そして、ものすごく頭が良い人だったことは、もちろん明らかだ。
そして、今書いたことはそのままメズ−先生にもあてはまるような気がする。
私もいつまでも「元気が取り柄です」なんていってる年じゃないし、あんな素敵な大人になれたら、と思った。
メズ−先生は3人の息子のパパでもあるんだけど、特に1番上の22歳の息子はチェリストで、父親を大尊敬している。彼の部屋には、バルト−クカルテットのポスターとか、若い時の自分の父親の写真とかが、いっぱい。
日本公演のポスターを見てたら、「この写真とおんなじなんだ」と言って、バルトークカルテットのバルト−ク全集のCDを出してきた。
「あっ!それは!」
とCDに飛びつく私たち。彼は、そのあと私たちがレッスンを受けている間に、あっという間に全曲分のコピーを作ってくれた。
レッスン前に奥さんの手料理をご馳走になった。ハンガリー料理、牛肉のシチューだった。おいしかった。おかわりした。息子達は、普段からいつもママのお手伝いをしているのは、すぐに分かった。てきぱきと良く動いて、手際が良くて。
なんて素敵な家族だろうか。うらやましい。
夜遅くまでレッスンしてもらったその日、先生はそのまま車でドナウ川を案内してくれた。ブダ城、くさり橋、教会などがライトアップされていて、めちゃくちゃきれいだった。ライトアップされて夜空にふわっと浮かび上がっているのが、なんとも言えず美しいのだ。
1日だけオフの日があったので、その日は、午前中だけプロ−ベして、あとは観光した。夜はドナウ川のクルーザーに乗った。昼間もちょっと見たが、夜見たほうが、周りの建物が何も見えないのでロマンチック。
ハルギタイさんのレッスンも1度だけ受けることが出来た。お忙しい中、長時間に渡って、1回のレッスンで2曲見てくださった。
バルトークカルテットの中で彼だけが若く、まだ40代ではないかと思う。メズ-先生とはまた違った意味でも、ほんとによかった、彼のレッスンは。あたりまえのことかもしれないけど、同じカルテットだからって同じ意見だってわけではないというのも、よく分かった。
いつもおんなじ演奏しなくたっていいんだし、プロ-ベでも昨日とは違う意見になったっていいと思う。とNが言ってたのが頭にしっかり残っている。
8月まで、残された時間はそんなに多くない。このままいい精神状態で、準備していこうと思っている。
頑張るぞーーー!!!
マイ・パソコンは壊れたまま、ほってありますが、友達のパソコンに自分の接続を設定して使わせてもらうことにしました。
その友達は9月か10月まで日本に帰っていて、その間私はその友達の部屋に住んでいるのです。
と、いうわけで、久しぶりに日記!
昨日、フランクフルトに帰ってきた。
バルトークカルテットのレッスンを受けるために、4人でブダペスト(ハンガリー)まで行ってきたのだ。
5月7日にミュンヘンに集合して、プロ-ベ(合わせ)を数日間したあと、
13日の夜行列車でブダペストへ!
脱線しますが、5月7日というのは、この日記を書き始めた日。つまり、ドイツに1歩足を踏み入れたあの日から、ちょうど1年経った日であった。
満月のあの日から・・・もう、1年経ったのか。早いな。
そして、私は来月25歳になる。
確実に、自分のある部分が変ったのが分かる。考え方が、変った。
周りの人の影響が大きい。
「自分は不幸だ。自分はこんな目に会って可哀想だ。」
という、思考回路。
そういう発想からは、何も生まれない。ということ。
可哀想だと同情されたい。
悲劇のヒロイン。
何も言わなくたって、こういう思考を持ってることは、すぐに周りの人に分かってしまう。ということ。その「オネガイダカラワカッテヨ」という態度は周りを不愉快にさせることもある。ということ。
このことを意識するようになってからは、他人に対しても、悲劇のヒロイン思考なのかそうじゃないのかが、よく分かるようになってしまった。
それじゃ、えーんと泣いてかまってもらおうとする子供と、一緒。
ドイツ人というか、欧米人というべきか、こちらの人は、同世代でもみんな大人だ。落ち着いている。むやみに興奮しない。
電車の中で騒いでいる日本人観光客を見たときは、とても恥ずかしかった。
私も、すぐに興奮する。フォーヒャルトに、「興奮しないで」と言われたこともある。
こういうことを最近考えている。
脱線が長くなってしまった。
パソコンって難しい・・・。う〜。
直ったかもしれない。よくわかりません。
ぜんぜん油断はできません。
すぐに接続が切断されるんです。
誰か助けてー(日本語でー)
2002年05月01日(水) |
しばらく休止になってしまうかも |
4月26日の日記。
途中まで書いたところで、パソコンが壊れました。
これは、人のパソコンを借りて書いているのです。
これからどうなるかわかりませんが、とりあえず、しばらくは書けないかもしれません。インターネットカフェからでも書けそうなら、もしかしてたまに書くかもしれません。
1年近く書きつづけてきたので、もっともっと続けたいという気持ちはすごく強いのです・・・。
それでは、また次書けるときまで・・・
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