TOI,TOI,TOI!


2002年01月25日(金) ハッピバースデー

忙しかった。この10日ほど。

カルテットの合宿中は、朝から晩まで学校にいた。

今回はNが最後の1日しか参加できなかったので、3日間は3人で分奏。
カルテットの合わせって、本当に時間がかかる。
分奏は、実はとても効率のいい練習方法だった。だから2人ずつでもやった。

今回は、私がずっと望んでいたことが叶った。それは、Kの演奏をメンバーに聴かせる事。叶ってうれしい。私がいいと思うものを、メンバーもいいと思ってくれて、うれしい。
合宿中にクラスのフォアシュピールがあって(私は出なかった)、それを皆で聴いた。
クラスの演奏を立て続けに聴いてると、フォーヒャルトのスタイルがどういうものなのかが、よ〜く見えてくる。私は今フランクフルトにいて、あれを目指してるんだよ、というのを、皆に理解してもらえたみたい。よかった。

合宿終了の翌日から今日まで、オケだった。
曲は好きだったのに、指揮者がつまらなかった。以上。

今週も、クラスのフォアシュピールがあって、チャイコフスキーを弾いた。
オーディションは来月末に決まったので、人前で何回も弾いておきたいから。とりあえず1回目。カルテット合宿とオケで、自分の曲はほとんどさらってなかったんだけど、迷ったけど・・・弾いてしまった。
日本にいたときじゃ考えられなかったなぁ。仕上がっていないものを人前で弾くなんて。

その日は、Kの誕生日だった。
「今日はKの誕生日です」とこっそり先生に伝えると、先生は皆にそれを伝え、
「Kがきたら、ハッピバースデイをみんなで歌うよ。ピアニストも伴奏よろしく頼むよ」
と、その場ですぐリハーサル開始。
「1声部じゃつまらない!もっと内声を入れて!」
「合図は、ミーミー!」
と先生。

私はさっさと2番目に弾き、次の人の譜めくりなんかをしていた。
3人目が終わったとき、「ミーミー!」

 ♪ハッピバースデートゥーユ〜ハッピバースデ〜トゥーユ〜
 ハッピバースデーディァK○○、ハッピバースデートゥ〜ユ〜!!♪♪

Kは、とびっきりの笑顔になって、みんなからの祝福を受けていた。

こっちには、誕生日に、自分で友達を招待して祝ってもらうという習慣がある。
日本の結婚パーティがそうであるように、誕生日を迎えた本人自らが、招待して(お金かけて)祝ってもらうのだ。

そんなわけでKは、シャンパンを買ってきていた。フォアシュピールが全員終わると、Kはプラスチックのコップにシャンパンをついでまわり、
「Prost!(乾杯)」

私は、誕生日プレゼントに、トースターをあげた。
なんで、トースターかというと、Oが探りを入れてくれて調べてくれてたから。「ほんとにこれ欲しかったの」と周りの皆に言っていた。それがちょっとうれしかった。


2002年01月13日(日) 8月24日、グラマ音楽祭。

今年の夏、我パルナスカルテットは、フランスの音楽祭に出演する。フィジャック室内楽講習会の関係者の方が推してくださった。

ありがたい話だ。しかし私たちは、まだカルテットとしての産声を上げたばかり。
でかすぎる話だ。

音楽祭に足を運ぶお客様は、学生の発表会を聴くつもりで来るわけではない。
当然のことながら、プロとしての演奏を求められるのである。

曲目は、

モーツァルトNr.3「狩」
バルトーク Nr.6
ベートーベンop.59ラズモフスキーNr.2

フランスでの音楽祭なので、フランス物を1曲入れてはどうか?という要望もあったが、それはお断りした。フランス人の前で、フランス物を弾く自信は、無い。
ドイツものを勉強するだけで今はせいいっぱい。

曲目が正式決定してから、初の練習を、フランクフルトでやることになった。
Nは、プロオケの団員なので、一人だけものすごく忙しい。なかなか4人が集まれない。4ヶ月ぶりの練習だ。
4ヶ月・・・!!

このぺースは、まずいな。と私は思った。
忙しいNのペースに、3人が合わせていたら、8月なんてあっという間に来てしまうんじゃないかしら。
ある程度のペースを決めて、8月まで計画的に練習していくべきだ。Nは、多少欠けてもしょうがない。でもNを中心に日程を組むのは、もうやめたい。予定が合わなければその回はNには「欠席」してもらうしかない。

Nが忙しいからなんていうのは、なんの言い訳にもならないんであって。

ゴゴティから、「ノブの意見に賛成」とのメールが入り、ほっとした。

日本に里帰りしているゴゴティは、あさっての夕方、フランクフルトに到着。
P君もそれに合わせて、あさってフライブルクからフランクフルト入り。
16,17,18と3日間は3人で合わせ。週末19,20日はNが合流。

Kにこのことを話したら、「あ、じゃあNちゃんと初対面だ」と言っていた。
前回、フランクフルトで合宿したときには、K&Oは講習会に参加していて、ここにいなかったんですね〜。アンサンブルモデルンのツアーでKがミュンヘンに行ったときは、Nは仕事でいなかったんですね〜。
「そういやぁ初じゃぁん!会えそうで会えなかった二人が、感動の御対面?って感じ?」
と、Kに言ったら、
「キミがいつもカルテットのメンバーの話をするので、全然初対面の気がしない。そんなに盛り上がんないでしょ」
だって。

熱い私。冷めてるK。もうナレタ。


2002年01月12日(土) 1年前の先生探しの旅

友達が、留学準備のため、ドイツ各地を周っている。
先生探しの旅。私も1年前に、そういう旅をした。

会う約束をするために、まずは日本から手紙を書いた。6人の先生に宛てて。
留学経験のある人、留学中の人から、ドイツにいるお勧めの先生はいませんか?と手当たり次第に聞きまくった結果、名前が出てきたのがその6人。ほぼ知らない人ばかりだった。
返信用封筒と国際返信切手を同封し、自分のE-mailアドレス、ミュンヘンN宅のファックス番号も書かせてもらった。

「ドイツで勉強したいのです。一度私の演奏を聴いてくれませんか?」

一番早くに、返事をくれたのがフォーヒャルト。今のところプラッツは満員だけれど、会ってもいいよ。とあった。

クラス(門下)の席のことをプラッツという。普通は10人ぐらい。

あとは、ウイーン人でミュンヘンの歌劇場コンマスW先生、ロシア人のC先生、アメリカ人のS女史が、会ってもいいよと返事をくれた。
一人の先生は、もう引退するのでごめんねという返事をわざわざくれた。
6人中5人の先生が返事をくれた。

旅、スタート。ドイツへ!

始めにミュンヘンのW先生に会った。彼は、ひどく私を気に入ってくれ、プラッツはいっぱいだけど、今度取ると約束した人を断ってキミを取る!とまで言ってくれた。そんな〜その人はどうなるの〜?と思ったけど、Nをはじめ誰もが皆、
「そういうもんだ」と言った。
W先生とは、相性が合わないという直感があった。なんとなく。
ちょっとおいで!と言って、あの有名なミュンヘンの歌劇場のオケピットに連れてってくれたのは、うれしかった。ピットから見渡すオペラハウスは、あんまりに豪華で、口あんぐり。

次はフライブルク。フライブルクではユースホステルに泊った。ユースはサッカー場と川が近くにある、いいところだった。試合が終わる頃にサッカー場の近くを通ると、すごいことになっていた。みんな、ビアガーデンで大騒ぎ!楽器を背負って歩く雰囲気ではなかった。
ユースでは練習できなくて、でもどうしても弾きたくて、川沿いのベンチで練習した。風が強くて弓が飛んでいきそうだった。
C先生は、とってもビルトゥオーゾな先生で、演奏家として現役。唯一、私がもともと名前を知っていた人。パガニーニのカプリスをものすごい速さで弾いてくれました。拍手している自分に
「あれ?なんかちがくない?これ」
と思いました。何しに来たんだっけ?私。
「入試を受けてみなさい。ソリストコースを受けなさい」
と言われた。でもほかにも何人に同じように言ってるかわかんないって感じだった。実際そんなような事を言っていたし。

次はバンベルク。フォーヒャルトの自宅。フライブルクから電話すると、
「ミュンヘンを何時に乗って、ヴュルツブルクで乗り換えは何時何分で・・・」
と乗る電車の時間をすでに調べてくれていた。
「あの、今ミュンヘンじゃなくてフライブルクなんです」
と言うと、
「あ、そ〜う。じゃあ今調べる」
と言って、乗る時間、乗り換えの駅と番線と時間、バンベルクにつく時間をすぐに調べてくれた。駅のホームまで迎えに来てくれるという。
「ボクがキミを探すから。キミはバイオリンを持ってるからすぐ分かるだろう。ボクの顔は、ふたつの目とひとつの鼻がついててね・・・」
先生の人柄があったかくて、天にも昇っちゃいそうに、うれしくなった。にやにやしながら部屋に戻ったのを今でも覚えてる。

Nは、
「典型的なドイツのスタイルというものを習える先生についたほうがいい」
と言った。
弦楽四重奏という分野は、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、とドイツワールド全開!な分野なのである。
ここをやんなきゃ、話にならん!のである。

ドイツのスタイルを、本場で勉強するのだ。
私たち外人だって、少しでも本物に近づくべく努力するんだ。
先生を選ぶ上で、ここにだけはこだわろうと決めてた。

というわけで、もちろんドイツ人に習いたかった。だから会う前からフォーヒャルトには一番期待していた。
会ってみたら、期待以上だった。でもプラッツがいっぱいだと言われた。入試を受けたら?と言ってくれた。
矛盾してる。でもやってみるしかないと思った。

フォーヒャルトに会ってしまってからは、W先生につく気がなくなった。
断られる人を気の毒に思い、W先生に、「フランクフルトを受験します」と手紙を書いた。
「そこまでする必要ない。入試に行かなければW先生には全て分かる。こっちでは普通のこと。お互いそれでうらみっこなしなの。」とNに言われたが、何があっても彼にはつかないと思ったので、その手紙は出した。

今だったらどうだろう。Nの言ってたことは、そのとき理解できなかったけど今は理解できる。今だったら、その手紙は出さないだろう。あの行動はお人好しすぎたな、と今は思う。

S女史は、アメリカ人だけど、ドイツでしっかりドイツ音楽を身につけた人だと聞いた。外人同士として、それも興味があった。
会ってみたらとても素敵な人だったんだけど、
「プラッツがいっぱいだからごめんなさい。」
とはっきり言ってくれた。はっきり言ってもらえたほうが、いさぎよく次にいけてありがたいな、とフォーヒャルトのことを思った。
親切な人だった。スイスの先生を2人紹介してくれた。スイスは学費がかかるので考えてなかったけど、気持ちはすごくありがたいと思った。

少し脱線しますが、ドイツは学費がタダです。税金で勉強させてくれるわけです。
まあ、それを考えると、『いいかげん増えすぎた留学生を、なんとか減らしたい』というドイツの音大の最近の動きも、うなずけ・・・・・
うなずいてる場合ではない。他人事ではない、私がまさにその一人。
外人だけ少し学費払うんでもいいから、平等にチャンスを与えて欲しいよな。

と、こんないきさつで、フランクフルト1本の入試となったわけです。
どうしてもフォーヒャルトにつきたかったので、ほかのところを受験する気になれず、ほかを受けることで余計な労力を使いたくなかった。

フォーヒャルトは「何かあったらここに電話して相談しなさい」
とKの電話番号を教えてくれた。ミュンヘンのN宅からKに電話し、試験曲のことなどを教えてもらった。それから私は「フランクフルトしか受けません」と言った。

旅、終了。日本へ帰る。

曲目を相談しようとフォーヒャルトに電話した。すると、
「キミはほかの学校も受けるべきだ!You should!should!」
と、shouldを連発する先生。私は固まってしまった。
「フライブルクの先生でも、ミュンヘンの先生でもなく、あなたのもとで勉強したい。」
つたない語学力ではこれだけ言うのに精一杯だった。

Kに電話すると、
「電話しようと思ってた。ほかのところも受けるようにノブコに言ってくれって先生から言われたよ。プライベートでつきたがってるある日本人の人がいるんだけど、その人をとることに決めたから、だと思う。」
ちなみにその人とは、後で分かったけど「ハラトモさん」のこと。
私はKに思いをぶつけた。

「C先生は自分が求めるものとは(たとえばボーイングのスタイル)正反対だった。
W先生は自分とは相性が合わなかった。
どうしてもフォーヒャルトのあのボーイングを習いたい。
あんな音出したい。
わけもなく留学したいんじゃない。
つきたい先生に出会えたから留学したいんです。」

熱意は伝わったのか、Kは
「誰でもいいわけじゃないんだよね・・・。ワカル」
と言ってくれた。

この電話をきっかけに少しだけKが優しくなった。それまでは・・・。
何度かこのように電話で話をしていて、5月7日に対面したんだけど、仲良くなってから聞いたら、私の電話での印象はかなり悪かったらしい。あれはよくないよ〜と言われた。だって怖かったんだもん。だからいつも緊張してたの。

Kは、受験が終わるまで
「大丈夫」とか「なんとかなる」という言葉を、ただの一度も口にしなかった。
それは逆にありがたかった。

その代わり、あの電話以降何度か、電話の切り際に
「応援してます」
って、言ってくれた。
そのひとことが、うれしかった。無謀なことに挑戦してる私が、言われて一番うれしいひとことだった。


2002年01月08日(火) ありがたいな、と。

友達が、メールでこの日記の感想を送ってくれる。

パリ留学中のピアノ弾き。
ドイツ留学準備中のバイオリン弾き。
ドイツ留学準備中のビオラ弾き。
ゴゴティ。

古賀弦HP経由で読んでくれた、バス弾きSさん。

みなさん、どうもありがとう。

その中から、高校時代の親友のメールを(本人には無断で)紹介しちゃいます。
ちょっとうれしかったので。

許せ、M。
だめなら削除するからメールして。



のぶちん。お久しぶり。

新しい年だねー。元気??
今年もよろしくって遠いよね。
私は、年末年始と食べまくってました。

ドイツでのお正月はどうだった?? 

あのねーやっと見れたの。日記。
うーーーんおもしろい!!
日本出発する時とか、なんか、ジー-ンとした。
そんでもって、試験の時とかもう緊張しちゃって。
もっともっと色々あるんだろうけど、なんか、楽しそうなことから、
大変そうなこと、結構、分かった。(感想が下手でごめん。)
読んでて興奮しちゃって。

でも、えーー!!そんな事があったんだ!って今ごろ知ったりして
ちょい寂しい。。。しかし、どこにいても、のぶちゃんらしさが失われてなくて、(日記を読む限り)私は、うれしかったな。それにしても、良くがんばったね。
今ごろ言われても実感ないか。。。今は結構安定してるのかな?

私ものぶちゃんのように、たくましくありたいよ。
やっぱ会いたいなー。きっと生き生きしてるに違いない。

今年、一年良い年にしよう!!またメールするね。
Mより


なんか「今ごろ知った」ことを「ちょい寂しい。」と思ってくれるのって、ありがたいなと思ったので。


2002年01月03日(木) オイロ

ユーロ。ドイツではオイロと言う。
まだマルクで買い物はできるのだが、お釣りはオイロで来る。

混乱してるということは、ないみたいだけど、やはり今日は、スーパーのレジと銀行で多少並んだ。
スーパーのお釣りで、まず、オイロとの初対面。
2オイロツェント。軽くておもちゃみたい。でもぴかぴか。
ちなみに、オイロの下は、オイロツェントとかいうそうだ。

ど〜でもい〜けど、さっきから「お色」「お色」って、変換されてて、かなりうっとうしい。お色。ほら〜。

銀行のATMで下ろして、お札とも御対面。
150オイロが、5オイロ札30枚で出てきた。財布が折りたたまんないよ!
家賃のためにもうちょっと下ろさないといけないので、並びなおしてほかの機械から下ろし、今度はいろんなお札と御対面。
ピン札っていいね。お金がすべて新しい、汚れてないっていうのは、なんだか気分がいい。
お札には、橋とか門とかが、描かれている。人の顔じゃないのね。

家に帰って、ビアギットにお色で家賃を払ったら、まだ見たことなかったのよ〜と喜んでいた。

いつもビアギットは私の料理に興味津々なんだけど、今日はずっとキッチンで私が料理するのを横で見ていた。というか質問攻め。
今日は、何作るかあんまり考えてなくて、テキトウにするつもりだったんだけど。
一応メニューは、
白菜のベーコン煮
だし巻き卵
ご飯
梅干

ビ「これは、さくらんぼでしょ?」
伸「違う違う。(辞書を引いて)梅。すご〜くすっぱい梅。」

炊けたご飯の上に梅干を乗っけて、
伸「日本の旗!」

卵でもう一品しようと思い、普段ならテキトーにゆで卵かなんかにするところだけど、今日はビアギットが面白がるかなと思って、お弁当に入れるみたいな卵焼きを作ることにした。
伸「日本には専用の四角いフライパンがあるの。」
パタンパタンと卵を巻いていくと、ビアギットは予想通り大喜び。
ビ「今度二人でいっしょに日本食を作って、友達も招いてパーティしよう!」

ワインを出してくれたので、頂いた。話は尽きなかったので、ビアギットも一緒にワインを飲みながら、二人でいろんなことをしゃべった。
こういうときはどんどん聞きなおせるし、間違ったら直してくれたりするときもあって、途中からはドイツ語のレッスンみたいになってたけど、3時間ぐらいしゃべったかなぁ。
昼間の残り、いる?と、芋の蒸したのをくれた。直訳すると「甘いじゃがいも」という名の芋で、色はオレンジ色。名前のとおり甘みがあり、水分もけっこうあってなかなかおいしい。
ビアギットは、ワインのつまみに胡桃を食べてた。
私にも勧めてくれたので、専用の「胡桃割り」の道具でバキッバキッと(どっちかって言うと道具に興味があった私)胡桃を割って食べてみた。パカッと真っ二つに割りたいのになかなか難しい。けど、こういうの大好き。

胡桃はドイツ語でWALNUSSだって。ヴァルヌス。いかにもドイツ語って感じで可愛くない。
クルミ。日本語の方が可愛いね。


2002年01月01日(火) 反省

昨日はノモさん邸で、大パーティだった。

本当に、お酒弱くなったのね私。あ〜あ。

記憶、ぶっとびました。

やばいなぁ。久しぶりにやってしまった。
もうみんな、私と飲みたくないって思ってるかも。
なんであんなに酔っ払うようになっちゃったのか。
歳のせいか。・・・あ〜あ。

記憶とんだといっても、おぼろげに覚えてることはある・・・
でもここにはとても書けないような、すごいこと。
大人の集まりなのだ。年上ばかりの。
なのに、私一人、まるで大学の飲み会のように大騒ぎ。
ひとりどんちゃんさわぎ。
・・・書いてたら悲しくなってきた。


反省。


  
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