宇宙人がやってきた
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2002年03月28日(木) たぶんね・・・

駅へと向かう道の途中、
1件のファミリーレストランがある。

5年前、初めて妊婦になった私は
区の保健所が主催する、「母親教室」に参加した。
初日に、6〜7人ずつグループ分けされるが
地区別なので、みんな最寄駅周辺の妊婦さん。

週1回、通ううちに仲良くなり
最終日にお茶を飲んで以来
時々、みんなでランチをするようになった。

その場所が、駅への途中のファミリーレストラン。

7人のうち、2人は転勤、もう1人はフルタイムで働く妊婦さん。

なので残った4人で、よく集まった。
体重を気にしながらも、つわりも終わった安定期。
たいていランチのあと
「たまだから、いいよね〜」とか言って
デザートまでたいらげる。

夫や婚家の悪口、妊婦健診の報告、お腹の赤ん坊の性別、名づけ、
「マタニティスイミングに行く?」「私はマタニティビクス」
話題は尽きなかったし、本当に楽しい時間だった。

あの時、私たちの隣のテーブルに
きっと神様が座ってたんだ。

私たちを見ながら
「だ・れ・に・し・よ・う・か・な」と
指差してたのに違いない。

そして、知らないうちに
目があっちゃったんだろうな・・・・私。

あのときの仲間は、全員、元気な赤ちゃんを産んだ。
でも、「特別な子」を授かったのは、私だけ。

なんで、よりによって私なの?
ついてないよ・・・と哀しかった。

けれどもし、その神様と名乗る「不公平なオッサン」が
私たちを指差す、反対側の腕に
息子が抱っこされていたのなら

やっぱり私は言っちゃうと思う。

「その子を、私にちょうだい」って。


2002年03月25日(月) 極小旅行

週末、珍しく夫が下の娘を連れて出かけた。
帰宅は午後になると言う。

家事を片付け一服する。
コータはおとなしくブロックをしていたが
ビデオをかけてくれとねだり、かけてやるとゴキゲンでみている。

本当に手の掛からない子だわ・・とパソコンを開く。
掲示板にレスをつけたり、メールの返事を書いたり・・・
1時間ほど経った。

コータは、相変わらず楽しそうにビデオをみている。

そこに娘がいないだけで、何だかポツンとした部屋。
いつもはオモチャの取り合いで、ギャーギャーうるさい。
大好きなビデオで、ふたりしてゲラゲラ、キャーキャーうるさい。

今日は、コータがひとりでビデオをみている。
隣の部屋で、母親はパソコンをしている。

ふいに、胸がザワザワと波立つ。
こんなのって、良くない。
何か、大切なものをドブに捨てている。

息子のそばに行き
「コータ、ママとお出かけしようか?」ときいてみる。

「オデカケ・・・」
オウム返し、目線はビデオ、私を見ていない・・・。
だが、息子はトコトコとテーブルのそばに行き
置いてある着替えから、自分の靴下を選ぶと私にさしだし
「クッタ・・・」と言いながら膝に乗ってきた。“クッタ”は靴下のこと。

着替えさせると、今度はテレビのリモコンを持ってくる。
「パッチン、ちゅる」
出掛けに、テレビのスイッチを切るのは彼の仕事なのです。

玄関を出て、階段を降りながら、ドキドキする。
この次、この次が問題・・・。

まだ下の子が生まれる前、
「お出かけは、“車”か“ベビーカー”」と決めていたコータ。
今思えば、これこそが「こだわり」というやつだったのでしょう。

歩いて公園に行こうとしたり、散歩に行こうとして
家の前の道路で、しゃがみこんで大泣きする息子になすすべも無かった。
どう宥めようと、叱ろうと、どうにもならなかった。

その後、娘が生まれ、それ以来コータと2人で出かけたことはない。
しかも今日は、車がない。
大丈夫かな・・・。

案の定、駐車場に向かおうとするコータに
「車、乗らないの。歩いて、行こう。」と言うと
素直に手をつないで、家の前の道路を歩き出す。
駅まで、10分少々・・・子供連れなら20分かかるかな・・・
バスに乗ろうか、歩いて行こうか、思いあぐねていると
ふいにコータが早歩きになる。

つんのめるように歩き出し、半べそをかいている。
ダメかな・・・やっぱりダメかな・・・。
「おうちに、帰ろうか?」と言おうとして
怖がっているのは、私の方だと気が付く。
収集がつかなくなる前に・・・と、杖をつこうとしている。

もう少し、頑張ろう。
道路にひっくり返ったら、おんぶして帰ればいい。
娘を連れていない今日の私なら、それができるんだから。

「歩いて、行こうね」
「電車に、乗ろうね」と何度も声をかけながら、歩く。
駅までは、1本道。桜が満開。でも、楽しむ余裕は無い。

家を出て10分ほど歩いたか・・・半分は過ぎた。
手を離す息子。私の前を歩いて行く。
「コーちゃん」
声をかけると振り向き、笑って歩調を緩める息子。
これなら、だいじょうぶ。

桜の花びらだけでなく、花もいっぱい落ちている。
そのひとつを拾い、コータを呼ぶ。
「見て、お花、きれいね。」と渡すと
大真面目な顔で桜を自分の鼻に当てて
「オハナ」と言う。
その「ハナ」じゃないって・・・。

駅に着き、切符を買ってホームに降りる。
「行こう!行こう!」と何度も言う息子に
「電車が来てからね」とこれまた何度も説明する。

夫に電話をかけ、待ち合わせることにした。
娘は、泣いたり騒いだりしていないようで、こっちも安心する。

約束の場所までは、シーサイドラインという
モノレールのような電車に乗って行く。

最寄り駅から乗った「通勤電車」は喜んだがシーサイドラインの座席では、
落ち着かない様子で私の手を握ったまま、不安そう。

ドリームランドで、キッズコースターに乗ったときも、こんな顔だった。
1番前の車両に乗ったので、見晴らしがいい。無人電車なのです。
靴を脱がせ、窓の方を向いて座ってもいいよ、と言ったが
最初に座ったままの格好で、窓の外をみている。

10分、15分くらい乗ったか・・(憶えてない)
目的の駅につき、電車を降りると元気になるコータ。
待ち合わせ場所は、すぐ目の前。

「パパとリーちゃんのとこに、行こうね。」
声をかけると、ニコニコと早歩きになった。
ヒョコヒョコと、私の少し前を「欽ちゃん歩き」する息子をみながら思う。

君が歩いていくその先が、少しでも、明るく温かいものだといいのに・・・と。

私たちを待ちながら、食事をしていた夫と娘。
その店は、その日たまたまバイキングをしていたそうだ。
たらふく食べたあと、デザートの果物を5回もおかわりしたリスケ。
特に、「メロンの鬼」と化したそうで・・・よかった・・・別々で。

ちゃんと歩けず、すぐに脱線してしまい
あっちへフラフラ〜、こっちへフラフラ〜・・・。
駐車場から部屋まで5分足らずの道のりを、20分以上かける。

コースから外れると、コータがそばに行き
「行こう!行こう!」と怒るが、知ったこっちゃないリスケ。
でもって、コータもいっしょになって小石を拾ったりなんかして
すぐに「ミイラ取りがミイラ」になったりなんかする。

リスケが違う方へ行こうとすると、回り込んで「行こう!行こう!」
押したり、突き飛ばしたりはしないが、「手をつないで」もできない。
ひたすら回り込んで、最後はリスケを家への階段まで連れてくる。
まるで「牧羊犬」のようだが、結構助かったりなんかして・・・。

その晩は、8時前には寝てしまったので疲れたのでしょう。
今まで、ほったらかしになってた電車のおもちゃ。
今日はそれを出してきて
「でんしゃ、でんしゃ、ガタンゴトン〜」と言いながら遊んで
握ったまま、さっき眠ってしまいました。

ちょっとだけ、頑張った甲斐があったかな。
また、2人でお出かけしようね・・・。




2002年03月20日(水) お食事中の方は、ご遠慮ください

1人目の時は、「おしっこオムツ」だけしか頼めなかった。夫に。
下の娘が生まれ、「うんちオムツ」も、そこにいるモノが替える・・・という
新ルールができた。私が作った。強引に作った。

で、運悪く夫が「大当たり」を引くと(おもに週末)
「クサイ!クサイ!」と、大騒ぎしながら替える。

往生際の悪いオトコだ。

「ありがとねー」「助かるわー」と、妻も夫をねぎらう。

「本当に、コイツのはクサイな〜・・」・・・まだ言ってる。

「なんで、こんなクサイかな〜・・」・・・しつこい。

「なに食ったら、こんなニオイになるかな〜・・」・・・・・5回目、妻キレる。

「私は、毎日毎日、1日に3回はそれをしてるのよ」
引きつった笑顔で、夫に言った。・・・・・が、夫は

「あー!目にきたよ。ホント、クッサイなぁ〜!」と、
私の言葉なんぞ聞いてない様子。

・・・ふん、ウンチだもん。クサイの、あったりまえじゃん・・・。

いいニオイだったら、玄関に飾って「芳香剤」にするわよ。


2002年03月18日(月) 本当に、ありがとうございました

前回の日記を書いたあと
しばらく立ち直れなかった。
書かずにいられなかったが
書いたことによって、更に落ち込んだ。
恥ずかしくて、情けなくて、自分が嫌いになった。

「何回、言えばわかるの」
「どうして、そんなことするの」

大丈夫な日の私は
「子どもだもん、繰り返し教えなきゃ」と思える。

大丈夫じゃない日の私は
「障害のせい?一生こうなの?」と辛くなる。

無抵抗で
「ママ、ゴメンナシャイ」と泣く息子を
許さず、叱り続け、手をあげる。

そして、私の中の小さなスイッチが入りそうになる。
「虐待」という名の、小さくて恐ろしいスイッチ。
いつか、押してしまうのでは・・と恐怖でいっぱいになる。

こんな愚かな私に
たくさんの方々が声をかけてくれた。
掲示板で、メールで、
「だいじょうぶ」と
「アナタだけじゃない」と

電源を落とせば、それで終りの細い細いつながり。
お会いした事もなければ、声を聞いたこともない。
だけど、パソコンの向こうにいる人々に
今回、私は確実に助けてもらった。

「みんな同じ、きっと乗り越えられる」と勇気づけられ
「障害児の母だからって、頑張らなくていい」そう励まされた。
「私だって、こんなことがあった」というお話では、声を上げて泣いた。

月並みな言い方しかできないが、幸せだと思った。
5ヶ月前の私には、何もなかったから。
ネットをやって、本当に良かったと。

私が立ち止まっている間にも
日常は変わりなく訪れ、子どもも大きくなってゆく。
泣かずに闘い、悩まずに進むべきなのでしょうね・・・。
強くなりたい、とこんなにも強く願ったのは初めてです。
心から・・・・・。



2002年03月13日(水) どうにも・・・

朝から、子どもを叱ってる。
ガミガミと、叱り続けている。
大きな声で、恐い顔で、ずっと、ずっと、叱り続けている。

今日のこどもが、特に聞き分けないのだろうか・・・。
そんなことは無いと思う。
きっかけは、些細なことだったはず。

けれど、止まらない、止まらない・・・
叱り続けて、怒鳴り続けて・・・

何故、叱られても、またやるの
何故、同じことを言い続けるの
何故、わかってくれないの

やだやだやだやだやだやだやだやだやだ
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい
助けて助けて助けて助けて助けて助けて

自分が、どうなるのかわからない
今日は、頑張ってるお母さんばかりが、
ネットの向こうから飛び込んでくる

キーボードも、ディスプレイも、見えなくなってきた
だから、おしまいにします

また、お叱りのメールがくるでしょうが
今日は、お返事かきません
もうしわけありませんが、かきません
あしたも、きっと、かきません


2002年03月08日(金) 勇気を出して

昨日は、療育センターの日。
毎週1回、朝10時から午後の1時過ぎまでを、早期療育科で過ごします。
と言っても、あと1回来週でお終いだけど。

毎回、色々なプログラムが用意されていて
親子で遊んだり、課題をやったり、母子分離で懇談会や勉強会があります。

6月から始まったクラスなので、実質8ヶ月くらい(夏休み等があるので)
2才だった子は3才になり、3才だった子は4才に。
10ヶ月余り、見ていて思ったのは、やはり「早期」であることの意味。

初めは「集まり」の時に座っていることも出来なかった子が、
積極的に手遊び唄に参加したり、好きなプログラムの時は
自分から、椅子を運んだりする。言葉も飛躍的に増えている。
そして「後追い」「トイレ」など、目を見張るばかりの子もいる。

その子たちは、ほとんど2才で入ってきた子たち。
3才(今は4才)の子たちは、目に見えてわかる成長ぶりというのは
やはり2才の子たちに比べると、わかりづらいような気がする。
モチロン「成長していない」のでは決してない。
きちんと、その子なりのスピードと内容で、できることが増えている。

個人差もあるだろうし、環境や親御さんの考え方もある。
あくまで私が見たことを、私の主観で表現するだけなのでお許し下さい。

コータは、どうかというと・・う〜ん・・
あそこへ通ったから、こんなに伸びましたー!・・と感じられるものは
正直言って、それほどない。ただ、おおむね楽しそうだったこと、
家では「できない」「思いつかない」ことをやってもらったこと、
そして、何より私自身の為に、やっぱり良かったと思える。

生後10ヶ月の頃には、すでに公園で母に「ハァハァ」と息をきらせた息子。
つまり「多動」がスタートしていて、1才の頃のビデオや写真は
息子の背中を追いかける夫や私、といったものばかり。
だから、家の中のビデオが圧倒的に多い。

まだ小さいから、男の子だから、と自分を納得させながら
他の子とどんどん「違う子供」になっていく息子を
不安でいっぱいの気持ちで見つめるしかなかった。
どんな育児書にも、息子のような例は出てなかったし
「うちの子はそんなモンじゃなかったわよー」と言う先輩ママの話も
息子には当てはまらなかった。「違う、そういうことじゃない」と・・。

1番途方に暮れた、つまり「ひどかった」時期
リスケの出産(リスケが出産したわけではない)も近づいた9ヶ月目、
インフルエンザの予防接種の為、息子を病院へ連れて行った。
その頃の息子は、外では1歩も歩かなくて、抱っこかベビーカーだった。

帰り道、いっしょに行った友人が、病院の前の散歩コースに行こうと言う。
正直、帰りたかったが彼女に車で連れてきてもらった手前、断れなかった。
そこは川沿いの真っ直ぐな道で、珍しくコータも歩き出した。
友人の子は、息子より4ヶ月上の女の子で2才になったばかり。
母娘で川にいる、鯉や鴨を指差しペチャクチャと楽しそうに散歩している。

私は、彼女と会話しながらも少し先を歩く息子を厳しい目で見ていたと思う。
いつ走り出すかわからなかったし、当時は手をつないで歩くのも難しかった。

と、突然息子が走り出した。
「コータ!」と呼び止めるが、振り返りもしない。
全速力で追いかけるが、お腹が邪魔でもどかしいほど遅い。
息子との距離がどんどん離れていく。
友人も一緒に追いかけてくれるが、娘さんを連れている。

息子の向かう先に、大通りが見えた。
車がビュンビュンと走っている、そして右の方から大型車が来るのが見えた時
叫んだというより悲鳴を上げた「コータッ!!」
それでも全く止まらない息子とトラックが視界の中に入り
「もうダメッ!」と思った瞬間、
「誰かその子を止めて下さいっ!!」という友人の金切り声が聞こえ
通りがかった男の人が、息子を間一髪つかまえてくれた。

どうお礼を言ったのかもよく覚えてないが
その場で息子を叱った私の様子は、普通じゃなかったはず。
でも、息子は「普通」だった。泣くでもなく、動揺もしていない。
どんなに小さくたって、これだけの親の気迫がわからないなんて
「この子は、おかしい・・・」初めて私が思った日だったかもしれない。

それが原因というわけではないが、早産しそうになり
医者から安静を言い渡され、公園通いもやめた。
その後、約2年公園には行ってない。

あの頃、公園なんかで悶々と悩まず
療育センターの存在を知っていたら、訪ねていたら・・・。
この2年がもっと違ったものに、なっていたかもしれない。

早期に通って、「後追い」や「指示の通る」息子になっていたかもと
言っているのではない。そんな事にほぞを噛んでいるのではない。
ある意味、無駄に苦しんだ2年だった。
「障害を告知される」ことは勿論辛い事。
だが知らずにいて、目をそむけて、いつか治るわけではない。
「受容」と言うらしいが、そんな優しげな表現とは違う感情。

こんなに大切なのに、可愛いのに、どうにも頑張れない自分がいる。
障害がなんだ、と明るく前向きな日の私がいる。
けれど、私を見つめる子どもの瞳は、「ママ」と呼ぶ声はいつでも同じだ。
だから私も、いつでも温かい手で、子どもを抱きしめたい。

健診で指摘される、引っかかる事を恐れないで欲しい。
何でもなければ、いずれわかる。
「何かある」のなら、「いずれ」より早くわかったほうがいいのだ。
子どものためにも、不安な親のためにも。
ただ、真っ暗な中で苦しんでいるより
窓のある、ドアのある暗い部屋の方がいい。
光も射し込むし、勇気を出してそのドアを開けることもできるから・・・。






2002年03月05日(火) 1日坊主

恥ずかしながら・・・
トイレトレーニングというものを、やったことがありません。
「障害児だから」とか、そういう理由ではなく、単に面倒で・・・。

いや、正確には昨年の夏、3才半になった時挑戦しました。
1時間おきにトイレへ・・・・・紙パンツに出てる。
30分おきにトイレへ・・・・・出てる。
15分おきにトイレへ・・・・・「やーめたっ!」となりました。

1日で挫折したわけです。
「あ、カミナリ婆になりそう・・」と危険も感じましたから。

4才になったし、3月だし、また挑戦することにしました。

「コータ、トイレ行こうか?」
「行こ!行こ!」と、嬉しそう・・・わかっとんのか・・・?
手をつないで、ご機嫌でトイレへ向かいます。

ドアを開けて、子供便座にさっさと自分でまたがります。
「おしっこ、チーだよ。」
コータ、ニコニコ。

・・・1分、2分、3分、・・・5分経過。

「おしっこは?」ときくと
「出〜ナイ!」と元気に答える。
「チーだよ、チー」
「出〜ナイ!」
「おしっこチー!出るでしょ?」
「出〜ナイ!」
「あ、そ」

・・・ジュースいっぱい飲ませたのに・・・
が、いかんいかん・・無理強いは、禁止よね・・。

10分後、紙パンツが濡れてる。「・・・」

気を取り直し、またいっぱい飲ませ、今度は30分おきに誘ってみる。
「トイレ、行こうか。」
「行こ!行こ!」

ご機嫌で便座にすわり、ニコニコ。
余裕もできたのか、今度はキョロキョロし始め
飾ってある猫の写真や花、本などを手にとり眺めている。
そっか、気が散るのね。

周りのものを片付け、しまじろうの「トイレ絵本」を渡す。
「ヤーダ!」・・・いらない、あ、そう。

「おしっこは?」
「出〜ナイ!」
「出るわよ!」
「出〜ナイ!」
「出るってば!」
「出〜ナイ!ママ!オシマイ!」

この日は、終日これで暮らしました。(結局、無理強い全開)
張り切って行き、座ったとたんに「出〜ナイ!」

帰宅した夫に、さっそくグチる私。
「聞いてよ、コータったらさー!・・・○△※□・・・なのよ。」

黙って聞いてた夫がポツリと、「すごいじゃん」
なにがすごいの?1回も出来なかったんだよ。
「オウム返しじゃない」
・・・・・そういえば・・・・・。

普段なら、「出る?」ときけば、「デル」
「出ない?」ときけば、「デナイ」だ。
本当だ、すごいすごい!と、本来の目的を忘れて喜び合う父と母。

自閉症について、ご存知ない方が読むと
「何がスゴイ???」と、チンプンカンプンですね、すみません・・・。

で、トイレですが、その後1度も成功してません。
ウンチだけは、3才になった時から“事後報告”です。
オウム返しの「基本形」も、ちゃんと健在で
なんかホッとしたりして・・その方が、息子らしいから・・。

よく晴れた、洗濯物がうんと乾きそうな日に
布パンツで挑戦だーっ!(いつになるやら、のグータラ母)


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