宇宙人がやってきた
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2001年11月30日(金) 療育センター その2

別の日に、また発達検査を受けた。
今度は臨床心理士の検査だそうだ。
前回の医師には、早期療育科をすすめられていた。
保健婦も、「訓練云々〜」と言ってたが
何が、訓練よ。犬じゃあるまいし・・・。

とにかく、もうこれ以上傷つきたくなかった。

通された部屋は、広々と明るかった。
男の先生が、大きな声で「こんにちわ!コーちゃん」と言った。
コータは小さな声で、「コン」と言った。コンニチワのことだ。
先生は、優しい笑顔でウンウンと、うなずいた。

夫と私が、その先生と話している間
少し離れた場所で、もう1人の女の先生と、息子は課題をやっていた。
やはり、パズルや、知育オモチャのよう・・。

質問の内容は、それほど変わらなかった。
生育歴や、現在の様子である。

コータが、私のヒザに飛び乗ってきた。
手には小さなままごとの、パンを持っている。
「パン」・・ニコニコと嬉しそう・・リラックスしている。
コータは何度も、オモチャを見せにきたが
あの時の保健婦のように
「ちゃんと座りなさいっ!」などと、先生は叱らなかった。

「コーちゃんとお母さん、すごくいい感じ
よくコミュニケーション取れてますね。」
初めて、コータのことを、ほめてもらった・・涙が、出そうだった・・。

課題もできないことだらけだった筈なのに
「コーちゃん、こんなことできました。」
「こんなこと、得意みたいです。」女の先生が、熱心に説明してくれる。
その先生の笑顔も、とても優しかった。

「息子は、やはり・・自閉症ですか?」
「う〜ん・・確かにあてはまるところもありますが、
あてはまらない部分もあって、今の段階では、何とも言えないですね・・
ただ、遅れが少し見られるので、小さなお子さんのクラスに
週1回、通ってみませんか?」

・・きた!・・「訓練ですか?」身構える私。
「ハハハ・・そんなことしません。遊びが中心なので
幼児教室みたいなつもりで、どうですか?
同じ悩みを持つお母さんも、たくさんいらっしゃいますよ。」

最後の部分に、気持ちが惹かれた・・。
そうなのだ、こんな悩みを持つ母親は、公園になどいないのだ。

「わかりました。どうぞ、よろしくお願いします。」
「大丈夫ですよ。一緒に、頑張りましょう。」

そして、存在も知らなかった療育センターへ、通うことになった。


2001年11月28日(水) 療育センター その1

初めて電話をかけて、予約がとれたのは4月。
受付の前には、何組かの親子がいる。
どこも悪くなさそうだけど、
何となく、雰囲気の違う子供たち・・
どうして、自分が、ここにいるのか、わからなかった。
これは、何かの罰なのか・・
ボンヤリ考えているうちに、名前を呼ばれた。

小さな診察室に通され、中には年配の医師がいた。
「何が好きかな・・」そう言いながら出してきた
積み木やパズルを見て、保健所での苦い思い出が、甦る・・。

遊んでいる息子を眺めながら、成育歴や現在の様子
そして、訊ねてきたいくつかの質問は、
何冊も読んだ自閉症の本の中で、見たものばかりだった。
医師は、あてはまるところで、大きくうなずき
あてはまらないところでは、小さく首をかしげた。

「自閉症ですね。遅れも、かなりあります。」

私たちにとって、一生忘れられない言葉を、
いとも簡単に、言ってのけた。

「でも先生、息子は言葉も出ていたし、バイバイとか・・」
「全部、消えたでしょう?」遮るように、医師は言った。
「程度としては、決して軽くないですよ。」
トドメまで、さされた・・・。

帰宅して、自閉症の本を開く。
「あやしても笑わなかった」・・・そんなことない
「抱かれるのを嫌がった」・・・・そんなことない
「睡眠時間が短い、または不規則」・・・いいえ
ほら、どれもあてはまらないじゃない
赤ちゃんの頃の質問は、全部「いいえ」だった。
幼児の項を見る・・ひとつの質問が、私を捉える。

「意味もなく横目で物を見たりする」
・・やる・・子供はみんな、やるのかと思ってた。
「欲しいものがある時は大人の手を使って示す」
・・やる・・喋れないからだと思ってた・・。
やっぱり、やっぱり、コータは“自閉症”なの・・?

「赤ちゃんの頃、できていた事や出ていた言葉が消えるのを
“折れ線型”といい他のタイプより重く、一般的に予後は悪い」

フラフラと、それでも立ち上がろうとしていた私は、マットに崩れ落ちた。
TKO負けか?いや、KO負けだ・・完全に、打ちのめされたのだ・・。


2001年11月26日(月) 3歳児健診

3歳児健診の日がやってきた。
その頃になると、コータの遅れは明らかだった。
予診票の欄は、悲しいくらい「いいえ」だらけだった。
それでも、まだ、私は信じていた。
言葉が、少し遅れているだけ。いずれ、追いつく・・と。

その保健婦は、二コリともせずに訊いた。
「お名前は?」・・・ボンヤリとしている、コータ。
「まだ、喋れないので・・」という私に「エッ?」
険しい顔で、バサバサと書類をめくっている。
「なんで、1歳半健診で、引っ掛からなかったんだろ」
聞こえよがしに、そう言うと“居残り”を告げた。

ずいぶん、長い時間待たされた。
別室の、ポツンと置かれた机で、尋問は再開された。

「お名前は?」・・・だから、喋れないって言ってんだろーが・・・
壁のポスターを、ボンヤリ見ている息子。
保健婦は、イライラと質問を繰り返す。「お名前は?」
コータは、保健婦の方を、見もしなかった。

バンバンッと机を叩き「お名前はっ!?」怒鳴る保健婦。
驚いたように、コータは、保健婦の方を見ると
「ゴッ!ゴッ!」そう言いながら、一生懸命に手を合わせ
“ごちそうさま”のジェスチャーをしている。

見かねて「すいません。もうやりたくないようなので・・」と言うと
厳しい顔で「来年、幼稚園を考えていらっしゃるなら、
今年どこか幼児教室にいれないと、追いつけませんよ。
でも、これじゃ、普通の教室はムリかもしれないけど・・。」

「3歳児というのは、知らない場所で、知らない人に対して
テキパキ答えたり、初めてのことが、できなきゃいけないんですか?」
息子の名誉のために、一言でも言ってやりたかった。

「幼稚園は、知らない場所で、先生は、よその人でしょう?
そんなの、言い訳にならないし、さっきの課題は1歳半用ですよ」と保健婦。

なに?なんなの、この失礼な言い方。
課題?さっきのパズルのこと?

「うちでは、いつもできてます。
自分のと違うから、手にとって眺めていただけで・・」
保健婦は、もう私の言うことなど、聞いてはいなかった。
そして、言った。

「自閉症と、知恵遅れだと思われます。
私は、専門家じゃないので、ハッキリとは言えませんけど。」
・・・・・ハッキリ言ってるじゃないのよ・・・・・

こういう保健婦は、残念ながら実在するんですよね・・・。

そして、私たちは、療育センターの存在を知った。


2001年11月24日(土) 片想いの私

コータ2歳4ヶ月。下の娘“リスケ”が誕生。
前回、36時間かかった出産も、2度目は1時間半という
文字通り「あっという間」の、お産であった。

コータを産んだ病院は、6人部屋だったが
2人目だという人がいて、面会時間になると
上の子が飛び込んできて、帰りに必ず、ワーワー泣いた。

「うるさいな」と、「ロビーでやってよ」と正直思った。
そこは、大きな病院にありがちな、授乳、沐浴指導、勉強会と
スケジュールびっしりの、忙しい産科だったから
見舞い客が無い時は、皆、少しでも眠っておきたかった。

リスケを産んだところは、こじんまりとした産院。
個室なので、あの時の子みたいに、
「ママーッ」って、コータが飛び込んできても大丈夫。
帰りに、泣いたって、大丈夫。
早く、早くコータが来ないかな・・・。
産んだばかりの娘より、コータに逢いたくてたまらなかった。

部屋に入って来たコータは、私の事など見もせず
小さなベッドの中の、リスケを一瞥すると
テレビを少し見て、主人の手を引っ張り
しきりに、「帰ろうよ」という素振りをする。
その態度は、入院していた5日間、変わらなかった。

またしても、肩すかしを食う私。
コーちゃん・・どうして?
コーちゃんは、ママがいなくても平気なの?
・・・コーちゃんに、ママは見えているの?・・・


2001年11月22日(木) 全ては、始まっていたんだね

コータは、2歳になった。
その頃になると、ベビーカーで公園に来る子は、殆どいなかった。
母親と手をつなぎ、お砂場セットを持って、やって来る。

楽しそう・・・私たちも、歩いて行こうよ コーちゃん。
ダメなのだ。
家を出て、そこでもう大騒ぎ。
歩き出そうとする私に、なぜ、ベビーカーを出さないのだ!と。
何日か繰り返し、どうやら歩くようになった。
                
今日は、ハガキを出したいから、その先のポストへ寄って・・ 
ダメなのだ。
私の手を引っ張り、大泣き。
少しでも、いつもと違う道を行こうとすると、大騒ぎをする。
帰りに、スーパーへ寄ることも、できなくなった。

おとなしく、絵本を見ているので、読んでやろうとすると、
パタン、と閉じて、いなくなってしまう。
ついこの間まで、読んで読んで!と、うるさかったのに・・。

楽しそうに、幼児番組をみているので、一緒にと思い、
体操をしたり歌うと、とてもイヤがり、あっちへ行け!というしぐさ。

少し前、流行っていた“だんご三兄弟”。
コータも大好きで「ダンゴ!ダンゴ!」と歌っていたのに、
久しぶりに、TVの画面に映った瞬間、泣き喚く。

1日中、ジッとしていることの、無い子だったのに、
なんだか、いつもゴロゴロしている。

子供って、こんなものなのかな・・
きっと、私があまり、遊んでやらないからだよね・・・。

気がつくと、お返事「ハ〜イ」やバイバイの
赤ちゃん芸をしなくなり、
いくつか出ていた、言葉も、消えていた・・・・・。


2001年11月20日(火) 1歳6ヶ月児健診

若い保健婦さんだった。
絵カードを見せながら、
「ワンワンは、どれかな〜?」・・・コータは、無視。
「ブーブーは、どれかな〜?」・・・チラッと、一瞥。
「それじゃー、クックはどれかな〜?」
うるさそうな顔で、そばの赤鉛筆を取り上げると、
絵カードに、グチャグチャと落書きを始める、コータ。

「ウ〜ン・・おうちでの様子は、どうですか?」
「いえ・・あの・・」と、口ごもる私に
「まだ小さいですからね。勝手が違うと・・ね。
 特に心配なことが無ければ、大丈夫ですよ。」
そして、私たち親子は、釈放された。(ホントにそんな気分だった)

いっしょに行った友達は、“居残り”になり
「『夜、寝るのが遅過ぎますね』って、生活リズムの指導だって。
大きなお世話だよ。年配の保健婦は、ウルサイのかな。」と、プリプリ。
生活指導するだけで、“口うるさい年寄り”扱いされる保健婦さんも
気の毒だけれど、健診を受けに行く母親の心は、傷つきやすいのだ。

その後、無事に“居残り”を済ませた、友達を待って
帰りながら、「ね、言葉でた?喋る?」訊いてみた。
「うち?ぜ〜んぜん。まだ喋んないよ。」
例によって、ホッとする私。
「絵カードの指差し、できた?」さらに訊いてみる。
「うん。でも“ハサミ”はできなかった。知らないから。ハハ。」
そっか・・・やっぱり、普通はもう、できるんだ・・。

見ていると、その子は、盛んに指差しをしている。
何かを見つけた。あれは何? ママ見て見て!
言葉は無くても「ん!んー!」と、母親に
眼で、指で、全身で、気持ちを表している。
「ジュース飲む?」「おクツ脱ごうか」母親の言う事にも、
うなずいたり、ううん、とかぶりを振る。

コータも、そのうちこんな風に、私を見つめてくれるのかな・・。

だけど私は、保健婦さんに相談するべきだったのかもしれない。
指差し、しません。呼んでも振り向きません。普通に、遊べません。
・・・息子と、気持ちが、通い合わないのです・・・と。




2001年11月19日(月) 気がつけば・・・

コータの発達は、順調でした。
4ヶ月で寝返り。
誰にでも愛想が良く、「アーアー、ウーウー」と話しかけてました。
5ヶ月の終わりには、つかまり立ち。
6ヶ月、ずり這いが盛んに。
7ヶ月、つたい歩き。名前を呼ぶと「ハーイ」の赤ちゃん芸。
8ヶ月、突発性発疹。覚悟はしていたけどドキドキ、ハラハラ。
9ヶ月、ひとり歩き。
10ヶ月、公園通いが日課に。バイバイができるように。
母子手帳の「○○できますか?」は、全て「はい」
病院の健診でも「順調ですね」健診が、楽しみでした。

1才を過ぎても、言葉がでなかったけれど
“男の子は遅い”“運動面の早い子は口が遅い”
そんな周りの声や、迷信を信じて心配はしてなかった。
それどころか、同じ月齢で、まだ歩けない子もいるなか
公園の滑り台をマスターし、掴らずに階段の昇り降りをする息子。
「すごいね〜」とか言われて、嬉しかった私。
それが“普通ではない”ことに
ボンヤリと気付くのは、その半年後なのだけれど・・。

とにかく、ジッとしていない子でした。
公園に着くなり、親を振り返ることもなく走り出す。
滑り台をしたかと思うと、動いてるブランコに突進しぶつかり、
驚いてる親子に、私が謝っている間にも
遥か向こうの車道に、飛び出すところを通りがかった人に、押さえられている。

「お母さん!ちゃんとみてなきゃ!!」
見ず知らずのオバサンに、叱られたことも何度あったか。
帰りたい時には、さっさとベビーカーに乗り込み
私が立ち話をしていたりすると、ギャーギャー喚く。
私だって、仲良くなったお母さん達と、砂場でお話したい。
皆が楽しそうに喋っている時も、私はひたすら息子を追っかけていた。
無理に砂場へ連れていっても、
砂を口に入れるばかりで、他の子の様にオモチャでは遊ばなかった。

なんで?なんでなんだろう
うちの子、何故みんなと違うんだろう・・。
「皆そーよー、ウチの子だってそうだったわよ〜。」
先輩ママは言うけれど、やっぱり息子は他の子達と違ってた。

そんな頃、保健所から“1歳6ヶ月児健診”の知らせが届いた。
予診票に記入しようとして、ふと、手が止まる。
「いいえ」が、いくつもあるのだ。

“ママ、ブーブーなど意味のあることばをいくつか話しますか”
・・・・いいえ
“うしろから名前を呼んだとき、振り向きますか”
・・・・いいえ 
“欲しいものや興味のあるものを指さししますか”
・・・・いいえ
他にもいくつかあったが、完全に手が止まってしまったのは
“どんな遊びが好きですか”という質問。


・・思い浮かばなかった・・ムリヤリ思い起こしてみても、
積み木を高く高く積み上げる・・くるくる廻り続ける・・
ミニカーの車輪を回し続ける・・・そんなの『遊びの例』には書いてなかった。

やっぱり、息子は変なの?もしかして、ちゃんと育ってないの?
   


2001年11月16日(金) 青天のへキレキ

<1998年 10月>信じられないことが、起こった。
その年の8月頃から、夫がしきりに言っていた。
「今年のベイスターズ、もしかして、もしかするんじゃない?」と。
「まさか。優勝したら、大地震か核戦争だよ」と私。

私は、大洋時代からのベイスターズファン。が、横浜はヨワイ。
長いこと“横浜大洋銀行”とか言われて、くやしかった。が、横浜はヨワイ。
「私が生きてるうちに優勝したら、奇跡だね」そんなこと言ってた。

・・大変だ・・核戦争か?いや、ノストラダムスだ。人類滅亡だ。
来年は、1999年。7の月だっけ?予言は本当だったのか・・。

翌年、人類は滅亡しなかった(あたり前だが)
車に轢かれたり、放火されたりすることもなく、泥棒も入らなかった。
「な〜んだ 大丈夫なんだ。喜んでいいんだ〜。」
全然、大丈夫じゃなかった。

その年、我が家にやってきた初めてのBabyは、“障害児”だったのです。


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