2003年12月23日(火) 鬼怒無月氏  勝井祐二氏 ソロライブ

慌しい年の瀬となってまいりました。ゆっくりとこの1年のことを振り返りたいのですが、来年の2月にはマタハリで素敵なライブが2つもあって、既に気持ちは先へ先へと向かっています。

2月13日は鬼怒無月さんのソロライブです。
確か去年の12月、一宮プレゼンチで行われた鬼怒さんのソロライブに私とTAKEDAは行ったのでした。アコースティックギター1本ですが、これがたった1本のギターから奏でられる音かと思うほどで、ギターについてわからない私でも、鬼怒さんのギターテクが超絶であることがわかるほどでした。
とても繊細にして、男も女も泣ける超絶テクですのよ。そして、その姿からは、鬼怒さんのかつてのギター少年だった姿が今も感じられ、何故だか切ない気持ちにさせられましたわ。
鬼怒さんのライブ、うちでもやれたらなあとその時に思ったのですが、その夢が叶って今からウキウキです。

さて、2月27日は勝井祐二さんのこれまたソロライブです。
今日もあるお客さんと話してました。
以前、私が彼女に渋さ知らズのメールスでのライブビデオを店内で見せていた時のことです。そのビデオはカメラのポジションが限られているせいもあって、勝井さんがしょっちゅう映るのです。その姿を指差し、「これが勝井さんだよ。ROVOとゆーバンドもやってるんだよ」と言ってました。その当時、彼女はまだ勝井さんを知らず、しかし渋さにハマったばかりだったのでした。
その彼女がROVOや渋さ知らズ、鬼怒さんの参加するオパピニアのライブに行き、地底レーベルやまぼろしの世界レーベルのCDを買い集めだしたのは最近のことです。今では、彼女はものすごくこの2/27の勝井さんのソロライブを楽しみにしているのです。そんな彼女のワクワクを見ていると、私も本当にワクワクしてしまいます。

本当に楽しみだわ、2月が。
ライブに関する詳細は、うちのHPの「お知らせ」の所にあるので、興味を持った方は見てくださいね。



2003年12月16日(火) 野本和浩さんも逝ってしまいました

訃報が続く年の瀬です。
大原さんの訃報を聞いたのが12/13(土)でした。15日、シカラムータのライブのために今池TOKUZOに行くと、今度はサックスの野本和浩さんの訃報を聞きました。
野本さんは何度でライブで見たことがあります。その殆どはヒカシューで、でした。20代の頃、ヒカシューが大好きで、名古屋でライブがあれば出来る限り行きました。野本さんはそこのサックスだったったのです。野本さんを見たのはそのヒカシューのライブのみでしたが、参加してた「ベツニナンモクレズマー」も大好きなバンドの一つで、うちでよく聴いていました。
そんな感じで、ヒカシューが好き、ベツニナンモクレズマーが好きで、では野本さんが特別好きだったかというとそうでもなく、ただお名前だけをこうして存じ上げているというぐらいなのです。
それでも、やはりこうした訃報を聞くと、一つの生が終わったことについていろいろと思ってしまう一日となりました。

野本和浩さんのHPを、こうなってしまって初めて知り、そこを読んでみました。野本さんは癌でなくなったそうなのですが、なんとその2日ほど前までWEB日記を付けていたのです。癌と知ったのはもう随分前だそうで、入退院を繰り返して、音楽に付いて考え、自ら「ひまじん」と称してテレビを見、デモに参加し、そんな日々を送っていたようです。体の痛みや鬱とも付き合っていきながら。
日記の中で一つ、非常に心に残った言葉がありました。
痛み止めを飲んでも痛みが消えないと病院に行った時、かなりの量のモルヒネを処方してもらったそうです。袋にも「麻薬処方箋」と書かれていたとか。ちょっと驚いていると、「痛みを我慢するなんて馬鹿馬鹿しいからね」とお医者さんが言ったそうです。
どうしても、どんな時でもどこかに「我慢しないといけない」という考えは存在します。いえ、私自身は我慢しない主義ではあるのですが、しかし「闘病」という言葉には「痛みに耐え、それと闘う」というニュアンスを感じるのです。
勿論、「我慢」が全く不必要だとは思ってはいません。でも、人間ぎりぎりのところで、命の長さは限られていて、そんな所で痛いことに苦しんでいるだけの生き方のどこが楽しかろうか。なんだかこの「痛みを我慢しているなんて馬鹿馬鹿しいからね」という言葉は、とても強くて、希望を感じるのです。きっと野本さんは、出来る限りの所までいつものように生きよう、としていたのではないでしょうか。勝手にそんなことを想像しています。

野本さんのHPの掲示板では、もう現実にそれを見ている野本さんはこの世にいらっしゃらないけど、大勢の友人の方々が野本さんに言葉をかけています。「あの世」を信じるのは、残された人間にとってとても大切なことのように思います。私はまだ「あの世」というものを強く信じることが出来ませんが、でも野本さんの最期、そして最後に脳裏に浮かび上がった風景が、穏やかで楽しいものであってくれたら、と思います。



2003年12月13日(土) 大原裕氏の冥福を祈って

今日は朝から死にまつわる話で始まった。新聞で名古屋での火災による死亡事故のニュースを見たからだ。亡くなったのは1歳・2歳・3歳・4歳とすべて年子の子供で、母親が出掛けたあとに火災があり、子供達が亡くなったそうなのだ。その子供達の名前は皆、ものすごく凝っていて、子供が生まれ、そして名付けた時の真摯な愛情が感じられる。それでも、4人の子供はすべて、一瞬のうちに亡くなってしまったのだ。そのあまりの重さにどうにも胸が痛くなる。
夕方、私の友人から、その友人の友人で、小児癌のために幼い子供を亡くした人の話を聞く。以前から話は聞いていたけど今日はより詳しく話を聞いたのだ。生きていく上ではどうしたって大切なものを失うということは、いやでもある。失ったものと同じものを補うことは出来ないけれど、失った悲しみと同じ重さの喜びがなければ、生きていくことは本当に重過ぎる。まだ会ってはいないその女性に、そんな喜びの時間がいつか訪れることを祈るばかりである。

そうして夜、大原裕氏の訃報を知らせてくれた電話があった。
とは言え、私は実際に大原裕氏に会ったことも、また生のライブを見たこともない。TAKEDAは昔、関西で、内橋和久、芳垣安洋、そして大原裕を含む「ファースト・エディション」のライブに行ったことがあるそうだが・・・。
私は、98年の渋さ知らズのメールス・ジャズフェスティバルのビデオの中にいる大原裕氏の映像を見たことがあるのみで、彼の率いる「大原裕ブラスバンド」も「リブ!ラフ!」も聴いた事がない。
しかし、ちょうど2〜3日前、店で、大原裕、芳垣安洋、船戸博史の「サイツ」のCDを久々にTAKEDAがかけてて、「かっちょええなぁー」なんて言ってた所だったのだ。本当に、私たちが「オオハラユタカ」という名前を口に出して発音したのは1年だか2年ぶりぐらいで、その「サイツ」をやってた芳垣さんは昨日お店に来てくれて、船戸さんも先月はうちでライブをやってくれて、そして大原さんは亡くなってしまった。なんだか変な感じだ・・・。誰かが亡くなる時、というのは、そうやって妙な符号をあちこちにばらまくのかもしれない。

「大原裕」という名前でインターネットで検索をかけてみた。そこにひっかかった様々なライブレポートを読んでみた。そして私は、生で一度、聴きたかったなと寂しい想いがした。
明日また、「サイツ」のCDをかけ、静かに冥福を祈ろうと思います。



2003年12月01日(月) ブリジッド・フォンテーヌ

お店でかけるCDをチョイスするのは、その時々の気持ちの変化や、その場にいらっしゃるお客さんの雰囲気で選んだりします。でもやっぱり仕事をするのに気持ちがいいのは体が踊ってしまうような音楽です。
さて、最近の私のハマりものは、ブリジッド・フォンテーヌが97年に出した「ル・パラス〜きらめきの部屋」です。


ブリジッド・フォンテーヌを聴いたのは私がまだ学生だった80年代です。曲は勿論、「ラジオのように」。1970年の曲です。
当時TAKEDAはフリージャズを聴きまくっていて、彼の下宿へ行くと、よくアート・アンサンブル・オブ・シカゴのLPをかけてました。確か「苦悩の人々」だったっけか? 今聴くとまた違った感想があるのですが、しかしその頃の私にはその音楽はさっぱり馴染めませんでした。でも、そのアート・アンサンブル・オブ・シカゴとの共演による「ラジオのように」にはとっても魅せられてしまったのです。

さて先日、中古CD屋さんで、このブリジッド・フォンテーヌの「ル・パラス」を見つけました。「ラジオのように」があまりにも良すぎて買うのが少々恐い気もしました。しかしこのアルバムのジャケットの、60代に入ろうとしているブリジッド・フォンテーヌのなんとも魅力的な姿! それを見てすぐに買いました。

このアルバム、ホントに踊りだしたくなるような曲調です。かけてるとホントに楽しい。そして生に対する喜びと怨念を感じる声。
それから、思慮深そうな歌い方と、歌うことに対する自由さ。
んー、例えばヒップホップ系のラップは、結構言葉をちゃんとリズムの中にうまく当てはめて歌ってる、ように思う。しかしブリジッドは、歌おうとして口を開けた途端、「あ、歌うよりもちょっと語りたいわ」と突然思いついて語ってみては、また気まぐれに歌っちゃったりしてるような、そんな歌に対する自由奔放な感性を感じるのです。
このCDをかけていると、何かが体の内側から湧き上がってきて、仕事をするのがとっても楽しくなる、そんなアルバムです。


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