ふつうっぽい日記
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昨日、六人の親戚筋に手紙を送った。
彼らの多くが75歳を超えている。 切実な現実をワープロ的な文字で伝えられることに抵抗があるかもしれないけれども。
とにかく、状況を知らせておきたいと思ったのだ。
「もしも」に備えてという思いもある。
途上があれこれと交錯して、その声が届けられることを想定しての先回りとも言えようか。
知人を巡るごく親しい人には、そのことを伝えておいた。 六人に手紙を送ることと、その内容を知らせた。 特に、抵抗はなかった。
来週の初めには、届けられるであろう。 それから、彼らがどういう行動を取るのかまでは想定は回らない。
多くの友人がそうであるように、穏やかなる無視となるのか。 それでも知人にしてみれば、多くが血縁、肉親ともいえよう。
兄弟。
年老いた兄弟のことを知る。 知人は、次男である。 長女さんは、もう10年以上前に「天使」となった。 長男と、3名の弟、知人の配偶者の兄の配偶者、長男の娘つまりは姪っ子に手紙は送られた。
手紙の作成主は、私である。
六名中の四名は、LINEでも繋がってはいる。
手紙の感想なりは、LINEで返信があるのかもしれないけれども。 受け取り方は、自由である。
年末年始は、実は激動であった。 今となれば、貴重な経験や選択の連続であった。
やや、俯瞰することを意識して書くことにしよう。
まず、旅先で知人が倒れた。 知人は、親戚と一緒に行動していたと聞き、若干、安堵もあった。 知人は、即入院となった。
私は、旅先でもしも命を落としていたら。。。 という想像をしていた。 実際、検索してみた。 現地で、火葬までして遺骨を持ち帰る。。。ということも、あり得たのかもしれない。
知人の様子を見舞うために現地へ向かった。 旅先よりも住みなれた土地が良かろうと医師は言う。 そりゃそうだろう。 「明日なら、転院が可能です」 と病院サイド。
私と他の人間が、30分くらいかけて考えた。
転院させるということ。 旅先ゆえに、救急車は使えない。 介護タクシーを使うことになった。 「羊」がイメージキャラクターになっているらしい、サービスの会社であった。 知人は、未年であった。 だからどうした。 「羊」さんは、とても丁寧であった。 旅先からコチラへは12万円だった。 酸素吸入が必要となった場合は、14万円だと告げられていたが、不要であった。 病室へストレッチャーが運び込まれ、知人は載せられた。 そのストレッチャーごと介護タクシーの中へ。 私と連れの他の人間が同乗。
この決断は、正しかったのか。 知人の配偶者は、入院中であった。 しかも手術日であった。 この日。
配偶者の手術の「立ち会い」も求められてはいた。 しかし、実際、「立ち会い」といっても現実的なものではなく。 「できれば」という範囲であった。
この日。 こちらは、雪の予報で、高速道路も通行止めだったり、一般道も渋滞していたり。 何もこんな日に。 「羊」さんは、言った。 「普通は、1週間前とかなんですよ。 でも、明日ですか?!」って。 それでも引き受けてくださった「羊」さん。 後に知ったが、「羊」さん等は、ご夫婦であった。 ドライバーと付き添いスタッフ。
知人の配偶者は、無事に退院した。 食欲も旺盛である。
知人は、2度の転院をして、入院中である。 奇しくも、私が居住する住宅の近くである。
知人には、面会できない。 インフルとかコロナとかそういった関係で。 去年の12月からそうであるらしい。 その環境ゆえに、さらに、認知機能は低下していくだろうということが想像された。
昨日、知人の配偶者の通院に付き添った。 ついでに私の眼科への通院にも付き添ってもらった。
何事も支え合いである。
先週、知人の絡む介護保険の申請にも立ち会った。 病院へ連絡をすることになっているが、まだできずにいる。
申請。 まだ、こちら側の受容が整っていないうちに、行動を起こすように打診されるのか。 権利ではある。
とはいえ。 とはいっても。
そんなものなのか?
確かにその途上で、受容は促されそうではある。
でも。 なんだかなぁ。
こういう状況で、支えるカウンセラー的な人はいないのか?
病院で受けていたとのちに聞かされることになる、認知症テストの結果。
そうやったんか。 なぜ、「その時」に知らせてくれなかったのか? 人が一人入ると、その情報は、軽くもなるのだろう。 だからこそ、衝撃は軽く済んだとも言えるかもしれないけれども。 それでも、結構キツかった。
知人のリハビリとやらは、進んでいるのだろうか?
まだ始まったばかりである。 というか、もう始まっているのかも疑わしい。
知人の配偶者は言っていた。 「脅されているみたい。」
脅しで終われば良かろうが。
後から、聞いてない、と、言わせないためか。
「介護サービスを受けたいから」
そう、申請書には「書かれた」 なんだか、意思があるみたいだな。 まだ介護がどうとかそういうのは、現実味を帯びてないのに。 いや、実際は「あちら側」から見ると、十分にそういう現実なのだろうけれど。
知人の配偶者は言っていた。 「(着替えができないのは)甘えているんですよ」
それは違うだろうとは私は思った。 「着替え方が分からないのでしょう」
少しずつ、少しずつ、「プツン」と切れていったのであろう。
こんな感じの年末年始であった。 まだ「途上」である。
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