ふつうっぽい日記
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2022年09月14日(水) ただの愚痴で終わらせないように

昨晩は、午後10時過ぎに就寝。
いつもより早目である。
さらに、朝起きるのも少し遅くなった。
随分と寝てしまった。

ここ1年ほど、腕時計をして寝ている。
睡眠の状態を知りたいから、というのもある。
そう、睡眠の記録ができる腕時計というわけだ。
アラーム機能もあり、振動で伝えてくれる。
その振動が、今朝は夢と連動されていて、異常な脈打ちだ、と、焦っていた。
そこで目が覚めて、アラームであることを意識したのだった。

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最近、たまたま見つけたロール型ペンケース。
時間差で2色買った。
一つは、万年筆を入れ、一つはボールペンを入れている。
賢いことに、このペンケースは立つことができる。
なかなか便利である。
万年筆のペンケースは、ロールタイプで実は5つ以上所有している。
立つことのできるペンケースには、所有しているそれぞれのロールタイプから、選抜して収納してみたのだった。定期的に、選抜を変更しようと思っている。

万年筆との出会いも、たまたまだった。
街の雑貨屋で『万年筆のお手入れの仕方』という映像が小さな画面で流れていて、足を止めたのだった。
それまで万年筆は所有してなかったと思う。
なんだかお手入れは、難しいと思っていたけれど、今では、ふつうである。
最初に買った万年筆は、パイロット製。
ラッキーなことに、「お手入れセット」という付録を付けてくださったのだった。
小さな箱に、青いスポイドとお手入れの仕方の冊子が入っていた。
それから、万年筆は増殖していき、インクも増殖していき……。
「インク小屋」という収納もあるほどだ。
まぁ、この収納は、CDが収納されていたのだけれど。
大阪、神戸、東京など訪問する時は、文具屋を散策するのが楽しみなのであった。


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近い将来になるのか、ずっと先になるのか、消滅してしまうことになるのか、分からないが「愚痴」を聴くことになりそうだ。
「聞かされる」という表現は避けたいと思って、「聴く」とした。
身近な人に語る、ということもやったらしいが、「辞めればいい」と一掃されるらしい。

メッセージが固まったままなのだろう。
語るコトバは、ほぐされたいのだ。
語る言葉は、始めは固い、痛い。
語られていくほどに、ほぐされていく。
そのほぐされたコトバは、“はじめ“からわかってはいないのだ。
自分の、語る人の内部に埋まっている。
光を当てなければ、掘り下げられない。
聴く側は、「光」を灯す役なのだ。
その「光」は、“特別“ “特殊“であるほどいい。
特殊とは“専門“的である。
学術的というのとは、少し違う。
あくまでも、カッコ“ “付きの“専門“である。

それぞれは“専門“的に関わってはいるが、環境はちがっている。
対人、人に関わることを自分の環境で、ある意味、勝負しているのだ。
それでも、時は違えど、状況を同じく関わった者同士の中には、“専門“としての道が共有されていると感じるのだ。

ただの愚痴で終わるか、聴き手としての「光」の質向上や、新たな「光」との出会いにつながるだろうと期待するのか。
ただの愚痴で終わらせないように、サポートするような強さを育んでいきたい。
自分の中に。


2022年09月09日(金) 「無事で何より、また明日」

あっという間に、9月に突入し、一週間以上が経過した。

先日は、少し大きな台風が通過した。

同居人がその時を同じくして、2泊3日の入院をした。
当初の予定では、8月であったのだが、コロナで病棟閉鎖となり延期になったのだ。
さらなる延期にはならずに、ひとまず安堵している。
そして、最短での入院期間で済んだこと。

処置は、寝ている間に済んだとかで、本人は意外にケロリとしていた。
退院日の夕方には、自動車を運転して買い物へ行った。
翌日も休みを取っていたので、少し遠い古本屋にも行った。
至って、「ふつう」の日常的な光景。

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ポリープの処置だった。
ポリープが悪化すると、ガン化することも起こりうるから厄介。
そう言われると、そう聞いてしまうと行動せずにはおれない。
まぁ、確率的な世界だけれど。

「良性のポリープ」というのも、イメージでは悪化すると良性ではなくなることもありうる。
写真上で、良性かどうかなんて分からないだろう。
だから、摘出して、それがどういう状態なのかを検査する必要があるのだ。
病理検査というやつだ。

その結果が、来週あたりに出るのだと思われる。

今回の「処置」は、「初期のガン」でも行われる方法らしい。
書類にも、そう書かれてあったような記憶だ。

入院スケジュール上では、処置の翌日は、「絶食」とあったが、「全粥」に「里芋とわかめの味噌汁」「炒り卵」的な食事を取ったらしい。
で、その本来なら、絶食であった日の午前10時過ぎには自宅にいたのだった。
まだ、点滴が終わっていない、まだ、「いかにも病人」であったであろう同居人に医者は

「退院です」
「え?」
「今から」

的な言葉を発したらしい。

の割には、すぐには点滴は外しに来ず、「放置」されていたらしいが。

何か、栄養指導的な説明があるかと思っていたが、特になかったそうだ。

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病院にかかるというのは、特に「入院」と聞くと、脱力してしまう。
「大変だったね」
的な、感想の言葉を発するのも「ふつう」だろう。



「無事で何より、また明日」
好きな言葉である。


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