ふつうっぽい日記
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2019年10月18日(金) |
走り続ける人などいない |
かなり、久々の更新。 約半年くらいだ。
8月末に事務的パートを退職した。 任期満了によるものだ。 とてもタイムリーではあった。 わたしにとっては。
さて、「走り続ける人などいない」というのは、故人の言葉である。 かつて、小学校で教職に就いておられた方であり、HPを作っていた頃に知り合いになった方でもある。 実際にご対面はしたことはない。 雑感的な言葉を公開しておられて、何かの折、「訪問」してエネルギーを補充させていただいていたのだ。 何人かいるうちの「心の先生」の中のお一人である。
約十年ほど前に、まぁ、いわゆる「創造の病」というか「中年の危機」に見舞われた。 自分探しという言葉は、好まないが大きく「自分」、「私」というのが揺らいだ時期があった。 医療機関にもお世話になった。 その頃に紡いだ言葉は、今となっては抜け殻みたいなものであるけれど、「突っ走ることができなくなりました」的なメッセージを「心の先生」に送りつけたことがあった。 その時の返信が 「私は、走り続ける人を見たことがありません」的な言葉だった。
冷静になれば、「突っ走りキャラ」といえども、休息は取っていたのだ。 それが、どーんと意識されたに「過ぎない」。 「過ぎない」と書くと、どこか冷静になれるところがわたしにはあるのだ。 小刻みに休息を意識できていれば、「病」的に倒れることもなかったのかもしれない。
ーーーー 先日、20年ぶりに小学校時代の友人と昼食。 屈託のない彼女は,第一声「太った?」であった。 20年前と比べると10キロほど増量したわたし。 彼女は変わらず、華奢であった。
自由連想的にお喋りをした。 「やっぱりね。変な人っていうのは、いる。」と、いくつかの話のオチで彼女は言った。
「変な人」にとってみれば、こちら側はきっと「変な人」なのだ。 そうやって、バランスが取れているものなのだろう。
ーーーー
客観的に「分析」する、ましてや「関与しながら分析」というのは、難しいことなのだ。 それをなんとか自己流でやろうとしたから、翼も折れるはずである。
「走り続ける人などいない」 「飛び続ける人などいない」
今は、翼のメンテナンス。
飛び続けるためではなくて、必要とされているであろう場所に行くための。
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