ふつうっぽい日記
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今日は頑張って冷静に書こうとしているので、強引な展開とかふさわしくない表現があるかもしれません。
そして、無理して読もうとしなくてOKです。
義理の父がNCUに入りました。 脳神経の集中治療室です。 NCUというところは、広いフロアにたくさんベットが並んでいて、意外に大所帯。 入院の「大部屋」と違うのは、皆さん、全てそれぞれいろんな機械が身体と繋がっていて管理されているところかな。
「親父が倒れたって」という夫からの一報。
倒れて運ばれたって思った。 そして、今手術中なんだ…ってそう思っていた。 そう思って二人で、新幹線で大阪に向かった。 一時間もかからない道のりがすごく長く感じた。
新大阪から大阪に出て、阪急電車に乗り換え庄内駅まで行き、そこからタクシーで病院に向かった。行きがけの道では、私の方が不自然におとなしかったと思う。夫は、私を笑わせようとしてたように思えた。
病院の待合室に到着したのは、5時半くらいだったかな。 義母がぼんやりと椅子に座っていた。 「遠くからご苦労さんやったな。あはは…」と愛嬌のあるいつもの調子だったけど。
聞くと、意識があって救急車に乗せたとのこと。 半身が思うように動かず、「絶対、そんなんじゃ、車運転できへんって。仕事も行かれへんって。おっちゃん、病院行くで」との義母の声に「うるさい!」と多分言ったと思う。 「一人じゃ、かつがれへんし。1階まで歩けたらタクシーでもええかなって思ってたんや。でも、かつがれへんから、救急車呼んだんや。どこの病院に連れていかれるんやろうかって不安やったけど、ちゃんとした病院に運んでもらってよかったわ。ほんま。」
倒れて搬送されたかと思い込んでいた私ら夫婦には少し笑顔が戻った。
やがて、義母の携帯が鳴って3階に呼ばれた。 3人で一緒に行った。
「6時にお迎えが来るから、あと少しやけどお顔見たってくださいね」と看護師さん。 え?え?お迎えってなんなん?どういう意味なん? 疑問を持ちながらも3人でご対面。 義父は寝たまま、しきりに両腕を交互に上げて頭も上げようとして「結構、ましになってるわ」みたいな言葉を言った。 私ら夫婦は、すでに必要な手術を終えた後かと思って、「元気そうでよかった」と思っていた。そして、「動かんでいいから。じっとしときや」と夫。私はベットから離れる時に、義父の手の片方を握った。少し熱く感じた。
現実は、午後6時から約5時間、そこから手術が始まるということを知った。
その間に、夫の弟、妹が駆けつけた。 弟の後ろ姿は特に義父に似ていて、私がお手洗いから待合室に戻ってきたら、その後ろ姿を見ることになって、お義父さん何しているんだ!!!と驚いた。弟は私よりも年上だけど、謙虚な笑顔で軽く挨拶をしてきた。 我が夫は奥の待合室で携帯でゲームをしていた。 ゲームなんて不謹慎だとは思えなかった。 そうでもしないと落ち着かない。 長い長い待ち時間。 空調管理の職員のおじちゃんが「ここ、暖房切るから、奥の待合室にどうぞ」と言い、一同は奥の待合室に移動。 妹が来る前に弟と母、夫と私が交代で食事に出た。 妹は空腹状態で母希望のいなり寿司と巻き寿司を持参で登場。 すでに私たちが食事を取ったことで、「連絡してや〜」と言った。 妹は「今、お腹減っているかよく分からない微妙な時間や」と言って、しばらく椅子に深く腰掛けてテレビを見ていた。 やがて、自分が買ってきたお寿司を食べた。
「で、3時間くらいで終わるん?」と妹。 6時から5時間かかることを伝えられ、深いため息をつく。 「…こんな、えらいことになってるなんて思ってなかったわ… 朝、あれから救急車呼んだんや?」 「そや…母ちゃん、8時過ぎからここにいてんねん。でも、一回帰ったけどな。3時半に来てください言われたから、おにぎり1個食べてからまた病院行ったわ」
午後11時前。 緊張が走る。 でもまだ連絡はない。
11時半前、病院職員の男性が呼びに来た。「3階へどうぞ」 5人でぞろぞろと3階へ。 医者からの説明を聞く時間。 入り口を譲り合う夫家族。 少し遠い私が、先頭を切って医者の部屋に入室。 「あんたが娘さんかいなぁ」と若い医者。 「私は、違います」と言って、母、妹、夫、弟、私という風に私が最後尾に移動した。 妹は「電話もうたみたいですけど、出られへんくって」と。 若い医者は「一家の大黒柱のおとうちゃんがえらいことになってもうて、一大事やもんな。おかあちゃんだけじゃ、ちょっと厳しいかな思って、電話させてもらったんです。ちょっとね結構狼狽してはったもんやから。あ、息子さん?あ、もう一人の息子さんも来てくれはったんやね。そりゃ、とてもええことですわ。椅子、足りひんですね。」 「ああ、ええですよ」と弟。 弟と私は立って話を聞く。 時間は深夜12時に近い。
状況を分かりやすく説明をする医師。 一同は朦朧としながらも端々に「へぇー」と納得のどよめき。
「血流が非常に遅いんですわ。そして、細い。切ってもいい血管を切って、繋げる手術をしたんですが、なんせ血管が細くて1ミリ、2ミリの世界ですわ。よその施設やったら、手をこまねいてそのまま様子を見ることしかできひんかったと思います。幸い、うちは脳神経外科の専門の病院やから設備も整っているから、やらせてもらいました。でも、結果、脳梗塞を遅らせることに貢献できんかもしれないし、何とも今は言えません。うまく血流が促されて、結果がよくなるのが楽しみでもあるんです。…喫煙、飲酒してはったようやから、もしかしたら暴れるかもしれんね。まぁ、こういう環境やから出来なくなるから、改善しやすいという見方もありますわな。まずは明日、覚醒させて、様子を見て人工呼吸器を外します。意識が戻ったら、話せると思います。1日中病院で付き添う必要はないと思います。また何かあったら連絡させてもらいますから」
というような事を話し、まだ麻酔が効いて思い切り寝ている姿と少しご対面。
それからタクシーを2台呼んで私ら夫婦は新大阪のビジネスホテルへ。 タクシーを待つ間、母が「あの人は、人から言われてもまったく聞かへんねん…昔っからそうなんや。」とぼやいていた。
集中治療室の面会は、3時から3時15分まで1名、15分から30分まで1名の計2名(1日)と制約があり、翌日は弟は出勤し、母と夫が代表で面会に行く計画だった。ところが、その時間、術後検査で父は病室におらず、検査後に面会となり、面会可能になったら夫の携帯に連絡が入ることになり、4名は待合室で待つ。 5時くらいに連絡が入り、3階へ。 初めに母、そして夫と続き、「時間外だから少しなら」との配慮で妹、私と時間差で入室。 母と夫が入った時、父は寝ていたらしい。 しかし、私が入ると、父は小さな目を開けていて、寝起きの赤ちゃんみたいだった。寝起きというか間もなく二度寝をするみたいな微妙な半開きの表情。長時間眠っていたからか涙みたいなものも見えた。 私は両手を低く挙げて、手のひらを少し揺らして「おーい」と小さく声かけ。 父は身体をもぞもぞと動かしていた。 お尻がかいいみたいな感じで、半分固定されている手でかこうとしているように見えた。頭も上げようとしていて、各種チューブやコードが少し突っ張った。私はハラハラ。私はまたまた握手をした。父は少し低温の手で握り返してきた。何かしゃべりたそうに呼吸をしているけど、声にならない。 本来、2名の面会を4名にしてもらっているので、そう長くいられないので退場。
隣のベットからは看護師さんが「しっかり呼吸して!しっかり呼吸せんと肺炎になるよ。痛いのは…」と説明をしている声が聞こえた…
「もぞもぞ動いていたよ。握手したら握り返してきたよ」と報告。 母は「ほんま、ありがとう…」と言った。夫には「あんまり気を落とさんようにな…」と。
------ 同じ言葉を何回も言う。 同じ言葉しか言わない。
同じ屋根の下で暮らしていると、単に頑固が強調された形に映るかも知れない。だけど、少し疑って。 同じこと何回も言われると(例えば「うるさい!」とか)聞かされる方もちょっとうざいけど。 そして、簡単な問いかけを使った会話をして。
「今思えば…少し前から変やった」と、母や妹が心当たりがあったようだった。
医者も「生年月日言えてなかったから。でも、全ての人が生年月日を言えなかったら脳梗塞という意味やないですよ。」と。
歩いているだけですごい。 そして、自分で動けているだけですごい。 そして、そこにいるただそれだけですごいね。 人間ってすごいね。
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