ふつうっぽい日記
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2002年07月31日(水) 私も夏休みらしいイベントが

夏休みの子供達の声は、結構静かだ。

さて、私も夏休みらしいイベントが入った。北海道旅行である。女3人旅である。この3人とは〜o(^-^o)o(^-^)o(o^-^)o

思いがけず、出た企画。私以外の二人はすでに、もう煮詰まっていた段階だったらしく、1週間でツアーを押さえたようだ。その二人は元からの家族で(爆)彼女等と住居を共にしている、残りの同居人(男子)から、さきほど電話があって「北海道の旅行、日取りが決まったよ。17日。詳しいことは、おばちゃんと○子に聞いてー」と。

○子とは、4年くらい前からの知り合いである。なんどか、メールもした。最近はバタバタしているのか、お互いにメールでの交流は途絶えていた。メールをしていた頃の言葉が脳裏をよぎる。「○子が結婚する時は母親と旅行に行きたいと思ってます。その時は父をどうかよろしくお願いします」もしや、○子は結婚するのだろうか?いや、しかし、待てよ。私が参加するのはなぜだ?照れくさいのか?

結婚の話はまあ、忘れて、貴重な旅に私を巻き込んでくれて、非常に素直に自然に嬉しいと思ってる。

私は母と二人で旅はしたことはない。でも、家族で旅行は何度も行った。大きくなってからは、ガクンと減ったけど、子ども時代は当たり前のように、夏休みと冬休みは旅行に行っていた気がする。車で遠出をしたり、船に車を積んでいったり(カーフェリーってやつだ)、飛行機や新幹線で行ったり。
主人は、家族旅行の想い出がないという。まあ、3にんきょうだいで男が二人で、気付けばバイトだの友達だのバンドだのと好き勝手な時間を優先にして時は流れたようだ。なので、小さなドライブでも、主人はとても、嬉しそうだし、私もそうだ。独身時代も実は何度か旅行に行っていた。親には都合のいい、理由を言って。宿帳に名前を書くのに、結婚してないのに彼の(旦那だ)名字に私の名前をひっつけて書いた時はドキドキしつつも嬉しかったっけ。旅館の仲居さんから「奥さん」なんて言われて純粋に赤面して。結婚してからも、海外含め、何度か旅行に行ってる。

家族の規模はどうであれ、家族として、同じ名字を名乗る者同士で旅するというのは、とても新鮮だ。とくに、今回は女3人の旅ということもあって、おそらく、家事から解放された優雅なひとときになるであろう。1週間前の私からは、まったく予想できなかった展開に、何よりも私自身が驚いている。

----水曜サスペンス劇場(爆)クイズ--
★おばちゃんとはいったい誰でしょう。
★残りの同居人(男子)とはいったい誰でしょう。


2002年07月30日(火) 7月12日に女の子を無事出産とあった

昨日、福岡の友人から葉書が届いた。見ると、お子さま誕生の報告。7月12日に女の子を無事出産とあった。もちろん、写真付きで。7月6日あたりに、軽くチャットをした時に「蛇の生殺し状態〜もう、早く産みたい」とメッセージを送ってきたのだった。7月7日は七夕様だし、数字が並んでいるし「7日に生まれるかな?」なんて返事を送った。それから、1週間もせずに、出産している。…なんとも、不思議な気分だ。かなりお腹は張っていたんだろうなって思った。今年の3月の30日(私の誕生日だけど(^^ゞ)に共通の友人の結婚式のため、大阪でご対面した時以来、会ってなかった。彼女は二度目の出産であったのだが、一度目の出産(長女)の時は同じ福岡にいながら、妊婦姿も見ることなく、生まれて1ヶ月くらいたってから、母子共に健康な姿を見たのだった。葉書には、赤ちゃんの名前がちゃんと書いてあった。頑張ったんだなと、勝手にいろいろと想像して、しばらく感動に浸っていた。

「結婚だけが全てじゃない」と言うことが、このところ、多いような感じだ。それは、特定の誰かに対してではなくて、「近ごろの若いもんは」と同じくらいの曖昧さがあるのだが。女性がキャリアを重ねて、「仕事に生きる」人がいてもおかしくないという意味を含めて。となると、結婚によって、生み出される一つの形である子どもを持つことというのは、どうなるのか?「子どもだけが全てじゃない」?「子ども」を強調すると、やっぱり強引だった。結婚のスタイル(考え方)も、いろいろだということになるか。夫婦別姓だとか、家を継ぐとか、形にすべきものか、残していくべきものなのか。「伝統を守る」ことの意義なんて、昔の人は考えていたのだろうか。


2002年07月29日(月) バイオリズム

バイオリズムというのは、当たるものかもしれない。10年ぐらい前にどこかの大学祭で「あなたのバイオリズムをプレゼント」なんていう部屋があって、占い系が好きな私にとっては気になるイベントだった。情報科学の講議で、「こういうのは簡単に作れます」とかいう話も聞いたことがあったけど、その時は目の前の課題に意識が奪われてそんな余裕はなかった。

今では、バイオリズム以外にも多様な診断を受け取ることができる。それも、たいがいは無料だ。たまには、ドド〜ンと上がったり下がったりしている時は鵜呑みにしてみるのもいいかもしれない。

そう、私は先週、体調がすごぶる悪かった。それは、ほとんどが自分で作り上げた地獄だったと今では言える。「悪いように考えると悪くなる」それは、現実の進むべきコマが悪くなるのではなくて、自分のリズムが悪くなるのだ。たしかに、人はずっと上昇気流でいいことばかりと出会うとは限らない。それは、分かる。「これからよくなるよ」というのと「これからわるくなっていくよ」というのは、後者に対して警戒を強くする。でも、たいがい、そういう時は気にするのは最小限にして、心地よいことに集中しようって意識できるものかもしれない。でも、これは考え方一つで、今まで頑張ってきた自分の努力さえも否定してしまうような、筋書きに自信をもってしまうことにもなる。今回の私がまさに、それであり。

「考えないようにする」っていうのは、なかなかできるもんじゃない。それは「ストレスためないようにする」っていうのと同じぐらいに。でも、ストレスや考えには方向(ベクトルっていうのか?)があって、同じくらいの逆のストレスなり考えが自分を刺激したり、また、その逆のストレスそのものストレートではなく、それを作る要素がいくつか結集すると(合成っていうのか?)悩みの、問題の、気にしていたストレスや考えの固まりはどこかに飛んでいってしまうんだろうと思う。

今は、落ち着くとこにいる状態であり、これから刺激をためていく時期。振り回されたら振り回されればいい。引っ張られたら引っ張られるのもいい。そこに「私」がいる限り。


2002年07月19日(金) 美顔エステ

今日もへんてこなお天気だった。朝方スゴイ雨で、洗濯はしないぞと拳を握ったのだけど、昼前あたりからいい感じになっていったので、洗濯機を回した。で、今はやはり微妙な空模様。でも、秋の天気とはまた違う不安定さであるが。

さて、今日は3時あたりから、美顔エステの予定だった。“私の順番の前の方”の都合で4時過ぎのスタートとなった。場所は自宅である。かつての隣人さんが、担当である。“私の順番の前の方”とは私の家のご近所の方である。“私の順番の前の方”は、2人の息子の母親で1人はもう独立している。年齢は40代後半の女性。私たち夫婦にとって“私の順番の前の方”には頭が上がらない。(深くツッコミを入れないように)

「40分くらいで終わると思う」とのことだったので、2時半過ぎからエアコンを入れ、部屋を快適にしてまだかなまだかなと順番を待っていた。ところが、4時前になっても気配がなく、忙しいだろうなと思いつつも携帯に電話を入れたら5分もせずに来てくれた。聞くと“私の順番の前の方”は、お話好きで(これは、隣人さんの人柄がよいからと私は思う)美顔以外の話題に話が飛んだらしく、旅の写真まで見てきた(見せられた?)という。そして「これ、お食べなさい」と果物や和菓子を持たされたのだそう。「自転車のカゴに載らないし」と、なんと我が家にそのモノ達はやってきたのだった(ヤッタ〜?!)「いいの?」と言いつつも果物はすぐさま冷蔵庫に入れられた(笑)

メインの美顔タイムも焦っているようでなく、ごく自然に進みメイクまでしてもらった。所要時間1時間も経ってなかった。ちょっと元気なTシャツにジーンズという姿の私だったが、「らしい顔」が完成した。健康的な女の子(ちょっと背伸びした表現か?)という感じだ。このところ、暑いので髪を結っていることが多い。今日は二つ結びにしておいた。メイクタイムが終わってから買い物に出かける途中で、一戸建てに住んでいる奥様とすれ違った。彼女も二つ結びをしていたので、ちょっとガッカリした(←悔しかった?!)もちろん、睨んだりせず、さりげなく会釈をして「こんにちわ」と。


2002年07月18日(木) 「私は今いないんです」という芝居を

今日はへんてこなお天気だった。午前中はニパァ〜ッと晴れて、午後2時を過ぎてちょっとしたら、雨がドバァ〜ッと降ってきた。洗濯物の乾き具合はなんとも微妙な感じ。天気は中途半端ではないのだけど、やはり、びっくりする。雨の音がとにかくすごい。短期集中で降るのでまだいいのだけど。

実は昨日、腹痛の関係で横になっている時に、インターホンが鳴り、「私は今いないんです」という芝居をやってしまった。インターホンの主はなんと大家のご主人とシロアリ駆除業者。(気配は分かるのである)息を潜めながらも「こんなんしちゃおれない!お掃除しなきゃ!」と、慌てて、でも、落ち着いて身支度をして、買い物に出かけ、家に戻る。それから、少し集中して掃除をした。去年も業者が来たのでポイントは押さえてある。そう、去年はトイレと洗面所まで対策が施されるとは思わず、適当にしていたので、焦ったのだった。まあ、完璧とは言わないまでも「ま、こんなもん?」ってくらいに手入れ。

問題はPCのある洋室だ。この洋室には窓があるのだけど、その窓辺は2年前スゴイことになったのだった。去年、強い薬を壁に打ち込んだので、今年はよくは見てないけど、虫の発生は少ない様子。明日は、もう少しこの窓辺をチェックしないと、実はとんでもないことになっているかもしれない。そのためには、主人のオタク的物品(爆)を一時的に撤去せねばならないのだ。

今日は一部を移動した。それは何か?ギター3本である。1本はケースに入れてあるけど、2本はむき出しのままスタンドに立ててある状態なので、虫が住んでいても変じゃないヽ(;´Д`)ノギターの手入れまで私がやってしまっては、楽しみを奪うことにもなると思ったので(本当?)ひとまず、放置している。明日は、カラーボックスに積んであるPCパーツの箱たちの撤去だ。これに関してはギターよりかは、まだ主人がこだわりがあると思われるので(「勝手に触るなよ〜!」と怒りかねない)今晩、指示をあおぐつもりだ。

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定期的な野獣さんの訪問は、私の健康が“ちゃんとした波である”ことを示してくれてるとは思うのだけど、ぼちぼち、野獣さん10ヶ月くらい活動をお休みしてくれないかなとひそかに願う29歳がここに…


2002年07月16日(火) “打てば響く会話”

今日は少しズルイかもしれないけど、友人Aと私とのメールの交換の中に登場した話題を書いておくことにする(一部抜粋一部加筆)。

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◆友人Aは私たち夫婦の会話の様子(実際にやりとりを聞いた訳ではない)を“打てば響く会話”と表現していた。「私もそういう会話をしてみたい」とあって、それに関しての私のツッコミから始まります。

-------【私のツッコミ】

関西人の特質(本人は普通と言うが)かもしれませんね。
ツッコミを入れてオチがつかないと「落ち着かない」っていう。オチがついてナンボっていう。
だから、よく他の地方の人間などに言います「オチないんかい?」と。相手がツッコミを入れて来なかったりすると、自分からツッコミをいれ、オチをつけます。「1人ぼけツッコミ」というやつですね。そのオチが伝わらなかったら、寂しく凹むようです(深くはないが)

福岡では「言うと失礼」だと思うこと(親切だと思う)でも大阪(関西)では「言わんかったら失礼」だ(親切だと思う)と思うように。(←私の勝手な考察)
バッタモン関西人の私が福岡でその調子で会話をすると「素」の友だちは一瞬、悲し気な表情をします。でも、つきあい深い友だちです。仲間の中では「新たなキャラ登場」なんて言ってこれからが楽しみだと守り立ててくれる人間もいるのです。その時点でさきほどの悲し気な友人の顔が緩みます。オモシロイもんです。

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◆この後、私は自分の「理想」と「現実」について語るのでした。

------【私の理想は】

私の理想は「血液型はA型でなく、関西弁をしゃべらない人」だったんですよ。笑えるでしょう?なぜ、そんな理想だったかというと、モノゴコロついてからイトコが運転する車に乗った時にドアを閉めない間にブゥ〜ンと出発して怖い思いをしたことがあり乙女心(笑)はズタズタで、「コイツ、サイテ〜!!(*`ε´*)ノ彡☆」と思い、「こういう人は怖い人」というサンプルができあがったのでした。なんという根拠でしょうかね。

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◆自分を見つめ直す時期だと友人Aは語り…それにぼそっとつぶやく私がここに

-----【つぶやき】

「子ども」から逃げるために「仕事」と関わろうと考える時があります。声なき声の妄想から逃げるために、動こうとする自分がいます。


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今は浸る時。
今しか浸れないかもしれないから。


2002年07月11日(木) ★ザリガニ★英会話★3名からの電話

諸事情により、昨日の日記と今日の日記をまとめて更新です。

★ザリガニ

10日(水)は、英会話のレッスン日であった。玄関に鍵をしめてさあ出発!と我が家の玄関前のグリーンベルト(私が命名。大家さんの趣味で木とか花が植えてあるゾーン)に“赤い物体”があった。30センチほど、近付いてみると(←臆病ゆえ)なんとそれは全長25センチくらいあるザリガニだったのだ。初め「エビか?ロブスターか?」と疑ったほどだった。赤黒い部分がリアルで、帰ってきてから玄関の前に立ちはだかっていたら、どうしよう(;_;)なんて想像をしつつ、何もせずに英会話レッスンへと向かった。さて、帰ってきてからそのゾーンを見ると、土がかけてあった。それも新しい土が。私と同じように臆病な誰かが埋めたのだろうか?私にはそれを掘り返す勇気も冒険心もなかったのだが。

★英会話
10日(水)は、英会話のレッスンの日であった。午前9時45分スタート。本当は10時からなのだが、15分間は別の先生(経営者でもあり、子どものクラスの先生でもある:“おばあ”系の方)による例文暗記特訓なのである。7枚くらいのカードに書かれた文章を暗記して試される(もちろん発音のチェック)のである。でも、テストされているとかいうお固いモノではない。同じ部屋でつい立て1枚向こう側に10時からの外国人講師がスタンバッテいるのだった。オーストラリア出身の女性で年齢はまだ分からない。

でも、もしかしたら1968 年生まれかもしれない。というのは、前回のレッスンで私はこともあろうに、先生のテキストを持って帰ってしまっていたのだった。“おばあ”からの確認の電話がなかったら、前日くらいに気付いてハニワ顔になっていたであろう。私も意識して持ち去った訳ではなく、“おばあ”から「バックの中を確認してほしい」と言われた時、ココロの中で「そんなアホなことがあるかいな」とかなり自分に自信があったのだ(笑)しかし、現実テキストは2冊、私のバックに入っていたのだった。その電話があったのは、前回のレッスン(2週間前)のあった週の週末土曜日だ。主人も自宅にいて、当たり前のように笑われた。

先生のテキストと言っても、答えが赤書きで埋まっているというモノではない。生徒と同じもので、たまに、鉛筆でサラサラと英文が書いてある程度だった(やっぱり見てしまった)最後の項で自分の歴史というか何年に生まれて学校を卒業したのはいつでみたいなことを記す年表があった。そこに1968年生まれのような事が書かれてあったのだった。でも、そのテキストは今の先生だけが使っていた訳じゃないだろうから、確実ではないが。まあ、先生のことはぼちぼち会話を通して見えてくるだろうと思う。

今週のレッスンは職業がテーマで、自分のことも語るのだが、なんせただいま無職なもので、過去の話ばかりになった。相方さんもお孫さんがいるくらいの方なので、とっくに仕事は引退していたのだが…なんと、相方さんは小学校の先生をやっていたということだ。驚きの事実だった。校長先生にまでなったのか?とか本当はツッコミを入れたかったけど次回からでも聞けたら聞いてみようかなと思う。まさか私が小学校の教師を目指していた時期があったなんて思ってないだろうな…私の3年前(厳密には3年1ヶ月前)までの職業はオフィスワーカーで、携帯電話の会社に勤めていた。

★3名からの電話

10日、英会話から帰ってから、午後まったりと過ごし、夕食を作ろうかなと思っている時にかつての隣人さんから電話がかかった。内容はPCに関することだった。HPの動作確認の依頼と様々な試行錯誤の助言などをやって、なんとか問題は解決した。すると、次に妹からLAN接続のトラブルとかで泣きのメールが来た。現場に駆け付けたいのはヤマヤマなのだけど、なんせ大阪と福岡では「ちょっと来てみたよ」ってな距離ではない訳であり。取説を見てとかできる限りのことを電話で言ったけどダメだった。いろいろやってみるとのことだったので、また何かあったら連絡せよと伝え電話を切った。すると、途端に主人から帰るコールがあった。そして、食事をしようかなという時に奈良の友人から電話があった。何事か?と思ったらまたもやPC絡みのことで、ファイル保存に関するトラブルの泣きの声で(笑)その応答としては「それは、どうしようもない。一からやり直しになるね。」としか言えなかった。

今朝のメールで「もうお手上げ。PCのサポートセンターは繋がらないし…」と妹から。しかし、思いは届き、サポートセンターの人の助言で無事に接続できてダイアルアップから夢の常時接続(ADSLってやつ)が実現してそのサポートの人が「神様」み見えた(o^∇^o)ノと喜びの声を聞くことができた。

PCって、使っている人それぞれ、使っているマシンそれぞれで癖があるのに共通の閲覧環境が確立されてるってスゴイことだなと思った。


2002年07月09日(火) 今日はちょっぴりオセンチ

夕食と明日の弁当などの準備を8割くらい済ませて今、PCに向かっている。何気に過去の日記を手にしてしまった。高校1年の7月6日〜7月22日までの日記だ。毎日なんて書いてない。その日記は親友Rとの交換日記(1冊単位)でもあり、客観的に表現しようと努力はしたいたのだろうけど、今見るとめちゃめちゃ字は雑だし、日によって文字のスタイルは違っていた。交換日記とは言っていたけどお互いが書いたことに関するツッコミをしている訳でなく、ただ、自分ではない誰かに自分の気持ちを知っていてほしい、自分の気持ちを整理したいという目的で綴っていたように思う。自分が書いた「ノート」は結婚した時に自分の手元に渡るシステムで、Rは結婚が私よりも3年くらい(たしか…)早かった。まだ教師魂が少し残っていたので渡すノートの最後に(20冊くらいはあっただろうか)絵日記を見た先生のように赤いペンでメッセージを書いた。私のノートはRは子育て真っ最中だったし、引越しを伴う結婚だったのでバタバタして引き取りに行った気がする。
そんなノート達の中の言葉は、多感な少女時代を小さいながら生きていることを実感しながら何かと闘っている様子を浮き彫りにしていた。

「○○君には彼女がいる」とか「○ちゃんも暗くなって落ち込んでいた」とか「国語の先生に質問しに行ったら髪の毛に白髪がたくさん」とか「今、委員会改選中」とか「○○委員に立候補したけど、男子の立候補はなかった」とか「なんか気がかり。なんだろ。胸騒ぎ〜」とか。

時間よ、戻れ!なんて思わない。でも、これから先も、何かに敏感でいたいし、いろいろと迷いたいし、悩みたいと思った。今日はちょっぴりオセンチだ。


2002年07月04日(木) 行きつけの本屋は暑い

微妙な梅雨模様。最高気温30度、今週は夏みたいな陽気だ。洗濯にはもってこいだけど、日中はたまらない。

そうそう。毎週木曜日は本屋に行く日なのだけど、今日の本屋の暑かったこと!外が暑いのはしょうがないとしても、なぜ、あんなに室内はムオーっとしているのだろうか。本屋というと、オアシスというか心地よい空調で長居してしまって買わなくてもいい本まで買っちゃうようなそんな誘惑でいっぱいのはずなのに。エアコンが効かないのか、節約なのかはナゾだけど、行きつけの本屋は暑いことが多い。冬は寒いかというとそうでもない。冬も暑いのだ。暖かいというのではなくて。

1週間前くらいに閉店に近い時間に主人をひきつれて、レンタルCDを返却しに行ったことがあった。お酒も入って、いい気持ちでもちろん車の運転なんてする気はなかったし、散歩も兼ねて私はパジャマの上にトレーニングウエアというのかビニール製でテニスとかやってそうな白い上下、主人はパジャマのタンパンをジーンズに履き替えた姿で本屋まで歩いて行ったのだ。

深夜の本屋というのは男性客が多い。とくに雑誌コーナーでの立ち読みの多いこと。そして、やっぱり暑かった。まあ、今日ほどではなかったけど。
主人の言い付けの漫画雑誌をチェックして店内を軽く一回りしたのだけど、もう長居はゴメンだ状態でさっさと精算して退場した。まあ、お昼過ぎ2時半過ぎっていう最も暑い時間に出向いた私も私だったのだけどね。
というわけで、不本意ではあるけど、小遣いで70円のカップアイスを買い、自宅でまったりと食べた。しかし、分かってはいたけど、食べた後も暑さは手加減なかった(笑)

4時から6時まで久々にプレステソフトを立ち上げてゴソゴソした。まあ、たまにはこういう時間もあっていいかな、と思った。鍵には注意しないと、と、教訓を思い出す。

今晩は飲酒の日ということもあり、居酒屋風に「若鶏むねたたき」「ソーメン」「切り干し大根」「キュウリとワカメとタコの酢もの」「小松菜とかまぼこのからし醤油和え」。明日の朝はパンとサラダとベーコンエッグ(ベーコンに目玉焼きを載せたもの)と牛乳(←サンプルでもらった瓶:飲むヨーグルトまたはカルシウム強化の牛乳のいずれか)の予定。


2002年07月03日(水) 久々に浄水器系の電話が

今日の夕方、久々に浄水器系の電話があった。「結構ですので〜」と言っても相手は引かず、「無料キャンペーン」を表に出して訴えていた。

「無料」の言葉にはたしかに弱い時期があった。無料なんだから、お試しなんだからちゃんと断ればお試し期間はラッキーなんだしと。しかし…現実、そうとうに気合いを入れてサバサバと応対せねば大変なことになる。断ったとしてもなにか自分が悪いことをしたんじゃないか?とか愉快ではない、なにか妙なけだるさといったものが残るのだ。

今日の電話は無理強いするわけではなく、後々電話でコンタクトをとったり、訪問してきたりすることもなく、“簡単に取り外しができるモノ”なので客の方で処分してくれて構わないという。そのあたりは引き際はよさそうとは思うのだけど、設置の時の立ち会いが私のシュミレーションではだるいのであった。これは今までの私の体験(青かったもので…)がそう思いこませるのだ。

「無料」という言葉にあまり警戒心を抱かなかった頃、設置係の方を1時間以上滞在させてしまったのは私の弱さなのだが、どさくさにまぎれて設置係は私の手を握り(最悪;軽めだが)ニタニタしてちゃっかり人の家のタオルで手を拭いて去って行った…ということがあったのだ。さらに、設置係は胃を悪くしてある方らしく少し口臭が気になったし。また、ある設置係はお決まりの「水の実験」をやり、資料を見せ、環境悪化について延々と語り「奥さん、水もろてええですか」としっかり水を飲んで帰ったし。無料設置期間が終わって、器具を撤収に来た時は別の少し怖い系(でも、自分で「自分コワイ人ちゃいますよ。そう言われるんですが」とツッコミをしていたので“素”は凡人なのだろう)のお兄さんがきて、悲しそうな表情で去って行った。(←同情はするが、その理由でモノは買わないように自分に言い聞かせた)

どれもサバサバと対応してればラッキーなひとときなのだろうけど、“主婦らしからぬ”私にとっては、やはりそれがいかにこれからブームとか口コミで広がっていくモノであっても説明されればされるだけ警戒心は大きくなる。

今日の電話の人は「私も同じ主婦なので」と言っていた。でも、私はあなたじゃない。“普通こうしますよ”と言われて「では、私も」と簡単になびかないように自分で自分をコントロールできるように頑張ってる。見えない相手に、そう簡単に住所を教えたりしていた「無料」の言葉に負けていた自分を思い出すとすごく怖い。相手もおバカではないので「突然のお電話で警戒されるのごもっとも」→「急に訪問したりせず、事前に連絡さしあげてから伺うシステムです」→「白状します。実は電話番号を順番にかけているんですよ。」→「○○市を明日までキャンペーンしてまして、今日の分はもう埋まってしまったので明日の午前からの配付なんですよ」→「えっと〜○○市のどちらになります?何丁目?」との誘導でつい「3丁目」と言ってしまった( ̄○ ̄;)!しかし、その瞬間。コラ!と自分の中の何かが警戒し「やっぱり、結構ですわ〜すみませんね。他の方に回してやってください」なんて切り返した。私にしては、上等な対応だった。電話の人は何か、まだ、ブツブツと言っていたようだけど、自分の中では“完”の札が出ていたので(笑)ゆっくりと受話器を下ろしたのだった。

電話の人もお仕事でやっているだろう。頑張れ!でも、私は私のやり方で便利なモノとか気になるモノは入手していく。


2002年07月02日(火) 夫婦で芝居見物

6月30日(日)劇団四季のミュージカル『キャッツ』を観に行った。ちょうど3ヶ月前の私の誕生日にチケットを福岡の友だち(“3バカトリオ”と呼ばれている)からプレゼントされたのだった。なにやら私たち夫婦が猫が好きらしいということと、芝居好き(私は演劇部経験者)であることと、ちょうど大阪であっているということと、3バカトリオの中の1人が四季の会というのに入っていることからおそらく、コレになったのだと思う。

嫁いで3年。なんと大阪で芝居を観に行ったことは一度もなかったりする。芝居の鑑賞は帰省した時に何度かやっていたりする私だ。今回は初の大阪観劇、そして、主人と一緒に観に行くという大イベントだった(笑)コンサートの類いも主人とは行ったことはない(独身時代も含めて)

私は演劇やミュージカルは観てきているので(頻度は少なくても)果たして主人はどんな感じだろう?と少し観察したいところだったのだ(例えば数分で寝てしまうとか…)

私たちの席は2階の後ろの方(C席というお手ごろなお席)だった。前日まで私は「2階I列」(正:2階I列(←アルファベットで「アイ」列)というのを「2階の一列目」だと思い込んでいたのだった(^^;)主人からのツッコミが入るまで私はそれを信じていたと思う。後ろの席とはいえ、結果、迫力満点、舞台との一体感アリで吸い込まれるほどであった。

劇団四季のお芝居は過去に2度(『美女と野獣』、『壁抜け男』)観たことがある。今回の『キャッツ』は、高校時代に福岡でたしかあっていた作品で、気になっていた芝居の一つだった。

さて、開場は予定よりも15分ほど早くて、余裕もって席についた。1時開演の12時15分くらいには着席していた状態で1番乗りで着席した私達。主人は「少ないんじゃないの?前の方空いていそうだね」なんて言っていた。私はココロの中で「そうか?いやいや、満席になるぞ、きっと」と思っていた。私の予想通りに開演に近付くにつれて席は埋まっていった。開演は1時ちょうどだったのだけど、ダラダラ着席する人間などの関係で5分くらい時間は押した(怒)オープニングはキラキラするような、絵本に吸い込まれるような雰囲気で2階席の部分にも役者(猫姿)がチョロチョロっと上がってきて、感動した。何度か2階部分まで猫達はやってきた。目を合わせることも可能なくらいに。主人も暗転になった時は睡魔と格闘していたようだけど、拍手をするところではしていたし、手拍子もしていたし、笑うところでは笑っていた。20分の中休みがあることに驚いており、その時間は私も一緒に喫煙ゾーンにつきあった(*私は禁煙。というか吸わない)彼は禁煙タイムで気持ちを落ち着かせたようで後半は特に楽しんでいたようだ。なぜ、落ち着かなかったかというと、空腹でシ〜ンとしている時にお腹が鳴らないように気を使っていたのだった。これは私も同じ(笑)休憩含め2時間半くらいで芝居は終わった。プロゆえ、まったりとした役者紹介などはないけど、アンコールの拍手が鳴ると舞台に照明が付き、猫達が集まってきた姿がなんだかよかった(4〜5回くらい彼等は舞台に戻ってきた!)

これをきっかけに、これからもタイミングをみつけて夫婦で芝居見物(←こう書くとなんか歌舞伎とかっぽいが)に行きたいなと思った。たまには壮大なスケールでわざとらしく現実逃避するのもいいものだ。


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