私のストレス - 2001年11月29日(木) この頃は、昼間でもだいぶ冬っぽくなってきた。 今日は週に1回の親子体操の日だった。 運動系でない私にとって、正直めんどくさいと思う木曜日。 ま、○曜日の○時から○○の用があるというのが 結構イヤなのかも知れないが。 なにかスケジュールが入るのが、とても煩わしいと思う。 しかし、何故こんな風になってしまったのか? 卒業して、8年間勤めた。 当時はスケジュールに追われて毎日を送っていたはずだ。 その反動だろうか? 許されるなら1日中家にいてぼーっと過ごしたいと思う。 今は公園ですら義務感で行ってる。 「行ってやらねば」と思うだけで毎日ストレスを感じる。 あと4ヵ月。 子どもが幼稚園に通うようになると、とりあえずそこで遊んで きてくれる。とりあえず、今の暮らしは変わるはずだ。 しかし。 幼稚園の行事ごとに何か別のものを感じる自分がまたいる 事も、予想される。 慢性の、睡眠不足か。ビタミン不足か。 この疲れた毎日をぶち破る手段とは、何だろう。 ... 年賀状 - 2001年11月21日(水) 毎年、この季節になると年賀状のことをイロイロ考える。 どんなデザインにしようかとか考え出すと止まらなくなる 楽しいイベントのようなものだ。 昔から、絵を描いたり色を塗ったり どうも凝り症だったので、手書きしていた時は 時間がかかって大変だった。 中でも一番の出来を好きな人にこっそり出した思い出もある。 そのうち、プリントゴッコが登場し、 その時代がざっと10年ぐらい続き、そして パソコンを導入して今年で2回目の年賀状を作る。 今年は去年の「てさぐり操作」よりはちょっとマシになり 実家の年賀状づくりまでかって出た次第である。 しかし、問題は写真である。 子どもだけの写真での賀状は毎年たくさん来る。 自分も子どもを持って、それは普通のことだとわかった。 しかし、子どもがまだいない時にその心理は理解できなかった。 別にこの「子ども」と友達なんじゃないぞと。 それより母になったあなたの顔の方が見たいのだと。 そんな風に思っていた。 不妊症で子どもを持てなかった人に 「毎年お正月には悲しくなった」と聞かされた事もある。 だから、小さくてもできるだけ家族のショットを・・と 心がけてきた。 しかし・・・だ。 実際にはなかなか、自分が被写体になる機会がナイのだ。 数少ない自分の顔は、賀状にするにはどうもいただけない ものばかりなのである。 ソコをなんとかクリアして、 楽しい年賀状を作りたいものである。 ... 自転車泥棒 - 2001年11月19日(月) という題名の映画を見た。 古いイタリアの映画だった。 商売道具の自転車(それも質屋からやっとの思いで 取り戻したもの)を盗まれてしまう。 それがなければ、やっとありつけた仕事も取り上げ られてしまうのだ。 6歳の息子と必死で探し回るのだが見つからない。 とうとう思い余って、自分が自転車泥棒をしてしまう。 が、取り押さえられてしまう。 最後まで見つからないままフィルムは終わるのだが その情けなさや、後悔や、親子の絆や、 なんともいえない感情がこみ上げてきて、 涙が流れた。 今、駅前にはものすごい数の自転車が止められている。 川べりには、乱暴に乗り捨てられた自転車がいくつも 横たわっている。 そんな自転車を見るたび、その映画を思い出す。 そして、豊かで貧しい現代に寂しくなる。 ... 「あえないのなら」 - 2001年11月16日(金) 大好きな久保田洋司さんの詩に 「帰りの列車は思い振り切れとスピードを出す それでも来る時こぼしながら来た気持ちを拾う」 というのがある。 私の大好きな一節だ。 私には今どうしても気になっている人がいる。 連絡が取れなくなって4年以上経った。 昔は多感な時期を共に過ごした。 大人になっても年に1回は顔を見て色んな話をした。 時々思い出しては、どうやったらお互いの居場所が 確認し合えるのだろうかと思ったりする。 でもすぐによそ事に邪魔されて その思いは中断されてしまうのだけれど・・。 相手も時々はこんな風に 私のことを思い出してくれているだろうか。 ... 死ぬこと生きること - 2001年11月14日(水) 先日、夫の学生時代からの友達、Kさんが亡くなった。 塗装業を営んでる別の友達Nさんの仕事の手伝いをして いて、足場から転落したという。 朝、9時40分のことだったという。 行ってきます、といつものように家を出て そのすぐ後に自分が死んでしまうなんて その翌日に自分の体が司法解剖されるなんて・・ ・・・どう、想像しろというんだ。 車で信号待ちをしていたら、そのすぐ上の方を 通勤帰りの人をいっぱい乗せた電車が走っていった。 当たり前のような日常なのだろうが その光景は大変怖かった。 ここで何かが起こり、この電車が転落したら あの沢山の人間は、周りの民家は、 そしてここで信号待ちをしている私は、子どもは・・ 車を運転していて、怖いと感じたこと。 それは、私だけではない、全部の車がすごいスピードで 動いているということだ。 人生なんて、見えない不安定な足場を歩いているような ものである。 この足の下は、すでに死の世界なのだ。 今回のKさんの事故は、まさにそれそのままだった。 事故だったとはいえ、Nさんは彼の死を一生背負って 生きていかねばならないのだろうか・・ Nさんは、本当に優しくて、あったかくて、いい人なのだ。 あまり自分を追い込んで、苦しまないでほしいと願う。 Kさんのご冥福をお祈りします。 ... 手始めに。 - 2001年11月13日(火) 日記、とはいかないだろうが、日々思った事をちょこっと 書いてみようかなと思って。。 肩肘張らずに、気軽に、テキトーに。 自分なりにやってこう。 ...
|
|