原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2004年12月28日(火) Porco Rosso とか

『紅の豚』、『耳をすませば』。

特に後者は、初々しくて、感動を新たにした。
なんとなく「昭和の風景」?という感じが。

歌を作りたい。
いやその、「作らなくちゃならない歌」もあるんだけどさ。

よかった……

2004年12月24日(金) 宮崎アニメ

もののけ、千尋、ラピュタ。

ハウルは、まだ。

宮崎アニメは、好きだ。

わたしの中には「1910〜20年代生まれの親を持つ人の感性」があるようだ。
多分、その点では宮崎駿さんと共通するところがあるのだろう。

しっかりわかるというわけではないので、えらそうに言うつもりはない。
でも、なんていうか、今60〜70代の人たちって、気があいそう。
(その世代の人たちが必ず戦前の暗黒を肯定しているわけではないです。
むしろ戦後に形作られた平和や民主主義にこそ、生きる希望を見いだした人たちが多かったのでは?)

あ、こう書くとまるで宮崎アニメが高齢者向け?と言ってるみたい?
そんなつもりはない。
むしろ、いろんな世代を越えて支持される面がある、と思う。

ああもう、楽しめる、共感する、って言いたいだけなのに。
なんでこんな、下手すれば皮肉や自慢に聞こえそうな言葉になってしまうんだろう?

好きです、宮崎アニメ。

要は、それだけ。

2004年12月18日(土) どうしよう

どうしよう。

何もかもがつまらない

そりゃ、辣韮(らっきょう)与えられたニホンザルみたいにDQ4をいつまでもいつまでもハマッている、というのはあるけれど。
(も〜ちょっと自己管理しましょうね)
昼と夜がごちゃごちゃ。

それにしても、ゲームって面白いんですね〜。
とても単純な操作や組立で、とても広くて深い想像をかきたててくれる。

「ゲーム脳」?
わからない人のひがみでしょう。

ただ……
確かに、世界を我が物顔で歩き回る自分、というのを現実化してしまったら困るだろうな、とは思う。
そういう分別がつかない子供は、あんまりやるべきじゃないかも。???

ああ、また決めつけて。

ばかみたい、わたし。

2004年12月16日(木) トランス☆プロジェクト

トランス☆プロジェクトのお芝居『晴れたらいいね』のビデオ上映会を開いた。

お客さん、じゃなかった参加者の反応はまずまず。

でも、テレビ画面ではやっぱり集中しにくい。

うう、本当はナマの舞台が静岡でもできればいいのに。

2004年12月04日(土) 走り書き

……って、1コ前の「メモ」とおんなじことじゃん。
Blogのせいか、こっちの使い方が変わってきたみたい。

それにしても、こんな時間[5:36 2004/12/05]にわたし何やってるんだろ。
……まあ、今さっきまで寝てたのは確かだけど……(炬燵で転寝するなよなー!また悪夢見て泣くくせに>自分)

さて、いろいろ思いつくことを、走り書き。

「女としての自信」を失っていた。
理由は、手術したところのケアが悪くて、たぶんもう「使えない」ようになってしまった、ということ。

でも、よくよく考えたら、確かに大きなことなのかもしれないけれど、それだけで「女であるかないか」が決まってしまうわけではないのだった。
「一緒にするな」と思われるかもしれないけれど、↑そんなことが基準だったら、戸籍上は女でも「おまえは女じゃない」と言われてしまう人だっているだろう。
そう多くはないにしても。
わたしは、そんな差別的なものの見方に加担するべきじゃない。

「より女らしく」「どこまで女らしくなれるか」みたいなことに、わたしはけっこうこだわってきた。
――まあ、そうは言っても、本当にとことんこだわりぬく人なんかと比べたら、ぜんぜん中途半端だけど。

でも、わたしには結果を見ないうちからこの先どうなるかが見えてしまうところがある。
なので、「わたしがいくらこだわっても、所詮は『真似』でしかない」と気づいた。
とても屈折してはいたけれど、わたしは決して「女の子としての思春期」を送ることができたわけではない。
男子校だったし。(うへぇ

で。
わたしは「自分らしい性」を大切にしよう、と思うようになってきたのだった。
それが「典型的な女」でなくてもいい。
もちろん、何もかも自分の思ったとおりでいい、他人に不快感与えてもいい、などとは思わない。
でも、自分の性がどういうものなのか、自分の中でははっきりしているのに、それを捻じ曲げてまで「典型的な女」であろうとまでする必要はない。

わたしは、(残念ながら)だいぶ男っぽいのだよ。
そういう面を一切認めないで生きていくことはできない。

前のほうで何度書いたけれど、わたしは自分の気持ちを素直に歌にすればいい、と思い始めている。
つくりもののスローガンみたいなことばっかり頭に浮かんできて「うーんこれじゃつまんない」とがっかりしてばっかりいたけれど、もっと軽く考えていいんじゃない、と思った。

波田陽区みたいな歌でもいいかな、とか。
わたしはベースを弾くので「はなわ」みたいでもいいのかな、とか。
いえいえ、別にわたしもお笑いやろう、と思ったわけではありません。
自分の本音の部分を歌にしてしまってもいいんじゃないか、と思うようになった、というだけのこと。

チェット・ベイカーに興味がある。

まだなんかいろいろあったんだけど、忘れた。
書き始めてから他の掲示板とかいろいろ見始めてしまい、今はもうこんな時間[7:53 2004/12/05]。

もうひと眠りしようかな。

2004年12月02日(木) メモ(アンケート)

なんか、最近Blogに押されて、というかもっと言えばPCつなげることがとても少なくなってしまって、こっちの原案帳、ろくなこと書いてないような気が。
(っていうかこのすぐ前の記事は原案帳#23とまるっきり重複する内容だし)

で、メモ。

静岡大学で行ったアンケートの結果。
「生まれながらの性別で結婚して子どもをもうけた人が、その後で性別変更しても良い」と思いますか?
(↑この設問で講義の最初と最後に2度回答してもらった)
母数=79
1.「前」
良い:24(30.3%) 悪い:5(6.3%) わからない:50(63.3%)
3.「後」
良い:35(44.3%) 悪い:0(0%) わからない:44(55.7%)
うち、前後の回答で「わからない→良い」へと変化した人:20(全体の25.3%)
同じく「良い右わからない」へと変化した人:9(11.3%)

で、忘れていた。
性別変更するまでには、たとえば家族の中でも望みの性別で安定した生活を送っている、というようなことも「治療」を進めていく上で大切な条件で、そういうことをクリアしてからでないと、そもそも性別変更の申し立てすらできない、ということを説明するべきだった。
っていうか、指摘されるまでは考えてなかった。ダメじゃん。

いろいろ感想や意見を書いてくれているので、これをテキストデータ化したい……でもその時間がない……

2004年12月01日(水) やれることをやろう

ジャズ聞いた。
ブラス聞いた。
声楽の先生の演劇的なアプローチを、見、聞いた。

自分ができそうなものが、あちこちに転がっている。

わたしは、自分にできることをやろう。


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