原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2001年12月31日(月) スピーカー

@メモ

弟が、スピーカーを買ってくれた。
私が今まで15年も使っていたものは、なんかスピーカーの端っこがめくれて
バリバリ割れたような音を出すようになってしまったので、
半ばしぶしぶだったのだけれど。

音的に納得できるものを選んだ。
念弾は、そんなに高くなかった……っていうか、すごく安かった。

でも、とても感謝している。
あれから『double』を聞いたけど、すごくよくとおる、でも癖のない、音だった。

「おとうと」に「おと」のことで感謝。
「おと(音)」が「じゅう(十)ぶん」で、私の「章香」の「章(あや)」!

2001年12月30日(日) 断片集 / 夫婦漫才

★1・断片集
★2・夫婦漫才



★1・断片集


**正真正銘の「断片集」です。**
テレビ見ながら、しかもベース抱えて。


私は口が悪いらしい。
また「ヤッチャッター」って感じ。

11月の原案帳:76件。

金八先生と現在の「3年B組」が『贈る言葉』を歌う。
なんか、感動的。

年末は、やっぱり弟とのんびり過ごすのもいいよね。
「無為」ということの大切さ。
ときどき思い出すんだけど、たいていは忘れているよね……

なんだか知らないけれど、『ザ・ベストテン』で16年だか前の「リクエストハガキ」を読んでいる。
なんだか……なんだか……
1986年のリクエストに答えて、2001年末のステージが!
なんか、たーんじゅんに感激してしまった。


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★2・夫婦漫才


つい今まで、TBS系のドラマ『夫婦漫才』を見ていた。
上にも書いたけど、その前に『ベストテン』見ながらベース弾いていたので、
けっこう「感情の解放」が起きていたような気もする。

で。
夫婦って、時には最後まで愛し合って添い遂げることがあるんだなあ、ということ。

最近、どうも思ってしまうんだけど、
元パは私のこと、愛してくれていたんだなあ、と。

「やっとあなたのいない生活に慣れてきたのに」
あの言葉、最初は「迷惑だ」と言われているようにしか受け取れなかったけど、実は
「あなたがいてほしかったのに」
と言っていたのではないか、という気がしてきた。

まあ、そうは言っても、私のいる生活なんて、
彼女にとっては「地獄」のようなものだったろうに。
なんであんな危険な綱渡りをしっかり守っていったのか、私には理解できない。
もしかしたら、地上の上に立っていても、
「ほら、これを持って綱渡りしてみろ」と言われてバランサーを渡されたら、
いやでも綱渡りと同じような歩き方になってしまう、というのと
似たようなことだったのかもしれない。

バランサーの片方は外してしまった。
彼女は残った錘のほうに傾く自分を必死で立て直そうとしているに違いない。
そうして、ようやく立ち直ろうとしているところに、
もう一度バランサーを引っ張るような真似をしようとしたのが、
私だったのだ。

もう少しよろければ、
実は自分が立っているところが綱の上なんかではなく、
しっかりした地上だということに気づくだろう。

でも、私にしてやれることは何一つない。
お金を渡すことだけだ。(それすらもできないでいる)

「夫婦漫才」。
この語は、実は「夫婦善哉」と響きが似ていて、それで「縁起が良さそう」に聞こえるのだ。
けれど、漫才のように、ずっとずっと笑いあって生きることができたら……

私だって、もっと長いことがまんできただろうに。
彼女自身にすら、決してわからないように。

「そんなの欺瞞だ」なんて、わかったようなこと言うんじゃないよ。
恋愛が求めるものは、しょせん相手の現実の姿なんかじゃなく、
自分に都合の良い理想、空想、「ファンタジー」なのだ。

性別がどうだろうと「夫婦」という関係性を持てば、
それぞれの立場に相応しい人格を自ら形成していくのが、
関係性を全うする人間の、あるべき姿なのだ。
そう思う。

今の私にとって、男も女も、どっちも「異性」だ。
どちらも愛し方を知っている。
ただ、女については、元パ以外絶対に愛する気にはなれない。
それだけのこと。まあ、たぶん一生変わらないだろう。

でも、私は人を愛したり、甘えたり、気にかけたりしないではいられない。
だから、男を求めるのだ。
今の私は、まるで私が自分のことを「男(のはず、とかそうじゃなくちゃいけない)」と
思い込んでいた頃に女のことを考えたのと全く同じように、
男のことを考えている。
男はかわいかったりいじらしかったり、面倒見てやりたかったり甘えたかったりする。
それは、私にとって、不思議と何の違和感もないことなのだった。
そっか。
中学生の頃に同級生の男の子が好きだったのと、それは全く一致する。
それでいいんだ。

今の私には二度と決して訪れることのない「夫婦漫才」じゃなかった「夫婦善哉」に
思いを馳せながら(ホントにどっちだって幸せだろうと思う)、
今年は暮れていく。

「共依存」の鎖が一つ解けたら、なんだか急にいろんなことがちゃんと見えるようになってきた。
鎖のもう一方をぎゅっと握って私を放そうとしなかった人を、ちょっと恨む。
けれど、私には私で鎖の残った一方を離すことができなかったんだから、
仕方ないか。

過去3年間、女としての自分を考え、今年になって男のことを考え、
もしかしたら(自分にとってはもう現実ではなくなってしまったけれど)
来年あたりは「夫婦」のことを考えるようになるのかもしれない。

ん?
なんだかくどくどと、長くなってしまった。
寝よっと。


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2001年12月29日(土) しくしく…… / 喪中にて / 自分史 他

★1・……
★2・喪中にて
★3・そうか今日は土曜日だった。
★4・補足
★5・自分史
★6・「不審船」事件
★7・クリエティビティとBGM



★1(無題)

今朝、っていうかつい今しがたまで、とても怖い夢を見ていた。
それも、半分、っていうよりちょっと少なめに目が覚めていて、
自分が寝床から起き上がれずに怖い、
起きたけど声が出なくて怖い、
あんまり怖いから2階の弟のところに駆け上がっていったら弟がいなくて怖い、
ああそういえばまだこれって寝床の中で目を開けてないじゃん、
で、目を開けようとしたら、何もないんだけれど目を開けたその目の前が怖い、
……
根拠もないのに「怖い」のが怖い、という夢なのだ。
あー、怖かった。ほんとにもう。しくしく……

あーあ、なんでこんなことになっているんだろう。

私はお芝居や同人誌でがんばっていけそうだというのに。

でも、そういえば、年越しってけっこうしんどいイベントなのよね。

やるべきことがやってなくて、ちょっと罪悪感とかあるかも。
でも、だいじょうぶ、ちゃんとやるから。

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★2・喪中にて

えっと、いつも私のHPをご愛顧(?!)いただいている皆さまへ……

今年1月12日に逝去した母の喪中につき、お年始のご挨拶は控えさせていただきます。
どうか皆さまにおかれましてはよき新年を迎えられますよう、お祈り申し上げております。

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★3・そうか、今日は土曜日だった。

今日はピーター・バラカンの番組は11時50分までの3時間半だって!!

私の感覚はヘンなのか。
ピーター・バラカンの選曲は、すごく良いセンスだと思うし、
聞いてて心地よい。

ああ、音楽で救われたような気持ち。

(罪悪感の正体に気がついたかも……
私が罪悪感を持ってはいけないのもまた、明白なんだけど。
例の「共依存相手」に、なんの声もかけてやれないことだ。
それに、「12月9日」を汚されたみたいで、
当人たちには全く罪悪感などないだろうと思うと、
それもまた哀れというか恐ろしいというか……
なんだか、こういう人間関係がやけに多くなってしまったような気もする。
それとも、私にとって都合の悪い相手を「そういう関係」に押しやってしまいたいだけ?!
だとしたら、なんて卑怯な……
でもでも、そういう相手を「苦手」と思えない私って、いったいなんなの???
……ああ、そうか、たった一組の恐ろしい相手と、
そんなことはない安全な相手とを、
ほんのちょっと似ているからってごっちゃにしそうになっているから、
それでまるっきりとんちんかんな結論になってしまうんだ)

まあ、いいや。ピーター・バラカンの選曲による、WWM(ワールドワイドなみゅーじっく)を聞きながら、
……もう少し寝ちゃえ。

こういうときは「寝逃げ」に限る。

あと、励ましのメールキボンヌ。
お返事はなかなか書けないかもしれないけれど。

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★4・「寝逃げする」んじゃなかったの?

といいつつ、補足。

一昨年の年末年始……
12月の半ばに元パが子どもを連れて実家に逃げ帰ってしまって一人きり、
ところが救いを求めた教会の牧師からは
「拒否」としか受け取れない言葉を投げつけられて
引きこもって一人きりで年越しした。
それから、年が明けてすぐに、東北まで出かけていった……
(単独でそこまで足を伸ばしたのは生まれて初めてだった)

昨年の年末年始……
お店が忙しくて、ほとんどアルコール漬けになりかけて、
そんな中やけどをおってしまい、
母も入院したまま年を越して、
そうそう、母の病室で「あけましておめでとう」を言ったっけ。

今年はどうなることやら。
でも、少なくとも、上に挙げたような過去2年の年越しよりは
ずっと穏やかなものになりそうな気がする。
せいぜい「喪中」だから静かで寂しい、というくらいで。

では、皆さま、おやすみなさい……
(こんな時間にも一度寝てしまうなんて、世間一般ではどんなに非常識か、
というのを思い出させてくれた人がいました……
感謝……)

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★5・自分史

なんだか、まだ「寝逃げ」してない。
きっと、時間がずれて、ピーター・バラカンが終わった頃にでも寝てしまうんだろう。
ちょっと風邪気味だし、だらだらと寝床の中で過ごす1日があってもいいじゃん。
(とりあえず、ここの書き込みは寝床の中でできるし……
といっても、前みたいに「夢枕にぱそのピンクノイズが立つ」などということが起きない距離は
確保してあるけど(^^;)

で、起きてて何したのかというと、『文芸部長・会津里花?!』のコンテンツを整理していたのだ。
自分のサイトの内容なのに、いちいちぜんぶ「お気に入り」に追加したり……
開いてちらっと見て、という作業を繰り返すうちに、私はここ10年強の自分の文章に目を留めた。

私はなんで、結婚の前後からこんな内容の文章を書くようになったのか?

たとえば、
人間性悪説――さて……』http://www1.odn.ne.jp/~ccp05090/dojinshi/sate.htm
これはまだ東京在住中の1988年に書いたもの。
ただし、この頃には元パとつきあい始めていて、結婚するのしないの、と言っていたのだった。
とても「結婚を控えた男」の文章とは思えないよね……

それから、
祈り(四月二十八日付)』http://www1.odn.ne.jp/~ccp05090/dojinshi/inori910428.htm
これは、結婚して2年目の1991年の文章。
終わりのほうに「パートナーを裏切って……」と書いているけれど、
私が配偶者に対して「パートナー」という呼び方をすること自体、
何かしら「マイナスの意味」を帯びている。
しかも「パートナーを裏切っている」だって。いわゆる「浮気」?
(いいよ責めてくれて;言い訳なんかしないもん)

どうも、私は遅くとも1988年頃には「発病」していたらしい。
まだまだ中途半端だけれど、少しばかり「AC」とか「鬱病」とかの知識がついた目で見ると、
なんとなくそのくらいのことは、わかる。

まだ「知識」すらも足りないので、もうちょっと元気になったら……っていうか、
待っていたら手遅れのような気もするけど……
またメンタル系の本でも読んでみよう。

前に斎藤学(さいとうさとる)『封印された叫び』(1999年・講談社)(→詳細)を読んだけど、
けっこうしんどかった。
でも、それでもかなり勉強になったと思う。
「そういうものにハマっているのが間違いだ」と思う人もいるかもしれないけれど、
たぶん私は私なりのバランスをとっていると思う。
だって、その本を読んだときの「しんどさ」があったから、
それ以後は斎藤センセの本、ぜんぜん読んでないもん。
私にとっては「おなかイパーイ」というか「もうたくさん」というか、
そういうことを感じ取る力は残っているのだ。
それに私、「1を聞いて10を知る」ところがあるからねー(<自分で言うな(-_-;)

でも今、また、「知識」によって冷静に整理しなければいけない時が来ている、と思う。
だって、繰り返しやってくるこの抑鬱感、
やるべきことは「必ず」中途半端にしてしまって決して完成させようとはしない、
社会復帰しそうになっているのに、人と接する機会が増えてとても楽しいことがあると
まるで「揺り返し」のようにその後でひどくふさぎこんでしまう、……もぉ、ヤだー!

なんとかしたいもん。まじで。

今はきっと「二つ(=変えられないものと変えられるもの)を見極める賢さ」が求められる時期なんだ。

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★6・「不審船」事件

……↑ここまではお昼前かお昼過ぎくらい。ここからは、夕方〜夜。……

この事件、私はもう素直に怒ることができない。
だあってさー、なんか誰かが仕組んだとしか思えないほど
タイミングがいいんだもん。
こんなところにまでCIAの影が。
いやいや、それは当然か。
むしろ「お膝元」といってもいいくらい。

でもさー……
それにしてもさー……

わざとらしい。恥ずかしい。

誰が仕組んだとしても。
あの事件を見て「テロは他人事じゃない!」とか、素直に色めいていられる人って、
悪いけど、かなり「素朴」だと思う。

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★7・クリエティビティとBGM

あれ(=「★5・自分史」)から更にいろいろと自分のところを更新してしまった。
なんか、自分でも忘れていた同人誌『地球』への投稿『自信』に気が付いたので、
ついでに『「会津里花」のこと』と『生徒諸君!』もUPしてしまい、
(↑『地球』の文章はぜんぶ手書きっていうか見て平打ちしたんだよ〜(^^;)
更に「習作シリーズ」まで……(-_-;
(↑こっちはコピペだけど)

これ、実は、今日1日じゅうかけっぱなしにしていたNHK−FMのおかげだと思う。

よいBGMは、私をしばしばクリエイティブにしてくれる。

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2001年12月28日(金) 重たい……

すごく良い時と、どうにもできない時と、かなり極端な状態が交互にやってきている。

時効になっていても、当事者だけは拘り続ける「性的侵入」。
私がこんなに拘っているんだから、相手も同じくらい、それかもっと拘っているだろう。
私は忘れているうちにそれなりの人生を築いてしまうことができたけど、
それすらもできずに苦しみに満ちた時を過ごした人もいただろう。

……って、こんな書き方すると、おかしな「期待」を人に与えてしまうのかもしれない。
(それが嫌で、昨日の記事は削除した)
「会津里花は人に言えないようなひどいことをしたらしい」

今の私はネットで殲滅されてしまうと吐き出す先がなくなって、
やっていけなくなってしまうかもしれません。
どうしましょう。

---------------------------------

(ああ、それでも、この形式になってから久しぶりに、感情をただただ吐き出すだけの書き込みにできた。
タグつけながら書くと、けっこうリクツっぽくなっちゃうんだもん……)

2001年12月27日(木) 迷走

削除

……っていうか、書けない。

ためしに書いたけど、ろくな内容じゃなかった。

ろくな内容じゃなくても露にしていいところを探さないと。

2001年12月26日(水) 音楽

★Janis
★マレーネ・ディートリッヒ
★清水靖晃


★Janis
ある友人から「年末年始用に」といってビデオ3本、CD3枚を貸してもらった。
(みかりん、さんくす♪)
そのうちのビデオ1本、まだちょっと早いんだけど、早速見てしまった。
タイトルは『Janis』。60年代後半〜70年頃にかけて活躍したアメリカのシンガー、
ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin, 19xx-7x)の姿を、ライヴを中心に映したものだ。

なぜジャニスばっかり先に見たくなってしまったかというと、
私はジャニスにすごく興味があるのに、
歌もあまり知らないし、映像でもほとんど見たことがなかったからだ。

そうは言っても、ジャニスをモデルにした映画『The Rose』は見たことがある。
それも、確か2度くらい。あ、違う。やっぱり1度だ。
でも、ベット・ミドラー(Bet Middler)の扮する「ローズ(=ジャニスがモデルになっている主人公)」が
全身で熱唱する姿は、
今から10年ほど前にビデオを借りてきて見たときから、
強烈なインパクトを私に与えつづけている。今も。

オフラインで私を知っている人の中には、
もしかしたら私がカラオケでやたらと"The Rose"を歌うのを知っている人もいるだろう。
私は、どちらかというと淡々と歌う"The Rose"の中に、ジャニスの、
そうして彼女がまるで自分のことを全て表現し尽くそうとしたかのように
駆け抜けて生きていった姿を模したベット・ミドラーの、

「お願いだから、私のことをわかってーーーー!!」

と大声で叫ぶような歌い方への憧れを込めている。

それは、いつの頃からか自分でも覚えていないけれど、
ジャニスやベット、そうしてもしかしたらNOKKOや椎名林檎にもつながるような
全身を使って、搾り出すように、叫ぶように歌う(文字通り「シャウト唱法」などと呼ばれたこともあった)
そういう「歌」に、私が強い憧れを持っているからだ……と、思う。
それは、エラ・フィッツジェラルドに代表されるようなジャズヴォーカルに
ルーツを求められるのかもしれないし、
(悔しい、名前を思い出せない!! いつも気にしてるのに)ソウルにも、
更には遠くケイト・ブッシュとかマドンナ、ホイットニー・ヒューストン、マライア・キャリー、
あとジュエルなんかにも通じるのかもしれない。

私は、もともと喉がそんなに強いほうではなかったのに無理して男声で高い音を出そうとして、
今では高い声なんてろくすっぽ出ない。
(しゃべり声はユーミンと同じくらいの高さなんだけど(^^;)
でも、確か10代の頃からずうっと思ってきた。

きれいでパワフルで説得力のある、女性ヴォーカルが歌えたらよかったのに、と。

ああ、そうか、タイプはだいぶ違うけど、
中1のときにカーペンターズの"Yesterday Once More"を歌って以来なんだ。


――私はステージの上のジャニスとシンクロして、体じゅうでソウルを感じていた。
ジャニスの言う「ブルースやソウルは音楽として誠実そうだと思ったから(歌う)」という言葉を、
私は体で感じていた。

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★マレーネ・ディートリッヒ
さて、その後、(こうやって書くのは蛇足なんだろうけれど)こんなことがあった。

ビデオを見終わって巻き戻し始めたら、テレビのチャンネルが映った。
それはNHKで、番組は「マレーネ・ディートリッヒ」を追うドキュメンタリーだった。
マレーネは、ジャニスとはほとんど「正反対」と言ってもいいような歌い方をする。
「1963年にドイツ語で歌う『リリー・マルレーン』の映像」というのを見た。
この人の声域は、実は私でも歌えるようなとても低い音域だ。
そうして、何かを見据えるような、ほとんど表情はおろか目線も動かさない姿勢。

でも、私はこの人が、祖国に帰れなくなってでも貫き通した生き方と、
その生き方に裏打ちされたかのような歌い方に、
ジャニスのときと同じように感動してしまった。

月並みな言葉が結論になってしまうけれど、……

歌は、人生。生きざま。
貫いて歌い続けるとき、その人の人生そのものといっていいような表現に、なる。
それは、若くして死んでしまったとか(ジャニスは確か25歳ぐらい?)、
逆に長く生きたとか(マレーネは90歳前後まで生きて1992年に亡くなった)、
そんなことにでも、左右されないのだ。

(あーもう、言葉は歌そのものの1000分の1ぐらいしか伝えられない。
しかも、長くなればなるほど、余計な文字ばっかりで音から遠ざかってしまうし。
興味がある人は、上の二つの記事にかなりたくさん挙げたシンガーの歌の、
どれか一人でも二人でもいいから、聞いてみてくださいね(^^;)

これから、みかりんが貸してくれた私の知らないアーティスト「Double」(という名前のデュオ)を
聞く楽しみが待っている。

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★清水靖晃
眠れなくなったら困る、と思った私は、寝る前にもっと落ち着いた音楽が聞きたいと思った。
それで、別の友人から借りた、清水靖晃のサックスによるバッハ「無伴奏チェロソナタ」のCDを
聞くことにした。
(うじぇさん、さんくす♪)
……リピートにして聞いているうちに寝てしまって、けっきょく一晩中聞いてしまったことになる(^^;。

実を言うと、私はベースで「無伴奏チェロ」のうちの1曲の、更に2楽章だけだけど、弾ける。
(まあ、「弾ける」なんて言っても、人に聞かせられるようなレベルじゃないけど(-_-;)
確か「第3番」の後のほうの二つの楽章だった、と思う(よく覚えてなかったりして……いいかげーん)
ベースなので、1オクターヴ下げているし、物理的に大きな運指をしなければならないから
のろのろとしか演奏できない。
だから、ヨーヨー・マとかの演奏を聞きなれている人には、
なんだか「再生スピードを間違えたテープ」みたいに聞こえるだろう。
まあ、それでも、確か「1・3・6番」を聞いて「これなら演奏できるだろう」と決めるくらいには聞き込んでいる。

ところで。
そうやって聞きなれたのか、
また、やはりベース……といってもウッドベース……で弾いたロン・カーターの演奏を聞いていたからか、
それとも……
これの可能性がいちばん高いけれど……
サックスの音だからか、
清水靖晃の音は、なんだかとってもわかりやすかった。
これなら、キーさえ合っていれば一緒に演奏していてもやがて弾けるようになってしまうのでは、と思うほど。

朝方に起きる間際、なぜかサックスの音から夢を見た。
その中で、私は自分が男で、演奏しているのが女性という設定で、
「この人(女性)、すごくうまいなあ」
と感心しているのだった。
ま、サックスを吹いていた頃は、
自分のことを「男にならなくてはいけない存在(他人事)」だと思っていたんだけどね。

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そうそう、つい最近知った人。二人。

・ビョーク(bjork)
映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の主人公になった、アイスランドのシンガーソングライター。
・chara
実は言ってるほど知らなくて、やっぱり映画『Swallowtail』に出演していたのと
その主題歌をうたっていたことを知っていただけなんだけど。

でも、私にはじゅうぶん。
二人とも、音楽に対して「誠実」だ、と思うもん。

2001年12月25日(火) オードリー / 「良い二日酔い」 他

★1・オードリー(総集編)
★2・「良い二日酔い」
★3・朝のニュース



★1・オードリー(総集編)……(+ACのことまで話は広がる)

『オードリー』の総集編を見た。今日が第1回目だ。
(でも残りの3回も見つづける根性があるかどうか、ちょっと心配>自分)
『オードリー』総集編→NHK INFORMATION「今週の主な番組」http://cgi2.nhk.or.jp/pr/bangumi/omoban/o1225.shtml

で、急に分かってしまった。
私が最近、演劇に凝りだしたのって、このドラマを見た影響も、けっこうあるのだ。

私は「共感」するのが「好き」だ。
もちろん、されるのも好きだけど、そちらのほうはときどき心の中で拒んでいることがある。
(私、傲慢だからねー……ヤなヤツ(-_-;)
で、で、話を戻そう、まあ、私はACでボーダーで「自他の境界線が曖昧」なので、
他人事なのにそれをまるで「自分のこと」みたいに思い込むことがけっこうあるのだ。
逆に、自分のことは他人事みたいにしれっと分析して平気でいる、とか。
(若い頃よく言われた)
で、また話を戻そう、……っていうか、逸らすなよ、話。
(でも一つだけ気になることを書いたので補足……くどいのは、酔いが覚めてないのね……
「私はACでボーダーで……」とか書くと「差別的な書き方するな」と怒られそうだけど、
日本人は民族としてACじゃないほうがどうかしていると思うし、
ボーダーだって50人に1人の「才能」だと思う。
自分も含めて、「ボーダーっぽいところ」って、とても素敵だと思うもん……って最近すごくそう思う。まじで)
AC→下北沢メンタルクリニックhttp://www.t3.rim.or.jp/~takaha3/ac.htm
↑でも、改めてコンテンツを読んでみたら、「胸を張って」というのはちょっと、という気がしてきた。
正確には、どうやら「アディクション」の問題を抱える家庭〜人格、更に「共依存」の問題、ということみたい。
(本当はもっと勉強したほうがいいのでしょうけれど……)
ボーダー(境界型人格障害)→Dr林のこころと脳の相談室http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/index.html

『オードリー』は、「総集編」を年末に流すっていうことは今年の作品なのね。
でも、「このドラマには思い出がある」と語り始めたくなるくらい、
まるで遠い過去のことのような気がしてしまう……そう、ちょうど、「朝の連続ドラマ」なら
『おはなはん』(←ふっ、古い!! 知ってる?)と同じくらい。
(そういえば『おはなはん』のロケ舞台となった「愛媛県大洲市」は、私の母の父方だか母方だかの実家でもあったらしい。
でも、どっち??)
『おはなはん』→思い出のNHK 朝の連続テレビ小説http://ca.sakura.ne.jp/~kamo/drama/asadora.html
愛媛県大洲市→http://www5.ocn.ne.jp/~oozu/index.files/index_r.html

このドラマには、思い出がある。
そう、あれは、私の母が亡くなった頃だった……
私は、夜ニューハーフのお店で働きながら、昼間(大半は寝ていたけれど)僅かな時間ながら
母の付き添いをしていたのだった。
(このことはリアルタイムで書いてるから、読んだ人もいるかも?)
お店が終わって家に帰り、まだ床に就くでもなくぼんやりとテレビを見ていると、
テレビでは「二人の母」を持つ女の子が映画監督として成長していく物語を流しているのだった。

「二人の母」。
私も似た境遇、と言えないこともない。
先方にはそこまでの気持ちはなかったようだけれど、
私にとって年の離れた姉は、まるで「もう一人の母」のような存在だった。
だって、18歳も離れていたんだもん。若いお母さんと子どもと言っても過言じゃないでしょ。
姉は「ものすごくきれい」だった。今は初老のおばさんだけど。
いっとき疑ったこともある。「実はこの人が私の本当のお母さんなのでは」と。
でも、父親が誰なのかわからなかったし、私は紛れもなく「母」とされている人とよく似た容貌だったので、
ほどなくそんな考えは消えていったけど。
それに、その「母」―こちらはやや高齢出産だった―も、私のことを
ほとんど「溺愛」に近いほど、愛してくれた。

「変わり者の父」。
これも似ている。
父は1910年生まれの人間としてはちょっと珍しく(まして片田舎のとりえもない町ではなおさら珍しく)
英語とフランス語がペラペラしゃべれる人だった。
うちにもよく国際電話がかかってきてびっくりしたものだった。
近所の人たちにはほとんど理解できない仕事をし、
(今でも「弁理士」というのがどういう仕事だかわからない人、たくさんいるでしょ?)
午後には着流しでお散歩する。
弁理士→日本弁理士会http://www.jpaa.or.jp/

このように複雑な家庭環境を抱えていた人というのは、第二次世界大戦後特に多かったのではないか。
だって、類型的な「家庭」像そのものまで崩壊してしまうほど、
戦争絡みの成り行きでさまざまなかたちの「家庭」ができたと思うから―主に家族の誰かが「いなくなった」ことで。
(だから、私は「日本人ならみなAC」と言ってはばからないのだ。
戦後の混乱期に、それでも「まともな家庭」を維持していた人たちでさえ、
まさにその「まともな家庭」にしがみつくことでむしろ典型的なACを紡いでいったのではないか。
ある掲示板で「あんたみたいな人間をACっていうんだよ」とか罵詈雑言に使われていたけど、
はっきり言ってその言葉に耐えられない怒りを感じる。私自身が言われたんじゃあないけどさ。
言い返したい。
「そういうあんたもたっぷりACじゃないか。
『AC』っていう言葉を差別語みたいにしか使えない無知をさらして、
そのほうがよっぽどみっともないとは思わないのか」と)

胸を張って「私はACで、もしかしたらボーダー」という私は、
そういう性格のせいか小さい頃から「演技がじょうず」だった。
小学校の頃、弟の前で15分くらいの間ずっと「サルのふり」をしていたら、
弟は私が「本当にサルになってしまった」のだと思って泣いた。
(それは今でも彼の心の中で恐怖の記憶となっているらしい。許せ弟!!)

演劇にせよ音楽にせよ、いつもの自分とは違った姿や音を身にまとって、
それで表現することで、自分の「本性」を「素」よりもずっと的確に人に伝えることができる。
そういえば、12年前に東京から郷里に帰ってきたとき、
「このまま就職(+結婚も?!)なんかしないで、半年ぐらい中途半端にアルバイトでもしながら
どこかの劇団(っていうか実はらせん劇場だったんだけど)に入って
オカマの役(←まじです!ウソじゃないよ!!)をやってみたいなあ」
と思ったものだった。
その思いは、本当のことを言えばかなり強かったのだけれど、
自分でも「あまりにも突飛」だと思って実行しなかったのだった。

「突飛だから実行しない」というのは、大人らしい考えだから本当は良いことなんだろうけれど、
実は私はそんなに大人じゃなかったのだった。

なんだか、あまり古いできごとのように思えて心配になり、調べてみた。
すると、『オードリー』の放送期間は「2000年10月〜2001年3月」だった。
(→朝の連続テレビ小説歴代タイトル&ヒロインhttp://www.asahi-net.or.jp/~BT6K-OGT/a/asadora.htm)
その途中の今年1月、母は息を引き取ったのだった。
まだ1年たっていないのだ。
でも、まるで本当に、古い、古いできごと……遠い、遠い昔のこと……
そんなふうに思えてしまう。

それほど、今年はいろんなことが起きたのだった。

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★2・「良い二日酔い」

昨日、お芝居の打ち上げで、自分としてはかなり飲んでしまっていた。

でも、だって、
・ばらし(撤収)を手伝った……なんか、ほとんど3年ぶりくらいにまともに体を動かした!
 →すっごく疲れた+けれどなんだかとても気持ちよかった
・お芝居そのものを、(昨日書いたように)2回続けて見れた、
 それもある意味「憧れの」らせん劇場のお芝居だった!
 →飲む前から興奮していた
・一緒に飲んだ劇団員のみなさんが、とても気さくでいい人ばっかりだった!
……というような理由があって、気が付いたらビールをコップに2杯か3杯、
更にワイン(かわいいネコのかたちの瓶♪)まで飲んじゃったー!!
私にしてみりゃ十二分だよー。

そんなわけで、典型的な「二日酔い」やってます。
頭が痛い、体が痛い、いっぺんに30歳ぐらい年取った感じ(そんな年齢まで生きてられるか?)。
昨日帰宅してから、何杯もジュース・ウーロン茶・コーヒーを飲み(お腹がばがば)、
トイレにも何度も行き、お湯を浴びて汗と一緒にアルコホルを出し、……

でもね、不思議なことがあるの。

以前……確か2、3年前まで……は、こんなふうに二日酔いになったら、
間違いなく「飲んだこと」「飲んで自分がとった言動」に
「死にたいくらいの後悔」
をしていただろう。
ところが、今はぜんぜんそうは思わない。

もしかしたら、「以前」=会社員という立場、で「酒を飲む」という行為をしていた頃は、
飲んで発散せずにはいられないような「ひずみ」を抱えていたからかもしれない。

それとも、昨年お店に出て働いて、ようやく「酒を飲む」という行為に慣れたのか。
そういえば、本格的に飲み始めた20(+α(^^;)年前から、
既に「お酒を飲む」ということと「前の日に飲んだお酒を後悔する」ということは
ほとんど必ずと言っていいほど「セット」になっていたような気がする。

学生寮の居室で、本当は飲めもしない(だから味なんてわかりもしない)日本酒の一升瓶を抱えて
2、3杯冷酒で飲んではそのまま机に突っ伏して夜中に目覚める、なんてことを
やっていたこともあった。
特にそうしなければやっていられないようなこともなかったはずなのに。

手元に酒瓶があれば、空けてしまうまで毎日飲んだ。
でも、飲むことを後悔するから、滅多に酒を買いたいなどとは思わなかったけど。

ねえ、これって、「アル症」となんだかちょっと似てない?

今はもう違うので、こうやって他人事のように思い出せるし、
「それはアル症に似ている」と決定的な指摘をすることもできる。

でも、そういう状態にハマっていた頃の私は、ただただこう思っていたのだった。

「私は酒は好きだけど弱い。
なぜなら、父が(昔、酒で何かひどい目に遭ったらしく)酒を飲めないから」
(実際、肝臓に「アルコール分解酵素」を持っていないらしいのは事実のようだ。
この苦しみは、飲める人にはわかるまい(-^-;げそっ)

で、飲むたびに、なんでもいいから「後悔」していたのだった。

ああいうおかしな二日酔いに苛まれなくなって、嬉しい。
今も二日酔いだけど、いちおうちゃんと起きていられるし、
昨日飲みながら話したり笑ったりしたことを「後悔」なんてする気にはなれないもん。

それとも、昨日のお酒が特に「いい酒」だったのかな。

……

うん。そう思うほうが、もっともっと嬉しい!

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★3・朝のニュース

またきな臭いニュース。……といっても、一昨日ぐらいのお話。
なんだかこのところ毎年、「天皇誕生日」というと「北朝鮮」からあんまり嬉しくないお祝いが届くようだけど、
今回は「銃撃戦?! ロケット弾?!」だそうで。

ニュースそのものは、実を言うと聞くのもうんざりなので、正確には知らない。
でもまあ、だいたい「そんなこと」が起きてるんだろう、くらいには話がわかる。

「テロ対策」と称して、日本もテロ国家に成り下がるのか。
(武力テロは武力的に対抗するしかない、というのは最低な必要悪だろう。
でも、まるで大手を振って、じゃない日の丸振って応援するみたいな姿勢を国民が示すのは、
「市街地を銃撃戦の戦場にしても憚らない」という意思表示のように思えて、
あえて消極的な発言がしたくなるのだ)

本当は国境とか領土とかが曖昧で、いいかげんに敵味方がうろうろしているのが、
「アジア的平和・繁栄」なのではないのか。
近代になってアジアのほとんど全域(除・日本とタイぐらい?)が植民地にされてしまって
初めて「国境線の確定」が国際問題として認識されたのだ。
つまり、「国境線」などという概念が、そもそも西洋の近代帝国主義からもたらされた「悪魔」の概念なのだ、
とさえ言えるのだ。

ああ、もう一つあった。
東洋でも、なぜかひとり日本だけは、18世紀だか19世紀だかに確立した
「鎖国」という概念で、「国境線」と同じような感覚を学んでいたのだった。

歴史は先へ進めば進むほど、どんどん貧しくなっていく。

私も含めて、40歳ぐらいから上の人たちはこういう考え方には馴染みにくいかもしれない。
でも、私には、あちらこちらで起きる現代的な現象が、
まるで「歴史は先細り」と大声で叫んでいるかのように見えて仕方がないのだ。

こんなことを言う私は「非国民」なのかもしれない。
でも、いいじゃん、「不審船」なんて、放っておけば。
こっちから発砲しなければ、ロケット弾なんて撃ち返してきたりしなかったんじゃないの?

甘い考えで滅ぼされるのなら、それもまた幸せだと思うんだけど。
もちろん、いざ本当に滅ぼされることになったら、私はさんざん後悔して泣き叫び、
じたばたして逃げようと慌てふためくだろう。
その姿は見ていられないほど惨めで憐れで、みっともないだろう。
「甘ちゃん」「無責任」「口ばっかり」
そんなことを言われるだろう。
でも、それが私なんだから、それでいい。そう思う。
こちらから仕掛けたりするよりもずっといい。
せめて、憎しみの連鎖が私で途切れてしまうことができるのなら。
私一人を笑って、それでおしまいにできるのなら。

(悲しいことに、それで生き残るのはけっきょく
「憎しみをそのまま連鎖させる者」だということの解決にはなっていない。
けれど、人間って、それをちゃんと解決できるほど頭良くないんじゃない?
だって、私にもそれをどうすりゃいいのかわからないし、
この世の誰も解決できたのを見たことないもん。
和解すればいいんだろうけど、和解できずに殺しあってしまった後に残るのは
より恐ろしい憎しみを冷静な計算や偽善的な「正義」に置き換えて
「勝利」した者である、という矛盾!

私は何度だって繰り返す。
この世に「あれで良かったんだ」と正当化できる戦争は一つもない。
戦争で勝利した者は、次の時代にはより大きな後悔と敗北を味わうのみ。
貧乏くじをひいて戦いに赴いた者は、どんな栄光に包まれて凱旋しても、
その手に消えない血の色を見て、死ぬまで生き地獄を歩むのだ。
それが「戦う者」の宿命だ。また、そうあるべきだ)

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2001年12月23日(日) らせん劇場

(メモ@ケータイ)
らせん劇場『ふぁいなる・くりすます』を観た。
二度も観た。
実はこの劇団とは、1979年からだから20年以上も、なんとなくおつきあいがあるのだ。
ただし、つかず離れず。
たいてい、私は忘れてしまっていた。
でも、かなりしばしば気にしていた。
今回のお芝居では、「離婚後に両方とも性転換してしまってから再会した夫婦」というのが出てきて、二人とも老境にさしかかっている、という設定だったので、他人ごととは思えなかった。
(現実には性転換してから長生きした人というのは少なくて、なおかつ夫婦のあり方なんかを示すようなお話は聞いたこともない)
で、あんまり身近すぎて、昨日見たときにはかえってぴんと来なかったほどだったのだ。
昨日見終わった後でそのことに気づいて、「ゼッタイ今日も見よう」と思ったのだった。
だって、カンジナンなことがわからないままで観終わっちゃったの、あまりにももったいないし、悔しいんだもん。

私が自分を取り戻すために。
演劇を通じて。
それに私自身が参加すること、観ること、そうして、演劇に関わっている、多くの魅力的な人々と接すること。

赤ちゃん、生まれてよかった。
園長先生はまやか先生に告白できてよかった。
あたごやのダンナもメアリーに告白できてよかった。
お使いはサンタになれてよかった。
「いま」がカッコよかった。
「3人の博士」、私も夢に見そうだ(かなり楽しくうなされそう(^^;)。
最初と最後に出てきた「ナゾのミニスカ・サンタさん(?!)」がかわいかった♪ (^^;

素敵なお芝居、ありがとう。
これからも、公演があったらぜひ見に行きたいです。
(このページを見ていて、静岡に来れる条件のある人も、ぜひぜひ!!!!)

2001年12月22日(土) 今(メモ)

新静岡センターのそば(=サールナートホールのそばでもある)の「アルデンテ」にいます。
私は「喫茶店文化」に染まって思春期を過ごしたので、こういうお店は大好き♪
トマトソースでちょっと辛目のパスタを食べ、『赤毛のアン』を読み、ふと気が付くとBGMにはクラプトンのTEARS IN HEAVENが。
劇団の友達とメールを交わし(まるでチャットみたい)、なんだか楽しっ♪
(ま、ゲンジツは現実として)

2001年12月20日(木) 議論に向かない自分 / 「サー*ルK」

★1・議論に向かない精神構造>自分
★2・(初公開!)「サーク*K」



★1・議論に向かない精神構造>自分

私は、頭がいい。
それは、よく言われる。

ところが、ときどき自分が煮詰まると「議論のための掲示板」とかに行き、
そこで茶々を入れたりしてみるのだけれど、
なぜか誰も相手にしてくれない。

いったい、どういうことなんだろう。

はっきり言って、何かに気が付いたとかいうわけじゃないので
わけのわかんないことを書いてしまうけれど、

私はきっと、議論を正常に進めるために守らなければならない
「何か」
を、わかってなくて無視して、踏みにじっているのだろう。

で、けっきょく、私は自分から切れて

                 ┌─┐
                 |も.|
                 |う |
                 │来│
                 │ね│
                 │え .|
                 │よ .|
      バカ    ゴルァ  │ !!.│
                 └─┤    プンプン
    ヽ(`Д´)ノ ヽ(`Д´)ノ  (`Д´)ノ    ( `Д)
    | ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─□( ヽ┐U
〜 〜  ̄◎ ̄  . ̄◎ ̄   ̄◎ ̄   ◎−>┘◎
               バーヤ! バーヤ!
          ヽ(`Д´)ノ モウコネエヨ!!
            (  )   ウワァァン!!
            / ヽ
(うっひゃー、初めて使った、これ(^^; でもだって、かわいいんだもーん)

と引っ込んでしまうのだった。ときどき未練たらしくロムして。

こんなことを書くようになった私って、もしかしたらもうだいぶ
どっぷりとネットにハマっているのかもしれない。

でもさ……

「どっぷりとハマる」って、ある文化に深く接してそれを理解したり、
自分の中に取り込んだりする、っていうことなのでは?

だから、別にいいや。
なんか、やっぱりよくわからないけど。

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★2・(初公開!)「*ークルK」

はい、これが証拠です

サークルK!

……だから何?
って言われると困っちゃうんだけど。
年内の正式改名はムリっぽい……もう今日、20日なのに……

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2001年12月19日(水) 途中経過 / ちょっと痛いところ

★1・途中経過(っていうか……?)
★2・いつのまにかカウント「1000」超えてた。
★3・ちょっと痛いところ



★1・途中経過(っていうか……?)

GLAPに出演したbungo-TさんのHP「bwrighte(これでブライトと読む)」の掲示板に書き込んだ内容:

以下転載---------------------------------

bungoさーん! お疲れさまー!
GLAPの後、私は私で大阪〜神戸とドサ回り……じゃなくてお友達に会いに行ってたので、
こちらへの書き込みがすっごく遅くなってしまったけれど、
ライブの感動が少しでもさめてしまわないうちに……

私にとって、ゲイ&ビアンの人たちがたくさん集まるところに行くのは初めてのことで、
正直ちょっとこわかったです。
(偏見とかじゃなくて、単純に「よく知らない」から)
けれど、入ってみて、うひゃあ〜すし詰め状態!
(8時半ごろの中央線? そこまではいかないか)
にしばらくして慣れてくると、
そこに集まっている人たちがなんとなくやさしい安心感とでも言うのかな、
そんなものに包まれているのが伝わってきたの。

いろんな人たちの歌が、私の心のどっか「やあらかい場所」をつかんでる、みたいな(^^;
ん、でも、まじでとっても感動した! 涙も出た。

あと、ヘンなことかもしれないけれど、
ライブだから当然っていえば当然? でも、灰皿がいちおう用意してあったのに、
喫煙してる人がほとんどいなかった。
それも、私にとっては、とてもありがたかったです。
(なんか年とるごとに、どんどん「煙草アレルギー」みたいなのがヒドくなってしまい(;_;)、
もしも会場が煙もうもうだったら最後までいられなかったかもしれないと思う)
そんなことも、さりげない、けれどとても素敵な、やさしさなのかも、と思ってしまいました。
(もちろん「私に対するやさしさ」とかいうんじゃなくて、音楽を共有する場としての、とか……
ああ、ダメダメ、リクツはやめますね(^^;)

なんか、もう、あんまり「違う立場のセクシャリティー」とか、言いたくないです……
んなこたどうでもいいから、
とにかく、

☆☆☆☆素敵な音楽を、ありがとう。☆☆☆☆


長文、ごめんなさい。
これからも、どうかよろしくお願いいたします。

じゃっきー章香(あやか)・拝

以上転載---------------------------------

……その後、なんだかからむような内容の書き込みを足してしまった。
原因は「ちょっと怖かった」という言葉だ。
余計なことを書いたものだ。
これは失敗。
でも、だんだんと自然なお付き合いができるようになるでしょう。

「差別をなくす」ってよく綺麗事のように言われるけれど、
現実には「自分が知らないことに対して、思い込みとしか言えないような気持ちを持ってしまう」
ということ、 言い換えると、自分自身にとって「見たくない(醜い)自分の現実」と 向き合わなくてはいけないという厳しさのようなもの、あると思う。

だから「寝た子を起こすな」というようなニュアンスで
「差別」のことを取り上げるのをよしとしない人々は非難するのではないだろうか。

もちろん、自分にそれを感じたから書いているんだけど。
あらら、また「一般論」にしちゃった。だめね、私。

12/27追記:
12/15の記事
↑書きました。

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★2・いつのまにかカウント「1000」超えてた。

今、一つ上の記事を書いて、ふとカウントを見たら、もう「1000」を超えていました。
とてもありがたいことです。

もしかしたら「おまえのオナニーに付き合わされるのはうんざりだ」と思っている人も
いるかもしれないけれど、
私はやっぱり「自分が作品」だと思うのです。

これからもいろんな手段で「自分」というものを表して行きたいです。生きたいです。
小説や詩で。→同人誌で。(これは今回の旅での大きな展開点!)
お芝居で。
音楽で。
もしも私に似合っているなら、何かしらのオピニオンで……

それらの「私という作品」に、少しでも多くの人が接してくれるのなら、
これほど嬉しいことはありません。

(もちろん、「自分=作品」だとしたら、作っていない「素の自分」はどうなっちゃうんだ、
という不安はいつもあります…… 素で付き合える人がいなくなっちゃうかも、とか。
でも、私はできるだけ多くの人に、「素の私」を「作品」として問いたいのです。
決して私一人が特別、とかじゃないと思います。
でも、同時に、どんな人も「自分自身は特別」だと思うし、
そういうことの一つのかたちとして「私」を見てもらえれば、
そうしてそれで何か感じてもらえれば、……
ああん、やっぱりリクツはダメねー、私は(-_-;)

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★3・ちょっと痛いところ

なんで先週末の旅行からこっち、割と元気なのか、正直自分でも「勇み足」だと感じる。
でも、実を言うと、「理由」はだいたいわかっているのだ。
(ここは誰でも見れる状態なので、あまりあけすけなことは書けないけど)
だいぶ長いこと「共依存状態」になっていた人たちと、
はっきりと離れることができたからだ。

念のため、T'sではない。
本当は、その人たちに、それなりに「罪悪感」を持っても仕方ないのかもしれない。
でも、半ばその気持ちと戦うように、
あとの半ばは自信に満ちた気持ちで、
私はその人たちのことを忘れようと思う。

忘れないとしても、私はその人たちに対して自分のことを「被害者」としか、思えない。
それは、さすがにむごたらしいと思う。

だから、せめて、忘れようと思うのだ。

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2001年12月18日(火) 集中力なし・義理堅さなし!

★1・集中力なし・義理堅さなし!



★1・集中力なし・義理堅さなし!

本当は他にやらなくちゃならないことがいっぱいあるのに、
昨日の劇団のお稽古のこと(すごく面白くなってきた!!)+「同人誌」のこと……
それやこれやを漠然と考えているうちに、ふと気が付いたら
自分の作品を読み返していた。

変身劇『影と錯覚』
http://www1.odn.ne.jp/~ccp05090/novels/play_shad_illus.html

こんな古いものをいつまで後生大事に抱えているんだ、と思うけど、
けっきょく私の原点ってこれなのかなあ、という気がして。

いろんな人に聞いてみたいな。

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2001年12月17日(月) 年末グランドツアー#4終了。(編集中(^^;)

★1・帰路
★2・稽古
★3・帰宅して(おわりに)

★1・帰路

***(編集中です(^^;)***

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★2・稽古

なんと、静岡駅から劇団(伽藍博物堂)のアトリエまでタクシーで直接駆けつけたのでした。
ちょっと人数が少なかったけれど、稽古っていうか基礎練習と、この劇団独自の即興演技(私、初めてだった(^^;♪)
なんか、とても楽しかった!!

帰りはせきまるさんの車で送ってもらった。感謝!

***(編集中です(^^;)***

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★3・帰宅して(おわりに)

だいたいいつもそうなんだけど、私は旅行から帰ると、荷物もろくろく解かないで、
しばらくぐてーーーっとしてしまう。

今回もそうだけど、……
なんだか、以前とは少し違う。
もしかしたら、詰まったものが取れて、閉塞感があまりないのかも。
なんだか、達成感もあるし。
何よりも、いつもとおんなじように荷物は散らかったままなのに、
それを「悪いこと」と感じてない、ということ。

もちろん、片付けなければならない。
でも、それすらも「片付ければいい」と思えるのだった。

それほど、今回の旅は、私にとって実りのある旅だったのだ、と思う。
旅先で出会った、実は30人近くに上る人たち(名前を知っていたり知り合ったりしただけでも!)に、
心から感謝したいと思います。
こんな言葉じゃ私の気持ちを表すには物足りなさ過ぎるけれど……
一人一人の人とは個別に、いちばんふさわしい言葉を交わさせてもらいたいな、と思います。
それでも、何度言っても言い過ぎじゃないと思うから。

本当に、本当に、ありがとうございます!>お会いした皆さん♪
(私と誰かが会うのを助けてくれた人たちにも感謝っ)

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2001年12月16日(日) 年末グランドツアー#3(編集中です(^^;)

★1・「のぞみ」って不思議?
★2・邂逅
★3・ちょっと真面目な集まり
★4・まどかちゃん

★1・「のぞみ」って不思議?

この記事は他愛ない内容なので、特に誰の許可を得なくても書けるので、
先に書いちゃう。

早い話、東京〜新大阪間を、生まれて初めて乗った「のぞみ」で移動したのだ。
美里さんも、途中の名古屋まで一緒だった。

そのとき、当然だけれど、「静岡」は通過した。
静岡県内のどの駅にも止まりはしなかった。(これも当然)
眠かったので、ちょっとうとうとした、と思う。
確か、少しだけ、窓の外を眺めて「もしかしたら今、静岡県内かな?」とか思ったような記憶もある。

でも、それだけ。
本当に、「今どこ?」と思っているうちに、
「静岡」……それなりに長い距離(新幹線の路線上では最長だった?)があるはずなんだけど……は
始まって、そうして、終わってしまったのだった。

新大阪に降り立って、なんだか本当に大阪にいるのかどうか、ちょっぴりくらくらするような感覚に襲われて、
私は実感したのだった。

「長い旅をしているんだ」と。

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★2・邂逅

***編集中(^^;***
ぞぬ。
ホント、楽しかったよー
その、想い出のぞぬ

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★3・ちょっと真面目な集まり

これも「書きようがない」ので、先に簡単に書いちゃう。

ちょっと真面目な集まりに参加しました。
でも、「クローズド」なので、ここにはこれ以上書けません。
おわり。

(っていうか、私に他意はなくてただ自分の「旅行記」を書いているだけのつもりでも、
それが何か他人のプライヴァシーを侵すようなことになるくらいなら、書かないほうがまだまし、っていうことで。)

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★4・まどかちゃん

***編集中(^^;***

神戸ルミナリエ
「神戸ルミナリエ」より

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2001年12月15日(土) 年末グランドツアー#2(編集中です(^^;)

★1・Subwayのセット
★2・プチオフ会
★3・早紀ちゃん
★4・GLAP
★5・純子さん
★6・ジュネ

★1・Subwayのセット

これは他愛のないことなので、書いちゃう。

なかなか得がたい体験(1970年代?〜80年代ふうの歌舞伎町のホテルを突撃体験!!
……いやまじ、貴重な体験だったと思う、皮肉とかじゃなくて)の翌朝、
二日酔いでどよ〜んとしながらも、ホテルからやっとの思いで外に出た私は
(ううっ、日光が、日光がぁっ……灰になるぅ〜〜(×o×;; じゃなくて)
区役所の脇、ゴールデン街のお店の裏口をずらっと眺めながら通り抜ける
不思議な散歩道を見つけて、そこから駅を目指そうとした。

で、さて、朝ご飯を食べなくちゃ、と思ったら、
ちょうど散歩道の入り口(裏口っていうことになるのかなあ)のところに、
静岡にもあるから知ってるハンバーガー屋さん「Subway」があったのだった。
お店の店員さんは中国系?と思われるような発音だったけれど、
この町ではこんなにおしゃれな店でも外国の子が違和感ないのだった。
一瞬、「静岡ではあれこれ言われるだろうな」とか思ったけれど、
あれこれ考えちゃってる自分がそもそもうざいじゃん、と少しへこんだ。
ていうか、静岡でも決して言われはしないだろうと思う。
割とがちがちっていうか、古いっていうか>私 まあいいや、いつまでへこんでるんだか。

でも、おいしかった。

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★2・プチオフ会

***編集中***
新宿駅ミロードの8階『 』にて。(しまった、お店の名前忘れた(;_;) すごくおいしかったのに……)
念願かなって、とても素晴らしい詩歌やイラストを表現するTさんとお会いすることができた。
ご一緒してくれたYさん、Yさん、Yさん(←笑 だって頭文字だけとると「Y」になっちゃう人が3人もいたんだもーん!!)
おつきあいいただいてありがとうございました!
それに美里さんも一緒。
(ちょっと疲れさせちゃったかな?)

ともあれ、いっぱいいっぱい、おしゃべりしたり笑ったりしていたのでした。

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★3・早紀ちゃん

***編集中***
早紀ちゃんとじゃっきー
自称「なんちゃって女子高生」の早紀ちゃんです
でも、待ち合わせたとき、「あれ? ホントにこの子だったかなあ?」と思ってしまった。
だってStarbucksのバルコニーで、普通にコーヒー飲んでる女子高生がいるだけなんだもん。
それほど、彼女の「パス度」は高いのでした。

あーもうっ、かわいい姿が羨ましいっ!!

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★4・GLAP

「原案帳用原稿メール」より:
送信者:章香
日時:2001年12月15日 17:40
宛先:jackie-matthews@syd.odn.ne.jp 
件名:前のを差し替え

ひとつのライブのほうが、新聞まる一部よりもずっと救いがある。
そんな大切なことを、今まで忘れていたような気がする…

送信者:章香
日時:2001年12月15日 18:59
宛先:jackie-matthews@syd.odn.ne.jp 
件名:アイデンティティ
男の子が自分を取り戻すのに、真性か仮性か(そんな区別あるのか?)を問わず、
「ゲイ」という自己表現
が大きな意味を持つような気がする。
なぜか…な?
鈴木リジンさんが歌ったり身体を動かしているのを見ていて、
とても「自然」だ、と思ったのだった。

送信者:章香
日時:2001年12月15日 19:39
宛先:jackie-matthews@syd.odn.ne.jp 
件名:QUEER CHRISTMAS
ジェンダー・フリーのクリスマスソング!

送信者:章香
日時:2001年12月15日 20:00
宛先:jackie-matthews@syd.odn.ne.jp 
件名:灰皿
ライブ中、ということもあるのだろうけれど、喫煙している人が極端に少ない!
ふつう、こんなに長い時間、ガマンできないだろうに…

屋良朝友さんの最後の曲、知ってる!

ということでGLAPは終わっていったのだった。

---------------------------------

今読み返すと、個々のアーティストについてはリジンさんと屋良さんのことしか書いてないし、
あまりにも断片的だと思う。
でも、私なりに感動したその場の感触を、少しでも味わってもらえれば。

12/27追記:
そういえば、12/19の日記に、bungoさんのHPの掲示板に書いたGLAPの感想なぞを転記したので、
ご参照ください。
12月19日の記事

それから、逆にきゃーきゃー言うばっかりで「原稿メール」を送る余裕すらなかった、
bungoさんの演奏、とってもよかった! 繊細さ、ピュアさ、そういうものを切々と感じました

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★5・純子さん

GLAPの会場を出ようとしたところで、
昨日Duoでお会いしたスタッフの純子さんと出会った。
純子さんには、一昨年……じゃない、最初にお会いしたのは1998年だったからもう3年以上前のことになるんだ!
以来、折に触れてお世話になっている。
今は実質的に動いていないとある掲示板で、迷っていることがあったときに
私の書き込みに優しくて真剣なレスをくれたのだった。
私はそのおかげで迷いが吹っ切れた、というか、更にとんでもないところに迷い込んでしまったのかもしれないけれど、
少なくとも自分がこうして生きていくことを自分で引き受けよう、という決意ができたのだった。

またお会いできて、本当に嬉しかった。
そうして、今回もまた、自力ではなかなかチャンスの訪れないであろうところに
誘っていただいたのだった。

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さてさて、実は前日から連絡をもらっていたお知り合いがいて、
私たちはその人たちとも新宿駅の地下で待ち合わせしたのでした。
えっと、いちおう「とてもかわいいカップル」とだけ。
二人ともけっこう背が高いから「かっこいい」とも言えるんだけど。

★6・ジュネ

***編集中*** うう、このままだと記事の鮮度が落ちる……
ううん、「記事の」じゃなくて、私の記憶に対する「感動の」鮮度が、落ちてしまう!!

なので、取り急ぎ、お会いできた人たちの名前だけでも。
(焦って記事まで書いてしまうと、おかしな内容になってしまうこともあるかもしれないし)

・静蚊さん(和装の似合う、とても落ち着いた雰囲気の方でした)
・ママ、チーママ、若い子、チーフ(←お店のスタッフの方々です。
これは一つだけ、今書いてしまおう。
私自身も「ゲイバー」と呼ばれるところでほんの少しだけれどお勤めさせてもらった。
その間、だんだんとお店でのお仕事のしかたがわかってきて(でもなかなかその通りにはできなかった)、
それから先輩が独立して開いたお店はもっといい感じだったんだけれど、
この『ジュネ』はもっといい!!
っていうか、さすが老舗! (比べたりしたら失礼だよね、きっと(^^;)
決してぎちぎちに「気を使って」「サービスに努める」とかいうわけではない。
お客の目から見たら、スタッフも一緒になって楽しんでいるだけ、というふうに見える。

でも、なんていうんだろう、月並みな言い方になってしまうけれど
かゆいところに手が届く
というのかしら、本当に「良い加減」で、
お客を飽きさせないことを心得た目配せ、自分の位置、しゃべる相手からカラオケの選曲まで、
本当に居心地よく過ごさせてもらうことができたのでした。
・エリック(アメリカ人;久しぶりに英語でおしゃべりした……途中でめんどくさくなっちゃったけど;ごめんねEric!)
・のりこさん(純女さん……でも、最初彼女がお店に入ってきた時、私は彼女が純女さんなのかそれともおんなじMtFなのか、
かなり長いこと考えてしまった!!
私に負けず劣らず「カッコイイ女」です!!)
ううん、違う!! 私なんかより、ずっとカッコイイ……と思った。

そうね、「ジュネ」にもぜひまた行きたいな。

そうそう、それから、このお店を教えてくれた純子さんに、改めて感謝!!です。

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2001年12月14日(金) 年末グランドツアー#1始動!(編集中(^^;)

★1・年末グランドツアー始動!!
★2・Yさんの車
★3・Harrisさんと会う
★4・美里さんと合流〜『スワンの夢』へ
★5・NOVAさん
★6・Duoへ


★1・年末グランドツアー始動!!

なんだか、スゴいことになってしまった(-_-;

14〜17日の3泊4日間にお会いする予定の人が、ななななななな〜〜〜〜〜んと、
のべ21(〜23?)人(2001年度内閣府調査……ウソ(^^;)
にも上る!!

まだ精神的にしっかり回復してないのに、いいのかなあ……という不安もよぎる。

けれど、成り行きとはいえ(おいおい)、今年関わりを持った、
というよりもこれから関わりを深めていきたい人々と、
こうして年末にお会いする機会を作れたことは、
とても貴重なことだと思う。
(逆に、この日程に埋もれてしまってお会いできるチャンスを逃してしまった人々もいる……
私という存在がこの世にたった一つしかないことのもどかしさとかけがえのなさを、
同時に感じる)

できるだけレポートしていきたい……とは思うけれど、
前のほうの記事でさえもしっかりUPできていないので、
どうなることやら(^^;

それにしても、ついつい今年という年を振り返ってしまう…… なんか、気が早いけど。
私にとって、98年、99年、2000年に続いてさまざまな、大きな動きのある1年だった。

今年お会いした人、そうして今年お別れした人、ともに私にとって大切な存在だったと思うし、
大切な意味を私に投げかけてくれた、と思う。

全ての人に、感謝したいです。
「全て」……じゃなくて、一人一人に。

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★2・Yさんの車

かなり強引に、今回の東京行きは車で送ってもらうことになってしまった。
いや、「してしまった」。←これが実情。
ラッキー♪
Yさんに感謝感激雨霰!!

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★3・Harrisさんと会う

東京に行って最初に、同人作家のHarrisさんとお会いした。
彼女とは、思えば不思議な縁がある。
というのは、オンラインでは、知らないうちに(?)かれこれ2年も
お互いのことを知っているのだった。
そうして、共通の知人がある。
かつて『憂鬱同盟』を主催されていた、「からあげ丸」さんだ。
……といっても、彼はもう、少なくとも同じ名前でのオンライン活動はしていないし、
私も自分自身の事情で、『憂鬱同盟』でお借りしていた日記『年なし、性別なし』は
閉じてしまった。

そういうこともあってか……

ううん、もっと新鮮な感覚で、
Harrisさんと私はそれらの「過去にまつわること」をそんなに語らなかった。

Harrisさんは、その若々しい顔を紅潮させ、私に向かって熱心に勧めたのだ。

「同人作家にならないか」と。

その言葉は、私の中で、確かに何か一つの答えを以って、
扉を開いてくれたのだった。

Harrisさん、ありがとう!

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★4・美里さんと合流〜『スワンの夢』へ

『スワンの夢』のHPはこちら
美里さんと章香
バックに見える「白鳥」の絵からもわかるように、「スワンの夢」でのスナップ。
この他、下に写真を掲げたNOVAさんとあと4名ほどのお友達(うちお二人は初対面♪)
ご一緒させていただいたのだけれど、
オンラインに名前も顔も出されていないようなので、ここには出しません。
(でも楽しかった)
(2002.1.4追記:その後、鯉さん、チョコバナナさん・プリンさん夫妻の3人からは
HNや画像をここに掲載することを許可していただきました。
ありがとうございますm(__)m)

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★5・NOVAさん

***編集中m(__)m***
NOVAさんと里花
取り急ぎ、美人のNOVAさんとのツーショット。
会うのはこれで3回目。
最初にお会いしたとき、その場にいた唯一の純女さんなのかと思ってしまったのが、
ちょっと懐かしいです。
それほど美人だし、お化粧といい、服装といい、身ごなしといい、
完璧なのでした。
憧れの「お姉さま」
(実年齢は私のほうが上なのでは?? ……そういう野暮な話題はやめやめっ!!)

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★6・Duoへ

***編集中m(__)m***
DuoのHPはこちら
『スワン』で楽しく飲んだ7人は、
(実はちょっと煙草の煙がきつかった、ということもあったので)『スワン』を出たとき、
まだちょっと物足りないな、という感じがしていたのだと思います。
それで、なんの前触れもしていなかったけれど、急に思い立って『Duo』まで足を伸ばしたのでした。
そこでは、翌日もう一度お会いした純子さん、あとなぜかHPで見て個性的だなー、と思ったシヴィちゃん、
あと……えーと、しまったお客さんだと思っていたのでやっぱり名前忘れてしまった(ごめんなさい!!)
もう1人の子と、少し落ち着いて過ごしたのでした。
……でも、ちょっと飲みすぎだったみたい?!

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§編集中の独り言……§
本文を全部埋めてしまうと、きっと「原稿用紙20枚分」を超えてしまうでしょう……
でも、かといって記事に「優先順位」をつけて、どれかを「別紙」っていうか
別のページにする、なんていうのもヘンだし。
いっそのこと、決して「手抜き」じゃなくてここには「ダイジェスト版」だけ載せて、
まとまった「旅行記」は出力してしまおうかな……?

出力っていうのは、つまり「」にしてしまおうか、ということ。
コミティアとかで展示即売するの。
けっこうマジ。
(2001.12.20)

2001年12月12日(水) 兆候

★1・兆候
★2・炭疽菌と米軍



★1・兆候

そういうことが、むかし、確かにあったと思う。

http://www.comcarry.net/~genbu/ehon.html

でも、その結果として、私自身が「加害者」に転化してしまった。
それもまた、事実だ。
恐ろしいことだと思う……

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★2・炭疽菌と米軍

ひええ〜〜〜。
炭疽菌テロは、実は米軍が密かに作っていたものが流出したのかもしれないんだって。

炭疽菌と米軍
(「田中宇の国際ニュース解説」http://tanakanews.com/より)

でも、実は私にとってショックだったのは、私自身が
「米軍は当然、生物兵器を作っているだろう」
と思っていた、ということに気づいたことだ。

ちゃんと、作らないことにしていたんだ。ちょっとえらかったんだ。
今ごろそんなこと言っても、もう遅いけど。
だって、今はもう、えらくないもん。

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2001年12月11日(火) オルガン。

Now Wrting!



      / ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
    /  ▲   ▲ ヽ
   /:| ⊂⊃ ⊂⊃ |ヽ
   |:::|  ■   ■   |:::|
   |:::|  ▼   ▼  .|::::|
   |:::|         |::::ヽ
   |:::ヽ  ⊂ニ⊃  /::::::::ヽ
   |:::::::ヽ____ /::::::::::::::|
   /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|
   |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|
   |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|
   |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|
   |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|
   |............::::::::::::::::::.........:::::::.....:::|

顔なし……(AA=アスキー・アート でス)

2001年12月10日(月) 劇団。

Now Wrting!

2001年12月09日(日) 映画『Harry Potter』 / 記念日 / 観劇(5……?)

★1・映画『Harry Potter』
★2・記念日
★3・観劇(……5?)
★4・NHK教育「芸術劇場」

(この記事は実は12/12になってから書いたものです)


★1・映画『Harry Potter』

**先に注意!「ネタばれ」の恐れあり!**

実は昨日(12/8)のことなんだけど、Fくんと二人で、封切りして1週間の映画
『ハリー・ポッターと賢者の石』
を観た。

実は、……このところ「実は」がすごく多いのは、なぜか知らないけれど
何を書いてもどうしても書きにくい気がすることばかりになってしまうからなんだけど……
ちょっと物足りない気がした。

でも、主人公、ハリー・ポッターを演じるダニエル・ラドクリフ(Daniel Radcliffe)くんがとてもかわいかったし
一生懸命演じているのはよくわかったし、
だから「なぜ物足りない気がしたか」を少し書こう。
だいいち、「物足りない」気はしても、「観なけりゃよかった」とはちっとも思わないから。

1.文字と映像の情報量の差
本当だったら文字媒体よりも映像のほうが遥かに情報量は多いはずだけれど、
どういうタイプの情報を扱うのが得意か、ということについては
文字と映像はやや異なるような気がする。
ただ、それを一言で言い表すのは、今の私にはまだちょっと整理できていないようにも思う。
まあ、たぶん、以下具体的に「物足りなかった」と感じる項目を挙げていくと、
その特徴をまとめればわかることもあるのかもしれない。

2.『ハリー・ポッター』は「ACの物語」、と言われる部分
このお話の大きな特徴の一つとして、
ハリーは魔法の世界ではすごい「有名人」なのに、
人間界(「マグル(非魔法族)」の世界、と呼ばれる)では
まるで迫害されている、と言っても過言ではないような状態で生活している、
ということがある。
それで、2年ほど前に「賢者の石」を読んでいた頃、ちょうど「AC(アダルトチルドレン)」の概念や
そのことをカギにして集う人々のことを知ったのだけれど、そこの人たちが
ハリーがマグルの中に置かれている状態はまるでACそのものだ、と言ったのを
とても印象深く覚えている。

……なんだけど……
そのことは、映画の中ではそれほど「印象的」には扱われていない。
っていうか、小説の形式だったら「淡々とした語り口」というのが成立しているけれど、
あれを実写の映画の中でやったら、ハリーを虐待する「マグル」、ダーズリー一家の姿は
あまりにも陰惨で愚かに見えてしまうような描き方しかできなかったのではないだろうか。

「情報量」っていうのは、もしかしたら「事実」のほかに「語り口」というのもいっぺんにあらわせる、
という点では「文字」のほうが「映像」よりも優れているのかもしれない。
もちろん、事実と語り口を併せて表現する手法、というのが映画にもあるのだろうけれど、
今度はそういうかたちで「情報量をふやす」ということをしてしまったら、
映画として全体が重たくなってしまったような気もする。

3.おどろおどろしさ
本で読んだのと比べて、映像のほうが全体的に「さらっと」していて「おどろおどろしさ」が少なかった、
という気もする。
うーん、でも、これを「物足りなさ」としてしまうのは、なんだかちょっと違うな……
と、言いかけた本人が、ためらってしまう。
じゃ、なんだろう……??

二つのことに気が付いた。
(1) J.K.ロウリングは水木しげるじゃない、っていうこと。
描いている世界に共通する面は非常に多いとは思う。
それは、イギリス……っていうよりブリテン島という「島国」の文化、
中心となる「大陸」に対して「辺縁系」をなしている、というような
地理的な背景を持つ一方、
同じ「地理的な背景」でも、日本とイギリスでは「緯度」がぜんぜん違う、という
別の要素で、「湿度」のあり方が違うからなのかもしれない。
(2)ハリーは11歳だ、ということ。
作者が読者として設定しているのが、主人公と同世代の子どもたちだ、ということを、
作品のあちこちから感じる。
それを「大人の目」で見てしまっても、
大人じゃなければ考えないような掘り下げ方をしてないと文句を言うのはお門違いだろう。
むしろ、大人の目で見ても評価できるような緻密な世界観を持ち合わせてしまっていることが、
もしかしたら『ハリー・ポッター』そのものの弱点なのかもしれない。

*で、あら捜しはもういいから、良かったこと:

「クィディッチ」のシーンが、すごかった!!
合成した画面とは思えないほど「自然」なのだ。
これさえも、見誤ると「物足りない」と思われるかも……
でも、私は「クィディッチ」という、マグルにはゼッタイにできっこない球技を
実際に見れたら面白いだろうなあ、とずっと思っていたのだった。
で、見ているうちに、この世には本当に、普通に、「クィディッチ」という競技があるんだ、
という気がしてしまっていた。
日本にはチームはないの? とか。

終わりに
これは小説を英語と日本語の両方で読んだときから、ほんの少し感じていたことだけれど、
少なくとも『ハリー・ポッター』シリーズの第1巻『〜賢者の石』は、
「11歳の心」で楽しめるお話なのだ、と思う。

それをたとえば「子供だまし」とか言ってしまうのは、
私には「見当外れ」と思えてしまうのだ。
ただし、「大人の目」でも考えさせられる要素がいくらでも盛り込まれているので、
ついつい大人の楽しみ方をしたくなってしまう、というところがあるのかもしれない。
あんがい、見当外れなものを求めてしまうことが多いのかも。

私は確かに、薄々感づいていながら、ちょっと見当外れだったかもしれない。
だから「物足りない」なんて言い出すのだ。

2巻以降も映画化されるのだろうか。
とても楽しみだ。

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★2・記念日

今日が22年目の「記念日」だ。

不思議だ。

あれからとても遠いところに来てしまったんだ、と思う反面、
それでも私は私で変わっていないんだ、とも感じる。

そういうものなのだろうか。

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★3・観劇(……5?)

↑数字を入れるのはもう止めよう(-_-;
だって、このままやってると、数字を入れ続けなければいけないような気がしてきそうだから。

何はともあれ、今日もまた、演劇を観に行った。
劇団Rin『やさしさよりも軽い死に生きて』だ。

で、その感想なんだけど。
例によって前置き長いです。
まず、前置きの前置き。
はっきり言って、「初心者のくせに理屈っぽいやつ」です、私。
先に白状するので、どうか私の評価をあまり気にしないでください。
次に、前置きの本体。
私にとって、このお芝居は「反面教師」的にいろいろなことを教えてくれた、と思う。
その意味で、観に行ってとても良かったと思う。

さて、感想の本体(やっとかよ?!)。

・小劇場じゃなくて「ホール」でやるお芝居を観たのは、確か十数年ぶりだったはず。
小劇場と大きく異なるのは、なんと言ってもその規模だ。
だから、理屈抜きで「人間が小さく見える」。
ということは、小劇場のお芝居よりも、ずっとずっと動きが大きくなければいけないのだろう。
でも、だからといって、小劇場で多分に「実験的」な意味合いも含めて作り上げられる
「動き」
と同じようなことを、ホールの高さのある舞台の上で安易にやってしまうのは
正解ではないのだろう。
だったらどうすればいいのか、ということは私にはわからない。
正直なところ、今回のお芝居は、全体的に「動きが少ない(小さい)」と感じてしまった。
お話の内容が、法廷のシーンを軸にして成り立っていることもあってか、
動きを創ること自体も難しそうだったなあ、と思う。

・でも、セリフから自然に沸き起こってくる体の動き、というものはあるのでは、とも感じた。
体の動きだけでなく、セリフまわしっていうかイントネーションとかアクセントとか……
全部含めて、セリフの「解釈」のことなのかもしれない。
「だったら自分、やってみな?」
と言われるだろう。
ちょっとずつお稽古してくうちに、私もこういう減らず口が叩けなくなるだろう。

・パンフレットに「作者の一言」というのがあり、その冒頭に
「最近若い人のことが分からなくなった。」
とあった。
これは後から聞いてわかったことだけれど、「作者」、つまりたぶん「台本の作者」という意味だと思うけど、
その人は40代ぐらいの人のようで、その一方で役者さんたちは20代ぐらいが中心になっているらしい。
台本は、70年代の学生運動に捧げるオマージュ、というような雰囲気もあって、
たとえば私なんかは「ああ、懐かしい♪」と思ってしまうところもあるのだけれど、
それが「今の若い人たち」にとってどのように受け止められているか、……
ううーん、私にも自信がないなあ……

そうだ! 一度、この作者さんと、お話ができたらいいな♪
(って、いきなりアンタ(-_-; なんにもわかっちゃいないくせに、図々しすぎるんじゃない?>自分)

・作者や役者さんの「立場性」と台本の拠って立つ「世代」についての姿勢と、
内容についてのことが、不可分だけれどいったんは区別して整理しないと、
理解が難しいと感じるところもある。
(今ここで未消化のままぐたぐた書き連ねてしまうのは、
知らないうちに人を傷つけてしまいそうなので止めておきます)

・内容について。
法廷のシーンなので法律そのものの持つ解釈論とか保護法益の問題とかに突っ込んでいくのかな、
と思っていたけれど、どちらかというと
主体論とか主観的な感情の問題に重点がおかれていたような気がする。
私の中では二つの思いがせめぎあっていた。
一つは「殺人か自殺か、ということについて法的に結論を出す必要があるはず」ということ。
だって、法的な結論、って決して専門家のお遊びじゃないもん。うまくいえないけど。
もう一つは「法律論を全てすっ飛ばして主観ではあれ『裁くこと』と『守ること』を衝くのは、
なんだかある面気持ちいいな♪ スカッとするぜ!」ということ。

正直、ある登場人物を必然性が不十分なままで美化している、とか
法廷=「裁く」=「冷酷」と決め付けてしまっている、とか
不満に感じる部分はある。
私に言わせれば、法廷は「裁く」場ではなく「守る」場だ。
全ての裁判官がその姿勢を貫徹できているとは思えないけれど、
だからこそ弁護人がいたりするわけだし、
原告であれ被告であれ、どちらも法廷では自らが拠って立つ「守るべき法益」があるはずだ。
あ、違う。
私も言い方を間違えてしまうくらい勘違いしやすいことだけれど、
「守るべき法益」の「法益」って、原告なり被告なりが自らの必然性で存在すること、
行為したこと、あるいは告訴したこと、そのもののことだ。

でも、若さゆえの感情論とはいえ、「理屈じゃなくて」という一途な正義感のようなもの、
それは「70年代」だろうと「2000年代」だろうと共通するものなのかもしれない。

私にとってはお芝居そのものから見て余剰だと思ってしまったけれど、
役者さんたちがそれぞれの「見せ場」で、感極まって涙してしまっているのを見ていて、
「感情」の強さのようなもの、感じさせてもらうことができたと思う。

願わくば、感性が表現につながれば。
と、私は感じてしまったのだった。

さてさて。
なんだか、けっきょくエラそうなことを書いてしまった。
で、最近薄々感づいてきたけれど、↑このフレーズを書くとき、私は確かにちょっと
「それはないんでないかい?」
という内容のことを書いてしまっている、と思う。

ただ、幸い、このお芝居を観た翌日ぐらいに、どうにか次の段階に当たることを、
私は気がつくことができた。

はっきり言って、私があんまり入れ込めずに傍観的な見方をしてしまったのは、
「好み」の問題なのだ。
私は全体的に批判的な書き方をしてしまったけれど、感情の発露のしかたとか、
たとえば「あのくらいでいいんだ!」という人もいるだろう。
また、お芝居の作り方とかも、ああいう感じがいろんな意味で良い、と感じる人も
いるだろう。(だからちゃんとお客さんが来てお芝居が成り立つんだから)

そんな中で、私にとっていちばんの驚きは、自分に「お芝居の好み」というものがある、
ということなのだ。

これも白状しちゃうけれど、私にとって(もしかしたら都合の良いところだけを美化して覚えているのかも)
過去に観たお芝居は、「みんな良かった」ような気がしていた。
だから、私は「お芝居だったら何でもいい」、もっと極端な言い方をすれば、
「出された食べ物はなんでもお構いなしにうまいうまいと言って食べる、実は鈍感なヤツ」
だろうと思っていたのだ。
(よくよく考えてみると、実は私にとって「合わない」「つまんない」と感じるお芝居では、
私はとても簡単に「寝ちゃっていた」のだった……)

そうでもない、自分が観て「いい」と思うお芝居と「あれ、なんか違う」と感じてしまうお芝居がある。
確かに、ある。
そう感じれたことが、私にとっていちばん大きな驚きであり、同時に確かな感触でもある。

その意味で、私はこのお芝居を観て、本当に良かったと思う。

もしかしたら、次の機会があれば、私にとって気になること、
たとえばセリフに応じて相応しい「動き」ができるようになったか、とか
お話を客観的に理解した上で役を組み立てているか、とか
そういう部分を楽しみにして、また観に行くかもしれない。

もしも今の私がまだまだ傲慢なのだとしても、こう感じたり思ってしまっていることは、
更に観ることでしか変わらない、と思うから。

理屈だけでそうじゃないはず、こうだったはず、と空想するだけなら、
ご本人たちのことなんかお構いなしに、いくらでも勝手な想像ができるだろうけど、
それじゃヒドいもん。

そうそう、最後に。
BGMが、軒並み70年代フォーク、ニューミュージックだった。
長谷川きよし、五輪真弓、はっぴいえんど、ふきのとう……

めっちゃめちゃ、懐かしかった! それだけでも「行ってよかった」と思えるほど。

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★4・NHK教育「芸術劇場」

長くなっちゃったので本文はこちら(^^;
http://www1.odn.ne.jp/~ccp05090/gen-an-cho/200112094.htm

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2001年12月08日(土) John Lennon(1940-1980)

★1・不調
★2・アロイス・ブルナー
★3・コタツ寝



★1・不調

今さっき、ジョン・レノンの命日「12月8日」になった。
昨日、なんだかいろいろとまずいことをしてしまった……というより、
したかったことを「しなかった」のが、なんだかとても辛い気持ちでいるのだ。

▼ある友人がおしゃべりしようと誘ってくれたのに、行けなかった。
▼劇団のお稽古、今日もあったのに、行けなかった。

理由は、とても馬鹿馬鹿しいものだ。
一昨日、朝ごはんを食べてから、いつもは夜飲む薬を飲んだ。
それはその更に前の日、飲みそびれていたからだ。
ところが、それで少し元気になってしまったので、もしかしたら調子が良くなるかも……
という気になってしまい、夜も飲んでしまった。
決して、医師の処方以上に薬を飲んではいけない。
けっきょく、その夜眠れなくなってしまい、翌日昼頃まで「徹夜」してしまった。
私には徹夜は無理だ。
昼過ぎに強烈に眠くなり、それから夜まで、今度は起きられなくなってしまった。

まったく、書くのも惨めだ。

私の心の中に、何か不穏なものが潜んでいて、
それが私におかしな行動をとらせたり、
おかしな文章を書かせたりするのだ。
「私のせいじゃない」とは言わないが、後から見てどう考えても本意じゃないと思い、
一昨日から昨日にかけての文章を二つも削除してしまった。
辛い。

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★2・アロイス・ブルナー

ナチスの戦犯、アロイス・ブルナー。
シリアで今も一人、生き残っているらしい。
「ナチス」 → 「ゲーレン機関」 → 「CIA」
冷戦の時のスパイ活動のために、CIAと闇取引した経緯があるため、
今でも裁判にかけられずにいるという。
知らなかった。
ブルナーのナチスでの活動は、オーストリア・フランス・ドイツなどの町で
ユダヤ人を探し出し、逮捕して収容所に送り込むことだったという。
そんなことをした人間が、その後の成り行きとは言え、
アメリカの国税で諜報活動に携わったことがあるなんて。


……とっても残酷なシナリオを一つ。
私が自分のことを、(こんな意地の悪いことは一切書かずに)「私は敬虔なクリスチャンです」と強調していき、
もしも何か悲劇的な最期を遂げたなら、
きっとアメリカ人は強く同情してくれるだろう。
もしかしたら、私のために「報復」までしてくれるかもしれない。
スパイを使ってでも。
でも、私が今とっているような「神さまは信じているけれど組織的なクリスチャンは信じられない」という態度を貫けば、
アメリカ人は決して私に同情しないだろう。
それどころか、私自身に対して諜報活動が行われてしまうかもしれない。

あと、もう一つ。
アメリカ人……少なくとも、アメリカ合衆国政府の行動に指針を与えるような階層・階級のアメリカ人は、
日本人の大半がクリスチャンでない以上、
日本人のことを決して信用してはいない。
だから今でも、なければなくてもどうにかなってしまうような軍事基地を
後生大事に日本国内に鎮座させているではないか。
「日本=反共防波堤」とかいうことよりも、そのことのほうが大きいのではないか。
ふと、そんなふうにさえ思ってしまうのだった。

クリスチャンであるアメリカ人と、そのアメリカで経済・政治に強い影響を与えるユダヤ人は、
共通の文化的背景を持っているから理解しあえるし、協調できる。
イスラムも、実は同じゆりかごを使っているから、今は反目しあっているように見えても、
所詮は「兄弟喧嘩」だ。

彼らが理解するのにいちばん大きな努力や年月を必要とするのは、
滅ぼしてしまったから今はどうでも良いことになってしまっている「アメリカ先住民」を除けば、
日本人が筆頭に挙がるに違いない。

悪かったわね、滅ぼすチャンスがなくて。
っていうか、滅ぼされてたまるか。

まもなく、非クリスチャンにとっては「資本主義のお祭り」でしかない
「クリスマス」がやってくる。
その日だけ「1日クリスチャン」になってあげようなどという、
勘違いにまじめな日本人がどれほどいるだろう。
日本人にとっての素直な感想は、「プレゼント」だったり「デート」だったり 「歳末商戦」だったり……
けっきょく、経済活動、その日だけ「1日バブル」……このほうが納得できる人、多いでしょ?
しかも、2日くらい前に「天皇誕生日」とかをわざわざ設定されて、
ますます「キリスト教」の色彩は薄められてしまっている。
まあ、別に、現在の天皇がその日に生まれているからって、それ自体に何か文句が言えることじゃないけど、
なんとなくいかにも「こっちのほうが2日早いんだぞー♪」と
バカみたいにはしゃぐ人が何人かいそうで、気持ち悪い。

こういう馬鹿騒ぎが、多くの人々の屍の上に成り立っていて、
殺した者の罪すらもまともに問えない、ということに、
私はどうしようもない違和感を覚える。

まるで、私のほうが居場所がないみたいだ。
私も「殺される側」「滅ぼされる側」の人間でしかないのだろうか。

いわゆる「生存競争」とかいうやつの中で……

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★3・コタツ寝

またコタツで寝てしまった。
なんでかと思ったら、無理もない。
コタツのせい+ばいおくんのせいだ。
っていうか、それを使う私の使い方のせいだ。
ゴメン、あなたたちのせいにしてしまって。
1.もともとコタツ寝の癖がある。
2.ばいおくんはベッドで使っていた。

だから、私にとって寝具に限りなく近いコタツと、
寝てしまう環境で使っていたばいおくんを組み合わせれば、
もう「寝るしかない」のだ。

きっちり眠れない状態で迎えた朝、必ずかかるようになっている
FMからピーター・バラカンの紹介する音楽が。今日はブルースだ。
濃いなあ。大好き、こういうの。

(それが終わると、その後は日本民謡の時間;
二つが続きで流れると、日本民謡が「ルーツミュージック」として
新鮮に聞こえてくるから不思議!!
そういえば、小学校の頃、宮田輝「ふるさとのうたまつり」とう番組を
毎週欠かさず見ていたのを思い出した……
あの番組は、どちらかというと出稼ぎの人たちが故郷のことを思い出したい、
というようなニーズに支えられていた面が強かったような気はするけれど……)

生活があっという間にまた乱れてしまったけれど、
実はそれにはもう一つ理由があった。
お金がない。しかも、稼ぐ当てがない。
コンビニのお給料なんて、もうとっくに使ってしまった。
(っていうか、さまざまな支払いは弟に借りているので、
それ以外の「お小遣い」とか「食費」とかは自分でどうにかするしかない……
けれど、とても足りない)

……それから小1時間……

ふらふらとエゴグラムをやってみたら、こんな感じに:

成績

cbcaa(かなり悪いほう(;_;))

性格

子供が、子供の特徴を殆ど失わない儘、大人に成った様なタイプです。
寂しがり屋で人に良く思われようとする気持ちが強く、気儘さと好奇心が目立つタイプで、
殆ど分析や計算によらない処世をしている為に、何時も損な役廻りや、
生活設計の失敗を繰り返す可能性の高い人です。

恋愛・結婚

甘えん坊で、メルヘン風な恋愛に憧れるタイプです。
配偶者には、確り者の合理主義を選ぶべきでしょう。
間違っても同系タイプの人や、貴方の純粋さを食い物にする様な人を相手に選ばない事です。

職業適性

貴方は、芸能、芸術方面で個性的な感性を活かすか、
単純接客業(喫茶店、食堂、小売商店)などで、性格の大らかさを生かすべきでしょう。

対人関係

貴方は、自分にも甘い見方をするのと同時に、他人に対しても非常に甘い見方をし、
性善説の主唱者の様な所が有ります。
大事な仕事上の付き合いなどは、自分の目を余り当てにせず、
第三者の冷静な目を参考にする様にして下さい。

いいときは「babaa」とかになることだってあるんだけどなあ……。

……それからまた小1時間……

今度はふらふらと、よそのHPの掲示板に何やら落ち込み気味なことを書き付けて、
ああ、自分って迷惑、と思いながらまた戻ってきた。
この画面、「Frontpage2000」なのよね(作成中は)。
だから、必ずIEとは別のウィンドウを開いて作業することになるの。
ん、それって少し振り回されているのかな。

キリがないから、このくらいにします。
そもそも、言いたいこともはっきりしてないし。

そうだ、今日は『ハリー・ポッターと賢者の石』を弟と一緒に観に行くんだった。
それで気分転換しよう。
きっと、それがいちばんだ。きっと……

まったく、ジョン・レノンの命日だっていうのに。
21年前のこの日、私は滅多に見られない弟の涙を見た、
そういう貴重な日だというのに……

今、弟が階下に下りてきて、少し会話した。
そうか、一つ屋根の下に暮らしているのだから、
甘えに行くなりなんなりすればよかったのだ。
でも、動きにくい……実は、患部があまり調子よくないのだ……

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なんだか、これでもまだ書き足りないので、
→つづきは「Remember Pearl Harbour」へ(-_-;
でも、はっきり言って「自分のために書いているだけ」なので、
わざわざ読みに来なくてもいいです。
せっかくジャンプしても、どうせつまらない愚痴が書いてあるだけだし。

2001年12月07日(金) これも「削除」……

★1・「プロ・アマ論争」=削除



★1・プロ・アマ論争

言いたいことの本体が間違っているとは思わないんだけれど、
「書き方」……誰に宛てているとか、どこに書いてるとか……
あまりにも「汚い」と思うので、削除。

私はいったい、何を考えているのだろうか????

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2001年12月06日(木) 生活。 / 12月3日の日記を書いた 他

★1・生活。
★2・削除
★3・12月3日の日記を書いた


(書き終わって見直してから追記……今日の日記は、いったいこれ、何を書いてるのでしょう?!
正直なところ、自分で見ててもけっこうわけがわからなくて恥ずかしいです。
でも、手のつけようもないので、このままにしておきます……
って、ちょっと無責任すぎるかな)


★1・生活。

バ、バイトが〜〜〜。
火・水・木と3連チャンになった上、今日は朝からだよ〜〜〜。
(といっても、「10時に来てほしい」といわれたのに10時半になっちゃったんだけど)

もちろん、甘えるつもりはない。
ふつうに仕事すれば、いちおう今の時代だと「1日8時間」というのが最低線で、
下手をすればその2〜2.5倍になることだってある(私もホントに経験したし)。
いくら私が「病み上がり」だからって、いつまでもいつまでも
ワタシ、体が弱くなっちゃって〜……
とか言っていては、私自身が少しは「何かした」と思えるようなお仕事をしたことにはならず、
それはそれでつまらない。

でも、「甘えるな」という一言で、自分の体や心の発する「疲労」のメッセージを

なかったことにする

のは、けっきょくまた体や心が動かなくなって人に余計に迷惑をかけるだけなので、
私は「やせ我慢」をしないことにしたのだ。

いちいち言うな、みっともない
――ええ、ええ、私もそう思いますよ。
それも、衆目に晒されるHPなんかで。

でも、でもね。
今の私は、まだまだ自分が疲れたということを自分で確認するためだけにでも、
オンラインとか文字とかの力が必要なんです。

思いが自分の中で、かたちのあるものにならないんです。

そうして、もう一つ。
こうやって「疲れた」と書ける今の気分は、
悪いものではないということ。
単純な労働なのかもしれないけれど、
それなりに人との協調を図り、
それなりにお客さんに気持ちよく接する努力をし、
それなりに仕事を段取りよく進める。

そりゃ「私でなければ絶対にできない仕事」だったら言うことはないけれど、
その代わりそういうお仕事はとても大きな負担がかかるもの。

私にしかできない仕事……

それは、私という存在そのものが「仕事」。
24時間、休みはない。

でもきっと、そういうお仕事は、休みを必要としないほど、
楽しくてラクなんだろう

何を寝ぼけたこと言ってるんだ
などと言う人には、はっきりと言いたい。

「世の中は厳しい」なんて幻におびえるふりをして
甘えるのはやめたほうがいいよ。

本当は、世の中は楽しくて、ラクで、自分の思った通りに何もかもがなってしまうもの
それを認めるのが怖いから、なんだかんだ理由をつけて、
まるでまわりのせいで自分が思った通りにできないんだ、
って言いたいんでしょ?

「思った通りになる」のが怖いんでしょ?

――自分へ。

自虐ギレはともかく、私は今日働いたことを楽しかったと思っている。
まじで。
(っていうか、そんなことでカッコつけてもかえってみっともないだけなのはわかっている。
ホントに、素直な気持ちなんだってば!)

=いつもよりいちだんと文章がおかしいのは、
いささか寝不足、それとも立ち仕事×6時間で頭が低血糖?!=

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★2・削除

何を考えてるんだろう、私は?!
あまりにも考えが足りないことを書いたので、
(部分的に言えてるところもあると思うけれど)
面倒くさいから削除。
「Windows=共産世界」は言えてると思うけれど、
それ以外の部分で不快感を与えた人があったらすみませんm(__)m

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★3・12月3日の日記を書いた

12月3日 お芝居の基礎

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2001年12月04日(火) Surrealismes

★1・マックス・エルンスト
★2・ジョルジョ・デ・キリコ
★3・ホアン・ミロ
★4・Hikky



★1・マックス・エルンスト


Attirement of the Bride(花嫁の衣装) - Max Ernst

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★2・ジョルジョ・デ・キリコ

Endless Voyage
Endless Voyage(終わりなき航海) - Giorgio De Chirico

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★3・ホアン・ミロ

Carnival of Harlequin
Carnival of Harlequin - Joan Miro

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★4・Hikky


Untitled(無題) - Tohru Honda

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2001年12月03日(月) お芝居の基礎

★1・お芝居の基礎



★1・お芝居の基礎

(12/06記す)危うく書きそびれるところだった。
これは日記なんだから、その日に起きた大切なことはその日に書かないと。

先月公演を観に行った劇団「伽藍博物堂」に、基礎練習だけでもさせてほしいと言って
お邪魔することにした。
先月の公演の内容がとても良かったこと、
主宰の佐藤さんが私の古い知り合いだということ、
……あと、なんていうか、劇団員が「生きている」と感じたこと……うまく言えないけど……
といったことが、「入団(?っていうことになるの?)」の動機。

今日、初めて行った。
ヨガの基礎を取り入れたストレッチと、ちょっとしたエチュード。
体が柔らかくなっていく。
とても気持ちが良かった。

ある友人にそのことを告げたら、
「2日ぐらいしてから体が痛くなるのよ」
と言われた。
(実際にはそれほどのことはなかった――だって、ストレッチの体の動きとか、とても自然だったから!)

私が出るかどうかわからないけれど、この劇団の公演がある時にはここで紹介するので、
ぜひ、皆さん、ご覧においでくださいな

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2001年12月02日(日) About Affirmation 観劇(3)

★1・About "Affirmation"
★2・観劇(3)



★1・About "Affirmation"

以下引用--------------------------

自分は生きるのに、あたいする人間です。
自分は、自分のままでいいのです。
自分は愛するに、あたいする人間です。
自分は、自分の居所をつくっていいのです。
自分を、うんと好きになります。

以上引用--------------------------

毎回、西尾和美「今日一日のアファメーション」(「IFF家族機能研究所」HP所収)を引用する際、
必ず冒頭のこの言葉を入れて引用している。

きっと、このことについて
「何を甘ったれたことを……」
と思う人は多いだろう。

そういう人は、きっと健全な心を持っているから、いちいちそんな言葉をかけられる必要がないのだろう。

さもなければ、その言葉を受け付けられないほど「重症」なのだ。

もしも、私のこの言い方に引っかかるものを感じた人は、上に引用した言葉の「自分」のところを、
本当にあなた自身に置き換えて、もう一度読み返してみては。
もしかしたら、何か気が付くことがあるかもしれません。

もちろん、私はあなたにそれを強要したりはしないし、
今あなたが私のこの記事で何かに気づかなければいけないのかどうか、なんて難しいことも、
当然、わかりません。

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★2・観劇(3)

『アルプスの牛』、昨日に引き続き、行きました!!
自分をホメてやりたいです。だって、
私にしては珍しく約束守ったんだもん。
(↑そんなんじゃ社会生活できないだろがっ!! ――だからヒッキーしてます、ハイ)
(↑こういうことをロコツに言い出すのは、みっともないかもしれないけれど
「そろそろなんとかしないと」という焦りのあらわれなので、どうか見守ってやってちょ(^^;
まっ、そんなことはどうでも、閑話休題=何はともあれ=)

で、感想。
「2度観てよかった」。
実はこれ、とても辛らつな意味合いになってしまうのだとは、
この言葉が飛び出した瞬間には気が付きませんでした。
だって、「2度観てよかった」ということは、裏を返せば「2度観ないとわからない」っていうことじゃん!!

確かに昨日は体調悪かったです。
で、意識が朦朧としてしまったあたりから先が、実はすごく盛り上がっていくのだ、ということを
私の知覚神経はマジメに検索しようとしなかったので、
それが悪かったといえばいちばん悪かったのです。

けれど、お芝居の中盤、昨日とほぼ同じ場面で、一瞬「ふっ……」と
お芝居から気持ちが離れるのを感じて、それはそれでどうやら、
私には具体的につかむことができないけれど
お芝居そのものの中に何か問題が潜んでいるからなのかも、という気がします。

後で打ち上げに参加して、ある人が
「多くのことを変化を制限した中に盛り込みすぎたのでは」
と言っていて、ああなるほどそうか、と納得してしまいました。

ただ、ただ……私、ここまで書いたみたいに「酷評」するのって、
実は大嫌いなんです。
だって、前に自分自身が
「ぜんぜんわからん。お前の作品はただの独り言じゃないか」
というようなことを言われて、すっごく傷ついたことがあったから。
今では、たとえば「プロ」だったらそういう批判にも立ち向かわなければいけない
―場合によっては無視してもよけても、更に批判者を叩き潰してでも―
ということはわかります。(あの時は、実際半分叩き潰したような気もする(-_-;)

でも、ある程度相手の気持ちを素直に聞いてしまう状態の相手に
まるで全く無価値であったかのような言い方をするのは、私はやっぱり許されない、
ていうか許す許さないは神さまにしか決められないことだけれど、
少なくとも相手が育っていく可能性の芽を摘む、下手すると殺人に近い行為だと思うのです。
(子どもの頃から何度も殺されてるよ、私は)

で。
こうやって「前置き」みたいなことを長々と書くと、いちばん言いたいことがぼけてしまうけど、
―ってこの言葉は上述の的確な指摘をした人が
もう一言、今回のお芝居について言っていたことと重なるんだけど―

ここからが大切。
今日2度目に観て感じた、素直な感想。

後半からラストにかけて、すごく面白かったし、感動した!

とてもシンプルな舞台構成の中に盛り込まれているかなり盛りだくさんな情報が
ちゃんと頭の中に定着してみると、
このお話が本来目指している
「母性への回帰」
「母乳という原体験」
「生を慈しむこと」

そしてそういうことと重ね合わせて
「牛乳食中毒事件」
を見た時の
「悲劇性=母性〜生の残酷な抹殺」
への気づき、それらが「牛飼い」という不思議な存在を通して
ふわあっと、でもしみじみと、またいきいきと(何て言えばいいの?)伝わってくるのでした。

そうそう、あと、私がけっこうびびったのは、役者さんたちの年齢。
私にちょっと「おいおいそこまで」と言いたくなるような「年齢コンプレックス」があるせいか
(ふだんそんなふうに見えない、ということもあってよけいに拍車がかかるのよー(;_;))
彼らの平均年齢が20代半ばである、ということを知って、
そんなに若いのにこれほど緻密なお芝居が作れるのか、と舌を巻いてしまったのでした。
立体感が消えてしまいがちな白い色を逆手にとって、とても奥行きのある舞台を作った
「画伯」さんにも脱帽。

ま、年とりゃものごとがよくわかるようになる、っていうわけでもないし、
わかってるほどエラい、なんていうことはなおさら言えないんだ、っていうのも
痛感してしまったのでした。

静岡総演劇化計画のみなさん、お疲れ様でした。
座長の大野さんなんか、腕を骨折してるのに台本から役者までこなしてたようだし。
スゴい(・o・)。
牛乳飲んで、骨を早く治してね。
もう一度、皆さんのお芝居を観たい、と切望しています

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2001年12月01日(土) 生まれました / 披露宴 / 観劇(2)

★1・生まれました。
★2・「披露宴」
★3・観劇 パート2
★4・古臭い拘り



★1・生まれました。

(この記事では、敢えて皇族の方々に使うべきとされている敬語を
使わないようにしています。
不快に思われる方もいらっしゃると思いますが、
使おうと思ってもあまりにも日常的に使わないため、
最低限と思われるようなことでも覚えていなくて
実は「不適切」な書き方になってしまうくらいなら、
むしろいっそ使わないほうが良いと判断しましたので、
どうか意図を汲み取っていただければと思います。
残念なことかもしれないけれど、
「皇族専用の敬語」というのは、「古典文法の世界」のものになりつつあると思うし、
歴史の流れの中で、それは当然だと思うのです。
天皇制や皇族の方々の存在というのは、とても微妙で繊細なものがあります。
でも、あまり極端な特別視をすることは、少なくとも
「人として疎外してしまうことになる」
と、私は思います。)→よろしければ「★4・古臭い拘り」をご参照……

皇太子妃雅子さんのお子さんが生まれました。
母子ともに健康、とのこと。
私は直接に面識があるわけではないのですが、
たまたま天皇のお孫さんにあたるということで私の耳にも入ってきたので……

理屈はともあれ、
おめでとうございます。

人として、幸せな道を歩まれますよう、お祈り申し上げます。

#秋篠宮さま以来、皇位継承権のある男子は生まれていないのだそうで
#女性の天皇について検討すべき、という意見が頻出しているそうです。
#私は今の時代、天皇制を存続させたいと思う人たちにとっても
#それを「時代遅れのもの」と感じてしまう人たちにとっても
#好ましいこと、と思えてなりません。

#まあ、私がそう思ってしまう感覚というかセンスの根拠は、
#「卑弥呼」だとか(現在の日本国家とは実は直接の継承はないらしい?)
#「推古天皇」だとか(政治的な実権を天皇自身が持たない、という形態が堂々と描かれる最初のケース?)
#「奈良時代」だとか(「女帝」最多の時代。でも実は政治的にはむしろ不安定だった)
#現在ではちょっと現実味のない時代に対する、漠とした憧れでしかないんですけど。

あと、これも「不謹慎なのでは」とは思いながらも、ついつい……
生まれた赤ちゃんが、「George Harrisonの生まれ変わり」のように思えてなりません。

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★2・「披露宴」

私のお友達のみのりさんとゆりさんが、「結婚1周年」を記念して、
結婚したときには諸々の事情でできなかった「披露宴」を
Web上で行う、ということで、私も参加しました。
具体的には、当日限りのサイトを構築してそこにチャットルームを設け、
二人に縁のある人に集まってもらって、特別なチャットをしましょう、というものでした。

そういう形式の披露宴なんて、生まれて初めてでした。
でもそういえば、人の披露宴というのも、ここ何年か、出席していなかったのでした。

ちょっと私1人でおしゃべりしてしまったところがあるのですけれど、
(またかい(-_-;)
お二人の姿、私はかれこれ2年半〜3年ちかく遠くから見つめてきたと思うところもあり、
とても感慨深かったです。
見ようによってはとても困難な生き方なのだろうと思います。
けれど、とても希望に満ちた生き方であることのほうが多く見えて、
私などからは暗い部分が目に付かないのです。
それが、私にとって、また大きな励みにもなるのです。

これから、どうか今まで以上に幸せになってもらいたい、とお祈りしています。

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★3・観劇 パート2

またまたお芝居、観に行きました「♪」……をつけたいところですが
実は、不覚にも途中で意識が朦朧と……

ああ、しまった、と思いました。

役者の方たちに悪いな、と思いました。
だって、案外客席の人たちの表情とか様子とか、
舞台の上からよくわかってしまうものだ、ということ、私、知ってるもん。

でも、それは、私の体調が悪いのがいけなかったのだろうと思います。
今、風邪をひいていて、それもここしばらくなかったほど、
きつーい状態なのです。
(唯一、熱が出ないのは救い……っていうか、私いくら風邪引いても熱が出ない!
むしろ「完全にダウン」することがないので、自分も「きっちり治す」ことができないし
うろうろ動き回ったら人にもうつしてしまうじゃないの!メイワク!)

実はまだちょっと本調子じゃないような気がするけれど、
今日、もう一度観に行きたいと思います。
こんどはマスクして。(うつしちゃダメじゃーん! ちっとは他人の迷惑も考えようよ!)

なんか、けっきょく寝ちゃいました、で終わるの、イヤだもん。

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★4・古臭い拘り

これは★1・生まれました。 の関連記事です。

ところで、今日の最初の記事に青い字で書いた部分、きっとこう思われてしまうだろう:
「なんでいちいちそんな細かいことに拘るわけ? いいじゃん、そんなこと!」
でも、仕方ないこと、と私は思っている。
なぜなら、私が抱える「古臭い拘り」には、多く「父からの影響」があるから。
それらの全てを「古臭い『遺物』」としてしまうのは、あまりにも知的に「もったいない」から。

父は明治生まれで、平成(これももう始まってから13年過ぎようとしている)の現在から見たら
笑っちゃうような古臭い、実は間違ったことに対して多くの「拘り」を持っていた。

でも、それらの「古臭い」ことがらの多くは、父が生きた「戦前」とよく総称される時代には
とても「進歩的」とされていた、ということを、私は忘れたくないし、
時にそのことによって「今」がもっともっと広い視野から見れることもあるのだ。

その能力は、たまたま父との年齢差が50歳もあったからこそ得られたものだと思うし、
そんなの努力して得られるものでもない、いわば「遺産」なのだと思う。

私はできるだけこれを「負の遺産」とはせず、プラスの部分を生かして行きたい。生きたい。

★1・生まれました。に戻る

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