一陽来復 *

2007年08月20日(月) かけらにっき

暑さにやられた頭が勝手に考えている事項↓

・「♪野心と愛ーの調和がとれずー♪」(アンジェラ・アキ「home」)
 そもそも調和を図ろうとするところからして野心的

・バイリンガルなアーティストのつくる歌詞は、
 我々が思いつかないことばの取り合わせとか、
 あ、そういえば最近使ってないやーということばのひっぱり出しをする。

 「♪どんぶらこっこ♪」(宇多田ヒカル「Keep Tryin'」)

 簡単に言うと、やっぱへんだと思う

・キーボードのミスタッチが増えた
 よくあるのは気持ちが先走って1字先にある文字を打ってしまうこと
 「プリンタ」→「プリタン」
 プリたん!?カーワーイーイー!

・夜中に母のふとんを横切ろうとしたら、
 足を足で挟まれた
 そのときの驚愕。固まったわたし

・シネマをシネと略して名づけた固有名詞を誤変換すると
 「死ねスイッチ銀座」
 2ちゃんねる風に
 「氏ね・ラ・バンバ」
 こころがすさむ

・富士吉田のお通夜お葬式は
 香典でもおつりをくれるらしい

・でもあんまりお通夜やお葬式にはいきたくない
 かなしいから

・カメのうたを作るのは楽しい

暑さにやられた頭が日中仕事中に勝手に考えている事項↑

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2007年08月17日(金) 改正論議のテレビを観てしまいました

命は大事。
自分が死ぬのも、身近な人が死ぬのも嫌だ。

と、ここまでは共通認識。

ここからどういう結論に達するか。
憲法9条を守るべきだ、
という結論に至る人もいれば、
憲法9条を改正すべきだ、
という結論に至る人もいる。

守るべきだ、という人には、
この不穏な状況下で、
自分の身を守るすべを、
ひとつももたないでいいのかと訊きたい。
自分の大切な人やこの国を守れなくていいのか。

改正すべきだ、という人には、
日本が戦場になってもいいのか、
あるいは外国で戦争をしていいのかと訊きたい。
殺されたくなければ殺していいのか。
アメリカとの関係上、防衛のための武力でなく、
侵略のための武力を行使するようにはならないと絶対にいえるのか。


焼け野原になったこの国は、
たのもしいアメリカの庇護の下、
著しい経済成長を遂げた。
豊かになったこの国が、
ふとかつての育ての親をみると、
たのもしく正しかった国のはずなのに、
いまはなんだかおかしいことをやっているようにみえる。
いくつかの国からはひどく憎まれている。
でも、強いことには変わりない。
そして「手助けするだけではなく、おまえも戦え。」と言う。


理想論を言えば、
永世中立国になって、全ての争いから永遠に離れていたい。
それができればいくらでも戦争放棄を標榜しよう。


今のところでの私の結論。
まずアメリカから距離を置くこと。
アメリカは恨みを買いすぎた。
そして自分の意思で決定できるようになったうえで、
9条は、
「いざというとき自分の身は自分で守れる」
けれども
「侵略はしないし、侵略の手助けになるようなことも絶対にしない(制度上できない)」
ような形に整備すべきだ。
それがどんな形なのかはまだ、よくわからない。

自分や身近な人が戦争で死ぬことがない、
という目的が達成されるのであれば、
憲法のかたちがどうあろうと、実はかまわないのですが。

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2007年08月02日(木) 重い車輪

今ふと思いついた、たとえ。

私のメンタル的な調子というか、気持ちの波、といったものは、
重い車輪のようなもので、
動き出すにはエネルギーが多く必要だけれど、
良い方向にも、悪い方向にも、どちらに進むときも同じように、
転がり始めれば次第に加速する。

私の車輪は、動かずに留まっていることも多い。
そういう状態のときは、つらくも楽しくもない、
フラットな状態になる。
年齢を重ねるごとに、フラットな状態が長くなってきた。

文章として結論もなにもないけど、
今考えたのはそんなことです。
自分のためだけの記録として書いておきます。

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