近くの町のお祭りに、エレキコミック(とテツアンドトモ)がやってくるというので、 どうせタダだしというせこい根性で見に行ってきました。 エレキ目当てで行ったのですが、 意外や意外、テツアンドトモの株が私の中で急上昇したのでした。
本人たちが言っていましたが、 彼らは老若男女、誰にでも分かる笑いを目指しているとか。 確かに彼らの笑いは、誰でも経験がある小学校ネタだったり、子供の喜びそうな替え歌だったりします。 誰も傷つけない、最大公約数的な笑いを目指す彼らの姿勢を受け入れてくれるのは、 きっと今ではたぶんNHKくらいのもので、 笑いの質はそれほどわたしの好みではないけれど、 そういう姿勢は、かえって新鮮で、けっこう好感が持てたのでした。 まぁあの炎天下をジャージで動き回る彼らを見た人は、 私でなくとも彼らのプロ根性に感服したと思われます。 ただステージの最後に、何か面白い替え歌をするわけでもなく、 ごく普通に「あずさ2号」と「最初から今まで」を朗々と歌いあげたときには、 その状況に笑ってしまいましたが。 旬が過ぎた後どう生き残るかという問題に対する方向性として、 彼らが出した結論はきっと (あるいはブームなんて関係なく、もともとから目指していた方向は)、 お笑い、歌、演劇?などを合わせた、健康ランドの総合娯楽的なものなのでしょう。
それはなかなか悪くない、と思ったのでした。
掲示板へ行く
2005年04月23日(土) |
ラーメンズを観てきました |
いやぁ、初生ラーメンズ、堪能いたしました。
面白い面白い言っているだけでは文章を書く意味がないので、 書きながら考えをまとめてみようと思います。 (ネタバレせぬよう話を進めますが一応白文字)
ラーメンズ(ファン)の喜びとは何か。 それは反復の喜び及び排他的共有の喜び、 であると思われる。
初めて観たときには、笑えないしどこが面白いのか分からなくとも、 小林氏によって厳選された数々のことばたちは、 記憶の中に勝手に根を下ろし、 頭の中で自動的に反復し始める。 それらは記号としての意味を失い、 「おかしみ」のみが後に残っているのである。
そしてこれらの自動反復されることばたちが、 ついうっかりほろっと口をついて出たとき、 にやりと笑える人がそこにいるならば、 そのおかしみは増幅される。 この共有の喜びは、 共有できる人間が限られているからこそのものであるが、 ラーメンズの場合、 テレビというマスメディアにほとんど出ないという活動形態を取っているために、 特にそれが顕著なのだ。
この排他的共有の喜びは、 ファン対非ファンの間で生まれるのはもちろんであるが、 ファン対ファンの間でも存在する。 つまり、他の人は気付いていないけれど、今のセリフって、アレでしょ・・・(爆笑) という図式である。 これは本当に一人でウケることになる可能性がある一方、 「私にはこれが笑えるのよ」というポーズになる危険性もはらんでいる。 それが加速するとどうなるか。 ちょっとよく分からないセリフでも、 とりあえず会場大ウケ、ということになるのではないだろうか。
一ファンのささやかな願いとしては、 分かる人にだけ分かればいい (=分かる人には分かった喜びも加わって余計面白い)という姿勢と、 伝わってる?と窺う姿勢のバランス感覚を、なくさないでほしいのです。 まあ、なぜこんなことを思ったのかというと、 今回のライブで小林さんが両方の姿勢を垣間見せた(というか言った)からなのですが。 こんな風にかっこつけて小難しい言葉で考えてしまいましたが、 観るときには何も考えずただ笑います。 小林さんもきっと、小難しいことを考えたり何も考えなかったりしてコントを作っているんでしょうね。
ああ、ごめんなさい、 なんだかんだ言って、日記なのにこんな長文書くくらい、どっぶりはまっています・・・。
掲示板へ行く
2005年04月16日(土) |
飲み会に行きました。 |
昨日の飲み会で、
「カウンタック※に似てる」
と言われました。
※車の名。画像はこちら。
…根に持つタイプですよ、私は。
掲示板へ行く
テレビの音に耐えられなくなったり、 話し声がうるさかったり、 皮膚が痒かったり、 偏食が激しくなったり、 腹立ちを持て余したり、 気持ちの振れ幅が大きかったり、 身体のリズムがくるったり。
気付かない疲労が変調になってあらわれる。
掲示板へ行く
ポップンミュージックに入っている、デビルマンの歌を、 ♪初めて知った、人の味♪ だと思っていて、 うわダークだわ、永井豪は子ども相手に容赦しないわ、 などと驚嘆していたら、 ♪初めて知った、人の愛♪ だったと分かりました。 やはりダークすぎますね、人喰いは。
でも発想がすごいと思います。 正義のヒーローですよ、デビルマンなのに。
掲示板へ行く
|