samahani
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2007年01月04日(木) |
家族はお金で買うもの? 2 |
(前日の日記からの続き)
年末に、年齢も性別もばらばらの人たちとのカウントダウンパーティーがあった。そこで、私が「私は子どもの育て方を間違えてしまったのだろうか。家族はお金で買うものなんだと思ってしまった」と言うと、みな驚いたようで、口々に慰められた。
「お金がいっぱい掛かったって、年に一度のことだもの仕方がないんじゃない。家族で楽しめたんだからいいんじゃない。しょうがないよ」と言ってくれた女性。
それを聞きながら、お金の問題だけじゃないんだけどなと思いつつ、でももしホテル代が一泊200ドルだったら、お金で買った感は少なかったかもしれないから、やっぱりお金の問題だったのかな?と自分でもよく分からなかった。
「その年頃の男の子ってみんなそうだよ。心配しなくても30くらいになれば、自然と親思いになるものだよ。自分がそうだったから」と言ってくれた男性ふたり。
そうかな、そうだといいな。けれど、ウチが「個々の自主性を重んじる」といえば聞こえはいいけど、要は、個人の好きなようにしてもいいという家族間の暗黙のルールのもと、今迄、家族ばらばらに行動していたのは、結局は、私がお母さん業より自分の好きなことをしたかったからだということは子どもも感じているだろう。それでも親として認めてくれるのかしら?
私は夫にはずっとこの話ができなかった。言えば、きっと怒るか悲しむかするだろうと思ったから。
案の定、夫は驚いて、「えっ!? さとこさんって、面白い見方をするんだね。僕は、お金は掛かったけどみんなで過ごせてよかった、いい使い方をしたなって満足してるのに。あなただから、へぇ〜そういう見方もあるんだって言えるけど、それを赤の他人に言われたら、すごくカチンとくるよ」と言った。
あぁ、やっぱり言わなきゃよかったと思ったけれど、その話題を振ってしまった以上、なんとかその話にオチをつけたくてふたりでああでもないこうでもないと話し続けていたら、夫が「分かった!」と突然の大発見のように言った。
「あなたがスキーをしないから、お金で家族を買ったように思うんでしょ。あなたも好きなことをしていたら、少々高くても買ったなんて思わないでしょ」
そうだわ。そのとおり! これが日本の鄙びた温泉のちょっと高級な旅館かなんかで御懐石をいただくような旅行だったら、私も家族を買ったなんて思わなかったに違いない。
それまでの私は、みんなと一緒にスキーもできないのに、家族と過ごすために着いてきてあげた感がどこかで巣くっていて、それを表に出せないでいたのだ。
言われてみればすごく簡単なことなのに、ずっと引っ掛かっていたことが、すとんと腑に落ちる(腑に落ちると言う日本語はないけれど)感じがして、妙に納得して、引っ掛かりが取れたことが気持ちよかった。
2007年01月03日(水) |
家族はお金で買うもの? |
去年の年末は、12月24日から29日まで、ウィスラー(バンクーバーより車で2時間半)にスキーをしに行った。と言っても、私は一日も滑らなかったけれど。10月下旬に「さとこも行く? 日本から、なおき(大学1年の長男)も来るけど」と夫に訊かれ、あれっ?去年、最後の家族旅行とか言ってたのは何だったの?と思ったけれど、反射的に「行く」と答えていた。
バンクーバーの空港で長男と合流し、ウィスラーのスキーリゾートに向かうリムジンの車中で、息子たちが彼らの共通の趣味(クイズ)の難しげな話をしているのを聞き、ちょっぴり疎外感を味わいながら、これから行くホテルの宿泊代が一泊500カナダドル(×5泊)もすることとか、このリムジンも片道450ドルもすることを考えていたら、突然「家族ってお金で買うものなのね」という思いがふっと湧いてきた。
高校生と大学生の息子が、親の提案するスキーツアーに来るというだけでも有難いのかもしれない。スキー以外の場所(ハワイとか)なら行かないと言われてしまうのだから仕方がないのかもしれない。それでも・・・。
翌25日、ディズニー(フロリダ)のクリスマスパレードをホテルの部屋でひとり、楽しそうだなー、来年の冬はこんなところに行きたいなー、と思いながら観ていた。観ながら、なおきがまだ幼稚園だった頃、ディズニー・ワールドで初めてミッキーさんを見て「あっ、(本物の)ミッキーさんだー!」と本当に嬉しそうな顔をしたことを思い出していた。それから、子どもがまだ小学生だったときには、家族でスキーをしても、夫を先頭に子どもを挟んで私が一番後で滑っていけて、3人の後姿を見ながら、こういうのって{家族だなあ}とささやかな幸せを感じていたことも。
あの頃は、一緒にいるだけで家族だった。
昨日まで、私には、家族を「する」ために、わざわざウィスラーに来て、高いお金も払ったという気持ちがずっと消えないでどこかにあった。高いと思いつつも、払えるお金も、買える(?)家族もあるんだからいいんじゃない、幸せなんだよとも考えて、そこまで悲壮感があったわけではないのだけれど。
(続く)
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