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キ ミ に 傘 を 貸 そ う 。
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2018年11月21日(水) あれから。これから。

ずっとずっと書きたいと思っていたのに。
何故かどうしても開けず、書けなかった。
この1年、本当に色んなことがあったのにね。

まだ見ている人がいるかは分からないけれど、
自分の区切りのためにも、久々に書きたいと思った。



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昨年、私はKさんと結婚をした。

今でも本当に不思議だなぁと思う。
Kさんが私の夫になっただなんて。

(Kさん、と言っているけど年齢は私より一つ年下で、
 会社でも私の方が先輩である…)

私はなかなか人を好きになれない性格で、
それ故なのか、本当に好きになってしまうと
猛烈に好きになってしまう。

でもKさんに対する感情は何だか不思議だった。

 
初めてKさんを見たのは、会社の事業部合同のイベントで
Kさんは若手だったため裏方のスタッフをしていた。
私はKさんのことを後輩経由で名前だけ聞いていて知っていた。

後輩の女の子が、
「はるかさん、あいつがKですよ。」
と教えてくれてKさんを見た瞬間、あぁ、雰囲気が好きだなぁ、と久々に思った。
年齢の割に、落ち着いて話す人だなぁという印象。
動じない感じが、好きだなと思った。


Kさんの性格とか、何にも知らずに。私はKさんが気になった。
恋なんてそんなもんだけど。


そして偶然にも、割と近所に住んでいることもあって
度々飲みに行くことに。
初めて飲みに行ったその日に、何故か襲われそうになるという事件?もあり
びっくりやら哀しいやら何だかよく分からなかった。

でも、
何やかんや色々あって付き合うことになり、、
でも私は。ずっと自信が無かった。
Kさんが、前の彼女のことを忘れていないことを知っていたから。

自分が一番キラキラしていて幸せだった青春時代に
ものすごく好きになってしまった人のことを忘れられないって気持ち、
私にも心底理解できるなぁと思っていた。
理解できるからこそ、悲しかった。
あぁ私は。Kさんの一番にはなれないんだなぁと。

だから何度も別れようかなと思ったし
本当に何度も何度も泣いていた。弱い女だった。

その頃私は30歳を迎えていて、
もう結婚のことを色々考えなければいけないという
世間と親からのプレッシャーで毎日死にたい日々だった。
大袈裟と思われるかもしれないけれど。


その頃、Kさん以外に、私のことを好きだと言ってくれた男性がいて
私はもうその人にした方が良いのだろうか…と散々悩んだ。
私の好きな人を選ぶか、私のことを好きな人を選ぶか。

でも後者はやっぱりダメだった。
心が付いていかなかったのだ。
何度か会ってはみたものの、帰り際に抱きしめられそうになった瞬間
「あぁ、無理だ」と思ってしまったのだった。


でもだからと言って、Kさんが最終的に私を選んでくれるかなんて分からない。
私のことを、本当に好きかどうかなんてわからない。
付き合っているのに。哀しみだけが増していく。

Kさんと、別れようかどうしようか。

何度も悩んで、そのたびにKさんと話し合って。
でも「別れようか。」という一言が言えなかった。
どうしても。お互いに。
喧嘩はしなかったけれど、私はKさんの前で何度も泣いた。
苦しかった。


そんな日々に終止符を打ちたかった。
もうハッキリしなくては。と。
結婚するのか、しないのか。


そして結婚することになった。
「親に挨拶にいこうか」となったのである。


ずっと夢見ていた結婚。信じられなかった。

一緒に買いに行ったティファニーの婚約指輪。
現実味がなくて、毎日毎日眺めた。

会社にはつけていけないけど、勿体なくて、
通勤の時間だけ指輪を付けた。幸せだった。

仕事の帰り道、鞄からそっと指輪のボックスを開けて
ダイヤの指輪をつけて、眺めながら帰る。
ふわふわしていて幸せだった。


苦しかった時期に本屋さんで見かけるゼクシィ。
私には一生縁のないものだと思っていた。
けれどついに、自分のために購入する時がやってきた。

あの分厚い雑誌をレジで買って、
専用のゼクシィの袋に入れてもらって、
ぎゅう、とお腹に抱えて、重みを感じて帰った日のことを忘れない。
人生で一番幸せな夜だった。



それからお互いの両親に挨拶をして、
彼の実家にも行った。

そこでようやくちゃんとしたプロポーズがあった。
(「プロポーズ、ちゃんとしてもらってない!」と
  私が散々嫌味を言っていたからと思う…)


その日は朝から二人とも緊張していて(挨拶があったから)
余計に何故か仲が良くて、珍しくずっと手を繋いでいた。
Kさんは、付き合った当初から、まったく手を繋いでくれない人だった。


私が彼の両親に挨拶をしたあと、
「私はいつかこの地でこの家族とうまくやっていかないといけないのか。。」
と若干不安になっていた。
挨拶が終わり、野球観戦に行く電車の中で、若干不安になって、ぼうっと流れる外の景色を眺めていた。


するとKさんが突然私の手をとって、握った。
珍しかったので驚いた。
Kさんから手をとることなんて今まで無かったのだ。
Kさんは、私の心が、少しだけ離れたことを見逃さなかったんだと思う。

そのあと、電車を降りて、Kさんの大好きな野球観戦をして
Kさんはお酒を飲んでご機嫌だった。

「近くの海に行く?」と言われてついていった。
私もKさんも、海が大好きだった。


海でしゃがんで、白くて小さな貝殻を拾った。
すると、若干酔っぱらっているKさんにキスをされた。
周りに人がたくさんいるにも関わらず。
「一緒になろうね。」とKさんが微笑みながら言った。

「どうしたの?」と私が聞くと、
「ちゃんと言ってなかったなぁと思って」と言った。
それがKさんの精一杯のプロポーズだと私には分かった。

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入籍をしてから、Kさんは前より優しくなった。

元々私はKさんのことを
「めちゃめちゃドライな奴や…!!もっと愛情表現しろやー!」
と思っていたんだけど、

まぁ、愛情表現(例えば、「好き」とか「愛してる」とかを言葉にする)というのは無いままなんだけど、
たくさん手を繋いでくれるようになったり、
家事をたくさん分担してくれたり。


そしてこれは結婚してから実感することなんだけど、
Kさんは、私のことを肯定する言葉も言わないんだけども、
否定することも絶対に言わないということ。

例えば私が部屋を汚しても怒らない、
家事を休んでも怒らない、散らかしても怒らない、
私が不機嫌になっていても怒らない、、
(単に無頓着なだけ?)

とにかく私に対して怒るとか、不機嫌になるとか、
私を否定する言葉を言ったことがないのである。


菩薩…?


それに引き換え私はというと、
ゴミ袋はこう畳んでくれ!
コップはそのままにせず洗ってくれー!!
今日はもう私は料理したくないいいいい!

などワガママも多くて、自分で自分にげんなりしていたり、する。
Kさん、ごめんなさい。
ダメな嫁だね。

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結婚式を終えて、数か月後。
妊娠が分かった。
今、妊娠3か月だ。


お互いに望んでいたことだった。
嬉しさよりも、驚きが大きかった。


私はずっと子宮に病気を患っていて
5年以上、薬を飲み続けていた。
子どもを授かるのは、難しいのではないかと思っていた。
だから期待せずにいたいと思っていた。

でも心の中では、どこか期待もしていたんだと思う。
基礎体温も毎日つけるようにしていたし、
排卵日の予想をしたり。

でも自分の気持ちが分からなくなっていた。
本当に子どもが欲しいのかどうか。
母になりたいのかどうか。
私なんかが、母になって良いのか。

けれど、それでもやっぱり、
"普通"の女性になりたいという想いがあったのだと思う。
普通に、結婚をして、子どもを産んで、育てるということ。
それが普通じゃないってこと、痛いほど分かるのに。

だから妊娠検査薬で陽性の反応が出たとき、
「嬉しい」よりも「驚き」が先に出て、
「あぁ、妊娠した」と、ドキドキした。

本当は、「嬉しくて泣いた」とか書きたかったんだけれど。


今はどうか、お腹にいるこの子が、無事に産まれて欲しい。
私よりもKさんの方がずっと子どもが好きで、
Kさんは良いお父さんになると思うから。
私はKさんのために、愛しい子どもを産みたい。

そして私の子には、自分の好きな道を進んで欲しい。
私にはできなかったこと。たくさんさせてあげたい。
子どもの夢を応援してあげたい。
干渉せずに、応援してあげたい。
一人でも生きていけるように、知識をあげたい。
自分の幸せが何かを、自分で見つけて欲しい。


どうか、どうか神様。
この子を無事に産ませてください。


あの死にたいと毎日願っていた日々からは考えられないけど
私に素敵なプレゼントをありがとう。

頑張って生きるから。
この子を無事に守りたい。Kさんと。

来年の今、どうか笑っていられますように。
Kさんと私と赤さんで笑っていられますように。






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