ことば探し
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]
 

2010年03月31日(水) ■消してはいけない山火事もある

自然の世界にはムダがない。
必ず、何かの意味がある。


例えば、森林で山火事が起きる。
人間の目から見ると、火事は困ったことだから消そうとする。
でも、消してはいけない山火事もあるのだ。

人間は長い間、その事実を知らなかった。
消す技術を進歩させる知恵は持っているが、
山火事の意義までは気づかなかったのである。

1988年、アメリカの西部イエローストーンで、
まれにみる大規模な山火事が発生した。
とても人力で消せるようなものではなかった。
原因は自然発火だった。
火事の後、さまざまな調査が行われた。

それまでこの地域で起きた自然発火による火災は、
森林管理官の努力によって、徹底的に抑えられてきた。
なぜ今度の火災を防げなかったのか。
調べているうち、意外な事実が浮かび上がってきた。

それは
「小規模な山火事を丹念に消したのがいけなかった」
ということだった。
火事を消してどこが悪い?普通に考えればそうなる。
だが森林の場合は、自然発火による小規模火災は
起きた方がいいのである。     

自然に起きる火災は樹木の世代交代を可能にする。
老木が燃えて若い木が育つ機会を与えてくれる。
それがないとどうなるか。
老木が若い木にとって代わられることがなくなり、
枯れ草や落ち葉ばかりが積もる。

その結果、森林全体が燃えやすい状態になってしまうのだ。
その状態で自然発火が起きると、大規模火災となり、
森林全体を燃やしてしまう。
もし小規模火災を適当に起こさせておけば、
大規模火災は起きないというわけだ。(略)
何においても、ガス抜きは必要ということだ。


出典元 「いつでも、逆に考えるとうまくいく。」
おすすめ度 3.5
著者名 川北 義則


なんとなく印象に残った話だった。
すべてを潰そう、抑えこもうとすると、
必ずどこかで反発が起きる…ということはよくある。
適当なガス抜きはやっぱり必要なんだ、と思ったしだい。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「脳のお話…脳って何グラムくらいだと思いますか?」

脳ってすごい装置で、
感謝しないといけないと思います。

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2010年03月30日(火) ■ストレス対処方法、選択肢は3つ

その上司とのかかわりがあなたのストレスの要因であるならば、

A)その上司とのかかわりを「なくす」ことはできるか?
B)上司の態度や考えを「変える」ことで、
  ストレスを解消することは可能か?
C)自分自身の態度や考えが「変わる」ことで、
  ストレスが解消される可能性はあるか?

以上の3つの選択肢があるわけです。(略)
ストレスが高まっている人がいた場合、
具体的にどう対処すべきか、ポイントは2つです。

●まず、対象者のストレス要因を特定する
●対象者のストレス要因に対して、
 「なくす」「変える」「変わる」の3つの選択を探る。
原因究明→対処方法の選択、を行うわけです。



出典元 「なぜ、だれも私の言うことを聞かないのか? 」
おすすめ度 4.5
著者名 鈴木 義幸 (著), コーチエィ (著)


自分のストレスの要因が明確だったとしたら、
その要因を、「なくす」「変える」「変わる」ことが
できるかどうか、考えてみるといいと思う。

例えば、夫婦間のことだとしたら、
A)夫(妻)とのかかわりを「なくす」ことはできるか?
B)夫(妻)の態度や考えを「変える」ことで、
  ストレスを解消することは可能か?
C)自分自身の態度や考えが「変わる」ことで、
  ストレスが解消される可能性はあるか?

もし、Aの選択肢が、現実的に無理だとしたら、
BとCの対処方法を考えていかねばならない。
仮にBを選んだとしたら、
どうやって「変えていくか」のその方法を考え、
Cを選んだなら、自分が「変わる」ことを考え、
それぞれ実行していく、ということになる。

この本によると、BとCの両方を選ぶこともあるし、
Bを選択し、相手に働きかけていったら、
その結果自分も変わっていった、ということもあるそうだ。

また、多少のストレスはあったほうがいいし、
ストレスを解消することに力を注ぐなら、
そのストレスをバネに、自分の力をつけていく、
出していく、という選択肢もあるということだ。
ストレスと上手くつきあっていきたいと思う。


■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「脳のお話…脳を衰えさせないために大切なこと」

本からの紹介です。脳は使わないとダメらしい。

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2010年03月29日(月) ■正解にたどり着くA君と、たどりつかないB君の違い

私の研究室の学生にA君とB君がいるとする。
どちらも同じくらい熱心に実験をやっているけれども、
A君はいつの間にか正解にたどり着くが、
B君はなかなか正解が出せない、ということがよくある。

2人のやっていることをよく見ると、
A君は実験に失敗した後、よく考えているのである。
考えて考えて、どうしてこうならないのだろうかと考えている。
私にも、彼が何を考えていたか、次の実験を見ればよくわかる。
一方、B君は実験で失敗しても何も考えていない。
だから失敗したのに、また同じ実験を繰り返している。
結局は、すべてはその差である。(略)

失敗しながら考えて、さらに失敗しながら考えて、
ゴールへの道を一歩一歩近づくことができるのである。
その意味で、失敗した後、いかに考えるかがすべてなのだ。



出典元 「「突然変異」を生み出せ!」
おすすめ度 4.5
著者名 中村 修二 (著), 城戸 淳二 (著)


この本によると、何も考えていない学生は、
「おかしな変更」をする、というのです。
どんなことかというと、実験では、うまくいかないときに、
温度を変えてみたり、試薬の濃度を少し変えたりするそうですが、
このとき、必ず「1つずつ変える」ことが原則なのだそうです。

ところが、考えない学生は、その原則を守らず、
「温度を変える、試薬の濃度も変える…」というように、
2つ以上、同時に変えてしまう、というのです。
こんなふうに、条件を同時にいくつも変えると、
たとえ成功しても、どの条件が失敗と成功を分けたのかが
わからなくなるので、やってはいけないことなのだとか。

また、そのような学生は、いつも同じ方向からしか、
実験をせず、失敗を繰り返していくそうです。
そんなことも考えずに、実験をしていては、
次につながる失敗にはならない、とうことです。
成功につながっていく実験、失敗ができるかどうかの、
その差は「自分の頭で考える」かどうか、だそうです。


「失敗から学ぶ」、などとよく聞くし、
何度も「ことば探し」でも書いているけれど…、
本当に失敗から学んでいるかと、自分に問うてみると、
B君のように、失敗の原因もよく探らず、考えず、
なんとなく、これではないかと勝手に決め込み対処して、
同じ失敗を繰り返していることも…多々あるように思う。

自分の失敗を見つめるのは、正直きつい。
しかし、次につながるいい失敗にしていくには、
自分の失敗を謙虚に見つめ直し、それを受け止め、
自分の頭で本気で考え抜いていかなければならないのだと思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「本からのお話紹介〜日本人ジョーク」

今週は、本からのお話。
まずは、日本人ネタから。

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2010年03月26日(金) ■人の叱るようなときに、いってはいけないひとこと

こんな「言い方」では、人の心はつかめない。
人の叱るようなときに、いってはいけないひとこと、
ものの言い方がある。


●「だからいったじゃないの」
●「あなたのせいで、こんなことになったのよ」
●「何の役にも立たないんだな、君は」
●「それでも男なの」「それでも女か」
●「迷惑なんだってば」

…は、まず間違いなく、人から嫌われる。
というのは、叱るというのは、
相手への愛情が伝わらなくては効果がないばかりか、
恨みをかうこともあるからだ。(略)

例えば、
「あなたの仕事が遅いから迷惑しているの。
 私ばかりじゃないわ、みんな迷惑しているんだから」
これでは「叱る」ではなく、「蔑む(さげすむ)」だ。
いわれた方は、この「見下された感じ」は、
忘れられないだろうし、いつまでも根に持つ。

いいかえれば、
人に根に持たれるような叱り方をする人は、
確実に嫌われるということだ。



出典元 「「ちょっとした言い方」が上手い人下手な人」
おすすめ度 4.5
著者名 斎藤 茂太


さらにこの本では、こんなことをいっています。

例えば、「だからいったじゃないの」は、
「私は、ちゃんといっておきましたよ、それなのに、
 いった通りにできないのだから、悪いのはあなたの方だ、
 私は悪くありません、だって、いっておいたんだから」
というふうに、相手には伝わる。
また、相手が自分がいった通りに動くと思っていること、
誰かに「管理能力の問題だ」と責任追及されたくないので、
先手を打っておきたい、という、自分の立場を守りたい、
責任逃れをしたい、そんな意図が相手にも見えてしまい、
叱りの効果がないという。

「叱る」ということは、相手をこれから先、
同じ失敗をさせないように教える、相手の能力を伸ばす、
気軽につきあえるようにちょっと注意を促すなどの
ためにすることだが、そこに相手への思いやり愛情は、
欠かせないし、それらが伝わらない「叱り方」では、
ただ、反発や恨みをかい、うっとうしがられるだけだという。

叱り方は、むずかしい、どういえばいいのか…と、
いつも考えるが、本当に相手のことを思って、
本気で「叱る」ことができれば、いっとき誤解を受けても、
うっとうしがられても、それは伝わると思う…そう思いたい。

また、自分が本気で叱られたときも、素直に受け止めたい。
これまた…もっと、むずかしいのだけれど…
そうしていきたいと、思う。



■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「これは、都心のジャングルのようだね〜」

「ここまでくると、すごいって感じだね〜
 でも、大丈夫なのかな」

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2010年03月25日(木) ■すべての人と縁が深まるわけではない。縁を深めるのは…

いい人であろうが、悪い人であろうが、
出合う人はすべて縁のある人なのです。

ただし、すべての人と縁が深まるわけではありません。
どの人と縁を深めていくかはあなたしだい。
あなたがその人にどんな気持ちを持ち、
どんな言葉をかけ、どんな態度をとるか。
それによって、縁がしぼむこともあれば、
花開くこともあるのです。


では、いい縁を花開かせるにはどうすればいいでしょう。
自分のしたことは、いいことも悪いことも、
すべて自分に返ってきます。(カルマの法則で)(略)

常に相手のことを考えて、思いやりをもって接すれば、
その縁はすくすくと育ちます。
反対に、自分の利益だけを考えて、相手を利用しようとしたり、
傷つけたりすれば、その縁は枯れてしまいます。


出典元 「スピリチュアルワーキング・ブック」
おすすめ度 5
著者名 江原 啓之


この本では、さらにこう言っています。

「たとえば「チャンスがほしいから、この人とつきあおう」
 と、考えていては、縁の花は咲きません。
 「この人をどう利用できるだろうか」という打算的な目で
 相手を見ると、相手も同じ目であなたを見るからです。
 
 反対に、その人がステキだから、おもしろいから、
 尊敬できるから、つきあう、そんなふうに思っていると、
 相手もあなたの人間的な魅力に引かれてつきあうように
 なるでしょう。(略)

 また、あなたの中に、「こういう人であってほしい」と
 いう欲があると、相手の本当の姿が見えてきません。
 「こんな人だと思わなかった」とガッカリして、
 せっかくの縁が枯れてしまうことにもなりやすのです。
 そうならないために、欲や先入観を捨て、
 曇りのない目で相手を見つめること」


いい縁や本当の絆は、ただ、じっとしていて、
待っていて、何もせずに、見つかるものでも、
育つものでもないということで、やはり、
自ら選んで、育てつくりあげていくことが大切なのだと思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「見つけて、怒ったり、笑ったりしたものたち」

こんなことがあるから、怒ったり、笑ったり。

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2010年03月24日(水) ■自分に代わって言い訳を言ってくれる人はありがたい。

自分に代わって言い訳を言ってくれる人、
言い訳をいうことを許してくれる人…
そういう人こそ、周りの人に好かれる人だ。


「あーあ、私ってダメだなぁ。きのう、どうもやる気が
 でなくて一日中怠けちゃった。どうして私って、
 こう意志が弱いのかしら。自己嫌悪だなあ」と
嘆いている人には、
「これまで一生懸命がんばってきたんだから、
 少しくらい怠けたっていいじゃない。
 そのくらい神様が許してくれるわよ。
 それに怠けたんじゃなくて、今日のために
 英気を養ったって考えればいいじゃない」
と言い訳をいってあげよう。

おそらく、
「そ、そうよね。英気を養うために、
 きのうという日が必要だったのよ、
 今日がんばればいいんだから」
と、自分を納得させ、笑顔を見せてくれるだろう。

「言い訳」で、人を励ましたり、なぐさめたり、
癒したり、あたたかい気持ちにすることができる。



出典元 「「ちょっとした言い方」が上手い人下手な人 」
おすすめ度 4.5
著者名 斎藤 茂太


何かあったときに、自分に代わって言い訳を
言ってくれる人は、本当にありがたい。
それが、的を射ていればいるほど、身にしみてありがたい。
自分のことを、ちゃんと見ていてくれていて、
評価してくれていると思えるからだ。
そして、あたたかさを感じるからだ。

また、こちらの言い訳を受け止めてくれる人もありがたい。
「うん、うん、そうだね〜、
 わかる、わかる、あなただけじゃないわ」
なんて受け止めてもらえたら、本当に心強く、ホッとする。
そして、パワーと元気を取り戻せるように思う。

もちろん、いつもこんなことを期待し、
甘えてばかりいては、いけないけれど、
ときに、こんなふうに支えてくれる人もいてほしい…
いつも、自分だけで言い訳をしているのは辛いから。

だから、ときに、こちらも相手のために
「言い訳」をしてあげて、支えたいと思う。
また、言い訳を受け止めたいと思う。
それで、元気を取り戻し、前向きになれる言い訳なら、
お互いさまだから。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「こんな木もあるんだね〜気の毒なような…」

この木は、生きていけるのでしょうか?

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2010年03月23日(火) ■「人を引きつける魅力」は「人を思いのままに操る力」になりうる

「我慢強い」性格は逆境を乗り越えるときに役立つが、
度が過ぎると「変化に逆らう」というマイナスな特性に変わる。
「人を引きつける魅力」は「人を思いのままに操る力」に
なりうるし、「倹約家」と「ケチ」は紙一重だ。
「一途に取り組む」ことも大事だが、
下手をすると「盲信」になるだろう。
カミソリのように鋭い「機知」は、「口の悪さ」と表裏一体だ。
読者も自分の長所を点検してみていただきたい。(略)

精神の健康とは、全体性を持っていることだと定義されている。
ユングによれば、大人になるいうことは、パーソナリティの
さまざまな側面を統合していくことであり、
この作業は一生続くそうだ。
自分自身の一部を否認すれば、
もうその人は、全体性を持っているとは言えない。



出典元 「成功して不幸になる人びと」
おすすめ度 3.5
著者名 ジョン・オニール


あるときは、自分を救ってくれた特性、守ってくれた特性、
成功に導いてくれた特性も、度が過ぎれば、あるいは、
野放しにしておけば、逆に自分を窮地に追い込むことにもなりうる、
ということだと思う。

また、自分の長所は、欠点にもなりうるし、
逆に、欠点だと思っていたことが、
長所にもなりうるということでもあると思う。

ちなみにこの本には、他の特性の裏表についてこう書いている。
《成功に導く特性》    《その裏側》
□自信          ■失敗するはずがないという意識
□スピード        ■拙速
□アンテナを張り巡らす  ■よさそうなものだけに目を向ける
□献身          ■仕事中毒
□制御          ■柔軟性の欠如
□勇気          ■向こう見ず

自分の持つ特性を裏表から見ることも大切で、
長所だけれど行き過ぎや、欠点だとただ否定することも押さえ、
自分の全体としてその特性をとらえていきたいと思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「路地ではじめて見た「植物」…これは何?」

なんですかね、花?野菜?
不思議な形だった。

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2010年03月22日(月) ■自分の計画どおりに人生が進まなくてもいい

人生はこうあるべき、という先入観にとらわれると、
いまの瞬間を楽しんでそこから学ぶ機会を見失う。
いま自分が経験していることを尊ぶ気持ちが薄れてしまう。

子供の不平や妻または夫の小言に反応するかわりに、
それをあるがまま受け入れるようにしてみよう。
彼らがあなたの期待どおりに行動しなくたって、
かまわないではないか。
または、企画が通らなかったとき「負けた」と感じるかわりに、
「ああ、ボツか。次は認めさせるようにしよう」と考える。
ひとつ呼吸をして自分の反応をやわらげよう。(略)

つまり自分の計画どおりに人生が進まなくてもいいんだ、と思う。
いまの瞬間に心を開いて「あるがまま」を受け容れると、
もっと穏やかな思いが浮かび上がってくる。



出典元 「小さいことにくよくよするな!」
おすすめ度 5
著者名 リチャード・カールソン


人生は、夫や妻は、子供は、父母は、仕事場は、世の中は…
「こうあるべき」などといったん考えはじめると、
大半が「こうあるべき」とは大いに違うことに気づき、
苦しくなったり、不満や怒りでいっぱいになったりして、
いろいろなことに文句ばかりをつけたくなってしまう。

また、「なんで自分の思った通りに進まないんだ」
「計画通りにできないんだ」なんて思ったりすると、
「自分はなんてダメなんだ、自分の人生はうまくいかない」
などと思えてきて、自信ばかりをなくすようになる。

「こうあるべき」なんて、かたく考えるのはよそう。
自分が、ただみじめになるだけだ。
「こうあるべき」だと、人に押しつけるのもやめよう。
だって、人には人の「こうあるべき」があり、
おそらくそれは、こちらの「こうあるべき」と違っていて、
どうせ、受け入れてはもらえないから。

計画どおりにいかなくても、思ったとおりに進まなくても、
それを大げさに考えるのもよそう。
時間がかかるものはかかるし、うまくいかないときもある。
もちろん、すぐにできることも、うまくいくときもある。
自分には、自分のペースがどうしたってある。
そんなことを「あるがまま」に受け入れていこう。

人生、いろいろある…それにいちいち反応していては疲れる。
もうちょっと、肩の力抜いて、ゆったりと生きていこう。
いろいろあってこそ…人生だから。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「謎のカッパがいるワケがわかった!けど…」

カッパはもう一匹いた。
そして、その理由らしきものもわかったけど、
誰が言い出したんでしょうね〜

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2010年03月19日(金) ■いつも「忙しい忙しい」オーラを出している人は…

いつも「忙しい忙しい」って感じで、
“近寄らないでオーラ”を出しちゃっている人っていますよね。
いつも目一杯。
自分だけが忙しい…と訴えている人が。(略)

彼らは物事を早く終らせたくていっぱいいっぱいに
振る舞うんじゃないんです。
彼らは仕事を時間に追われているという行動パターンを
いつも選び取ってしまう脅迫的な傾向を有していて、
その脅迫的な性質が、むしろ、休むことを
妨害しているといっていいでしょう。

彼らは、いつもいっぱいいっぱいに行動しないではいられない、
ある意味でかわいそうな人ともいえるのです。
その背景には、同じような傾向を有する親に育てられた
過去があったり、何かそれを強いられるような、
つらい出来事があったりしたことが考えられます。

常識から外れた行動には、何からのコンプレックスがひそむ、
これは人間行動を見るときの重要なキーワードなのです。



出典元 「人生にはいらない人間関係がいっぱいある」
おすすめ度 3
著者名 高橋 龍太郎


「いつも忙しい、忙しい」と言っている人、口ぐせの人、
そして、忙しそうに振る舞っている人っていますよね。
(もちろん、中には、「忙しい」を演出している人も
 いることもありますが、そんな人はさておき)

なぜ、いつもそんなに「忙しい」のか、よく見てみると、
自分でスケジュールを詰め込んでいたり、
忙しいにもかかわらず、次から次と、
いろいろなことに手をだしたり、
休むことや、ゆっくりやることより、忙しくすることを
自分から取り入れ、選んでいるようにも見える。

その人たちが、本当に忙しいのか、
自分から忙しくしているのか、このあたりのことは、
それぞれ事情があると思うけれど、「忙しい」と、
気持ちに余裕がなくなり、心がいつも違うところに飛び、
回りの者たちに、寂しい思いをさせることは確かだと思う。

今時、「忙しい」ことは、結構なことかもしれない。
しかし、そのためになくしていることがあること、
大切な人が寂しい思いをしているかもしれないことにも
気づいてほしいと思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「謎のカッパがいるワケがわかった!けど…」

カッパはもう一匹いた。
そして、その理由らしきものもわかったけど、
誰が言い出したんでしょうね〜

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2010年03月18日(木) ■「行動の変化に至る5段階」を無視するとうまくいかない

《行動の変化に至る5段階》
例えば、禁煙を例にとると次のような5段階である。

無関心期(前熟考期)…喫煙習慣を変えるつもりがない
関心期(熟考期)…禁煙には興味を持つが準備ができていない
準備期…具体的な計画を考え試している
実行期…実際に禁煙を行う
維持期…禁煙することを維持する


行動を変化させるには、それぞれの時期の本人のニーズに
合わせて、健康づくりに取り組むことが必要である。
つまり、時期によって知りたい情報や知っておくべき情報も
異なるし、援助するべき内容も異なる。


出典元 「「やめられない」心理学」
おすすめ度 3.5
著者名 島井 哲志


この本によると、この5段階を無視した働きかけは、
うまくいかず、この5段階のどこに今いるかを見極め、
そのステージにあった働きかけ、情報提供をしていくことが、
行動に変化を起こすために大事だということです。
(自分も他人に対しても、禁煙だけでなく)

例えば、
無関心期の人たちに対して、
具体的な禁煙の方法の情報や喫煙の害の情報を伝えても、
自分が責められていると感じられたりするので意味がなく、
かえって反発をもたれたりする。

関心期の人たちは、
しっかりとした健康影響への情報が必要だし、それをこころに
届く情報とそして共有することが大切。

準備期の人たちは、
具体的な禁煙方法や、そこでの工夫の情報は非常に役立つ情報で、
自分の行動を変えることによるメリットデメリットを自分なりに
検討できるとよい。

実行期の人たちは、
実際に行動し、メリットをしっかり確認したり、自分は禁煙を
続けられるのだと自信を持つこと、そのためには周囲の理解や
賞賛も大事。

維持期の人たちは、
「つまづき」が、必ずといっていいほど起きるので、これを、
伝えておきたいし、その「つまづき」にどう対処すればいいか、
などの情報、支援も必要となる。


禁煙だけでなく、変化を起こす場合は、
ステージにあった働きかけをしていかないと、どんなに
望んでも変化は起きないし、ただ徒労に終るということです。
今のステージは、どこか…見極めていきましょう。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「愛嬌あるけど、変なものみっけ」

なぜ、ここにあるのか、本当に不思議。
変だね〜

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2010年03月17日(水) ■わかっていないことは、自分の言葉にできません

きちんとわかったのか、わかったと思っただけなのかは、
一度その内容を自分の言葉で説明(表現)してみると、
たちまちはっきりします。
自分でわかっているのかわかっていないのかがわからない時には、
言葉にしてみたり、図にしてみたりすればよいのです。
表現するためには正確にわかっている必要があるのです。

ぼんやりとしかわかっていないことは、自分の言葉にできません。
説明しているうちになんだかあやふやになってしまいます。
あるいはごまかしてしまいます。
わかったように思っただけで、実はたいして
わかっていなかったことがわかります。
それに対して、ちゃんとわかっていることがらは、
自分の言葉で説明することができます。
 (略)

自分がわからないことは人にも上手く説明できませんが、
うまく説明できれば、誰よりも
自分が「よくわかる」ようになります。


出典元 「「わかる」とはどういうことか」
おすすめ度 ※おすすめ度について
著者名 山鳥 重


この本では、さらにこう言っています。
「本当にわかったことは、応用できます。
 何かある知識を持っているとします。
 その知識が具体的なことがらに即したことであって、
 そのことにしか使えないとすれば、その知識はそのこと限りです。
 しかし、もしその具体的な知識の裏にある原理が
 理解できていれば、その知識は他の現象にも応用できるはずです」


簡単に「わかった」と思いがちですが、
自分のことばで表現できなかったり、
人に説明できない「わかった」は結構あります。

また、「わかった」はずのことが、行動に移せない、
つまり応用できないこともたくさんあります。
それは、結局、本当には「わかっていない」
ということでもあり、人間には、
本当には「わかりたくない」ことも多いようです。

簡単に「わからない」のも、才能だということですから、
簡単に「わかった」つもりにならず、本当に大切なことは、
自分で表現できるほど、説明できるほどまでに
「わかった」を深めていきたいと思います。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「夜に売られていたキャベツはこんなでした」

ちょっとびっくりしたのでした。
食べ甲斐ありそうだなぁ〜

My追加



2010年03月16日(火) ■どんな状況でも変えてしまえる言葉、その7つの文字とは?

どうすればものごとが成就できるかを的確に教えてくれる言葉、
どんな状況でも変えてしまえる言葉、その7つの文字から
なる言葉を紹介しよう。

それは…「行動を起こそう」だ。
いい考えが浮かんだら、行動に移してみよう。
夢を描いたら、行動に移してみよう。
目指すものができたなら、行動に移してみよう。
どうしてもやってみたいことがあるなら、やってみよう


……とはいっても、なかなか立ちあがれない、
やってみるのが怖い、気がすすまない……そうやって怖がって、
自分の一番したいことをしてこなった人はたくさんいる。
そういう人だって背筋を伸ばして「やってみよう」
と言えばいいのだ。

どんなに一生懸命に夢を描いても、どんなにはっきりした
目標をかかげても、実際に自分の足で実現への一歩を
踏み出さない限り力がわいてくることはない。


出典元 「人生が驚くほど逆転する思考法」
おすすめ度 ※おすすめ度について
著者名 ノーマン・V. ピール


「行動を起こそう」「やってみよう」は、
誰かに言う前に、まずは、自分に言うべき言葉であると思う。
まずは、自分から、だと思う。

実際に行動を起こしてみて、やってみて、
はじめてわかること、身に付くことはあまりに多い。
そして、それらが経験となり、自分の知恵となり、
次に何かをするときに必ず活かされていく。

「行動を起こすこと」「やってみること」が、
面倒に思えても、怖くても、障害があっても、
無駄なことのように思えても、
勇気をだして、力を出して、
まずは、行動を起こしてやってみよう。
そう…背筋を伸ばして、しゃんとして、
「やってみよう」と、一歩ふみだそう。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「夜の神楽坂で見つけたこんなお店」

こんなお店もあるんですね〜

My追加



2010年03月15日(月) ■1つ得意なものをつくると、ほかのものまでできるようになる

人間は、どんなことでも1つ得意なものをつくると、
その自信がすべての面に作用して、
ほかのものまで得意になってくる。
ほかのものまでできるようになる。


ある特定のものに対する自信でも、それは自分全体、
自分の存在自体を信じることにつながるからだ。

ひそかに自分だけに通用する「得意」でもかまわないから、
とにかく得意なものを1つ持つことだ。
この自信は、無限大の自信に直結しているのだ。


出典元 「1日1践!かんたん「自己暗示」で一生が変わる」
おすすめ度 3.5
著者名 多湖 輝


1つだけでも「得意」なことを持つ。
また、子どもなら、1つでも「得意な教科」を持つ、
それが、大きな自信になっていくという。
それが、些細なことでもかまわないし、
人に誇れるものでなくても、もちろんかまわない。
「得意」を持つことが、大事だということだ。

しかし、ふと疑問に思う。
その「得意」だと思っていたことが、誰かがもっと「得意」で
自分の「得意」がそれほどではなかったとわかったら、
かえって自信をなくすのではないか、と。
そんなこともよくあるのではないか、と。

このことについての答えは、この本には書いてないけれど、
そんなマイナスのことを考えて「得意」なことも持つ努力もせず、
持つ前からあきらめてしまったら、それこそ、何も持てないから、
まずは、「得意」なことを持つことが大事なのかもしれない。

だって、もしかしたら、誰よりもそれが「得意」になる、
可能性だってあるのだから、先々の自信をなくすことを
考える前に、まずは、「得意」なことを持つことを考え、
持つように努力していきたいと思う。
コツコツとでも、自分の好きなような仕方で。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「他人のお宅だけど…気になるなぁ…」

大丈夫かなぁ、なんてね。

My追加



2010年03月12日(金) ■人間関係、家庭は、「ある」ものでなく育んでいくもの

人間関係が厄介であろうと、ぶつかりあい、
折り合いをつけながら、私たちは人の中で生きてきたのです。
数々の衝突や摩擦、あるいは心癒される経験を重ねるうちに、
人は、人付き合いの術を学ぶのです。
生まれながらにしてコミュニケーション術なるものを、
身につけているわけではありません。(略)

面倒だからと、人とのかかわり合いの一切から
遠ざかっているかぎり、人としての成長は期待できません。
もちろん人とのふれあいのなかで心揺さぶられる感動を
味わうこともできません。
それは、一度きりの人生において、きわめて、
重大な損失であるだろうと私は思います。



出典元 「生きかた上手」
おすすめ度 4.5
著者名 日野原 重明


この本では、人間関係や家庭というものは、
「そこにすでに「ある」ものではなく、
 手をかけて「育む」もの」だと言っています。

そして、「育む」大切さをこう言っています。
「面倒でも手をかけなければ、
 家族も人間関係も冷え切ってしまいます。
 手っとり早い解決方法などありません。
 日々コツコツと積み重ねてゆく、
 そんな地道さを必要とするでしょう。
 その習慣の中で、自分以外の「他者」に
 心を寄せる感性が育つのだと思います。
 他人の喜びや痛みに共感できる心の幅というか、
 度量が広がるのだろうと思います」


相手との関係を時間も手間もかけて育ててゆく…
その中で相手も自分の心も育ち、成長し、幅もでき、
豊かな人生を生きてゆくことができる、そう思う。

けれども、この「育んでゆく、育ててゆくこと」が、
余裕がない今の状態では、本当にむずかしい…
何でも、手っとり早く、すぐにと、成果を焦りがちで、
こらえ性がなくなっているのだと感じる。

しかし…人間関係も家庭も、必要分の手間暇かけないと、
本当の関係も絆もつくっていけないとわかっている。
こらえ性とか、ゆったりするとか、焦らないとか、
そんなことを取り戻していかねば…と思います。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「なんとな〜く、笑っちゃったお店」

こんなお店もあり、楽しいですね〜

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2010年03月11日(木) ■何を伝えるときの基本は?

かみ砕いて表現できるのは、そのことについて、
深く理解しているからこそなのです。
本質をしっかり理解していれば、
易しい言葉に置き換えることは可能ですし、
相手に対し、臨機応変の対応もできます。

「簡単なことは簡単に」
「難しいことも簡単に」
これは、何かを伝えるときの基本です。



出典元 「伝える力」
おすすめ度 4.5
著者名 池上 彰


人に、ちゃんと意図を伝えたいときには、
あれこれといっぱい盛り込まず、こねくり回さず、
シンプルに、わかりやすくして伝えなくては伝わらない。

しかし、自分の話し方を冷静に聞いてみると、
回りくどかったり、言いたいことをにごしていたり、
話があちこちに飛び、順番がぐちゃぐちゃだったりしている。
そして、よくわからないこと、はっきり決めてないことほど、
ことばが多くなっていることがわかる。
自信がないから、決めてないから、迷いもあり、
あれこれと言ってしまうのだと思う。
もちろん、それで自分の中で整理がつくこともあるから、
それはそれで大切だと思うが、これでは伝わらない。

だから、最近は努めて、
「結局、私は何を伝えたいのか」ということを、
自分の中で反芻し、結論を持ち、
「このことについて、私は本当にわかっているか」
と自分に問い、わかっていれば、
「この順番で、シンプルにわかりやすく言おう」
と心がけている。
それでもなお、伝わらないことも多く、
まだまだ修行が必要だと思っている。

けれども、人に話す前に、自分の中で、自分の言いたいことを、
いったん冷静に見つめてみると、整理ができて、
伝わりやすいように思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「ドキッとするね、この店先は!」

なんて思ったお店の店頭。
こんなこともありなんですね〜

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2010年03月10日(水) ■正論は、人を動かさない

誰が考えても正しく、もっともなこと、
つまり「正論」は、時に聞き手の耳を閉ざし、
態度を硬直化させてしまうことがあります。
 (略)

真っ向からその正論を突きつけられると、
聞く方は反射的に防衛に回ってしまいます。
話が正しければ正しいほど、受け入れにくくなるのです。

言われる方からすると、今の自分の至らないところを
高いところから指摘されているようで、
素直に聞くことができなくなるのです。


出典元 「なぜ、だれも私の言うことを聞かないのか?」
おすすめ度 4.5
著者名 鈴木 義幸 (著), コーチエィ (著)


「正論」を言われると、私などは、すぐに反発したくなる。
例えば、
「前々からわかっていたんだから、
 もっと、早く準備をしておくべきだろう」
なんて言われたりすると、
こちらの状況や事情を全く無視しているから、
「そんなこと言ったって、こっちだって、
 いろいろとあったんだから、仕方ないでしょ」
などと、怒りの反論のひとつもしたくなる。

そんなことは、言われなくてもわかっている、
わかっていてもできなかった…と多少うしろめたいから、
よけいそんな反論をしてしまう。
そして、
「そんなことを言うなら、あなたがやってよ」
なんてことにもなる。

でも、例えば、
「何かあったから準備遅れたの?」
などと、聞いてもらえれば、
「うん、いろいろあってね、
 気になっていたんだけど、今からやるわ」
なんてことも言える。

正論は、振りかざしやすい。
正論を言う自由もあるし、正論が大切な時もあるが、
人を動かすのは、人が耳を傾けてくれるのは、
正論ではないと感じる。
言い方ひとつ、尋ね方ひとつ、だなと思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「おっ、にぎやかそうなお店だね〜」

こんな感じでにぎやかでした。
ちょっと入ってみたいお店だな、と思いました。

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2010年03月09日(火) ■イヤなこと、つらいことがあった後はふつうの自分ではない

人間は、イヤなこと、つらいこと、頭にくること、
そういったストレスに襲われた場合、
それに対してバランスを保とうとする。
いわば、ストレスに対する抵抗力といったものが働くのだ。

この抵抗力は、
適度なストレスを与え続けている間は強まるのだが、
過度なストレスを味わわせたあとでは、些細なストレスにも
抵抗できなくなってしまうことがある。
 (略)

ビジネスにかかわる精神医学を研究しているアメリカの
産業精神衛生部会では、このような人間メカニズムから、
肉親の死や、人間関係の極度な不和などを経験したあと
3〜6ヶ月くらいしか経過していない人に対しては、
転職や配置転換などをしないほういいと報告しているくらいだ。


出典元 「会社、仕事、人間関係が「もうイヤだ!」と思ったとき読む本」
おすすめ度 4.5
著者名 斎藤 茂太


例えば、このことは、ビジネスだけでなく、
通常の生活にも当てはまり、大きなストレスを感じた後、
3〜6ヶ月くらいは、小さなストレスも耐えがたく感じる、
ということを覚えておいた方がいいそうだ。

この3〜6ヶ月の間に、
「なんとかしなくちゃ」、と思って、自分に負荷をかけ続けたり、
「これじゃいかん」と思って、ストレスに無理に立ち向かって
いこうとすると、精神的にかなりの打撃を受けたり、
かえってストレスから立ち直ることが長引くという。

また、それだけでなく、ひと仕事をやり終えたけれど、
まだ相当疲れが残っている…そんなときに、
イヤな仕事、負荷のかかることをさらに押しつけられると、
そうでないときにはガマンできるし、できるのに、
「到底ガマンできない、とてもできない」と感じるそうだ。

精神的な打撃があった後、
また、肉体的にひどく疲れを感じているときは、
いつもの自分ではない…無理は禁物。
いつもの自分に戻るには、ゆっくり時間をかけて戻すこと、
身体を休めたり、自分の好きなことをすることなどして、
自分をいたわることが大切だということです。

自分の人生に大きな影響を与えるようなことがあったら、
その後3〜6ヶ月は、いつもの自分ではない、
ということを知っておくといいかもしれませんね。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「美脚マシーンの効果はあるのか、ないのか?」

こんな効果はありましたよ。
だから、頑張りますっ。

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2010年03月08日(月) ■■今までに、先行き透明な時代があったか

そもそも人間は、自分の身に起きる現象の7〜8割は
マイナスに受け止めるという基本的にマイナス思考の存在だ。
生き延びるためには危険を察知しなければならない。
不安、心配といったマイナス思考は、
危険察知のために必要不可欠な能力なのである。

だが一方で、不安や心配は人間を臆病にし消極的にする。
やれることもやらないで、人生を楽しめないものに
してしまうのも、不安や心配なのだ。(略)

将来への不安というものは、
どんなに条件が整っても、必ずつきまとう。
将来の不安とか、先行き不透明とか、とかく評論家は、
そんなことを口にしがちだが、将来が安心で、
先行き透明な時代が今まであったかと問いたい。



出典元 「いつでも、逆に考えるとうまくいく。」
おすすめ度 3.5
著者名 川北 義則


昔から、「一寸先は闇」ということばがあるように、
昔も今も…そして、これから先も、
先行きはいつも不透明なままなのではないかと思う。

将来に不安がなければいい、見通しが明るければいい、
そう思いたいけれど、そんなことはおそらくない。
ひとつ明るさが見えても、違うことが不透明になったり、
ひとつ不安や心配が取り除かれれば、
違うそれらがまた出てくる…そんなものなのだと思う。

だから、「見通しが明るくなったら」とか
「不安がなくなったら」なんて待っていても、
そんなときは、おそらくやってはこない。
だから、実は今がいちばん明るいのかもしれない。

いたずらに先行きを不安がり、心配ばかりしているよりは、
今の明るさや見えていることも楽しみ、受け入れ、
意識して、明るい未来を考えていく力も
大切なのではないかと思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「ほら、これが、うわさの「美脚マシーン!」」
なんて、思い、娘に自慢してみたけど、
娘の反応は今ひとつ。どうしてかなぁ。

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2010年03月05日(金) ■小さなことにくよくよしないコツを身につけると…

家庭内の小さなことにくよくよしないコツを身につけると、
とてつもない強みになる。
いらだちや欲求不満にエネルギーを浪費せず、
楽しみや愛情や生産性にふりむけることができる。


小さなことにくよくよしなくなると、
家庭が喜びの源に感じられ、肩の力が抜けて
もっと楽に生きられるようになる。
肩の荷が下がるのを感じると、
人生はますます調和がとれたものになる。
その穏やかな感情は、家族一人ひとりに伝わっていく。


出典元 「小さいことにくよくよするな!〈2〉」
おすすめ度 4
著者名 リチャード・カールソン


そして、この結果、
「客観的な見方を保ってあまりピリピリしなくなると、
 日常のストレスが薄れていく。
 ほかの人たちの無邪気さが見えるようになり、
 前は頭にきていた相手のふるまいも許せるようになる。
 それによって家族との親近感がまし、前より穏やかになれる。
 すると自分にも寛容になり、「こうでなければ」と
 自分をしばっていたものから解放される。
 心に愛情があふれ、その愛を周りの人たちと
 共有するようになる。
 その結果、こうありたいと願っていた自分が
 前面に押し出されてくる」
と、この本ではいっています。


この本をはじめ何冊かの「小さいことにくよくよするな!」
シリーズを書かれた著者のリチャードさんは、
2006年に、出張中の飛行機の中で肺塞栓を起こし
そのまま亡くなられてしまわれたのですが、
それだけに、何か迫ってくるものがあり、
何度読み返してみても、頷くことが多い本です。

家庭だけではなく、仕事でも、自分のことでも、
「小さいことにくよくよするな!」と、
毎日、いつも、自分に言い聞かせていきたいと思います。



もし時間があれば、週末にでも読んでみてくださいね↓
いい本が多いですよ。
「リチャード・カールソンさんの本」


■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「こんな「足」もあるんだね〜」

なんて足の紹介です。工夫されてます。

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2010年03月04日(木) ■結局は「だから何なのか?」「だからどうしたいの?」

「究極」という言葉は、言い換えると「とどのつまり」。
物事を押し詰めていった先、最終的に発見するものは
何かということです。
とどのつまり、だから何なのかを真剣に考えようとするとき、
自分の中で少々視野の広がる感じがすることがあります。

一方でこうした究極の質問は、摩擦を生むこともあります。
人は自分の事情や状況をわかってもらいたくて
いろいろと説明するわけですから、
「だから何なのか?」「だからどうしたいの?」
と問われると、反発したくなることもあるでしょう。

でも、結局は「だから何なのか?」
を追求した先にこそ、答えがあるのです。



出典元 「なぜ、だれも私の言うことを聞かないのか?」
おすすめ度 4.5
著者名 鈴木 義幸 (著), コーチエィ (著)


誰かに愚痴を言ったり、文句を言ったり、
今の自分の状況を説明したり、言い訳したり、
また、一人で悶々と悩んでみたり、心配したり…

で、とどのつまり…自分は、誰かに、
一体何を言いたいのか?
本音は、何を言いたいのか?
何を分かってもらいたいのか?
どうしてほしいのか?
そして、
だから、何なのか、
だから、どうしたいのか?

こんな自分のとどのつまりや本音を避けて、
向き合わないでいることが、どんなに多いことか。
そしてまた、とどのつまりや本音を押し隠したまま、
曖昧にしたまま、他の人に、わかってもらいたいだとか、
なんとかしてもらいたい、などと言っていることが
どんなに多いことか。

とどのつまりや本音、だから、どうしたいのか、を、
自分とよく話し合ってみよう。
恐れず、焦らず、ゆっくり、冷静に。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「これは、かっこいいのか、変なのか?」

私には、変の方の気持ちが強かったけど、
どうなんでしょう?

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2010年03月03日(水) ■敗北感に打ちのめされるな。

《お知らせ》
「「今日のことば」2月の人気ベスト5」を、UPいたしました。
今回は、18ポイントが最高で、びしっと心に響くことばでした。
どんなことばだったか、確認してみてくださいね。
「「今日のことば」2月の人気ベスト5」



挫折したからといって、
それが道の終わりとは限らない。
もしかしたら、
単なる回り道かもしれないのだ。

敗北感に打ちのめされるな。
それを成功への足がかりにしよう。



出典元 「チャンスの扉」
おすすめ度 4.5
著者名 アーサー パイン, ジュリー ヒューストン


敗北感に打ちのめされることはある。
がっくりきて、元気もやる気もなくし、
果てしなく、自分がだめなように思えてくる。
これから先もダメなような気もしてくる…

しかし、いつまでも、
打ちのめされているわけにはいかない。
そんな敗北感を振り払って、立ち上がらねばならない。
立ち上がって、一歩を踏み出さねばならない。
だって、生きているのだから。
まだ、先はあるのだから。

きっと、これから先も、敗北感はつきまとう。
負けることもあるし、ダメなこともあるからだ。
しかし、そのたびに、何かをつかみ取って、
ひとつ強くなって、立ち上がっていかねばならない。
自分の持っている力を信じて、立ち上がれると信じて。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「こんなことも続けば、意味がある?」

同じ日に、こんなことが2度続くと意味がありそうな
気がする、けど、きっとないでしょうね。

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2010年03月02日(火) ■良い悪いの判断は、その時だけでは分らない

あるプランナーがいました。
彼は大手家電メーカーの依頼を受けて、カルテシステムの
企画をまとめることになりました。膨大な資料に目を通し、
様々な角度から検討を重ね、企画書をまとめ挙げました。
なかなかの出来だと思ったそうです。

しかし、それを読んだ担当者は、あっさり却下して
「課長はこのようには考えていません。○○の角度から
 書き直してください」彼はがっかりしました。
そういうものかなと思いながらも書き直しました。担当者の
「これでいいでしょう」という言葉に喜んだのも束の間、
課長に提出すると
「部長はこう考えていない。□□の視点から
 書き直してください」「また、ダメだったか」と
心の中でつぶやきながら、再度書き直しました。そして、
課長から「いい出来だ」とのお褒めの言葉をいただき、
有頂天になったそうです。

そして部長。
「分ってないなあ。こういうことではないんだよ。
 △△が大事なんだ」彼は大変落ち込みました。
「自分はダメなんじゃないか」。しかし、ここで、
止めるわけにはいきません。書き直しに取りかかりました。
ところが部長の指示通りに書いていると、どうも読んだことが
あるような気がする。そこで、何とはなしに一番最初に書いた
企画書を取り出してみると、なんとほぼその通りだった…
結局、最初の企画書に少し手を加えたものが採用されたそうです。

天と地をいったり来たり、ジェットコースターのようです。
このように、良い悪いの判断は、その時だけでは分らないのです。
                   
しかし、話はこれで終りではありません。

彼は、3種類の企画書を仕上げる過程で、様々な知恵、
視点を学びました。そのお陰で、カルテシステムについては、
第一人者として活躍するようになったのです。

人間は、このように出来事が起きた直後に評価をし、
その結果で一喜一憂するもの。
そして、「良かった」「悪かった」と終ったことのように
評価しますが、しかし、物事は流れ、動いていくのです。
次の局面では評価がガラリと変わってしまうこともある、
それを知っておくことが大切なのです。



出典元 「イチロー選手の言葉に学ぶ セルフ・コーチング」
おすすめ度 4.5
著者名 庵里 直見 (著), 鈴木 信市 (監修)


実は、私も、昨年ダメになった企画があり
「なんでこれのよさが分らないんだ」と、がっくりと
きていたのですが、今年になってから、その企画が復活し、
再度練り直したら、昨年度の条件より、はるかにいい条件で
採用になったものがありました。
しみじみ、昨年採用されなくてよかった…なんて思いました。

目先のことに一喜一憂して、すぐに「良い悪い」
「ついてる、ついてない」を判断しがちだけれど、
長い目で見ると、本当に何か良いのか悪いのか分らないな、
と、感じました。
目先だけのことにとらわれず、長い目で見ていこうと思います。 



 


■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「この大判焼き、どうですか!」

形も、中身もいろいろですね。
でも、好きですね、この大判焼き。

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2010年03月01日(月) ■重要なことはただひとつ。自分はこれからどう生きるのか

いまのこの瞬間になぜここにいるか、
その根拠となる出来事の1つひとつまで、
誰もがわかっているわけではない。
知る必要もないかもしれない。

重要なことはただひとつ。
自分はこれからどう生きるのか、
ということだけだ。(略)

人生はもっともっとスケールが大きい。
そのなかでいま感じている行き詰まりなど、
何ほどのことでもない。
いままでの人生で経験してきたことすべて、
壮大な学習だったと解釈してはどうだろう。



出典元 「腐ったバナナを捨てる法」
おすすめ度 5
著者名 ダニエル・T・ドルービン


自分の未来は、いつもこれから始まるのだと、
今からでもつくっていけるのだと思う。
「もう遅い、今からじゃ無理」
「自分には、そんな力はない」
と思ったら、とてもつくっていけない。

しかし、そう思おうが、どう思おうが、
未来は生きている限り、確実にやってくる。
確実にやってくるものなら、
できるだけ、よいものにしていこう、という
気持ちは必要なのではないだろうか。
そういう気持ちを持って立ち向かった方が、未来を、
自分のものとして感じられるのではないだろうか。

何も、立派な未来でなくてもよくて、
自分が満足する未来であればいいと思う。
「そうできないかもしれない…」と思って
未来をこれからを、あきらめるのはもったいない。
実るか実らないかは、わからないけれど、
実ることを信じて、楽しみにして、未来に向けて、
いい種を蒔いていこう、今から、今日から。

人生の大きなスケールを信じて、
自分の今までの壮大な学習を活かして。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「身近な和のスィーツといえば、これですかね?」

いま、これだってとても勢いがあるスィーツだと思う。
いろいろな形もあるし…

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