ことば探し
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]
 

2004年12月31日(金) すべての癒しは「つながり」から生まれる。

すべての問題の中核に「へだたり」があるなのなら、
すべての癒しは「つながり」から生まれる。


 「傷つくならば、それは「愛」ではない」より
 チャック・スペザーノ著 VOICE



今年一年も早かったなぁ…
本当にあっという間だった。

今年は、私にとって
仕事と、今までの人生からのいったん休みの時で、
これからの人生のためのインターバルを
とったと思っている。
こういう状況が許されたことに感謝し、
心置きなく休めたことを嬉しく思う。

休んでみて、つくづく思ったのは、
「余裕があるって大事だなぁ」ということだった。
今までも、仕事をしながらも
家のことや、回りとのつきあいも、
そつなくうまくこなしてきたと自負してきたが…、
自分の体や気持ちに余裕が出来てきて、初めて、
そこに、心が入ってなかったなぁと感じるようになった。

自分では、心をこめているつもりでいたが、
いや、実は入っていなかったのだと思い知った。
余裕があるって、こんなに大切なことなのか、
心を込めると、こんなにもやり方が違うのか…
と、自分で発見する日々であった。
些細なことに、その違いを感じる日々であった。

そして、心を込めると…、
回りとの「つながり」が違ってくるように思う。
少なくても、私は今までより、
あたたかく、深く、確かになったと感じている。
そして、そういうことも含めて、
自分が癒されてきたなぁと思っている。

本当にすべてに感謝の一年であった…



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2004年12月30日(木) みんなはね、ひとり、ひとりが、ホントは花なの。

外見って、すっごい大切なの。精神論者っていうのは、
「精神さえキレイならいい」
っていうけど、他人の目に精神は見えませんからね(笑)

みんなはね、ひとり、ひとりが、ホントは花なの。
神さまは人間を作ったとき、
男も女も、みんな花として作ったの。
それなのに、学校の先生や親から、
「お前、目立っちゃいけないよ」って
いわれたから、花が草として生きてるの。
それで、花が草として生きるから、つらいの。

だから、洋服を買うとき、
自分が花として見えるような柄撰ばなきゃダメなの。


「心が千分の一だけ軽くなる話」 斎藤 一人著
                角川書店



家にいると、ついつい、
楽が一番、動きやすいのが一番、
汚れても惜しくないのが一番と
思ってしまって、自分がキレイでいようとは、
なかなか思えなくなってきてしまう…
これじゃ、いかんな…

齢を重ねてきたら、その分だけ、
清潔で、こぎれいに見えるように、
欲を言えば、出来るだけ花があるように、
(自分だけの花でもいいから)
しようと、本日決心。
今日から、開始しよう!おーっ。





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2004年12月29日(水) 人は、何かをした報酬としてもらった愛情では満足できません。

愛されるために何かをしてしまうと、
相手が愛情を返してくれたとしても、
その思いをほとんど受け取れなくなってしまいます。
何かをしてご褒美や、
お礼のように感じてしまうからです。

また、「これだけやったんだから、もらって当然よ」
「あれだけ頑張ったのに、これしかくれないの?」
という要求をしてしまいます。(略)
        
人は、
何かをした報酬としてもらった愛情では満足できません。


「本当に愛されてるの?」  根本 裕幸+原 裕輝著



本当にそうだなぁ…と思う。

愛されたいがために、何かをやってしまうと、
愛をもらうためにやったのに、
愛をもらっても、それが実感できないのだなぁ…
これは、皮肉なことだなぁ…

といって、何もせずに愛をもらえるとは、
なかなか思えなかったり、
何かをするほうが、自分でも愛があるように感じたり…

つまり、何かをするときには、
「愛されるため」とか「感謝されるため」とか
何かをもらうことを期待してやるのでなくて、
自分がやりたいからやる、という
自発的な気持ちでやることが大切なんだと思う。

そういう気持ちでやれば…、
きっとやってあげたことが報酬とは思えなくなって
(だって自分がやりたいからしたのだから)
自分のためにしたのに、愛をもらえて、
かえってありがとう、という感謝の気持ちを
持てるのかも知れない。

そうキレイごとではないかもしれないが…


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2004年12月27日(月) それが与えられなかったからと言って、その後のその人の生活が必ず歪むわけではない。

それが与えられなかったからと言って、
その後のその人の生活が必ず歪むわけではない。
それどころか、その悲しみが、
新しい理想を創る場合も多い。


 「流行としての世紀末」より 曽根 綾子著
                小学館



よく「与えられていないものを数える」より
「今、与えられているものを数えよう」と
言われるが、本当にそうだと思う。
精神的なことも、ものも…

昨日、久しぶりに大手の百貨店に行って来た。
店内を見ているだけで、欲しいものだらけで
くらくらしてしまった…
商品達は、とても輝いていて私を誘っていた。
世の中には…こんなにいろいろなものがある…
欲しいものがある…
おおっ、きりがないなぁ…
などとしみじみ思ってしまった。

ついつい、今持っていないもの、欲しいもの
ばかりに目が行きがちだが、
帰って来てみれば、十分なほどのもの達がある。
そして、それで十分生活していける。
足りないものはないと思える…
ああ、ちゃんとこの今あるもの達に
感謝しなくちゃな、と思った次第。
もちろん、ものだけでなく…
今私が持っているあらゆることにも…。


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2004年12月26日(日) 「いい人」も「まじめな人」も、その心の裏にはだれからも好かれたい、

「いい人」も「まじめな人」も、
その心の裏にはだれからも好かれたい、
嫌われたくないという気持ちが
働いているものです。

そのような気持ちに突き動かされて
他律的に「いい人」「まじめな人」を演じてしまうと、
結局は自己を失ってしまうことになります。

それよりも、
私は私、私は正直に自分のペースで生きると
いうことの方がずっと大切です。
つまり他人の評価に依存し過ぎないということです。


なぜ「いい人」は心を病むのか  町沢 静夫著
                PHP



誰でもある程度他人の評価を気にするが、
それが度を超すと、自分が崩れていくと思う。

人の評価は…かなり曖昧で、いろいろで、
そのときの気分に左右もされる。
しかし、人の評価が気になると、
そんなすべてのことが気にかかるようになる。

そんな評価に振り回されて、
自分がイヤになってきた経過が私にはある。
今になってみると、どうしてあんなに
気になったんだろう…と思ったりする。

などと思いながら、近い人に、
「あなたは、○○のところがあるね…」
などと、言われるとかなり気になったりする。
そして、私自身、相手を評価していたりする…
なんだかなぁ…と自分で苦笑してしまう…。


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2004年12月25日(土) 心のやすらぎは、

心のやすらぎは、
自分から与えることに全力を傾け、
ほかの人が変わることや、
自分が何かをもらうことを期待しないところから
生まれてくるものです。


「愛と怖れ」 ジェラルド・G・ ジャンポルスキー
 袰岩 ナオミ訳  VOICE



クリスマスだったというのに…
(まぁ、本当のところは、関係ないのだが、
 別にキリスト教徒でもないし…)
結局、何ももらえないで終わってしまった…
こころのやすらぎは…遠い……
と思う私である。

まだまだ修行が足りないな。


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2004年12月24日(金) 人間関係から何が得られるか、ということは考えないことです。

人間関係から何が得られるか、
ということは考えないことです。

そのかわり、その関係のために
あなたに何ができるか、を考えましょう。


「愛するということ、愛されるということ」より
  レオ・バスカリア 草柳 大蔵訳



ついつい、何を得られるか考えてしまう…
(クリスマスだしな…)
別にそれほど、ほしいわけでもないのに、
何かを得ないと
損した気持や、対等でないという思いやら、
割に合わないような気持になってしまう。
自分がおざなりにされてるような、
自分の存在が軽いもののような気がしてくる。
(特に誰かが得ているのを見聞きすると、余計に)

その心の奥には、普段の、
「してあげてる」意識とか
「どうしてくれないのか」とか
「私のことを思っているなら何かをくれるのが
 (あるいはしてくれるのが)当たり前」
などという、怒りの気持ちや、悲しみ、疑問やら、
いつの間にかすり込まれた思い込みがある。

しかし、今日はそんな気持をいったん置いておいて、
私を取り巻く、人間関係のために
自分に何ができるか、考えて実行してみよう。
世の中、たぶん自分のことでいっぱいな人が多いのだ。
人のことまで手が回らない人だらけなのだ…恐らく。
そう思って、その人達に、ことばをかけてみよう…
電話代だけですむのだし。
損したって…いいじゃないかって、思って。

しかし、考えてみたら、
「人間関係」を、損得や、取引ではかるようになったら、
それは、仕事と同じなんだな…


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2004年12月23日(木) 鏡を見ると、たいてい自分の顔が映つるんだよ。この人が、あなたの神さまなの。

鏡を見ると、たいてい自分の顔が映つるんだよ。
この人が、あなたの神さまなの。
自分のために、
こんなにがんばってくれる人って
いないんだよ。


「心が千分の一だけ軽くなる話」より 斎藤 一人著
                  角川書店



うーん、なんだか…じーんとするなぁ…
いつも苦労させている自分に
ちゃんと感謝しないとなぁ…
「いつもありがとう」って。


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2004年12月22日(水) 自分をわかってもらいたい、自分を認めてもらいたいと思う生き物です。

人間というのは、本質的に本当は
自分をわかってもらいたい、
自分を認めてもらいたいと思う生き物です。
でも、今の子は、
自分の気持をあえて表現しなければ、
相手はなかなかわかってくれないものだということすら
イメージできないほど貧困な感性しか持ち合わせていません。


「傷つきたくない」気持の精神病理  福西 勇男著
               女子栄養大学出版部



福西さんのように、貧困な感性と断言していいか
どうかは別にして…

先日TVで、いわゆる「ニート」と言われる人が
インタビューされていたのを見た。
その人たちは
「自分を丸ごと受け入れてほしい」
「自分の能力を出せる所なら働きたい」
というようなことを言っていた。

司会者が
「自分のやりたいことを言ってみて、
 自ら行動しなければ、何も見つからないのでは?」
と質問すると、
その中の一人は、このようなことを言っていた。
「気持ちを言わなくてもわかってくれるのがいい」

私は…
「コラコラ、それは誰だってそうだろう、
 でも、現実は伝えてもわかってもらえないんだよ、
 受け身すぎ!」
と思わず、つっこみを入れてしまったのだが…

自分を丸ごと受け入れてくれるところや、
自分の能力を出せる場所、
何も言わなくてもわかってくれる人が
仮に存在するとして、そうなったら、
人間ってどうなるんだろう…
やる気になって、元気よく働いていけるんだろうか。
生きていけるんだろうか…
などと…考えてしまった。


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2004年12月21日(火) 明るいだけの人に魅力を感じますか?

明るいだけの人に魅力を感じますか?

人生は明るくもあり、そしてまた暗くもある、
というのが事実であろう。

とするならば、あまりに明るく生きるのも、
これは暗い側面を無視して生きることになる。
それは、暗い側面を見る勇気がないともいえる。

また「ネクラ」と呼ばれ、悩んでばかりいるのも、
人生の暗い側面ばかりを見ているという意味で、
妥当な生き方ではない。
人生は暗いばかりでないはずで、当然、
明るい部分を含んでいるからである。
ただ、それを見る勇気がないだけなのである。


「こころの居心地」がよくなる心理学 より
  精神科医 町沢 静夫著  三笠書房




確かに、つきあっていて
明るいだけの人は、軽くて嘘っぽく見えて疲れる。
暗いだけの人は、会話が偏っていてつまらない…

大事なことは、バランスなんだろうなぁ…
明るい面も、暗い面も、人間は誰でも持っているし、
人生は両側面や、中間もあると思うし。
どちらか一方だけを見て、偏っていれば、
逆に、生きづらいのではないか…
今は…、それが生きやすいのかも知れないが…

辛いときに、まぁこんな事もあるさと思えたり、
楽しいときに、ちゃんと次の事を考えられたりするのは、
そういう両側面があることを、ちゃんと知り、
感じていたりするからこそではないか…

バランスをどうやってとるか…
うーん…わかっていてもなぁ。


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2004年12月20日(月) 不安が強まったり心配性になっているときほど、早く結論がほしくなります。

不安が強まったり心配性になっているときほど、
早く結論がほしくなります。
安心したいために、
早く早くと焦って視野が狭くなります。

気がせいているときこそ、
結論を急がずに、ゆっくりと考えるように
心がけてみてください。


「心配性」と上手につきあう方法  
 慶應義塾大学教授 大野 裕著
 大和書房



今の私に言われているようなことばだなぁ。

わかっているけれど、早く結論を出したくなる。
その方が気持が「とりあえず落ち着く気がする」からだ。
しかし、焦って結論を出すと、その後から、
本当にあれでよかったかと、また心配になり、
落ち着かなくなるのだ…
そのことを誰かに指摘されようものなら…
その不安は…また大きくなってしまうのだ…
言い訳ばかりを考えて…あーあ。

この頃は、大分「待てよ」と思えるようになったが、
まだまだ、あわてふためくなぁ…
ゆっくり…考えねば…なぁ。


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2004年12月19日(日) 2人の関係をあきらめたがらない本当の理由は、本当に愛しているからというよりは、

これまで私は医者の立場から、明らかに修復不能な状態にまで
立ち至った人間関係をいろいろと見てきた。

カップルのどちらかひとりが、
避けることのできない現実を
受け入れようとしない場合が非常に多く、
捨てられた妻、夫、あるいは恋人が、
まだ本当に愛しているのだと言いつづけ、
相手を引き止めようとするのである。

こうしたケースのどれをとっても、
2人の関係をあきらめたがらない本当の理由は、
本当に愛しているからというよりは、
自分が相手から拒絶されたという事実を
受け入れられないことにあるようだ。


「いいことから始めよう」
 エイブラハム・J・ツワルスキー著 小関 康之訳
 新潮社


友人の別れ話がかなりもつれている。
話を聞くと、修復不能だとしか思えないし、
端から見ていると、どうみても友人に対する執着か、
嫌がらせとしか見えないのだが、
相手は「まだ愛している」と言って友人を縛ろうとしている。

今回の別れ話の内情を友人から聞いて、
初めてその相手の本当の性格を知った思いである。
そんな人だったのかと…信じられない思いを抱く。
ずっと気の優しい、いい人だと思っていた。

しかし、もしかしたら、今はまだ、
自分が拒絶されたという事実をどうしても受け入れられなくて、
自分でも思ってもいない行動に出てしまっているのかも知れないし、
本当はそんな自分がわかっているのではないかと思う。
もう少し冷静になれば、元の温厚な性格に戻るかも知れない…
そうあってほしいと、私は思うのである。


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2004年12月18日(土) 統計では最初の3分間の会話と夫婦の相互作用を調べるだけで、96%の確率で結果を予言することができる。

これまでの研究によれば、こうした出だしの悪い口論は、
その間にいかなる緩和策をどちらかが出しても、
必ず悪い結果に落ち着くと出ている。

統計では最初の3分間の会話と夫婦の相互作用を調べるだけで、
96%の確率で結果を予言することができる。

出だしが悪ければ、まず悪い結果に流れて行く。
もし出だしが悪ければ、それを続けるのではなく、
中断し、一息いれて、出だしを正すことだ。


「愛する二人、別れる二人」より
 ジョン・M・ゴットマン+ナン・シルバー著
 松浦 秀明訳  第三文明社



この本によると、悪い出だしとは、
口調によるのではなく、その言葉の中身あるという。
どんなに穏やかに、静かな口調で話しても、
その中に否定的で、非難を繰り返し、
さらに「相手の能力に関する毒」
(あなたには○○する能力がない、など)が含まれていたら、
その会話は、問題を解決するものにならないと言う。

問題を解決する場合、
問題が何か、例えば「家事の分担」についてであるなら、
その「家事の分担」をどうするかが話し合われるべきであるが、
それが、「あなたには能力がない」と言われたら、
「能力がないあなたの問題」(あなたがやれば問題は解決する)
と言っているのだから、話し合う余地もなく、
家事の分担の話し合いまで進んでいかない。
これでは、問題解決はしないと言うことである。

そういう会話は「すでに出だしから始まっている」と、
この本では言っている。

うーん、なるほど、出だしかぁ…
毒をもった皮肉から始めては駄目だな。


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2004年12月17日(金) 人を拒否するのもつらいし、人に拒否されるのも不快である。

人を拒否するのもつらいし、
人に拒否されるのも不快である。
しかし、人間には誰にでも自己保存本能がある。

それゆえ自分を守るためにノーという権利を
お互いに認めあわないと、
自分を失う不快が生じてくる。

拒否のつらさ・不快さより、
自分を失うつらさ・不快さの方が大である。


「自分を変える心理学」より  國分 康孝著



お互いにノーという権利を認める…ということは、
とても大事な事だと思う。

しかし、上手にノーと言えない場合が結構ある。
はっきりと自分の中でノーとわかっていれば
(例えば予定があるとか、仕事だとか、絶対にイヤとか)
その場でノーが言えるのだが、
自分の中にはっきりとしたノーの基準がない場合は、
曖昧な返事になったり、ノーと言えなかったりする。

返事を曖昧にした場合には、その後に、
ノーと言おうか言うまいか悩んだり、迷って、
ノーと言えないままの時もあれば、
いろいろな言い訳を考えて、ノーと言うときもある。
どちらにしても、かなり気を使う。

また、ノーと言いたくないばかりに、
返事をしなかったり、無視してしまうこともある。
遠回しのノーで、相手が察してくれることを望み、
時間が経って、相手が忘れてくれることを待ったり、
そのことがなくなることを望んだり…
(そんなことはないのだが…)
そうして、お互いの信頼関係がかえって
失われたりするのだ。
あの人ははっきりしない、返事をくれない
などと言われて。

そしてまた、逆に相手からノーと言われると、
妙に傷ついたりすることもある。
相手がノーといってもいい権利を認めても、
言われるとがっくりと落ち込むこともある。

しかし…人間って、こんなものなんだと思う。
そんなに強くないから、こんなものなんだと思う。
いいか悪いかでなくて、こんなものなんだと思う。
だからこういう自分を責める必要はないと
私は思う。







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2004年12月16日(木) 現代という時代はどのような家庭でも何からの「問題」をもっているのではないだろうか。

現代という時代はどのような家庭でも
何からの「問題」をもっているのではないだろうか。

大切なことは問題があるかないかではなく、
どのようにそれに立ち向かっているか、
ということであろう。


「人生学」ことはじめより  河合 隼雄著
              講談社



本当にそうだなぁ…と思う。
しかし、
その「立ち向かい方」が
よく分らないのだなぁ…

自分の感情とか、想いとか、
自分が考えている常識、やり方に
自分が思っている以上に、
こだわりや執着があって…なぁ…

それが、問題をかえって
ややこしくしていると分っても、
なかなか思うようにいかないのだ…


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2004年12月15日(水) 「ひとは、小さなことに大きく悩む」「悩みは、小さければちいさいほど鋭く刺さる」

「ひとは、小さなことに大きく悩む」
「悩みは、小さければちいさいほど鋭く刺さる」

人間は、
どうやら災害に対してはしたたかな抵抗力を持っているようです。
ところが人間は、人生の過酷さに比べると、ほとんど、
取るに足らないような日常のトラブルや倦怠に出くわすと、
まるでマッチ棒のようにもろくなってしまいます。

大災害や不運に耐え、人生の過酷な道を歯をくいしばって
歩んできた人間が、ささいな心の傷…
憎しみや嫌悪あるいや羨望、嫉妬や恐怖など…
のために絶望し、心の病にかかり、
最悪の場合は自殺さえ試みるのです。


「心が軽くなる本」より  山崎 房一著
             PHP研究所



どうやら、これは、愛にも言えることらしい。
大きな愛(人類愛とか家族愛)には、みな鈍感であるが、
小さな日常の小さな愛には敏感であり、
人間は小さなことに弱いとこの本では言っている。
逆に言うと、毎日の生活では小さな愛が、その生活に
大きな影響を与えるということなのだが…

自分一人ではどうにもならないような
大きな出来事や災害は、
悲しみが大きかったり、落胆はしても、
「仕方ない」と諦めもつくし、
みんなでやっていこうという気持ちを持てるが、
自分一人に降りかかってきた災難や、小さな出来事は
自分だけで解決せねばならないし、
自分一人で悩まねばならないものだ。
きっとそれが辛いんだと思う。

自分一人の端から見たら小さな悩みが
自分の中では、とても大きな事なんだろうと思う。
つまり、人間は、一人では弱いってことなのかなぁ…



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2004年12月14日(火) 20年間で、普通の家庭で14万8000回の否定的・消極的・悲観的・破壊的なメッセージをシャワーのように浴びているといわれます。

一説によると人は一日に18万7000もの考えや思いが
頭の中を通り過ぎるという説もあります。(略)
問題はその考えや思いがどのようなものであるか?ということですね。
それが慈愛にあふれ、肯定的、積極的、楽天的、建設的な思考で
あればよいのですが、そうとも限りません。

なぜなら、人間は生まれてきてから成人するまで20年間で、
普通の家庭で14万8000回の
否定的・消極的・悲観的・破壊的なメッセージをシャワーのように
浴びているといわれます。
つまり1日、平均20回くらいその種の言葉を浴びてきているのです。
それが、自分自身の言葉の習慣(口癖)思考の習慣(信念)にも
なりかねません。

すると、
1日18万7000回の考え方や思いのそのほとんどが
自動的にプログラムされてしまって、
否定的・消極的なことで支配されているかもしれないのです。
実際に私たちの周りで話される内容、
報道されるテレビ・新聞などを観察しても、
大方はあなたを積極的・肯定的な方向に向けるとはとても思えません。


「本調子」より   宝マップナビゲーター 望月 俊孝著
 総合法令/NPO法人読書普及協会編




毎日、毎日これが繰り返されたら…
こうやって、人は否定的・消極的なことを
知らずに、すり込みされているのかも知れないと、
恐ろしくなってくる。

望月さんは、だからこそ、
その否定的・消極的な考えを払拭し、断ち切るために、
いい情報や、積極的・肯定的な考えに触れなくてはいけないし、
自分の中に意識して取り込むことが必要だと言っている。
積極的・肯定的な考えを持っている人と話したり、
そういう本を読むこと、
いい情報や、積極的・肯定的な考えに出会ったら、
何度でも、自分の中に取り込むことが必要だと言っている。

人はつまり、
否定的・消極的な考えになじんでいるとも言える。
だから、積極的・肯定的な考えに違和感をもったり、
逆にとても感激したりするんだと思う。

私は、否定的・消極的なことはできるだけ、
回りに振りまかないようにしようと…思う。
きっと、私が言わなくても、
誰かが言っているだろう…と思うからだ。





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2004年12月13日(月) 長すぎる犠牲は心を冷たい石に変える

長すぎる犠牲は心を冷たい石に変える


  アイルランドの詩人 ウィルアム・バトラー・イェイツ



少なくても
「いつも自分ばかりが犠牲になっている」という
気持を持ち続けていると、
相手に対しての、怒りの気持や、やりきれない気持、
不信の気持が大きくなっていくと思う。

特に、その犠牲を相手が分っていないとき、
(だいたいは分ってくれないことが多い)
それに対しての、お礼も感謝もないときには、
(だいたいは、ないのだが)
途方もなく大きなものになっていく。

実は「犠牲になっている」と思っているのは、
悲しいかな、本人だけだったりするのだ。
回りの人は、だいたいは、
「なんでそこまでするの?」とか
「そんなことまでしなくてもいいじゃない」とか
思っているのだ…。

「犠牲になっている」…と自分で思うようなら、
要注意だな、としみじみ思う。


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2004年12月12日(日) 自分に非がないとき、罪を感じてはいけません。

自分に非がないとき、罪を感じてはいけません。

罪悪感が頭をもたげてきたら、
そんなふうに感じる必要は全くない、と
自分に言い聞かせてください。
他人の罪をかぶらなければいけないような
気持になってはいけません。(略)

本当にあなたが悪いのですか?
罪悪感をおぼえることと、
ほんとうに悪いことをしたということは別です。


「お子さま男」のしつけ方 より ベッテイ・マックレラン著
 貴美島 紀訳  廣済堂出版



この頃は、
悪くもないのに「すいません」と言うことを
できるだけやめて(まだ、残っているが)、
こちら側が、相手を思いやってあれこれして、
それが思うようにできないときに、
「ごめなさい」というのもやめた。
ひんぱんに「すいません」「ごめんなさい」は
使わないことにした。
別に悪いことをしているわけではないからだ。

本当に自分が悪いことをしたと思ったときに、
素直に謝ればいいのだ。
罪悪感から、謝る必要はないと思うからだ。

悪くもないのに、自分を守るために謝ってばかりいると、
自分が本当に悪いのでは?という気がしてきて、
自分のために善くないと気がついたからだ。

などと、気がつきつつも、
落とし物をして「落としましたよ」と
声をかけてもらったとき、
「あっ、すいません」と反射的に言っている。
そうじゃないな、「ありがとうございます」と
言うべきだなと反省したりしている。





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2004年12月11日(土) あなたは貧乏オーラが出ていませんか?

あなたは貧乏オーラが出ていませんか?

自信のなさともつながってくる話ですが、
貧乏オーラ、貧乏くさい考え方は伝染します。
僕のうちでは夫婦ともに貧乏くさい発言は
排除するように徹底しています。

たとえば「どうせ自分は○○だ」とか、
否定的な発言、
たとえば「○○なんて、できるわけない」など、
いいわけやあきらめは絶対に口にしません。

口にすると貧乏オーラが出て、物事がうまく
運ばなくなるからです。
また、口に出さないだけでなく、脳内から完全に
駆逐してしまっているのですが、
このようにしていないと物事はうまくすすみません。


「超・営業法」  行政書士 金森 重樹著
         PHP研究所



この本を書いたのは、今もっとも繁盛していると
思われる行政書士の金森重樹さんである。
大分前に、講演を聞きに行ったのだが、
すごいことをサラリと言ってのける人だった。
例えば、こんなことを言っていた。
(私の当日のメモによると)
「僕は最初から一番なることしか考えてないし、
 そのための手を打つし、そうやってきました」
私は、スゴイ人だなぁと思って聞いていた。

とまぁ、その人の書いた本に貧乏オーラのことが
載っていたのだが、これは私も全く同感である。
貧乏オーラを出している人は実際いる。

お金のない貧乏でなくて、
精神的貧乏とでも言うべき人たち。
いつも「できない」と、「どうせ」を連発する人たち。
そんな人のそばにいると、こちらまで暗くなる。
何をいっても、「できない」と「どうせ」を言う。
そんな人からは、運も、人も離れていくと思う。
自ら、そういうことを招き寄せているのだと、
そのことに、気づいているのだろうかなぁ…



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2004年12月10日(金) 親が年をとっていることを肝に銘じる

親が年をとっていることを肝に銘じる

あなたが子どものとき、親は「現代的」で「オープン」
だったかもしれません。
けれどあなたが成人した今、両親は、
ひと世代前の人たちであることに配慮しましょう。
そこから起きる対立も、
冷静に受け止めることが大事です。


 すべては「単純に!」でうまくいく より
 ローター・J・ザイヴァード+
 ヴェルナー・ティキ・キュステンマッハー
       小川 捷子訳  飛鳥新社



親の年をとっていく姿を見ることは辛い。
若い頃の元気な姿を知っているだけに、余計…切ない。
本人達も「思うように動けなくて情けない」と言う。
あちこち痛いところも増えて、
体が思うように動かなくなってくるし、
時代にもついていけなくなっているからだ。

しかし、そうわかっていても、
ついつい、親に冷たいことを言ったり、
心ないことばを投げかけてしまったりする…
そのたびに心が痛むのだが、どうしても
イライラしてきて、自分を押さえようがない。
いかんなぁ…

いずれ自分もこうなっていくのだと思うと、
身につまされもするし、何とか優しいことばや
感謝のことばをかけたいと思うのだが…
思うようにいかない…
どうしたら年老いていく親とうまくつきあって
いけるのか…考えることが多いこの頃である。


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2004年12月09日(木) かみさまはうれしいことも かなしいこともみなみています

かみさま

かみさまはうれしいことも
かなしいこともみなみています
このよのなか
みんないいひとばっかりやったら
かみさまもあきてくるんとちがうかな

かみさまが
かしこいひともあほなひともつくるのは
たいくつするからです

             やましたみちこ


「子どもの宇宙」より  河合 隼雄著
            岩波文庫




やましたさんが小学校一年の時に書いた詩だそうだ。

「子どもの宇宙」の中で、河合 隼雄さんは、
「やましたさんは、小学校一年生なりに、どうして
 世の中には、
 嬉しいことばかりでなく悲しいことがあったり、
 善い人ばかりでなく悪い人もいるのだろうと、
 考え続けていくうちに、
 自分のなかの宇宙に存在する、このような神の像を
 見いだしたのだろうと」言っている。

私は、自分のなか(宇宙)に
自分だけの神さまと持つことがとても大事だと思っている。
事実、私のなかに私の神さまはいる。
この神さまは、私を護ってくれる神さまだ。
いてくれると、なんだか強くいれる…気がするのだ。

自分だけの神さまだから、時々話しかけることもできるし、
アドバイスをもらったり、助けてもらったりもする。
時々、叱られたり、二人で大笑いしたりする、
割と気さくな神さまだ。

つまり、自分の神さまを通じて、
自分との会話をしているということかもしれないが、
それでも、いるといないのでは違うと思っている。
そして、いつも
「私の神さまありがとう」と思っている。


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2004年12月08日(水) 「ちゃんと言ったのに伝わっていない」ことがなぜ起るのか。

「ちゃんと言ったのに伝わっていない」ことがなぜ起るのか。

本当にちゃんと言ったのに、相手が聞いていなかったのか。
それとも、彼女がちゃんと伝えていなかったのか、
どちらが悪いのが、事実はわかりません(略)

そこで、まずは交渉事がうまくいった場合と、
トラブルになった場合を、比べてみることにしました。(略)

すると、だんだん自分の対応がまずかったということに
気づいてきました。
たとえば、自分だけが話して、
相手の話を聞いていないことがありました。(略)

それから、おしゃべりな彼女の説明が
くどすぎることもありました。
そのため、相手は聞いているうちにだんだん疲れてきて、
肝心な部分を聞き逃すことがあったようです。


「私、そんな人じゃないのに」と
ずっと思ってきた人のための本  より
東京心理相談センター所長 生月 誠著
             青春出版社



この頃「伝わらない」ということについて
考える機会が多い。
逆に言うと「伝える」ということだが。
なぜ、伝わらないのか…
どうしたら伝わるのか…
はっきり言えることは、
「言ったから伝わる」ものではないということだ。

私達は、どうしても心の奥で、
言ったら伝わるはずだ、伝わるべきだと、
どこかで思ったり、そう願ったりしている。

しかし…現実では、
伝わっていないことの方が多い。
仮に、伝わっていても、
私が思うように伝わっていないことも多い。
それに、いくら伝わったからと言って
100%ってことはありえない。

伝わらない理由は…いろいろあるだろうが、
伝え方の問題が大きいという気がする。
もちろん、相手に問題がある場合もあるだろう。
しかし、一番てっとりばやく「伝えたい」と
思うなら、こちら側に問題があると考えて、
伝え方を変えてみたり、工夫してみることが
大事なのではないかと思う。
自分の伝え方にこだわるのではなく…

などと、思いつつどうやって「伝えるべき」か
悩む日々である。





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2004年12月07日(火) やってもみないうちにあきらめるのかね。

やってもみないうちにあきらめるのかね。
私たちは高い目標を持っているからこそ、
これほど多くのことをやり遂げられるんだ。
さぁ、戻ってもう一度やってみてくれ。


「夢をかなえる100の言葉」より ウォルト・ディズニー
                ぴあ 



うーん…
今の自分に言われているようなことばだな。
さぁ、もう一度やってみよう。
いや、もう何回も…
諦めるのは早すぎる。

目の調子がよくないので、
弱気になってしまった…


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2004年12月06日(月) 「できない」でなく「最初の一回がうまくいかない」だけです。

「できない」でなく
「最初の一回がうまくいかない」だけです。

人には等しく能力があります。
最初の一回、二回はうまくいかないだけなんです。


「変な人が書いた驚くほどツイてる話」より
 斎藤 一人著  知的生きかた文庫



何でも最初とか、一回目ってむずかしいと思う。
最初とか、一回目ってやたら力を入れるので、
かえって、駄目とかできないとかの思いが
強くなるんだろうなぁ…
確かに最初に駄目だとがっくりくるからなぁ。

でも、そこで駄目だったからと言って、
「できない」と言ってしまうのは、
自分の能力も、運も否定してしまって、
信じてないことになるなぁ…
そんなことはもったいない。

最初や、一回目はチャレンジャーで行けば
いいんだろうな。
駄目でもともとと思うくらいで。



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2004年12月05日(日) みたされない欲求はまず不満を生み、不満が時に怒りを生む場合さえあります。

人間には誰しも、こんな人生をおくりたいという
自己実現の欲求があるのですが、
その自己実現の欲求をみたすための条件欲求として、
自分の思いを表現したいという自己表現の欲求があるのです。

そして、この自己実現の欲求が満たされないと、
だんだん人間はイライラしてくるわけです。
みたされない欲求はまず不満を生み、
不満が時に怒りを生む場合さえあります。

それは、困ったことに、
あなただけでなくて、
他の人もそうなのです。


「本気で自分を生きてみよう」より 佐藤 綾子著
                 三笠書房



「自分だけよければいい」と勝手な行動をする人がいるが、
そんな人は、実は誰もが心の中で同じように勝手にしたいと
思ったりもするが、
理性とか、分別とか、その人の性格で、
行動を押さえたり、自分をちゃんと抑制していると
いうことがわからないのだ。

抑制している人は心の中で、
「自分だけよければいい」
「いいや、そんなことはできない」
「そんな勝手な行動は慎むべきだ」
「私はしなくない」
など、葛藤して押さえているのだ。

そういうことを思える想像力がないのだ。
相手のことを思いやる何かが欠けているのだ。
あるいは、自分が勝手だから、人も同じよう勝手にすると
短絡的に考えているのかも知れない。
もしかしたら、本当は、
分かっていて無視しているかもしれない。

どちらにしても、
なぜ、他の人たちのことを思えないのか…
どうしてそうふるまえるのか…
そういう人たちに出会うたびに、
私は立ち止まって考え込んでしまう。


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2004年12月04日(土) 「命」という漢字をバラバラにしてみると、「人」は「一」度は「叩」かれる、となります。

「命」という漢字をバラバラにしてみると、
「人」は「一」度は「叩」かれる、となります。

人生には良いこともあれば悪いこともある。


「本調子」より  NPO法人 読書普及協会編
              総合法令



ほおぅ…そっか…そういう意味があったのかぁ。
知らなかったなぁ。
なるほど…そうだなぁ…


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2004年12月03日(金) 「彼のジョークってつまらないし、バカにされている気がする」

「彼のジョークってつまらないし、
 バカにされている気がする」

残念なことに、このごろでは、
一方にとってだけ「おかしくて」、
相手はつねに「傷ついている」というような
ユーモアが横行しています。(略)

さらに、男女のちがいを比較していくと、
男性はジョークを言うのに、スケープゴート、
つまり「コケにできる人」を用意します。

女性だって茶化したり、風刺したりはするかもしれませんが、
女性のジョークにスケープゴートはあまり登場しないものです。
ほとんどの女性は、他人の不幸を笑うようなジョークには
加わりたくないと思っていますし、
自分たちが男性のジョークのネタにされたときに、
それをおもしろがっているふりも、したくないのです。


「お子さま男」のしつけ方 より  ベッテイ・マックレラン著
 貴美島 紀訳  廣済堂出版



男性の言ったすべてのジョークではないが…
とても笑う気になれなくて、
時として対応に困ることがある。
男性同士では、ウケ合っているのだが…

他の人の身体的特徴をネタにする場合や、
女性のことをネタにする場合がそうだ。
聞くに堪えない時があるし、笑えない事が多い。
せいぜい、
「いやーね、そんな風に言うもんじゃないわよ」などと
やんわりたしなめるの精一杯だ。
ジョークを聞くことによって、
居心地が悪くて、いたたまれなくなったりするのだ。

顔をしかめたいこともあるが、
場もあるので押えたりしているが、内心は、
「そんなのジョークじゃない、全然おかしくない、
 もっと楽しいジョークを言えないわけ?」と
言ってやりたい気持でいたりする。
(傷つくと思うから言わないが)

「女にはこのジョークが通じないないんだよ」
などと言う人がいるが、うん、通じないのだ。
正直、通じたくもないのだ。
それに、男女の笑えるツボや、
ジョークのネタそのものが違うと言う気もする。
なので、男性にとっては、
女性の言っているジョークは物足りなくて、
一緒になって笑えることは少ないかもしれない。

仮にそうであっても、どうであっても、
男女が一緒の場にいるなら、
せめて、身体的特徴や、女性をコケにするのはやめて
男性も女性も一緒に楽しく笑えるものがいいと
心から思うのだ。
それでこそ、
楽しいジョークと言えると思うのだ。


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2004年12月02日(木) たいていの人は、自分より下の人が言うことになど、熱心に耳を傾けることはしないのである。

たいていの人は、自分より下の人が言うことになど、
熱心に耳を傾けることはしないのである。

たとえば、軽蔑している相手から、なにがしかの提案が
されたと想像していただきたい。
あなたは、社交的な礼儀として、一応は
「なるほど、そうかもしれないね。ふん、ふん」などと
型通りに答えるかもしれない。

しかし、自分の胸に手を当てて、もっと本音をさぐってみよう。
すると、もうひとりの自分が、
心のどこかで嘲笑っているのに気づくはずだ。
「そんなのでうまくいくわけがないだろう」
「生意気なやつだ」
「オレに物を言うなんて十年早いんだよ」などなど。


「「心理戦」で絶対に負けない本」より  
伊東 明+内藤 誼人著  アスペクト




確かに、聞かない気がする。
軽蔑してる人、呆れている人、性格が悪い人などの
話は「聞くのもいやだ」と思ってしまう。
仮に聞いても、素直には受け入れられないように思う。
「一応は聞いておくよ」という態度で、接するが
ほとんど、流してしまうだろう…

こうしてみると、
耳を傾けて、話を聞いてもらうと言うことは、
話を聞く側より、話す側の方に、
何かひとつでも上のもの(大きなものでなくていいから)
あるいは、認められるような何かを
持っていないと駄目なのなのだなぁと思う。

よく「話を聞いてもらえない」と言う人がいるけれど、
その人に、聞いてもらえるだけのその人自身の裏付けが
少ないのかも知れないなぁ。







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2004年12月01日(水) 自分で話す時に退屈する人はいない。他の人の話に退屈することが多いのだ。

たいていの人は話しすぎる。
話しすぎる人の多くは最低の聞き手であり、
もっとも退屈な人でもある。

自分で話す時に退屈する人はいない。
他の人の話に退屈することが多いのだ。
私たちは自分が何かを言いたい時に、
相手が話すと退屈するのである。


「わたしはなぜ、誤解ばかりされるのか」より 
 ジョーエレン・ディミトリアス著  富田 香里訳
 ソニーマガジン 



ああ、退屈した打合せだった…打合せというより、
一方的に相手の考えを押しつけられた感じだった。
がーーっと、思いを語られてもなぁ…
悪いがほとんど聞いてはおらず、
「先に結論を言ってほしい」
「結局何をどうしたいの?」と思っていた。

相手は、自分の話から何かをくんでほしいのかもしれないが、
くもうなどと言う気にはなれず…
こういう時にくんであげても、次の打合せでだいたい
変わってること多いし…

考えと、何をどうしたいかが明確でないと、
どんなに自分の思いを語っても、
熱い思いなど伝わりようもない。
あちこちに話がとんで、ああもしたい、
こうもしたいと言われてもなぁ…
ちょっと私にはついていけないな。
こりゃ、駄目だな…


               


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