ことば探し
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]
 

2004年11月30日(火) 自分の意見のつもりでいるけれど、実は他人の意見だったら、

自分の意見のつもりでいるけれど、
実は他人の意見だったら、
そんなものからはスッパリ縁を切って、
自由にならなければいけません。

他人の意見を自分のものだと思いこんでいるのは、
他の人を喜ばせたい、認めてもらいたい、
好かれたい、議論やトラブルを避けたい、
といった欲があるためです。

しかし、トラブルを避けているつもりでも、
実際にしていることは何かと言えば、
自分の考え、自分の信念を、自分の足で踏みにじり、
さらには、真の人生経験から自らを遮断することです。


「きっとあなたは成功する」より 
 ミルトン・カツェラス著
 町沢 静夫訳  PHP



時々、自分の意見は、
本当に自分の意見だろうかと思うことがある。
誰かの入れ知恵ではないか、
小さいときからの思い込みではないか、
誰かの影響を受けて、そう思い込もうとしてはいないか等々。
そして、時々、実は違う意見だと感じることもある。

自分は本当にはどう感じているのだろう、
どう思っているのだろう…
どうして、こう考えるようになったのだろう…
そんなことを立ち止まって考えてみることも
大事かも知れないなぁ…



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2004年11月29日(月) “自分の身の安泰”や“日々の快楽”しか考えていないようであれば、

“自分の身の安泰”や“日々の快楽”
しか考えていないようであれば、
あなたは本当の人生を生きたことにはなりません。

魂はまどろみ、惰眠をむさぼるだけで、
いつか必ず後悔するときがやってきます。

大切なのは、天があなたのためだけに用意してくれた仕事、
あなたにしかできない仕事、
誰かの、何かの役立つ仕事、
“いのちの仕事”に目覚め、それをまっとうすること。

それで初めて、あなたは本当の幸福感に包まれるようになり、
ひいては自己実現を果すことができるのです。


「イヤな仕事は絶対するな!」 倉林 秀光著
               サンマーク文庫



“いのちの仕事”かぁ…
(この本にはそれを見つける方法が書かれているだが)
自分ならでは“いのちの仕事”
自分にしかできない“いのちの仕事”
成功は“いのちの仕事”を見つけてやっていいけば、
必然的な結果だと言う。

見つけたいものだなぁ…
この本に書いてある通りにやったら、
見つかるかなぁ…
必ず見つかると書いてあるから、
きっと見つかるに違いない…かなぁ…

などと、遠目に見ているだけでは、
“いのちの仕事”は見つからない。
人間、何でも行動が大事だ!
行動しないと、何も始まらない!
よぉし、やるかっっ!


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2004年11月28日(日) 生きものに対して怒鳴ることは、その魂を殺しかねない。

生きものに対して怒鳴ることは、その魂を殺しかねない。

石をぶつけられても骨が折れるだけだが、
言葉は、心をずたずたにする…


         ロバート・ファルガム



ことばの暴力は…目に見えないだけ
人の心の中にどんどん蓄積されていく。
そして、心も体もむしばんでいく。
身体的暴力と変わらないほど、力がある。

そういう「ことばの暴力」が増えていると言う。

しかも「ことばの暴力」は加害者はそれを認めず、
被害者は、自分が悪いのではないかと思うらしいのだ。
気がつかないことも多いという。
例えば、自分は相手を思ってこう言ってやっているのだと
加害者は主張し、相手の欠点をあげつらったり、
否定したり、怒鳴ったりするのだ。
つまり、陰湿なのだ…
そして、この「ことばの暴力」がだんだんと
身体的暴力につながっていくという…

この頃の嫌な悲惨な出来事を見ても聞いても、
こういうことが知らずに、重なっているのではないと
思ったりする…








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2004年11月27日(土) 何かが進もうとする自分の足を引っ張っている感じがしたら、

何かが進もうとする自分の足を引っ張っている感じがしたら、
「これは過去の感情が引きとめているに違いない、
 これに引きずられずに勇気をもって前に進んでみよう。
 大丈夫だから、過去とは違う選択をしてみよう」と
決心してみてください。

これをやることで、自分の感情を意識し、
さらに分析しながら自らの意識変革のプロセスを
進めていくことになり、
古いパターンから抜け出すことが出来ます。


「人生のしくみ」より  
        精神科医 越智 啓子著
               徳間書店


越智さんは
「過去生」(今の人生の「以前」に過ごしてきた人生のこと)と
今の人生、将来の人生は別のものでなく、
つながっていて、自分が今持っている感情も、
過去生に原因があるかもしれないと言っています。

また、一度の人生で夢が途中になったら、
次の人生でも必ず続きをやりたくなるものなので、
今抱えている夢はもしかしたら、過去生で
持っていた夢かもしれないと。

私は「過去生」はあると信じていて、
(過去とのつながりを感じることがあるので)
訳のわからない、説明のつかない不安など感じると、
この感情は、過去生から来たものかもしれないと
思ってみたりしている。
だからといって、どうと言うこともないのだが、
何となく、自分で納得できたりして安心する。

今持っているこの感情が、過去生と関係あるかどうか、
それはわからないが、過去生も味方につけられたら
少しは強くなれるのではないかと思っている。






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2004年11月26日(金) まだ整理してない写真をいくつも箱に入れたままにしてある?

まだ整理してない写真をいくつも箱に入れたままにしてある?

そのままで十分です。
必要になったらどこを探せばいいのか、分かってさえいれば。
お好みなら、箱から全部取り出して、
バラバラの順番で眺めてみるのも面白いですね。
きちんとアルバムに整理したものと同じくらい楽しめますよ。


「本当に好きなことをして暮らしたい!」より
 バーバラ・シェール著  永田 浩子訳
                VOICE



本当に好きなことをしたいと思ったら、
「ためこんだものを整理したい、せねば」という
欲求に振り回されないことと、
本当に大事なもの以外は、捨てるか、永遠にそのままに
しておいていいとこの本では言う。

常々、やらなくていけないと思っている整理は
いろいろとある。
たまっている本、食器、しまったままの洋服、
そのときには、とてもほしいと思って買ってしまったもの等々。

これらの整理は…、
いつかしようと、心の中で思っていながら、
時間があってもいつもしそびれてしまう。
いや、いつも結局やらないのだ…
そして、いつもちょっとした挫折感を味わうのだ。
ああ、また出来なかった(しなかった)と。

それなら、そんな思いは手放せとこの本では言う。
と、その手放す方法が書いてあるのだが…、
それはさておき、確かに、今整理してなくても、
さほど不便でないものは、
無理して整理しなくてもいいかと妙に納得して
しまったのであった。
少なくても写真の整理はやめることにした。


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2004年11月25日(木) 人生に対して今風のひねくれた反応しかできず、人生をうたかたのごときものと軽んじているかぎり、

人生に対して今風のひねくれた反応しかできず、
人生をうたかたのごときものと軽んじているかぎり、
人生からたいしたものは得られまい。

世の中の上っ面だけにとらわれていては、
人生は深みに欠け、
ひとりひとりの人生もうつろなものとなるだろう。


「そんな無責任な!」より  ヴィンセント・バリー著
 小林 由香利訳  NHK出版



そうだなぁとしみじみ思う。
人生や自分を軽んじていたり、
ひねくれてばかりいたら、人生からの暖かな
贈り物は手に入らないだろうなと思う。

また、形や上っ面だけが大事な人はいる。
(最近、そんな人と合うことは少なくなったが)
本当の自分が見えてない人かもしれない。
そんな人と話をしても何も残らない。

生きていたら、
ありがたいことも、そうじゃないことも、
いいことも、悪いことも、
深いことも、浅いこともある…
嫌なことや、見たくないこと、
逆にとても感動するようなこともある。
いろんなことがあるのだから、
自分を自分で狭めず、自分の可能性を
もっと信じてもいいのではないかと思う。




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2004年11月24日(水) 私たちは特性や性格で人を判断しようとする。楽しい人、楽しくない人、賢い人、まぬけな人、という具合である。

私たちは特性や性格で人を判断しようとする。
楽しい人、楽しくない人、賢い人、まぬけな人、
という具合である。
しかし、行動心理学者は、大切なのは
「性格」ではなく「習慣」を変えることだという。

「楽しい人になる方法を教えることはできません。
 しかし、もっと微笑んだり、人を批判しないようにする
 方法なら教えられます。それは習慣だからです。
 習慣は変えることができるのです。そうでしょう?」


「パートナーと気持ちが100%通う10の法則」より 
   ウィラード・ハーリ著  海原 純子訳
                 三笠書房



「性格」と「習慣」の違いって
線を引くのむずかしい気がするのは私だけか…
それが「習慣」から来るものなのか、
「性格」から来るものなのか…よくわからない。
両者は密接に結びついてるような気がする。

しかし「性格」はなかなか変えられないが、
「習慣」なら変えることができるというのは、そう思う。
例えば、人と接することがキライな性格は直らないが、
人に合ったら、挨拶することは習慣だから
何とかすることは出来そうだ。

そうすると少なくても、
挨拶も出来ない暗い性格だという、性格的な
烙印は押されなくてもすみそうだし。

うーん、「性格」と「習慣」…
性格を変えろと言われると相当辛いが、
こういう習慣を変えろと言われたら…まだましか。
この性格がキライと言われるより、
この習慣がキライと言われた方がいいか…
うーん…






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2004年11月23日(火) 早い時期に相手の癖を見つけて、その癖をどう感じるかについて自分の正直な気持ちを

早い時期に相手の癖を見つけて、
その癖をどう感じるかについて自分の正直な気持ちを
知っておくことは大切なことである。

イライラさせられるような癖は、
ささいなことでも、
やがて大きな問題を引き起こすことになる。


 「愛の舞台裏」より  ハーブ・ゴールドバーグ著
  相馬 寿明訳  どうぶつ社



一緒にいる時間が長くなると、
相手の癖が、とても気になってくるものだ。
ささいな癖でも思った以上気になってくる。

食事の食べ方、トイレの入り方、
出かける前の準備など割とどうでもいいようなことから、
時間に対する態度(いつも遅れるとか、ルーズだとか)
普段の立ち居振る舞いなど、その人の基本的動作まで
気になってくる。

気になる前は平気だったはずなのに(我慢しているのか)
いったん気になり始めると、
その癖にこちらも敏感になり、
そのたびに「あーあ、まただ」などと、
相手をちょっと軽蔑したような目で見てしまう。
もちろん、相手も同じように感じているわけで…

この癖まで包み込んで自分を受け止めてくれれば
それは大変ラッキーなことだが、だんだん遠慮がなくなって
本性が出てくると、我慢が出来なくなってきたりするのだ。
(たぶん)

癖は…自分で気がつかない分、やっかいだ。
癖を指摘されると、腹が立つし。
仮に気が付いてもなかなか直せない。
だから、相手の癖を大目にみる訓練を積むか、
お互いの気になる癖を、お互いに直すように、
話し合うしかないと思うが…むっ難しい…



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2004年11月22日(月) 失敗は確かにクセになりやすいものですが、放っておくしかありません。

失敗は確かにクセになりやすいものですが、
放っておくしかありません。

怪物(失敗)にはしたいようにさせておいて、
こっちはこっちで
しなくてならないことをしていればいいのです。
ただ、恐れおののいて立ちすくみ、
その恐ろしい巨体に身動きも
できないでいるばかりではいけません。
そんなことをしていたら、
踏みつぶされるかもしれません。


「きっとあなたは成功する」より 
 ミルトン・カツェラス著
 町沢 静夫訳  PHP



失敗は怖いが、何もしないほうが私には怖い。
何もしなければ、無事にすむかもしれないが、
それでは、自分の内側が死ぬ。

自分の内側が死んだら、何も感じなくなる。
私は、感じていたいので、
たとえ、失敗しても何かをし続けたい。

失敗は確かに痛いけれど、
その痛さは、いつか消える。
仮に多少の痛さが残っても、
内側が死ぬよりはいい…


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2004年11月21日(日) 「もしあなたがそんなことしたら、世間の人がどう言うと思う?」

「もしあなたがそんなことしたら、
 世間の人がどう言うと思う?」

質問者が期待しているのは、
私たちが世間の人に認めてもらえないと知って
恐怖感を抱き、現在の行動をやめることである。

心理操作をする者は、
自分の意見では十分な重みがないことを危惧し、
自分の議論に説得力を与える「他人の目」という
強力な武器を持ち出す。
そうすることによって私たちをおどかし、
自分の意のままに操るのだ。


「すぐに役立つとっておきの考え方」より
 ジェリー・ミンチントン著  弓場 隆訳
                  PHP



よく「みんながそう言っている」とか、
「みんなもそう思っている」などと聞くことがある。
聞くだけでなくて、かつて自分もそう言っていた。
しかし最近は、「みんな」と言うことばは、
使わないように気をつけている。

「みんな」というのが、
何なのか、誰なのか、はっきりしないからだ。
「みんな」って誰のこと?
「みんな」って何人?

大事なことは「みんながどう思っているか」でなくて、
「私がどう思っているか」なのに、
自信がなくて「みんな」を持ちだしていたことに
気がついたからだ。

そう気がついてから、勇気をもって、
「私はこう思う」と言うようにしている。
「みんな」を隠れ蓑にすることはまだたまにあるが…



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2004年11月20日(土) 慰めるというと、いかにも励ましているようだけど、実は、話を終わらせているんですよ。

慰めるというと、いかにも励ましているようだけど、
実は、話を終わらせているんですよ。
「もうそれ以上はいいなさんな」という
信号みたいなものでね。


「閉ざされた心との対話」より  河合 隼雄著
                講談社



確かに、思い当たることがある。
母と話していると、
「気にしない方がいいよ」とか
「おかあさんが悪い訳じゃないよ」とか、
母がもっと言いたいことが分かっているのに、
もっと聞いてほしいと思っているのがわかっているのに、
もう私は聞きたくないので、
何とか、話を終わりにしようとしている。

慰めるとか、励ますって、
こちら側は相手に力を与えているような錯覚を覚えるが、
実は、相手の気持ちを途中で、
ぶつんと切ってしまっているのかも知れないなぁ…
本当は、慰めとか、励ましが必要なわけでは
ないかも知れないなぁ…

今まで意識していなかったが、
本当にそうかも知れないなぁ。


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2004年11月19日(金) 人の幸せはそれぞれに違うということを認識してほしい。

人の幸せはそれぞれに違うということを認識してほしい。
10人いれば10人の幸せがあるのだ、と。
あなたはあなたの成功と幸せを得られればいいのだ。

なのに、
世の中のほとんどの人はマスコミ的な価値観を信じて、
成功とはこういうものだと勝手に思い込んでいる。
実現できない自分に焦り、苦しむのである。


「癒すこと、癒されること」より  加納 眞士著
                 Gakken



人と比較しない「自分の幸せ」
人と比較しない「自分の成功」
それでいいと思う。
十分だと思う。


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2004年11月18日(木) そんなこと知らないわ!わかんなーい。あの無知・無恥は男には理解できない。

そんなこと知らないわ!わかんなーい
あの無知・無恥は男には理解できない。

あくまで一部の女性に限ることだと思いますが、
無知であることを開き直っているというか、
ひどい場合は、それを誇っているような人がいますが、
これは困ったものです。
美人であれば、無知な女でいいと思う男はいません。

無知・無恥はやはりミニクイ。


「女は皆な罪つくり」より  富田 隆著
              フォー・ユー



全く同感です。
同じ女性としても、恥ずかしい…
どうしてああも、
誇らしげに自分の無知をさらけ出せるのか…
私は無知より、見ていて無恥が辛い。

きっと、そんな彼女たちを見て喜ぶ人たち、
ちやほやする人たちがいっぱいいるので、
彼女たちは、いいと思ってしまうのだと思う。
市民権を得ていると思っているのだと思う。
無知の方がかわいいとすら思っているかもしれない。

男性は、美人であれば無知でいいと思ってる人は
実はいっぱいいると思うし…
ただ、結婚するには困ると思っているだけで。

こうしてみると、
彼女たちは踊らされているのだとも言えるが、
いつか…彼女たちに恥ずかしいと思う日が
来るのだろうか…
それとも、あのまま大人になっていくのだろうか…
どうなんだろう…

なんだか…切ないなぁ…



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2004年11月17日(水) 相手に「100%」を望むからトラブルが生じる。

相手に「100%」を望むからトラブルが生じる。

私が、かねてから提唱するのは、
「要求水準の低下」です。
要求水準を、少し下げればいい。

70%くらいにとどめておけば、
ケンカも滅多に起きません。


「絶対に《自分の非》を認めない人たち」より
 斎藤 茂太著  詳伝社



うん、その通りだな…
ただ、要求水準を下げているけれど、
(コチラはそう思っている)
それでも、なおトラブルがある場合には、
もっと下げるのかなぁ…
(でも、限界はあるな)

もっとも、相手にしてみれば、
今でも、120%要求されていると思って
いるかもしれない。
要求しすぎだって…
あーあ。



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2004年11月16日(火) 傷を受けやすい人というのは、やはり一つの考えに凝り固まっている人である。

傷を受けやすい人というのは、
やはり一つの考えに凝り固まっている人である。
その考え方を否定されたり、否定されるような
状況になると不安になり、攻撃的になったり、
あるいは逃げたりする。
どちらにしても不適応反応が生じやすい。


 「こころの居心地」がよくなる心理学 より
  精神科医 町沢 静夫著  三笠書房



小さい頃や、若い頃は、確かに傷つきやすかった。
ちょっとしたことば、行動に傷ついていた。

しかし、今はちょっとのことや傷なんて平気になった。
面の皮が厚くなったのかもしれないが、それは幸いである。
傷ついてばかりいては生きていけないし、
今痛い傷も、いつか痛みが取れ、
忘れていくものだとわかってきたからだ。
残る傷もあるが、それもまた時の中で風化していく、
そんな実感をもてるようになってくるからだ。

小さいときにとても大きく見えていた校庭が、
大きくなってから見ると、とても小さく見えるのと
同じように、傷もそんなものだとも思える。

たいていの傷は癒える…と私は思っている。
消えない傷もあると思うが、
そういう傷は、何か意味があるのだから、
その傷とは上手につきあっていくしかないと思う。

あまり、傷つくことを恐れずに、
とりあえず前に進んでみようとこの頃は気楽に思える。







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2004年11月15日(月) 自分が必要としているだけの愛情を得ることが出来なかった時、相手を逆恨みすることがある。

人というものは、
自分が必要としているだけの愛情を得ることが
出来なかった時、相手を逆恨みすることがある。
その時点での心の渇き具合に応じて、
相手に罰則を与えることになる。

自分が犯した失敗が重大なものであるほど、
はねつけられた時の傷つきようも大きいのである。


「ベスト・パートナーになるために」
ジョン・グレイ著  大島 渚訳  三笠書房



逆恨み事件がこの頃多い。
先日も新聞に、自分の酒のつきあいを断った部下を
殴る蹴るしたあげくに車でひき殺そうとした上司のことが
載っていた、なんだか…世の中おかしい。
恨みつらみで、簡単に人を殺すような世の中になってしまった。
逆恨みされることが怖くて、注意も出来ない世の中だ。

今時は、ちょっとしたことを注意しても、
プライドを傷つけられた、拒絶されたなどと、
勝手に思われて、犯罪や嫌がらせにつながっていく。
その人のためになることでもだ。
それが明らかに善意からでもだ。
ことばを選んで選んで注意せねばならない。
そして、それでも万全ではない。

普段、穏和に見える人、普通の人に見えるような人でも、
何かあると人が変わったようになるので、それも怖い。

いったいいつ頃から、こんな風になってきたのか…
こんな事態がすべて、愛情の欠如からとは思わないが、
何か、心を満たすものがなくなってきているのだと思う。
失われてきているんだろうと思う。


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2004年11月14日(日) 私は何年もの間、ずっと人の期待通りにふるまってきました。

遅すぎました。
私は何年もの間、ずっと人の期待通りにふるまってきました。
できのいい息子、よい夫、すぐれた父親というように。
会社では「優秀な戦士」として知られていました。

自分について自問したとき、何も答えられませんでした。
結局、あまりにも長い間、人の言いなりになってきたために
自分がどんな人間なのかわからなくなってしまったんです。
          (多国籍企業に勤める中年の重役)

          
「ワクワクする仕事をしていれば、自然とお金はやってくる」より
 マーシャ・シネター著  ヴォイス編 VOICE出版



人の期待通りにふるまうと、
その時はいい気持ちだが、
その後、気持ちの中で何ともいいようのない違和感を感じ、
居心地悪い思いを、私はするのだが、
そんなことを感じることも押さえて、
あるいは、感じないまま、
長い間、人の期待通りに
(本人が意識しているかどうかは別にして)
生きてきてる人も多くいる。

立派に役割を生ききっていく人もいるだろう。
しかし、…そうか、気が付いたときには、
自分がどんな人間かわからなくなっているんだなぁ。

そういう役割を生きている人の回りの人は、
特に家族は…どんな思いでその人をみてるんだろう…



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2004年11月13日(土) 何かを愛するということは、必ずしも情熱を感じることではありません。

何かを愛するということは、
必ずしも情熱を感じることではありません。
それどころか、最愛の愛というものは、
恐らく情熱と呼べるものではない、
という事実をお伝えしたいのです。

心から愛している人たちを思い浮かべてください。
配偶者や母親、自分の子ども、ペット、あるいは親友。
これらの人たちに、あなたは果たして「情熱」を感じるでしょうか?
私は感じません。

「情熱」は熱い感情で、他のすべてのものを排除します。
そして、あっという間に燃え尽きます。
私は、そんなものを持っていないからといって、
悲しむ必要はないと思います。


「本当に好きなことをして暮らしたい!」より
バーバラ・シェール著  永田 浩子訳
               VOICE


ああ、よかった。
情熱なんて持ってないものなぁ…
ないといけないもの、
ないと何事も成功しないものかと思い込んでいて、
情熱のあまり持てない自分が歯がゆかった。
でもどうやら、持っていなくてもいいらしい。

熱く燃える情熱を持っている人は、すばらしいと思うし、
そういう人たちには、爆発的パワーをうまく活用して
情熱がなければ成し得ないことをしてほしい。

私のように、あまり情熱は持てないものは、
小さくでも静かに長く燃えている自分の中の
内なる想いを持ち続けて、出来ることをしていきたい。


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2004年11月12日(金) 「愛されたい」というのは私の欲求であって、

「愛されたい」というのは私の欲求であって、
私のまわりの人が私のために
満たしてやらなければならない
義務ではないということです。(略)

人はえてして、相手に対してつい
自分勝手な期待を抱いてしまうものです。


「なんでわかってくれないの!」と思ったときに読む本 より
 トーマ・ダンサンプール著 高野優監訳 野澤真理子訳
 紀伊国屋書店



うーん、その通りなんだよなぁ…
私の欲求を(愛されることだけでなく)
満たしてくれる義務は、誰にもないのだ。

もし、満たしてくれる人がいたら、
それは感謝しなくていけないことなのだなぁ。
ありがとうと言わなくちゃいけないことなのだなぁ。


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2004年11月11日(木) 恋愛感情がそのまま誠実さにむすびつくわけではない。

恋愛感情がそのまま誠実さにむすびつくわけではない。
相手を死ぬほど愛していながら、それでも誠実さに
欠けることがある。

それは、相手の愛に自信がもてなかったり、
自分の気持ちと闘っていたり、
まだその感情になじんでいなかったり、
突然の引力に引き寄せられてしまっただけの
場合もあるからだ。



 「借りのある人、貸しのある人」より 
       フランチェスコ・アルベローニ著
       泉 典子訳  草思社



恋愛や、結婚における誠実さってなんだろう…
いったい何を誠実さと言うのだろう…
だいたい誠実って何?
昔から疑問に思ってきた。
何となくイメージはあるが、実はよくわからない。
(もっと突き詰めて考えたらわかるのかも…)
求める誠実さ、認める誠実さは個人差があるようにも思う。
結局、今もわからないままで、
もちろん、答えは見つかっていない。

もっとも、誠実さとはどういうことか、
恋愛だけの問題ではないと思う。

できるだけ誠実に生きたいと思って生きていた。
(つもりである…かな)
人は裏切るまい、出来るだけ誠実であろうと…
しかし、そういう思いと裏腹に、
誠実に生きてきたかと問われたら…
私は答えに窮する。(情けないが…)

誠実だったときもいっぱいあるが、
誠実でなかったときもいっぱいあるからだ。
自分に対しても、他人に対しても。
いつも誠実いたい、ありたいと思うが、
いつも誠実ではいられない…
これが私の答えかもしれない。




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2004年11月10日(水) 心の中で自分をののしるのはやめましょう。

心の中で自分をののしるのはやめましょう。

心の中の独り言が
断罪、罵倒、愚痴などで塗り固められていると、
そこから自信など生まれようもありません。

自分自身にやさしい言葉をかけてやらなければ、
自己否定のテープが相も変わらず流れ続けるでしょう。

あなたは意識するしないにかかわらず、
自分自身と対話しているのです。


「嫌なものは嫌ときっぱり伝える対話術」より
 バルバラ・ベルクハン著 瀬野 文教訳
             草思社


確かに自分の心の中で、自分と対話しているなぁ。
ああでもないこうでもない、
もしかしたら、ああかもこうかも、
こうしようかな、でも無理かな…などなど。

同じ対話をするなら、迷ったり、
ぶつぶつ言ってばかりいるよりは、
自信が出るような対話がいいなぁ。




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2004年11月09日(火) とにかく、まずは自分の思いを伝えることである。

とにかく、まずは自分の思いを伝えることである。
ただ断っておくが、“すべての思い”を伝えるべきだと
言っているのではない。

伝えるか否かは、あなたの常識で判断してほしい。
また、思いを伝えたからといって、すぐにあなたの
気持ちがわかってもらえるというわけでもない。

この点は心得ておくべきだろう。
相手にも日々の暮らしがあり、心配事だってあるのだから。


「ささいなことでカッ!となる男たち」より
トーマス・ハービン著 深井 照一/佐藤 美保訳
                 廣済堂出版



誰かに何かを伝えることが、むずかしくなっていると感じる。
というより、ややこしいと思うようになった。
自分も含めて、人が傷つきやすくなってきていて、
過剰反応してるのだろうか…
伝える側も、伝えられる側も
微妙な感情の揺れの調整がむずかしい…

伝えるときに、ことばを選び、相手がどう感じるかを考え
怒りを買わないように慎重に伝えなければならない。
もし、これを伝えて逆ギレされたら困るし、
何をされるか分からないと、心のどこかで用心してしまう。
全否定されたら、それも頭にくる。
身近で弱みを見せてしまっている人なら、なおさらである。

また、関係を壊してしまう始まりや、
完全に壊れてしまう場合も多い。
仕事がらみなら、もっと違う要素もはいってくる。

その中で伝えようか伝えまいか迷う…
どっちが自分に得か、損か…伝えたらどうなるか…
また、どう伝えようか自分の中で葛藤が始まる…
例えそれが、伝えた方が相手にとっていいことであってもだ。

それでも…それでも、
やっぱり伝えようと心から思ったら伝えようと思う。
誤解やリスクを恐れずに…
そうして相手に多少でも伝わったら、よしとしよう、
もし多少でも伝わらなかったら、
相手がそれだけの人だったと思うことにした。
コチラの誠意や思いが伝わらない人には、どうやったって、
伝わらないだろうと思うようになったからだ。
しかし、そう思いつつも、怖いことだと思ってしまう…


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2004年11月08日(月) 他人と結びつくことのできる唯一の方法は、役割対役割ではなく、

他人と結びつくことのできる唯一の方法は、
役割対役割ではなく、人間対人間の結びつきです。


 「ハッピーエンド・コンプレックス」より
  リー・モリカル著 木村 治美訳
              集英社



役割という簑に隠れて、
自分の本当の想いや、人間性を出さない人は結構いる。
役割でいた方が、自分をさらけ出す必要もないし、
その役割に従って生きていればいいので、楽なのだろうか…
役割が自分のすべてになっているかのようだ。
そういう人との話は、ちっとも楽しくない。
本音が聞けないし、その人の意見も出てこないからだ。

例えば、仕事をしていて、
異動によって役割が変わって、以前の役割だったときと、
言うことが全く違う人がいる。
よくもまぁ180度もこう変われるものだと思うが、
本人はこのやり方が正しくて、自分の役割だと思っている。

友人の1人は、とてもいい母親だが(と思う)
「あなたは、どう思うの」と聞いても、
「一般的には、こうだ」とか「こうある(する)べきだと思う」
というべき論とか、一般論的なことばかりで、
本人の意見が出てこない。

役割の奥に、その人自身の人間性がないと、
本当にはその役割さえ、無意味なものだと思うのだが…

本当に、それでいいのか?と
問うてみたくなる…
(きっといいのだろう…な?)


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2004年11月07日(日) 表面が波立っているからこそ、目先の変化にとらわれてはいけない。

表面が波立っているからこそ、
目先の変化にとらわれてはいけない。


「きっと芽が出る人の法則」より 江口 克彦著
                PHP文庫



わかっているが…、
何かが波立てば、動揺はするし右往左往する。
目先の変化に振り回される。
そんなに強い人間ではないので仕方ない。
(などと言ってばかりいちゃ、進歩はないが)

けれど、だからこそ、
このことばを忘れずにいたい。
あたふたして上っ面ばかり見ていないで、
ちゃんと本質をみなければ…
見えることばかりに、とらわれずに
見えないけれどちゃんとあるものも感じなければ…



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2004年11月06日(土) 「精一杯やってきたからいい」

真の自己愛とは持続的である。
失敗したときはもちろん、成功したときでさえ、
持ち続けているものだ。

大切な人(肉親や恋人)を失った自分を慰めるときや、
仕事で思いがけず大きな成功を勝ち得たとき、
他人のとの関係や過去の自分の行動のすべてに対し、
「精一杯やってきたからいい」と言い切れることである。

そうしたとき、はじめてこの言葉を使うことが許される。
そして、何よりもこれは自分に向かってだけ
静かに語られるべき言葉なのである。


 「病気未満」の心のクリニック より
  高橋和己+高橋由美著  ダイヤモンド社より



「精一杯やってきたからいい」…

今の自分に、そういえることがいくつあるか…
今、本当に精一杯やっているか…
そして、何かあったときに、
自分に静かに語ることができるか…

今の自分だと「やれるだけはやってきた」のレベルだ。
決して精一杯という感じではない。
なので、言い訳が多くなるし、納得がいかないことも多い。

「精一杯やってきたからいい」
こう自分に静かに言い聞かせられるようになりたいものだ。




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2004年11月05日(金) いつも有能で、自制心があって、なんでも知っているように思われたい。

われわれはたいてい、初心者になることを
極力避けようとする。
いつも有能で、自制心があって、
なんでも知っているように思われたい。

しかし、これは人間の普遍的な目標ではない。
それどころが仏教徒はいわゆる“初心者”を追い求める。
「わたしは知らない」という心の姿勢だが、
無知や無分別とは違う。
むしろ、そこにあるものと無心に向きあうことだ。
それについて考えたり語ったりしない。


『「思い」と「言葉」と「身体」は密接につながっている』より
マシュー・バド医学博士&ラリー・ロスシュタイン教育学博士著
                       VOICE



「いつも有能で、自制心があって、
 なんでも知っているように思われたい」

私のことだな…
(あっ、「朝まで生テレビ」に出てる人たちもだな、
 全部じゃないかも知れないが…)
そうか…無心に向き合うのか…
むっ難しい…





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2004年11月04日(木) 「思いが現実化する」ならば、すでに現在の運命は、「過去の想念の産物」と言えます。

成功哲学では、
「潜在意識が運命をつかさどる」とされています。
キリストは「強く念じれば山も動く」と表し、
仏教では「念じれば花開く」と教えます。
手法は異なりますが、“心を集中させると願いがかなう”と
伝えている点は共通です。(略)

また逆に、「思いが現実化する」ならば、
すでに現在の運命は、「過去の想念の産物」と言えます。
今、現実が不満足なら、
「自己の潜在意識から、運を悪くする考え方を発見し、
 改善すれば運は向上する」と考えられます。


「セルフ・トレーニング術」より  佐田 弘幸著
                 総合法令




現在の運命は、「過去の私の想念の産物」か…
うん、そうかも知れないと思う。
確かに、今の自分の姿を、
過去から無意識のうちに描いていたように思う。
ぼんやりながらも。

しかし、こう考えると、ちょっと怖い気もする。
今の自分を作って来たのは、
誰でもない、自分だと自覚せねばならないからだ。
そして、これからの未来も、今、作っているのかも
知れないからだ(いや、きっとそうなのだ)

うかうかしていられないぞ…
明るく、楽しく、豊かな未来を描かねば…
充実した仕事をしている自分を描かねば…
これからは、意識もして自分の未来を描いていこう。
おーーっ!
(などと、夜中に決心してみる…)



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2004年11月03日(水) 10代や20代の女を男はいくつになっても欲しがるようですが、

10代や20代の女を男はいくつになっても欲しがるようですが、
10代20代の女の性なんて、場末の洋食屋のデザートか、
肉の少ないカレーライスくらいのもので、味もそっ気もないが、
ただ、飢餓感が一時なだめられるという程度じゃないですか。

女の性の味は、自分の舌が肥えるのもまさに40代、
食べられて美味しくなるのも40代と断言してもいいと思います。


 「わが性と生」より   瀬戸内 寂聴著
                 新潮社



おおっ…
瀬戸内さんはいいことを言ってくれる。
(男性諸氏や若い女性からの異論はあろうが)
うーん、こうすっきり言ってくれると、
なんだか妙に嬉しい…
溜飲が下がる…(単純)

食べられて美味しくなるのも40代…かぁ。
ふっふ、そうか、そうだったのか…
そう思っていれば、余裕も出来るな。
これからだな…
(などと、ほくそ笑んでみる)

人間誰でも年を取る。
生きていれば、誰もが40代になる。
そのときに、その40代をどう定義していくか、
どう輝いて生きていけるか…
心構えが大事だなと、思った次第。


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2004年11月02日(火) それほど、人間の心の奥は深いものなのである。

親しい間柄であっても(友人・恋人・夫婦)、
いくら話し合っても分かりあえない、
理解し得ないことがある。

自分の考え、思い、気持ち(悲しみ・苦しみ・喜び…)が
わかってもらえないことがある。

それほど、人間の心の奥は深いものなのである。
その心の奥は、自分さえわかっていないことがある。

とすれば、他人にすべてをわかってもらおう、
と期待するのが無理な相談なのだといえよう。


「せつない気持ちが、ふっきれる本」より
        近藤 裕著  三笠書房




分からないことはある。
これはもう仕方がない…

分からなくてじたばたしたって仕方ない。
分からないものは分からない。
愛してるから、頭がいいからと言って
分かるものではない。
話せば全部分かるってものでもない。

無理に分かろうとせずに、分からないことは
分からないまま持ち続けて、
いつか分かるときがくるかも知れないし、
わからないままで終わることもあるかもしれない。
それでいいと最近は思う。

分かってもらうことも…無理したくないし、
分かってくれるところだけ、分かってくれたら
十分だと思う。



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2004年11月01日(月) おまえたちの幸福を願うにあたって、わしは大きな勘違いをしてしまった。

わしが遺言書を通じておまえに学ばせたいと
願っていることの一つひとつは、ふつうならば
それぞれの人間がその人生で障害や問題に立ち向かって
ゆく中で身につけるものだ。
最終的にうち負かされなければ、難問にぶち当たるたびに
わしらは強くなる。

わしが人生でおかした最大のミスの一つは、
おまえも含めてあまりにもたくさんの人間たちを、
人生の問題や障害から守ってしまったことだ。

おまえたちの幸福を願うにあたって、
わしは大きな勘違いをしてしまった。

人生でふつう直面する問題をおまえたちの周囲から
取り除いたがために、実はそれによってそうした問題を
超えてゆく能力までおまえたちから奪ってしまっていたのだ。


「究極の贈りもの」より  ジム・ストーヴァル著
          大島 豊訳  グスコー出版




その人を守る…ということがどういうことなのか…、
(身の危険を守ることは別にして)
守ってあげるつもりで、実はその人から
その人自身で立ち上がる力を奪ってはいないか…
(それぞれが意識してるか、してないかはわからないが)
守り過ぎて、問題をこじらすこともあるし…

守られすぎた人々が幸せなのかどうか…
しかし、反面何か大きなものに守られていると
思える気持ちを持てると、いろいろな苦労にも困難にも
立ち向かっていけるってこともあるし。

ああ、そうか、
守られた人が、「自分は、守られているんだ、
守ってもらったんだ」と自覚できるかどうか…
そういうことに、心から感謝できるかどうか、
これが大きいのかもしれないなぁ。





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