ことば探し
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]
 

2004年06月30日(水) 人はみな、物事が順調なときには創造性を十分に発揮しきれない傾向があります。

人はみな、物事が順調なときには創造性を十分に
発揮しきれない傾向があります。
しかし、危機的状況に置かれてせっぱつまると、
突然、創造性の車輪が回転し始めるのです。


「いいことあります」より  ソーニャ・ショーケット著
                    伊達 尚美訳




順調だと、ついついこれでいいと思いがちだし、
その順調さを壊したくはないので、考えなくなりがちだ。
もちろん、そんな中でも、こうした方がいいのではないかという
改善策等は思いつくが、それは、どうも創造性とはあまり
関係ない発想のように思える。
(創造性ある改善策もあるとは思うが…)
自分を追いつめないと、創造性が出ないというのは
情けないが、当たっている気がする。
少なくても私はそうだな。

しかし、創造性はどうして出すか…
自分を追いつめなくても創造性のある人が私は羨ましい。
自分を追いつめても、創造性が本当に出てくるかどうかわからない
私には、創造性豊かな人はあこがれであるなぁ。


My追加



2004年06月29日(火) 人間はだれもが相反するものをもっている。

人間はだれもが相反するものをもっている。
人付き合いではその相反するものをフルに出した方がいい。
いくらネアカと言われたって、ネクラの部分は必ずある。

表に対する裏の部分を出すことをためらってはならない。
自由に生きると言うことは、表の自分と裏の自分を込みにして、
ワン・セットで出すことである。それは決して欺瞞ではない。


  「心を開いて生きる」より   国分 康孝著



明るい自分もいれば、暗い自分もいる。
楽しい自分もいれば、寂しい自分もいる。
何かを主張したい自分もいるが、主張したくない自分もいる。
目立ちたいと思う自分もいるが、目立ちたくないと思う自分もいる。
お金がほしいと思いながら、お金がすべてではないと思う自分もいる。
信じたいと思っていても、信じられない自分もいる。
これでいいと、思った後に、本当にこれでいいのかと思ったりする。

そんな自分の中の相反する感情や性格と、
折り合いをつけて、うまくつきあっていきたいものだ。
自分の中の、そんな感情や、性格とうまく付き合っていけたら、
恐らく人に対して自分を開示するのは怖くないだろうなと思う。
これが自分だと開示出来たら、強くなれるだろうなぁ。








My追加



2004年06月28日(月) 一緒に溺れたら元も子もない。

世の中には、さまざまな問題を抱えて苦しんでいる人が大勢いるが、
こうした人々の力になるには、
まず、自分自身にゆとりがなければならない。
溺れている人を助けるには救命道具がいる。
一緒に溺れたら元も子もない。

自分自身の要求が完全に満たされてこそ、他人に惜しみなく与え、
なおかつ自分が傷つく心配をしなくてもすむだけの余力が生まれる。
また、この線までなら人に与えてもいい、と
境界線を決めておけば、エネルギーを吸い尽くされる心配もない。


「いつもいいことが起きる人の習慣」より

             トマス・レナード著
                 堀 紘一訳




自分の要求が完全に満たされることがあるかどうかは別にして、
人を助けるには、余裕がいると思うし、
今の自分の力がどのくらいかは知っておくことが大切と思う。

そうしないと、エネルギーを吸い取られて、
こちらがへろへろになってしまうこともあり得るし、
一緒に溺れてしまうこともあり得るからだ。
それに人を助けて、その見返りを要求しないでいられるには、
それこそ、精神的にも金銭的にも余裕がないと無理な気がする…

余力や余裕がなければ、人を助けないというのではないが、
一緒に溺れたら元も子もないので、
自分の今の力や、容量がわかってないと、
なかなか助け船さえ出せないと私には思える。
うーん、今は、余力も余裕もあまりないなぁ…私。





My追加



2004年06月27日(日) どうしたら、これでいいんだって思えるんだ?

どうしたら、これでいいんだって思えるんだ?
こんなにめまぐるしく変わっていく世の中で、
いったいどうしたら、これでいいんだって思えるんだ!


              ヤング・ラスカルズ





まさに今日は、こんなふうに叫びたい気持ちの日であった。
ラスカルズさんと、同じ気持ちです。


My追加



2004年06月26日(土) 私がつかさんの演出術で一番好きな部分は、

私がつかさんの演出術で一番好きな部分は、
いったん自分が舞台に立たせた役者には、
たとえどんな小さな役でも、最低一カ所は
見せ場をつくってやるという考え方です。

そして、これでもかと観客に面白さをサービスして、
「入場料分だけはしっかり楽しんでもらうぜ」という
演劇人の心意気です。


「儲けを生みだす表現力の魔法」より  平野 秀典著



つかこうへいさんの演劇はまだ見たことがない。
でも、このことばを読んで、行ってみようかという気になった。
表現力があると、こんなふうに気持ちが動く…
やっぱりさすがです…

「表現力」とは「伝わる力」だと平野さんは言う。
「伝わらなければ、どんないい商品も、それはお客さんにとって存在しない」
「伝わらなければ、どんなに知識があっても、それは存在しない」
「伝わらなければ、どんなに愛情があっても、それは存在しない」 
演劇に限らず、仕事でも日常生活でも、「表現されない実力は無いも同じ」

うーん、厳しいなぁ…表現力を磨かなければ…











My追加



2004年06月25日(金) 乳母車に赤ん坊を乗せて、公園を行ったり来たりしている中年の男の人がいる。

乳母車に赤ん坊を乗せて、公園を行ったり来たりしている
中年の男の人がいる。
赤ん坊は火がついたように泣き続けている。
男の人は顔をしかめて、
「我慢するんだテリー、我慢するんだテリー」

そばを通りかかった女の人が見かねて、
その赤ん坊をあやそうと思い、
「この赤ちゃん、テリーちゃんっていうんですか?」
と聞くと、男の人が答えた。
「テリーというのは、わたしです」


            アメリカジョーク集より




いとこに第2子が生まれたので、会いに行ってきた。
大きくて元気な男の子で、ものすごい声で泣きわめく。
私はなすすべもなく「おおっっ」と呆然と見ていた。
いとこは「我慢の限界を超えそう」と苦笑して抱き上げた。

そうだ…子育ては大変なのだなぁ…。





My追加



2004年06月24日(木) 「考えすぎ」は考えないことに通じるのです。

「考えすぎ」は考えないことに通じるのです。

当たり前のことですが、裏の裏は表です。
人の言葉の裏を読み、さらにその裏を考え、
という具合に突き詰めていったら、結局相手が言った通りだった
などということは、よくあることです。

これが考えすぎということです。
ずうっと回り道をしていって、
結局相手の言ったとおりのことにたどり着く。
それだったら、最初から相手の人の言うことを信じてしまうほうが
気持ちが楽になりそうです。


 「開き直れば強い力がわいてくる」より    大野 裕著



「考えすぎ」ると、動きがとれなくなる。
ものすごいことのように思えて、頭がいっぱいになってしまう。
きっとこうに違いない、でも待てよ、もしかしたらこうかも、
いや、別の人はこう言っていたな、だから違うのかな、
だとすると、本当にはこうかな…などなど…
頭の中を考えが堂々巡りする。
こんなことをしていると、ほとんど結論が出せなくなる。
次の一歩に踏み出せなくなる。
どれを選んでも、うまく行かないような気になる。

考えすぎても、最終的に
「でも、だからいいや、これで」とか
「まぁいろいろあるけど、これで行こう」とか
「こう考える人もいるだろうけど、私はこれでいい」とか
結論を出せて、考えがまとまればいいと思う。

しかし、「考えすぎ」る人は、その自分の出した結論にも
でも、ちょっと待てよ、本当にこれでいいのか、
誰かに聞いてみようとかになってしまうのだ…

うーん、つまり自分の考えに自信が持てないってことに
通じるなぁ。






《ちょっとひといき》
我が家で収穫したブロッコリーを湯がいて食べてみた。
お世辞にも「おいしい」とは言えなかった。


My追加



2004年06月22日(火) 男性にとって女性との喧嘩ほど面倒くさいものはありません。

男性にとって女性との喧嘩ほど面倒くさいものはありません。
いくら長い時間言い争いを続けても、
結局のところ結論は出てこないし、
ものすごいエネルギーを無駄に消耗してしまいます。


 「男が女を嫌いになった日」より   三枝 成彰著



この本は読んでいると、「おいおい、そうかよぉ、違うだろう…」と
異議を唱えたくなることが多かったのだが、
(ちょっとムカつきながら)
「うん、まぁそうかもね」と思うこともいくつかあった。
その中の1つがこのことばである。

ただ、女性の私から言わせてもらえば、
男性と喧嘩をすると、かなりガックリと来て疲れる。
言いたいことが決して、理解してもらえないなと
身にしてみて思うからだ、
やっぱりわかってもらえない、と感じるからだ。
「で、何が言いたいの?」などと言われると、力が抜ける。
あーあ、やっぱりね、と。






《ちょっとひといき》
育ったブロッコリーを収穫。売ってるのと同じくらいの
大きさになるかと期待していたが、表面が黄色くなってきたので、
早めに収穫することにした。




My追加



2004年06月21日(月) 学生に教える先生はクビ

カナダのオンタリオ州に、マクマスター大学というのがある。
この大学の医学部では、教官が辞令をもらうにあたって、
「学生に直接知識を伝授した場合は退職します、という
 条文にサインしなくてはならないのです」
と、浜松医科大教授(脳神経外科)の植村研一さん。

つまり、学生に教える先生はクビ、という
ビックリ仰天するような医学部なのだ。
いったい、なぜそんなことになったのか。

「それは、医学生が学ぶべきなのは知識ではない、
 必要なのは自分で発見する能力であり、
 自分で問題を解決する能力なのだ、という
 学長の信念から生まれた制度なのです」


 「読むクスリ」より   上前 淳一郎著



これは、「世界の常識、日本の常識」という項に
書かれていた内容の一部である。

常識が違うって、すばらしいなぁと思う。



My追加



2004年06月20日(日) 「エネルギーの法則」はとてもシンプルです。

「エネルギーの法則」はとてもシンプルです。

あなたが否定的なエネルギーをもっていれば、
否定的なエネルギーを引き寄せ、
あなたが肯定的なエネルギーで満たされていれば、
肯定的なエネルギーを引き寄せる。

というものです。


 「前世セラピー」より   平池 来耶著



シンプルなだけに…わかりやすいな…。
しかし…しかしだ、自分をみると、
時々、ものすごく肯定的になったり、
いきなり、否定的になったり…するんだなぁ、これが。
いつも、肯定的とはいかないなぁ…
でもまぁ、人間だから、仕方ないな。
実際否定的なこともあるんだから…
なんて思ってちゃ、いかんのかな…
甘いのかな?


My追加



2004年06月19日(土) 相手に喜んでもらいたい、それが自分の喜びにつながることは確かですが、

相手に喜んでもらいたい、それが自分の喜びにつながることは確かですが、
時には、相手に気づかれなくても、それが徒労だとしても、
ちゃんと喜べる人間になりたいと思ってます。
つまり、見返りを何も期待しないということでしょうか(略)

与える喜びの中で、とても大切なことは、ちゃんと自分で自分に
喜び与えられるということでないでしょうか?


    「わたしのためにできること」より  唯川 恵著 



人に与えて、見返りを求めないのは
ものすごく高等な精神がいるような気がする…
だって、人に与えたら、自然に見返りは欲しいと思ってしまうものなぁ。

でも、そう思ってばかりいるのも、
どうにもみっともないし情けないことだとも思う…
見返りを求めるのことが、あまり自分の中で美しくないことだと
心の中で思っているからだ。
(にもかかわらず、求めてしまうのだが…)
やっぱり、本当には見返りを求めず与えるようでありたい…なぁ。

しかし、自分が与えられたら、ちゃんと見返りはしようと思う。
それが礼儀なような気がするから。
せめて最低限、お礼だけはちゃんと言おうと思う。

兄が、出張先の山形からさくらんぼを送ってくれた。
兄弟といえども、やっぱり何かを返さなくてはと思うので、
お礼だけでなく、今度は何かを兄宅に持っていこうと思っている。
何にしようかな…と苦痛に思わず、楽しく考えられるのが一番いいのかな。






My追加



2004年06月18日(金) 無償の愛をそそぐには、思い切って信じることが必要です。

無償の愛をそそぐには、思い切って信じることが必要です。
しがみつくようにしか愛せないのは、パートナーへの信頼が
根本的に欠けているからにほかなりません。
意識しているといないにとにかかわらず、
「あなたの愛が信じられない」といっているようなものです。

なるほど、パートナーが信頼に値しなかったり、
信頼に応えられなかったりするのかもしれません。
ただし、ひとつだけ肝に銘じておいてください。

首輪をつけておけば忠実に愛する方法を
教えこめるというものではないのです。
なんらかの関係を築きたいなら、相手を信頼しなくてなりません。
それは避けては通れないことです。
しがみつくだけではうまくいきません。


「くよくよするな」ブックス    リチャード・カールソン著
                        安野 玲訳



本当にその通りと思うが、
信じることはなかなか難しく…
ましてや無償の愛なら…こちらが欲しいくらいなので…
どうにも、うまい具合に、ちょうど良く信じたり、愛したり出来ない。

こればっかりは…簡単に出来るいい方法などなくて、
右往左往したり、頭を抱えたり、悩んだりしながら
身につけていくしかないのかもしれない。
ちょっとづつ悟ったりして…






My追加



2004年06月17日(木) 心にどんな「栄養」与えてますか?

心にどんな「栄養」与えてますか?
暴力的で悲観的なものだけでは、希望に満ちた姿勢は維持できません。
同じように、
不平やゴシップや暗い話しばかり垂れ流す人といっしょにいれば、
あなたの気性まで影響を受けてしまいます。

心に与える栄養は慎重に選びましょう。
聞いたり、読んだり、見たり、参加したりするものを通して、
生活のなかに気分を高揚させる体験を気前よくちりばめましょう。

悲観的なタイプの人と過ごす時間と、
楽観的なタイプの人と過ごす時間を、
バランスよくふりわけてください。


 「くよくよするな」ブックス    リチャード・カールソン著
                         安野 玲訳



ある人に会って「この頃感動したことあった?」と聞かれた。
あまり大きな感動は思いつかなかったので、
「ロードオブザリングを見て、すごさに感動した」と答えた。

「どこに感動した?」とさらに問われて、
「こんなスゴイ映像を作れる人がいること、映像のすごさ、
 出演者のステキさ、ともかく面白かったこと、わくわくしたこと」
と答えた。

ただ考えてみると、映画制作者が伝えたかったこと、
(例えば、友情とか、生きるものの弱さとか強さとか、勇気とか)
指輪物語に貫かれている本筋の哲学や意味、ストーリーについては、
あまり深く考えたりはしなかったし、
生き方のヒントになるという感じではなく、
ただ全体の映像のすごさに感動していたような…
心の栄養になっているかな?

でも、スゴイ!と思えること、
素直にいいなぁと思えることは、
心の栄養になると思うから、きっとなっているに違いない。











My追加



2004年06月16日(水) 「“こころ”がわかればすべてがわかる」という安易なコンセプトがマスメディアの中で成立してしまっている。

確かに人間の行うことには、それが経済、政治活動でもスポーツでも
恋愛でも犯罪でも、その背後には必ず行為者の“こころ”が絡んでくる。
それは事実だ。
しかし、だからと言って、その“こころ”の部分を解説すれば
人間のすべてがわかる、ということにはならないはずだ。
それなのに、いつの間にか、
「“こころ”がわかればすべてがわかる」という
安易なコンセプトがマスメディアの中で成立してしまっている。


 「インターネットマザー」より   香山 リカ著



人のこころはわからない…だから知りたいと思うが…わからない。
わかったふりは出来るが、実は全然わからない。
わかったと思う瞬間があっても、次にはまたわからなくなる。
未だに隣人のこころもわからない、
両親のこころもわからない。
きっとそんなものなのだと、思っているが、
わかろうとする気持ちがあるかないかの差はとても大きいように思う。







My追加



2004年06月15日(火) ものごとがうまくいっていない時ほど人は他人に認めてもらいたくなる。

ものごとがうまくいっていない時ほど人は他人に認めてもらいたくなる。
うちひしがれている時こそ、他人から肯定してもらいたくなるものだ。
リストラされて、家族を養えなくなると不安になっている男性や、
恋人に捨てられた女性、顧客を逃したセールスマンは、
存在を肯定してもらうことで自尊心を取り戻そうとしている。


「わたしはなぜ、誤解ばかりされるのか」より 
         
          ジョーエレン・ディミトリアス著  富田 香里訳




ものごとがうまく行ってないと、いらいらして人に当たったり、
周りの人のことを考える余裕がなくなって、勝手な行動をしたり、
まったく自分の殻に閉じこもったりしてしまう。

こういう態度なのに、他人に認めてもらいたいと願ってもそれは
無理だと思うのだが…優しい言葉はかけてもらいたいと思う。
認めてもらいたいと、心の中で思っている。

しかし、そんな状態の時には、優しい言葉や、思いやりをかけてもらっても、
優しい思いが伝わらず、感謝出来ないことが多い。
いろんなことに敏感になっているので、
逆に皮肉にとったりもする。

人間って、何だか悲しいなぁ…
どうして、素直に感謝出来ないんだろう。
素直に、人の思いやりを受け取れないんだろう。
本当には、その思いやりをかけてくれた人も、
落ち込んでいる人を見て、苦しんでいるかも知れないのに…





My追加



2004年06月14日(月) 感じたことに言葉を与えることが出来たら、その感情は自分のものになる。

感じたことに言葉を与えることが出来たら、
その感情は自分のものになる。


            ヘンリー・ロス(作家)


感じたことをことばにするのは、案外難しい。
なんて表現していいか、わからないことが多い。
しかし、なんとか表現したいと思う。

自分の感情と、ことばがぴったりとくると、
そうそう、そんな感じ!と嬉しくなる。
そして、それが、伝えたい人に伝わるともっと嬉しくなる。



My追加



2004年06月13日(日) たった1つのものでよい。絶対に確実なものを掴まねばならない。

どんなにほんとうらしいものを無数に知っていようとも、
それがただほんとうらしいものであって
ほんとうのものでなければ何になりましょうか。(略)

たった1つのものでよい。
絶対に確実なものを掴まねばならない。
いざという時に燦然と輝く1つの金剛石をもつことが
必要なのであります。


 「自分で考えるということ」より   澤潟 久敬著



うーん…
確かに…
何かを掴んでいる人というのは、強いと思う。
何かを掴んだ人は(コツとかも含めて)その掴んだものを基盤にして、
いろいろなことに応用してやっていけると思う。
その掴んだものをパワーの源にして、他のこともやっていけると思う。
いったん、掴んだ人は、掴まない前には決して戻れないと思う。

その何かを、掴めるか、掴めないか…
それは、偶然なのか、掴みたいという想いの強さなのか…
世の中には、掴んでる人と、掴んでない人がいる。
どうしたら、掴めるのか…
やっぱり、想いを持ち続けて、想いを信じ続けて、
コツコツとやっていくしかないのだろうな。
掴むまで。
何もせずに、何かを掴めることは…ないだろうと思う。







My追加



2004年06月12日(土) 超能力の源は人間の潜在意識です。

超能力の源は人間の潜在意識です。
潜在意識にはほとんど無限といっていい力が潜んでいて、
その出番を待っています。

したがって、自分の描いた人生プログラムを次々と実現していく人は、
自己の潜在能力をじゅうぶんに活用しているという点で
超能力者と呼んでいいでしょう。


 「できるできるあなたもきっとできる」より  越智 宏倫著



自己の潜在能力はどうして出せばいいのだろう…
私も超能力者になりたいが、どう潜在能力を出せばいいのかわからない。
「自分の描いたプログラム」が絶対的に必要で、
まず、そのプログラムを描くことが大事なのだろう。

そこで、そういうプログラムの作り方を教えてくれる本を
読み返してみることにした。
そういう本にまず、間違いなく書かれていることは、
「ともかく目標、希望、夢を紙に書き出してみる」と言うことで、
しかも、大事なことは「手書き」だそうだ。
そして、「こころから自分が望んでいること」に限るという。

さらに、毎日(何度でも)その紙に書いた目標、希望、夢を
声に出して読んで潜在意識に植え付けていく。
この方法は、とても簡単で、効果があるのが、やっている人は少ないと言う。
スポーツ選手もこの頃はイメージトレーニングを取り入れているが、
まず最初に、紙に自分の目標、希望、夢を書かせられるという。
その紙に書いてある自分の姿をイメージトレーニングの中で
思い描いて、自分の潜在能力を引き出して行くのだという。

よーしっ、やってみるか…
超能力者になるためのまず、第一歩を踏み出そう。
紙に書く、手書きで、自分の本当に望んでいること…。





《ちょっとひといき》
ブロッコリーが育ってきた…うっ嬉しい。








My追加



2004年06月11日(金) 私は災難のおきるたびに、結果的にそれがよったといえるようにいつも努力してきた。

私は災難のおきるたびに、結果的にそれがよったと
いえるようにいつも努力してきた。


               ロックフェラー



私もそうありたい…
そして、友人もそうであってほしい…


My追加



2004年06月10日(木) 夢のような出会いをあきらめて、現実の中に理想や野心を見出せることが、

夢のような出会いをあきらめて、現実の中に理想や野心を見出せることが、
「シアワセ」をつかむ第一歩なのである。
現実に妥協できずに、「ちょっと不幸」でいつづけたり、
あるいは新教宗教や結婚詐欺にだまされるより、ちょっとレベルを下げて、
自分のことを好きになってくれる人がいることを素直に喜べたり
(もちろん、そんな男といちいちつきあう必要はないが)
欠点があってもある程度「できる」上司や同僚を理想化できる方が
「シアワセ」にははるかに近い。


 「ちょっと不幸な私」を変える上手な甘え方  和田 秀樹著



今は、レベルを下げることが「負け」になってしまう時代だそうだ。
何からの「負け」になるのか、よくわからないが、
ともかく「負け」なのだそうだ。
(もちろん違う人もいる)
レベルを下げることは、自尊心を芳しく傷つけるらしい…
自尊心が傷つくと、攻撃的になるか、
無気力になるか…どちらかに振れる人が多いと言う。

レベルを下げた学校
レベルを下げた生活
レベルを下げた仕事
レベルを下げた結婚
レベルを下げた恋人

こう書いてくると確かに何だか切ないし、
確かに「負け」たような気がしてくる。

しかし、そのレベルは…自分の中で決めたレベルに過ぎない。
または、仲間内のレベルであることが多いのではないか。
それに、端から客観的に見ると、
自分では、レベルを下げた恋人と思っていても、
周りから見たら、できた恋人に見えてるかもしれない。
自分ではレベルの下げた仕事だと思っているかも知れないが、
実は、その仕事が自分にぴったりとあっていることもある思う。

そうしてみると、自分の中の何かから「負け」たのだろうなと思える。
自分で「負け」と決めているのだと思う。
つまり世間に「負け」たのではなくて、
実は自分に「負け」ているのではないか…

私は、「負け」たっていいと思っている。
「負け」たって、たかが知れていると思っている。
長い人生「負け」ることも現実にあるし、「負け」ても
自分で「負け」たと思わない限り、「負け」ではないのだし。
それに、「負けるが勝ち」ってことばもある。
レベルを下げて、シアワセになるなら、その方がずぅっと「勝ち」だと思う。










My追加



2004年06月09日(水) 人生ははかないロウソクの光りではない。

人生ははかないロウソクの光りではない。
それは、私がしばらくの間手に持つ、
たいまつの炎のようなものである。
私はそのたいまつの火を、自分が持っている間、
できる限り明るく燃やし続けたい。
そして、それを次の世代に手渡していきたい。


            ジョージ・バーナード・ショー


はかないロウソクの火と思うか、
たいまつの炎と思うか…その人の考え方によるのだろうな。
私は、たいまつの炎と思いたいな。
そう思った方が、私は生きていく力がわくから。


My追加



2004年06月08日(火) 粘り強さとは、身についたエネルギーである。

粘り強さとは、身についたエネルギーである。
粘り強い努力を賢明に、途切れることなく続いていけば、
やがてはそれが成功につながる。


 「探求心」より     サミュエル・スマイルズ
                   本明 寛訳



私は粘り強い方だと思う。
これだっ!と思ったら、まず諦めることはない。
何年でも、何年でも粘る。
じっと粘る…ひそかに粘る。
フラフラしながらでも、行きつ戻りつでも粘る。
未だに、粘っているものがいくつかある。
まだ、芽すらでていないものばかりだが、
そんなことはどうでもいい。
これからもきっと粘る。
芽が出て、花が咲くまで粘ってやるっ。
(しつこい!!)
どんな花が咲くんだろう…楽しみ。
(キレイな花だといいなぁ)

しかし、その反面…これだっ!と思わないものは、
とても諦めが早い。
ダメだと思ったら、さっさとやめる。
もう少しやれば、ものになりそうなことでも
途中で諦めたりしてしまう。やめてしまう…
お金をかけても、時間をかけてもそうだ。
仕事に必要なことでも、
生活に必要なものでも、そうだ。

この粘りと諦めのバランスがもう少し取れていたら、
人生が変わっていたかも…などと思うのだが…




My追加



2004年06月07日(月) アメリカのミシガン大学がおこなった調査では、心配事の80%は実際には起こらなかったとされています。

アメリカのミシガン大学がおこなった調査では、
心配事の80%は実際には起こらなかったとされています。
起きてしまうのは残りの20%だけで、しかも
そのうちの80%(つまり全体からすると16%)は、
順序立てて整理し、準備を整えて対応すれば発生には
至らず、解決できるというのです。

つまり、わたしたちの頭を悩ます心配事のうち、
本当に実現してしまうのはわずか4%にすぎない、
ということになります。

 「眠りはじめの5分間」より  佐藤 富雄著



「私は心配しているのよ…」母の口癖である。
母は心配症である。
自分のこと、私のこと、父のこと、いろいろと心配している。
これから起こりそうなこと、過去のこと、
起こってもいない出来事、起こりそうもないこと…
ともかくあれこれ心配らしい。

しかし…心配してくれない方がずぅっと嬉しい。
余計な心配はしてくれない方が、ありがたい。
いつもあれこれ心配されては、母に何も相談できないし、
(考えてみると、私は母に相談したことがない)
心配されることが心配で、とても話す気にもならない…
心配のあまり暗い顔して、ぶつぶつと文句を言うなら、
してもらわず、明るい笑顔の方が何倍もいい。
しかし、母は心配していることが、何かとても
みんなのことを想っているかのように思い込んでいる。

母には…明るく生きて欲しい。
楽しく生きて欲しい。
残り時間は、暗い顔でなくて、明るい顔で生きて欲しい。
もともと笑顔のステキな人なのになぁ。
心配するより、人生を受け入れて生きて欲しい…
それが、家族みんなの願いである。
その方がよっぽど家族にとっては嬉しい。
こんな想いはどうしたら通じるのだろうなぁ。
この想いは、希望でしかないのかなぁ…


My追加



2004年06月06日(日) 言いたいことがあれば存分に言い、時間など無視してでも言い尽くしたい、

言いたいことがあれば存分に言い、時間など無視してでも言い尽くしたい、
と言うことも人間性と呼べるならば、
言いたいことがあっても、相手の立場を考え、
あるいは、飯時には引き上げるという常識も、やはり、
人間性と呼んでいいのではないだろうか。


 「カウンセリングと人間性」より  河合隼雄著



隣人と言い争いをしてして、つい、言い過ぎてしまう。
(もちろん、隣人もそうなのだが…)
(隣人に対して出だけでなく、両親にもだな、言い過ぎるのは)
後で、あれは言わなければよかったとか、
あの言い方はちょっとまずかったなどと反省するのだが、
言い争いになると、また同じ過ちを犯してしまう…

言い過ぎると、こんなふうに、言った私も気分がよくなく、
言われた方も気分がよくない。
わかっているけど、一言多くなる…言い過ぎる。
日頃の不満やら、本音が出てしまうからだ。

そうしてその言い過ぎた余計な一言が、長い間かけて、
雪のように静かに積もって、とんでもなく大きな
雪崩を引き起こしたりする…

一言少ないくらいの方が、いいのではないかと最近は思う。
言い足りないくらいで、いいのではないかと思う。
その修行を積まねばと本当に心から思う…





My追加



2004年06月05日(土) 「女性の『いや』は『いい』と言う意味」と断定する男性がいます。

「女性の『いや』は『いい』と言う意味」と断定する男性がいます。
先日、若い男性がこんなことを言っていたので、
「どうして?」と聞いてみました。

「だって先生、女性ってそういうものですよ」と分かったようなことを言います。
20歳になるかならないかの男性が、女性の何たるかをわかるはずもありません。
よく聞いてみると、誰かにそう言ってそそのかされたようです。

彼には、
「それは君のお婆さんくらいの女性が、君と同じ歳頃だった昔のことで、
 現代もそうだと思っていると大恥をかくよ」とアドバイスしました。

女性が自分の感情を内側に隠して表に出さなかったのは、
もう何十年も前のこと。
今の女性は男性と同じように、好きは好き、いやはいやと
言葉にも態度にも表します。これが基本です。


 なぜかこの人の「ことばが力を持つ」より  多湖 輝著



そうそう、
未だに女性の「イヤ」は「いい」ということだなどと言う、
どうにも勝手な解釈をする男性はいる…
んなわけないって。
イヤはイヤだって。
男性は、自分がイヤだと言われた(つまり拒否された)ことを
認めたくないから、そんな勝手な解釈をするようにしか私には思えない。
ちゃんと、イヤはイヤだって。
感づいてほしいなぁ。

いや、かわいく「いやっ!」とか「いやん」は違うかもしれないか…
私にはもう言えないので、ありえないが…(寂)





《ちょっとひといき》
妙なガーベラ(なぜか、3つの花が1つになって咲いている)




My追加



2004年06月04日(金) 「楽しまなきゃ損だ」という言い方はとことん卑しい。

「楽しまなきゃ損だ」という言い方はとことん卑しい。
いったいいつから人生は損得勘定になったのか?
楽しいのは楽しいから楽しいのであって、
得をするために楽しむのではない。


    「まれに見るバカ」より  勢古 浩爾著



考えてみれば、そうだなぁ…「楽しまなきゃ損だよねぇ」
などと、よく言ってるような気がする。
深い意味はないが、恐らく
楽しむこと=得
つまらないこと=損
とどこかでインプットされたに違いない。
それか、つまらないことが多いので、楽しめそうな時には、
思い切り楽しもうというノリで言うのか…

しかし…
本当に「楽しまなきゃ損」なのか…
…うん、やっぱり損な気がする。

せっかく同じお金をかけるなら、楽しまないと損だし、
どっか行ったら、楽しまなきゃ損だし、
どうせ生きるなら、楽しまなきゃ損だし…
仕事するなら、つまらないより、楽しい方がいいし…

ただ、その楽しみ方が人それぞれあって、
私の楽しさが、他の人の楽しさと同じとはいえないかもしれないし、
私が損と思っても、他の人は、それを得と思うこともあると思う。
つまらないと思うことも、恐らく大いに違うだろう。
つまり、自分の中だけの、損得だってことなんだな。

自分が損でないと思えば、つまらないことも損でなく、
自分が楽しくても得だと思わなければ、それだけのことなのだなぁ…
じゃ、つまらなくても得だと思えば、2倍得かな…?








My追加



2004年06月03日(木) 相手を絶えず喜ばせ、満足させ、魅惑することは不可能。

エンターティナーになるな
相手を絶えず喜ばせ、満足させ、魅惑することは不可能。
対人関係を、いつもわくわくと楽しいものにし続けることはできない。
不可能だ。

あえて、不可能を可能にしようとすることは、自殺行為。
ネタがつきてしまう。
これを忘れてはならない。

ふつう、人の頭の中には20〜30時間分のネタしかない。
目新しいことを言ったり、おかしなコメントを吐いたり、
新奇な行動に出たりするにも限度がある。

しばらくすれば、
あなたの友人、知己、恋人は、
あなたの手持ちをすべて見たり聞いたりしてしまう。
そしてネタ切れになる。


「ビルとアンの愛の法則」 ビル・ナーグラー&アン・アンドロフ著
                         井上 篤夫訳 



友人が合コンをすると言う。
何かいいネタはないかと、ネタ探しをしていた…
で、こんなことばを思い出した…
うまく行ったかな、合コン。
相手は、内科医だそうな…
後で、聞いてみよう。




《ちょっとひといき》
レモンの実がついた。まだ1センチくらいの大きさ。



My追加



2004年06月02日(水) 人は環境に恵まれていればいるだけ、その分人に与えることができる。

人は環境に恵まれていればいるだけ、その分人に与えることができる。
ことはそれくらい単純なのだ。
もしあなたが豊かな人生を送っているなら……
愛し愛される人々がいて、精神的にも職業的にも満足し、
友人や楽しみ、金銭にも恵まれているなら、
おそらくあなたは自分の幸せを縮小することなく多くを
与えることができるだろう。

反対に、もし離婚問題を抱えていたり、
職場でトラブルを抱えていたり、
金銭的にぎりぎりの生活をしていたりするなら、
他人の要求を満たすためにたくさんの時間とエネルギーを
使うことははるかに難しいだろう。


「ブラックメール」 スーザン・フォワード著
              亀井 よし子訳



余裕があってはじめて、気持ちよく楽しく与えることが出来る、
うん、そんな気がする。
今は、まだ…余裕はないので、そうはなかなか出来ないが。
(今は、仮に与えるにしても、けちけち、気を遣いながら、
 与えてるような気がする)

私はいつか…、
気持ちよく楽しく与えることが出来るようになるかなぁ…
なりたいなぁ。











My追加



2004年06月01日(火) 悩みがあるのが人生というもの。

悩みがあるのが人生というもの。
自由なチョイスをし、責任感を持って、
進歩するという希望を捨てずに人生に向かうこと、
そして、自分にそんな力がないなどとは考えない。
これが健全さだ。

問題にとりくむかどうか、いつとりかかるかは、
自由に決められるのだから。


「頑張っていても不安なあなたへ」より  アン・W・スミス著



悩みがあるのが人生とわかっていても…
悩みの多さや大きさや中身が違うと思ってしまう。
そして、
人より自分の抱えている悩みは大きいと思いたくなる。
自分の悩みは特別で、解決が見えないと思いたくなる。

しかし、そんなことはなくて、
いつの間にか、なくなっている悩みもあれば、
ちゃんと解決できた悩みもあったり、
自分の考え方をかえたら、すんなり受け入れられたり、
時がたつと、忘れてしまう悩みも多い。

自分が30歳のときに何で悩んでいたか、
もうすっかり忘れている。
いや、一年前の悩みさえ、すっかり忘れている…

先日、20歳の時の悩みはどうだったのか、
20歳の時に書いたノートを読み返してみた…
ものすごく恥ずかしかった…
ものすごく…笑ってしまった…
悩みは…ほとんど恋愛で、些細なことをああでもない、
こうでもないと、相手の気持ちを分析してばかりいた。
それで、相手がわらないと悩んでいたようだ…

自分の悩みって…そんなものなのだぁとしみじみ思う。
(ちょっと情けないが…)







My追加


 < 過去  INDEX  未来 >


 
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加