2002年11月30日(土) |
感情は行動によってもたらされる。 |
感情は行動によってもたらされる。
心理学者 ウィリアム・ジェイムズのことば
つまり、こういうことであるらしい。 行動が感情を呼び起こすということで、 「幸せそうにしていないと幸せにはならない」 「熱意あるように行動しないと熱意が出てこない」
行動すると言うことが、感情と密接に結びついているらしい。 確かに、自ら行動に移すことで、感情の持ち方が違ってくることは よくある。
むずかしいことは、よくわからないが、 幸せそうにすることが大事らしいので、幸せそうにしていよう。 まずは、そこから始まるのだと思う。
2002年11月29日(金) |
自分にとって大切なことは、 |
自分にとって大切なことは、 他人が自分のことをどう考えているかということではなく、 自分が奴らのことをどう考えているかということだ。
フランスの大政治家 ブリヤン
知人の結婚式に出席することになって、 一緒に出席する知り合いとどんな服装で行くかの話になった。 彼女は、 「目立つ服装して浮くより、地味な服装で行って 浮かない方がいいので、地味目で行くことにする」 と言う。 そうか、彼女にとって大事なことは、そういうことなのかと 妙に驚いた。
私は、その結婚式にどんな服装で行ったら、自分も楽しいか、 結婚する当事者も、周りも喜んでくれるかを考えていた。 (そのくらいしないと、結婚式は楽しいものではないし)
別に服装がどうのこうのでないし、服装がどうであっても 楽しむかどうかは別の問題だが、なぜか、彼女のことばに 驚いてしまった。
彼女は場になじむことを優先し、 私は場を盛り上げることを優先しているのか… 考え方に、自分のスタンスの取り方に、違いを感じた。
2002年11月27日(水) |
新しいアイディアによって、拡張された人間の精神は、 |
新しいアイディアによって、拡張された人間の精神は、 元の大きさに戻ることは決してない。
文筆家&医者 オリバー・W・ホームズのことば
人は何かを知ったら、知らない前には戻れないと思う。
2002年11月26日(火) |
人は自分の考えているような人間になる。 |
人は自分の考えているような人間になる。
ヒンズー人の古い文書より
うーん、 人は、自分のなりたいような人間になるのではなくて、 どうも「考えているような人間」になるらしい。 「考えている」というところが難しい… 無意識に「考えている」人間になるとでもいうような ことなのだろうか…
いまの私は、私が考えているような人間に なってきてるのだろうか… だとしたら…どうもちょっと切ない気がする。 まだまだ物足りないし、 なりたい自分の人間像はと違っているからだ。
やはり、なりたい人間と、無意識に考えている水準が 違っているのだろうか… どちらにしても、人間的にまだまだということには 違いない。 なりたい自分と、考えている自分を一致させるように 考えねば…自分を磨かねば…本気で。
2002年11月25日(月) |
為すべき何事もないときには、何事もなすべきではない。 |
為すべき何事もないときには、何事もなすべきではない。 しかるに小心者は、そういうときに限って、何事かして 失敗する。他人の判断に胸を騒がせるからだ。
「決断の人間学」より 伊藤 肇著
まさに私に向けられたようなことばに思える。 私は、全くの小心者だと思う。 じたばたしてはいけないと思いつつも、 じたばたと何かし、言い訳をし、右往左往したりする。 全くの、絵に描いたような小心者だ。
これは、やっぱり自己を守るということや、 存在をアピールしたいというような、気持ちが 強く働くからだろうと思う。 そういうことが必要な時もあろうが、 必要でないときもあると思うのである。 そして、私の場合、だいたいは必要ないことの方が 多いような気がする。
自分のやっていることに本当の意味で自信を持たないと、 じたばたしたり、他人の言うことに過剰に反応したり、 ついつい言い訳をしてしまう。 本当の意味の自信をつけたいものだ…
2002年11月24日(日) |
何か有用なことが言えない場合、「貴い沈黙」を守るべきである。 |
何か有用なことが言えない場合、「貴い沈黙」を守るべきである。
「無条件の愛とゆるし」より E・R・スタウファー著
その通りと思う。 有用なことなんて、そう簡単に見つかるものじゃない。 無理してひねり出すより、 沈黙を守った方がいい。 その方が、ずっと暖かい気がする。
こころのこもらないことばは、 仮に有用であっても、伝わらないと思う。
2002年11月23日(土) |
「許し」はまったく私たち自身の問題であって、 |
「許し」はまったく私たち自身の問題であって、 相手の態度しだいという条件つきのものではありません。
「愛と許しの心理学」より ジョーン・ボリセンコ著
自分が「許せない」と思うことは、ささやかなことから、 大きなことまで多々あるものだ。 そのたびに「許せない」と思う。
今まで数、数え切れないほど「許せない」ことがあった。 そして、今、振り返ってみると、案外どうでもいいと 思う「許せない」ことが多いことに気がつく。 その時には「許せない」のだ。 時がたつと、冷静に見れたり、自分の心で消化していたりして、 まぁあんなこともあったと思う程度のものになったりしている。
もちろん、どうしても「許せない」こともあるだろう。 そう思い続けるには、それだけのパワーがいるので、 きっと何か大きな「許せない」なのだろう。 幸いにして、私は今大きな「許せない」と思うことがない。 誰かに復讐しようというような「許せない」もない。
もちろん、日常のささやかな「許せない」はたくさんある。 時間のかかる「許せない」もある。 時々自分も「許せない」こともある。 しかし、そんな「許せない」という気持ちも持ちながら、 どっかで許して、許しあって、自然に生きていけたらいいと 思っている。
2002年11月22日(金) |
あなたの夢が何であれ、それを実現する方法は、 |
あなたの夢が何であれ、 それを実現する方法は、 ほんの小さなことを実行することです。 目に見えないほど小さなことでもよいのです。
「ソース」より マイク・マクマナス著
少し前から、 自分のささやかな夢を実現したいと思うようになった。 そのための小さな一歩を踏み出さねばと思って… …そうだ、3ヶ月以上たっている。いかん…
どうも毎日の生活に流され過ぎている。 目の前のすることに振り回されている。 一歩を踏み出す機会を避けている気もする。
こんなことでは夢が逃げてしまうぞ、 いつまでも夢を実現出来ないぞと 自分に言い聞かせるが、 そう言い聞かせてもなかなか動けない。 小さな一歩も踏み出せない。
きっとだから、夢に向かって一歩を踏み出せる人は 夢をつかめるチャンスが巡ってくるのだろう。 すでにそこに違いがある気がする。
2002年11月21日(木) |
きっと何かいいことがある、いつでもそれを見つけることにしているの。 |
きっと何かいいことがある、 いつでもそれを見つけることにしているの。
赤毛のアンより
イヤなことが続いた日は、気持ちが暗くなる。 そんなときに、きっと何かいいことがあるさと こころが切り替えられるといい。 そんなときには、 きっとアンの言うように、自分で見つけるように すればいいのだ。
2002年11月20日(水) |
憂鬱なことを考えると憂鬱になる。 |
憂鬱なことを考えると憂鬱になる。
「幸せになれるさ!」より リチャード・カールソン著
最近は、毎日ちょっと憂鬱になる出来事がある。 そのたびに、あーあとため息をつく。 その日の気分によって、 まぁ何とかなるさと思えたり、 誰かに話さずにおれない気持ちになったり、 落ち込んだりする。
その憂鬱感に左右されたくないが、 その日の状況や、こころの状態でずいぶん揺れ動いてしまう。 そして、その憂鬱感を払拭するために どうも浮き足立ってしまって、 どっしりとしていられなくなる。 そのたびに、 「落ち着いて、冷静になって、憂鬱感は過ぎ去る」 と自分に言い聞かせる。
2002年11月19日(火) |
人間は仕事に熱中しだすと心が固くなるようだ。 |
人間は仕事に熱中しだすと心が固くなるようだ。
「嗜癖の時代」より 岩崎正人著
仕事と生活のバランスをとるのが難しい。 仕事に追われると、どうしてもこころに余裕がなくなり、 食事も部屋も乱れがちで、人間関係も索漠としてくる。 そして、何事にも投げやりになりがちである。 こんな潤いがなくなる自分を見ていると… 仕事に向かないかなぁと思い始める。
すくなくとも…私は仕事に熱中しだすと、 やりきれなさを覚え始める。 こころが固くなるより、私はこころが寂しくなる。
2002年11月18日(月) |
あなたが何を信じるかで、手に入るものも決まってくる。 |
あなたが何を信じるかで、手に入るものも決まってくる。 経済的な問題であれ、心身のことであれ、 可能性を信じる人たちをまわりに集めよう。 どのような人があなたに手を貸すかで、 自分に対する見方も大きく変わるのだから。
「頑張っていても不安なあなたへ」より アン・W・スミス著
自分の可能性を信じて、やり抜いている人はステキだと思う。 見ていて、羨ましいと思う。 そんな人をみて、自分も糧にしないとなと思う。 その可能性を信じて生きてるいる人々の仲間入りを したいものだ。
2002年11月17日(日) |
いまにいたるまで惑い、悩み、あれか、これか、と思いめぐらすうちに |
いまにいたるまで惑い、悩み、あれか、これか、と思いめぐらすうちに ふと感じたことは、「あれか、これか」という二者択一ではなく、 「あれも、これも」という包括的な生き方をするほうが いいのではないか………ということなのです。
「大河の一滴」より 五木寛之著
「あれも、これも」か…… 選択することばかり考えてしまって、 包含するというようなことは、考えもしてない気がする。 しかし…よくよく思い返してみれば、 確かに「あれも、これも」もありだなと思う。 あれもあってよし。 これもあってよし。
2002年11月16日(土) |
私たちはいまたしかに地獄に生きている。 |
私たちはいまたしかに地獄に生きている。 しかし、私たちは死んで地獄へ墜ちるのではない。 人はすべて地獄に生まれてくるのである。 鳥は歌い花は咲く夢のパラダイスに、 鳴り物入りで祝福されて誕生するのではない。
しかし、その地獄のなかで、 私たちはときとして思いがけない小さな歓びや、 友情や、見知らぬ人の善意や、奇跡のような愛に出会うこともある。 勇気が体にあふれ、希望や夢に世界が輝いて見えるときもある。 人として生れてよかったと心から感謝するような瞬間さえある。
その瞬間を極楽というのだ。 極楽はあの世にあるのでもなく、 天国や西方浄土にあるのでもない。 この世の地獄のただなかにこそあるのだ。
「大河の一滴」より 五木寛之著
そうかもしれない…きっとそうだなぁ。
2002年11月15日(金) |
自分の中にある感情をつねにモニターできる能力は、 |
自分の中にある感情をつねにモニターできる能力は、 自分自身を見つめ理解する上で絶対に必要だ。 自分がどう感じているか把握できなければ、 感情の波に押し流されてしまう。 自分自身の気持ちがよくわかっている人は、 迷わず生きられる。
「EQこころの知能指数」より ダニエル・ゴールマン著
感情はわがままだ…と私は思う。 あっちに行ったり、こっちにもどったり、 違うことを考えたり、また戻ったりする。 その中で自分のどれが本当の感情なのか迷ってしまう。
そういうわがままな感情とどうつきあうか、 どう制御し、どう自由にさせるか… 本当はどうしたいのか… そんなことを自分で見つめることだ大事なのだと思う。 忙しいとか、そんな暇はないという前に 自分の感情と向き合うことが大事と思う。
2002年11月14日(木) |
悪いシステムには悪いルールが働いているものです。 |
悪いシステムには悪いルールが働いているものです。
「こじれる人間関係」より 杉田峰康著
そんな気が強くする。 どうにも、そうとしか考えられないようなことがある。 そして、そのシステムには、太刀打ち出来ないような 妙なパワーがある。 怖さかも知れないが…
こんなシステムからは、距離を置くに限る。
2002年11月13日(水) |
1番いいのは、相手がきいてほしいことをきくことである。 |
1番いいのは、相手がきいてほしいことをきくことである。
「つきあい」の心理学より 国分康孝著
…しかし、相手が1番聞いてほしいことが、 1番聞きたくないことだったりする。 だいたい、自慢話、愚痴、昔の話、哲学、 何度も聞いた話だったりする。 こちらがしたい話、聞きたい話とはズレていることが多い。 (もちろん、そんな人ばかりではないが…)
…しかし、たぶん、にもかかかわらず、 ちゃんと耳を傾けることが愛なのではないかと思う。 かなりの忍耐がいるが…おそらく、その忍耐が 愛なのではないか。
しかし…、自分の聞いてほしいことが、相手にとって 私と同じように苦痛だとすると… 自分が聞いてほしいからといって自分の話したいことばかりを 話すのは、愛ではないな。
2002年11月12日(火) |
日本人は落ちこぼれないための競争をしている。 |
日本人は落ちこぼれないための競争をしている。
中井 久夫氏
うーん、思わず納得してしまった。 切なくて、悲しいような…気持ちになる。 「落ちこぼれないための競争」そんな競争が あるのかと思うが…まさに自分がその競争の まっただ中にいるように思える。
「勝ち抜くための競争」でなくて、 「落ちこぼれないための競争」…している気がする。 「勝ち抜くための競争」に慣れていないこともあるが、 それより、落ちこぼれない方が大切な気がしてしまうのだ。 なんだかなぁ。
2002年11月11日(月) |
あなたは愛の種まきをしなくてはいけない、たえず、できるかぎりたくさんに。 |
あなたは愛の種まきをしなくてはいけない、 たえず、できるかぎりたくさんに。 それが、教育期間を終えた後のあなたの生涯の仕事である。
どれもみな芽をふくとは限るまい。 それは覚悟していなければならない。 しかし、全部が全部、石ころばかりの地面に落ちて だめになるということもあるまい。
ヒルティのことば
その通りだなぁと思う。 愛の種まきをしなくていけない。 実行は難しいが…
無駄になることもあるだろう。 役にたたないこともあるだろう。 全く気付いてもらえないこともあるだろう。 そういうことの連続かも知れない。
しかし、さまざな思惑を超えて、 自分のみみっちい損得勘定を捨てて、 謙虚に、地道に、持続的に、 愛の種まきをしなくてはいけない。 それは、生きている人間の使命であると思う。
2002年11月10日(日) |
Behind the clouds is the sun still shining |
Behind the clouds is the sun still shining
(暗雲があっても、その後ろにはいつも太陽が輝いている)
「THE RAINY DAY」より ロングフェロウ
暗い時代だからこそ、 なかなか力が出ない時だからこそ、 こんなことばをこころに持っていたい。
このことばはいつも、 暗い雲の間から太陽の光が幾筋も地上に降りている風景を 思い出させてくれる。 いつか、晴れる。 いつか、明るくなる。 太陽はある…妙に嬉しくなる。
2002年11月08日(金) |
みずから発心しなければ打ち込めない。 |
みずから発心しなければ打ち込めない。
「意志力の探求」より 櫻木健古著
最近仕事に打ち込めない。 仕事がつまらないのだ。全然面白くない。 周りの人に聞いてみると、みなそうだと言う。 確かに楽しそうに働いている人(ように見える人)は なかなか見あたらない。 ああ私だけではなかったと…妙にほっとしたりしている。
なぜか…
仕事量は増えて、給料は少なくなった。 仕事も仕事内容より、予算が先になり、 ともかく安く早く上げるのが、何にもまして優先される。 仕事の質など、認めてはもらえない。 そのくせ、結果だけは求められる。 やってられないと思う要因の一つである。
仕事はだいたいみな内向きである。 守り重視である。 失敗は許されない。 そんな中で、みなが疲弊していて、 新しい発想はでないし、何かをやり続けるだけの パワーも残っていない。 そんな雰囲気の中に自分も取り込まれてしまっている。
こんな時だからこそ、チャンスがある。 こんな時だからこそ、頑張ろうと思う人が 成功する人なのかも知れないが、 成功より…今は、何も考えずやれることを 何も考えず無心でやりたい。
2002年11月07日(木) |
勝負に勝つためには、 |
勝負に勝つためには、 勝負の厳しさを知れ、ほんとに知れ……。
「こけたら立ちなはれ」より 後藤清一
今日は勝負の厳しさを身にしみた日だった。 まだまだ甘いと思っているが、 その甘さを見せつけられると…やはり落ち込む。 まだ、厳しさを知らないと言うことだろう。 そんな現実の前で、時々うなだれる。
今の時代は、甘さが許される時代ではない。 「これが私」などと甘いことを言ってはいられない。 自分のスタイルを持っていてもいいが、 勝たねばならないのだ…。 ああ、辛い。
みんなよくこの辛さに耐えているなぁと毎日思う。 私以外は、みんなすごく見える。 どんなことにも耐えているように見える。
もともと勝負なんて興味がないので、 勝負には弱いところがあるなぁ。 だから、甘いのだ!
2002年11月06日(水) |
永遠に続くものは、一つとしてない。 |
永遠に続くものは、一つとしてない。
「人間の迫力」より ロバート・J・リンガー著
何だか、このことばを見るとほっとする。 永遠に続くものはない… 今もずっとは続かない… いいことも、悪いこともずっとは続かない… 楽しいことも、苦しいことも、 終わりはくる。 いつか、消え去る。
生きていくことは、 だから切なくて、 だから美しいのだと思う。 私はこの切なさと美しさがとても好きだ。
2002年11月05日(火) |
わたしたちは何かというと、言われたとおりにしただけだと口にしたがる。 |
わたしたちは何かというと、 言われたとおりにしただけだと口にしたがる。 だが、むしろ、なぜ他人の言いなりになったのかを 考える癖をつけたほうがいい。
「そんな無責任な」より ヴィンセント・バリー
言われた通りにする時は、 どうでもいいと思う時、 言っても無駄だと思う時、 よくわからない時、 そして、本当にその通りだと納得したときだ。
その通りだと納得してやった時には、 言われた通りにしただけだとは言わないと思う。
しかし、どうでもいいと思う時、 言っても無駄だと思う時には、 やはり、自分で責任をとりたくない。 言われた通りにしただけだと言いたい。 そう思っていても、何かあった時は、 やった者が責任を押しつけられることが多い。 結果責任だからだ。 全く理不尽だ。 本当の責任者出てこいと言いたくなる。
2002年11月04日(月) |
人生における悲劇は死そのものでなく、生きながらにして、 |
人生における悲劇は死そのものでなく、生きながらにして、 心の中で何かが死に絶えてしまうことのほうだ。 「心で感じることにわたしたちが深く感動しなくなったら」 心は人生に深く感動するのをやめてしまう。
ノーマン・カズンズ
久しく「感動」ということを感じられずにいる。 心から感じる「感動」がほしい…と思うが、 なかなか感じることができない。
なぜだろう… 自分の想いと生き方にズレがあるから…だろうか。 欲張りだからだろうか… まだ掴みきれていないものがあるからだろうか… 前向きな生き方をしていないからだろうか…
今に満足はしている…けれど、感動はない… なぜだろう… いや…本当は満足していないのかもしれない。 だからなのかもしれない…
2002年11月03日(日) |
借金を返すと言うことは、収入の問題ではない。 |
借金を返すと言うことは、収入の問題ではない。 それは、人柄の問題である。
ローガン・P・スミスのことば
昨今の経済問題を見ていると、このことばをいつも思い出す。
国を一つのサラリーマン家族に例えたら(「日本さん家の家計簿」より) 今年の収入は468万円で、今年必要と思われる経費は812万円で あるという。(金額の縮尺1000万分/1) つまり344万円借金をするということらしい。 こんなに単純計算は出来ないし、その裏に様々なカラクリがあるにしても、 かなりの借金を抱えていることは明らかになっている。
借金だけでなく、お金の扱い方で、人柄が見えることがある。 今の政治家、経営者を見ていると…人柄などということばが死語に 思えてくる… 日本は大丈夫なのか…そう不安になるこの頃である。
2002年11月02日(土) |
自分の真の自己についての深い洞察や、明瞭なふれあいに欠ける男性は、 |
自分の真の自己についての深い洞察や、 明瞭なふれあいに欠ける男性は、 自己を愛することに失敗するだろう。 自分が何を感じ、何を求め、何を願うかを知らないが故に、 (長い間の抑圧のくりかえしで) 男性の「本質」は、自己無視あるいは、自己による自己の 虐待といった結果を示すのであろう。
「透明なる自己」より S.M.ジェラード著
時々隣人をみていると感じることである。
2002年11月01日(金) |
人の心の内面に、不合理で、自ら破滅を求めるような |
人の心の内面に、不合理で、自ら破滅を求めるような 悪しき側面がひそんでいるのは確かです。 しかし、その一方では健康でありたい、 建設的な生き方をしたいと求める気持ちがあるのも 事実です。
「心のブラックホールうつとアディクションの病理」より 斎藤学&東京都精神医学総合研究所編
二律背反…いつも心は揺れる。 正しいと思ったり、間違っていると思ったり、 やれると思ったり、やれないと思ったり、 負けたと思ったり、勝ったと思ったり、 いいと思ったり、だめだと思ったり…
そんなことの繰り返しだ。 たぶんそれが生きてる証なのだと思う。
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