逃げる逃げる逃げる。
あの日の自分から。あの出来事から。
…小学校の時にはまったくわからなかったのですが、公立の小中学校は、けっこう一緒に研修したり出張に行ったりします。
自然と、自分がお世話になった先生たちと一緒になるワケでして。
そんな中でも断トツに会いたくて会いたくない中学校の担任の先生、K先生は、なんと校長先生になって、…私たちヒラ教員を指導したりしてくれるんです。そしてホンジツ、その『会いたくて会いたくない』先生のお話を拝聴して参りました。
本来なら挨拶すべきだとわかってるし、出来るチャンスもあったし、イヤお前あんだけ世話になっといて挨拶しないってどんだけ礼儀知らずなんだよっ!って話なのですが。
どうしても、どうしても、…身体が、動かない…。
たしかに素行はどちらかというとよくない。不良ではないけど、手のかかるタイプ。あの頃の自分は、今の自分がみても素直にかわいくないと思う。
で、自分でも「あの頃の自分が恥ずかしいから会いたくないのだろう」
と思っていたのですが。
帰ってきて自分のヘタレさ加減に落ち込みつつ、同じくらい迷惑かけたとある先生には自宅まで遊びにいったりしたのに、どうしてK先生はダメなのか?と思い詰めていて。
ふと思い出したのは、K先生には実はお会いするチャンスが何度かあったってこと。
その中の一回目は、卒業して半年後、クラスメートのお父さんが亡くなった時のこと。クラス網で連絡をいただいて、当日まで、本当に出かける時間まで約束してた。なのに、行けなかったコト。
誰に言われても「そんなバカな」「礼儀知らず」と怒られそうだけど、あの時、連絡を受けて私ははじめて『死』がこの世にリアルに存在すると実感してしまって。友人はまだ高校生で、お父さんが亡くなるなんてって思って、死は誰の上にも、私の上にも事情なんて関係なく平等に降りかかると『実感』した。それは圧倒的な恐怖だった。肺ガンで亡くなった叔母を見舞ったこともあるのに、葬儀の話も聞いているのに、自分の近くに死ぬ人がいることが怖くて怖くて仕方なくて、…黙殺した。ずっと布団をかぶって、行きたくない行きたくないと思ってたこと、今でも覚えてる。
理由にならない理由だってことは大人の私はわかっていて、そして、謝ったところで(どころか、多分それは覚えてはいないと思う)、それは自分にとって取り消しがきかないことだってわかってて。
だって今でも、私は、あの時の恐怖から何一つ変わってはいないから。
支離滅裂だけど、書かずにはいられない、今日の心境…。