愛より淡く
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数年前に、途中で投げ出してしまった小説を、また読み始めている。
今日は、その小説の、ある一行を目にしてはっとした。
「愛というものは、愛し合うことを望むものではなく、いっしょに眠ることを望むものである」
というようなことが書いてあった。
愛し合うというのは、俗にいう、「寝る」ことを意味するみたいだ。
どちらも望まない場合は、何を意味するのだろう?
おそらく、それは無関心。
愛の対極にあるもの、それはいつだって、憎悪ではなく、無関心。
2009年04月04日(土) |
夢見る頃はとっくに過ぎた |
私は、どこかの学校らしき階段を上ろうとしているところだった。
上りながら、「ちょうど今、あの人がこの階段を下りてくるところで、もうすぐ私たちは、出会う。あの人は、こんなところで偶然に私と出くわしたことに驚き、やがてその驚きが愛に変わる。ていうか、もともと抱いていた私への愛に気づく。気づかされる。なあんてことになったらどないしよう。」
というようなことを空想し、ワクワクしていたのだった。
まあ、ただそれだけの夢だったけど、目が覚めてから、無性に腹が立った。
そんな夢を見てしまった自分にも、あほみたいな空想にワクワクしている夢の中の自分にも。
そして期待に応えてくれず、夢の中にすら登場してくれないその人にも。
ああ、夢も現実も、なにもかも、理不尽で不条理で、不条理で理不尽だ。
(意味不明)
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