ライフ・ストーリー
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2004年10月06日(水) |
光る時間のまんなかで |
夜に大きな地震があり、びっくり。 関東地方のみなさん、大丈夫でしたか?
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今夜の音楽はオッフェンバックの『ホフマン物語』より「舟歌」です。
ハロウィーン(万聖節[11/1]の前夜祭)まで1ヶ月足らずとなりました。街の花屋さんには飾り用のカボチャや秋の花、お菓子屋さんには子どもたちに配るキャンディやジェリービーンズ、スナックやチョコレートなどがあふれています。すこしずつですが楽しみな季節に近づいていきます。
きのう九州に住んでいる姪っ子たちのリクエストでハリーポッター関係の本2冊とうさぎと恐竜がそれぞれ主人公の本2冊を送るときに、ハロウィーンのお菓子もいっしょに入れて送りました。魔法使いとカボチャの形をしたジェリーを喜んでもらえるといいなあ。
久しぶりの晴天の午后、友人とお茶をするためにハロウィーン一色のデコレーションがほどこされたフレッシュネス・バーガーを選んで、カボチャのケーキとカボチャのドーナツをふたりでいただきました。彼女は秋らしい色のノースリーブのニットにパールのついたベルトを巻いています。わたしはカフスボタンを填めたシャツにニットのベストです。10月になっても晴れた日はまだ気温が高いのですが、それでもニットが肌になじんでくるから不思議です。
帰宅してきょう出版社から送られてきた本に目を通します。『夜回り先生と夜眠れない子どもたち』(水谷修著/サンクチュアリ出版)。この本は10日に書店にならびます。
ハロウィーンの夜にお菓子をたくさんもらい、あたたかな部屋のベッドで満ち足りた気持ちで眠る子どもたちもいれば、同じ夜に行くあてもなく彷徨う子どもたちもいます。そしてその子どもたちを利用する大人たちも。
世の中は矛盾に満ちているけれど、理不尽なことがとても多いけれど、いちばん身近にいる人は護っていきたい。全力で護ってあげたい。それが家族というものではないか、と今は強く思います。
ふだんは弱っちいわたしですが、そんなときわたしは100万馬力の怪獣に変身するのです。
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一篇の詩をどうぞ
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「風のうた」
落ちる鳥のために。悲しむ犬のために。泣く魚のために。 燃える草のために。ゆっくりと開く花のために。光る時 間のまんなかで。いつも。 遠くのひとのために。声をなくしたひとのために。微笑 むひとのために。身をわずかに揺るひとのために。光る 時間のまんなかで。いつまでも。
手をあげるひとのために。声あげるひとのために。歩き だすひとのために。目のまえのひとのために。今。光る 時間のまんなかで。思いをつくして。
/安水稔和『焼野の草びら―神戸 今も』 (編集工房ノア)より ☆安水稔和(やすみずとしかず)さんは1931(昭和6)年 神戸市生まれ。詩人。 神戸松蔭女子学院大学で近代日本文学、日本文化 の研究をされています。同市長田区在住。 詩集『秋山抄』で第六回丸山豊記念現代詩集賞を受賞。 主な詩集に『生きているということ』、『震える木』、 『風を結ぶ』、『ことばの日々』(全て編集工房ノア)。 本作品は阪神大震災三年後の詩です。
きょうの音楽はヘンデルの管弦楽組曲「水上の音楽」です。
書く仕事に限らずにいえば全く収入がないわけでもないので、その関係で火曜日は更新できないことが多いため、早めに更新。
昨日の日記に書いた映画『ノッティングヒルの恋人』に出てきた雑誌は『HORSE and RIDER』ではなくて『HORSE and HOUND(馬と猟犬)』でした。どうも都合のいいように記憶ちがいしていたみたいです。訂正してお詫びします。
これだけではなんなので…
大好きな詩を一篇どうぞ。 昨日の「林檎の香」の詩と読みくらべてもおもしろい詩です。
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「心のなかで」
陽を受けた果実が熟されてゆくやうに 心のなかで人生が熟されてくれるといい。 さうして街かどをゆく人達の 花のやうな姿が それぞれの屋根の下に折り込まれる 人生のからくりと祝福とが 一つ残らず正しく読み取れてくれるといい。 さうして今まで微かだつたものの形が 教会の塔のやうに 空を切つてはつきり見えてくれるといい。 さうして淀んでゐた繰り言が 歌のやうに明るく 金のやうに重たくなつてくれるといい。
/野村英夫
☆野村英夫は1917(大正6)年東京生まれ。 早稲田大仏法科に学び、毎年夏は病気療養のため 軽井沢(追分)で過ごします。 立原道造や堀辰雄に師事した「四季」派の詩人。 立原の死後、『立原道造全集』の編集に参加。 昭和21年に小詩集『司祭館』を発刊。 昭和23年、30歳。フランスを愛した詩人は 静かに世を去りました。
2004年10月04日(月) |
ロマンスとエスプレッソの間に |
秋の長雨の季節です。 はだ寒さが新しい季節の訪れを告げています。
秋は芸術の秋、読書の秋、食欲の秋。 芸術の秋の一環(?)として、音楽を聴いています。曲名はショパンのピアノコンチェルト第1番「ロマンス」。この甘美なメロディは夜が更けたころに聴くのが最もふさわしいと感じるのですが、雨の日の午后に聴くのもなかなかオツなものです。「ロマンス」と書くとつい「マロン」を想い浮かべてしまうのは、単にわたしがくいしんぼうなせいでしょう。
音楽の中のロマンスにひたりながら、読書の秋の一環(?)として学者さんがオーストラリアから抱えて帰って来てくれたダンベルより重い『HORSE and RIDER』(HERMES HOUSE)という本を辞書と首っ引きで読んでいます。馬の写真とイラストで綴られたA4サイズの美しい本です。ハミ(馬銜=轡)ひとつでもこんなに種類があるのかというほど載っている素敵な本。
この本の題名は、映画『ノッティングヒルの恋人』(ロジャー・ミッチェル監督、'99、米)で、旅行関係の本屋の店主を演じるヒュー・グラントが有名ハリウッド女優を演じるジュリア・ロバーツに会いにいく際に、ジュリアのマネージャーから取材の雑誌記者と間違われ、「どこの記者?」とたずねられて咄嗟に答えた雑誌名と同じではないでしょうか? ※あとで調べてみたら『HORSE and HOUND(馬と猟犬)』でした。ごめんなさい。
「ロマンス」を聴きながら、『馬と騎手』のしなやかに美しい馬の絵をながめる至福のひととき。
あと食欲の秋の一環(?)としてハーゲンダッツのEspressoアイスクリームがあれば最高!(←至福の上の最高ってどんなの?)。 あのエスプレッソ特有の奥深いほろ苦さと甘さのハーモニーは、ハーゲンダッツのアイスのなかでも群を抜いて美味しいのです。
それでは、今から至福の上の最高なものを買いに行ってきます。
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一篇の詩をどうぞ
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「林檎の香」
季節は老いゆく ゆるやかに ひと日ひと日の陽のきらめきを 樹樹の根かたに蒼くしづめながら 時は透明な火となり樹の管(くだ)をのぼる なか空にひろがる枝枝の網目に まろやかな果實を熟れさせるために 老いた季節は ある夜ひそかに しろがねの夢を吐瀉してたち去る 果肉のなかに 凍る香りをとどめて
/那珂太郎『空我山房日常其他』(青土社)より
☆那珂太郎さんは1922(大正11)年福岡市生まれ。 昭和15年東大国文科に入学。昭和18年繰上げ卒業後、 江田島海軍兵学校の国語科教官となります。 昭和48年玉川大学教授に就任。萩原朔太郎研究に着手。 第一詩集『ETUDES』ほか多くの詩集を刊行されています。 詩集『音楽』(思潮社)で読売文学賞。 『空我山房日常其他』(青土社)で芸術選奨文部大臣賞。 『鎮魂歌』(思潮社)で藤村記念歴程賞を受賞されています。
雑文を書くときにもことばの神様が降りてきてくださるとしたら、わたしのばあい、その時間は深夜の零時をまわったころだろう。零時から2時、もしくは4時くらいまでが最も集中して文章が書ける時間になる。
だから昼間に書く文章はなんとなく自分の内にも響きにくいし、遠くまでとどく力が弱いような気がする。「遠く」まで、というのもあくまで自分の感覚によるものだけれど。
書く仕事をしていたころは、昼だろうが夜だろうが締切はおかまいなしにやってくるものだった。とにかく時間内に所定の文字数を書き上げなければならないため、神様が降りてくるのをのんびりと待つわけにはいかない。そんなときは火事場のなんとかみたいに別の力が作用するらしく、わたしは一度も締切に遅れたことはなかった(これは自慢にはならない。締切に多少遅れても、時間をかけてより良いものを書き上げる人が事実たくさんいるのだから)。
さて、昼間(というより自分)の力不足を感じながらも、こうして文章を書いているのは、文章を書くということがほかの知的活動に発展しやすいからだろう。先日絵本のことを書いてからその内容をほとんど忘れているのに気がついて、さっそく絵本をさがすために本屋をめぐってきた。これはわたしにとっては知的な活動のひとつ。
残念ながら近所の本屋ではここに挙げた絵本を1冊も手に入れることはできなかった。親切な書店員さんの計らいで2冊を取り寄せてもらえることになり、1週間もすれば手元に置けるはず。おどろいたのは、なぜ今までこんなに簡単な行動をとらなかったのか、ということ。本屋へは頻繁に足を運んでいたのに、絵本のことはすっぽり抜け落ちていた。
「こころの深いところで自分には縁がないと感じているものは、その人の目には入らない」ということを聞いたことがあるけれど、それは当たらずとも遠くはない。どこかで「縁がない(絵本にかかわる仕事ができないという意味ではなく、私的な面で縁がうすい)」と感じていたのだろう。実生活では縁がなくても、知的(もしくは美的)生活のためには、素晴らしい絵本たちとの縁をつないでおきたい。
日記に書いたことで絵本との「縁」を復活することができた。 素直に、うれしい。
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一篇の詩をどうぞ
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「生立」
わたしは 手に桃のやうなものを持つてゐた 遊びに行く丘は墓地で いつも夕陽に赤く染まつてゐた わたしは その丘から遠く人生を眺め その桃の実のやうなものを落すまいとして 小さな手を しつかりと握りしめてゐた わたしは いつのまにやら大人になつた それでも夕陽に染まつた長崎の丘丘を眺めると はつとして その桃の実のやうなものを想ひ出す
/森清秋
☆森清秋は大正2(1913)年長崎県生まれ。 幼い頃に父と死別し、19歳のときに母を亡くします。 詩は18歳から書きはじめました。 清秋も戦時中に病を得、長い闘病生活がつづきます。 「詩も詠めぬ。詩も書けぬ」と綴った日記(昭和19年) が遺っています。昭和22(1947)年9月、病状の 悪化により34歳で逝去。 熊本正との合同詩集『鳥のゐる碩』、遺稿詩集として 『糸瓜集』が刊行されています。
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