ライフ・ストーリー

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2004年09月29日(水) 「Many Moons」(改稿)

木いちごのタルトを食べすぎて病気になったお姫さまが、「なにかほしいものは?」と王さまに問われて「お月さまがほしい」とこたえる物語がありました。ジェームズ・サーバーの『Many Moons』という童話です。手がとどかないほど遠くにあるものにあこがれて「ほしい」と願う気持ちは子どももおとなも変わりなく、せつないものです。
(※邦題『たくさんのお月さま』/中川千尋訳/徳間書店)

先日、月のことを日記に書いたので、子どものころに読んだ月をあつかった絵本や童話をなつかしく思いだしました(ん? なんか前にも同じことを書いたような気が…。で・じゃ・ぶ? )。

フランク・アッシュの『HAPPY BIRTHDAY,MOON』の青い表紙に描かれた黄色い月と茶色の子ぐまの絵は今でも鮮明に思い出すことができます。この子ぐまは「月の誕生日になにか贈り物をすると楽しい」と思いつくのです。そして月に誕生日はいつかと聞きに行きます。それはほんとうに楽しい物語でした。
(※邦題『ぼく、お月さまとはなしたよ』/山口文生訳/評論社)

マーガレット・ワイズ・ブラウンの『GOODNIGHT MOON』も素敵な絵本です。こちらの主人公はうさぎ。子うさぎが眠る前に自分の親しいモノたちに「グッドナイト」と挨拶するかわいいおはなし。最後は夜空の丸い月が眠った子うさぎを窓から見守ります。
(※クレメント・ハード絵/邦題『おやすみなさいおつきさま』せた ていじ訳/評論社)

イヴ・ライスの『GOODNIGHT,GOODNIGHT』のページをめくると次々に変わる白と黒で描かれた素晴らしい風景のなかに、丸く浮かぶ黄色い月もそれはそれは奇麗でした。
(※邦題『おやすみなさい』/かたやま れいこ訳/ほるぷ出版)

どの絵本も子どもたちのゴー・トゥ・スリープ・ブックとして読みつがれてきましたから、現在でもわりと簡単に手に入る本ばかりです。わたしの持っていた絵本はみんな姪っ子たちにあげてしまいましたが、今はこの絵本たちをもう一度手元に置きたいと考えています。できれば原書でほしいものです。それもネットで手に入れるのではなく、本屋をめぐって1冊1冊をさがして歩きたいのです。絵本との出逢いをもう一度味わうために。


最後におとなも子どもも楽しめる(もちろんほかの本だってそうなのですが)美しい絵本『THE MOON'S REVENGE』(邦題『月のしかえし』/猪熊葉子訳/徳間書店)についてすこしご紹介。イギリスの作家ジョーン・エイケンの文章に、『指輪物語』で有名なアラン・リーが幻想的な画をつけている秀逸なこの作品は、中世イギリスの架空の町(村)が舞台。馬車作りの職人の息子がフィドル(バイオリン)弾きになることにあこがれておこる出来事を描いた優れたファンタジーです。

手がとどかないものにあこがれるのは苦しくてせつないけれど、あこがれることが「ほしいもの」を手に入れるためのモチベーションを保つ、最も強いエネルギーにかわることをおしえてくれる本です。


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2004年09月27日(月) 「良夜」- 後の月編 -

※だ、である調に疲れたのでしばし休憩。

- * -
 
 まぶしく熱い夏が終わって季節は秋になりました。

そして明日は天保暦の8月15日。今年は中秋の名月が満月と重なります。28日の東京での月の出は17時32分、南中(月の中心が子午線を通過する)は23時38分だそうです。晴れるといいですね。お月見。

ここ数日は天候が不順なので気になりますが、お月見ができない年は豊作とも言われますから、たとえ見えなくともよしとしましょう。

再録をつづけて今年で4年めになるので、もう飽きた、という方もいらっしゃるでしょう。まあ年中行事ということでお許しいただいて今年も再録してしまいます。今年は後半を大幅に改変しました。


- * -

     「紫苑と良夜 - 後の月 -」

 この季節になると、実家の庭には薄紫の紫苑の花が咲きます。

日ごとに空が澄んでくるように感じるいまの季節、ふんわりと房になって揺れる紫苑の花を小さい頃は飽かずに眺めていました。

紫苑はキク科の多年草。古い時代には鎮咳・去痰などの薬草として用いられていましたが、儚いうすむらさきの花が美しいので、しだいに観賞用としての栽培が盛んになったようです。

紫苑が咲くとお月見の季節。
月明かりの綺麗な夜、主に陰暦の8月15日(今年は陽暦の9月28日)の中秋の名月の夜のことを「良夜(りょうや)」と呼ぶそうです。

語源は北宋の詩人蘇東坡の書『後赤壁賦』の

  「月白く風清し、此の良夜を如何・・・」

や『徒然草』の

  「この宿、清明なるゆゑに、月を翫(もてあそ)ぶに良夜とす」

などからきているようです。

月の美しい夜は十五夜だけではありません。中秋の名月から一ヶ月後、陰暦9月13日の十三夜は「後の月」とも呼ばれ日本では古くからこちらが最も美しい月だと云われてきました。お月見は秋の収穫を祝うことから、十三夜の月が「栗や豆の形に似ている」という説もあるそうですが、天候が不順な中秋の名月の頃より安定して恵まれることが多いため、より澄んだ空に昇る「後の月」のほうが綺麗に見えることに由来しているようです。

お団子や里芋を月に見立て神酒を備え、月を眺めながら詩歌を詠み、酒宴に興じていた古き良き時代の人々の姿が忍ばれます。

忙しさに追われて夜空を見上げるのも忘れがちな毎日ですが、たまにはゆっくりと空を見上げて美しい良夜を楽しみたいものです。

そんな日は、窓からの風に揺れる懐かしい紫苑の花を部屋に飾って。  

  
  いもうとの小さき歩みいそがせて千代紙かひに行く月夜かな

            /木下利玄


              (2001.9.10付日記を改稿)

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2004年09月25日(土) なによりも夜景が御馳走

 「おとなの女がふたりでねえ」

新宿の高層ビルの最上階。夜景が見渡せる窓際の席ですだちソーダを飲みながら、わたしと彼女は眼を見合わせて苦笑した。わたしの右側の眼下には星を散りばめたように美しい景色が夢のように拡がっている。

短歌の集まりに少しの時間出席したあと、友人のU女史とわたしは会場を後にして一足先に夕食を摂る場所をさがして歩いた。どうせなら夜景が奇麗な所にしようと都庁近くのこのビルの最上階のお店を選んだ。

そう、最近夜景が見えるレストランで食事をする相手は必ず女性と決まっている。もちろん、わたしたちふたりにだって一緒に食事をしてくれる男性の友人がいないわけではない。だが、なぜか男友達と食事をするとなると目的は「夜景」より、「美味しくて量が多い」とか「肩が凝らない居酒屋風」とか「多少騒いでも大丈夫」とかいうお店になってしまう。もちろんそんな店も嫌いではない。嫌いではないけれど毎回そうではちょっと寂しい。たとえば、どんなに情熱的でロマンチックな歌を作る男性の友人でもそうなのだ。

ここで女たちは口をそろえて「わかってないなあ」とつぶやく。

女性が食事の時間を愉しむためにいちばん望む条件は「雰囲気」。「有名シェフの店」とか「季節限定のヌーベルキュイジーヌ」とかは二の次、三の次でいい。ましては「量が多い」必要はない。夕食なら美しい「夜景」が見えて静かな「音楽」が流れていれば、多少料理が不味くても不味くは感じないもの。それがわたしたち女性の特徴なのに。

そして、そういう食事は「恋人」や「夫」という限定的な関係だけではなく、真の友情により割り勘にできる男性の友人とも十分に愉しめるものなのに。

かくして女たちは、今夜も女だけで夜景を見つめながら溜め息をつくのである。

「わかってないなあ」


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2004年09月24日(金) ボルドー色

一週間前のパーティ以来、少しずつ何かが動きだしたのか公私に関らず人に会う日がつづいている。

しばらく出不精だったせいか、外出が毎日つづくと体力・精神力ともにかなり消耗するようで、いきなり肌と髪がボロボロ(←この表現がいちばんピッタリくる)になった。午后からの空いた時間を利用して急いで美容室へ。傷んだ部分のカットとトリートメントを時間をかけてやってもらう。ふう。なんとか髪は落ち着いた様子。この期間に(ボサボサ頭のまま)お会いした方々にはお見苦しくて申し訳ありませんでした。

毎日人に会えば着ていく服のワードローブもなくなってくる。新しいシャツでも買おうかと○Iに寄ってみたがめぼしいものは見つからない。それなら手持ちの服をアレンジしてみようかとサラ・ジェシカ・パーカーがポスターで身に着けていたコサージュなど手にとってみる。大ぶりのカラフルな花には惹かれるけれど似合いそうもないので棚に戻し、サラがポスターで肩に掛けていたバッグと色ちがいのバッグだけ買って帰った。秋らしいボルドー色。

帰宅すると書籍が5冊とどいていた。この本は渡したい人がいるので先日のパーティの主催者にお願いして直送していただいたもの。渡したい人に渡せるといいのだが。

シャワーを浴びたあと一時間ほどバスタブに浸かりながら念入りに肌にオイルパック(「老いるパック」と変換するのはやめて欲しい)を施す。明日も人に会わなければならない。

こうやって自分のことにかまけていられるのは、精神的に安定しているときでもある。この安定期ができるだけ長くつづくようにと願う。


学者さんから一日おきにとどくメールには、目の前にあの美しいオペラハウスが見えるのに聴きに行く時間もない、と悔しそうに綴ってあった。


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2004年09月19日(日) ローマは一日にして成らず

 3連休のなか日。学者さんは午後の便でシドニーへ発った。
これから2週間はまたひとり暮らし。すこしは慣れてきたけれど、ひとりになるとつくづく部屋が広く感じられてしまう(物理的にはそう広くはないのだが)。救いは机に積んである先週末にも何冊か増えた未読の本たち。


金曜の夜のパーティは久しぶりに楽しかった。
ワシントン在住20年の日本人ジャーナリスト氏が上梓された本の出版記念パーティだったのだが、主役である著者もさることながら、魅力的で多彩な出席者で会場は盛りあがった。

いろんな方と会話した。なかでもとりわけ印象深かったのは作家の塩野七生さんの姪の舞さんとの会話。妙齢というのがまったくふさわしい年齢の長く豊かな髪を持つ彼女は、上から(頭髪も含め)下まで黒い色で身を包んでいた。そして少し伏し眼がちに話した。

彼女はイタリアにある彼女の叔母の家をまだ一度も訪れたことがないという。「どうして?」と尋ねると、微笑して「まだ叔母とやり合えるほどの知識武装ができていませんから」と答えた。叔母である塩野七生さんは(その作風からもうかがえるように)、それはそれはツッコミが厳しいひとらしい。「ツッコミどころ満載の今のわたしではやりこめられるのは必至です。しんどいですが歴史も経済も文学も、あらゆる面を該博な知識でしっかり武装して行かないと」。

隙のない文章を書く著名な作家を叔母に持つというのは、端から見るより楽なことではなさそうだ。イタリアにある白亜の豪邸の門をいつか舞さんが胸を張ってくぐる日が来ることをひそかに祈ろう。

なにごとも「ローマは一日にして成らず」なのだ。


- * -

読んでいてとても心が潤った
一篇の詩をどうぞ

- * -

  「樹」

 人ひとり立ち上がる部屋うちの
 静かなとよめきを心に映す 路のうへの
 一樹(ひとき)は
 定まる形を己れに与へずしとやかに
 風の来るままに 俛(ふ)し また 伸び上り
 日を息しながら
 蒼い時から蒼い時まで 聳え立ち

 静けさに静けさを掘る動きに沿うて
 押し移る
 その色は
 眺める眼(まな)うちの充(あら)ゆる風光を生かさせる。

 生(いのち)を女の睫毛よりも かげ深く樹姿にと見出す
 遥かなる眼差のひと時こそ
 身は
 立ち
 額は上がる 水より宏く空を映して―――。


       /北村初雄


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2004年09月15日(水) この場所

この場所をほったらかしにしてあった間に「日々雑感」のページは自然消滅してしまった。

何事も準備の悪いわたしのことだから、バックアップもとっていなくて、「ちょっと惜しかったなあ」と思ってみたところで今更どうしようもない。思い入れの強いサイトだったけれど、消えてしまうとかえって潔い気さえしてくるから不思議。また新たな日々を綴っていけばいいということだろう。

涼やかに晴れたきょうは、頼まれていた油絵の6号キャンバスを買いに隣町まで出かけてみた。あいにく目的の画材屋さんは定休日。こんなところも準備が悪い。トホホ。

仕方がないので、週末にある小さな出版社のパーティに着ていくための服をさがす。一昨日、友人のI女史からお誘いがあったのだ。しばらくこういうことから遠ざかっていたので、そんな場所へ着ていく服がない。毎日なにげなく過ぎていくようで、実はそれなりにいそがしくもあった。もちろん仕事をしていた頃にくらべれば、はるかに限りなく時間はあるのだが。

ショウウインドウに並んだディティールにまで凝ったデザインの美しいシャツに惹かれて初めての店に入ると、店員さんがそれはそれは丁寧に応対してくれる。彼女は今しっかりと自分の仕事をしているのだ。すすめられて、わたしにしてはフェミニンなカシュクールのブラウスとパールを花のようにあしらったブローチを選ぶ。そしてきれいに包装された服を受け取り、笑顔で会釈して店を出る。

わたしは仕事をしている人が好きだ。だから仕事をしている人たちとずっと触れ合っていきたい。そんなとき、仕事をしていないわたしは独りだけどこか別な場所にとり遺されているような気持ちになる。そんな自分がどうしようもなく恥ずかしくもなる。そして、この恥ずかしさを忘れないようにしよう、と思う。

いつかこの場所にもどれるまで、忘れないようにしよう。
  
  

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2004年09月13日(月) 旅の色

 緑の樹々ばかりを眺めてすごした旅だった。

旅には色がある。碧い海や蒼い空を見てすごしたなら青い旅。紅葉や朱い夕陽が印象に残ったら、それは赤い旅だと言えるだろう。そういう意味では、今回の旅の色はみどりだった。

車窓から流れるような緑を眺め、ときに立ちはだかるような樹木を見あげ、翠の草につつまれて、大きく深呼吸をしてきた。

深呼吸をすることがわたしの旅の目的だ。
深呼吸をすれば、わたしのこころとからだは水をもらった植物のように活性化する。

今でも少し残してあるけれど、この日記にはよく旅のことを綴ってきた。それぞれの旅にはその時々で自分なりに感じた色があった。

そして文章を綴るのも小さな旅だ。これからどんなことを書こうか、何についてどんな風に書こうか、と模索しながらたどる旅。だから文章にも色がある。この日記にはどんな色が着いていくのだろう。そう想いながら今この日記を書いている。


一部の方にはご心配いただいたようだけれど、基本的にわたしは平和に暮らせていると思う。先日書いたようにひとりですごす時間は多い。それにはこのマンションは広過ぎだとは感じるが、ひとりですごす時間は好きだし、大切にもしたい。何より、好きな本がたくさん読める。

夫の食事を作らなくていい日は、大好きなアイスクリームを主食にすることができるし、何時間もバスタブのお湯に浸かっていられる。わたしにとってこのふたつのことは、このうえないしあわせだ。

しかしおそらくひとなみに、暮らす上で大変なこともいろいろある。
深夜の青山ブックセンターに駆けこみたくなるときだって、たまにはある(深夜のブックセンターにはそういう人たちがたくさん居る。――ああ、今はそれもできないのかな? )。

だって、生きるって、そういうことでしょう?



- * -

旅の疲れのせいで、とりとめもないことをつづってしまった。
くちなおしに
昔のように一篇の詩をどうぞ。

- * -


 「火と藍 XXXV」

 誰とも口をききたくないけど
 私のこと聞いて欲しい
 誰とも口をききたくないけど
 誰かの傍に居たい
 誰とも口をききたくないけど
 知らない人から手紙が何通も欲しい
 誰とも口をききたくないけど
 物言わぬ唇と一緒になって
 旅する空想をする


   /中江俊夫『昭和文学全集第35巻』(小学館)より



 ☆中江俊夫さんは1933(昭和8)年福岡県久留米市生まれ。
  高校時代に詩人の永瀬清子と出逢い、詩を書きはじめます。
  昭和27年関西大学文学部在学中に第1詩集『魚のなかの時間』
  を自費出版。第3次「荒地」(年刊アンソロジー)同人。
  昭和29年に荒地詩人賞、39年に中部詩人賞を受賞。
  『語彙集』(思潮社)で第3回高見順賞受賞。
  主な作品は『暗星のうた』(的場書房)、『沈黙の星のうえで』
  (宇宙時代社)、『不作法者』(思潮社)、『就航者たち』
  (詩学社)など。




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2004年09月09日(木) ライフ・ストーリー

  
旅行カバンをひろげて着替えを詰め込みながら、ふと思うところあって日記を書いてみることにした。

書く仕事からずいぶん長く遠ざかっているので、文章というものが書けるかどうか、かなり怪しい。その間ほったらかしにしてあった日記。読んでいるひともいないだろう(と思う)。

その間、何をやっていたかというと、学者の妻をやっていた。というか、今もやっているのでこれは現在進行形。学者さん(自分の夫に「さん」をつけるのはどうかと思うが、この呼び方がいちばんしっくりくるので勘弁)は、一月の半分は研究室に泊まるか海外(または国内)に出張していていない。ゆえにひとりで過ごす時間も多い。

だからわたしには仕事をつづけるという選択肢もあったはずだが、以前のように締切が厳しい仕事では、忙しい時期が重なると悲惨なすれ違い生活になってしまう。これは避けたかった(学者さんはわたしが仕事をつづけることを応援してくれていたけれど、不器用で体力のないわたしにはそれができなかったという理由もある)。

というわけで妻をやっている。しかし妻というのもなかなか大変。このことについてはおいおい書いていくことにして、まずは明日からの旅の準備にもどらなければ。その前に、ご無沙汰した方々が読んでくださっているかもしれないので。


わたしは元気でやっています。
期間限定(寒くなる前まで)で日記を復活することにしました。
ついでに日記名も変えました。
日記名は大岡 信さんの詩から引きました。


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 「ライフ・ストーリー」

 一羽でも宇宙を満たす鳥の声
 
 二羽でも宇宙に充満する鳥の静寂
 
 
    /大岡 信(1931-)『草府にて』(思潮社)より
  
  


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