見つめる日々

DiaryINDEXpast HOME


2010年10月08日(金) 
それは奇妙な夢だった。快でも不快でもない、まさに奇妙としか言いようのないような。日常の私からはちょっとかけ離れた、だからそれを見ている私も、私の夢というよりもショートフィルムを見ているような、そんな感じだった。
目が覚めて、時計を見る。午前三時半。もう十分に横になった気がする。私は起き上がり、デスクライトを点ける。多分、お願いした書類がそろそろ届いているはず、と、PCの電源を入れ、メールのチェックを始める。
届いたメールを、辞書を引き引き、確かめる。それと一緒に、用意しておいた画像もチェックする。これとこれを一緒に送付すれば大丈夫かもしれない。よし。
友人からのメールも届いている。欧州で友人は今何をしているのだろう。その国は私も訪れたことがある。訪れたのは11月だった。もう遠い昔。私が訪れたときとはきっと、街は様相も変えているんだろう。また行きたいと思うけれど、そんな余裕は今はない。いつかもし機会があるなら、娘と一緒に行ってみたい。そう思う。
お湯を沸かしていると、後ろで気配が。足元を見ると、籠の中、ゴロがこちらを見上げている。おはようゴロ。私は笑いながら声を掛ける。またあなたと目が合ったね、そう言いながら抱き上げる。ぽてっと私の手のひらに乗ったゴロは、鼻先をひくつかせながらじっとしている。何となく思いついて、娘の買ってきたフルーツのキュービックを差し出す。上手に両手で抱え込み、かじかじと齧り付くゴロ。私はそれを確かめて、彼女を籠に戻す。
マグカップいっぱいに濃い目の生姜茶を作る。テーブルの上、昨日娘が勉強した痕跡がありありと残っている。というより、要するに散らかっている。ここまで散らかすのは彼女の得意技だ、私にはちょっとできない。どこにでも物を広げ、散らばして、思う様場所を使う。私は、転がりっぱなしの何本もの鉛筆を、何となく見つめる。昔私は、鉛筆削りなんてもっていなくて、毎日毎晩、ナイフで鉛筆を削ったものだった。それが日課だった。鉛筆削りを買ってくれと頼んでみたこともあるが、あっさり無視され、ナイフで削るようにと言われた。それが鉛筆を削るというものなんだ、と。でも不思議なことに、弟にはちゃんと鉛筆削りが与えられていた。あれは何でだったんだろう。今思い出すととても不思議だ。そういうことが幾つもあった。弟は買い与えられても、私には駄目、というものが。あれは、父母のどういう価値基準で決められていたんだろう。私は今更ながら首を傾げ、そして笑ってしまう。そんなこと、今思い出してもしょうのないこと。今となっては、或る意味、笑える思い出だ。そんなことをつらつら思い出しながら、私は娘の、先の丸まった鉛筆を、鉛筆削りで削ってみる。ほんの数秒で削れてしまう鉛筆。私がナイフで削ると、削り方にこだわりが私なりにあって、あれこれしているうちに時間があっという間に経ってしまうのが常だった。でも。あの作業のおかげで、私は多分、切り絵などに傾倒していったんだと思う。小刀、カッターナイフといったものが、いつも身近にあった。そしてそれは、使われるべきもので、それをどうやって細かく器用に使いこなすか、それを考えるのは面白かった。懐かしい。
そうこうしているうちに、空が少しずつ白んでくる。雲がもこもこっと、まだ空を覆っている。が、この空の色なら、きっと今日もまた晴れるのだろう。そう思う。適度な風が流れている。街路樹の緑が、さやさやと軽い音を立てながら揺れている。
白み始めた空の下、私はプランターの脇にしゃがみこむ。デージーは、少しずつ、少しずつ、終わってゆく花が増えてきた。もうこれ以上はさすがに咲かないだろう。私はこの花たちが終わってゆくのを、今はただ見守るばかり。ラヴェンダーはそんなデージーに寄り添って、いや、場所をできるだけ譲ってやっているように見える。不思議なバランス。
弱っているパスカリ。新芽がちょこちょこと出ている。一枚に、白い斑点を見つけ、私は慌ててそれを摘む。水を遣りすぎたのかもしれない。うどん粉病の気配だ。気をつけないといけない。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ぐいぐいと根元から伸びてきた枝の先に蕾がちょこねんと乗っかっている。この週末に、きっともっとくいくいっと蕾が伸びてくるんだろう。真新しい黄緑色の細身の葉たちが、さわさわと揺れている。
友人から貰った枝、今花が咲こうとしている。綻んできたところだ。今日の天気次第で、半開きくらいにはなるかもしれない。そうしたら、出かける前に切り花にしてやろう。私は心にそう小さくメモをする。
横に広がって伸びているパスカリ。いや、もはやこれはパスカリなのかどうか怪しくなってきた。というのも、綻び始めた蕾が、濃い黄色をしているからだ。これはパスカリの色じゃぁない。やっぱり、接木した、その元の樹の花の色が出てきてしまったとしか思えない。私は呆然と、黄色い花の色を見つめる。ふたつとも濃い黄色。これはどう見ても、白じゃぁない。一体何という種類の花なんだろう。私は首を傾げる。
ミミエデン、一輪の花が綻び始めた。外側の真っ白から、内側へいくほど濃いピンク色になる。そのグラデーションが実に美しい。もう一輪はまだ固く閉じている。
ベビーロマンティカ、いつの間にかよっつもの蕾をつけていた。そして相変わらず次々あちこちから新芽を芽吹かせており。萌黄色の、艶々した葉が風に揺れる。ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、まるで小学校の教室かのようだ。どんなおしゃべりをしているんだろう。娘のようにアイドルグループの噂話でもしているんだろうか。私は何となく、笑ってしまう。
マリリン・モンローは、蕾を抱えながら凛と立っている。昨日マリリン・モンローとホワイトクリスマスを一輪ずつ、切り花にした。今テーブルの上、咲いている。ホワイトクリスマスはマリリン・モンローよりも、悠然とした姿で立っている。背もマリリン・モンローより完全に高くなってしまった。こんなにぐいぐい伸びてくるとは思っていなかった。嬉しい。
そしてムスカリやイフェイオン。水を一切遣っていないというのに、そんなことお構いなしにぐいぐい伸びてくる。私は半ば呆れながら彼らを眺める。そんなに急いで何処へ行く、という感じだ。冬はまだもうしばらく先だよ、私は小さい声で彼らに言ってみる。まぁそんなことを今更言っても、もう遅いのだが。
アメリカンブルーは今朝、十個もの花を開かせており。何の手入れもしてやっていないのに、ここまで次々花を咲かせてくれるアメリカンブルーに、改めて感謝。
部屋に戻り、ちょっとぬるくなってしまった生姜茶を持って、机に座る。煙草に一本火をつける。開け放した窓から、ゆるゆると煙が流れ出してゆく。とりあえず朝の仕事の準備だ。五時半には娘を起こすことも忘れずに。

今週初め、展覧会のDMを郵送した。その一通が所在不明で戻ってきてしまった。宛名を見る。私が大学時代、アルバイトしていたギャラリーで一緒だった友人の名前。結婚して苗字が変わった。住所も変わった。変わるたび、住所録を書き直し、書き直し、その繰り返しで今に至る。でも。今彼女は何処にいるんだろう。離婚したという話は聴いていない。ということは、ただ引っ越しただけなんだろうか。分からない。彼女と会わなくなってもう何年経つだろう。私は病気で忙しく、彼女は彼女で身辺忙しかった。手紙のやりとりが精一杯で、会う機会がなかった。このまま、縁は切れてしまうのだろうか。葉書を見つめながら思う。それでも。長い縁だった。貴重な縁だった。私が薬を飲みすぎて部屋で一人倒れているとき、彼女は何故か察知し、駆けつけて、処置してくれた。私は一切覚えていない。彼女が呼び出した母が、その詳細を後になって教えてくれた。年上の彼女に、世話になるばかりだったあの頃。私は何の恩返しもできなかった。できるのは、私が元気になることだ、ただそれだけを思って、私は私なりに、歩いてきた。それが届いているのか届いていないのか、それは分からない。でも。もしかしたら、彼女は、もう私は大丈夫、と判断したのかもしれない。だとしたら、それは、或る意味、必要な別れなんだと思う。このまま彼女から何の連絡もないなら、私はそれを受け容れるのが筋なんだろう。
本当に、私の一時期を、支えてくれた人だった。ありがとう。ありがとう。ありがとう。今改めて、私は心の中、繰り返す。あなたが幸せでありますよう。ここで私は祈っている。

じゃぁね、それじゃぁね。あ、ママ、メープルパン、おいしかったよ。それはよかった、また買おうね。うん。じゃね!
私は階段を駆け下り、自転車に跨る。風がさっきよりずっと強くなっている。冷たい風。でも、それは心地いい風でもある。
明るい水色の空、地平線の辺りにもっこりもっこり浮かぶ雲。そんな穏やかな空を感じながら私は走る。
埋立地の銀杏並木は、だいぶ黄色味を帯びてきた。一本一本、その速度が違う。早いもの、遅いもの、それぞれ。ギンナンの匂いがふわり、私の鼻をくすぐる。
駐輪場で、駐輪の札を貼ってもらい、自転車を停める。そして走り出す私。
さぁ一日はもう始まっている。乗り遅れないようにしなくっちゃ。


2010年10月07日(木) 
真夜中、とうとう起き上がる。目が覚める。それもそうだろう。眠るとき、娘が突然、私の足の下に潜り込み、今日はここで寝る、と言い出した。つまり、私の足を布団代わりにして寝る、というのだ。それは重たくて無理だろう、と言うのに、全然聴かない。私の足を抱きしめて離さない。そうしているうちに寝息を立て始めてしまった。仕方なく、私はそのままの体勢で横になっていたのだが。まぁじきに手を離すだろうと思っていたのが甘かった。一向に手を離す気配がない。そうしているうちに一時間、二時間経ってしまった。もういい加減私の腹筋がもたない。そう思って、娘の手を無理矢理離し、足をどけ、起き上がる。さすがに二時間もすれば、娘は熟睡。手を解いても起きる気配はない。よかった。
それにしたって疲れた。足を半分上げたような、そんな体勢のまま横になっているというのは拷問に近かった。私は苦笑しながら娘の寝顔を見つめる。なんであんな体勢で寝たがったのか、私には全然分からないのだが、まぁ彼女には彼女の気持ちがあったんだろう、そう思うことにする。
何となくハムスターの籠を見やる。みっつ並んだ籠。その真ん中が今ゴロの位置。と思って見ると、ちょうどゴロもこっちを見ていた。起きてたの、ゴロ、と声を掛ける。すると、ちょこちょこ歩いてこちらに近寄ってくる。扉を開けて、手を差し出す。私の手の匂いを嗅いで、どうしようかなといった顔をしているので、私は彼女を抱き上げる。手のひらの上、鼻をぴくぴくさせながらじっとしているゴロ。私は背中を撫でてやる。私の親指に鼻をこすりつけ、へっぴり腰になっている。私はちょっと笑い、彼女に向日葵の種一粒をあげて、籠に戻す。
お湯を沸かし、お茶を入れる。夜中なのでハーブティーにする。レモングラスとペパーミントを2:1で混ぜた葉。お湯を注ぐと、ふわり、涼しげな香りが漂ってくる。
椅子に座り、思いついて、友人から預かっていた原稿を開く。文字を思い切り小さくして行間も詰めてプリントしてみたが、それでも五十枚ある。それを改めて、一枚、一枚捲る。彼がどんな思いでモデルになってくれた人たちに寄り添っていたのか、それが手に取るように分かる文章。一言一言を噛み締めながら読む。読みながら、まだ私は客観的になれていないな、と反省。文章に入り込みすぎてしまって、客観視できていない。もうちょっと時間を置いて読み直した方がいいのかもしれない。
さて、どうしよう。少し迷って、引き伸ばし機やプリントをしまっている棚を開く。もしかしたら作品を見てもらえるかもしれない人から連絡が来た。そのために、要望のあった作品を改めてファイルに閉じておこう。そう思い、大四つ切サイズのプリントを引っ張り出す。改めて数年の時間を置いてプリントを見ると、何だか自分のプリントの下手さ加減が目立って見えて、苦笑してしまう。それでも、この時は一生懸命焼いたのだ、と思う。ああでもない、こうでもないと暗室の中、悪戦苦闘して焼いたのだ。苦戦した痕が、あっちにもこっちにも見られる。懐かしいプリントたち。今手元にもうないプリントもある。それは写真集にしたもので代用させてもらおう。そう思い、写真集も探る。そうやってひとまとめにすると、何て重たいんだろう、果たして背負って運べるんだろうか。ちょっと怖い気もするが、まぁ、搬入のときは額縁を何枚も何枚も持って歩くのだから、何とかなるだろう、と思い切ることにする。
改めて椅子に座り、本を開く。久しぶりにメイ・サートンの「独り居の日記」を読むことにする。私は彼女の日記が大好きだ。孤独というものが、どれほど大切なものであるのかを、私に改めて教えてくれたのも彼女の日記だ。「さあ始めよう。雨が降っている」という一行から始まるこの日記。「何週間ぶりだろう、やっと一人になれた。“ほんとうの生活”がまた始まる。奇妙かもしれないが、私にとっては、いま起こっていることやすでに起こったことの意味を探り、発見する、ひとりだけの時間をもたぬかぎり、友達だけではなく、情熱かけて愛している恋人さえも、ほんとうの生活ではない。なんの邪魔も入らず、いたわりあうことも、逆上することもない人生など、無味乾燥だろう。それでも私は、ここにただひとりになり“家と私との古くからの会話”をまた始める時ようやく、生を深々と味わうことができる」。その言葉は、すとんと私の中に落ちてくる。そしてしっくり馴染んでくる。まるでもう何十年も連れあった椅子のように。
どのくらいそうしていたんだろう、はっと気づくと、午前三時を過ぎている。ありゃ、すっかり眠るのを忘れてしまった。私は慌てて椅子から立ち上がってみるものの、寝床を見ると、娘がでーんと横向きに眠っており。つまり、私が横になるはずの場所を彼女の上半身が見事に陣取っており。
もう私の力では、彼女を抱き上げられない。そう、彼女の体重は、私の腕力をはるかに上回ってしまった。一体いつの間にこんなに大きくなったんだろう。私は健やかな寝息を立てている彼女を見つめながら思う。私の背丈を抜くのも、そう遠いことじゃないんだろうな、と思う。また、そうであって欲しいとも、同時に思う。
この子と二人きりの生活になって多分七、八年が経つ。でも、振り返ると、もっと昔から、ずっと昔から、いや、最初から、彼女と二人きりだったような気がする。私にとってはそれでいいのだが、彼女にとってはどうなんだろう。彼女はいつか、懐かしく父親の面影を思い出すことがあるんだろうか。彼女にとってはどう在るのが幸せなんだろう。

夜明け近くになり、空もきれいな水色に変わってきた。確かに雲はある。けれど、この雲はじきに消えてなくなるかするだろう。きっと今日は晴れる。そんな気がした。私は開け放した窓からベランダに出る。
デージーは一生懸命咲いており。私はおはようと声を掛ける。水色と、たくさんの水で溶いた紺色との間のような、そんな色の空の下、デージーは風を受けてちらちら揺れている。ラヴェンダーはそんなデージーにちょっと遠慮して、プランターの脇に寄っている。
弱っているパスカリ。それでもこうして新葉を出してきてくれるのだから、まだまだ大丈夫。近いうちに土を替えてやろうと思ってはいるのだが、そのタイミングが計れないでいる。母に相談しようか。こういうとき、一番に思い出すのは母だ。母の植物に対する経験は、あまりに深い。だからつい頼ってしまう。でも、そんな母も時期にいなくなる。そう考えると、素直に尋ねられない自分がいる。ひねくれ娘。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ぐいぐい根元から伸ばしてきた枝。その先には蕾。ひときわ明るい黄緑色が輝くように艶めいている。
友人から貰った枝。もう今日にもこの花は咲きそうだ。咲いたら早速切り花にしてやろうと思っている。テーブルできっと、長く咲いてくれるに違いない。
横に広がって伸びているパスカリ。何とか三本の支え棒に引っかかってくれている枝。その先にふたつの蕾。だいぶ膨らんできた。もうじきだ、咲くのも。
そしてその脇に小さく、挿した小枝。新芽が開いてきた。このまま育ってくれるといいのだけれども。ちょっと心配。
ミミエデン、こちらは白い外側の花弁が見え始め。もう数日のうちに咲いてくれるんじゃないかと思える。
ベビーロマンティカは、まだ中央に花を抱えており。その花は、開きそうで開かない。でも、もう後から出てきた蕾たちがぐいぐい伸びてきて、膨らんできて、順番を待っている。今日一日待って、これ以上開かないようなら、切り花にしてやろう、私はそう決める。
マリリン・モンローもホワイトクリスマスも、ひとつの蕾が綻び始めた。私はそれぞれに鼻をくっつけ香りを嗅いでみる。芳醇な香りのマリリン・モンローに、涼やかな香りのホワイトクリスマス。全くタイプの異なる香り。でも、その両方とも、私は好き。
そして今朝、アメリカンブルーはみっつの花を咲かせ。風に揺れる枝葉。ふと見れば、街路樹の緑もさやさやと音を立てて揺れている。空の雲も、ぐいぐい風に流れている。
部屋に戻り、もう一度お湯を沸かす。今度は、そうだな、生姜茶を入れよう。私は濃い目に生姜茶を入れる。そのマグカップを持って、椅子に座り、PCの電源を入れる。
思いも寄らない知らせを運んでくるメール。そんなことってあるんだろうか。私はメールを読みながら、何度も読み返しながら、首を傾げる。でも、それは現実で。喜んでいいのか、信じていいのか、いまひとつ、実感がない。でも、早急に準備しなければならないことがでてきた。何とかしなければ。
とりあえず今は、目の前にある朝の仕事に取り掛かろう。私は椅子に座り、準備を整える。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。
校庭では今朝も、早朝練習をする上級生たちの姿。大会は目の前なんだろう。私は階段を駆け下り、自転車に跨る。一直線に駅まで走る。土曜日の仕事の切符を買わないといけない。
空いている席を適当に選んで買う。自転車を郵便局前に停めてきてしまった。早く戻らないと撤去されてしまうかもしれない。私は全速力で走って戻る。籠に「ここに自転車を停めてはいけません」というチラシが入っている。ごめんなさい、と心の中、ぺろり、舌を出す。
再び埋立地の方へ走る。長い長い歩道橋を渡って埋立地へ。もう時間ぎりぎり。
駐輪場に飛び込むようにして入り、駐輪の札を貼ってもらって自転車を停める。娘に頼まれたコピーを10部、コンビニでコピーし、私はそれを手に持ったまま走り出す。
さぁ、もう一日は始まっている。乗り遅れないようにしなくては。


2010年10月05日(火) 
あまりの悪夢に飛び起きる。ぐっしょり寝汗をかいている。ぐったり疲れてしまった。迷わず起き上がる。一度仕切りなおしをしないと、とてもじゃないが眠り直せる気分じゃなかった。定期的に見る悪夢。起き上がれば、まただ、と分かっても、夢を見ている最中は毎回新しい。きっと、それでもきっとと信じている自分がいる。だから、ショックが大きい。
窓を開け、立ったまま煙草に火をつける。そうでもしなければやってられない気分だった。少しずつ落ち着いてくる動悸。徐々に周りの景色も認識できるようになってきた。私はデスクスタンドをつけ、椅子に座る。
できるだけ息をゆっくり吸い込む。そしてゆっくり吐く。それだけで悪夢が少しでも遠くなってくれるような、そんなの私の勝手な思い込みと分かっていても。そうしてどのくらいしただろう。トイレに起きた娘が、ぎょっとしたように私を見る。どうしたのママ。なんか起きちゃった。寝なきゃだめじゃん。そうだね。もうちょっとしたら寝るよ。うん。それだけ言葉を交わし、娘はまた、寝息を立て始める。
私は、とりあえず頓服を飲んでみる。そして、ハーブティーを入れようとお湯を沸かす。その気配に気づいたゴロが、小屋から出てきてこちらを見上げている。ごめんねゴロ、起こしちゃったね。私はゴロに手を差し伸べる。珍しい、というか初めてじゃなかろうか、ゴロが自分から擦り寄ってきた。私は彼女を手のひらに乗せ、しばらく背中を撫でてみる。私が背中を撫で終えると、彼女は顔を洗う仕草をして、それからまたじっとしている。何となく申し訳なくなって、彼女の餌箱からひまわりの種を一粒取り出し、差し出してみる。いらないよーというふうに鼻を引くつかせるだけで、受け取らないゴロ。私はその鼻先をちょいちょいと撫で、それから彼女を小屋に戻す。
ハーブティー、何を入れよう、と迷った挙句、レモングラスとペパーミントの葉を混ぜ合わせたものに決める。お湯を注ぐと、すっと涼やかな香りが立ち上る。
マグカップを持って再び椅子に座る。さて、どうしよう。少し迷ったが、こういうときは読みなれた本でも広げるのがいいかもしれない、と、長田弘の「私の好きな孤独」を開いてみる。「眠りを信じなければならない。なぜわたしたちは眠りの中で回復し、むしろ夢みるように生きることができないのか。眠るな、不眠の精神をもって生きよ、というような言葉は比喩としても不正確だ。わたしたちは神なしにも愛なしにも生きられるけれども、眠りなしには生きることはできないからだ」。その節を読んで、唸ってしまった。確かに眠りなしには生きていけない。でも、眠りを信じることは、今の私にはちょっとできそうにない。また本を閉じ、改めて違う頁を開く。「噂は、文字で口を尊ぶと書く。表意文字とは楽しいものだ。噂は啤とは書かない。とすれば、噂とはわるい言葉だ、口を卑しめる言葉だという通年こそ、もっと疑われてしかるべきであるかもしれない。」「どんなに戸締りがのぞまれようと、噂は、時代の密室では生きられない人びとがどうしても見つけてしまう、密かな隙間のようなもの、隙間風によって運ばれてくる密かな酸素にほかならないものだ、と思う」「あたかも空気のように、よい噂わるい噂を吸ったり吐いたりしながら、そうやって、わたしたちは噂を親しく呼吸することによって、自分の時代を感じている。そして、風を感じるなら隙間があり、隙間があるなら戸があって、戸があれば戸ははずせるのだということを、あるいはしたたかに、あるいはしんみりと、あるいは漠然と、あるいは無意識のうちに、いつも密かに確かめてきたのだった。」「だから、噂は、世の閉塞がつよまればつよまるほどに、むしろいっそう迎えられてきたのだった。だから危機の時代や独裁の時代に、噂は、ほとんど表現の唯一の方法としての役割をになわなければならなかったのだった。」「噂のありようには、だから、のぞもうとのぞむまいと、つねに支配するものと支配されるものとの関係が、支配されない言葉という言葉のあり方を、こころの目安にしてうつしだされている。」「噂はありそうでない話でもないし、嘘のようなほんとうの話しでもないのだ。一歩その外へ踏みだしたならほんとうの話しになるかもしれぬ噂の話しである。口にだしたら嘘になってしまうほんとうのことを、口にだしていうのが、噂だ。だから、一歩その外へ踏みだしたならたちまち嘘になってしまうほんとうの話に絶えず冒されているわたしたちに、嘘だと思って聴く噂は、親しく息つけるものとなる。」そんな「街の噂」という章を読む。そういえば噂には私は小さい頃から本当によく悩まされてきた。勝手な噂、本当でない嫌な噂、諸々。人の噂も七十五日なんて言うけれど、その七十五日の間にもくもくと勝手に育った噂は、いつのまにか当たり前のことというかそうであるはずのこととして人の間に浸透してしまっていたりすることがある。それが、私には怖かった。十や二十の年の頃の話。さすがに今は、もうそんなもの、どうしようもないもの、として放っておけるようになったけれど、こうなるまでに四十年かかった。長かったなぁと私は改めて苦笑する。
父や母は、噂というものに対して、びくともしない人たちだった。それがどうした、人が勝手に言っていることだろ、と、ずばっと切り捨てることができる人たちだった。私や弟は、そんな母や父のそばで、縮こまって、いつでも噂に怯えていた。あの家は、あの家の人たちは、と、ひそひそ囁かれる街角の噂に、いつも怯え、走って逃げていた。幼い頃の思い出。
人の目が怖かった。容赦なく突き刺さってくる人の視線が怖かった。だから、逆に、背筋を伸ばした。怖ければ怖いほど、背筋を伸ばして、弟の手を引いて学校に行った。弟はもっともっと縮こまって、びくびくして、それが悔しくて、私たちが何悪いことをした、と、私は肩を怒らせて歩いたものだった。今思い出すと、苦笑するしかない。何をそんなに強張らせて生きていたのか、と、苦笑するほかない。
また他の頁を開いてみる。「バスに乗る。乗るとすぐにわかる。下町のバスには、下町の気分がある。郊外のバスには、郊外の気分がある。午後のバスには、午後のバスの気分がある。バスに乗ってくる一人一人がその街の性格をかたちづくっている。」「バスに乗る。すると街というものが、ちがって見えてくる。街を真ん中から見る。目線もちがう。ふだん見ない視覚から、街を見ている。部分としての街ではない。意識しようとしまいと、あるまとまりを生きている街を見ている。そのとき、バスの窓から見ているのは、その街のすがた、その街の器量だ」。この部屋に住むようになって、私たちは自転車かバスを使わなければ駅に出られなくなった。雨の日や遠出するときはだから必ず、バスに乗る。バスに乗ると、確かにその時間帯によってバスの中の様相は違うし、車窓から見える様相も異なってくる。光の具合も違えば、風の匂いも違う。人の匂いも全く異なる。私は早朝のバスに乗ることが一番多いが、でも、好きなのは、午後のバスだ。私の乗る路線は老人が多く、午後のバスはたいてい老人で席が埋まっている。その合間にちょこねんと座っていると、このバスは何処へ行くんだろう、という不思議な気分に陥ることがある。駅とかバス停とか、そんなもの素通りして、そのまま人生の道を走り抜けてゆくのではないかという錯覚に陥ることがある。そんな錯覚を味わえる午後のバスが、私は好きだ。
ふと時計を見ると、ありゃ、午前四時半。すっかり読書に嵌ってしまった。でも、久しぶりだ、何も余計なことを考えず文字に埋もれて時間を過ごすことができたのは。爽快な気分で私はもうひとつの窓を開け、ベランダに出る。まだ闇色の空。薄い雲がかかっている。でも今日は晴れると天気予報が言っていたっけ。
デージーは、まるで、私を見て、と言っているかのような咲きぶりで。だから私は彼女たちをじっと見つめる。一輪一輪、見て回る。そして次にラヴェンダー。ラヴェンダーは、だいぶ肉付きがよくなってきた。肉付き、というのもおかしいかもしれないが、葉の厚さが厚くなってきた、という意味。しっかりした葉がにょきにょき出てくるようになった。これで花芽がついてくれたらなお嬉しいのだが。なんて、ちょっと贅沢なことを思ったりする。
弱っているパスカリ。それでもこうして新葉を伸ばしてきてくれるのだから、それだけでも嬉しいというもの。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。蕾が米粒ほどに育ってきた。そしてぐいぐいと枝はまだ伸びる気配で。小さな茂みで唯一、この枝だけが飛び出している。
友人がくれた枝。蕾が下の花弁の色をはみ出させ始めた。あぁ、もうじきだ、もうじき咲いてくれる。この週末くらいにはきっと。紅色の、濃い紅色の花弁。
横に広がって伸びているパスカリ。どうにかこうにか、三本の支え棒で挟んでいるひとつの枝。それでも重みでずるずる下に下がっていってしまう。もう仕方ない。このままでいくしかない。その先についているふたつの蕾。だいぶ膨らんできた。
そのパスカリの隣、挿した、これは多分ホワイトクリスマスだろうと思うのだが、その枝の一本が新芽を出してきた。一本は、これはもう、駄目だろう、茶色くなりかけている。残念。
ミミエデンは、ふたつの蕾を抱えて立っている。もうじきぱつん、と蕾は開いてくるだろう。そんな気がする。
ベビーロマンティカ、中央の花はまだちゃんと開かない。そして他の蕾たちが順調に膨らんできている。このままじゃ追いつかれちゃうよ、と私はちょっと中央の蕾を急かしてみる。が、返ってきた返事は、ふんふんふん、という鼻歌だった。まぁ自分のテンポで咲くのが一番いいんだもんね、と、私は苦笑しながら花をそっと撫でる。
マリリン・モンローは、いつの間にかみっつめの蕾もつけていた。ひとつの蕾はもう外側の花弁を見せ始めており。それはホワイトクリスマスも同じ、ひとつの蕾が、下の花弁を見せ始めている。そして、昨日のうちに、とうとうマリリン・モンローの背丈を抜いてしまった。ぐいぐい、ぐいぐいと育ってきた枝の先、ひとつの蕾がついている。まだ小さい蕾。
アメリカンブルーは今朝、まだ花は開かせていない。でも、蕾がみっつあるから、多分みっつは花が咲くんだろう。
ムスカリやイフェイオンは、黙々と育っており。私たちのことなんかどうせ構ってくれないんでしょ、という突き放した雰囲気。どっちが突き放しているのかこれじゃぁ分からない。私は苦笑しながら、そんなことないよ、と声に出して言ってみる。
部屋に戻り、五時に起こしてと言っていた娘に声を掛ける。娘は微動だにしない。また三十分経ったら声を掛けよう。私は、とりあえず朝の仕事の準備に取り掛かる。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。玄関の扉を閉め、私は徐に小学校の校庭を見やる。市の陸上大会が近いから、毎朝選手が練習している。腿上げ走りをしている子がひとり。をを、懐かしい、と思いながら、私は彼女の練習にしばし見入る。私が大会に出る折も、この腿上げを、これでもかというほど練習した。体が勝手にその形で走れるようになるくらい練習したものだった。私は心の中、彼女に声援を送る。
階段を駆け下り、自転車に跨り、走り出す。
坂を下り、信号を渡って公園前へ。今朝はちょっと出遅れたせいか、犬の散歩の人たちで賑わっている。私はそれを避けて、そのまま走る。
大通りを渡って、高架下を潜り、埋立地へ。間違いない、ギンナンの匂いだ。と思ったら、ビニール袋を持った婦人が、ギンナンを拾い集めている。私はその邪魔をしないように、大きく逸れて走る。
大通りの横断歩道を渡り、左折。そのまま一気に走る。空は水色じゃない、鼠色。でも、雲の割れ目から漏れ出た光が煌々と街を照らし出している。
駐輪場で駐輪の札を貼ってもらい、自転車を停める。
さぁ、今日も一日が始まる。ちょっと出遅れたのを取り戻すために、私は一気に階段を駆け上がる。


2010年10月04日(月) 
何度も目が覚める。そのたび時計を見、まだだ、と目を瞑る。その繰り返し。途中娘に勢いよく腰を蹴られ、痛いよと言い返すが娘はもちろんぐーすか眠っている。羨ましいよなぁと娘の寝顔を見やりながら、私はまた、目を瞑る。
もういい加減いいだろうと時計を見る。午前四時。まだ早いかもしれないが、横になって過ごすのはもう限界。起き上がる。
まだまだ外は闇の中。お湯を沸かそうと台所に立つ。気配を感じて振り返ると、ゴロが後ろ足で立ちながら、こちらを見上げている。おはようゴロ。私は声を掛ける。ゴロはちょこちょこと入り口に寄って来て、私の手をくんくんする。でも、ゴロは絶対自分からは手に乗ってこない。いつでもへっぴり腰。私は笑いながら彼女を手のひらに乗せる。手のひらに乗せても、彼女は必ず一度は後ずさりするから、お尻が落ちないように見ていてやらなくてはならない。そして手のひらの上、じぃっとしている。ミルクやココアとは、ここらへんが全く異なる。
しばらくそうやってじっとしているゴロの背中を撫でてやる。ふと思いついて、娘が買ってきたドライフルーツの角切りのものを、ゴロに手渡す。ゴロは上手に手で受け取ってがしがし食べ始める。それを見て、私は彼女を籠に戻す。
お湯を沸かし、生姜茶を濃い目に入れる。生姜の香りは、正直私には分からない。でも、一口含むと、ふわり、独特な生姜の味が薄く広がる。それだけでも分かることが、嬉しい。
マグカップを持って机に座る。PCの電源を入れ、メールチェックをする。今朝最初に流れたのは中島みゆきの「一人で生まれて来たのだから」。もうこの曲はそらで覚えてしまっている。自分も小声で歌いながら、やるべきことに取り掛かる。
プリントした写真をスキャンする。スキャンするだけ、と言えば至極簡単に思えるが、これが結構手間。一作品一作品、目を凝らしながらスキャンしていく。一度スキャンしたものを二度三度やり直すことがない自分の性格。一度スキャンし取り込んだら、それがずっと残るわけで。それなりに緊張しながら作業を重ねる。
このスキャナーももう何年使っているだろう。離婚した後買ったから、ほぼ十年。年代物だ。いい加減新しいものを買わないといけないのかもしれないが、そんな余裕は正直今ない。
あっという間に一時間半という時間が過ぎてしまう。私は慌てて窓を開け、ベランダに出る。まだ闇色かと思ったら、すっかり空は鼠色。いや、アスファルトが濡れている。いつ雨が降ったのだろう。気づかなかった。
プランターの脇にしゃがみこみ、ラヴェンダーとデージーを見やる。デージーはなんだか昨日より花がたくさん咲いているように見える。気のせいだろうか。私は首を傾げる。この薄い闇の中で、黄色い鮮やかな小花が浮かんで見える。まるで夜の虫たちの灯りになっているかのよう。ラヴェンダーはしっとりと濡れ、葉をちょっと指の腹でこすると、やさしい香りが漂ってくる。
弱っているパスカリ、でも、ちょいっちょいっと新葉を出しており。それがまるで、将校か何かのちょいっと丸まった髭みたいで、笑える。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。根元からぐいっと伸ばしてきた枝のひとつに、確かに花芽がついていることを確かめる。今まであった茂みより一段高いところまで伸びてきたその枝。きれいな黄緑色の細長い葉を広げている。
友人から貰った枝、今、ひとつの蕾がすくすくと育っている。細身の蕾。膨らむ、というより、スレンダーな体のまま、花開く。いつ頃花開いてくれるだろう。今から楽しみ。
横に広がって伸びているパスカリ。やっぱり、二本の支え棒で支えても、落ちていってしまう。どうしたらいいんだろう。私はじっと考える。もう一本あれば、下から支えられるかもしれない。それなりの枝を公園で探してこよう。私は心にそうメモする。
ミミエデン、ふたつの蕾が徐々に徐々に膨らんできている。下から白い花弁が僅かに見える。この薄闇の中でも、その白ははっきり浮かび上がっており。そして新葉がきれいに出揃って、小さな茂みになっている。
ベビーロマンティカは、まだ中央に陣取っている花が咲かない。一体どうしてしまったんだろう。私は首を傾げる。普段ならもうとうの昔に花開いている頃合なのに。そして他の蕾たちはぐいぐい膨らんできており。新芽も後から後から出てくる。
マリリン・モンローは、ふたつの蕾を天に向けて立たせており。新葉が、多分今日陽光が注いできたら開くつもりなのだろう新葉が、赤い縁取りを持って控えている。でも残念ながら今日は陽光は降り注がないんだろう。明日まで待ってね、私は心の中、そう声を掛ける。
ホワイトクリスマス、ふたつの蕾を凛と立たせて悠然と構えており。マリリン・モンローが勢いを増すほど、ホワイトクリスマスは泰然と構えているような、そんな感じがする。ひとつの蕾の外側の花弁が、僅かに見え始めた。白い、美しい、花弁。
イフェイオンもムスカリも、まだ早いと私が言うのにも関わらず、ぐいぐい出てきている。本当に気が早い。というより、放っておきすぎた私が悪い、とも言えるのだが。私は苦笑しながら、イフェイオンの平たい葉を、ぴんっと指先で弾いてみる。弾力のある感触が、指先に返ってくる。
そしてアメリカンブルーは、今、十個もの花を開かせようと準備しているところで。十個も花が一度に咲くなんて初めてじゃなかろうか。私はもうそれだけで、わくわくどきどきしてくる。
小さな、挿し木だけを集めたプランターの中でも、順調に新芽が出てきており。
私は立ち上がり、大きく伸びをする。いつ雨が降り出してもおかしくはない空模様。それでも、こんなにベランダの植物たちが頑張っている。それが私の気持ちを元気にしてくれる。

久しぶりに友人と会う。友人は、やってくるなりいつもよりずっと早口で話し出す。この、合わなかった二ヶ月近くを、埋めるかのように。私は、彼女がいつか舌を噛んでしまうのではないかと思いながら、彼女の話しに耳を傾ける。
彼女には二人の娘がいる。その上の娘がこの夏引っ越していったらしい。そして、下の娘とのふたりきりの生活。諍いは、前からあった。というより、それは頻繁にあった。でも、暴力を振るうことまではなかった。
それが、ここにきて、立て続けに暴力を振るわれたこと。そして娘さん自身は、その暴力を悪いとは思っていないとわざわざ彼女に言ってきたこと、そういったことが、繰り返し繰り返し話される。私は頭の中で図を描きながら、彼女の話しに耳を傾け続ける。
彼女が言う。私、病院の薬をこの二ヶ月、ずっと飲んでいないの。私はうん、と相槌を打つ。今の状態は過覚醒かもしれないとも思うけど、でも。飲んでないの。
そんな彼女に、後どのくらいこの状態が耐えられるのだろう。私はじっと考える。彼女は、その間にも喋り続け、そして何度も何度も、娘は今過程にいるから、と、まるで自分に言い聞かせるかのように繰り返す。
でも。その言葉はもう、一年前から彼女が使い続けている言葉だった。娘さんが彼女の元に戻ってきて、ぶつかりあうたび、彼女はそう自分に言い聞かせている。確かに、成長過程、と、言えるかもしれない。でも、暴力は暴力だ。
彼女はDVの被害者でもある。その経験を経ている。私は、彼女の堤防というのが、実に低いものなのではないかと感じ始めていた。つまり、普通なら決壊している状態であるにもかかわらず、それに気づけないほど、低いものなのではないか、と。
私は、彼女も彼女の娘も両方大事だ。でも、どちらかを選べといわれたら、私は迷わず彼女を選ぶだろう。そして、彼女に、自分を大事にしてほしい、と言うだろう。
もし私の娘が暴力を振るったら。私はどうするだろう。
私は彼女の話を聴きながら、そのことも考えた。一度や二度は、取っ組み合いをするんだろう。でもそれでだめなら、第三者を介入させるという選択をするかもしれない。多分、きっと。それが私の為でもあり、娘の為でもあると思うから。
そのことは、彼女には言わなかった。
ただ、帰り道、彼女からきたメールに、「自分を大事にしてね」とだけ、返事をした。

ねぇママ、今日授業参観だって知ってる? え??? 今日授業参観だよ。えーー! わ、わかった、何とか調整する。もっと早く言ってよぉ。だって、ママ、知ってると思ったんだもん。ママ、すぐ忘れるんだからさ、必ずそういうことは事前に言って。ね? わかった。
じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。
階段を駆け下り、自転車に跨る。でも私の頭の中は、ただひたすら、今日の予定の再調整でぐるぐるになっている。
坂道を下り、信号を渡って公園へ。とりあえず、二股に別れている枝を探してみる。ない。ない。ない。うーん、困った。私は朝の仕事に間に合わないのでは困るので、探すのを切り上げて走り出す。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。
一瞬、ほんの一瞬だが、ギンナンの匂いがした。あぁ、そういう季節なのだ。そう思いながら、銀杏並木を走る。ちょうど青になった信号を渡り、左折。そしてまっすぐ走る。
駐輪場で、駐輪の札を貼ってもらい、私は駆け足で歩道橋を渡る。
さて、本当にどうしよう、授業参観には出ないと申し訳ない、でも、調整できるかどうか。とにもかくにも話してみないと始まらない。自分のドジさ加減を後悔しながら、私はさらに駆け足になる。
もう一日は始まっている。転ばぬよう、それだけ気をつけて、さぁ走り抜けよう。


2010年10月03日(日) 
何度か眠りが途切れる。途切れるたび、手元の時計を見て、まだ起き上がるには早いと目を瞑る。どうしても眠りが戻ってこないときには、頓服を半分に割って飲む。そうやって朝まで何とか眠る。
午前四時半。さすがにもうここまで来ればいいやと、起き上がる。部屋の灯りをつけ、大きく伸びをする。外はまだまだ闇色。
PCの電源を入れる。今朝最初に流れてきたのは、Pat MethenyのLast Train Home。私の好きな曲のひとつだ。その音を聴きながら、お湯を沸かそうと台所に立つと、後ろでかりかり音がする。振り返ると、ココアが籠の入り口のところに齧りついている。おはようココア、私は声を掛ける。ココアは懸命に入り口のところに齧りついて、私の声なんて聴こえていない感じだ。私は扉を開け、彼女を手のひらに乗せる。最近ココアはちょっと気が立っている感じがする。今まで娘のことなんて噛まなかったのに、よく噛んでは娘に怒られている。というより、娘が泣く。泣いて、また噛まれたぁと声を上げる。今朝はどうかなと思いながら背中を撫でてやると、私の指の腹をがりっと噛む。痛い、と思ったが、とりあえず我慢。二度、三度、立て続けに噛むことはないだろう、と思って。一度私の指を噛んで気が済んだのか、彼女はちょっと落ち着いてきた。何がそんなに彼女の気を荒立てているんだろう。最初はハムスターにも生理があるのかしらんなんて思っていたが、それにしては長い。私には事情がよく分からない。ひまわりの種を口のところへ持っていくと、かぷっと口の中に入れるココア。私は彼女を籠に戻す。
ふと見ると、ゴロがこちらを見上げている。おはようゴロ。私は笑いながら彼女に挨拶する。ゴロは、相変わらず暢気な性格のようで。鼻をひくひくさせながら、こちらが手を差し出すのを待っている。私は彼女を抱き上げ、背中を撫でてやる。三人のうちでゴロが一番穏やかな性格だ。絶対噛んだりしない。同じ種類のハムスターなのに、こんなにも違う。
ひとしきりゴロの相手をし、ゴロを籠に戻してからお湯を沸かす。レモングラスのハーブティーを入れる。マグカップを持ってとりあえず机へ。
メールのチェックをしながら、昨日送られてきた書類のチェックも為す。とりあえず今日中にやらなければならないものをプリントアウトする。
プリンターがかたかた動くのを感じながら、私は窓の外を見やる。少し闇色が薄れてきただろうか。私は窓を開け、ベランダに出る。
こんな暗い空の下でも、デージーの黄色は鮮やかに輝いている。この花が本当に終わってしまったら、きっとこのあたりは寂しくなるんだろうな、と思う。まるで灯りが消えたみたいになるんだろうな、と。ラヴェンダーはまだまだ、花芽の出る様子はなく。
弱っているパスカリ。新たに別のところからも、ひょいっと新芽を出してきた。その曲がり具合が何ともおかしくて、私はちょっと笑ってしまう。でも、新しい芽が出てきてよかった。本当によかった。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。根元からぐいっと伸びてきた枝に、ひとつの蕾の気配。本当に小さい、小さい粒。他には今のところ、花芽の気配はない。
友人から貰った枝。紅い花弁が下から見え始めた。まだほんのちょこっとだけれども。咲くのが楽しみだ。この花は、切り花にすると実に長いこと咲いていてくれる。
横に広がって伸びているパスカリ。せっかく支え棒で支えたつもりだったのに、すっかりそこから外れて枝が落ちている。一本の支え棒じゃどうにもならないんだということに気づく。考えて、二本の支え棒で挟むようにしてみることにする。これでどうだろう。大丈夫だといいのだけれども。ふたつの蕾は順調に膨らんできている。
ミミエデン、ふたつの蕾はぷっくらしてきており。新葉もきれいな緑色に変わった。ひとつの蕾からは、下の花弁の白い色が、僅かに覗いてきている。
ベビーロマンティカは、まだ中央の花が開かない。一方、周りのみっつの蕾は、ぐいぐい膨らんできている。一体どうしちゃったんだろう、この中央の蕾は。開くのを忘れているんだろうか。私は首を傾げる。まぁ、もうしばらく様子を見ていよう。
マリリン・モンローは、ふたつの蕾を湛えながら立っている。体のあちこちから、紅い縁取りのある新葉をにょきにょきと萌え出させており。
ホワイトクリスマスもまた、ふたつの蕾を抱きかかえながら悠然と立っている。上へ上へと伸びてきた枝。何処まで高くなるんだろう。
そして、ムスカリとイフェイオンの鉢。ぐいぐい伸びてきている。私は小さく溜息をつく。今からそんなに元気に出てこなくてもいいんだよ、と、小さい声で言ってみる。もっと寒くなってからでいいんだからね、と。でも、きっとそんな私の声なんて関係なく、ぐいぐいと今日も伸びてくるんだろうな、と思う。
アメリカンブルーは今朝、まだひとつの花も開かせていず。それもそうだろう。まだ夜明け前。夜明けの気配さえ、おぼろ。
私は部屋に戻り、机に座る。プリントアウトしたものをファイルに閉じ、重要なところに赤線を引いて鞄に入れる。
さぁとりあえず朝の仕事に取り掛かろう。私は口紅をさっと引いて、準備を整える。

しばらく連絡を断っていた友人から、連絡が来る。彼女の事情を聴き、私は私なりに考える。彼女が、私と自分とを繋ぐものが、失われたと思っていたという言葉を聴き、あぁ、そんなふうに受け止めていたのだなぁと改めて知る。私は私なりの考えでしたことだったが、それが彼女にはそう受け止められていたのか、と。
とりあえず、事情も事情だし、会おうと約束を交わす。それから後のことは、その時また考えればいい。そう思う。

仕事を為しながら、ふと、娘のことを考える。父親不在、というその形を、彼女はどんなふうに捉えているのだろう、と改めて考える。もちろんそれは、私には知る由もなく。娘はよほどのことがなければそのことに触れないから。一度だけ、私だって寂しいんだよ、と、テレビを見ながら言ったことがあったが、それきり、だ。
でも。だからといって私が今、誰かと一緒になる、ということは、私自身が考えられない。娘には申し訳ないと思うが、それが現実だ。
どこまでこの父親不在の、母娘の形がもつのかどうか分からないが、とりあえず今は、これでやっていくしかない。娘よ、ごめん。

写真を通じて最近知り合った知人から送ってもらった現像液を使って、フィルム現像をしてみる。そしてプリントすると、ありありと分かる。目が立つのだ。びっくりするほど。をを、懐かしい感触、なんてことを思いながら、私は次々焼いてみる。
焼きながら、ふとした合間に、彼の、Ibasyoシリーズの写真を思い浮かべる。数年前、私はあの中に在たと思う。娘が言うように、私とあの中にいる彼女らの、リストカットの事情は異なる。異なるが、外から見たら一緒だろう。血まみれになりながら、幽霊のようにうろうろしていた。自分の場所を探していた。
たまたま、私には、写真という術があった。それだけが、言ってみれば、違い、とでもいおうか。
私は、もう、赦せるだろうか。あの事件で穢れた自分のことを、赦せるだろうか。…答えは、すぐには出ない。

自転車で海まで走ろう。そう思った。朝の仕事を終えて、私は一気に走った。鳩の集う公園を抜けて、川沿いをひたすら走り。港へ。
そこには穏やかな風景が広がっている。マラソンをする男女。犬の散歩をする老夫婦。穏やかな穏やかな光景。なんだか私とは、フィルム一枚隔てた、向こう側にあるかのような、そんな光景。
海は朝の陽光を全身に受けてきらきらと輝いており。でも、その色は深い深い紺色で。いっそのことこの海に溶けてしまいたい。そんな衝動に駆られる。
でも。私は溶けることができないことも知っている。所詮なることができたとしても海の藻屑。海になることは、できない。
ふと思い出して、メールを打つ。娘宛。おはよう。テスト頑張ってね。応援してるよ。それだけ打って、送信する。
整備されすぎたこの辺り、私には正直、居心地が悪い。昔の、ちょっと薄汚れた港の方が、私には馴染みがある。
私は、大きく息を吸った後、ペダルを漕ぎ出す。
さぁ、今日も一日が始まる。いい一日でありますように。


2010年10月02日(土) 
起き上がり、窓を開ける。夜明け前。まだまだ空は闇色。見上げると、空には薄く雲がかかっている。でも今日は晴れると天気予報は言っていた。じきにこの雲も何処かに消えてなくなるのかもしれない。
PCの電源を入れて、音楽を流す。最初に流れてきたのはSecret GardenのSona。それを聴きながら台所に立つ。娘が目玉焼きを食べたいと言っていた。せっかく目玉焼きを作るなら、小さなサラダも添えてやろう。そう思い、冷蔵庫を覗く。野菜が高いせいで、野菜室はがら空き。昨日買ったキャベツを千切りにし、茹でておいたブロッコリーとミニトマトを添える。あとは目玉焼きを作るだけ、というところで娘に声を掛ける。ママが起きたら私のこともたたき起こして、と昨日言っていた。
なかなか布団から出てこない娘を放っておいて、私はベランダに出る。櫛で髪を梳かし、後ろひとつに結わく。大きく伸びをしてから、プランターの脇にしゃがみこむ。空は徐々に徐々に、紺色が薄らぎ始めた。
デージーは、まだまだ私は咲いているんだから、という勢い。なんだかここまでくると健気だ。私が早々に、もう終わりだと思ってしまったことが申し訳なくなってくる。でも、デージーとラヴェンダーを一緒にプランターに植えたのは、やっぱり失敗だったんだなと昨日思った。デージーの勢いにすっかり負けているラヴェンダーが、デージーの茂みの下で、細く細く伸びているのを見つけた。あぁ、この茂みですっかり日陰になってしまっていたのだな、と改めて思う。
弱っているパスカリの、新葉が、ちょろり、開いてきた。本当にこの葉はちょろり、という言い方が似合っている。パスカリには申し訳ないが、ちょっと笑ってしまう。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。根元の方からぐいっと伸ばしてきた枝二本が、元気いっぱい葉っぱも広げてきた。きれいな黄緑色。
友人から貰った枝、二本。最初に咲いた枝がまたつけてくれた蕾が、今徐々に徐々に膨らんできている。といっても、この二本の蕾は細身だ。そういう種類なんだろう。すらりとしている。
横に広がって伸びているパスカリ。もう限界です、といったふうに、蕾のついた枝が撓っている。どうしよう。二本の支え棒で、挟んでみることにする。何とかなるかもしれない。でも、これで支えると、蕾がくるり、窓の方を向いてしまうのだが。まぁ、蕾はきっと、日の光を探してちゃんと上を向いてくれるようになるだろう。それを祈る。
ミミエデン、ふたつの蕾が徐々に徐々に膨らんできた。新葉もだいぶ出揃って、ミニバラなりに茂っている感じ。よかった。
ベビーロマンティカの、中央でぷっくりぽっこり膨らんでいる蕾、まだ開かない。もういい加減開いてきてもいい頃合なのだが。私は首を傾げる。他の蕾たちも順調に膨らんできている。そして、まさに茂みになった樹の姿を、私は改めて眺める。本当に君は元気がいいのね、と小さく声を掛けてみる。
マリリン・モンローは、蕾をふたつ、小さな蕾をふたつくっつけて、立っている。まるで隣のホワイトクリスマスには負けないといったふうな勢い。そんな競争しなくたっていいのに、と私はちょっと笑ってしまう。でも、反面、嬉しい。そうやって大きく育ってくれる姿は、いつ見ても、私を嬉しくさせる。
ホワイトクリスマスは、そんなマリリン・モンローに、すうっと横を向いている感じがする。別に競争しているつもりはないのよ、という感じ。そうしてすっくと天を向いて伸びてきている。
アメリカンブルーは今朝、六つの花を開かせた。青い青い、真っ青な花。そうして空を見上げると、夜明けが近づいてきたせいだろう、空が白み始めている。美しい濃い水色の空。あぁやっぱり今日は晴れるんだ。私は立ち上がって、部屋に入る。
ようやく起きてきた娘に、ちゃっちゃか目玉焼きを作って、サラダと一緒に渡す。おにぎりと目玉焼きとサラダ。まぁこんなもんか。私はお湯を沸かして、生姜茶を濃い目に作る。娘は、昨日録画しておいたんだという歌番組を早速つけて見ている。好きな歌手が出ているのだという。
私はマグカップを持って、机に座る。明るくなってきた空。途端に部屋の中も明るくなってきた。太陽が顔を出すということがどれほど世界にとって大きなことなのかを、改めて感じる。
娘に頼まれたものをプリントアウトし終え、私は朝の作業にかかる。

金曜日。電話番の日。時間前に家に戻り、適当に部屋を片付ける。そこにやってきた友人と、軽い昼食を取りながら、ぼそぼそ話す。
最近活字がまた駄目になっちゃったみたい、という友人に、じゃぁ写真集とかなら見ることができるんじゃない?と、何冊かの写真集を並べてみる。最初に彼女が手にしたのは、植田正治の写真集。彼女にとっては初めて見る写真ばかりらしく、こんな昔に、こんな写真を撮る人がいたんだ、と驚嘆の声を上げている。まるで日本人じゃないみたい。でも、彼は日本人で在ることを否定しているわけでもなくて。独り言のようなことを言いながら、彼女はじっと写真を見つめている。
次に彼女が手にしたのは、古屋誠二の写真集で。私がその写真集を最初に見たとき、本屋で立ち読みをしたにも関わらず、涙が出てきたことを覚えている。なんて緊迫した愛の形なんだろう、と、そう思ったのだった。彼女は今何を感じているんだろう。じっと黙って、何度も何度も頁を行きつ戻りつしながら、見つめている。こんなになってまで向き合う愛の形があるんだね、彼女がぽつり、言う。そうだね、と、私も一言だけ、応える。
他にも数冊、彼女は写真集を眺め。私はお茶を飲みながら、煙草を吸ったり、彼女の言葉に相槌を打ったりして時間を過ごす。
一時、電話番を彼女にお願いし、私は知人に円枠描画法を伝えるために席を立つ。一時間かけて知人が描いてくれた絵を挟んで、いろいろ話をする。
あっという間に日は暮れて、友人が帰ってゆく。私はその後ひとりで電話番。数度電話が鳴る。

去年撮影した写真群にテキストを添えたいということで、友人にちょっと手記を書いてくれるようにお願いした。DV被害に焦点を当てて書いて欲しいと彼女に依頼するのは、これが初めてだ。写真は、彼女の部屋で撮ったもの。できあがった写真を彼女にはまだ見せていない。彼女と室内で撮影するのはこの時が初めてだった。普段どうやって過ごしているの?ということで、普段彼女がこの部屋で過ごしているまま時間を過ごしてもらった。今の彼女にとって、大切なものたちばかりが集められた部屋。大事なものばかりで包まれた部屋。数年前まで、彼女にはその「居場所」がなかった。今この「居場所」が在ることは、どれほど彼女にとって大きいことだろう。
居場所。私にとってもそうだ。幼い頃から居場所を探していた。ずっとずっと探し続けて。今ようやく、この場所が、自分の居場所なんだと思える。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。娘はバス停へ、私は自転車へ。
漕ぎ出そうと思ったところで、バス停から声が飛んでくる。バイバイ! 私は応える。じゃぁね、バイバイ! また日曜日ね!
小学校の校門には、たくさんのお父さん方が並んでいる。今日小学校の校庭では幼稚園の運動会があるらしい。その場所取りなんだろう。ついこの間自分もやったな、と思い出し、ちょっと笑う。
坂を下り、信号を渡って公園へ。池の端に立つと、燦々と降り注ぐ陽光で水面はきらきら輝いている。見上げると、水色というより白く発光した空が見える。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木の緑が、徐々に徐々に黄緑色に変化していっている。これがあの黄金色に染まるのは、いつ頃なんだろう。
ちょうど青になった横断歩道を渡って左折。そうして真っ直ぐ走る。私とは逆方向から何人か自転車に乗った人が走ってくる。みんなヘッドフォンを耳にしているのがなんだかちょっと笑える。そういう自分もヘッドフォンを耳につっこんでいるのだが。
駐輪場でおはようございますと声を掛けると、おじさんがひょいっと出てきてくれる。今日は天気がいいみたいでよかったねぇ。本当にそうですねぇ。そんなことを言い交わしながら、駐輪の札を貼ってもらい、自転車を停める。
歩き出しながら、私は海の方向を見つめる。風車が光を受けて、輝きながらゆっくり回っているのが見える。
さぁ、今日も一日が始まる。しかと歩いていかねば。


2010年10月01日(金) 
起き上がり、窓を開ける。いきなり濃密な雲、どんよりと垂れ込めている。まさに垂れ込めているという言葉が似合いの様相。今が朝なのか夕方なのか、間違えるところだった。何て暗いんだろう。私はしばし呆気に取られ、ぼんやりと空を眺める。
気を取り直し、ベランダに出てプランターの脇にしゃがみこむ。デージーは今日もまだちゃんと咲いてくれている。最後の輝きとでもいうんだろうか、ミニチュアの花畑のよう。ラヴェンダー、鼻を近づけると、ふわり、やさしい香りがする。
弱っているパスカリ。ひょいと伸ばした新芽が少しずつ開いてきている。紅い縁取りのある新葉。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ぐいっと根元から伸びてきた枝の先に、もしかしたらこれは花芽かもしれないという小さな粒が見える。花芽だといいな、私は指先でちょんっと先に触れる。
友人から貰った枝、先に咲いた枝の方に、新たな蕾。だいぶ膨らんできた。それにしてもこの枝は本当に元気がいい。ぐいぐい伸びてくる。この間咲いてくれた枝の方も、新たな葉の気配を湛えている。
横に広がって伸びているパスカリ。もう蕾をふたつつけている枝が、重たそうに撓っている。花が咲いたら必ず短く切り詰めてやろう。
その脇に挿した枝二本。新芽が出てきたと思ったのに、一本が怪しい。やっぱり油断は禁物なんだよなぁと私はひとりごちる。このまま枯れてしまうか、それとも芽が出るか。片方はまだ大丈夫そうなのだけれど。
ミミエデン、ふたつの蕾がだいぶ膨らんできた。そして新葉もようやく緑色に。今から花が咲いてくれるのが楽しみでならない。
ベビーロマンティカは今中央にぷっくり膨らんでいる蕾以外にも、みっつ、蕾がついた。萌黄色の新葉をぐいぐい伸ばしてきている。一部、ミミエデンにかかってしまっているものまであるくらい。でもまぁ、せっかく伸びたのだから、しばらくはこのままにしておこう。
マリリン・モンロー。新たな蕾をふたつつけた。そしてあっちこっちから紅い新葉。まさにあっちこっち。根元からも前回切った枝のところからも。これじゃぁ樹のバランスがとれないだろうにと思うのだが、そこはやっぱり根っこの強さか。びくともしない。
ホワイトクリスマス。昨日のうちに切り花にした。他にもふたつ、蕾が生まれている。上へ上へと伸びてくるホワイトクリスマスの姿。なんだかちょっと、昔観たアニメの映画を思い出す。神様の力でぐいぐい伸びてくる枝葉の姿に、何処かちょっと似ている。
ムスカリの他にも、イフェイオンまで芽がでてきてしまった。ふと見たら、ダンゴムシがこにょこにょ動いている。私は慌てて彼らをベランダから放り投げる。本当はそんなことしちゃいけないんだろうけれども、まぁ、この時間、下を歩いている人はいないから。ゴメンナサイ。
アメリカンブルーは今朝よっつの花をつけてくれた。この暗い空の下でも、輝くようなその色。ふと見上げると、だいぶ空は明るさを得てきたらしい。濃灰色の雲がみっしり、一面に広がっている。また雨が降るんだろうか。それとも今日は晴れるんだろうか。
部屋に戻り、お湯を沸かす。生姜茶を濃い目に入れる。ついでに、煮出すタイプのふくぎ茶を、薬缶いっぱいに作ることにする。
マグカップを持って机へ。PCの電源を入れ、メールのチェック。重要なメールは今朝は一通のみ。他は届いていない。ちょっとほっとする。昨日為した作業のチェックをし、とりあえず朝の仕事の準備にかかる。その前に娘を起こさないと。枕元にわざわざメモが置いてあった。「五時にたたき起こして!」と。

友人に電話をする。更年期障害についていろいろと教えてもらう。というのも、このところ、朝のぼせて、汗までかくことが続いている。こう涼しくなっても、朝汗をかくことは変わらない。彼女の話を聴いていて思い出す。そういえば私は不妊治療もしたのだった。薬も長年飲んでいる。人より早く更年期障害が来て全然おかしくはない。確実なのは婦人科に行って検査してもらうことだよ、と言われる。確かに。しかし、その勇気が沸かない。婦人科というのは、どうもいい思い出がなくて、躊躇われる。しかも、今、行きつけの婦人科で従兄弟の嫁が働き出したので、正直行きにくい。まあ、そんなこと言ってられないだろ、というのが本当のところなのだが。
電話を切ったところに、娘が帰ってくる。塾が休みの、貴重な一日。
ねぇねぇ、それでどうすることにしたの? 何が? 何がって、告白した相手とだよぉ。文通することにしたっ! えぇっ、そうなの? 住所教えてくれるって。ををっ、いいじゃんいいじゃん、ママも小学生のとき、たくさんの人と文通してたよ。楽しいんだよね、あれ。でも、あなた、字きれいに書かないとだめだよ。うーん。字の練習、したら? いいんだよ、もう。私、字、どうせ下手だもん。って、諦めないでさぁ、書き方の練習しようよ。いいよ、もう、ママ! なんでママがそうわくわくするわけ? いやぁ、これからポストにあなた宛の手紙が男の子から届くと思うと…。ママっ!!! ははは。

洗い場の下の棚を整理していて、ふと見つける。去年母から貰った根昆布茶の粉末。これ、ものはいいのだけれどもそんなにおいしくなかったんだよなぁと苦笑しながら思い出す。でも、せっかくもらったのだもの、また飲んでみようか。
私が根昆布茶の粉末を懸命に溶いていると、ママ、私も欲しい、と娘から声が掛かる。というわけで二人分、作ってみる。しかし、このままだとちょっと味が薄すぎる。というか、まさに根昆布の味。どうしようか、うん、どうしようか。二人で顔を見合わせる。そして思い出す。だし醤油があったね、あれ、ちょっとだけ入れてみようか。うんうん、それがいい! というわけで入れてみる。ぐんとおいしくなった。私たちははふはふ言いながら、お茶を楽しむ。
飲み終わって、改めて棚の片づけを続ける。賞味期限切れの缶詰がごそごそと。もったいないことをした。非常食と思って大事にとっておいたのはいいけれど、結局食べ損ねてしまった。ごめんなさいといいながら、ゴミに出すことにする。ラーメンも二袋出てきた。その昔懐かしいラーメンの包みを見ながら、私は父を思い出す。
父と山小屋に冬スキーに行くとき。母が時々ついてこないことがあった。そうすると、父はラーメンを作る。野菜も何も入っていない、まさに茹でただけのラーメン。でも、普段、ラーメンなんて食べさせてもらえない私や弟にとって、それはちょっとしたご馳走で。結構楽しみだった。父のラーメンは、時に伸びすぎていたり、時に固かったりするのだが、それでも私たちは文句言わずにぺろりと食べた。
そのスキーは、本当にもう厳しい練習で。父の教え方は容赦なかった。ストックで膝の裏を叩かれたり、お尻をひっぱたかれたりするのなんて日常茶飯事で。そして何より、リフトに乗らない。足腰を鍛えるためといって、絶対にリフトに乗せてくれなかった。私たちは斜面を懸命になって上ったものだった。弟はそれが嫌でスキーが嫌いになったと言っていた。私は、確かに父に教えてもらっている最中は嫌いだったが、いざ友人とこっそりスキーに行ってみたら、すいすい滑れるしリフトも乗り放題だし、嬉しくて楽しくてしょうがなかった。ちょっとだけ、父に感謝した。もちろん父にはそんなこと、一言も告げてはいないけれども。
今、父はスキーを母から禁じられている。冬山に独りで行って、大怪我でもした日には、という理由で、絶対に駄目だと言われている。あれほど冬山が好きで、スキーが好きだった父にとって、これはかなり辛い言い渡しだと思えるのだが。
いつか、二人でスキーに行こう、なんて、誘ってみようか。いや、まだ誘えないかも。でも、いつか。そう、できれば早いうちに、いつか…。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。
校庭では、秋の陸上大会のために、六年生が練習をしている。私はそれをちょっと眺めた後、階段を駆け下りる。
自転車に跨り、走り出す。坂を下り、信号を渡って公園へ。公園はしんと静まり返っており。ちょうど大型犬二匹を散歩させている人とすれ違う。あんなに大きな犬を二匹育てるのは大変だろうなぁなんて思いつつ、私は池に向かう。
池の向こう側には、例の如く、トラ猫が陣取っている。私は心の中、おはようと声を掛ける。池の水面には、暗い暗い雲と両側からせり出すように伸びている樹木の枝葉が映っている。陰影の画。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。どこもかしこも制服警官だらけ。なんでこんなにいるんだろう。何しに歩いているんだろう。全く分からない。そのくせ、うちの家の前の交番には誰もいなかった。私はあの交番に何度か駆け込んだことがあるが、誰かいたためしがない。がっくりする。
銀杏の樹は、何本かがもう黄緑色に変わっており。あぁそういう季節なのだなぁと思う。大通りの横断歩道を渡り、左折する。そのまま真っ直ぐ走る。たくさんの通勤人とすれ違う。みな、下を向いて歩いている。前を向いて歩いている人の何と少ないことか。
駐輪場のおじさんにおはようございますと声を掛ける。駐輪の札を貼ってもらって、自転車を停める。
さぁ今日もまた一日が始まる。私は歩道橋の階段を駆け上がる。


遠藤みちる HOMEMAIL

My追加