見つめる日々

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2006年08月14日(月) 
 休日でも娘はいつも通りの時間に目を覚ます。体が痛くて寝床でぐずぐずしている私に喝を入れてくる。娘の、お腹空いたよぉという元気な声を聴きながら、私は、ゆらりゆらりと左右に揺れる体で窓際に近づきカーテンを思い切り開ける。あぁ今日も見事な晴れ空。窓を開けた途端に部屋へ流れ込む風。一挙に私の鼓膜を揺らした蝉時雨と共に、風鈴の、ちろりんちろりんという唄声が響く。
 一息ついたところで、さぁ水槽の掃除。次々に死んでいった金魚たちの中、唯一、病気にかかり瀕死の状態を潜り抜け、塩を混ぜた水の中で生き抜いてくれた一匹の金魚をそうっと別容器に移し、娘に掃除の仕方を教える。数日前からベランダに準備していたバケツいっぱいの水。念のため少し塩を混ぜ、娘が洗い終えた水槽に、新たに入れてゆく。そうして準備万端整え、出発。
 娘との前からの約束を果たしに、埋立地のスーパーまで自転車をゆっくり走らせる。途中、この樹はなーんだ、と後ろに乗る娘に尋ねる。鳥の名前はじぃじとばぁばに教えてもらってずいぶんたくさん覚えている娘。でも、樹の名前は多分、じぃじもばぁばも教えてはいないのだろう。一番見つけやすい銀杏の樹、大きな車道の両側に黙して起立するポプラの樹、小学校の敷地内に立つ樫の樹、公園いっぱいに植えられている老木の桜たち。もちろん、彼女がすぐに丸ごとそれらの名前を覚えてくれるなどとは私も思っていない。ただ、何気なく私たちの生活を彩ってくれる、まるで当たり前のようにそこに在るものたちのことを、時折振り返る、そのくらいでいい、そのくらいはいつか、彼女に伝わってくれれば。そう願いながら。
 スーパーに辿り着くと、娘は目的の場所へ走ってゆく。私は適当に足りない生活用品を買い足し、そうして娘が走っていった場所へ。
 ママ、しま子(注:唯一生き残った金魚につけている名前)とおんなじ種類の金魚、いないよ。娘が言う。だから教えてやる。もう一回よーく全部の水槽を見てごらん、ちゃんとしま子いるよ。
 ようやくしま子と同じ金魚たちの存在に娘が気づき、私は店員さんに三匹頼む。新しい水草と新しく仲間になってくれるだろう金魚たちを抱えうきうきしている娘は、いつもの倍以上の速さでスーパーの扉から駆け出してゆく。
 自転車をきこきこ漕いで萎びた野菜のようにひしゃげている私の隣で、娘はもう、金魚のことで頭がいっぱいな様子。店員さんから教えてもらった方法をひとつひとつ確認し、二人で金魚たちを放してゆく。
 一時間半くらいの時間をかけて、ようやくそれぞれに水槽に飛び出してゆく新しいしま子たちの様子を、二人で交互に観察。数十分しないうちに、一匹がおかしな泳ぎ方を始める。私は娘に説明し、その一匹を隔離する。一番きれいなしま子だったのにねぇ。でも、まだ分からないよ、何とかなるかもしれないよ、しま子みたいに(注:以前唯一生き延びてくれた元祖しま子のように)治るかもしれないし。がんばれ。よく注意して診てあげようね。ウン。
 私と娘の予定では、この金魚たちの儀式が今日一番のイベントだった。が。
 そういえば。
 再放送の「さとうきび畑の唄」を、確か録画しておいたはず。私はそのことを思い出し、しばし考える。考えた末、娘にもこれを観せることにした。
 話が進んでゆくにつれ、彼女がもう観たくないと言い始める。そりゃそうだろう、ヒトが次々死んでゆく映像など、六歳の子供が観たくなるわけがない。「でもね、ちゃんと観ようよ、戦争ってさ、こうやってヒトが次々死んでゆくんだよ、殺されてゆくんだよ」。
 CMの合間合間に、私は彼女に自分が知っている範囲で彼女に私なりの言葉で伝えられる戦争というものを、話して聞かせる。この頃、ママやみうはまだ生まれていなくて、じぃじは七歳、ばぁばは二歳だった、だからね、じぃじは福島県の親戚の家へ、ばぁばは山形の親戚の家へ、疎開したんだよ、今度じぃじばぁばの家に行ったら聞いてご覧。ママにとってのおじいちゃんはね、戦争になったとき、今映ってるこの人みたいにね、船に乗って外国まで戦いに行かなきゃならなかったんだって、何とか無事に帰ってくることができたから、ママはおじいちゃんの顔を見ることができたけど、おじいちゃんが戦争で死んじゃってたら、ママはおじいちゃんのことなーんにも知らないで生きてた。それからね、ママのおばあちゃんは、戦争で弟二人、亡くしちゃったんだって。弟二人はね、この人みたいにまだ学生なのに戦争に呼ばれて、それでね、敵の弾に当たって死んじゃったんだって。戦争中はね、生きようって言葉ひとつ口にすることさえ赦されなかったんだよ、お国のために死ぬんだって教えられるんだよ、お国のためっていうのはね、日本は神の国って言葉があってね、その神っていうのが天皇陛下ってことに繫がるんだけど、日本は神の国だから負けるわけがないって、んでね、神の為にお国の為に死んでゆくことこそ誇りなんだって、日本人みーんなそう教えられるの、分かる? アメリカ人が日本人を殺すだけじゃなくて、日本人が日本人を殺すことも、いっぱいあったんだよ。みうが大人になる頃、もしかしたら戦争が起きるかもしれない、もっと早くに日本は戦争になるかもしれない、そしたらね、ここに映ってる人たちと同じように、ママやみうも死んでしまうかもしれない。今ね、こうやってテレビ観てるでしょ? その最中にも地球の裏側では、戦争やってるんだよ。その他もろもろ。
 要所要所、私にしがみついてわんわん声を上げて泣いてハンドタオルはもう彼女の涙と鼻水とでぐしょぐしょになっている。でも、私は観るのをやめない、だから彼女も必死になって観る、そして娘は時々、分からない言葉が出てくると私に尋ねる。だから私も応えられることには全て、噛み砕いて応える。途中、日本地図を開いて、今観てるのはね、この場所、沖縄っていう場所なんだ、と、教える。娘はじっと、地図を見、そして私の腕に巻きつけた両腕に、さらに力を込める。
 もちろん。
 このドラマひとつ観たところで、実体験を伴わない私の言葉をいくら重ねたところで、戦争がどういうことか、命というものがどんなものなのか、彼女に伝わったなんて思わない。自分が伝えきれたともちっとも思わない。実際私は自分で戦争を体験したわけじゃぁないし、要するに今私が持っている知識なんてほんのこれっぽっち、鉛筆の先ほどにも満たない、そのことは私も自覚している。でも。
 カレンダーを指差し、あえて、彼女にはまだ難しいだろう八月十五日がどういう日であるのか、私は言う。終戦記念日というものが日本に存在することなんて、彼女は全く知らないところで生きている。そもそもシュウセンキネンビなんて言葉の意味自体、彼女は何も知らない。でも、私はその言葉を繰り返す。終戦記念日。この日がその日なんだよ、とカレンダーを指差して。
 ようやく映像は穏やかな景色に変わり、終わってゆく。じぃっと考え込んでいる娘の横顔を私はじっと見つめる。そしてぽつりと彼女が漏らした言葉。
 みう、せんそうなんてキライ。テンノウヘイカなんていらない。しんじゃうのなんてヤだ。ひとをころすのもヤだ。ぜったいヤだ。
 ------娘よ、今はそれで充分だ。

 結局、隔離した金魚は、真夜中前に死んだ。もうピクリとも動かない。
 娘は今、大の字になって眠っている。
 明日は学童の後、縁日に行くと彼女との約束。
 私は窓の外、空を見上げる。そこにはぽっかり浮かぶ月。
 明日もきっと晴れるのだろう。そう、夏の日差しは眩しくて残酷で容赦ない。


遠藤みちる HOMEMAIL

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